2015年07月08日

五反田に“ひとり客”のパラダイスあり! No1

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http://diamond.jp/articles/-/69541

午後4時半の開店と同時に、客が…
居酒屋「かね将」は五反田界隈でもっとも流行っている店だろう。午後4時30分が開店だけれど、主人の金子章治(あだ名は「かねしょう」)が午後4時にシャッターを開けたら、客が入ってくる。いずれもひとり客だ。それぞれが離れてカウンターやテーブルに座る。そして、やってきたひとり客は金子が仕込みに忙しいことをよくわかっている。なるべく邪魔をしないように、そっと小声で飲み物を頼む。そして、つけ加える。「あと、手が空いたら、なんかちょうだい」開店よりも早めに入ってくるひとり客は常連であっても、遠慮がちなのである。

30分もしたら50人は入る店内が満員だ。相席は当たり前。午後6時までなら予約はできるけれど、団体以外はまず予約しない。そして、満席になり、わいわいがやがやの状態になると、ひとり客は肩の荷を下ろしたような、リラックスした表情になる。開店時間が過ぎたこともあるが、何よりも、席が埋まって、喧噪状態のなかで飲めるのが楽しいのだ。わたしも経験があるけれど、旅先など店に入った時、まったく客がいない状態が続くのはつらい。

店内がしーんとしていて寂しいこともあるが、それ以上にサービスの人がわたしに気をつかうのが申し訳ないのである。そこで、「早く帰らなきゃ」と焦って食べるから料理の味がわからなくなる。もっと食べたいものがあるのだけれど、「私だけのためにガスの火を使って調理してもらうのはもったいない」とこれまたいらぬ遠慮をしてしまう。食べるよりも、考えることが多くて頭が疲れてしまう。さらに、店内に客がいても、先着の客同士が全員、常連で顔見知りというのはもっとつらい。

従業員と常連客だけの世界に足を踏み入れた異邦人の気持ちになる。さて、長々といらぬ説明をしたけれど、要は、かね将は、ひとりで入っても、そんな気持ちにはならない店だ。頭は全く使わない。気軽に何でも頼める。いつでも混雑してるから、サービスの人も適当に放っておいてくれる。わたしたちは喧噪にまぎれて、好きなものを好きなだけ頼めばいい。

カシラとナンコツとレバとタン(いずれも100円)とポップコーン(280円)と、さば塩焼き(210円)とポテトサラダ(マカロニ入り300円)とハムカツ(120円)を一度に頼んでいいのである。もう一度、ポップコーンとさば焼きだけを追加しても、「えっ」と聞き返されることはない。かね将は、ひとり客にとってのパラダイスだ。

酒類で言えば、客の大半が飲んでいるのがハイサワーとホッピー。特に、ハイサワーを飲む人たちのピッチは速い。従業員を見ていると、ジョッキに焼酎をどはどばと注いで、ハイサワーの瓶を直立させて、どどどっと投入している。運んでいったとたんに、今度は客がむせ返りながら浴びるように飲んでいる。横にいた客が言った。「サワーはなんこつとかかしらのたれに合うんだな」 至言だ。脂と甘
辛いたれをサワーのタンサンと酸っぱさが洗い流す。だから、たくさん飲める。吐くまで飲めばいいのではないか。

 

 

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2015年07月07日

日本人のみそ汁離れに打ち勝った、味噌屋の復活劇 No2

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米は山形の『おきたま興農舎』、塩は伊豆大島産の海の精(現在は石垣の塩)という具合に。やがて仕込んだ味噌を売る段階に来た。 「忘れもしないんですけど、ライター仕事でホテルに缶詰
になっていたところに電話がかかってきたんです。(味噌を売るのに)商品名をつけてくれ、という話です。そのとき、なにも考えなかったんですけど『純情紀行』という名前がぽろっと出たんです。今になって考えると純情というのは純な情熱という意味。

そして、ライター仕事で様々な生産者を訪ね歩いた軌跡を紀行という言葉で表現したかったのかな」こうして必然的な出会いをいくつか経て、はるこま屋の製品「春駒純情紀行」は生まれた。ちなみに缶詰して書いていた原稿は版元の出版社が倒産してしまい、世に出ることはなかったという。運命というのは不思議なもので、こうして五月女さんの人生は味噌造りに行き着く。

3.11の震災で売上は3分の1に 真面目な生産者ほど大きなダメージ
通常の商品であれば、まず価格があり、それにみあった材料があり、製品がある。ところがはるこま屋の味噌はなによりも五月女さんの「あってほしい理想」が形になったものだ。最高の原料を使った無添加の味噌作りは先に述べた鑑評会などで高い評価を受け、自らが「ライフワークにして自信作」という『あるちざん』という味噌などを世に出し、自然食品系の小売りなどで高い人気を集めていた。ところが、である。はるこま屋は東日本大震災とその後の原発事故により大きな影響を受けることになる。

「風評被害の怖さは実態がないということです。自然食品、無添加系の消費者は非常に敏感で、原発事故後、茨城、栃木、福島一帯には強い拒否反応があるようです。小さいお子さんがいて心配するのも仕方がないと思うのですが、放射能検査でND(検出せず)と出ても、そんなこととは関係なく受け入れてもらえない。この栃木県内でも大きなダメージを受けたのはオーガニック、有機農業の生産者や無添加、自然食の『真面目に食に取り組んできた』生産者でした」

自信を持っていた製品の売上は3分の1に落ち込む。電話口などで強い反応をぶつけられることもあり、絶望的な気分にもなったという。 「消費行為として食べ物は扱われ、人と人との密度は薄
くなった。顔の見える関係、などと都合のいい言葉はありますが、生産者から見ると消費者の顔は見えてなかった」


馬頭広重美術館。設計は隈研吾。ルーバーを多用することで環境に溶け込んだ建築
2011年の11月、五月女さんは馬頭広重美術館のなかのカフェ、レストランの運営を引き受ける。はるこま屋が開いたJOZO CAFEだ。それまで飲食店の経営経験があったわけではなく、さらに
冬になると来客数が減少し、様々なテナントが入っては撤退する難しい場所だっただけに、大きなチャレンジだった。 「直売の比率を高めなければいけないというのもありました
が、味噌を売りたいというよりも食品を通して「生きている根源みたいなところを伝えたい」という想いがありました。とにかくここではおいしいものだけを出したかった」

 

 

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2015年07月06日

日本人のみそ汁離れに打ち勝った、味噌屋の復活劇 No1

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http://diamond.jp/articles/-/72571

英語にcomfort foodという言葉がある。なごみ料理というか、安らぎメニューというか、ほっとする食べ物のことを指す。日本人にとっては一汁一菜の食事だろうか。ユネスコに登録された和食の定義は一汁三菜だが、一汁一菜こそ日本料理の基本だと思う。一汁一菜は『汁飯香』と呼ばれ、味噌汁、ご飯、漬け物のこと。最低限にして十分な食事で、なかでも味噌汁は特別な存在だ。ところで日本人が味噌汁を食べなくなった、と報じられて久しい。

味噌の消費量は1970年をピークに減少に転じ、現在は半分ほど。ある記事によると消費量を味噌汁に換算すると一週間に平均3杯という計算になるらしい。にわかには信じがたいことだが、どうやら味噌汁が食卓にのぼる機会は減っているようだ。そういえば先日、管理栄養士の先生からお話を伺う機会があったのだけど、こんな話を聞いた。 「最近、また塩分の摂取量の基準がさ
らに見直されましたよね。そうなると味噌汁は献立に組み込みづらいんですね」

なるほど、減塩のムードも味噌の消費量に影響しているようだ。塩分摂取量に関しては様々な見解がありここでは意見を述べることは控えるが、味噌はどうやら肩身が狭い状況にあるようだ。

絶滅寸前だった実家の味噌を自らの手で再生させた元ライター
春駒屋の味噌。無添加なので酵母や乳酸菌が生きたままだ。なので保存は冷蔵庫で
栃木県の東部、那珂川町。里山の自然を感じられる場所にある味噌店『はるこま屋』を訪れた。店主の五月女清以智さんは味噌醸造元の4代目、手がける天然醸造味噌は全国味噌鑑評会での受賞など高い評価を受けている。紹介された雑誌記事には『日本一原価の高い味噌』という文言が並ぶ。

──味噌業界は危機にあるという認識でいいのでしょうか。
「そうですね。うちは違いますが、かつて味噌屋はお大尽がでないとできにくい業種だったんです。そもそも醸造業というのは資産を寝かせるわけで、豊かな人でないとできなかったですから。それが昭和30年代後半から高度経済成長にかけて、産業としては完全に取り残されたんですね。うちも味噌屋では経営が成り立たない、と別の商売をやりつつ、細々と味噌造りを続けていました。だから自分も全然継ぐ気はなかったんです。

もう大変だから辞めたほうがいい、と親父に話したこともあったくらい」五月女さんは味噌造りを手伝いながら、フリーランスのライターとして雑誌などに記事を書きつつ、東京で暮らしていた。「自分がライターとしてテーマにしていたものに環境とか食品安全の問題がありました。1980年代後半のことです。大量生産、大量消費の経済成長とは別の価値観を持った、有機農業、無添加食品といったものが広がっていった時代で、自分は良質な食品をつくっている生産者の方をずいぶん取材させてもらいました」

取材をしていくなか、五月女さんが出会った人に本庄にある埼玉・三之助豆腐/もぎ豆腐店店主の故茂木稔氏がいた。 「茂木さんのエピソードは一杯あるんだけど、俺も茂木さんもお
酒が好きだったから(笑)そういう話もあるけど、ある時……茂木さんから『君の実家は味噌屋なんだろう。だったら、これを読んでおけば大丈夫だから』と一冊の小冊子を渡されたんです」それは『食物と体質』(秋月辰一郎著)という本だった。五月女さんはそれを帰りの電車のなかで読んだ。人間の体質をつくるものは環境と食物であり、先人の知恵が込もった味噌汁こそ健、
不健の鍵だと書かれていた。 「そのとき、直感的に『味噌屋になろう』と思った。それでライター仕事を続けながらだったけど、ここに戻ってきたわけ」しかし、実家の味噌の売上はゼロに近い。春駒味噌は絶滅寸前の状態だった。これは継ぐのではなく、一からつくる気持ちでなければ。故郷に戻った五月女さんは91年に新しい法人をつくり、味噌造りをスタートさせる。

しばらくして、茂木さんから大量の大豆が届いた。 「この大豆で『お前が一番いいと思う味噌をつくってみろ』と言われたんですよ。その時の大豆は本当に素晴らしかった。明確に憶えているんですけど、手洗いしていてびっくりした」聞けば農家が一粒、一粒手で選別している大豆だという。大豆を洗いながら、作り手の思いは伝わるものだとわかった。この大豆でつくるなら最高の材料を選びたい。最高の材料はこれまで取材し、出会ってきた生産者から選んだ。

 

 

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2015年07月05日

なぜ流行る、電機大手の野菜づくり No2

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いまだかつてない「垂直立ち上げ」 その後は順調に進みましたか。

今井:いやいや。経営会議でゴーサインが出たのが2013年4月。政府の補助金は9月に出ることが決まりました。即座に植物工場へ衣替えするための工事が始まり、最初の種まきが年末。2月に試験出荷というスケジュールでした。半導体の世界で工場を作り、一気に生産を始めることを「垂直立ち上げ」というけれど、それと同じ。スケジュールのタイトさでいえば、今回の方が大変でした。

同時に味わった苦労は野菜を育てることの難しさです。植物工場と聞くと、野菜を工業製品のように作るというイメージがあるかと思います。最終目標はそうなのですが、プロセスは大変。温度や湿度の管理は当然で、1400平方メートルもの巨大な敷地でレタスを均質に育てるというのは極めて難しい。そもそもレタスは高原野菜で、育成するのに風の流れは結構重要です。これを人工的にどう作り出すか。工場だから土はないけれど、野菜生産の工業化は試行錯誤の連続、まさに「泥まみれ」でした。

富士通が野菜を売る。商流を築くのも大変だったのではないですか。

今井:低カリウムレタスは腎臓病の患者さんにはうってつけの野菜です。そこで病院に自分たちで売り込みをかけましたが、最初はどこでも「なぜ富士通が野菜?」という反応でした。しかし富士通が農業とITを結び付けて効率的な野菜づくりができるようにしよう、そういったノウハウやシステムを農業法人などに提供するビジネスを展開していることを説明し、本業とかかわりがあると言うと興味を持ってくれる。

 もっとも大変なことばかりでもないんですよ。うちのレタスはスーパークリーンルームで作っていますから鮮度が長持ちします。包装を解かなければ冷凍保存で1か月半ぐらいは大丈夫。だから数週間にわたって世界中を航海する大型クルーズ船とかでは重宝される。身近なことでいえばネット通販で売りやすいんです。ネットで野菜を買っても鮮度は保証されているから評判は上々です。先月は楽天市場で予想を上回る170万円の売り上げがありました。

ベンチャー精神の孵化器 事業は軌道に乗ったと。

今井:まだまだですね。初年度1億5000万円の売り上げを目指していましたが、実績は数千万円でした。ただ「富士通の野菜」という物珍しさもあって、メディアなどで取り上げられ、ブランドが浸透し始めました。勝算はあると思っています。

苦労が多いようですけれど、今までまったく手掛けたことのないビジネスを一から立ち上げていることを楽しんでいるようにもみえます。

今井:1年間に2700人ぐらいの工場見学がありました。補助金をもらっているので政府関係者もいますけれど大企業の見学者も多い。どうして見学に来たのか理由を聞くのですが、ある会社の方から聞いた話が面白かった。この商売は儲かるのかを見に来ているというより、大企業が全く未知の分野で新規事業を立ち上げると、どのようなことが起きるのかを知りたいんですね。 各社とも大きな組織ですから成熟分野というのを抱えている。

成長を遂げるには何か新しいことをやらなければならない。既存事業とのシナジーが見込める分野とかいうけれど、門外漢の分野に乗り出した場合はどうなのか。大企業にベンチャースピリットは芽生えるのか。それが会社全体にどのような影響をもたらすのか。そんなことが知りたいと言っていました。同業他社も野菜作りをやっています。それぞれ見学会を開いたりして交流もあります。それぞれ固有の事情があると思いますが、各社ともベンチャー精神の孵化器という側面もあるのかもしれません。

 

 

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2015年07月04日

「いきな計らい」(江戸しぐさより)

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江戸時代、旅籠などでは旅人の足をすすぎながら、わらじの鼻緒が痛んでいるのに気付くと、道中で切れたら難儀をすると思いやり、新しいものを用意してあげたそうです。少し時代が下がれば、汗びっしょりでたどり着いたお客様を見たら「汗をかいてますね」等という前に、おしぼりと共にさっと冷たい水を差し出す、こんなしぐさが当たり前だったようです。相手が望むことを察し、一歩先を見越して行動することが身に付いていたのでしょう。「いきな計らい」を感じます。

イキな計らいも多かった質屋の人情あふれる商法?
目覚しい経済発展をとげた江戸の町だったが、商人たちが豊かになっていくのとは対照的に、武家の生活はしだいに困窮の一途をたどり、庶民の大多数もけっして楽な暮らしではなかった。そんな町民や武士たちが、もっぱら頼りにしたのが質屋であった。現代の金融業者とはちがい、江戸の質屋は義理人情もあれば、信用で粋なはからいもしてくれた。また、質草の取りあつかいにも面白いしきたりがあった。まず、質に入れてはならないのは物があった。

武具、鎧兜などと、徳川将軍家、尾張・紀伊・水戸の御三家、諸大名の紋所のある品の質入は厳禁とされた。刀を預かるときは、縁頭(刀と縁と柄頭につける金具)の材質と彫り、目貫(刀身が柄から外れないように、留め釘をさしこむ穴)の材質と形、刀身の長さ、鞘の色模様などをくわしく記述しなければならなかったが、銘(製造者名)は入っていても、絶対に書き記してはならなかった。

また、旗本の紋が入ったものを質草にしてはならないという決まりがあったが、現実には、質蔵には旗本の紋のついた品があったというから、旗本の困窮ぶりがわかる。旗本がお金に困ったときは、長持(衣服などを入れて保管したり運搬したりする箱)に紙くずを入れて質屋に持ちこむこともあった。質屋は、中身が紙くずとわかっていても金を貸した。紙くずの入った質草を流してしまったら、いうまでもなくその旗本の家名に傷がつく。家名にかかわることから“信用”で金を貸したのだ。

さらに、金銀や、豪奢なものも質草として禁じられていた。おかしな質草として、ふんどしがある。宿場の駕籠かきたちは、金がないと自分のふんどしを質に入れた。質屋も、このふんどしで1分の金(1両の4分の1)を貸したというから、きっぷがいい。ふんどしを質に入れた駕籠かきは、新しいふんどしを締めることは許されなかった。これは駕籠かき仲間の掟で、破れば仲間からリンチを受けることになったという。質屋も、この駕籠かきたちの仁義にたいして金を貸していたからだ。

もっとおかしな質草は、職人たちの月代で、職人たちは自分の月代を質に入れした。これも受け出すまでは、絶対に月代を剃ってはならなかった。粋を尊び、月代の剃り方にもこだわる江戸っ子にとって、これは、さぞ、つらかっただろう。

 

 

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2015年07月03日

「ベルサイユの菊」 No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42172

100年前も今もフランス人を感嘆させる日本の庭師の技量

べルサイユ宮殿にいま、日本の菊が咲いている。それも、一株から数百輪の花を一斉に咲かせる「大作り(おおづくり)」という特別な仕立てで、幅3.6メートルもある菊が、グラン・トリアノンの正面で威風堂々とした姿を見せている。
そもそもこれは日本の環境省とベルサイユ宮殿の協力事業として始まったプロジェクトのひとつ。2012年(平成24年)3月、東北支援・日仏文化交流事業「フランスからの贈りもの」として新宿御苑で行われたイベントに始まり、2年半の時を経て今回のベルサイユの菊となった。

菊「大作り」。幅3.6メートル、一株から409輪の花が一斉に開花。これが2点一対になってベルサイユ宮殿、グラン・トリアノンの正面を飾っている   *写真あり

日仏の庭師の協力で華やかに開花した「プリンセス」 一般公開(11月1日?15日)に先がけて、10月31日、ベルサイユ宮殿のプレジデントらがテープカットならぬ、菊で特別につくった花づなをカット。華々しくオープニングを飾った。
秋晴れのもと、和やかな雰囲気のなかで行われたこのお披露目会。菊に次いでひときわ注目を集めていたのが、日本からやってきた庭師たち。藍染めの半纏、背中に大きく菊を染め抜いた法被がなんとも粋である。

「無事にこの日を迎えられて、ほっとしています」と語るのは、新宿御苑の菊のエキスパート、山田光一(やまだ・みつかず)さん。「万全の体制で望みましたが、日本とフランスでは気候が違うので、枯らしてはならないと心配しました。日本を出発したときには、つぼみが豆粒よりも小さいものでした」新宿御苑で丹精されたあと、9月中旬に飛行機でフランスに運ばれた「大作り」。折しもこの時期、エールフランスの2週間にも及ぶストライキが決行されたが、その2日前にフランスに到着するという綱渡りがあった。

半球形に広がる仕立てをいったん閉じてすぼめ、特別誂えの箱に収めた状態、つまり美術品と同じような梱包が施されたうえ、1日10リットルの水やりが必要という生き物なだけに、どこかで足止めをくらってしまえば、もしかしたらこの日はなかったかもしれない。 また、そもそも土がついた状態の植物を入国させるのは異例のこと。検疫などのハードルもクリアしなくてはならないなど、聞けばさまざま苦労が関係者にはあった。 

ベルサイユに到着すると、これまた特別に建てられたハウスで、日本からやってきた10人とベルサイユ宮殿の庭師たちが「大作り」を迎え、共同で作業にあたった。

 

 

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2015年07月02日

日本の宅配システムはすごい     No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150225/277970/?n_cid=nbpnbo_rank_n

どうして家にいる時間に宅配便が届くのだろう――。 筆者の生活にとって、今やインターネット通販は欠かせないものになっている。大手のアマゾンジャパンが当日配送サービスを始めてからは、特にその依存度が高まった。最近では書籍や衣料品だけなく、洗剤や食料品、電球、ドッグフードなど、日常のあらゆるものをアマゾンや楽天市場で購入するようになった。最寄り駅の改札の目の前には食品スーパーがあるし、歩いて数分の場所にはドラッグストアもある。

それにも関わらず、日常のちょっとしたものまで、最近はネット通販で買っている。クリック一つでほしい商品が、すぐに自宅に届くという利便性をどっぷりと享受しているわけだ。 こんな生活だから連日のように自宅に宅配便が届く。今日はアマゾンで買った柔軟剤、明日は楽天市場で買った犬のトイレシート、週末には実家から送られてくる野菜や果物……。住んでいる集合住宅には宅配ボックスがあるので、もし荷物を受け取れなくても問題はない。

けれども、なぜか最近、自宅にいる間に荷物が届く確率が高まっていた。まるで筆者の在宅時間を見計らったかのように、チャイムが鳴り、荷物が届く。どうしてなのかと素朴な疑問を抱えていた。 そんな時、日経ビジネス2月2日号で物流特集を掲載することが決まった。 折しもドライバー不足などが報じられていた頃のことだ。インターネット通販の拡大で宅配便の取扱数は年々増えている。だがそれを運ぶ人手が足りず、当たり前のように享受してきた「運ぶ」という社会インフラがほころびかけている。

そんな状況で、幅広い企業が物流戦略の見直しを迫られていた。 この特集を通して宅配業者の取り組みを取材した。各社の最大の焦点は、再配達を減らすこと。最大手のヤマト運輸によると、再配達の比率は現在およそ15〜20%に達しているという。最初の配送で荷物を届けられなければ、ドライバーは何度も受け取り手の元を訪ねなくてはならなくなる。人件費もトラックの走行距離もかさんで、再配達が経営を圧迫する。逆に言えば、再配達がゼロに近づけば、人手不足などの苦しい環境の中でも経営を続けられる。

ヤマト運輸は増える荷物を効率的にさばくため、数年前から配送体制を見直している。力を入れているのは「チーム集配」という新たな仕組みだ。 再配達を減らす方法は明らかだろう。受け取り手の在宅率が高い午前中や夕方以降などに配達すればいい。だが、これまでヤマト運輸ではドライバーが担当地域を1人で受け持っていた。扱う荷物が増え続ける中、1人で全ての荷物をさばくのは難しい。

そこでドライバーが担当地域を1人で受け持つという長年の体制を改め、ドライバーとスタッフが複数人で集配するチーム集配に改めた。チームが一丸となって、午前中や夕方以降、一気に配達する。 現在は、高層マンションの多い地区や住宅密集地区などにこのチーム集配の仕組みを導入している。 1月、このチーム集配の現場を取材した。

驚くほど手際の良い役割分担
訪れたのは東京・南千住にあるヤマト運輸南千住支店だ。この一体は近年になって開発が進み、真新しい高層マンションが乱立している。1棟で100戸以上の高層マンションも多く、若い世帯も多い。子供向けのおむつや玩具、食料品など、ネット通販が多く利用される半面、共働きの家庭も多く、なかなか荷物を1度で届けられないことも多かったという。ドライバー1人が集配していた頃は、高層マンション1棟の午前の集配を済ませるだけでも、荷物の状況によっては、2時間近くかかっていたという。チーム集配を導入するにはうってつけの場所とも言える。

取材に訪れた日、南千住支店に待機していたのは、ドライバー1人と、「フィールドキャスト」という配送を担う女性スタッフ4人。通常はドライバーとフィールドキャストの2〜3人でチームを組むことが多いというが、取材時は普段よりも多めの人員配置だった。 ドライバーは、トラックを運転して、この日最初の集配先となる、ある高層マンション近くにクルマを留めた。フィールドキャストは、支店から自転車でトラックの駐車スポットまで向かう。ここでまずは荷物が降ろされる。

 

 

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2015年07月01日

世界の部品供給基地としての地位は不動 No2

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2014年の3つの注目投資テーマ
2014年における電子部品業界は、健全な需給バランスを背景に堅調なファンダメンタルズが期待できる反面、受注前年比伸び率のサイクルという観点では、年後半にかけての減速が想定される。弊社集計対象企業の月次受注・売上高をベースに作成している電子部品受注インデックスは、2014年1月に前年比11.6%の増加を記録。昨年8月以降の10%前後の伸びを維持した。しかし今後4〜6月期は、(1)国内自動車市場の一時的な減速、(2)スマートフォン新製品の端境期等を理由に、受注の前年比伸び率は減速が想定される。

また7〜9月期以降についても、大幅に円安の進んだ為替を含め、前年のハードルが高くなるため、前年比受注伸び率が大きく上昇することは想定し難い。電子部品メーカー各社の株価パフォーマンスが受注前年比伸び率と高い相関を示すことに鑑みれば、電子部品セクター全体の株価上昇余地も限定的となるものと想定できよう

そうした状況下、2014年における電子部品セクターの投資テーマとして弊社が注目しているのは、(1)低価格スマートフォン・タブレット市場の拡大、(2)自動車を中心とするパワーエレクトロニクス市場向け電子部品需要増、(3)構造改革やM&A等個別利益成長要因、の3点である。

従来、電子部品需要拡大を牽引してきた高機能スマートフォン市場の成長性に減速感が生じ始めている現状では、中国市場を中心とする低価格スマートフォン市場拡大からメリットを享受できる企業を投資対象として考えたい。また今後新興国市場でもスマートフォンの機能向上の動きが本格化する可能性は高いと考えられ、日本製電子部品に対する需要拡大に結び付くものと期待される

また自動車市場向け電子部品需要は、ハイブリッド車市場拡大や安全・環境規制強化の動きを背景に大幅に増加。自動車市場は完全に電子部品主要アプリケーションの一つに育ちつつある。自動車用電子部品市場での勝ち組となるためには、高い技術力に加え、長年に渡って築いてきた顧客との信頼関係が大きく意味を持つ。自動車メーカー向けビジネスの参入障壁の高さや契約期間の長さは、電子部品メーカーの生産計画が立て易くなるメリットも含んでいる(表1)。

さらに構造改革やM&A等のアクションが、受注サイクルに左右されない独自の利益成長要因となるものとして期待されよう。 電子部品セクターにおける現在の注目企業としては日本電
産、TDK、ロームの3社の3社を挙げたい。
日本電産に対する投資論点は、(1)HDD(ハードディスクドライブ)スピンドルモータを中心とする精密小型モータセグメントの高収益性、(2)車載及び家電・商業・産業用モータ事業の中・長期成長性、(3)M&A等を通じた積極的なグループ戦略の3点。

特に車載及び家電・商業・産業用モータ事業は、車載市場における燃費効率改善や白物家電等の市場における省エネニーズの高まりを背景に、今後高い利益成長性を示す可能性が高い。HDD市場減速が従来業績面での懸念材料であったが、HDD関連事業に対する収益依存度は既に大幅な低下を示している。会社側が掲げる中期計画(16年3月期営業利益1800億円)に向け、今後もM&A実施等積極的な経営戦略の実施も期待されよう。

TDKに対する投資論点は、(1)構造改革を通じた受動部品事業の収益性改善、(2)HDD磁気ヘッド事業の高収益性維持、(3)電池事業拡大の3点。
受動部品事業は、構造改革効果に加え、車載市場向け売上構成比が上昇していることで、今後安定した利益水準の上昇が見込まれる。高周波部品等依然赤字に苦しむ事業はあるものの、更なるコストダウン実施や売上トレンド改善に向けた取り組みの成果発揮等、収益性改善に向けた動きは着実な進展を示している。HDD磁気ヘッド依存型の収益構造から、受動部品収益性改善を利益拡大ドライバーとする事業ポートフォリオへの転換が期待される。

 

 

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2015年06月30日

世界の部品供給基地としての地位は不動 No1

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DIAMOND 注目は日本電産、TDK、ロームの3社

――メリルリンチ日本証券調査部副部長 久保田真史
1988年国際証券(現三菱UFJモルガンスタンレー証券)入社、海外投資情報室にて海外機関投資家向けの情報提供業務に従事。1990年同社企業調査部アナリストに転じ、産業用エレクトロニクス、民生用エレクトロニクスを担当。1995年5月INGベアリング証券(現マッコーリー証券)東京支店入社、民生用エレクトロニクス、電子部品セクターを担当。2000年4月より同社テクノロジーチームヘッドとして電子部品セクターを担当。2003年6月メリルリンチ日本証券入社。

日本の電子部品メーカーは依然として、世界的にも高い競争力を維持している。円安も競争力の維持に貢献している。今後は、需要先としては、AV機器に替わってスマートフォン、自動車車載市場をどう開拓するかが課題となる。個別企業では日本電産、TDK、ロームの3社に注目する。

依然高い日本の電子部品メーカーの競争力
世界のテクノロジー市場の中で、日本企業が今後も継続的に高い競争力を発揮できる分野の一つが電子部品市場であると考える。日本の電子部品メーカー各社は多くの製品・分野で圧倒的な世界トップシェアを有し、世界の部品供給基地としての立場を不動のものとしている。スマートフォンやタブレット等成長市場においても、日本の電子部品なくしては生産不可能と言われるほど日本製電子部品メーカーの存在感は大きい。

特に円高是正の動きが進展している現状では、価格面での国際競争力も増していると考えられ、日本の電子部品メーカー各社が世界市場で更にシェアを伸ばす可能性は高い。韓国・台湾メーカー等アジア勢の台頭もあり、競争力の低下が懸念されてきた日本の電子部品産業であるが、実際には多くの分野でシェアを伸ばし、高収益性の維持に成功している。さらに今後電子部品需要が大きく拡大することが期待される自動車市場では、電子部品にも高い品質や信頼性が求められ、日本の電子部品メーカー各社がその技術優位性を大いに発揮することが可能となってこよう。

日本の電子部品メーカーの競争力の源泉としては、@高い素材技術、A顧客ニーズに対する細かな技術対応力、B海外生産等を含めたコスト競争力、等が挙げられる。特に高い素材技術は、新規参入に対する参入障壁を高くしていると言える。またカスタム製品市場での顧客ニーズに対する対応力は、顧客との信頼関係を強化し、競合メーカーへのシェア流出を防ぐ防御壁となっている。

素材型電子部品メーカーの代表例としては、村田製作所(MLCC=積層セラミック・コンデンサ、セラミックフィルター等)、TDK(MLCC、インダクター等)、京セラ(セラミックパッケージ等)が挙げられよう。またカスタム性の強い部品市場で高い競争力を発揮している企業の代表としては、日本電産(HDD用スピンドルモータ)や日東電工(液晶パネル用偏光フィルム、タッチパネル用ITOフィルム)等が挙げられると考える。

韓国・台湾メーカー等アジア勢に対抗するためには、コストのみでは勝負にはならない。つまり組立加工型の電子部品市場においては、日本企業がシェア低下を余儀なくされることも念頭に置いておく必要がある。一方、コスト競争力に加え、高い素材技術やカスタム製品市場で高いシェアを有する電子部品メーカーは、今後も世界市場で勝ち残っていく可能性が高いものと考える。

 

 

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2015年06月29日

劇的進化をとげる日本のトイレ事情!  No3

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機能が向上し、居心地のよいトイレ空間を実現
トイレに入ってから出るまで便フタの開閉、脱臭、洗浄を自動で行ってくれる機能付き。便フタ開閉のためにかがむ必要もなく、流し忘れもない。ここ1〜2年に発売された最新式トイレは、とにかく多機能で、高機能な温水洗浄便座がセットされている。例えば、温水洗浄や温風乾燥、脱臭機能などは、当たり前になっている。脱臭機能については、メーカーや機種によって、標準仕様の脱臭機能に加えて、用をすませるとさらに強力に脱臭する二段階脱臭になっているものもある。

最新トイレに搭載されている機能で、目立っているのがオート機能。トイレ空間に入り便器に近づくと、便フタが開く、便器に座ると脱臭がスタートし、用を足し便器から立つと水が流れ、便フタが閉まる。この一連の流れを、すべて自動で行ってくれる。  便器後方に内蔵されたスピーカーから音楽が流れるINAXのトイレ。音楽はSDカードに収録されていて、トイレに近づくと自動でスタートする。そして、新しい機能として上位機種に見られるのが、サウンド機能。

便器にスピーカーを内蔵したり、スピーカー付きの専用リモコンを使用するなど、メーカーによる違いはあるものの、便器に近づくか座ると、自動的に音楽が流れるようになっている。音楽の種類はクラシックからオリジナル曲、川のせせらぎ音などが用意されているほか、SDカードにダウンロードした好みの曲を楽しめるトイレもある。さらに、フレグランス機能を備えたトイレも登場。これは、フレグランスキットを便器にセットし、使用時にトイレに近づくと、自動で香りが流れるというものだ。

また、深夜にトイレに行った際に、通常の明るさの照明で「目が覚めてしまった」というユーザーの声に対応して、LED照明などを内蔵したタイプも増えている。いずれも、便器の位置やリモコン、紙巻き器の位置がわかる程度のほのかなあかりで、便器に近づくと自動で点灯し離れると自動で消えるようになっている。

最近のトイレは小さくてスタイリッシュ
「TOTO史上最高傑作」としてCMされたネオレストハイブリッドシリーズ。水道から流れる水と、内蔵タンクの水の2つの水流により、水圧の低い場所にも設置可能に。節水によるコストメリットも大きく、浴槽約274杯分、水道代で年間約1万3058円に相当する節水ができる。 最新トイレに共通しているのが、背面にタンクがないこと。これらは総称して「タンクレストイレ」と呼ばれ、1993年にTOTOから初めて発売された。

その後、他社も発売。年々人気が高まっており、各メーカーの出荷量は増えている。 タンクレス以前のトイレは、いわば「タンク有り」トイレである。タンク有りのトイレは、水道の水を一旦、タンクにため、そのタンク内の水を便器に流して、排せつ物を押し流す。一方、タンクレストイレは水道から直接流れる水で洗浄できる。電気で弁を制御する仕組みにより、水流は勢いよく、便器内全体に渦を描くように流れる。

タンク有りの時代から、洗浄方式や水流の工夫で洗浄力アップや節水は進められてきたが、タンクレストイレの登場で水の流れ方もさらに進化した。勢いのある水で流すことで、洗浄力が高まり、少ない水ですむようになった。また、タンクがないので、水をためる必要がなく、連続使用ができる。一番最初に発売されたタンクレストイレは、水圧の低い高台やマンションの中高層階には設置できなかったが、その後、水道から直接流れる水と、内蔵した小さなタンクから加圧して流れる水の2つの水流を利用するなど、改良が重ねられ、現在では設置できるようになっている。

 

 

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2015年06月28日

劇的進化をとげる日本のトイレ事情!  No2

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Trendy      http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20080222/1007350/?rt=nocnt

毎日何気なく使っているトイレ。ところが、最近のトイレはかなり進歩している。使いやすさや掃除のしやすさはもちろんのこと、形状もスタイリッシュになっている。さらに、10年ほど前の製品に比べて、格段に向上したのが省エネルギー性。今回の特集は、最新の機能性にあふれたカッコいいトイレを紹介しよう。

これまでの常識をくつがえす新素材の便器が登場!
トイレの素材革命ともいえる新素材でできた一体型便器「アラウーノ」。表面が滑らかで、撥水性があるので汚れが付きにくい 「アラウーノ」では、最初に小さな泡を含んだ水が流れた後、洗剤を含んだ泡でさらに汚れを落とす仕組み。洗剤は市販の中性洗剤を付属のタンクに入れて使う 便器のフチの形状が大きく変わり、手が届きやすい形に。拭き掃除がしやすくなったのも、最新トイレの大きな特徴のひとつ

老若男女だれもが1日に数回利用するトイレ。トイレは“空間”を指すこともあるが、ここでは便器と温水洗浄便座が一体となった「便座一体型便器」をトイレと呼ぶ。従来のトイレ素材といえば陶器が一般的だった。ところが、2006年12月、これまでの常識を打ち破る新しいトイレが発売された。なんと、アクリル樹脂をベースにした有機ガラス系の新素材でできているのだ。それが「アラウーノ」(松下電工)だ。 なぜ新素材の便器が登場したのだろうか?

ポイントは清掃性。放っておくと汚れが溜まるトイレ掃除は嫌いな家事の上位に挙げられているため、掃除をラクにしたいという要望は強い。そんなユーザーの声に応えるため、各社は、便器の形状や水流の工夫によって、掃除のしやすいトイレの開発に力を注いできた。そして、汚れが付きにくく落としやすい便器の素材として、有機ガラス系の新素材にたどり着いたのだという。 この新素材は開発メーカーのオリジナルだが、ベースのアクリル樹脂は、水族館などの大型水槽や飛行機の窓などにも使われている、撥水性が高く、水アカがつきにくい素材。

便器の汚れで最も気になる水アカをはじくので、掃除がしやすい。そのうえ、このトイレは、直径約5ミリの泡と、付属の洗剤タンクから放出される洗剤の泡(60マイクロメートル*)という2種類の泡に加え、渦巻き状の水流の3点で、便器自体が洗浄してくれるトイレなのだ。また、新素材のトイレは、陶器のトイレに比べて軽いため、施工の際、搬入するのがラクだという施工サイドのメリットもある。 もちろん、従来の陶器製のトイレを製造・販売しているメーカーでも、便器や便座の表面加工などの工夫により、掃除のしやすいトイレを開発している。

しかし、新素材のトイレが投入されたことで、TOTOやINAXがほぼ独占していたトイレ業界の販売シェアは今後大きく変わるかもしれない。 最新トイレ全般に共通しているのは、メーカーによって多少の違いはあるものの、従来のトイレとは、水の流れ方が全く違うことだ。これは、1993年のタンクレストイレの登場から変わった(詳細は、後半のタンクレストイレの説明参照)。便器のフチから水を流すのをやめ、便器の中で渦を巻くような水流にすることで、少ない水でしつこい汚れを洗い流す形状になっている。水を出す必要がなくなったフチ裏は、その形状を大きく変更し、最も不満の多かったフチ裏の拭き掃除がしやすい形状になっている。

*1マイクロメートルは1000分の1ミリ

 

 

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2015年06月27日

劇的進化をとげる日本のトイレ事情!  No1

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http://menzine.jp/trivia/nihonnnotoirejijyou9521/

日本にやってきた外国人が、ものすごく驚くことのひとつに「日本のトイレがものすごくきれいでハイテクだ」というのがあります。特にものすごく受けるのが、「シャワートイレ」 たしかに海外なんかに旅行に行く
と、「わ、ありえねえ!」と思えるようなひどいトイレに出くわしたりして、逆に日本のありがたみが身に沁みたりすることがあります。「日本はトイレ最先進国」トイレが清潔で機能的である、ということに異論を唱えるヒトはいないでしょう。誰だって、トイレはきれいなほうがいいはず。

日本の優れたトイレシステム、トイレ製品を海外に売り込み普及させれば、日本経済はますます発展!未来は明るいってなもんです。

劇的に進化した日本のトイレ事情
しかし、日本は昔からトイレ先進国だった訳ではありません。今から50年前は、ほとんどの家庭のトイレは水洗式ではなく、ポットン汲み取り式。トイレの紙も新聞紙を四角く切って、それを手で揉んでやわらかくして使っていたものです。
よく、レトロ好きのヒトなんか「昭和30年代はよかった」なんて言いますけど、トイレ事情だけは別。今のギャルたちなんか、タイムスリップしてあの30年代に連れて行ったら、まずトイレとかがダメなんじゃないですかねえ。それほど日本のトイレは劇的に大進化したのです。

日本のトイレ進化の歴史は日本の発展の歴史 日本のトイレ進化の歴史を年代順にまとめてみましょう。

@ 昭和30年代
ポットン汲み取り式和式便所が普通。紙は新聞紙を切って、手で揉んで使っていた。

A 昭和40年代
トイレの水洗化が進み、徐々に汲み取り式は姿を消す。つまり、東京などを手始めに全国で上下水道の整備が劇的に進んだということ。紙も新聞紙からトイレ専用のちり紙、そしてロールペーパーへと進化していった。

B 昭和40年後半
戦後から一部採り入れられてきた洋式便器が徐々に家庭向けにも浸透し、昭和52年に洋式便器と和式便器の販売数が逆転した。

C 昭和55年
画期的なシャワートイレ「ウォシュレット」がTOTOから発売。その後、続々と各トイレメーカーが同様の「温水洗浄便座付トイレ」を開発発売するようになった。実はシャワートイレは日本発祥ではなくアメリカで開発されていたが、日本で超進化普及したのです。

温水洗浄便座は、海外からの観光客の人気お土産品に
ウォシュレットの開発裏話などを聞くと、理想的な水量、水圧、そしてシャワーの角度などを、開発者のみならず全社的に皆でモニターしてサンプリングをしていくなど、やはり日本人らしい緻密さとくそまじめさを感じさせるエピソードが山のようにあります。今でも大手のサニタリーメーカーなどでは製品の改良を重ね、ますますトイレは進化していくでしょう。海外の観光客も、まずホテルのシャワートイレとかで感激し、家電量販店でこの「温水洗浄便座」を買い求めて帰国するケースがますます増えているとか。

トイレの清潔さ、ハイテク化は、その国の民度の表れ。トイレがきれいで便利な国は、やはり、いい国、なんじゃないでしょうか?この際、国策として全世界に向けて「トイレ先進国日本」をアピールし、輸出強化産品として官民挙げてプッシュしてみたらいかがでしょう?世界の平和と日本の繁栄はトイレから。なんてね。

 

 

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2015年06月26日

日立製作所の「年功賃金廃止」 No1

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http://diamond.jp/articles/-/60219

企業人事の先頭ランナー日立製作所の「年功賃金廃止」
読者は、日立製作所という会社にどのようなイメージをお持ちだろうか。筆者は、良くも悪くも日本的で家族主義的な会社だというイメージを長らく持っていた。電機業界なので、率直に言って賃金水準はそう高くないが、年金をはじめとする福利厚生が手厚く、社員は会社の傘の下で真面目に働いてさえいれば、堅実で不安のない生活が送れるイメージの会社だった。

管理職に一定以上のTOEICの点数を求めるなど、近年、国際化を意識した動きを見せてきた同社だったが、今回の管理職の年功賃金を廃止するという発表には、正直なところ驚いた。「日本の企業もここまで来たのか」という感慨を覚える。日立は、もともと人事政策に熱心な会社であり、日本企業の人事制度の先頭ランナー的な役割をしばしば果たす会社だった。たとえば企業年金では、厚生年金基金の充実に務め、運用にも熱心だったし、運用が努力では上手く行かないことがわかると、代行返上、さらに確定拠出年金の導入などの手を打ってきた。そして、その後多くの企業が追随した。

今回の年功賃金の廃止も、同業他社ではパナソニックやソニーなどが追随する見通しを報じられているが、異業種も含めて多くの会社が追随することになるだろう。今回の日立の人事制度変更は、後から日本企業の人事制度全体にとって、エポックメイキングな出来事として振り返られることになりそうだ。付け加えると、日立製作所は前期決算で史上最高益を更新するなど、業績的には絶好調だ。日立に限らず、日本企業ではこれまでこの種の制度変更は、業績が不調の際にやむなく実施されるのが常だった点でも、今回の人事制度変更には驚きがある。

それだけ切迫した必然性があった、ということだろう。
日立製作所の管理職の年功賃金の廃止の背景を、同社の国際化と結びつけて説明する報道が多かったが、国際化ということと賃金に年功要素がなくなって個々人に対して個別化することとの間には、それほど強い必然性は感じられない。より重要なファクターは、人材の流動化だろう。いったん就職した社員が辞めにくく、中途採用で有能な人材をスカウトすることもほとんどないということであれば、年齢と共に賃金が上がる安心感と対前年比較の満足感、さらに将来の報酬を期待して当面の賃金が安いと思っても社員が働く年功賃金制は、社員の満足度のわりに人件費の総額を抑えやすい、行動経済学的にも良くできた仕組みであった。

人材流動化と賃金の個別化 年功賃金廃止の真の原因は?
しかし、特に有能な人材が企業間で移動するようになると、年齢とキャリアで賃金の大筋が決まる「給与テーブル」の存在は、人材争奪戦の制約になる。個人差が大きく、また会社を移っても同様に仕事をしやすい金融業、特に外資系の金融の世界では、個人に対する報酬は一応成果に(稼ぎへの貢献に)結びつけられてはいるものの、人材の需給に応じて個別に決定される「個別化」に向かわざるを得なかった。

日立製作所はテクノロジー企業だ。テクノロジーの世界では、本来個人の能力差が大きく、かつそれが明確に表れやすい面がある。国際化に付随して、人材の流動性が高まる面もあろうが、年功賃金廃止の真の原因は人材の流動化だろう。そして、経済的な必然性から言ってこの流れが元に戻ることはないだろう。日立製作所の管理職賃金は、これまで約7割が年功的な要素で決まってきたと報じられているが、これがなくなることで今後変化しそうなのは、「定昇」(定期昇給)が形骸化することだ。

年齢が1年進むだけで給料が上がる「定昇」は、これとセットに「ベア」(ベースアップ)の交渉をすることで、グループとしての社員の経済条件を組合などが一括で交渉することを可能にしてきたが、報酬の全てが個々の社員の仕事ぶりによって決まるようになると、こうした交渉ができなくなる。

 

 

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2015年06月25日

日立が開けたパンドラの箱 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20141001/271972/?n_cid=nbpnbo_bv_ru&rt=nocnt

「年功序列廃止は管理職だけでなく一般社員にも拡大するはず。他の産業にも同じ流れが波及し、終身雇用制度が終わる契機となる。日立の経営陣や人事部がそこまで意図しているのかは不明だが、パンドラの箱を開けてしまったのは間違いないでしょう」 人事コンサルタントの城繁幸氏は、日立製作所が9月26日に発表した、年功序列を廃止した管理職向け賃金体系の導入について、このような感想を述べた。

現在は相談役となっている川村隆氏が2009年以降に進めた経営改革の中で、日立は2011年6月に「グローバル人財マネジメント戦略」を策定。同戦略の一環で2012年度に国内外の日立グループ社員約25万人分の人事情報をデータベース化。2013年度には、国内外の管理職約5万ポジション分の役割の大きさをグローバル共通の尺度で格付けするなどの施策を着々と進めてきた。年功序列廃止の賃金体系の導入は、これまで構築してきたこれらのツールや評価制度を、いよいよ報酬に連動させるフェーズに入ったことを意味する。今回の管理職向け処遇制度の改訂は、一連の川村改革の総仕上げなのかもしれない。

優秀な海外人材などを採用しやすく
今回の新制度の対象は、日立製作所における国内管理職の約1万1000人。課長級以上のこれら管理職は、勤続年数や年齢に関わらず、ポストや成果に応じて月給や賞与が決まる仕組みになる。従来の日立の管理職の賃金は、勤続年数や過去の実績などに応じて決定する「職能給」と、部長や課長などの役職に応じて支給される「職位給」で構成されていた。

10月以降の新制度では、職能給と職位給の区分けがなくなり「役割・成果給」として一本化され、年功序列の要素が一切なくなる。ポストが上がったり成果を出した人の給与が上がる一方で、そうではない人の給与は下がるため、新制度移行後も人件費の総額は従来と変わらない見込みだという。

狙いは優秀な人材を採用しやすくすること。役割や責任の重さ、業績への貢献度合いを報酬と明確に連動させ、優秀な若手の抜擢や、国籍を問わず優れた人材の中途採用をしやすくする。日立は2012年度時点で41%だった海外売上高比率を、2015年度に50%超に引き上げる経営目標を掲げる。そのためには、海外売上高を1兆円程度増やす必要があり、優秀な人材確保へ向け、世界共通の人事体系の導入が必須と判断した。

日立は、米ゼネラル・エレクトリックや独シーメンスなど、世界の重電大手の人事制度を参考にしながら、今回の管理職向け賃金体系を作り上げたという。今後は日立本体だけでなく、国内外のグループ会社の管理職にも適用を広げる方針だ。 まずは管理職だけを対象とするが、一般社員まで広げるかどうかは、「今後議論をしながら検討していく」(中畑英信・執行役常務)。幅広い経験を積む必要がある一般社員の段階で、役割や目標に基づく賃金体系がふさわしいかどうかは議論が残るところだという。

興味深いのは、日立以外の電機大手も時を同じくして、年功序列を廃止した賃金制度へ移行する検討を始めていたことだ。パナソニックやソニーも、年功要素を廃止した賃金制度の導入を検討している。

 

 

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2015年06月24日

日立の復活が見せる日本企業再生への道 No3

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庄山時代から「売上高の20%相当の事業を入れ替える」と打ち上げてきたが、実現できなかった。日立の復活はさらにその次の川村会長兼社長時代まで待つことになるのだが、庄山時代以後、明らかに見えてきたのは、競争環境の激変である。 巨大ファウンドリーを初めとする台湾メーカーの台頭、サムスン電子を初めとする韓国メーカーの技術・資本力の向上、中国メーカーの成長。さらに、いったんは欧米メーカーがコングロマリットから専業メーカーとして競争力を増大…。
日本企業の競争力の源泉といわれた現場力だけでは、到底太刀打ちできなくなっていたのである。環境の変化に即応して事業の取捨選択、作り直しをする経営の強さがなければ、勝てない時代に入っていたのだ。

日立の安定も“束の間”
しかし、川村改革を経た日立はもう安泰と言えるのか。あるいは、経営改革を経て復活した企業は、かつての高度成長期のように20年30年といった長期の安定を手にすることが出来るのか。 川村氏は、半導体や液晶のような技術の標準化と大量生産の拡大でコモディティ化が進んだ業種から切り離している。「突然、環境が変わり、ライバルが出てくるような事業は、こつこつと積み上げることが得意な日本企業には向いていない」と川村氏は言う。

相対的に変化が緩やかで、日本企業に一日の長があるモノ作りなど現場の強さも生かせる事業に絞ったというわけだ。しかし、世界はあらゆる業種にまたがってグローバルM&A(合併・買収)の時代に突入している。アルセロール・ミタルの例にもあるように、代表的な重厚長大産業である鉄鋼でさえもM&Aで、後発企業が急激に巨大化できる。さらに、自動車や産業機械、エレベーターなど様々な機器の部品、モジュールがインターネットでつながるIOT(インターネット・オブ・シングス)の時代も遠くはないといわれる。

IOT時代には遠隔操作で故障を修理したり、その稼働状況を集めたデータから新たなソリューションサービスが生まれると見られる。電気自動車やプラグインハイブリッド車が、中心になる時代には、車載モーターの稼働状況から道路の混雑を推定できるようになるといったことだ。その時代には、機器全体からそうした部品に付加価値が移る可能性もある。やはり日立も将来は、また新たな変化にさらされることを想定しなければいけないのだろう。

もちろん、川村氏はそうした新たな変化への対応も忘れていない。2012年6月に、取締役会に外国人を増員し、14人の取締役のうち、8人を社外にしたのがその1つだ。トップが変革を恐れるようになった時に歯止めをかけ、「無能な場合は交代させる」(川村氏)ためだ。 当然、福永氏の研究所改革のような現場改革も忘れることは出来ない。トップをいくら変えても、足腰が弱すぎては戦いにならないからだ。

日立の10年改革の歴史が示すのは、年を追い、日を追って「企業の本業は改革」の時代に移ってきたという事実だ。

 

 

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2015年06月23日

日立の復活が見せる日本企業再生への道 No2

金融、原子力、鉄道、都市(エレベーターなど)、自動車、医療などの基礎技術分野と、出口である製品の側の計算機、通信、半導体、材料、計測などの分野の技術者を交流させる場を設けたのである。毎週1回、互いに今取り組んでいることを報告し合ったりして、様々な意見を交換し合うというものだ。単純なようだが、基礎技術の側からすると、自らの技術をどう生かせばいいかというヒントが得られるし、実際にその後、事業化を一緒にできる。

事業側にしても、既に動いている事業をさらに強くするため、あるいは新しい製品・サービス開発をするのに、思わぬ技術が生かせる事に気づいたりするようになったという。 実際、原子力の核分裂のシミュレーションをやっていた技術者と金融事業の技術者の交流が、シミュレーション技術を銀行システム開発に使うことにつながったり、クルマのハイブリッド技術がディーゼル列車のハイブリッド化に使えたりと、多様に広がっていったと言う。

ヒントは、米シリコンバレーにあった。IT(情報技術)、ソフト、機器など多様な分野の技術者が集まるシリコンバレーは、彼らの交流が新技術、新製品、新サービスを生み出してきた。「技術のつながりの拡大こそ、新しい付加価値を生み出す力」(福永氏)なのである。

経営改革の遅れに苦しんだ2000年代
ささやかなことのように見えるが、中央研究所の改革として、技術者の世界では当時、注目を集めた。日立の現場では2000年代後半には、こうした改革も芽吹いていたのである。だが、結局、日立の業績は2000年代末にかけて急落していった。浮かぶのは、現場の努力を業績という結果に結びつけるのはやはり経営であるという当たり前の構図である。川村改革につながる2000年代を俯瞰してみると、当時の経営陣も改革の旗印は掲げている。

1999年4月に社長に就任した庄山悦彦氏は、デジタル化時代を睨んで、情報・エレクトロニクス分野に経営資源を傾斜配分し、電力・産業システム分野も機器単独売りからソリューションへの転換を進め、日立本体の中の事業グループの実質的な独立会社化を進めた。業績悪化が目立ってきていた半導体事業も分離。DRAM事業をNECと合弁のエルピーダメモリに、システムLSI(大規模集積回路)事業を三菱電機と共にルネサステクノロジ(現在のルネサスエレクトロニクスの前身の1つ)にするなど懸命の努力はした。

だが、貫徹しきれなかった。例えば、半導体事業では、当時存在感を増し始めていた台湾のファウンドリーメーカーに対抗。ルネサステクノロジと他の電機メーカーを糾合し、各社の半導体工場を切り離し、新たにファウンドリー事業を行う会社を設立しようとしたが、そこには至らなかった。しかも、就任翌年のITバブル崩壊の後遺症で赤字の事業が拡大し、対応に追われ続けた。

続く古川一夫社長時代もハードディスク(HDD)事業を将来の柱にしようと、米IBMから4000億円もの巨費を投じて買収。一方で液晶パネル事業をパナソニック、キヤノンに売却しようとするなど、選択と集中を図ろうとした。しかし、これもまたほとんど上手くいかなかった。HDD事業はその後長く赤字が続いたし、液晶の売却はキヤノンが乗ってこず、いったん頓挫した。ここでも目論見が外れたが、それを上回るほどの改革には踏み込めなかったのである。

 

 

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2015年06月20日

日立の復活が見せる日本企業再生への道 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140929/271855/?n_cid=nbpnbo_rank_n日立製作所の復活の研究に関心が集まっている。7873億円。2009年3月期に製造業として過去最大の最終赤字を計上したどん底からのV字回復は、何が要因かを分析しようというものだ。テレビ生産をやめ、グループの上場会社を完全子会社化し、黒字のハードディスク会社も売却するなど、事業の大胆な選択と集中が効を奏したとしばしば言われる。だが、果たしてそうか。転落と復活の10年を見つめ直してみると、別の姿も浮かぶ。日本企業が再び強くなる道を、そこから考えてみた。V字回復という言葉には妙なる響きがある。前半には、組織の硬直化、悪癖、失策などが澱のように溜まり、転がるように底に落ちていくが、そこから一転。たまりに溜まった悪弊を削ぎ落とし、一気に上昇していく…。そんなイメージがあるからだ。 だが、それは本当にそうなのか。例えば、2009年3月期に7873億円と、製造業として過去最悪の最終赤字に沈んだ日立製作所。大赤字の直後、2009年4月に会長兼社長に就任した川村隆氏を中心とする大改革で反転し、2014年3月期には営業利益が5328億円と過去最高益を上げている。情報・通信、電力、鉄道など社会イノベーション事業に集中する一方で、ハードディスク、テレビなど非中核事業を切り離す大胆な選択と集中が、文字通りのV字回復を実現したと注目を集める。だが、そこに様々な前史がある事はあまり知られていない。川村改革自体は、大胆な取り組みであり、成功した改革と捉えられるが、その前史から見つめ直してみると、また別の姿も浮かぶ。企業を作り直すことの本当の難しさと、改革の芽はどこにもあるという希望である。研究者の交流が新たな価値を生む前史の一コマを現場に据えてみよう。その1つ、イノベーションの本丸である日立中央研究所では2005年春から2008年春にかけて一風変わった改革が行われていた。中心になったのは、2005年に中央研究所長となり、後に本社研究開発本部の技師長にもなった福永泰氏(現・日本電産中央モーター基礎技術研究所長)だ。その改革は、ひと言で言えば、異なる分野の技術者の融合である。基礎技術開発を行う中央研究所は大方がそうだが、研究者は自らの領域に特化して研究をしようとするあまり、最終的な事業化に辿り着かないことがしばしば起こる。もちろん、「民間企業の研究者だから事業化を忘れるということはない」(福永氏)が、研究に入ると、より深い領域へとはまり込みやすい面がある。例えば、福永氏は中央研究所の所長になってしばらくした頃、センサーチップ(半導体)の設計をしている研究者が懸命に努力する姿をみて声をかけたという。「努力は素晴らしいけど、開発したチップは1個いくらで売れる? 今、100円で売れてもすぐに10円に下がる世界だよ。売上高としては限界がある。そのチップを使った機器開発を考えてみないか」と。基礎研究を軽視するわけではないが、事業化への道筋を付けられれば、取り組んできた研究の成果がさらに大きくできるというわけだ。 福永氏が始めたのは、技術開発とその応用の技術者を上手く組み合わせる仕組みだ。

 

 

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2015年06月19日

シャープが考え抜いた「失敗の本質」 No6

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13年度の連結業績は、売上高2兆9271億円に対して営業利益1085億円、純利益115億円を上げた。中計の目標「営業利益800億円、純利益50億円」を上回る結果を出したわけだが、実力通りの数字とは言えなかった。 1000億円を超した営業利益には、給与カットや中国電子信息産業集団への技術供与に伴う技術料収入などが含まれている。「それらを全部除くと、550億―560億円です」と高橋は説明する。15年3月期は、中計の目標「営業利益1100億円、純利益400億円」を、それぞれ1000億円と300億円に引き下げた。

「すべての銀行が認めてくれましたが、本来、誓約条項に触れるとして、融資を引き揚げられても文句を言えません」。きわどく認めてもらった「営業利益1000億円」という目標は、「実質的に、前期の倍の営業利益を上げなければならないので、実は大変なんです」。高橋の話を聞けば、なるほど綱渡りである。

経営危機の主因「液晶」が今も屋台骨
中計の最終年度の16年3月期には、売上高3兆円、営業利益1500億円、純利益800億円を達成しなければならない。当面頼れるのは手持ちの事業しかない。同社の部門別の業績を14年9月中間期について見ると、液晶が売り上げ、営業利益ともに全社の中で最大である。液晶の売上高は単純合計した全体の30%を超え、営業利益では42%を占め、売上高営業利益率は4.5%である。過大投資によって経営危機の主因になった液晶が、なぜ今も屋台骨なのか。

従来、米国のアップルなどの少数の顧客に依存していた。過剰在庫を処分し、中国の新興スマートフォンメーカーなどに顧客を広げ、中小型液晶の販売を伸ばして収益性を改善した結果である。市場開拓の武器として、独自に開発した省エネタイプの高精細液晶「IGZO(イグゾー)」の売り込みを積極的はかっている。他の主要事業でも、これといって撤退したものはない。NECがスマホから撤退し、パナソニックも国内の個人向けスマホ事業をたたんだ。

「アナリストは『いつになったら、スマホを止めるのか』と言うが、うちのスマホは黒字なのに、なぜ止めなくてはならないのですか」。高橋は紋切り型の質問にうんざりしているようだ。「みんな、事業をどれ一つ切ろうとしない『頼りない社長』と言うけど、違いますって」。 実際の事業を運営しているのは、液晶などを担当するデバイスビジネスグループとテレビや家電などを担当するプロダクトビジネスグループである。前者は専務執行役員の方志教和が後者は同じく中山藤一がそれぞれ担当しており、2人とも代表取締役である。

入社年次で2人は高橋より2、3年先輩になり、執行役員になったのは同じ年である。高橋は「方志と中山に権限の多くを移しています。彼らのビジネスには、やたらに口を出しません。彼らが助けてくれと言えば、対応しますが」と語る。月々の売り上げ状況がどうなっているかなどは、各ビジネスグループに任せている。 「両専務の責任は重いんです。当月の売り上げ見込みなどは書面でもらいます。時々、これはどうするんだろう? と思うこともありますが、黙っています」。

高橋は割り切っているようだが、微妙な緊張感をはらんだ任せる経営である。 しかし中小型液晶などでの実績を見ると、自由度を増した体制は成果を上げている。ビジネスグループによる運営の妙を大西はこう解説する。「方志と中山に各グループ内の人事権を与えて、開発から営業まで一気通貫でやれるようにしています」。例えば、企業向けの営業では、顧客に提案する段階から設計、製造、納入まで各機能が一体になってセールスしなければ円滑に進まない。

以前は、販売本部は自分の判断で動くという具合にばらばらだった。「今はデバイスなら方志がトップセールスで顧客と話をつなぎ、あとは各担当が一体になって顧客のニーズに沿った営業を展開しています」。

 

 

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2015年06月18日

シャープが考え抜いた「失敗の本質」 No4

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「アホとちゃいますか。真剣に考えたら死にますよ」
高橋は言う。「仮に私がものすごいビジネスの方向を思いついたとします。『次はこれだ』と号令をかけて、それが巨大な事業になっても、10年か20年の寿命でしょう。シャープがその時代、時代に応じて新しい事業を生み出せる会社に変わらなければ、危機を脱しても、また同じことの繰り返しで行き詰ります。だから、おかしな企業文化を変えようと言っているのです」。 高橋と水嶋、大西の3人は議論を重ねるうちに、シャープの失敗の本質について認識が一致した。

それを体した高橋が、先輩たちに翻ろうされた奥田に代わって社長になり、社員がチャレンジ精神を発揮できるように企業文化刷新の先頭に立つことになったわけである。 もっとも本人は「オレがやらなければなんて思いませんでした。逃げられないなという気持ちですよ。他に道が無かった」と言う。「僕が社長になれと言われた時は、資金繰り上必要だった1500億円の銀行融資はまだ確約が得られていなかった。

5月14日に内定して記者発表した時には融資が何とか決まったけれど、もし駄目だったら私は1カ月でつぶれてます。そんな社長を誰がやりたいと思いますか」。 冗談も交えて、あけすけにものを言い、時に開き直る。運命のいたずらで社長になったが、性格は結構タフなようだ。どん底をはう会社のかじ取り役には向いているのかもしれない。「アホとちゃいますか。鈍感なんです。真剣に考えたら死にますよ。今でもね」と煙に巻きつつ、過去との決別をしたたかに進めている。

経営再建中のシャープはどこへ向かうのか。危機的な状態はいつまで続くのだろうか。社長の高橋興三(60)は「危機は永遠の問題だと考えています。メディアやアナリストは『構造改革はどこまで進んだのか』と尋ねますが、ゴールはありません。1000年たっても、やっていますよ」と語る。 2013年3月末に6%まで落ち込んだ自己資本比率は、リストラを進めて14年9月末に10.6%になった。しかし変動の激しいエレクトロニクスの世界では、とても安全圏とは言えない。

かつては40%を超えていた。「自己資本比率がたとえ40%や50%になっても、危機はずっと続くんです」と高橋の見方は厳しい。未来永劫、危ない会社のままと言っているわけではない。気を許せば「会社なんて、あっという間にひっくり返ります」との認識が背景にある。1970年に社名を早川電機工業から製品のブランドに合わせてシャープに変えて、70年代には「電卓のシャープ」としてならした。「液晶のシャープ」は、73年に電卓の表示装置に液晶をいち早く採用したことに始まる。

液晶テレビに先鞭をつけ、ソニーやパナソニックを抑えて国内トップの液晶テレビメーカーにのし上がったところまでは、称賛すべきだろう。ところが直後に業績が暗転し倒産一歩手前まで追い込まれた。その結果、1年半前に社長になった高橋は企業の危うさを身にしみて知っている。だから「企業文化の改革が重要になるんです」と言う。

「シャープの人はとにかく威張っている」
シャープは、経営トップの強いリーダーシップの下で成功体験を重ねたため、上意下達が習い性になった。上の意向を下位者が絶えず気にかけ、物事を決めるのに時間がかかり融通がきかない。トップを中心とする一種の天動説経営になり、外に対しては夜郎自大に振る舞う体質が根づいた。シャープの尊大さには定評があった。部品や材料を納めている大小のメーカーから、悪評をよく聞いた。例えば、ある上場企業の役員は「シャープの人はとにかく威張っている」と話していた。

ある部品メーカーの社長からは「シャープは製品を納めた後で契約時の価格を値切ることもある。払いの良いサムスン電子にどうしたって寄って行きますよ」と聞かされた。誇張も多少あるだろうし、今はシャープも姿勢を改めていると思う。業績が傾いたので、抑えられていた悪い話が表に出てきたのである。社長内定後まだ就任前の高橋に取材した時、それを伝えたら、わかっていた。「『ざまあみろ、いい気味だ』といった声が、昨年からぽつぽつと耳に入ります。知り合いの人が『高橋さんだから言うけど』と、悪い評判を教えてくれます」

技術担当の代表取締役副社長執行役員である水嶋繁光はこう語る。「力の弱かった頃のシャープは、外から新しい技術を持ちこまれると『ぜひ、うちも一緒にやらせて下さい』と積極的に対応したものです。大きくなると、『これには、こんな問題があるのじゃないか。それを解決してから持って来てよ』と注文を付けるようになった。相手はシャープと共同で解決したくて持ちかけているのに、そんなことを言われたら、2度と持って来ませんよ」。気づかないうちに、大事なチャンスを逃していたのかもしれない。

 

 

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2015年06月17日

シャープが考え抜いた「失敗の本質」 No2

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片山はまだ50代である。再出発は本人にとってはもちろん、パワフルな元社長が社内からいなくなってシャープにとっても好ましい。互いにいわばウィン-ウィンの決着といえる。 片山はフェローに退いてから約9カ月の間に、自らの失敗の本質を高橋に語ったのだろうか。「聞いていない」と高橋は言っている。「片山とは月に一回も顔を合わせませんでした。彼自身が本社から身を遠ざけていました。新聞や雑誌などが、事実かどうかは別にして、前の社長たちが経営にいろいろ関与したと書いていますからね。片山は私に接触するとまた同じことをしていると思われるので、避けていたのでしょう」。

出した答えが「シャープのおかしな文化を変える」
町田や片山は苦境を乗り切ろうと精力的に動いた。12年3月に発表した台湾の鴻海精密工業との資本業務提携を主導したのは当時会長だった町田である。その8月、鴻海と出資条件を巡る交渉に当たったのは、相談役に退いた町田と代表権のない会長になっていた片山である。さらに資本増強のために片山は外資からの資本導入を求めて飛び回った。社長の奥田は影が薄かった。意思決定権者は誰なのか、こうした混乱が、同社の危機的なイメージを増幅した。

結局、奥田は短命に終わる。高橋への社長交代の真相は薮の中だが、二枚看板、三枚看板の異常事態を正すことが大きな力となって働いた。企業統治が不安定では、資金繰り上、唯一の頼りとなった金融機関の信用をつなぎ止められない。昨年5月の社長交代が内定した時の記者会見で、社長の奥田は「今回、役員人事を大幅に見直して、これまでのシャープと決別する」と発言し、さばさばとした表情を見せた。

さらに「何をやるにしても、今度はすべての権限と責任が高橋に集中するわけなので、この形を私も片山も崩さないようにやって行きたい。これによって新生シャープは再生できると思う」と述べている。高橋はかつての大物たちを反面教師に、違う経営スタイルをとっている。 「テレビをすべて液晶に変える」と言った町田や、「21世紀型コンビナート」とうたって巨大な堺工場の成功を夢見た片山などとは一線を画して、大戦略を語らない。

社長内定以来、一貫して発信しているメッセージは「シャープのおかしな文化を変える」である。企業文化の改革も大事だが、事業を今後どうするのか。しかし液晶や太陽電池に代わる成長事業をこうして創出するといったビジョンを打ち出そうとはしない。 「証券アナリストからは『シャープの高橋は何も考えていないし、何も方向性を示さない』と、厳しい言葉をもらっています」。周囲から自分に批判や不満が向けられていることは重々承知のうえなのである。それになぜ応えようとしないのか。

同社は昔、関西家電3社の中で、パナソニックと同社に吸収された旧三洋電機に次ぐ三番手に留まっていた。それが液晶テレビで大躍進した。連結売上高はピークで3兆4177億円、同じく営業利益は1865億円を稼いだ。ところが一転して、13年3月期までの2期合計で9214億円の純損失を出した。どうしてここまで悲惨な状態に追い込まれたのか、それへの答が「おかしな文化を変える」なのである。

常務執行役員米州本部長で米国に駐在していた高橋に、「副社長で戻って来い」と片山から電話が入ったのは、12年の3月下旬だった。「米国に来てまだ2年なのに帰れでしょう。それもいきなり副社長と言われて驚きました」。本当にびっくりするのはまだ早かった。4月1日付で、片山から奥田への社長交代とともに、副社長執行役員営業担当兼海外事業本部長になる。6月には代表取締役副社長執行役員と異例のスピード昇進である。

それまで奥の院である取締役会で、「どのような議論によって意思決定がなされてきたのか知らなかった」と言う高橋は、大赤字の実相に初めて向き合ったという。「えらいこっちゃ、つぶれると思いましたよ」。ショックは大きかった。「米国にいた時に、創業130年あまりのイーストマン・コダックが米連邦破産法11条の適用を申請して倒産したのです。私が帰ってきた年は、シャープが創業100周年だったので、まるで同じものを見ているような既視感にとらわれました」。

 

 

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