2015年07月28日

「下仁田納豆」が教えてくれる日本の食の未来 No3

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下仁田納豆の味を決める「素材」と「加工」 均一に並ぶ豆は日本の職人技
下仁田納豆の特筆すべき点はその味だ。納豆独特の粘りが強く、豆の旨味も一際である。元々、納豆は精進でも用いられてきたが、たしかに炊きたての御飯とあわせると肉料理に匹敵する満足感がある。

──納豆の味の違いはどういったところで出てくるのでしょうか?
「師匠から『9割は素材で決まる』と教えられました。まずは大豆──素材です。国産であることはもちろん、北海道産や地元群馬県産などいいものを選んでつかっています。ただし、この話には続きがあって『エジソンは99%の努力と1%のひらめき、と言ったがこれは努力が大事という意味じゃないんだぞ』としばらくして教えられました。『1%のひらめきがなければ製品にはならないという意味だ。他の部分を疎かにしてはもちろんいけない』と。

納豆の味は素材で決まる部分は確かに大きいです。でも、他の工程も疎かにはできません」


納豆の室。温度と湿度を保つために必要以外の開け閉めは厳禁
下仁田納豆のもう一つの特徴は、炭火をつかった昔ながらの室だ。七輪にのせたやかんからの蒸気で温度を管理するという昔ながらの方法とは反対に、大豆を煮る工程には新しい機器を使い緻密な時間と温度管理により、大豆特有のエグみやアクを抜く。発酵する前の柔らかく煮こまれた豆を試食させてもらったが、口に入れると余韻の長い甘さが広がった。「この煮豆の賞味期限はせいぜい半日です。昔の人はこの煮豆をできるだけ長く食べたいと納豆に加工したのではないでしょうか」

──納豆は豆腐などと並んでスーパーなどの小売店からの値下げ圧力が高い商品として知られています。小売側からの価格要求などはありませんか?
「あることはあります。豆腐や納豆が価格競争に晒されるのは同じパッケージで売られているために、差別化がしづらいということがあると思います。ただ、うちは幸いなことにパッケージの形が他社のものと違いますので、比較的ラッキーだったのかな、と」

──パッケージの話が出ましたが、商品を購入して開封してみると、きれいに豆が並んでいることに驚きました。どういう秘密があるのでしょうか?
「ひとつひとつ丁寧にパートさんがやっている、というのが本当のところです。師匠からある時、『君のところの室にはねずみがいる。退治してこい』と言われたんです。当然、いるわけないのですが、次に行った時にも『やっぱりいる』と言うのです。どういうことだろう、と思っていると『この三角形の隅に豆が入っていない。豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえっていう言葉があるだろう。それで言うならうちの豆腐はすべて角があるので死ねる。

スーパーの安い豆腐なら角が欠けていても安いからいいか、で収まる。でも、値段をとるなら駄目だ』と。『手作りだから、世界でひとつしかない、バラバラでいいっていう言い訳は駄目なんだ、と。日本の職人技はそういうものじゃない。たくさんのものを寸分違わず同じにつくるのが技術なんだ』」たしかにこの連載で職人の技術に触れることがあるが、日本の職人は天然素材という不均一なものに手間暇と技術を注ぎ込み、均一にし、隅と縁を整え、美しい製品に変えていくことに気づかされる。

「細かいところに心が行き届いていてはじめて、お客様に満足していただけるんじゃないでしょうか」

 

 

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2015年07月27日

「下仁田納豆」が教えてくれる日本の食の未来 No2

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転機が訪れたのは平成5年に帰省したときのこと。
「父から『そろそろ廃業しようと思う』と打ち明けられました。子どもも育って、手も離れたから、もういいだろう、と。それで『「ちょっと待ってくれ。よかったら継がせてもらえないか」』と言ったのが21年前です。継いでしばらくは販路も見つからず、苦しかったですが、幸運にも埼玉の豆腐店の店主の方(埼玉・三之助豆腐/もぎ豆腐店店主、故茂木稔氏)とめぐり逢うことができました。私が勝手に物づくりの師匠とさせてもらっているんですが、その方のお陰で今のような形にできたという感じです。残念ながら師匠は亡くなってしまいましたが、とても粋な人でしたね」

──先代の頃から納豆を包む部材は経木だったんですか?
「そうです。群馬は元々、経木の一大産地なんです。榛名山の北面に生えている赤松の木を使った経木は、たこ焼きの船や包装資材として全国シェアの9割を占めています。私は経木を使うメリットを一石二鳥ならぬ一石五鳥と呼んでいるのですが、まず木の成分が豆の旨味成分を増します。2番目は天然の抗菌作用。3番目に湿度の調節、4番目としては独特の良い香り。さらに燃やしても有害物質が出ない。それを後世に伝えていくというのが、私達のミッションです。

もう一つ言わせてもらうと、きちっとした林業の体制で間伐、適正な管理をしていけば、榛名山を守ることに繋がりますよね。それはやがては海を守ることにも繋がるはずです」

──山の土壌に含まれるフルゴ酸鉄が川を通して海を豊かにしているとの説もあり、森林の適正な管理は今見直されはじめています。
メーカー特製の三角形のダンボール。デザイン性が非常に高い。「ダンボール屋さんが『お宅のためにつくった』と持ち込んでくれたんです。『お宅以外使ってくれるところがない』と。意気に感じましたね」「そうです。納豆は発泡スチロール製などの容器が広まることで、食品工業の世界に組み込まれて、コスト競争などに晒されるようになってしまいました。それはそれで悪いことばかりだとは思いませんが、こういった経木を残していくというのも、うちのコンセプトとしてやらせていただいています」

以前、この連載のなかで「折箱」を扱ったときにも言及したが、適正に木を切ることは環境にいい影響を与える。また資源の有効活用でもある。日本もいいかげんに資源の問題については真剣に考えるべきなのだと思うし、我々ももう少し賢くなる必要がある。昨年、リチャード・ムラー『エネルギー問題入門』(楽工社)という本が出版され、それなりに反響を呼んだ。著書のなかでムラーは各種の温暖化対策と称されるものには極めて否定的なスタンスをとっており、例えば電気自動車などは何の役にも立っていないと証明している。

温暖化対策をするなら、本当に役に立つことをすべき、というのがムラーの主張である。その主張を借りるなら、弁当を折箱に変えたり、納豆のパッケージに経木を使うことは『本当に役に立つこと』ではないだろうか。元々、日本の暮らしはエコシステムを取り入れたものだった。先月、伺った山形で米俵を製造している有限会社「田和楽」では材料となる稲わらを入手するために稲作をしているが、その傍らで大豆(山形はだだ茶豆という有名な在来大豆の産地だ)を育てている。

これは特別なことではなく、大豆の根に含まれる窒素分が米を育てるための肥料になることを経験則的に知っていた先人の知恵だ。大豆で味噌をつくり、また納豆に加工した。それらで米を食べることで、日本の農村の風景、環境は維持されてきたのだ。問題はその循環、繋がりが絶たれたことにあるのだが……さて、下仁田納豆に話を戻そう。

 

 

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2015年07月26日

「下仁田納豆」が教えてくれる日本の食の未来 No1

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昔ながらの容器で価格競争と環境問題に対抗
http://diamond.jp/articles/-/64665

昔は冬の食べ物だった納豆。俳句でも冬の季語である。たしかに冬の寒い朝に炊きたての御飯、味噌汁に納豆はよく似合う。必要があってこのところ江戸時代の文献を調べている。江戸の食文化は日本料理の原点とも言われるが、日本人が味付けの中心となる醤油や味噌をはじめ、豆腐などの大豆製品を上手く食べていたことがよくわかる。すごく単純に言えば日本料理とは大豆で米を食べる文化なのだ。

なかでも特別な地位を与えられているのが納豆である。納豆には大徳寺納豆などに代表される塩辛納豆と、糸引き納豆の2種類があるが、今回はお馴染みの糸引納豆の話。冬のものだった納豆を年中、食べるようになったのは江戸時代の中期からとされ、味噌汁の具として一番の人気を得ていた、とも言われる。朝になると行商人が「なぁっと、なっとぉー」と歌うような声をあげながら、納豆を売り歩いていた。

その頃は行商人がザルで運び、量り売りをしていたようだが、明治期には藁納豆が広まる。大正期には経木(きょうぎ)や竹の皮で包まれた納豆の容器が登場する。納豆にとって大きな事件が起きたのは1953年3月のこと。千葉県のある納豆業者が稲わらがねずみの糞尿で汚れていることに気づかないまま、充分な消毒もせずに納豆を製造してしまったのだ。サルモネラ菌が混入された製品を食べてしまった人、150人以上が被害にあい、3人が命を落とした。

事件以来、稲わらを使った製造は避けられるようになった。納豆の容器の歴史は、日本人の食卓の変化を表している。戦前から戦後にかけては大きな丼で納豆を混ぜて分かち合う光景が食卓に見られた。昭和の中頃になると発泡スチロール製の容器や紙パックが登場し、やがて一般化する。100円前後の小さな発泡スチロール容器の3個詰めパックは大家族から核家族になった現在の食卓を象徴しているようだ。

包みは発泡スチロールではなく「経木」“一石五鳥”ともいえるそのメリット
経木で包まれた『下仁田納豆』の代表的製品 下仁田ネギで有名な群馬県下仁田町にある『下仁田納豆』は昔ながらの経木納豆を製造している会社だ。百貨店などの高級スーパーの棚に三角形に包まれたパッケージを見かけることも多い。

下仁田納豆、本店で南都隆道社長からお話を伺った。
「納豆屋は元々、私の父がはじめたものです。私が子どもの頃は朝になると「なぁっと、なっとぉー、なっとー」と引き売りをしていました。正直、その頃は父親を見て『スケールの小さい仕事だな』と思っていました。高度経済成長期、まっただなかだったので、全国とか世界を相手にしたスケールの大きな仕事をしたいなと考えていたわけです」南都さんは大手企業に就職し、社会人として働きはじめる。仕事は面白かったが、都会での生活に迷いも生じはじめたと言う。

「田舎なんてと思っていたんですが、外に出てみると良さがわかった、というか。この土地の風土の素晴らしさとか、ずっとここにいたらわからなかったと思います。納豆なんかも各土地土地でいただいてはみたのですが、振り返ってみるとうちの納豆が非常に美味しく感じられたんですね」

 

 

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2015年07月25日

人口激減の救世主“海のギャング”の魅力 No7

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「土用の丑の日」地元スーパーの「うなぎフェア」に乗り込んだ。おそらく、というか、絶対、世界初の「うつぼVSうなぎバトル」。決戦は「土用の丑の日」だった。地元紙でも告知と盤石の体制で臨んだ結果、会場となった地元スーパーの駐車場には大行列ができた。うなぎではなく、うつぼに、である。新聞に掲載された告知を見た、うつぼファンが押し寄せた。かつて高知で「うつぼ体験をした」四国各県からの、うつぼファンも続々訪れた。最終的には、うなぎを越える売り上げに。うつぼのKO勝ちだ。大変インパクトのある
結果となった。

ついに「かぶりもの」まで登場 “柄の模様”には須崎市ならではの秘密が…須崎うつぼ学会のみなさん。うつぼキャップをかぶればテンションもさらにアガる!?学会では、「うつぼ宣材ツール」にも余念がない。こちらもインパクトが大切である。うつぼチラシ、うつぼのぼり、うつぼ旗、うつぼポロシャツ。そして、「うつぼのかぶりもの」。「これです」と坂井さんが差し出したのは「うつぼキャップ」。世界初の「うつぼのかぶりもの」(たぶん)だ。ただし、ホンモノから比べると、ずいぶんとかわいらしい。

「柄の模様をよく見てください」――――うつぼの
顔に見えますが……

「これは須崎市のかたちです」。なんと、須崎市のかたちは「うつぼの顔面」だったのでる。市内東部に位置する内浦湾の上下のかたちは、うつぼの口もとそのもの。下顎にあたる、横浪半島のリアス式のガタガタした海岸線は、まるで獰猛な、うつぼの歯のようだ。「キャップで須崎市内の位置関係も説明できます。ここが、池の浦です」と坂井さんが下顎の真ん中を指さす。便利だ。

「これをかぶっていれば、どこでも目立ちます」。目立たないわけはない。高さ30センチ。数名がかぶって並んだら、謎の「うつぼ民族」襲来だ。むしろ、インパクトがありすぎて泣き出す子供もいるらしい。「かぶると楽しい気持ちになります」と語るのは宝石店を営む学会専務理事の田中英二さん。楽しくなってしまった田中さんの名刺は「うつぼの顔ハメ写真」入りだ。「かぶってみてくださいよ」と田中さんに、ピンクのうつぼキャップを手渡された。

「これはうつぼ姫用です」。うつぼ姫がいたわけではないが「いつかそんなこともあるかと思って」作成したらしい。かぶってみる。たしかになんか楽しい。

世界初の「うつぼ祭り」も開催 “21世紀の魚”として注目間違いなし!
「うつぼ姫コンテスト」。うつぼ風のファッションに身をつつんだ参加者も、ひとかたならぬ「うつぼ愛」を語り、大盛り上がり。その楽しさのまま、昨年11月8日には、「第1回須崎うつぼ祭り」が開催された。おそらく、というか絶対、世界初の「うつぼ祭り」だ。須崎港へ延びる大道路を会場で、うつぼのたたきや、うつぼのから揚げなど数々のうつぼ料理を販売。特製うつぼ汁の無料提供。うつぼにちなんだ催しものも充実。「須崎うつぼウルトラクイズ」や、足摺水族館の協力による「うつぼの展示」、地元アーティストが、うつぼにインスパイアされた数々の作品を展示した、うつぼアート展「うつぼの壺」も実施。

やっと「ピンクのうつぼキャップ」の使いどころも見つかった。「うつぼ姫コンテスト」も開催された。もちろん審査員を務めた須崎市長はじめ関係者も全員「うつぼキャップ」着用だ。「うつぼ姫コンテスト」は、審査基準は「うつぼへの熱い思いがあること」だけだったにも関わらず、参加者のほとんどが自ら「うつぼをイメージさせるファッション」で登場。大変な盛り上がりとなった。

「須崎に来ればおいしいうつぼが食べられる、と知ってもらいたい。日本各地からも多くの方に来てもらえたら」と学会では意欲を燃やす。須崎で出合ったうつぼは、美味しくて、元気になれて、美しくなれて、楽しくなるという大変素晴らしい魚だった。21世紀の日本人にとって、今後、注目すべき魚のような気さえしてきた。もしかしたら、坂本龍馬の次に、高知から「維新」を起こすのは、うつぼかもしれない!?

 

 

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2015年07月24日

人口激減の救世主“海のギャング”の魅力 No5

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主だった骨をはずしたうつぼを前に、ひと息ついた細川さんが、ひと言。「もう、これでどこにも骨なんかないように見えるでしょ」。身を触ってみる。つるつる。いっさい骨のゴツゴツ感はない。
――――――はい。出来上がりに見えます。

「まだまだ序の口!身の下に無数の骨があるんです」

切り開いたうつぼ。表面はいたってつるつるできれいに見えるが、この中におびただしい数の骨が!なんとここからは、驚愕の「透視さばき」!身と皮の間の骨を探り当てて、見えていない骨を取り外す。もはや特殊技術である。
骨の場所がわかっていなければさばけない。そのうえ、うつぼは骨の形状も部位によって異なり、さらには骨がまっすぐではなく「ガタツキ」や「カーブ」がある。要は「身の中のどこに、どんな形状の骨があって、包丁をどうやって進めていくか」を覚えていないと、さばけないのだ。まるで「うつぼオペ」。包丁を入れたら「脳内レントゲン」フル稼働である。まさに匠の技だ。

料理店で提供するのだから、もちろん、さばければいいというものではない。「骨に身がつかないようにきっちりさばき、いかに表面を美しく仕上げるか、1匹、1匹が勝負です」と細川さん。じつに神経を研ぎ澄ませで行う作業なのだ。「ピシっとさばけると、『きれいだなあ』と我ながらほれぼれします」。しかし、細川さんの思う、そんなパーフェクトな「芸術作品」は1日の中でも1、2本だという。力も使えば、神経も使う、うつぼさばき。よって作業は「1日50本前後が限界。

100本さばいたときは、腰が抜けそうだった」と細川さん。うつぼの相手は大変なのだ。きれいにさばいたうつぼは部位によって向いている調理がある。真ん中あたりはたたき、肛門から下はから揚げと、うつぼの部位のよって使い分ける。
そして、でき上がった料理は、これまでの「うつぼ概念」を覆すものだった。

刺身はなんとフグ超えの味!お肌すべすべの美容効果も
大吉のうつぼ料理。右手前からうつぼの刺身、たたき、煮込み、雑炊、煮こごり、燻製、唐揚げ。いずれも絶品!透き通った「うつぼの刺身」は、まるでフグのよう。いや、フグよりも、ゴムまりのような弾力があり、噛みしめがいのある食感。やさしい甘みもあって、一切れでもインパクトが強い。口の中で味わいの「リフレインが叫んでる」!これはフグ越えだ!こんがり揚がった「うつぼのから揚げ」はチキンのよう。いや、チキンよりもふっくらとした身に、とろりプルプルのゼラチン部、サクサクした衣が付いた皮のカルテット。

1個でもインパクトが強い。口の中で味わいの「グラデーションが叫んでる」!これはチキン越えだ!うつぼは、外見ばかりか味わいもインパクトが強かった。まだまだ「うつぼ天国」は続く。じっくり絶妙な加減で焼き上げた「うつぼのたたき」は、香ばしい皮、旨みの凝縮した身の食感とプニプニ部がとろける楽しい味わい。うるわしいゼラチン質を堪能するなら、「煮込み」。胃袋や浮き袋などの内臓も入れて、じっくり煮込んで仕上げた濃厚な味と「プルプル、てろてろ、トロトロ」の身に、もうメロメロである。

うつぼの食材としての可能性を追求する細川さんのおすすめは「うつぼの燻製」。桜のチップでスモークすることで、うつぼの旨みが際立ってくる。バーボンが欲しくなる。バーに進出してもおかしくないぞ、うつぼ!……と、ここまで食べ進めて、きれいさっぱり、うつぼのあの「いかつい」姿を忘れている自分がいた。味がぜんぜん「獰猛」でないのである。身の勢いに面影があっても、繊細。「うつぼはうまい!」。海中のエイリアンを解体し、骨とのバトルを越えて、この味わいに至った高知県民、恐るべし。

 

 

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2015年07月23日

人口激減の救世主“海のギャング”の魅力 No3

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うつぼを食べる習慣が広まったきっかけは、そもそも「物々交換」だったらしい。須崎市池の浦の漁師たちがクエ漁に出かけたついでに網にかかっていたのが、うつぼ。クエといえば高級魚。かかれば一攫千金の魚だが、まったく獲れずに、雑魚のうつぼばかりかかる日もある。そこで市場で売れないうつぼを持って、農業で潤っていた土佐市戸波(へわ)へ向かった。米と物々交換してもらうためだ。しかし、うつぼを見たこともなかった戸波のひとびとは言った。「こんなヘビみたいなもの食えるか!」正しいリアクションである。そこで、須崎
では、うつぼを棒にぐるぐる巻きにしてたき火で焼いて食べる風習があることを教えた。さっそく試してみた戸波の人々は、「これはうまい!」と、うつぼを好んで食べるようになったという。そして、次第に高知県全エリアで、うつぼグルメがブレイク。当初は雑魚扱いだった、うつぼは、どんどん価値があがり、いまでは「高級魚」になってしまった。ちなみに、日本各地ではおおむね、うつぼは雑魚。高知だけの珍現象である。

「じゃあ今度家で料理してみようかな…?」そんな軽い気持ちじゃ食べられない大問題が!
そんなに美味しいならばもっと食べられてもいいはずだ。釣りをする友人は「うつぼは、よくひっかかるけど、そんな外道は海に戻す」と言っていたのを思い出した。今度持ってきてもらって料理してみようかな。「とんでもない!」と森光さん。「家ではムリです」。じつは、うつぼが他県でほとんど食べられていない理由がここにあった。うつぼをさばくのは大変な作業なのだ。さばくのが大変な魚といえば「ハモ」があるが「その比じゃありません」(森光さん)。

高知県でも流通しているのは、さばいたあとの加工品。生のうつぼがスーパーに並んでいるわけではない。ごく限られた、高い技術を持った職人や料理人の技によって、うつぼは「食べること」が可能になっているのだ。うつぼ学会員たるもの、うつぼをさばけねばなるまい。森光さんも「うつぼさばき名人」に弟子入りして修業した。名人のなかには、その技術を公開しないひともいるらしい。撮影も禁止されることがあるくらいの企業秘密。「秘伝の技」なのだ。

なにせ、1匹をさばくのにかかる時間はベテランの職人でも約20分はかかり、さばけるようになるまでには2年以上の月日を要し、さばけるようになってもブランクがあると「あれ……?」と、さばき方がわからなくなるくらい至難の業なのだ。

「コンスタントにさばいていないと、1時間近く格闘することになってしまうほどです。そりゃもう大変です」と森光さんは語る。うつぼを食べる風習はないけれど、獲れはするので有効利用したい、と須崎に視察にやってくる団体もいるという。しかし、なかなか難しいらしい。要はさばく技術を身につけるのが大変だからだ。そして、この大変な技術を有する職人が、須崎市内には多く存在する。


衝撃!うつぼをさばく秘密兵器は“あの家電”だった うつぼ。やっぱりグロテスクで怖いです…「怖そうな顔をした、ヘビみたいなグロテスクな生きもの」 普通の人にとってはそんなイメージが強い存
在、うつぼ。しかし、高知県人はみな「あんなに美味しいものはない」と口を揃えるほど、高知の老若男女に愛されている。その「局地的うつぼ愛」は前回お伝えしたとおりだ。「そんなにおいしいなら今度、家でさばいてみようかな…」とつぶやいていたら、高知県須崎市の水産加工会社「みなみ丸」のオーナーでもある森光貴男さんから思わぬ答えが返ってきた。

「とんでもない!家ではムリです。さばけるようになるまでには2年以上の“修行”が必要です」(森光さん)ますますミステリアスになるうつぼ……一体どんなさばかれ方をしているのだろうか。高知県須崎市にいる熟練のさばき技を持つ職人を尋ねることにした。

 

 

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2015年07月22日

人口激減の救世主“海のギャング”の魅力 No2

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25年後には人口半減!須崎市の救世主に選ばれた「うつぼ」
学会結成のきっかけは須崎市の「人口激減」だった。高知県自体の人口が全国的にみても激しく減少するなか、須崎市は30年間で30パーセントの人口減。昭和50年代に3万人だった人口はいまや2万をきるのも目前という状態。地域経済に大打撃を与えていた。「いまの予測では、25年後には人口が半分になるといわれているんです」と語るのは、須崎商工会議所中小企業相談所所長でもある坂井正輝さん。そのタイミングは、商工会議所の青年部である学会メンバーが経営トップになるころだ。

「み、未来がない!!」「これじゃあ、いかん!」多くの人に来てもらえる魅力的な街づくりのために、地域の食文化で市外や県外にも須崎の魅力を発信し、交流人口を増やそうという話になった。海岸部に面する須崎は漁業が盛んな町。須崎でもカツオは揚がり、もちろん名物だ。しかし高知ならほかのエリアでもカツオなわけで、それでは目立たない。特産品のじゃこという話もあった。

農業も盛んで、日本一の生産量を誇るみょうがという話もあった。しかし、どうもそれでは「いまいちインパクトが足りない」。かくして、人口激減の救世主として、採用されたのは「うつぼ」だった。確かにインパクトは十分である。かくして、須崎のウツボーイたちは立ち上がったのである。

噛みつかれたら骨まで貫通!? 取り扱い要注意だけど地元では“高級魚”
そもそも、うつぼとはどんな生き物なのか。「うつぼは世界で約200種類くらいいます。そのうち高知でとれるのは20種類くらいですね」と水産加工会社「みなみ丸」のオーナーでもある森光貴男さんが説明する。うつぼは、熱帯から亜熱帯に分布し、日本では関東以南の日本近海に生息する。浅瀬の岩礁にいて、「海のギャング」といわれるほど獰猛。縄張り意識が強く、「半径1メートルにいるものはすべて天敵」だと思うらしい。

ものすごいスピードで近づき、強力な顎の尖った大きな口を開け、目の後方まであるという鋭い歯で敵に食らいつく。食性は動物性。魚、大好物のたこ、甲殻類などなんでもバリバリ食べる。さらに、陸に打ち上げられても皮膚呼吸できるため、30分以上は生きているという、とても生命力の強い魚。よって水揚げされても生きていることが多く、噛まれると大怪我になるため「取り扱い要注意」な魚だ。

「噛みつかれたら、のこぎりの刃のよう一気にささります。骨まで貫通するくらいです」森光さんも子どものころ、水揚げされたうつぼを手で突っついて、噛まれたことがあるらしい。「手のひらに穴が開きました」イタタタタタタッ!! うつぼ
は、その名前の語源は空洞を魅する古語「うつぼら」ともいわれているように、岩穴に潜んでいる。よって、おそらく、そのサイズに合わせて大きくなる。おそらく50年くらい生きていて、おそらく8キロぐらいにまでなる。

「おそらく」を森光さんが連発する。「よくわかってないんですよ」じつは、うつぼが「食料」として認知された歴史は意外に浅い。よって、うつぼの研究はあまり進んでおらず、その生態についてはまだまだ謎のベールにつつまれているそうだ。
「高知でも、うつぼを積極的に食べはじめたのは、昭和30年ごろからといわれています」と、森光さん。学会員が、ずいぶんと古い文献を調べてみたものの、うつぼの名前が出てくるのはここからで、それ以前はまったく見つからないという。

 

 

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2015年07月21日

人口激減の救世主“海のギャング”の魅力 No1

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なぜ高知ではカツオ並みに「うつぼ」が愛されるのか
http://diamond.jp/articles/-/65247

高知県を代表する魚といえばカツオ。しかし、カツオ以外にも高知県民が愛してやまない魚がいる。 うつぼ。 「え?」という人も多いかと思う。わたしにとっても、うつぼと
いえば「怖そうな顔をした、ヘビみたいなグロテスクな生きもの」というイメージが強い。よもや食べるものとは思っていなかった。実際、日本でうつぼを食べる地域は限られている。なおかつ、ごく一般的に食べる習慣があるのは高知県と和歌山県くらいだという。とある高知県人に尋ねてみた。

――うつぼ、食べますか?
「もちろんです。あんなに美味しいものはありません」

おそるおそる、聞いてみた。
――浜で、うつぼを見たら「美味しそう」なんてまさか、思いませんよね?

「思わなくもないです」!!

高知県民の全員が全員、海岸のうつぼに垂涎の眼差しを向けるわけではなかろうが、なんと、高知では県内で漁獲される量に対して、2、3倍もの量を消費しているらしい。「うつぼが好きすぎて」、うつぼが不足気味なため、愛媛や徳島、宮崎など他県で水揚げされたうつぼは、「うつぼLOVER」の待つ高知にやってくる。日本中のうつぼを食べ尽くしかねない、なんとも「うつボンバー」な県だったのである。そんな「局地的すぎる」グルメで町おこしの活動がスタートした町がある。

高知県中央部に位置し太平洋に面した須崎市。県内でも、古くからうつぼを食してきた歴史があるという。貴重な食文化を全国の人々に発信ようと、2013年に須崎商工会議所青年部と須崎青年会議所の有志で結成されたのが「須崎うつぼ学会」だ。
――みなさん、本当に、うつぼは普通に食べていらっしゃるんでしょうか?

集まった会員のみなさんが、一斉にうなずく。 「もちろんです」「そりゃあ、もう大好きです」「子どものころから食べてます」「秋の神祭にはないといかんやろ」「老若男女みんな、よく食べます」

高知県民には当たり前の存在 「うつぼのたたき」もスーパーに並ぶ 高知を代表する郷土料理「皿鉢料理」にも登場するうつぼ。高知県民にとっては「スペシャル」なものではなく、当たり前の存在だ。うつぼを焼き上げた「うつぼのたたき」は「カツオのたたき」と並ぶ定番。スーパーでもふつうに販売されている。から揚げも居酒屋のつまみの定番だ。そのほか煮つけ、干物、鍋など多彩に食される。今回の取材にあたって、事前に高知県が作成したうつぼのパンフレットを入手した。

開くなり、目に飛び込んできたのは、須崎港の市場にずらりと100匹は並んだうつぼの写真。ぶるん、ぽてっ、ぬるっ、ぼよーん。アタマの中を駆け抜けたワードは「へび、サンショウウオ」。挙句の果てには「つちのこ、やまたのおろち」と、この世に存在しないものまで浮かんでくる有様だ。

――あの……。うつぼは美味しいんですよね?「美味しいですよ!!」会員一同また、声を揃える。テーブルの上に置かれた、学会
のちらしのキャッチコピーは「美味さの秘訣はギャップやき。」会長であり、酒店を営む古谷知義さんが「こんな見た目ですが、淡白で身が締まり上品な味です。皮の下のゼラチン質のぷるぷる感が、とても美味しいんですよ」と説明する。学会のキャッチコピーはもうひとつある。「こわさもうまさも思“うつぼ”」。「最初は食べるのを怖がっていた県外のひとも、一度食べたら、たいていリピーターになる」そうだ。

 

 

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2015年07月20日

「かんずり」はタバスコを超えるか No3

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「『かんずり』というのはうちの登録商標。製法特許も2回、とりなおしているんだけど、海外でも韓国、中国、シンガポール、アメリカ、このあいだEUでも登録商標をとることができましたから、今後は海外のお客様にも知っていただけると思います。でも、少しずつですよ。タバスコのように世界制覇もできるんじゃないか、と思いますが、そもそものはじまり──じいちゃん、ばあちゃんがすりこぎでやっていたっていうマニファクチャー(手工業)の部分を忘れないようにしたい」

材料から地域に根差し、愛される――地元企業『かんずり』の高い競争力
妙高新井はかんずりの街だ。地元の焼き鳥店に行くと、大抵、かんずりが添えられているという。一つの会社が地方の特色まで形づくっている好例である地方の時代と呼ばれて久しく、地域創生は政府にとって重要な戦略と位置づけられている。だが、その内実も方向性も見えないままだ。そもそも国主導による地域振興などありえないことは明白だ。『かんずり』のための唐辛子をつくる農家には元々、たばこを生産していたところもあるそうだ。

ご存じのようにたばこが下火になり、唐辛子はその後継作物というわけである。有限会社かんずりは会社として大きくはない。しかし、地域に根ざしたこうした会社の存在は貴重で、材料をすべて近隣でまかなっていることからも経済的な貢献は大きい。僕が思い出したのはマイケル・シューマンの『スモールマート革命』(明石出版)という本だった。彼らは規模の小さい地元企業が地域経済に良い影響を与え、環境にも寄与し、さらには非地元の企業よりも競争力が高いことを証明している。

『有限会社かんずり』は日本でのその生きた見本と言える。
併設されている販売所には「生かんずり」が売られている。これはネットの直売で入手することも可能だが、あらいの道の駅の他、数件でしか売られていないレア商品で、県外で入手できる場所は限られている。通常のものとは香りが異なり、唐辛子調味料としては個人的な最高峰の味わいだと思う。

──生かんずりを販売する場所を限定している理由を教えていだだけますか?
近くの有名店『とん汁たちばな』にて。豚の脂を中和してくれ、すこぶる味が引き立つ。余談だがかんずりは旨味が多いのであらゆる料理に使える。豆板醤よりもハリッサ(中近東の唐辛子調味料)よりも個人的にはずっと美味しいと思う
「生かんずりというのはびん詰めにしてから熱処理をしていない商品です。熱処理を施していないため、商品管理には気を使います。発酵を止めていないからです。従って信頼できるところしか卸していません」

販売所のレジの後ろには「オンリーワンの自覚と誇りをもって、一本の「かんずり」を世に出そう」とある。「オンリーワンの自覚と誇りと忍耐」というのは東條社長が大事にしている言葉で社訓でもある。「例えばうちは地元産の唐辛子しか使いません。税関を通るから乾燥品が多いんだけど今、唐辛子は98%が輸入品ですよね。何十年も前に商社の人がいいのがあるよ、とコストの低い輸入唐辛子をうちにも持ってきたこともあったけど、味や品質を守るために断りました。

3年という時間をとることで出来が安定するんですが、それでも唐辛子の出来は毎年異なります。出来上がったものが、辛すぎたり、酸味が強すぎた場合はブレンドする場合もあります。そうするとワインのブレンドと同じで味がまとまる。そういうノウハウの積み重ねもできてきたんだね(笑)」 『時間を食べるつもりで食べてほしい』と東條社長は言う。
材料から製法まで細かな心配りの積み重ねが類い稀な味をつくりだす。『かんずり』はオンリーワンの製品が一朝一夕に生まれるものではないことの教えてくれる。

 

 

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2015年07月19日

「かんずり」はタバスコを超えるか No2

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今年の仕事初めとして社長の東條邦昭氏(72)による簡単な挨拶の後、はらりはらりと1.2mの雪の上に唐辛子がまかれる。この日、まかれた唐辛子の量は1.2トン。白い雪に赤が映える風景は、この地方の名物となっている。この後、唐辛子は数日間さらした後に、雪から掘り起こされる。それを細かく粉砕し、柚子、麹、天然塩を混ぜあわせ、定期的な撹拌を続けながら3年間熟成させる。3年目に外の寒さにさらす「寒さらし」という熟成工程を経て、ようやく商品となる。

唐辛子の栽培から考えると一本の製品を作り出すまでに軽く4年の時間が費やされている。発酵食品である麹が入っているので、甘みや旨味などがあり、洗練された味わいだ。

──いつ頃から見学者が集まるようになったんですか?
社長の東條氏。地元では「東條さん」ではなく「かんずりさん」と呼ばれているという名士だ 「最初はこんな大仕掛でもなかったけどね。徐々に生産量が増えてきてからで
す。ロケーションが面白いって言うんで、アマチュアカメラマンとか集まりはじめて。そのうちニュースとか業界紙に取りあげられるようになったんだけど、こういう風物詩的な感覚のものって口コミでたくさんの人が来るようになるんですネ(笑)」朗らかな口調の東條社長はかんずりの知名度を全国区に広げた立役者だ。

会社の創業は昭和41年、東條社長は高校卒業後まもなく、かんずりの商品化に取り組んだ先代、東條邦次氏とともに事業に取り組んだ。「当初はそれほど売れなくて、厳しいものでしたが」 先に述べた通り、製品を3年
間寝かすということはそれだけ回収が遅れるということだ。資金繰りの面からも、ビジネスとして難しい。事業を続けていくのは簡単ではなかった。

辛いけれど日本らしい侘び寂びも 夢はタバスコのように世界制覇
時代を感じる広告。価格も容器も面白い(昭和41年頃のもの。1個30円、50円、100円の価格設定) 今日まで続けられたのは農業を学ぶために行ったアメリカでの経験も大き
かった」と東條社長は語る。「向こうに行くとさ、こんなワラジみたいに大きなステーキを食べてるわけ。各家庭の台所の棚には自慢の香辛料、スパイスがずらっと並んでいる。ある時、私は持参した『かんずり』の小瓶をとり出して、ジャパニーズペッパーステーキだ、と食べさせてみたんです。

すると親父がつくったかんずりは『旨い!』とすこぶる反応がいいわけ。『これならイケるかも』と思ったね。そのうち日本も欧米のように香辛料を受けいれる時代が来るだろう、と」日本国内の厳しい状況は変わらなかったが、1969年に新潟県の推奨品に認定され、全国の物産展などに出品するようになる。80年代頃からは隠れた特産品としてメディアなどでも徐々に紹介され「本当に少しずつ、少しずつという感じ」で口コミによって人気が高まりはじめた。

今では妙高を代表する調味料のひとつとして、全国のファンから引き合いがある。『かんずり』の特徴は愛好者がいることだ。東條社長曰く「自民党、民主党といろいろあるけど言ってみれば『かんずり党』。辛党ファンの方に支持されています」

──海外の展示会などにも出品されていると聞きますが、反応はどうですか?
生かんずりは瓶詰めした後、加熱処理をしていない。そのため発酵が止まっていないので、フレッシュで旨い。有限会社『かんずり』の本店の他、新潟県妙高市・新井の道の駅などで購入することができる 「麹をどかっと入れ
た唐辛子の調味料は世界的にも珍しい。発酵食品が世界的に認知されていることもあり、反応はいいです。韓国なんかではあまり理解されない部分もありますけど、ストレートな辛さとは違う、デリケートで侘び寂びのある日本的な味を理解してくる人はちゃんといます。

でも、海外はこれから、という感じですよ。空気がきれいで、こういう雪が積もって、四季の寒暖差がはげしい自然環境が深みのある味をつくるのだと外国の人にも知ってもらうことからですね」地場産の米を使った良質な麹に、最近自社栽培にものりだしている唐辛子ももちろん地元産のもの。毎年、種をとり、選別するかんずり専用の唐辛子だ。冬に降りしきる雪と山から吹く風が独自の味を生み出す。なるほど、この風土、景色を知ると、味の印象も変わるというものだ。

 

 

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2015年07月18日

「かんずり」はタバスコを超えるか No1

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http://diamond.jp/articles/-/65909

僕の目の前に一本の瓶がある。ラベルの表面には不思議な書体で『かんずり』と書かれている。瓶はちょうど掌サイズだ。蓋を開けるとガラスが厚いことがわかり、それが質実剛健な印象を与える。辛味調味料である『かんずり』は、『唐辛子と麹、塩、柚子を混ぜあわせ、数年間かけてつくられたもの』だということは知っているが、この商品をはじめて目にしたのはいつだったか。ある日、それは冷蔵庫の棚にあったと記憶しているが、いつだったかはわからない。この商品自体にはずっと昔からそこに存在していたかのような雰囲気がある。

『かんずり』という名称も不思議な響きだ。調べてみると「寒づくり」がその由来だという。そう聞くと寒い季節に薬研やすりばちで唐辛子をする姿が浮かんでくるようである。さらに調べてみると新潟県妙高市の特産であることがわかる。なるほど、たしかにそうラベルにも書かれている。『かんずり』は地方発の調味料なのだ。地方の調味料が全国に広まった例に柚子胡椒があるが、それはいくつものメーカーが製造している。メーカーのなかにはもちろん、大手も含まれている。

ところが『かんずり』を製造できるのは妙高市にある「有限会社かんずり」一社だけである。ところで、増え続けている訪日外国人の来日目的の1位は「日本食」(53.3%)らしい。次いで温泉(46.9%)、ショッピング(40.1%)と続く。細かな数字は年によって違うが、日本食の1位はすでに不動のものとなっている。さらにはお土産としては調味料が好まれているという。世界無形文化遺産に登録された日本食は遺産などではなく、日本人が今も平等に持っている無形の財産だ。

そんな日本食は時折、外国人からあくまで美味しいと前置きしつつも「味が薄い、淡泊、単調」と指摘されることがある。味が薄いということは塩分濃度が少ないという意味ではない。不満の原因は香辛料にある。諸外国の料理文化は元々、腐りやすい食べ物を長く持たせるための香辛料とともに発達してきた歴史があり、それに比べると日本料理は穏やかにうつるのかもしれない。しかし、日本の食文化にも諸外国に誇れる香辛料、調味料がある。『かんずり』はその代表だ。

1本の製品になるまで約4年 新潟の冬の寒気を生かした『かんずり』
妙高市は新潟県南西部、長野県と接する場所にある。実際に足を運んでみると東京から意外と近いという印象だ。今年の3月に北陸新幹線が上越妙高駅に開通すれば、1時間50分たらずで着いてしまうためさらにアクセスは容易になる。
新井駅で電車を降りると、冬の空気が冷たく澄んでいるのがわかる。降り積もった雪が埃の舞い上がりを防ぐためだ。この雪がかんずり造りには重要な役割を果たす。

元々、新潟県妙高市では古くから辛味調味料を手作りしている家庭があった。歴史は上杉謙信の時代まで遡ると言われる。手前味噌ならぬ、手前かんずりが今でも残っているそうだ。もっとも伝統的な形はすりつぶした唐辛子に塩を混ぜただけの多分に郷土色的な風合いが強いものだったようである。有限会社かんずりの社屋があるのは、駅から歩いて15分くらいの場所だ。数年前に新しく建てられた社屋には販売所と見学スペースが併設されている。

販売所には各種、定番の商品の他、他メーカーとコラボレーションした『かんずり酒盗』や『かんずり柿の種』などの商品も並んでいる。訪れた日は大寒の1月20日とあって、僕らを含めた見学者の数も多かった。雪晒し。雪があっての作業なので積雪量が少ない時は車で2時間かけて、山まで唐辛子を運んだこともあったという。「仮設のトイレまでつくって大変だったですよ。でも、熊も唐辛子は食べないみたい(笑)」

見学者の目的は毎年、大寒からはじまる『雪晒し』の工程だ。社屋から歩いて数分の場所に雪晒しのスペースがある。晴れていれば遠くに妙高山を望むことができる見晴らしのいい場所だ。 『雪晒し』とは前年の夏から
秋にかけて収穫し、塩漬けにした唐辛子を雪の上にさらす作業だ。雪が塩分を吸いとり、唐辛子のアクが抜け、さらには辛味がマイルドになる効果があるという。憶測だが緩慢凍結することにより繊維が柔らかくなること、雪が余分な細胞液を吸い込むこと、などの効果が考えられそうだ。

 

 

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2015年07月17日

合成醤油からホンモノ回帰への長すぎた道のり No3

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大量生産品から昔ながらの味へ 戦後を終えた醤油はさらに美味しくなる
昔ながらの樽でつくられる醤油。濃厚で塩味がキリリと立った関東風の味だ 見学させていただいた蔵では、積み上げられた歳月を感じた。目に見えないものが醤油の味をつくっているのだ。有田屋のウェブページには「わたくしどもは決して醤油づくりのプロフェッショナルではありません」という文章がある。「醤油は人間の力だけでできるものではないということです。それぞれの要素がうまく働いてくれるようにお手伝いするような気持ちでないといけない。

前の工場長も腕は良かったのですが、今の工場長も非常にいい職人なので、頑張ってくれています。昔と比べてもちゃんとした醤油がつくれていると思います」有田屋には直営店があり、様々な醤油が並べられている。なかでも〈フコク印天然醸造醤油〉は有田屋を象徴する醤油だと思う。2年かけて仕込んだ醤油を割り、さらに醤油麹を足し1年発酵させた再仕込醤油だ。

「明治時代のパッケージを再現したものです」
長い年月をかけてつくられたその味はまろかやかで、甘露醤油という別名にふさわしい。それにしても日本料理は西洋の料理に比べて出汁ひとつとっても短時間で出来上がるのだが、昆布は数年間寝かせ(本連載第16回参照)、鰹節も本枯節が2年以上、醤油も2年と時間を食べているようなものだ、と思う。

──再仕込醤油はいつからつくりはじめたんですか?
「先代が「もっと旨いものがつくれないか」と手がけはじめたものです。一度、つくった醤油でさらに醤油をつくるわけですから非効率そのもの(笑)。でも、流行りに左右されない。時代に逆行するのはうちの家系みたいです。だから、仕方がないというか。今の世の中はすぐ食べられるものばかりじゃないですか。基礎調味料はあたりまえすぎて重要視されない」

メルセデス・ベンツのウニモグ。1978年式、排気量は5670cc。このトラックで配達もしているという。ちなみに湯浅社長は大のクラシックカー好き

──醤油の消費が落ちる反面、めんつゆなどの売上が伸びていると聞きます。
「専用醤油ですね。うちもつくっちゃってますけど(笑)。でもうちは言ってみれば不便さを売りにしています。すき焼きのたれとかもつくりますけど、ご家庭でつくっていただけたほうが絶対に美味しいですよ。そうした家庭の味をつくっていただいて、それを受け継いでいっていただく。そうしたことのお手伝いをしていきたいと思っています」

 

 

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2015年07月16日

合成醤油からホンモノ回帰への長すぎた道のり No2

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選び抜いた柔らかなうるち米の団子に有田屋の再仕込醤油、またはそれを使ったみたらしタレが絡む。キリッと立った醤油の香りと柔らかな団子が絶品だ。みたらしもいいが、醤油焼きがとくに美味しい。「せっかく醤油蔵に寄っていただくのですから醤油の味がわかる、おいしいものをお出ししようと思って」旨い、旨い、と我々。お団子に感動してばかりでも申し訳ないので、醤油のお話に戻ろう。

醤油業界はまだ“戦後”が続く? 戦時中の代用品「アミノ酸醤油」の名残
街道筋に店を構える有田屋。風格を感じさせる建物だ 湯浅さんは98年に有田屋に入り、2003年に7代目当主に就く。「自分の代で大きく変わったのはそれまでつくっていたアミノ酸液が入った醤油をやめたことです。うちの出荷先は業務用がほとんどでしたから、学校給食にも使われていたんですね。美味しいからと言われても、将来的にどうなんだろう、と疑問に思ったので、すべて昔ながらの天然醸造一本に切り替えてしまったんです」

──経営的には大きな判断だったと思いますが?
「業務用の方は離れていったので、そうかもしれません。時間もかかりますし、経済的な観点から見ると非効率に見えると思います。2年、3年の先を見越して先行して手当てをするわけですから。でも、うちは決して大きな規模の会社ではありません。ですから社会的に意味のあるものづくりをしなければ生き残っていけないと考えました」醤油の製造法には歴史も大きく関わっている。醤油産業が最も活況を呈したのは第一次世界大戦後の好景気中である。

近代化も進んだが第二次世界大戦前後になると陰りが見えはじめる。食糧危機が深刻化するなかで、原材料の入手が困難になったのだ。そこで生まれたのが代用醤油──アミノ酸醤油である。1940年には、政府によって丸大豆の使用が禁止され、かわりに求められた活路が脱脂加工大豆だった。原材料の不足から生まれた脱脂加工大豆の利用だが、旨味が出やすいというメリットもあった。戦後、食糧事情が改善するとさすがにアミノ酸醤油は消えたが、アミノ酸液を混合した醸造醤油はしばらくのあいだつくられ続けた。丸大豆を使った本醸造が復活したのはここ数十年のことである。醤油の世界では長い
間〈戦後〉が続いていたのだ。あるいはアミノ酸液が入った醤油を好む地域は残っているので、そういう意味ではまだ続いているのかもしれない。


フコク印天然醸造醤油。材料を描いた図版が今見ると新鮮だ
有田屋の醤油は国産の丸大豆、小麦、塩でつくられている。醤油メーカーには脱脂加工大豆を使うところもあるが、有田屋が使うのは丸大豆だけだ。「脱脂加工大豆も悪いものではないのですが、結局は油をとるための大豆なのでどこでどのようにとられたか知ることができません。その点、丸大豆なら信頼できるものを入手できるのが最大の利点ですね。できれば群馬県産のものを使いたいと考えていまして、最近ようやく目処が立ってきたところです」

国産大豆を使った醤油の流通量は2%以下。国産大豆、と簡単に書いたが、大豆の自給率は4%で、そのほとんどは豆腐や納豆などにまわるため、加工食品である醤油に使われる絶対量は少ない。

──最近、革命と言われた某会社の酸化しないパックの生醤油とかの原材料は脱脂加工大豆です。非常に売れているようですが。
「あれはなかなか美味しいですね。すごい技術だと思います。容器へのこだわりとかああいうところが日本人のすごいところだと思います。醤油の敵は酸化です。ですからうちでは家庭用には小さな瓶をおすすめしています。大きい瓶の方が割安ですし、詰める方も楽なんですが、味を考えるとやはりそうですね」

 

 

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2015年07月15日

あの英国人一家も驚嘆!? 日本料理に欠かせない小道具「うちわ」の凄さ No2

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──料理に使ううちわの特徴を教えていただきたいのですが?
「焼鳥屋さんや鰻屋さんで使われる鰻うちわは表面に柿渋を塗っています。鰻屋さんなんかは匂いで客を呼ぶと言うけれど、叩いて音でもお客さんにアピールするでしょう。柿渋を塗ると強度と防虫、防水性が高まります。それと同じでこちらは七輪の窓口を扇ぐうちわ。狭い口に風を送るための形で、。やわらかいと下の土を叩いてしまうでしょう。だから、こういったしっかりした造りになっています」

──ピンポイントに風を送りたいときに適している、ということですね。
「そうです」 最初に述べたように職人は風で熱を操る。例えば脂が多いうなぎを焼くと、落ちた脂が燃えて味を損ねるので、常に下方向に落としこむように風を送る。そうすることで火が上がることを防ぎながら焼き上げることができる。焼き鳥の場合は表面が凸凹しているので、串に刺さった肉をなでるように風を送る。そうすると熱が均等にあたり、上手に火が入るのである。ガスや電気の熱源ではできない芸当なのだ。

夫婦で作り上げる1本のうちわ細部にこだわった美しさ
製造工程を見学させていただく。ノコで切り込みを入れて、肩骨を打ち込んでいく。天然素材である竹は1本1本、太さや性質が異なるので、加減が必要だと言う。

──できあがった製品は完全に揃っているのに、1本、1本こんなに違うんですね。
5代目当主、島野博行氏と奥様。実は島野さんは次男なのだが、先代の体調が悪くなった折、兄と話しあって継ぐことになったという。「子どもの頃から手伝ってましたからね。抵抗はなかった」 「ナイフ、一回舐める
かどうかだけで変わってくるからね。次は編みこみ。この紐は昔使っていたものが手に入らなくなって、これにしたんだけど、最初白くて浮いちゃったんですよね。それで梅の小枝で草木染めして、こういう色にしてあります。梅はこのあたりたくさん育てているので剪定で小枝が出るんですよ」

神は細部に宿る、という言葉があるが、こうした細かな部分が全体の美しさをつくる。骨を紙ひもで編み、「網竹」といううちわ型に成形する。 「この工程は修正しながら形をつくるのが大事。
編みながらどっかの指で引っ張っているんですよ」
紙ひものテンションで形を保っているからか、緊張感があって美しい。この後の紙を貼っていく作業は奥様の担当。民芸和紙の図版は様々だ。他には押し花もあるし、また島野夫妻が十年前からはじめたという手ぬぐいというパターンもある。
手ぬぐいを張ったうちわをつくりはじめた理由を奥様に訊ねると「楽しいから(笑)」という答えが返ってきた。「色々なかわいい柄があって楽しいので、いいのがあると買ってしまうの。亀田さんという名前の人が亀の絵が入ったうちわを買っていったこともありました。とても喜んでくれましたよ」貼り終えたら、特殊な形の刃物で縁を一気に切り下ろす。これはやり直しのきかない一発勝負である。そして、最後に縁と柄に型紙を貼って完成である。

涼を呼び、調理にも欠かせない日本人の暮らしの知恵

──うちわの良さはなんでしょうか?
押し花のうちわ。光が透けている様子も涼しげだ 「うーんとね。まず風をイメージできる涼を感じるアイテムだということ。実際に使うと手軽で個人個人、自分で自由に調節できる。生活必需品から嗜好品になったとは思いますけれども、今は持ち歩いていただけるような小さなうちわもつくっています。そういうのは喜ばれますね」 『うちわ工房しまの』では伝統文化を
残したい、という想いから、うちわ作り体験も開いている。頼めば持ち込んだ手ぬぐいも貼ってもらえるという。

工房に足を運べば驚くほど種類のあるうちわから自分の好みの1本を購入することもできる。体験教室、押し花やてぬぐい、持ち歩ける小さなうちわ……伝統文化のなかにごく自然な形で新しさがあり、どのうちわも高価すぎず、質の高い日用品として使える。手元に置くならプラスチック製の大量生産品よりずっといい。うちわでおこした風は扇風機やクーラーよりもずっとやさしい。日本人の暮らしに対する知恵を感じることができる。涼を呼び、調理にも欠かせないうちわ。梅雨が過ぎるとこれから熱い夏がやってくる。

 

 

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2015年07月14日

あの英国人一家も驚嘆!? 日本料理に欠かせない小道具「うちわ」の凄さ No1

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http://diamond.jp/articles/-/74167

数年前、『英国一家日本を食べる』(マイケル・ブース亜紀書房)という本がベストセラーになった。イギリスのフードライターが家族とともに日本に滞在し、外国人の視点で日本の食文化を語る紀行文である。序盤に新宿の思い出横丁で焼き鳥を食べた著者が感心するくだりがある。著者は自分にとってバーベキューはいつも心配の種で、焦がしてしまいがち──なのだけれども、日本人は炭火の扱いに長けている上に、すばらしい工夫をしている、という。

それはあらかじめ肉を小さくカットしていることだ、と。なるほど外国人の目から見れば焼き鳥という調理法もそうした工夫に見えるのか、と新鮮で、他にも「ふむふむ」と思うところの多い本だった。日本料理ブームもあって世界に広がる炭火焼き。残念ながら著者は気づかなかったようだが、一緒に紹介したい道具がある。それが「うちわ」だ。職人は風を操ることで、火力と煙の方向を巧みに調整しているからである。

鰻や焼き鳥を美味しくする「越生うちわ」にしかできない芸当
さりげなくおかれた石碑。うちわは野口雨情の歌にもある名物である 埼玉県越生(おごせ)。関東三大梅林の一つ、越生梅林で有名なこの地は街道の要衝、江戸時代は行楽地として知られた。越生駅から越生町の観光センター〈里の駅・おごせ〉に向かうと、(越生)「渋団扇発祥の地」の石碑が立っている。町民文化の発達とともに全国各地でうちわが生産された江戸時代、越生のうちわはその名が全国に知られていた。

うちわは夏の風物詩。現在でも花火大会など夏の風情を楽しむ光景には欠かせない道具だが、実用品としての側面もある。全国各地、それぞれの個性のあるうちわがあるが、鰻や焼き鳥を焼くのに一番、適したものを探し、辿り着いたのがこの越生うちわだ。石碑からほど近い場所にある『うちわ工房しまの』の五代目、島野博行さんからお話を伺い、うちわの製造工程を見学させていただいた。

かつてここ越生では50軒の工房があったという。明治初期には年間43万本が生産されていたというから、相当な規模だ。ところが昭和30年代には扇風機が、40年代半ばを過ぎるとクーラーが普及し、キッチンでもガスコンロの普及が進みうちわの需要は減少。また竹を使ったうちわはその生産性の低さからポリプロピレン製のポリうちわに置き換わっていった。現在、越生でうちわを製造しているのは『うちわ工房しまの』ただ1軒だけになった。

「昔は分業でつくっていたんですよ。うちわ造りが盛んなのは材料が近隣で手に入ったからでしょう。竹、越生に自生していますし、和紙は小川町から。昔は骨をイグサで編んでいたんですが、坂戸から川島辺りが畳の産地だったんで、そこから仕入れていました」島野さんは訥々と静かな口調で話をする。小上がりの作業場がある古い工房には様々な種類のうちわが並ぶ。それぞれに図案が異なり、眺めていると目移りしてしまう。プラスチック製の大量生産品を見慣れた目には竹でつくられたうちわは一際新鮮に映る。形、大きさ、紙質と1本1本に異なる個性があるのだ。

──これは一本の竹を割っていくんですか?
一文字と呼ばれる越生うちわ。各地方ごとに特色があるが、強い風を起こせる形になったのは食文化華やかな江戸にほど近いという地理的な特色もあったのだろうか? 「そうね。竹を切るのは12月、切り旬と
いいますが、一霜降りたら竹を切る。(一本の竹の先端に)切り込みをいれて、しごくと裂け目が下がっていくんですね。花割っていうんですけど、これが一番むずかしいところ。ここまでは冬場の仕事です。とった竹が湿っているうちにする作業ですね。次の工程は乾いていないと駄目です」

──形が独特ですよね。扇部の下辺が柄と一直線になっている。
「一文字うちわといって、肩入れという柄を打ち込むんです。こうすることで強い風が起こせるようになります。越生うちわの特徴ですね」

──うちわの良し悪しはどういったところで決まるのでしょうか。
これが鰻うちわ。柿渋を塗って強度を増すという知恵は日本人の暮らしの叡智だ。最近はラッカー塗料で柿渋風に色づけたものもあるが、これはもちろん本物 「良し悪しね。うちのほうではへたらない
で強い風がいくようにしていますけど。違う産地のうちわですと逆にしならせてやわらかい風をおこしたりするものもあります」

 

 

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2015年07月13日

初物を食べると1年長生きすると言われる理由 No2

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44227

お米が65点、豆腐も86点といった成績だった「アミノ酸スコア」で言えば<ワカメの入った味噌汁>と白いご飯の組み合わせにすれば、バランス的には100点の一食になるというわけです。 一応注意しておくと、この「アミノ酸スコア」というのは含まれる必須アミノ酸の比率、バランスを示していて、たくさん含まれているとか不足しているといった絶対量を示しているわけではありません。

でも、酢の物などでワカメを多めに取って、豆腐・油揚・味噌・醤油・豆乳鍋など大豆食品を中心におかずを揃えれば・・・とてもオーソドックスな和食が、体を健康に養う基本条件をそろえていることになる。 塩分さえ気をつければ、やはり日本食は大変に優れていると言うことができそうです。

「はつもの」と微小食材
では、そういうオーソドックスなものだけ、食べていれば十分かと言われると、私たち人間はやや贅沢にできた動物で「飽きる」という現象が起きるわけです。毎日毎日、同じ献立、カレーならカレーばっかし、ハンバーグならハンバーグだけ・・・というと、私たちは確実に飽きて食傷気味になってしまいます。 ちなみに犬や猫などはあまり文句も言わずフードを食べていますが、それでもときおり草をかじって見たり、体の調整はしている様子です。

で、逆に考えてみましょう。どうして私たちは「飽きる」とぃう感情を持つのか。人間は生存に不必要なものを持っていないはずです。神様はそのように生物を作られた、と思ってもいいし、適者生存の自然淘汰競争のなかでは、不要な能力はすぐ退化してしまいますから、「飽きる」というのも立派に人間の才能だと思うのです。「飽きる」、つまり「これ以上同じマンネリの食事は続けない方がいい」というのは、満腹感と同様、体が警戒信号を発しているのではないか・・・そんなふうに思うのです。

これ以上同じものを食べていると、食餌のバランスが崩れて体に良くないですよ・・・という体内からのシグナル・コール、それが「飽き」の一因なのではないか。 で、そんなとき日本食というのは「旬」がマンネリ状態を救ってくれるわけです。
ふきのとう、ミョウガ、木の芽、紫蘇、わさび、新生姜、柚子胡椒・・・思いつくままに食材から調味料まで挙げてみましたが、その季節、その食材にほんの少し添えられることで、味のバラエティを豊かにする<微小成分>あるいは<微小食材>とでも言うべきものがありますよね?

「初ものを食べると1年長生き」なんてことも昔は言いました。
何も、ふきのとうばかりドンブリ一杯食べていたら、気持ち悪くなってしまうでしょう。みょうがでも山椒でも柚子胡椒でも同じで、ほんの少しの「驚き」、季節のサプライズとして食卓を活気づける、そういう成分が、「マンネリ」のアンバランスから体と心を救っている・・・そんなふうに思うのです。 これ、季節ごとに心を豊かにする日本の感じ方、考え方、例えば俳句の「季語」なども同じなのではないでしょうか?

季節の中の微笑栄養素
いつのまにか鴨居の下にツバメが巣を作って、可愛い雛が生まれたのに気がついた・・・とか、寒い日が続いたのに桜の花芽がしっかり育っていて、大きくふくらみ始めたとか・・・。日々の暮らしのなかでふと目にする「季節感」の「おや?!」という驚きがありますよね。そこで、ふと零れる笑みが、心の「微小栄養素」になっているように思うのです。海外の人が「日本食がいい」と豆腐や醤油を挙げるとき、実はそこには季節がありません。また私たちが「洋食」を考えるときにも、固有の風土や季節感はない。

でも、例えばドイツであれば、初夏ならアスパラガスであるとか、秋ならまだ炭酸を吹いているようなワインの新酒であるとか、その季節でなければ食べられない「名物」があります。 ドイツ人相手に遠く離れた異郷の日本でそういう話をすると、必ずニコッと笑顔が返ってくるものです。 人間は退屈に一番弱い動物、常に外に出て行こうとする生き物だなんて言った哲学者がありました。

人間の心身の健康、幸せの総体を考えるとき、四季折々の「微小食材」がもたらす旬、そして時節時節の「微笑栄養素」が運んでくれる「おや?!」という小さな驚きが、体と心の全体を養ってくれるように思うのです。

 

 

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2015年07月12日

初物を食べると1年長生きすると言われる理由 No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44227

ヘルシーな日本を構成する微量ながら完璧な食材とバランス 以前、こんな話を聞いたことがありました。 「世界の食卓を眺めてみると、大半の国ではおかずが真ん中にあって主食は端の方に置いてある。例えば洋食のランチやディナーでパンがど真ん中に置いてあることはない。ところが日本では、大盛りのご飯がお膳の真ん中に置いてあることも決して珍しくない。なぜか?」というのです。

「ご飯は真ん中」神話  で、その答は、 「それはご飯が必須アミノ酸をすべて含んだ<完全栄養食>だから。ご飯だけ食べていても人間は(栄養のバランスはいまいちだけど)ともかく生きていくことはできる」から、だと言うのですね。 「ところが、パンはアミノ酸の含有率が少なく、それだけ食べていても栄養として不足がある。パンはバターをつけて<バターつきパン>にして、初めて栄養のバランスが取れるので、ディナーテーブルの端の方にバターと並べて置いてあるんだよ」

へぇ・・・と感心させられる話です。すっかりそういうものかと思っていたのですが「微笑栄養素」の話として取り上げようと調べてみたところ、あまり信頼できそうな裏打ちのデータが出てこないのです。 確かにパンのアミノ酸含有率はご飯よりも少ないらしい。しかし、だからといって精白米や玄米が質・量ともにバランスの取れた<完全栄養食>かと問われれば、必ずしもそんなこともなく、前回お話したように小魚一匹のおかずで一升飯がお腹に入らなくなってしまったりもする。

またパンだって、バランスはいまいちかもしれませんが必要な栄養素は含んでいるし、大半が油脂であるバターで必須アミノ酸が補えるかと問われれば、これまた微妙・・・。 といったわけで、どうやら上に記した「ご飯の完全栄養食神話」は、かなり米食に贔屓目で見られた見解であるらしい。 では、贔屓しないとダメなくらい日本食はヘルシーじゃないのか、と問われればそんなことは全くなく、豆腐や醤油が世界に普及したように、欧米型の食生活より明らかに健康面で一歩和食が進んでいるのは、間違いないようなのです。

アミノ酸バランスから考える
お米のご飯というのは、それだけ単品で考えれば、どうやら必ずしも「完全な栄養食」ではないようです。「アミノ酸スコア」という栄養を計る尺度があります。 食品に含まれる必須アミノ酸の量に関する数字なのですが面倒なことは置いておいて、ひとまず「お米のアミノ酸スコア」は精白米で65点、玄米でも68点と言った数字で、「牛乳・100点」「卵・100点」といった優等生に比べると、かなり見劣りがする成績です。

ちなみに食パンは44点、うどん、そうめんは41点、コーンフレークに至っては16点という落第点なので、先ほどの<完全栄養食神話>で「お米がパンより優秀」というのは必ずしも外れているわけではなさそうです。 さて、ここからがポイントなのですが、大豆が成績優秀なんですね。 例えば「枝豆92点」「おから91点」「豆乳86点」などなど。油揚げにすると77点とか、若干の上下はあるわけですが、実は「お米のご飯と大豆食品」という組み合わせにすると、食事の健康優等生とでも言えそうなレシピになるというのです。

つまり、お豆腐の味噌汁とおからの和え物とかでご飯を食べていれば、基本的に人間は非常に健康に暮らすことができる・・・。 なるほど、必須アミノ酸の含有比率などからも「ごくごく当たり前の日本人の朝食」みたいなものが、実は大変優れたものだと言えることになる。 長年続いてきた習慣には、何らかの理由があるはずです。例えば人間が生きていくうえで基本的な栄養にこと欠くような献立てでは、300年、400年という長い時間、人々を、社会を支えることはできないはずで、まずもって「最適化」していると考えてよいと思うのです。

ただ、その生活習慣の中に「塩分が多めの文化」「油っこい食事の文化」といった特徴もあって、そこから地域特有の生活習慣病が生まれやすくなっていたりもする、現代の進んだ知見があるのだから、そういうことにも注意して、世界を広く見渡すと、意外なほど優れた特徴を持つ日本食の美点が改めて浮き彫りにされて、日本人としてはちょっと嬉しくなります。

アミノ酸スコア100点の「ワカメ」
さらに驚いたのは「ワカメ」です。前回記した、能登のワカメがあまりにおいしくて、しかもそれだけで満腹感を覚えてしまったというのは、実はワカメの「アミノ酸スコア」が100点で、ローカロリーなのに非常にバランス良く必須アミノ酸を含んでいるというのです。 正直言って少し前まで、ワカメとか昆布というのはほとんど栄養などなく、風味で入っている程度の認識しかなかったのですが、必須アミノ酸はもとより、βカロチンとか良質の繊維とか、生き物を支えるうえで大切なものがしっかり整えられている。

 

 

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2015年07月11日

実は凄かった!木の食品包装「経木」の天然パワー No2

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「そんな時代でしたから父も『この仕事は時代遅れだから』と言っていました。それで私自身はプラスチック包装容器を製造する会社に勤めていたんです」ところが身内に不幸があったことで阿部さんは経木店に戻り、家業を継ぐことになる。今は息子さんと二人で経木店の伝統を守っている。プラスチック包装業界と経木の世界の両方を経験している人の話だけに重みがあった。

──戻ってみてどうでしたか?
「やはり、価格面など辛い部分もありますよね。一番大きなネックは大量生産ができないことです。ただ、良さはやっぱり感じますよね。ほとんど残すことなくすべて利用してます。木は本当に捨てる場所がないんです。丸い木を四角にすると外側が出ますでしょ。それは焼き物の薪になるんです。木くずは牛舎の下にまいたり、木片は果樹園。時々、木の下に撒かれているのを見たことありませんか?そんな風にまったく捨てないで最後の最後まで利用してもらえます」

灰かぶりの焼き物には松の薪が欠かせない。また牛舎や果樹に使われるのは土に還る木の性質を利用したものだ。世の中は有機的に繋がっているので、経木造りが途絶えてしまうとその影響は大きい。

──とにかく機能性が優れているので、そうした利点が知られてもいいように思うのですが。
「そうですね。うちの息子夫婦の家なども揚げ物をするときは皿に敷いて使っています。油を吸ってくれ、洗い物も楽だと言っています。焼き餃子にもいいです。例えば大手の居酒屋さんなどが使ってくれるようになると、経木がもっと身近になるとは思うんですけど」

「経木で包まれたおにぎり」には日本人が失ってはいない何か、がある
「元々、このあたりは繊維産業が盛んだったのでこうした機械の技術が発達したんですね」と阿部さん製造の現場を見せていただく。工場には古びた機械が二つ並んでいて、奥には刃を研ぐ研磨機がある。 「機械は大工さんの削
る鉋を裏返しにしたようなものです。やはり、ある程度の固い木を薄く削っていくので、節やなんかにあたると刃が欠けてしまったりします。ですから、そのたびに研ぎ直すことになるんですが、昔はグラインダーや砥石を使っていたので非常に難しい技術だったんです。今は研磨機があるので、それに任せられますが」

言ってみれば巨大な鰹節削り器のようだ。木が前後に動き、紙のように薄く削られた木が出てくる。詳しくは動画を見ればわかるがはっきり言って怖い。怖くないですか、と息子さんに尋ねたら「最初は怖かったのですが、慣れました(笑)」と軽く答えられた。 「逆目にならないように削っていきます。木の目は経木の品質に関わってきま
すし、厚さはやはり感覚なのでそこは神経を使います」四角い塊を削るのだが、そこも簡単ではない。自然の木には表と裏がある。

日光のあたっている面は成長が早く木の目が大きくなるが、影になる裏側は成長が遅いため目が細かくなる。当然、固さにも違いが出てくるので、均質に削っていくのには注意が必要だ。 「削られたものを今度、洗濯機
にかけて水分を除去します。遠心分離機にかけると水が驚くほど出てきますよ。そうして脱水したものを今度は二階で乾燥させます」建物の二階では束ねられた経木が風に揺れていた。経木の無垢な白さが光を受け、きれいな風景をつくっている。

自然乾燥なので、梅雨時の湿気は経木の敵だそう。乾燥したものを今度は挟んで平らにする。一枚の経木が出来上がるまでには手間と時間がかかっている。経木は風で乾燥させる。環境も品質の高さを守る要素の一つ 「私が子どもの
時はアルミホイルが出はじめた頃でね。遠足なんかに行く時にうちだけおにぎりが経木に包んであるのが嫌でしょうがなかった(笑)。今はまったくの逆ですよね。温かみがあっていい、という話になるし、なにより経木に包むと食べるときに海苔が手につかないんですよ」

経木はお弁当にも適している。底に敷けば汁気を吸いとり、おにぎりを包めば調湿作用があるのでご飯もおひつに入れたように美味しくなる。いつものラップやアルミホイルではなくて、経木でおにぎりを包んでみよう。包むという行為が美しいのはものだけではなく心まで込められているからだ。そこには単なるノスタルジーではなく、日本人が失ってはいけないなにかが含まれている。

 

 

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2015年07月10日

実は凄かった!木の食品包装「経木」の天然パワー No1

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昔は良かった、と言う人があまり好きではない。とくに食べ物(と教育)に関しては、こうした意見を述べる人が多いので困ってしまう。少なくても食に関しては「昔は良かった」とばかりも言い切れない。戦後から1970年代くらいまでの日本の食は非常に低い水準にあったし、添加物や化学調味料、模造品などの問題もあった。昔は良かった、という人はそのような都合の悪いことをみんな忘れてしまっているだけである。

大人は「今のほうがいい」と言ったほうがいいし、言える社会にする責任がある。そうじゃなければ、希望なんて誰も持てないように感じる。と、言っておきながらそんな僕でも「昔のほうが良かったのではないか?」と思うことがある。それは食品の包装だ。今、スーパーに行けば肉や鮮魚はプラスチックのトレイで売られているけれど、『プラゴミ』の日になるとそのトレイが山のように出て、げんなりする。昔、食品を包むのに使われていたのは経木である。

経木とは木を紙のように薄くした和風のキッチンペーパーのようなものである。すべて燃えるゴミで捨てることができ(もちろん回収したプラスチックゴミも多くが燃料として使われはするが)、土に還る包装材だ。 「昔は外で買い
物をすれば肉や魚もこれに包んでくれたものよ」と年配の方は言うが、見る機会は減り、いつのまにか台所からも姿を消した。

殺菌成分で味と鮮度を保つ 和食に欠かせない「経木」のパワー
まったくの手作業。日本人のDNAに訴えかけてくる白木の美しさ たまの外食でカウンターの居酒屋や日本料理店に行く。冷蔵庫からラップに包まれた刺身用の柵をとりだされると「うーん」と思う。冷やしすぎている刺身が美味しくないのはもちろんだけど、ラップはいかにも味気がない。昔の仕事では魚や肉を冷蔵保存する時は経木で挟むものだった。やっている人も減ったようだが、それに習って試してみると案外と具合がいい。ちゃんとした理由もある。

鮮度の良すぎる魚や肉は味が乗ってこないので、冷蔵庫などで寝かせる必要があるけれど、鮮度が落ちてしまっては元も子もないのだ。鮮度が落ちる原因は表面の水気による細菌の繁殖である。経木は表面の水気を吸い(キッチンペーパーと違うのは吸いすぎないので刺身がパサつくことがない)、また松の木の殺菌成分により味と鮮度を保つことができる(安い切り身などは経木で挟んで数時間おけば臭みも消える)。経木を使うのはたんなる懐古ではない。

科学的な裏付けがあるのだ。日本料理ではアナゴなど身の柔らかい魚を大鍋で煮るとき、柔らかくて軽い経木は落し蓋にも使われる。他にも様々な使い方があるわけで、それを忘れてしまうのは勿体無い。群馬県桐生にほど近い、みどり市にある阿部経木店は現在では少なくなってきている経木の製造所のひとつである。訪れると工場の表には丸太が並べられ、端材が積み上げられていた。親子で技術を守る阿部経木店。木の香りが漂う気持ちのいい場所でした。木を扱う工場はきれいでいいですね

「使っている木は長野の上田近郊のものです。うちのところに持ってきてもらうのは若いのもあるんですけど、だいたい樹齢40年から50年といったところ。もっと樹齢を重ねたものもあるんですけどヤニが出てくるので、使いやすいのはそれくらいですね。経木の良し悪しは材料で決まるところが大きいです」二代目の代表の阿部ハツオさんに説明をいただく。 「なるべく節を抜いて、四角く
切っていきます。木は生の状態で持ってきてもらうんです。乾いた状態でもってくると削れないので。今の販路としてはやはり鮮魚関係。あとは揚げ物をくるんだり、豚まんじゅう。ほとんど紙になってしまいましたが、お使いいただいています。あとは納豆に使っていただいていますね」

経木が最も脚光を浴びていた時代は明治期である。経木は明治37年には農商務大臣によって重要生産品に指定されている。経木でつくったマッチ箱や経木真田(帽子の材料)や経木織物は輸出産品であり、生糸や絹などに並ぶ重要な存在だった。紙のように薄く木を削ることができるのは日本だけだったのだ。その時代、経木をつくる技術は発展し、食品を包んだり、料理に使われる薄経木(以下、経木)も全国に広まっていった。ちなみに厚経木というのは折箱(本連載第13回参照)の材料だ。

昭和30年代をピークに「時代遅れ」に忘れてはいけない有機性と機能性
かつて群馬県は経木の生産量では全国一だった。消費の多かった東京にほど近く、上州のからっ風という乾いた気候が製造に適していたこと、また残材が生糸の生産(例えば前橋は一代生産地だった)の燃料として使われていたことがその理由だそう。また、昭和33年に発売され全国に普及した製造機を発明したのは群馬県の阿部儀秋氏である。 「その人はうちの遠い親戚なんです
が、そんな関係もあって群馬の経木は有名だったようです」

昭和35年から36年のピーク時には生産量は東京の需要の7割を供給していた。しかし、その盛りにも影がさしはじめる。スーパーマーケットの登場である。経木組合も宣伝ビラなどをつくるなどして利点をアピールして対抗したようだが時代の変化には抗えなかった。ちなみにこの宣伝ビラで比較されていたのは納豆の食味だった。納豆の容器には経木を用いたほうが美味しいのは本連載でとりあげた下仁田納豆(本連載第26回参照)を食べればすぐにわかる。

 

 

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2015年07月09日

五反田に“ひとり客”のパラダイスあり! No2

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決め手は、フィリピンの味!
主人の金子章治は明治学院大学法学部を卒業。1983年、28歳の時に、かね将を出した。「学生時代、目黒のもつ焼き屋でアルバイトしてました。卒業してからもそこで働きました。バイトの延長で店を始めたんですよ」独立した時、「出すものがもつ焼きだけじゃヤバい」と思った。――親方の方がもつ焼きの技術は上だ。目黒と五反田は目と鼻の先だ。親方の店とは何か違うことをやらなければ、客が来てくれない。食っていけなくなる。そうしたら、せっかく就職もせずに独立したのに、店がつぶれてしまう。

そこで、金子は築地市場に通って、生のまぐろやイカを仕入れて、店に出すことにした。冷凍の品物でなく、新鮮なそれを仕入れるようにした。から揚げやフライの技術も覚えた。ポップコーンも乾燥したトウモロコシの粒を仕入れて、手作りすることにした。居酒屋のメニューで「ポップコーン」は珍しいけれど、それは金子が手作りにこだわる証拠だ。ポップコーンなんて、袋入りのものを買ってきた方が安いし、手間もかからない。それでも彼は毎日、ボップコーンを作る。

「もうひとつの人気メニューはフィリピンの味ですね」かね将には3大人気メニューがある。牛すじトマト煮(420円)、豚すじ煮(330円)、豚皮串焼きアドボ風味(200円)。いずれもフィリピン料理の味付けで、作るのは妻のアリシアさん。
「フィリピンにはアドボという国民的料理があります。酢に漬けた肉を煮込む料理でトマトを使うことも多い。うちの妻は料理が得意だから、居酒屋メニューをアドボ風味にして出しているんです。豚すじ煮というのもアドボ風味。これで、ワインを飲んでいるお客さんもいます」

かね将にはガーリックトースト(2ケ150円)がある。上記のなかのたとえば牛すじトマト煮を取って、ガーリックトーストと一緒に食べたら、気分はフィリピン、あるいはスペインにいる感じがする。この店にリピーターが多いのは、ある時はもつ焼きとハイサワー、ある時はポップコーン、ポテトバター(280円)、玉ねぎフライ(320円)とウイスキー、ある時は刺身と日本酒と各国の味と酒を楽しめるからだろう。築地市場に通って仕入れた生のまぐろやイカの刺身。時には主人が釣ってきた新鮮な魚もメニューに

「うちは年中無休ですけれど、私は水曜日には休んでいます」金子は休みになると、千葉の勝浦漁港へ出かけて釣りをしてくる。鯛は釣ったことないが、ヒラマサ、イカなどは大漁だったことがある。すると、彼が釣ってきた新鮮な魚介が木曜日、金曜日のメニューに出てくる。かね将へ行くのならば、ひとりで行くのがいい。そして、フィリピン風の料理を何かひとつは頼む。できれば木曜日に行く。その時、釣った魚があったら、それを頼む。好きな酒を頼む。

そのうえで、お腹が減っていたら、ご飯(150円メニューには載っていない)を注文して、釣った魚の刺身を自分でしょうゆ漬け(少し日本酒を入れる)にして、ご飯にのせて食べる。やっぱり、かね将はみんなのパラダイスだ。

焼とん酒場「かね将」
◆住所 東京都品川区西五反田2-6-1 ※JR五反田駅から徒歩2分、18時までなら予約可
◆電話 03-3495-4677
◆営業時間 6:30〜23:30(日祝〜22:30)、無休

 

 

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