2015年08月17日

黄色い最強製造業、ファナックの謎 No3

なぜ工場建設が自社株買いを要求するサード・ポイントへの回答と見られたのか、そうでないとすれば、今回の新工場建設の意図は何なのか。疑問が、少しだけ湧いてきた。富士通の「打ち出の小づち」だった 「ファナックの全景
を見てみたいですね」 冗談で言うと、先輩は「待っていました」とばかりに目を輝かせた。「実は前にここに来た時、タクシーの運転手さんから、全体が見渡せる場所を教えてもらったの。近くの高台に行ってみましょ!」

クルマで10分程度走ったところに、その高台はあった。霞の向こうに黄色いファナック工場群が浮かび上がる。視線を左に移せば山中湖と富士山が目に入る。雄大な自然のなかに、人工的な黄色の巨大な建屋。非現実的な光景だ。
「見て、山中湖まで一望できるわ。最高のロケーションね。数年前までファナック社員の名刺に書かれている住所が『富士山麓 山中湖畔』だったことがあるんだよ。それでも郵便物は届い
たらしいの。今も『山梨県 忍野村』で届いちゃうんだって。

だけど、敷地があまりにも広くて、敷地内で手紙が迷子になっちゃうこともあるらしいわ」 スケールの大きい話だ。富士山の裾野にこれだけ目立つ建物が並んでいれば、配達する側は迷いようがないだろう。ただ中に入ったら、自分も郵便物同様、迷子になっちゃいそうだ。

いつからファナックは、富士の樹海にほど近いこの場所に根を張ったのか。「ファナック発祥の地がここなんですか」と尋ねてみた。「ううん、違うよ。かつては東京都日野市に本社があった。ファナックは富士通の1部門が分離独立して1972年に出来た会社だからね。1980年代に約10年の歳月をかけて、都心から富士山麓へと徐々に本社機能を移していったの。その過程で、寮や居酒屋、体育館といった福利厚生施設も作っていった。何もない場所だから、社員が移ってきやすいように配慮したと聞いているよ」

「なるほど、つまりファナック(FANUC)のFは富士通のFなんですね」。 飲み込みの早い後輩風の相槌を打ってみたが、予想は外れた。 「それも違う。『Factory Automation NUmerical Control』の頭文字を
取ったもの。富士通が母体ということを知らない人も増えているんじゃないかな。一方の富士通にとって、高値が付いたファナック株は『打ち出の小づち』と呼ばれていて、経営が苦しくなると保有する株を売却して資金を得ていたんだよ。2009年には富士通の持ち株比率はゼロになったから『小づち』の役割も終えたけど」

意味深な笑みを浮かべたワケ
散策とカメラマンの撮影も終え、一休みかと思いきや、先輩は午後に都内で別取材があるという。食事も取らず、トンボ返りだ。車中で改めて訪ねてみた。「なぜ今、ファナックの特集をやる意味があるのか」。スマホの画面を見せながら先輩は言った。「これ、決算短信。2015年3月期の売上高営業利益率は40%前後になる見通し(4月1日時点ではまだ前期決算発表はされていない)。東証1部に上場している製造業の営業利益率が平均8%程度だから、異様に高いのがわかるでしょ。

リーマンショック後の2010年3月期でもファナックは20%以上の利益率を確保した。さっき話した、NC装置の世界シェアがざっくり50%あって、高収益の源泉だと言われている。ロボットのシェアは約20%。ロボマシンは色々だけど、調査会社の資料なんかを見ると、スマホを削る『ロボドリル』は瞬間風速的に8割ぐらいを占める時もあるみたい」「とにかく、超高収益で世界シェアが高い商品が沢山あるのがファナックなの。米国の大物投資家、サード・ポイントが関心を持つのも分かるわ。

それにも関わらず、この会社について詳しく触れた記事は古いものばかりなんだよね。今は株式市場でも注目が集まっているし、何よりファナック社内も大きく変わろうとしている。その実情を今、深く広く読者に伝える価値はあると思うんだよね」「何でファナックはそんなに強いんですか。何を変えようとしているんですか」 さっきまでおしゃべりが止まらなかった先輩記者が、この時ばかりは意味深に微笑むだけだった。後は自分の足で取材しろということらしい。先輩に振り回されている気もしたが、筆者も「黄色いファナックワールド」に足を踏み入れることになった。

 

 

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2015年08月16日

黄色い最強製造業、ファナックの謎 No2

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あれが工作機械。実際には工具を付けた軸が動いて金属を削っているんだけど、X軸方向にこれだけ、Y軸方向にこれだけ、Z軸方向にこれだけってのを、数値で制御し続けているんだよね。だから機械は、加工データ通りにモノを削ることができる。それを司っているのが、NC。『Numerical Control(数値制御)』の頭文字だよ。ファナックの場合はモーターも作っていて、コンピューター部分とセットにして『NC装置』って呼んで販売しているの」

引き気味の筆者に満足気な先輩
次々と登場する専門用語についていくのがやっとだ。適当に相槌を打っていると、予定よりも早く忍野村に到着した。中央自動車道を降りて10分ほど一般道を走ると、突如林の中から黄一色に塗られた工場群が姿を現す。黄色いのは建物だけではない。通りを往来するクルマもトラックも黄色い。歩道には「ファナック通り」と書かれた看板が立っている。「ファナック通り」を往来する黄色い自動車とトラック
「うわ、なんか全部黄色い!なんで工場もクルマもこんな色してるんですか」

異様な光景に引き気味の筆者を見て先輩はなぜか満足そうだ。「そう。黄色はファナックの『戦いの色』なのよ!ファナックの実質的な創業者、稲葉清右衛門氏がそう定めて、何でも黄色に統一したのよ。たとえば・・・」 クルマを下り、先輩の説明という名のウンチクを聞きながらそぞろ歩いていると、黄色い軽自動車が横切った。間髪入れずに先輩が叫び出す。「あ、見て!『ハスラー』まで黄色いじゃない!私、ハスラー好きなんだよね(注:ハスラーはスズキのヒット車)。

クルマも全部黄色いけど、よく見ると車種はバラバラなんだよ。沢山の自動車メーカーにロボットなんかを納入しているから、色んな会社のクルマを購入しているんだって」 先輩の興奮が収まらない。目を輝かせ、小さく飛び跳ねながら今度は自動車向けロボットの話を始めた。「ファナックはロボットで世界シェア20%を占める大手なの。特に強いのは米自動車メーカー。ゼネラル・モーターズとかフォード・モーターとか、いわゆる『米国ビッグ3』向けね。YouTubeでフォードの紹介VTRを見ると、出てくるロボットが黄色いでしょ。

一方で、トヨタ自動車の工場だと、川崎重工業や不二越のロボットが多く目に付くよ。ドイツ系の自動車メーカーはオレンジ色のロボットで知られるクーカ(KUKA)製を採用することが多いけど、最近は変わってきてるみたい」 先輩は新聞記者として5年前からファナックなど機械産業の取材を続けてきた。ビジネス編集部に出向中の今も、特集を組むために準備を進めてきたそうだ。たぶん、その知識をシェアするのが嬉しくてたまらないのだろう。

「この柵を見て。英国スコットランド、エディンバラのホリールード宮殿にあるメアリー女王の浴室脇のフェンスを清右衛門氏が気に入って、参考にしたそうよ。これでファナックは『最新鋭の技術と森の自然』を守っているんだって」 先輩は工場を囲う柵にまで説明を加え出した。ファナックそのものへの関心すらまだ薄いのに、ファナックのフェンスにまで興味を持てと言われても無理な相談だ。この先輩に特集校了までついていけるんだろうか。不安は膨らむばかりだが、まずはフェンスとは別の話題を振らなければ。

「もしかして、ファナックは忍野村以外にある工場も全部黄色で統一してるんですか」 「そうね。少なくとも国内拠点の壁は黄色いよ。そもそもファナックの場合、工場はノックダウン生産を除いて国内だけなの。日本メーカーが生産拠点を海外に移して『地産地消』を進めている中で、国内一極生産を貫く会社は珍しいんじゃない?忍野村が一番大きな拠点で、49万坪の敷地に20棟以上の工場がある」

確かに珍しい話だ。今でこそ円安が進み、生産拠点を国内に戻す動きが出始めているとは聞く。ただ長年続いた円高局面でもファナックは国内生産を貫いたらしい。どうやら変わっているのは外観ばかりではないようだ。 「あとは、鹿児島県霧島市にもセンサーの工場があるよ。比較的新しいところでは2012年に筑波山に近いつくば地区(茨城県筑西市)にロボドリルの工場を建てている。

当時はあんまり景気もよくなくて、多くの人が投資に懐疑的だったんだけど、2014〜2015年にかけて盛り上がったスマホ需要を掴むことができたのは、この工場のおかげと言われているよ。今年2月には、栃木県壬生町に1000億円規模の工場投資をすると発表したよね。自社株買いを求めるサード・ポイントへの回答とも言われたけど、実はあれは昨年から計画されていたことなんだよ」 景気の良くない時に投資したのはなぜなのか。

 

 

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2015年08月15日

黄色い最強製造業、ファナックの謎 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150604/283890/?P=1

日経ビジネス本誌6月8日号の特集「孤高の製造業 ファナック 利益率40%を生む異様な経営」では、高収益、高シェアを誇りながら、情報開示が少なく実態が掴めなかったファナックを徹底取材した。 今年2月に米国の「物言う投資ファンド」、サード・ポイントが株式保有を発表して以来、株式市場ではファナックの一挙手一投足に注目が集まっている。だが産業用ロボットや「NC装置」など、一般に馴染みのない商品を開発製造する同社を詳しく知る機会は少ない。

米国の投資家はファナックのどこに目を付けたのだろうか。ファナックとはそもそもどんな会社なのだろうか。 オンライン連載では5回に渡って、本誌特集では描ききれなかったファナックの強さの秘密に迫っていく。実は筆者(飯山辰之介、記者8年目)も2カ月前まで、ファナックについて何一つ知らなかった。長年同社を取材してきた先輩記者(佐藤浩実、記者9年目)に(半ば無理やり)特集班に組み込まれ、謎多きファナックと向き合うことになる。

テンション高い一本の電話
「初めまして!突然だけど、ファナックって会社知ってる?」 3月末、日本経済新聞社への出向が解ける直前、ビジネス編集部の先輩女性記者から突然電話がかかってきた。電話口から彼女のテンションの高さが伝わってくる。 筆者はこれまでインターネット業界を中心に取材してきた。製造業には疎い。さらに業界でも謎が多いといわれるファナックについての知識など皆無だ。

「株価が上がっていることと、情報をほとんど出さない会社で、実態がよく分からない、ってことぐらいなら知ってますが・・・すみません、ほとんど知りません」「あ、そう。まあいいわ。4月1日にはビジネス編集部に戻ってくるんだよね。2人で特集やるから、とりあえず1日は朝7時に日本橋に集合!カメラマンのクルマで富士山の麓にあるファナックの本社に行くからね。よろしく!」先輩は用件を一気に伝えて電話を切った。編集部への復帰初日に早朝出張に出る羽目になる。気は重いが、仕方がない。

黄色い工場、止まらないウンチク
翌朝7時、前日の送別会のアルコールがまだ残る身体を引きずり、日本橋の待ち合わせ場所までたどり着いた。既に先輩は到着している。眠気を抑えつつ尋ねた。「そもそも今回は何をしにファナックに行くんですか?社長インタビューか何かですか?」「予習よ。(ファナック本社がある)忍野村は空気がおいしいよ。楽しみね!」 先輩は朝から元気だ。そしてやっぱりテンションが高い。 都内からファナック本社がある山梨県忍野村へは首都高速道路、中央自動車道を乗り継ぎ1時間半程度かかる。なぜわざわざ「予習」だけのために、忍野村まで行く必要があるのか。この時はまだ理由がわからなかった。

「ファナックって何を作ってる会社でしたっけ」
ファナックについての情報は少ない。同社は決算会見を4年以上開いていない。会社を知るための資料も極端に少ない。これまでメディアの取材も最低限しか受けていなかったという。東証1部の上場企業のなかで、ファナックほどメデイア対応に後ろ向きだった企業はないだろう。 先輩はこの質問を待っていたかのようにまくしたて始めた。 「『NC装置』を世界一売っている会社だよ。あと、『ロボット』と『ロボマシン』も作ってる。

でもロボットって言っても、ホンダの『ASIMO(アシモ)』みたいなマスコット的なロボットじゃなくて、クルマの工場で車体を溶接したりするのに使われる、腕みたいな機械ね。ロボマシンには色々と種類があって・・・。金属を削ったり、ワイヤーで切ったりする機械とか、プラスチックの部品を成形する機械とか・・・。そうそう、スマートフォンを削っているのも『ロボドリル』って呼ばれているファナックの機械だよ」

「・・・・NC装置?」 ロボドリルやらロボマシンやら、意味の分からない単語を連発する先輩に面食らう。一番分からないのはNC装置だ。こっそりとスマホを取り出し、インターネットで検索してみる。「NC装置とは数値制御装置のこと」とある。どうしよう、全く分からない。不安を察してくれたのか、先輩は教えてくれた。 「そうだよね。あまり馴染みはないよね。簡単に言うと、工作機械を動かすコンピューターね。工場で金型とか金属の部品を『ガリガリガリー!』って削っている機械を見たことがあるでしょ。

 

 

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2015年08月14日

中国が民主主義導入を嫌う本当の理由 No2

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44213

中国の人口は13億人だが、都市戸籍を持つ人は4億人、農民戸籍が9億人だ。9億人のうち、都市に出稼ぎに来た3億人の「農民工」は、レストランなどの従業員として働いている。その多くは若者である。農村には老人や子供だけが残されており、都市に比べて著しく貧しい。中国で奇跡の成長の恩恵を受けたのは都市戸籍を持つ4億人だけである。農民戸籍を持つ9億人は取り残されている。彼らは都市に出ても低賃金でこき使われるだけ。

レストランの従業員になっても大した給料が得られないために、働いている店で食事をすることすらできない。それは、昔の奴隷に近い境遇である。

民主化をあえて進めないインテリや中産階級
日本でも飲食チェーン店の劣悪な労働条件が問題になることがある。ただ、そのようなチェーン店で働く人々も、休日に仲間と類似の店で食事をすることはできよう。その程度の賃金は貰っている。格差社会などと言って騒いでも、日本の格差などかわいいものだ。 中国では都市戸籍を持つ4億人が、農民戸籍を持つ9億人の犠牲の上に立って繁栄を謳歌している。中国共産党はここ数年、内需を拡大するために農民工の給料を上げる政策をとってきた。

それによって農民工の給料は少々上がったのだが、その一方で中国の輸出競争力が削がれてしまった。その結果、日本でも「China+1」などと言う言葉が聞かれるようになった。このことからも分かるように、中国の経済発展は農民を安い賃金でこき使うことによって成り立っている。農民を安い給料でこき使うことができなくなれば、大した技術を持っていない中国は成長し続けることはできない。中国が民主主義の導入を嫌う真の理由がここに隠されている。

そして、民主化が叫ばれているにもかかわらず、第2の天安門事件が起こらない理由もここにある。現在、中国の都市の生活水準は先進国並みになった。そんな国で共産党はかなり強引な統治を行っている。それでも都市に住むインテリや中産階級が黙って共産党に従っているのは、彼らが現行のシステムにおける利益の享受者であるからに他ならない。真に民主的な政府ができれば、その政府は9億人もいる農民の意見を代弁することになる。

それでは都市に住むインテリや中産階級の望むところではない。本来、民主化運動は都市に住むインテリや中産階級がその担い手になるはずなのだが、彼らは真の民主化が進めば都市戸籍という特権を失ってしまう。だから、民主化運動が盛り上がらない。これが、いくら非難されても、中国で共産党体制が続く真の理由である。

 

 

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2015年08月13日

中国が民主主義導入を嫌う本当の理由 No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44213

北京のレストラン事情から垣間見えた中国の真実
近代的なビルが林立してその間をたくさんの自動車が行き交っている。その街並みは東京やニューヨークなど先進国の都市となんら変わるところがない。北京は世界有数の都市になった。 中心部のオフィス街の地下にはサラリーマンが昼食を取る小奇麗なレストランが並んでいる。一昔前は中国料理が中心だったが、今ではイタリア料理、日本料理などを提供する店も多い。スターバックスやケンタッキーフライドチキンなどもある。

そこで普通に昼食を取ると40元から50元ほどかかる。1元を20円とすると800円から1000円。もはや、北京の物価は東京と変わらない。ものによっては北京の方が高いくらいだ。北京のオフィス街に店を構える飲食チェーン店の経営者の話を聞く機会があった。その話から、中国が抱える深い闇が見えてくる。

自分が働く店に、客としては入れない従業員
昼食時に訪ねたその店は、満員で入り口には行列ができていた。ところが、経営者の話を聞いて驚いたのは、従業員の賃金の低さである。注文を取って料理を運んでいる人の月給は1600元から2000元程度(約3万2000〜4万円)でしかない。それは周辺のレストランでも変わらないそうだ。ボーナスは年2回出されるが、支給額は年間で1カ月分の給料程度に過ぎない。ただ、社員寮に住んで賄い飯がついているために、それでも何とか暮らせると言っていた。

アルバイトも雇っているが時給は16元(約320円)。バイトの場合には寮を用意する必要がなく、社会保険を払う必要もないので、その分、安く済む。ただ、定着率が悪いために、アルバイトを無暗に増やすことは難しいとも言っていた。
経営者は「店の従業員たちは休日などに、自分が働くチェーン店で昼飯を食べたことはないはずだ」と言う。従業員たちには高すぎる。昼食の代金が3時間の労働の対価だとすれば、そんな昼飯は食べないだろう。

日本の飲食店で働いている人が3000円の昼食を取るイメージである。それは他の店でも同じことで、レストランで料理を運んでいる人々の多くは、その店の料理を食べたことがないという。まあ、日本でも超一流の店であれば同じことが言えるかも知れない。だが、中国では昼飯時にサラリーマンが行列を作るような店でも、その店で働く人は、自分が働く店の料理を食べることができない。

都会のOLと出稼ぎ従業員の格差
それでは、店で昼食をとっているサラリーマンは、どれほど収入を得ているのだろうか。店の経営者は、北京では大卒の初任給は3000元程度(約6万円)であるが、中心街のオフィスに働く人々は1万元から2万元(約20万〜40万円)はもらっているだろうと言っていた。女性でも30歳ぐらいの人であれば、数千元はもらっている。そして、オフィスで働く女性の多くは親元から通勤しているので、給料を小遣いとして使うことができる。独身貴族であるとともに、都市戸籍を持っている。

ここがミソだ。そんな彼女たちが小奇麗なレストランで昼食を取っている。ここまでの話に、現代中国を理解する上で重要な情報が多く含まれている。 レストランで働いている人々は農民の子弟である。多くは高卒。北京には出稼ぎで来ている。都市戸籍は持っていない。農民戸籍である。そのために、北京で働いても年金や医療保険の面で、北京の戸籍を持つ人に比べて著しく不利になっている。

 

 

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2015年08月12日

中国株バブル崩壊で見せた共産党政権の狼狽ぶり No2

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http://diamond.jp/articles/-/75135

強引な対応策は一時しのぎにすぎない
6月12日、上海総合株指数は約5166ポイントの高値を付けた後に下げに転じ、7月8日までに約32%下落した。“上がるから株を買う”から、“下がるから株を売る”という逆回転が始まったのである。その間、中国政府はなりふり構わぬ株価対策を講じた。6月28日には4度目の金利引き下げを行い、29日には年金基金に株式運用を認める方針を発表した。しかし、それでも株価の下落に歯止めがかからず、株価押し下げの要因となり得る新規上場を停止し、証券大手などによる株式の買い支えの方針を打ち出した。

さらに、中国人民銀行は、証券市場に潤沢な資金を供給することを明言し、国有企業や大手企業に株式の購入を求めた。さらに、7月9日には証券当局の高官が、「悪意のある空売りを厳しく取り締まる」との姿勢を明言した。極めつけは、株式の取引停止を申請可能にする制度を導入した。これは、企業自身が「自社の株式が売られて株価が下がりそうだ」と考えると、当局に申請して株の取引を停止することができる仕組みだ。

この制度によって、中国株式市場では一時、上場企業の約半分は取引することができなくなっていた。株式売買を大きく制限する措置で、市場の本質的な機能を不全化する行為だ。これらのなりふり構わぬ対策によって、7月9日〜13日はとりあえず、株価は10%以上反発した。しかし、これで問題のすべてが解決したとは言えない。投資家の中には、売りたくても売れない株式を保有せざるを得なくなっている人もいる。

そうした投資家は、停止措置が少しでも緩めば保有株式の売却に走ることが想定されるからだ。ということは、政府の強引な方策は一時しのぎにすぎず、今後、株価が不安定な展開を続ける可能性が残っていると見るべきだ。

共産党の政権基盤が盤石でないことが浮き彫りに
今回の一連の株価動向とそれに対する政府の対応策を見て、より明確になったことは、中国の株式市場の未成熟さだ。同国の株式市場は主要先進国の株式市場と異なって、投資理論などに基づいて効率的な投資を狙う機関投資家の存在が極めて少ない。逆に、相場の勢い=モメンタムに動かされやすい個人投資家が中心であるため、どうしても株価の振れ幅の大きなマーケットになりやすい。一方、市場の動きをコントロールすべき当局が、本当の意味で市場の本質を理解していない懸念がある。

それは、一連の首をかしげたくなるような力技の政策発動を見ても分かる。これによって、中国の株式バブルの問題が完全に片付いたとは考えにくい。それらを総合して考えると、同国の株式市場は未成熟と言わざるを得ない。世界第2位の経済大国の株式市場と監督当局がそうした状況にあることを、われわれ自身が十分にリスク要因として頭に入れておくことが必要だ。もう一つはっきりしたことは、中国政府の対応のまずさだ。

習近平主席の表情を見ていると常に自信に満ち溢れているようだが、実のところ、共産党政権のコントロールがすべての分野に及んでいるわけではないのだろう。6月中旬以降、株価が下落する局面では、政府の狼狽ぶりと強引な政策が目立った。その背景には、株価が大きく下落して多くの人々に不満が蓄積すると、政府の政策運営に支障が出る懸念があるのだろう。あるいは、さらに進んで共産党政権を維持するのが難しくなることも考えられる。

中国の友人に尋ねても、「景気が落ちていることや異民族のテロなどで、共産党政権に対する人々の信認は低下しているかもしれない」と指摘していた。その意味では、共産党政権は盤石の政権基盤を持っているとは言い難いのかもしれない。今回の株価動向はそうした状況を浮き彫りにしていると言えそうだ。

 

 

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2015年08月11日

中国株バブル崩壊で見せた共産党政権の狼狽ぶり No1

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http://diamond.jp/articles/-/75135

未成熟な投資家層と市場を理解していない政府
足元で、ギリシャ問題と並んで中国の株式市場の動向が世界中の注目を集めている。人民銀行の金利引き下げなどの影響もあり、同国を代表する上海総合株指数は6月12日までの一年間で約2.5倍にまで跳ね上がった。まさに“株式バブル”の状況だった。バブルは永久に続くことはない。その後、上海の株式市場は下落に転じ、一時は下落に歯止めがかからない状況となった。株価の急落に対して、共産党政権はなりふり構わぬ株価下支え政策を打ち出し、7月9日〜13日、株価はようやく10%以上反発した。

今回の中国株式市場の動向の背景には、個人投資家が取引の約8割を占めるという特性がある。主要先進国の株式市場には、大きく分けて二通りの投資家がいる。一つは機関投資家で、投資理論などの専門知識を持ち、それなりの合理性を持って運用に当たることが多い。もう一つのカテゴリーは個人投資家で、彼らの多くは、どちらかというと機関投資家のように理論には精通していない。その時の相場の雰囲気などに影響されることもある。

中国の個人投資家は、最近、口座を開設して投資を始めた人たちが多いと言われている。彼らは、株式投資で儲かると思えば、資金を借りてでも投資を行う傾向が強いという。同国の経済専門家の友人にヒアリングすると、「一種のギャンブル感覚で株式の売買をしている」と嘆いていた。そうした売買が多いと、今回のように、どうしても株式市場は上下幅が大きくなる。もう一つの注目ポイントは、株価急落に対して、共産党政権が慌てて、なりふり構わぬ“力任せの対策”を打ったことだ。共産党政権は本当の意味で、市場の機能を理解していないのかもしれない。常に自信に満ちているように見えた、中国共産党政権の狼狽ぶりがよく分かる。

政府の株価押し上げ策が バブルを発生させた
今年1〜3月期、4〜6月期の中国のGDP成長率はともに7%だった。ただし、この数字を鵜呑みにしている専門家は少ない。同国経済の総責任者である李克強首相でさえ、実際はさらに下振れ要素があると発言している。重要な経済指標である電力消費量や鉄道の貨物輸送量などを見る限り、中国経済の現状はかなり厳しいと捉えるべきだ。そうした実体経済からすれば、株価が大きく上昇することには疑問符が付く。それにもかかわらず、株価は1年間で2.5倍にも上昇した。

その不思議を解く重要な鍵は二つある。一つは中国政府の政策だ。政府は景気下支えのため、矢継ぎ早に利下げを行うと同時に、株価を押し上げる方策を取った。昨年11月、上海と香港の株式市場は取引の相互乗り入れを可能にした。これによって、従来、制限されていた香港や海外投資家の中国本土への株式投資と、本土の投資家の香港株式投資が解禁された。そうした措置は、中長期的に投資家層を広げる方策として相応の効果がある。

一方、短期的に資金流入が活発になることで、株式市場が活況を呈する場合がある。今回の緩和措置は、中国株式バブル発生の引き金の一つになった。そうした市場環境の変化に加えて、投資の習熟度がそれほど高くない国内の個人投資家が、一緒のギャンブル感覚で株式売買を行った。しかも、人民銀行の金利引き下げによって、資金を借りて投資を行う“信用取引”のコストが大きく下がった。個人の信用取引の拡大が、上昇し始めていた株価をバブルの水準まで押し上げる重要な要素となった。

投資に精通した機関投資家が多ければ、個人投資家の動きを幾分かは抑えることができたかもしれない。しかし、中国の株式市場では、そうした思慮深い投資家の割合は低かった。

 

 

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2015年08月10日

テクノロジー失業 No2

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ロボットが癌の手術をする時代に
製造業一般でも状況は同じだ。ロボットの導入などによって、同期間に約270万人の職が奪われている。特に今後はロボット技術の進展によって、多くの分野で人間がロボットに取って代わられていく。カリフォルニア大学バークレー校の研究者は、ロボットが癌細胞の切除手術の全行程を行う実験をすでに始めているし、ドイツのダイムラーは今年5月、米ネバダ州で無人トラックの走行運転を行った。米国ではトラックの運転手は約290万人もおり、男性の間では最も雇用者数の多い職業である。

将来、トラックや車の運転が完全に無人化されるかどうかは疑問が残るが、少なくとも一部で無人化・ロボット化が進むだろう。ただロボットが人間を凌駕するとの見方は何もいまに始まったわけではない。福岡県北九州市にある安川電機の社長にインタビューしたのはずいぶん前のことだ。産業用ロボットの生産台数で世界1位を誇る同社は、特に自動車を組み立てるロボット製造で業績を伸ばした。いまではロボットがロボットを製造する段階に達している。

今後は産業用だけでなく、家庭内にロボットが入り、職場でロボットが幅を利かせるようになる。逆の見方をすれば、テクノロジーに脅かされない職種は必ずあるはずで、そこに21世紀に生きる人間が磨くべきスキルが見い出せそうだ。前出のコルビン氏は、「もしロボットに置き換えられる職業があるなら、そうすべき」と前置きしたうえで、人間らしい創造力や判断力を必要とする仕事はずっと残ると述べる。企業や団体などのトップは組織をまとめてリードしていかなくてはいけない。

軍隊の指揮官も同じだ。集団をまとめて方向を示す仕事は人間ならではのものだ。 コミュニケーションを必要とする職業もロボットには任せられない。弁護士や裁判官といった司法関連の職業や教育者は人間のものだろう。外科手術はロボットに任せることができても、患者と目と目を合わせて話を聞き、さらに診断をするという作業は人間の医師の方が患者は安心するはずだ。

人間関係の構築は苦手
英オックスフォード大学の研究では、今後5年から10年で人間の左脳が担当する業務、例えば社内の損益計算書の作製や経営分析などはロボットに取って代わられるとしている。だが右脳がつかさどる業務、社内でのチーム作りや企画、商品開発などはロボットにはなかなか及ばない。 となると、21世紀にロボットに負けずに生き抜ける人間は、人とのコミュニケーション能力に優れ、創造力と統率力があり、人の心に共感できる人材のようだ。円滑な人間関係を築くスキルはロボットにはないものだ。

コルビン氏は「21世紀に必須の究極的なスキルは共感」と断言している。これはともすれば、ネットやゲームに熱中し過ぎて1人の世界にこもりがちな現代人の苦手とするスキルなのかもしれない。IT業界のSE(システム・エンジニア)は当分仕事をしていけるが、将来有望な職種は人を動かし、統率していける人物らしい。 これだけを聞くと、21世紀は合理主義からロマン主義に逆戻りするようにも思えるのだが・・・いかがだろうか。

 

 

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2015年08月09日

テクノロジー失業 No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44431

ロボットが人間の職を奪う時代がついに到来 米国で壮年男子の失業率は11.5%、テクノ失業が原因
テクノロジー失業(以下テクノ失業)が広がっている。この言葉は2年ほど前から広く使われはじめ、コンピューターやインターネットの発達によって人間が仕事を奪われることを意味する。言葉は新しくても、雇用市場ではすでに何年も前から情報技術の進歩によって事実上の解雇が発生してきた。これまで3人でこなした仕事をIT技術の導入によって、2人でできるようになり、1人が解雇されればテクノ失業になる。この潮流が今後はさらに加速してくる。

特に米国でその流れが顕著だ。8月4日に米国で出版される『Humans Are
Underrated(ロボットに負けた人間:拙訳)』の著書ジェフリー・コルビン氏は、人間が作り出したコンピューターやロボットによって、今後は加速度的に仕事を奪われていくと予測する。 同書は出版前から米国で話題を集め、21世紀の人間と機械との住み分けを示す内容になっている。コンピューターが社会に根を下ろし始めて久しいが、今後はロボットが人間社会に深く関与してくるというのだ。

発売開始1分で完売した「ペッパー」
それはまぎれもなくロボットに職を奪われることでもある。第1次テクノ失業の要因がコンピューターならば、第2次テクノ失業はロボットと言えるかもしれない。今月に入って日本でも、ロボットの話題が続いた。ソフトバンクが売り出した感情認識ロボット「ペッパー」は、初回生産1000台だったが、発売開始から1分もたたないうちに完売となった。長崎県佐世保市にあるハウステンボスにオープンした「変なホテル」では、ロボットが接客する奇抜さが話題になっている。

東京都千代田区にある日本外国特派員協会に所属する外国人記者たちは、新しいロボットを「日本らしさ」と捉えて本国に記事を送った。友人のドイツ経済紙の記者は、「すでに3本も書いた。モダンな日本を象徴するニュース」と好意的に伝えている。 英インディペンデント紙は、「ロボットが社会で本当に役立つ存在になれるのか、それとも単なる物珍しさの域で終わってしまうのかの大きな分岐点」と冷静な見方を示した。

進歩し続けるロボットの可能性に思いを馳せると、人間はもっと真剣に危機感を抱くべきなのかもしれない。20年後、人間は確実に「ロボットからの上から目線」を感じることになるだろう。 前出のコルビン氏は米国ではすでにテクノ失業が起因して解雇が増えていると書いている。今年5月の米失業率は5.5%(米労働省)だが、コルビン氏によると25歳から54歳の男性の実際の失業率は11.5%になるという。その要因がテクノ失業で、この数字は今後も増え続けていくようだ。

冷静に考えれば、機械ができる仕事で、しかも人間よりも正確に、さらに迅速に職務をこなせれば機械に任せる方が得策ではある。例えばテラーと言われる銀行の窓口業務は今やネットバンキングに移行しつつある。すでに数字に現れている。マッキンゼー・グローバル・インスティテュートの調査によれば、2001年から2009年までで、全米のテラー数は約70万人も減少した。

 

 

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2015年08月08日

「池袋の天狗」が「定食店のおやじ」に戻った日 No2

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http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/269473/073000009/

店での接客や調理はいつしか従業員任せにして、格好を付けて当時はやっていた大皿料理の居酒屋を出したのです。うまくいくわけもなく、居酒屋は大失敗。わずか1年で閉めました。 追い打ちをかけるように、3店目の東京・吉祥寺店が従業員の不注意から、火事で全焼してしまった。直接の原因は従業員にあるかもしれないが、経営者の私が店を従業員任せにしていたから、起こるべくして起きたのです。

従来の定食店のイメージを打ち破る
この2つの出来事は浮ついていた私を戒めました。自分は定食店の店主にすぎない。社長だと偉ぶるのではなく、定食店のことだけを考えてしっかり働こう、店の全焼も前向きにとらえるんだと、自らを叱咤しました。3号店を再建するときに、従来の定食店のイメージを打ち破るような店舗をつくろうと思い立ちました。明るくきれいな店にすれば、女性客も来てくれるのではないかと考えたのです。私も再び店に入り、調理や接客をしました。店は半分以上が女性客で埋まり大成功。

私は気持ちを引き締め、それからも午前中は店で働き、午後に社長の仕事をすると決めて、その後5年間これを守りました。「自分は定食屋のおやじ」だと、今も自分に言い聞かせています。池袋の定食店の成功は、若かった三森さんを天狗にした。しかし、居酒屋の失敗と店舗の火災で反省を余儀なくされる。これが、その後の大戸屋発展の土台になるのだが、ただ、人生においてこうした大失敗に直面しても、誰もが素直に自らの非を認め、その失敗をエネルギーに転換できるわけではない。

15歳で養子に。父を心から尊敬していた
実は三森さんは養子だった。15歳のとき、子供のいなかった伯父の養子になる。店の見てくれは悪かったとはいえ、裸一貫から繁盛店をつくり上げた父のことを尊敬し、父も三森さんをとてもかわいがったという。だから三森さんは、父が残した定食店を発展させることが恩返しになると考えていた。どんなに店を繁盛させても、「汚い定食店のおやじ」としか見られることのなかった父。その父に向けられる世間の目を変えるには、老若男女が「こんな定食店に行きたかった」と思ってくれる店をつくるしかない。

父に対する尊敬の念があったから、一時、天狗になっていた若者は、「定食店のおやじ」に立ち戻ることができた。あくまでも「定食店のおやじ」として、新しい定食市場を切り開いていこうと、自らに誓ったのだ。経営者としての三森さんの信念が一切ぶれることはなかったのは、こうした理由からだ。その謙虚な姿勢で多くの人に私淑して学ぶことを怠らず、そして多くの人を引きつけた。和食が世界に広がる今、ますます三森さんの活躍が見られると思っていたのに、残念でならない。

 

 

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2015年08月07日

「池袋の天狗」が「定食店のおやじ」に戻った日 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/269473/073000009/

大戸屋ホールディングスの三森久實会長を偲ぶ
1957年山梨県生まれ。15歳のとき、東京・池袋で「大戸屋食堂」を経営する伯父の養子になる。79年に店を継承し、83年大戸屋設立。2001年株式上場。05年タイのバンコクに海外1号店を出店。その後、台湾やインドネシア、米国にも出店。15年7月27日逝去

定食店チェーンのパイオニア、大戸屋ホールディングスの三森久實会長が7月27日、57歳の若さで逝去した。女性が気軽に入れる新しい定食店のスタイルを確立し、国内だけでなく、タイをはじめ海外にも展開。店舗数は計400店を超えたが、持ち前のベンチャースピリットは衰えることがなく、最近は米国市場開拓の陣頭指揮を執っていた。外食業界に大きな足跡を残した起業家を、生前のインタビューと共に振り返る。初めて三森さんを訪ねた日のことは忘れられない。

1999年1月、冷たく激しい雨が打ち付ける日だった。当時の大戸屋(後の大戸屋ホールディングス)の本社は、東京郊外の私鉄駅(西武新宿線田無駅)から15分ほど歩いたアパートの一室にあった。 大げさに言っているのではなく、正真正銘のアパートだったと記憶している。しかも、お世辞にもきれいとはいえず、昭和の苦学生が住んでいそうな、老朽化したアパートだった。 既に30店ほど定食店を展開し、急成長企業として耳目を集めていたので、華やかなイメージとのギャップにかなり驚いた。

本社前で合流予定だったカメラマンを待つ場所に困り、仕方なく来た道を戻り、コンビニで雨と寒さをしのいだ。「なかなか、レトロな感じの事務所ですよね」 にこっと笑って答えてくれた 取材の冒頭で、
嫌味に聞こえるかもしれないと思いつつ、婉曲的にそう尋ねてみた。すると三森さんは、にこっと笑った。「ははは。でも、すごく居心地がいいんですよ。この部屋で一人静かに、各店から届くお客様のアンケートを読んでいると、反省をさせられるし、いろいろな考えも浮かんでくるんです」

そう言って、狭い部屋の一角にどっさりと、しかし丁寧に積み上げられたアンケートの山を指差した。30店も展開していたら、ちょっといい気になってもおかしくないのに、この三森さんという経営者のストイックさは普通ではないなと思った。その後、本社は企業規模に相応しい建物に移り、株式上場も果たした。本社こそ立派にはなったが、何度取材しても、三森さんに偉ぶるところはなかった。定食店の経営が楽しくて仕方ないという様子で、古びたアパートにいた頃と同じように、店に寄せる思いをいつも話してくれた。

なぜ、三森さんは自らを律することができたのか。なぜ、経営者として成功したのか。2007年のインタビューで、その転機を語っているので、全文を紹介する。1958年に東京・池袋で父が始めた「大戸屋食堂」は、安さだけが取りえの大衆食堂でした。お世辞にもきれいとは言えない造りで、料理や接客のレベルも、当時の池袋周辺では一番劣っていたはずです。 父の死に伴い、79年に店を継いだ私は20歳そこそこの若僧で、無我夢中で店に立ちました。

当時の定食店ではどこも使っていなかったような立派な食器に変えたり、のりの佃煮の瓶詰を“ボトルキープ”するといったアイデアをどんどん実行しました。客足は着実に伸び、気が付けば行列ができるほどの人気店に。お金も貯まり、2号店、3号店を出せました。東京・池袋の1号店。三森会長の養父が1958年に開業した「大戸屋食堂」が前身だ  その頃、私はまだ30歳前。経営な
んて簡単じゃないかと、自分の力を過信しました。

 

 

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2015年08月06日

マグロが回転寿司から消える日がやってくる!? Mo3

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もちろん、今、いい食材の確保が難しくなりつつある現状があり、良質な食材の価格は上がり続けている。結局のところ、我々はマグロを食べ過ぎていたのだ。高級品ではない回転寿司のマグロだって、そう遠くない未来に食べられなくなる。そうしてマグロは富裕層の口にしか入らないものになる。このままいくと食文化は一部のエリート層のものになっていくのかもしれない、とも思う。

国の動きを待っていては遅い 消費者がマグロを守るためにできること
日本の漁業については一部の養殖などをのぞき、明るいニュースがあまりない。少し前の話だが、北欧から来日したシェフの料理を賞味する機会があった。そこで食べたノルウェー産のホタテ貝に驚いた。身が緻密で、味わいが特別に深い。「ノルウェーは水温が低いので、成長がゆっくり。だからその分、身が緻密で美味しい」のだとシェフは説明した。つまり、ノルウェーでは育成期間を充分にとって、高付加価値の商品をつくっているのだ。

漠然と日本の魚介類の質は高いと思っていたが、そうとばかりも言えないようだ。例えば鯖である。スーパーではノルウェー産の鯖を買うことができるが、消費者がそれを選ぶのはもちろん「美味しいから」だ。日本の鯖の質が低いわけではない。銚子で『極上サバ』という大きく育った鯖を食べたことがあるが、脂の乗りもよく格別の美味だった。食べるためにわざわざ銚子を訪れる価値のある味である。しかし、そうした成長した鯖はそう多く獲れない。

休漁などの一応のルールはあるものの、巻網で鯖をとりつくす乱獲が続いていて、鯖が大きく育つまで待つことができないのだ。こう書くと漁業者が悪いような気がするが、そうとも言い切れない。銚子が獲らなければ、他所が獲るだけだからだ。コモンズの悲劇の典型的な例だ。以前『ニッポン 食の遺餐探訪』という連載のなかでも書いたが、それを防ぐ
には個別割り当て方式に代表される漁獲規制を導入するべきだ、という意見がある。個人的には僕も賛成だ。

しかし、濱田武士氏の『漁業と震災』という労作を読むと「なるほど」と納得させられる。濱田氏の意見は「個別割り当て方式を導入しただけで、問題が解決するわけではない」というものだ。 『漁民みながそのような行
動をとれば(中略)大型魚の乱獲が発生し、価格暴落に繋がることにならないであろうか。そもそも水産資源の減少の原因は漁獲の行き過ぎだけではない。海そのものの環境劣化の進行などにも求められる』

おそらくどちらも正しいのだろう。規制をつくらない国が駄目だ、という意見は正しいが、有効ではない。『失われた20年』が証明しているように、この国で政治が有効に機能したことなどないからだ。さらには企業の力が大きくなるうえで国家のプレゼンスは低下の一途をたどっている。こうした状況で国に期待するのは愚かだ。とりあえず今、大事なことは「我々でできること」と「国がやるべきこと」を分けて考えること。

国が動くのには時間がかかるので、我々は我々でできることを考えるべきで、それは例えば持続可能性のある食材を選択して食べるということだ。月並みな結論かもしれないが、妙な正義感で漁業者や魚の需要が伸びている諸外国を批判するよりはよっぽど有意義だ。資本主義の世界では、消費者は力を持っている。その力をどのように行使するか、ということを考える余地はまだある。

 

 

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2015年08月05日

マグロが回転寿司から消える日がやってくる!? Mo2

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戦後、世界中のマグロが築地に集合!マスコミが“江戸の文化”を全国区に
さて、時代は下り、漁の技術も進歩していく。江戸時代に生まれたマグロ漁だが、昭和初期には大きく発展する。アメリカ向けのツナ缶の輸出が好調だったからだ。芸術家で美食家としても知られる北大路魯山人は「鮪を食う話」という随筆のなかで「米国では鬢長まぐろのサンドイッチを発明してこれが流行した」と書いている。戦後になり日本人が豊かになると国内での消費が増えはじめる。冷凍技術の進化を背景に世界中のマグロが築地に集まるようになった。

マグロをはじめ『魚離れ』を水産庁の人は喧伝するが、ここ数年をのぞいて魚の国内消費自体は割に堅調に推移している。ここ数年の減少は経済的な理由によるものもあるだろう。大きく変わったのは消費の割合だ。かつて、家庭で消費されていた魚は、外食など外で食べるものになった。例えば一昔前ならこんなに回転寿司は多くなかったから、実感として理解できる。今回、規制が検討されたクロマグロは高級寿司の世界の花形だ。

以前、ある北海道の寿司屋が東京に進出したのだが、その理由は「築地からマグロを仕入れるため」だそうだ。いいマグロを仕入れるためには仲買との付き合いが必要で、そのための東京進出だという。マグロは本来的には東京(江戸)の文化だ。関西人の魯山人は「まぐろは下品で食通を満足させるものではない」と言っているが、他の地方ではいいマグロは手に入らない。関西では秋に規制の対象になったヨコワ(幼魚)を食べる習慣があるものの、マグロは珍重されてこなかった。

今は関西でもマグロは人気だ。戦後のメディアの発達などにともない東京の文化が全国に広まり、さらには回転寿司などの普及があいまって、マグロは日本中で食べられるようになったのではないだろうか。

海外のレストランは「マグロ外し」へ 日本の料理人は“持続可能性”を考えているか

マグロ資源が枯渇しかけていることは前述したが、僕が気になっているのは寿司店だけではなく飲食店の動きが鈍いことだ。国外ではレストランのメニューからマグロを外す動きがある。世界57ヵ国の高級ホテル・レストラン475軒が加盟する組織「ルレ・エ・シャトー協会」は2011年に加盟している飲食店やホテルのメニューからクロマグロを外すように要請しているし、有名シェフのアラン・デュカスも資源量が充分にある魚にフォーカスしたレストランを計画しているそうだが、食文化を守り、また楽しむ上で持続可能性は無視できなくなってきている。

TEDカンファレンスに登壇したシェフのダンバーバー(TED『魚と恋に落ちた僕』)やアーサー・ポッツ・ドーソン(TED『持続可能なレストランへのビジョン』)をはじめ、諸外国では環境への配慮をはじめ、生産と消費の橋渡し役として料理人は期待され、また活躍しているが、翻って日本の状況は暗い。サスタナビリティまで考えて食材を選んでいるレストランがどれだけあるだろうか、というと心もとない。

以前、料理の専門誌を読んでいて、ある鼎談が目に止まった。料理人とそれ以外のジャンルから識者を招いての鼎談だったのだが、その席で料理人が「サスタナビリティってなんですか?」と発言していたのだ。言葉すら知らないという現状。困ったことに、この方はそれなりに著名なシェフなのだ。問題はマグロだけではない。資源が心配されている魚は他にも多い。鯖だって取り尽くす勢いだし、秋刀魚にだって外国船の乱獲やレジームシフト(数十年単位で潮の流れが変わる現象)による影響など不安要素はある。

 

 

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2015年08月04日

マグロが回転寿司から消える日がやってくる!? Mo1

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http://diamond.jp/articles/-/59404

今年の夏はいたるところでうなぎが話題にのぼった。6月に国際自然保護連合(IUCN)の絶滅危惧種に『ニホンウナギ』が指定されたからだ。さすがに「もう食べられなくなる」という危機感を抱いた人も多かっただろう。しかし、あいかわらず牛丼チェーンには「うな丼」が並び、スーパーでは蒲焼きが大々的に売りに出されていた。そうした場所で売られている多くは中国などで養殖飼育された『ヨーロッパウナギ』である。『ヨーロッパウナギ』も数年前にワシントン条約の対象になり、2010年にはIUCNの絶滅危惧種に指定されている。結局、日本人はウナギを絶滅寸前までせっせと食べ尽くしてきたわけだ。

そして、今度はマグロだ。日本でも以前からマグロ資源については心配されていたものの、その対策に本格的に取り組んできたわけではなかった。例えば『92.6%』という数字がある。これは太平洋で漁獲されるクロマグロのうち、ヨコワ(幼魚、関東での呼称はメジマグロ)の占める割合だ。ほとんど稚魚のうちに獲っていることがわかる。味がのるとされる四歳魚以上の割合はわずか1.2%、卵を産む前の子どもの段階で獲りつくしているわけだ。

日本は世界のクロマグロの世界総生産量の8〜9割を消費していると言われるので、資源の枯渇は「日本人のせい」ということになる。ちょっと肩身が狭い話だ。今回、中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)で「未成魚(30キロ未満)の漁獲を2015年から半減させること」に合意した。資源回復にむけての第一歩を踏み出した格好である。ただ、この合意では幼魚を獲ることを控えただけだから「資源量は回復しない」と言われており、産卵場付近で漁がおこなわれていることなど今後の課題も多い。

今回、対象となったのはクロマグロだが、乱獲により絶滅の危機に貧しているのはそれだけではない。絶滅危惧種を記載したIUCNレッドリストにも全部で8種類あるマグロのうち5種が登録されているというから深刻である。マグロ資源の減少はクロマグロやミナミマグロといった高級マグロだけにとどまらず、すべてのマグロ類が乱獲により減少していることが報告されている。

明治時代、日本人は魚を食べていなかった!? マグロ消費を伸ばした醤油の存在
漁業問題はとりあえず横に置いておいて、日本人と魚との関わり、食文化に目をむけてみよう。意外かもしれないが昔の日本人はそれほど魚を食べてこなかった。明治時代末期(1910年)の一人あたりの年間消費量はわずか3.7キロで現在の10分の1程度だった。魚を食べていたのはあくまで都市部や沿岸の一部の話。保存技術も流通も発達していない時代、滅多に食べられない貴重品だった。

日本人が魚を多く食べるようになったのは戦後になってからで、いわゆる「魚食」が普及したのは1950年代からだ。これは冷蔵庫の普及が大きく関係している。冷蔵庫が普及したことで沿岸部以外の場所でも日常的に魚が食べられるようになった。一般的にはマグロは江戸時代から食べはじめられたと言われているが、江戸都市部の限定的な話で、日本中で食べられていたわけではない。マグロの消費が増えはじめたことの理由として考えられるのは醤油の普及である。醤油は赤身の魚の生臭さを消し、また漬けることにより保存性も高まった。

この頃、好まれていたのはもっぱら赤身。 「ねこまたぎと言われて猫も食べないなんて言われていたんだ。トロは捨ててたらしいよ」というのは寿司屋でおじさんがかなりの高確率で披露する薀蓄である。もっとも明治を舞台にした志賀直哉の『小僧の神様』には「鮪の脂身が食べられる頃だね」というくだりがある。マグロのトロを食べたいのだけれど「でも最近は高くなってしまって……」と登場人物が残念そうに言う。

落語の『目黒のサンマ』や『ネギマの殿様』の例を引くまでもなく、脂を美味しいと思うのは人間の本能だから、下品だといいながら喜んで食べてはいたのかもしれないと思う。

 

 

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2015年08月03日

孤高の食材、こんにゃくのイノベーション No4

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従来のこんにゃくもほとんどが水分なのだが、「凍結組織化法」では、さらにコンニャクマンナンの比率を減らし、1%未満とする。 従来の製法だと、コンニャクマンナンの濃度が1%未満では濃度があまりに低いため、アルカリを加えても固まらない。しかし、「凍結組織化法」では、アルカリを加えた液を凍らせるのである。すると、氷になり始めた部分からはコンニャクマンナンとアルカリが追いやられ、まだ氷になっていない水の部分に凝集する。この凝集した部分でゲル化が起き、結果としてスポンジのような性質のこんにゃく加工品が生じる。

「でんぷんなども加えて、食感をしっかりさせました。ナタデココのような加工品になりました」 滝口氏が示してくれた試作品を食べてみると、確かにナタデココのような食
感を覚えた。明らかにこんにゃくの食感とは異なる。 「凍結組織化法」はどのように誕生したのか。実は、食材の開発とは異なる目的で研究をしていたところ、この製法が生まれたのだという。 「こんにゃく粉が海外から不正輸入されることがありました。

ほかの白い粉と混ざると、こんにゃく粉がどのくらい含まれているか分かりません。こんにゃく粉の含有量を検査するため、こんにゃく粉だけを取り出せないかと考えていたのです。粉を薄く水に溶かしてアルカリを加えて冷凍してみたら、こんにゃくの部分だけ固まりました」

こんにゃくとはまったく別のイメージを目指す
滝口氏は、群馬県立産業技術センター定年退職後もフリーランスの立場で、こんにゃくの原料を生かした食品の研究開発を続けている。 「コンニャクマンナンの繊維は水溶性と不溶性の両方の機能をもっています。こんにゃくは不溶性の機能によって作られますが、固まらせる前の水溶性をうまく活用することができれば、面白い食品になると考えています」 現在は、群馬県内にある食品メーカーとともに共同開発を行っている。

まだ、研究開発段階であるため、詳細はまだ明らかにできないというが、凍結組織化法とはまた異なる製法の開発にも着手していると話す。 「基本的には、こんにゃくの粉と凝固剤と水から構成される食品になりますが、いわゆるこんにゃくとはまったく別のイメージのものを目指しています」 もう1つ、滝口氏は、サプリメントのような食品にすることは考えていないことも付け加える。「昭和時代に、こんにゃく粉のまま水に溶かして飲むことがはやったことがあります。

しかし、いくら健康のためとはいえ、そのような飲み方では長続きしないと思います。身近な食べ物として食べていただくことが、長続きする道だと考えています」 今後、こんにゃくと同等の保存性をもたせるなどの課題を解決していけば、商品化が現実的になるという。

まだまだ未発掘の機能があるこんにゃくの原料
前篇で紹介したとおり、日本のこんにゃくは中国から伝来したものと考えられている。その中国では現代、日本で見るような板こんにゃくや糸こんにゃくがさほど食べられていない。こんにゃくという食べものを見たことのない中国人もいるという。
ところが滝口氏によると、こんにゃく芋の生産量は中国が日本を上回っているという。中国の人口が多いことや、日本市場に輸出されていることもあるだろうが、実は、中国国内にはこんにゃくにするのとは別の用途があるのだ。

「中国では、こんにゃく粉がソーセージやハムなどの結着剤として使われています。ヨーロッパなどへ輸出されているとも聞きます。自由な発想で食材を開発する点は学んでよいのではないかと考えています」 製法の革新といったイノベーションを経て、日本のこんにゃくは日本人に定着化していった。将来、そのこんにゃくが日本人にまったく食べられなくなるとことはまずないだろう。 一方で、定着化がこんにゃくの固定的なイメージが生まれた結果、こんにゃく芋やこんにゃく粉の利用法は限定的なものであり続けることになった。

「こんにゃくの原料には、まだまだ未発掘の機能があると考えています」 固定化したイメージの打破がなされたときこそ、現代の“こんにゃくイノベーション”が果たさ

 

 

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2015年08月02日

孤高の食材、こんにゃくのイノベーション No3

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42254

おでんなどに欠かせない食材「こんにゃく」の歴史と科学を、前後篇で追っている。前篇では、「こんにゃく史上最大の革新」とも言える、江戸時代のイノベーションを紹介した。生芋から作っていたこんにゃくを、粉から作るようにすることで、原料運搬などの効率が格段に高まり、また、冬場も含めて通年の流通が可能となった。こうして、こんにゃくは広く人びとに浸透していったのである。 日本人にとって定番の食材の1つとなったこんにゃく。いまや「こんにゃく」と聞いて、そのイメージを思い浮かべられない人はいないだろう。

しかし、固定化されたイメージが、逆にこんにゃくのもつ潜在的な可能性から目をそむける結果になっていないだろうか。 後篇では、こんにゃくのイメージを打破して、新たなこんにゃく製品を開発しようとしている人物に登場してもらう。未来食品研究所(群馬県)の滝口強氏は、こんにゃくの主成分の潜在力に着目し、新たな形態のこんにゃく加工品の開発を目指している。こんにゃくのイノベーションは再び起きるだろうか。

伝統食材ゆえの固定観念を打破したい
こんにゃくは、かねてから「腹の砂下し」などの効果が言われ、健康に良い食材とされてきた。現代も、食物繊維が豊富で、かつカロリーがほぼゼロといったことから、ダイエットや健康な食生活のお供として定評がある。ところが、こんにゃくの消費量は年々低下傾向にあるのだ。昭和40年代の水準からすると、1世帯あたりの消費量は半分を切った。2007年から2012年の5年間でも5%減となっている。原料となるこんにゃく芋の生産量も減っている。

昭和40年代、全国での年間生産量は10万トンを超えていたが、近年では5万トン台まで落ち込む年もある。健康志向が高まる昨今でありながらも、こんにゃくがあまり食べられていない。この現状をどう考えればよいのか。 「こんにゃくを使う一般的な料理は、おでんや煮物などがあるくらいで、限られています。日本人は伝統的にこんにゃくを食べてきたから、こんにゃくの粉はこんにゃくになるものという固定観念が強いのでしょう」

滝口強氏。未来食品研究所主宰。群馬県に入庁後、群馬県立産業技術センターに勤務。こんにゃくを始めとする群馬県の特産品を普及させるための農作物や食品技術に関する研究を進めてきた。2011年、上席研究員を最後に群馬県を定年退職後、未来食品研究所を発足させ、技術士(農業部門、 生物工学部門)として活動中。日本技術士会会員。

滝口氏はこう話す。氏は、現在こんにゃく生産量9割を占める群馬県の県立産業技術センターで上席研究員などを務めてきた。2011年に定年退職した後も、「こんにゃく業界への恩返しの思い」から、独立してこんにゃくの加工品などの研究開発に取り組んでいる。 伝統的な食材には、作り方や食べ方の固定観念も強くなる。こんにゃくはそうした食材の1つだというわけだ。 「こんにゃくの食感などを変えるなどすれば、もっとさまざまな料理に使えると、私は考えています」

こんにゃくと異なる食感をこんにゃく成分から実現
こんにゃくをこんにゃくたらしめている主成分に「コンニャクマンナン(グルコマンナン)」がある。グルコース(ぶどう糖)とマンノースとよばれる物質で構成される。白い粉状になったコンニャクマンナンを水と混合すると膨張し、粘稠性のある液になる。これにアルカリを加えると、こんにゃく芋の“えぐみ”が消える。それとともに、グルコースとマンノースが多数つながった鎖状分子が網状構造を形成し、液がゲル状に固くなる。なお、過去はアルカリに草木灰の灰汁(あく)が使われていたが、近年では消石灰や炭酸ソーダなどが使われている。

群馬県立産業技術センター勤務時代、滝口氏は「こんにゃくの機能はそこそこ認知されているにもかかわらず、食べられていない。このままでは現在の製品に未来はない。コンニャクマンナンを素材にした新しい食品の開発が必須」と認識した。こうした危機意識のなかで開発したのが、コンニャクマンナンの固化の仕方を工夫した「凍結組織化法」という製法だ。 従来のこんにゃくの製法では、水に対してコンニャクマンナンを約3%混ぜてこんにゃくを作る。

 

 

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2015年08月01日

孤高の食材、こんにゃくのイノベーション  No2

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そうした中で現れたのが、常陸久慈郡諸沢(いまの茨城県常陸大宮市)に住んでいた藤右衛門(とうえもん、1745〜1825)という農民である。ある日のこと、藤右衛門は、鍬で切られて剥き出しとなったこんにゃく芋の表面が白く乾燥しているに気づく。その気づきをもとに、こんにゃく芋を輪切りにして、串に刺して乾燥させて、砕いて粉にすることを思いついたのである。これがこんにゃくの歴史に革新をもたらす。山村から街まで売りに、重いこんにゃく芋を運ぶのは過酷な作業だったにちがいない。

こんにゃくの歴史などに詳しいライターの竹内孝夫は、藤右衛門の子孫が住む家を尋ね、7代下にあたる家族から「藤右衛門はこんな山奥からこんにゃく玉を売り歩くのは容易じゃないというんで、粉にすることを思いついたんですよ」という話を聞き出している(講談社『本』2003年3月号より)。 乾燥したこんにゃく粉であれば、こんにゃく芋の生玉にくらべて約10倍濃縮した状態で運べる。極めて効率よく、こんにゃくの原料を売ることができたのである。

藤右衛門や村の農民の生活はこれで潤った。この功績により、藤右衛門は「中島」の姓を授けられた。茨城県久慈郡大子町には、中島藤右衛門を祀った「蒟蒻神社」も建てられた。中島藤右衛門が及ぼした影響は、自分や家族、村の農民にとどまらない。乾燥した粉の状態にしておけば、こんにゃく芋の弱点である寒さのなかでも貯蔵することができる。原料が粉になったことで、こんにゃくは短い期間に収穫地の近くのみでしか食せない食材から、1年を通して全国の広い範囲で食せる食材に変貌を遂げたのである。

こんにゃくで100通りの料理を楽しんだ江戸庶民
こんにゃくにこのような革新が起きたことで、こんにゃくは庶民の食べものとしてさらに普及していった。こんにゃくのもてはやされぶりは江戸時代の書物にも伺える。1846(弘化3)年、嗜蒻陳人(しにゃくちんじん)という雅号の人物が、『蒟蒻百珍(こんにゃくひゃくちん)』という料理書を出した。 江戸時代、1つの食材で100種類ほどの料理を紹介する書物「百珍物」が流行した。以前「豆腐」を取り上げた回では『豆腐百珍』を紹介したが、その刊行から64年後に世に出たのが『蒟蒻百珍』である。

これほどの年月を隔てて「百珍物」が出たのは、百珍物の根強い人気とともに、こんにゃく自体が人気者になっていたためだろう。『蒟蒻百珍』を見ると、いまも食べられている料理として「田楽」がある。「大きさこのみにより串にさし 味噌
に焼目つくを度とす」などと記されている。 変わったところでは、お菓子のような「砂糖豆」という名前の料理もある。「こんにゃくをゆでて包丁のむねに叩きよきほどに丸めつなぎは葛の粉をもちひさつと湯に透し黒胡麻味噌にてあへる」。

また、『蒟蒻百珍』で少なからず紹介されている料理が、こんにゃくを揚げる調理法である。例えば、「あられ」というこんにゃく料理では、「小角に切り、いかき(ざる)に入れ強く振り廻すれば、角丸くなるをさっと揚げ」とある。炒って揚げることで丸みを帯びたこんにゃくを、薄醤油、生姜の絞り汁、わさびなどとともに食べるものだという。いま再現してみれば、美味しく味わえるのではないかと思えるこんにゃく料理が多くある。

「百珍」と銘打つからには、当時の庶民も知らないこんにゃく料理も多かっただろう。しかし、そうであっても「こんにゃくでこんな料理もできる」と紹介されたのは、こんにゃくがそれほど庶民の食材として定着していたことを物語っている。

定番になるほどイメージも固定化される
こうして、粉にして作るという製法面での革新や、「百珍物」という料理本の刊行により、こんにゃくは日本人にとって欠かせない食材の1つとなった。灰色のぷるるんとした食感の食材は、こうして定着していったのである。いまや、こんにゃくといえば誰もがその姿を思うかべられる。四角い姿の板こんにゃくや、細くして鍋などに使う糸こんにゃくや白滝などだ。 しかし、定番としての印象が強くなればなるほど、定番の姿から抜けだして新たな製品を考えることは難しくなる。「こんにゃくといえば、この形、この料理」という固定化されたイメージは、今の今まで長らく続いてきた。

 

 

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2015年07月31日

孤高の食材、こんにゃくのイノベーション  No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42193

こんにゃく。弾力ある歯ざわりが好まれ、田楽白和えやおでんなどに用いられる。 「食感」がとりわけ特徴的な食材がある。口に入れたときの歯ざわりと噛みごたえ、そして舌が受ける感触。食感が独特であればあるほど、その食材はほかの食材と一線を画し、孤高さを感じさせるようになる。 「こんにゃく」は、そんな食材の代表格と言えるのではないか。例えば、おでん。がんも、きんちゃく、大根、ちくわ、はんぺん、卵と面子が揃う中で、こんにゃくは灰色の体で異彩を放っている。

食べれば、歯ざわりでぷるぷる感を覚え、舌であの独特な風味を覚える。こんにゃくを食べるときだけは、ちょっとだけ「ちょっと違う具を食べる」といった意識を持つ人もいるのではないか。 こんにゃくはいまが旬と言える。11月は、こんにゃくの原料であるこんにゃく芋の収穫時期。消費量も11月から12月にかけてが毎年ピークとなっている(総務省統計局調べ)。そこで、今回は「こんにゃく」をテーマに、日本人との関わりあいの歴史を追うとともに、こんにゃくに加えられている現代の科学技術をお伝えしよう。

全篇ではこんにゃくがどのように日本人の食材として定着していったのか、その変遷をたどってみる。後篇では、こんにゃくの成分に着目し、新たなこんにゃく加工品の開発に取り組んでいる未来食品研究所(群馬県)の滝口強氏に、今後のこんにゃく産業の活路を聞くことにする。

「おでん」の元祖はこんにゃく料理だった
こんにゃくの原料であるこんにゃく芋は、中国大陸から日本に伝わった。ただし、来歴の明確な記録はない。一説には縄文時代、里芋とともに渡ってきたという説がある。もう1つの説では、仏教伝来(538年)から遣唐使廃止(894年)までのいつの時かに、大陸から茶などとともに入ってきたのではないかとされている。 「蒟蒻(こんにゃく)」が初めて記述された国内の文献は、平安時代、承平年間(931〜938)に成立した辞書『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』である。

中国で3世紀につくられた詩を引用する形で、「蒟蒻 文選の蜀都賦の注に云う、その根は白く、灰汁(あく)をもって煮れば、すなわち凝成す、苦酒をもってひたしこれを食す、蜀人これを珍とす」とある。「蜀」はいまの四川省のことだ。灰を水で溶かした灰汁で煮て固めるというこんにゃくの作りかたは、中国ではすでに3世紀にはあったことになる。かつて日本では、「こんにゃく」に「古邇夜久(こにやく)」の和名が与えられていた。

1006(寛弘3)年成立の『拾遺和歌集』には、「野を見れば春めきにけり青葛(あおつづら)こにやくままし若菜摘むべく」と「こにやく」が載っている。 鎌倉時代以降になると、僧侶の精進料理の食材としてこんにゃくが食べられた。1330(元徳2)年には、僧の玄慧が著したのではとされる庶民教育の教科書『庭訓往来』に「糟鶏(そうけい)」という料理が記されている。こんにゃくをたれ味噌で煮た料理であり、これが「おでん」の元祖であると言われている。 

しかし、元をただせば日本ではこんにゃくは薬だった。江戸時代に至っても、1712(正徳2)年成立の百科事典『和漢三才図会』に「俗に云う蒟蒻能(よ)く腹中の土砂を下し」とあり、こんにゃくの整腸作用が述べられている。薬用の効果が言われたことが、庶民の食材として定着するきっかけの1つだったようだ。

こんにゃく芋を粉にするという技術革新
庶民の食材となった経緯のなかでもう1つ、“こんにゃくの革新”とでも言うべき重大な出来事が起きる。 江戸前期の1750年代まで、こんにゃくの製法と言えば、まずは、こんにゃく芋を摺りおろすことからだった。そこに、えぐみの除去とこんにゃくの固化の両方の目的で灰汁(あく)が加わる。しかし、この製法では、こんにゃく芋を収穫してからすぐにこんにゃくにして食べるしかなかった。こんにゃく芋は寒さに弱く、日持ちしないためだ。

 

 

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2015年07月30日

「下仁田納豆」が教えてくれる日本の食の未来 No5

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ということは(納豆菌を増やすため)タレや辛子は41度に23時間、必ず晒されます。そのためその温度に耐えられるような工夫が色々と必要になってきます。だから、我々ははじめからつけないか、あるいは後から添えるという形にしています」
納豆菌が増える温度帯は食品が傷みやすい時間だ。聞くまで気がつかなかったが、タレがついていないのにはちゃんと理由があるのだ。細かな工程にも気を配ること、疎かにしないこと。小さな蓄積が味の違いを生む。

結局のところ、食べものというのは素材と加工という二つの要素しかないのかもしれない。そこをどこまで突き詰められるか、だ。

──この仕事を続けるなかで一番大事なことってなんですか?
「やっぱり納豆が好きってことじゃないかな。好きこそものの上手なれじゃないけど、私なんかなんでも納豆の話になっちゃう。変な話だけどなにを考えていても納豆になっちゃうんですよ(笑)。例えば若いころ車が好きだったんですけど、友達とフェラーリについて話すとするじゃないですか。私なんかつい『俺は納豆業界のフェラーリになりたいね』と言っちゃうわけです。釣りの話をしていても『納豆でいえばね……』ということになっちゃう(笑)」

生産者の梶さん。「大豆の自給率って低いじゃないですか。僕たち結構な量つくっているんですけどね(笑)」。大豆の自給率が低いのはカロリーベースで計算されるため、油脂用に使われる輸入の割合がどうしても高くなるからだ。油目的の外国産と食べるためにつくられた国産では美味しいのは当然、後者だ 取材の日はたまたま北海道から大豆の生産者であるK’sFARMの梶宗徳さんが訪れていた。

梶さんは北海道十勝で、ジャガイモやビート、大豆や小麦などを生産している。梶さんは柔和な笑顔を浮かべながら「青大豆は背丈が高くて収穫が面倒だから、生産量が少ないんですよ」と教えてくれた。

──工場を見られてどうですか?
「実際に使われている現場を見ると、やっぱり嬉しいです。うちでつくったのがこんな風になっていくのかな、と」「こういう現場同士の繋がりみたいのが今はなくなってきちゃっているのかな」と南都社長が言う。「人と人との繋がりが一番大事ですよ。みんな志持ってやっているから、日本の食の未来は暗くないと思います」

 

 

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2015年07月29日

「下仁田納豆」が教えてくれる日本の食の未来 No4

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大震災当時、スーパーから消えた納豆 下仁田納豆にはオール群馬県産の強みも
大豆の挽き割り機。原材料名を見て、ひき割り大豆と書いてあるものは挽き割られた大豆を仕入れていると考えていい。この取材で僕もはじめて知りました。工場を見学させていただいた。内部の様子は動画に詳しいが、清潔さは菌を扱う工場の必要にして最大の条件だ。クリーンな環境が雑味のない味を生むことは言うまでもない。パートの方々が手慣れた作業で経木に大豆を詰めていく。本当にすべてが手作業なことに驚いた。(当たり前のことだが)バックヤードは整理され、空袋などのゴミが積み上がったりはしていない。

「大豆はやはり生鮮食品です。多く含んだ油脂が酸化しやすいので倉庫には直近で使う分だけを積んでおくようにしています。他にも酸化を防ぐため、ひき割り納豆の製造に使う挽き割り機も自分たちで所有し、直前に粉砕しています」
納豆菌がまぶされた煮上がった大豆。潰れているものや皮が傷ついているものはこの工程で手作業により丁寧に取り除かれていました。大豆を水に浸し、それを加熱する。そこに納豆菌をまぶし、経木に詰めていく。それを室で発酵させる。

その後、温度を下げるための熟成と呼ばれる期間を経て、商品は完成である。昔ながらの炭火発酵のメリットはエアコンを使っての温度調整とは違い空気の対流がないため、乾燥を避けることができることだ。湿度は納豆菌の活動を助けるのである。ところで東日本大震災が発生した時、最後まで商品が棚に戻らなかったのが納豆だった。「私が聞いたところでは計画停電になって温度調整ができなくなり、生産が滞ったというケースもあったようです。

大手さんですと製造ラインが精密機械なので、余震が起きると止まってしまうということもあります。うちくらいですと余震があっても手作りなので、調整が利くんですけど。もうひとつはグローバルに材料を集めているところに弱点があったと思います。例えば大豆はアメリカや中国から、発泡トレイは石油化学製品なのでタンカーで、タレも辛子も……という具合に、そうしているとどこかひとつ寸断されるとつくれなくなってしまう。

そんな反省も含めて、商品ラインナップに材料はオール群馬県産というものも加えています。経木はもちろん、大豆も群馬県。タレはちかくの有田屋さんという具合です」

──そういえば、商品にタレがついていない製品も販売されていますよね。あれにはなにかこだわりが?
「うちは大部分の商品にタレはつけていません。タレだと画一化されて、毎日同じ味になるじゃないですか。微調整が利かないというか。醤油、みりん、オリーブオイル、などいろんな食べ方があるのが面白いんじゃないかな、と思っています。また言い方が非常に難しいんですが、発泡トレイは発酵容器でもあります。煮た大豆を詰めて、ビニールなどの皮膜をつけ、その上にタレと辛子を載せてパックします。それが保温材のような役割をしているんです。

 

 

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