2012年05月20日

日本は能天気 No1

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ギリシャに匹敵 国家財政の破綻は、ある日突然起こる ダイアモンドより

2011年は景気が悪い上に大震災。その上原発。踏んだり蹴ったりの一年だった。2012年は何とか良い年にしたいという思いは日本人総てが考えていることだと思う。だが考えれば考えるほど難しい事柄が山積しているように思われる。むしろ不吉な予感がする。2012年は日本国破綻の年になるかもしれない。 先日、日系大手証券のニューヨーク・オフィスで国債の売買をやっている部長さんからトレーディングの現場の状況を聞く機会があった。

一日に数十回、数百回の売買を行うトレーダー達は、その瞬間瞬間の相場観で売買を行う。その日に発表される経済指標が「自分の相場観」より良ければ売りに走り、悪ければ買いに走る。たとえば、自分はアメリカの失業率の数字が8.7%と予想していたのに、8.5%であれば売りに動くし8.9%であれば買いに走る。経済指標の好転→株価上昇→金利上昇と連想するからだ。

皆が買いに走って価格が高くなりすぎたと見れば、売ってポジションをスクエア(買いのポジションと売りのポジションを同額にすること)に戻す。こういうことを一日に何回も繰り返す。彼らにとって関心があるのは、売買で儲けることだけだ。ギリシャの国債が危ないとなれば徹底的に売り込むし、EUの首脳がギリシャの救済がありうると示唆すると買い戻す。そこにはマクロ経済云々と言った理論が入り込む余地がない。彼らは単なる「相場師」である。

筆者は質問をした。日本国債が先物取引やCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のようなデリバティブ(金融派生商品)を使って、突然売り込まれることがあるのかと。それは「ありうる」との回答だった。「今は欧州危機に目を奪われているが、これが終焉したら目が日本に向くかもしれない」と。 GDPに対する国家債務の比率(IMF資料、2010年時点) は、日本が220%、ギリシャが
142%、イタリアが119%、米国が94%と日本がダントツの一番である。

日本がいまだに標的にされていないのは、利回りが低いにもかかわらず国内の買い圧力が高いためと、減少傾向にあるとはいえ経常収支がまだ黒字だからだ。だが状況が変わり「日本国債は危ない」という相場観を持たれてしまうと、一気に売り込まれる。国債の価格は暴落し、金利は跳ね上がる。国債が暴落するとはどういうことか。額面1万円、金利1%で発行された国債が売り込まれて5000円になったら流通利回りは2%に上がる。

5000円で購入した人は100円(1%の金利)をもらえるからである。そして一旦国債価格が落ちて利回りが上がると、それ以降に発行される国債は新しい金利水準で発行される。古い金利で発行すれば誰も買わない。既に発行されている国債のほうが流通利回りが良いからである。 いま国債の金利は1%以下の超低金利になっているが、金利が跳ね上がったら日本政府はデフォルト(債務不履行)に追い込まれる可能性が高くなる。

 

 

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2012年05月19日

分子標的薬で、がんから生還 N06

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日本で発売されているシグナル伝達阻害剤としては、他にイレッサ(一般名ゲフィチニブ)があります。これはチロシンキナーゼの活性化を抑える分子標的薬で、2002年7月に日本でも非小細胞肺がんの治療薬として発売されました。この薬は東洋人で女性、非喫煙者、肺の腺がんの患者さんに対して、めざましい効果を表すとされ、卵巣がんや胃がん、大腸がんなどの腺がんの治療にも応用が期待されています。

分子標的薬としては、他にも前回ご紹介した「血管新生阻害剤」があります。また、DNAの断片によってがん遺伝子の働きを妨害する「DNA薬剤」の研究も進められています。

分子標的薬の長所と短所
この辺で、分子標的薬の長所と短所を整理してみましょう。分子標的薬の長所は、「分子生物学的な理論に基づいて開発されているので、効果と副作用があらかじめ予測できる」点。一方、最大の短所とは、「コストが高いこと」に尽きるでしょう。分子標的薬1種類で、月間30万円もの費用がかかります。アメリカではハーセプチンと血管新生阻害剤アバスチンを組み合わせた治療なども行われているようですが、今のままでは高嶺の花! 一刻も早く、だれもが気軽に分子標的薬を使える時代が来てほしいものです。

では、副作用はどうか。本来なら、「がん細胞にしかないターゲットを攻撃する」というのが分子標的薬のウリだったはず。ところが、「がんだけにある分子」を探し出すのは至難の業です。したがって、正常細胞への悪影響(=副作用)が全く出ないわけではありません。「副作用が軽い」といわれるハーセプチンにしても、皆無というわけではないのですね。その1例が心臓障害です。HER2遺伝子には心筋細胞のストレスを抑える働きもあるので、ハーセプチンを使うと、20人に1人の割合で心不全などの心臓障害が出ることがあります。しかし今では心機能をチェックするなど副作用の予防が進んでいるので、日本で重篤な副作用が出たケースはほとんどないのです。

一方、副作用が大きな社会問題になったのが、前述のイレッサです。イレッサがなぜ重篤な副作用をもたらすかについては、いまだによくわかっていません。いまだに解明されていない部分も多い分子標的薬ですが、研究は端緒についたばかり。では、今後、分子標的薬にはどのようなことが期待されているのでしょうか。専門医の先生はこう語ってくれました。「従来の抗がん剤の開発手法は20世紀で終わった、といわれています。

これからは分子標的に基づいた創薬がスタンダードになる。がんの化学療法も、非常にエキサイティングな時代に入りつつあるのです」「がんの増殖シグナル伝達のパターン(=標的)は約700あるといわれています。したがって、患者さん毎にがんのシグナルを特定できれば、どの薬剤を使えばいいかがわかるようになる。今はメインの標的を順番につぶしながら、薬剤開発を進めている段階。患者さんのタイプに合わせて分子標的薬を使いこなす時代が来るのも、そう遠い先のことではないでしょう」

今や日本でも、分子標的薬への期待は着実に広まりつつあります。過度の期待は禁物ですが、慎重に、でも、あくまで前向きに! 希望を持って治療に取り組むことが、何よりも大事だと思うのです。

 

 

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2012年05月18日

分子標的薬で、がんから生還 N05

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しかもハーセプチンのいいところは、副作用が少ない点。化学療法につきものの吐き気や脱毛、口内炎などがほとんど出ない。このハーセプチンはHER2陽性の乳がんのうち約40パーセントに効果があるといわれ、また、卵巣がんの一部や胃がんへの応用も進められています。抗体製剤で他に有名なものとしては、リツキサンがあります。これはがん細胞の表面にある「CD20」という分子を標的とするもので、CD20陽性の悪性リンパ腫や慢性リンパ性白血病に効果があります。

異常な増殖シグナルを止める薬
次にご紹介するのは、分子標的薬の中でも「シグナル伝達阻害剤」と呼ばれるものです。これは、がんと深く関係する分子が出す異常な増殖シグナルを止め、がんをやっつけるというもの。その代表的な薬が、グリベック(一般名イマチニブ)です。
グリベックは2001年11月に日本で承認され、今では慢性骨髄性白血病の標準治療薬として使われています。

慢性骨髄性白血病の患者さんのほとんどに見られるのが、「フィラデルフィア染色体」という異常な染色体です。この染色体上にある「Bcr-Abl融合遺伝子」こそ、病気を引き起こす張本人。コヤツが作り出す異常なタンパク質が増殖シグナルを送り始め、チロシンキナーゼという酵素が活性化すると、白血病細胞が異常に増殖し始めます。いわば「増殖しろよ〜」と呪文を唱えて、がん細胞をどんどん増やしていくわけです。

この異常なタンパク質は、ATPと結合して活性化し、ますます悪業の限りを尽くします。そこで自ら異常タンパク質と結合し、チロシンキナーゼの働きを妨げることで、ATPと結合できないようにしてしまうのが、グリベック。人の恋路を邪魔して悪の呪文(=シグナル伝達)を止めることで、がんの増殖を抑えるというわけです。グリベックの登場は、慢性骨髄性白血病の患者さんにとって、まさに福音ともいえるものでした。

なにしろ、骨髄移植以外に治療の道がなかった患者さんが、錠剤を飲むだけで治療できるようになったのですから!便秘と吐き気などの副作用はありますが、それでも今までの抗がん剤に比べれば軽いもの。現在グリベックは、慢性骨髄性白血病と消化管間質腫瘍(GIST)に使われています。

 

 

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2012年05月17日

分子標的薬で、がんから生還 N04

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だからこの標的をつぶす薬を作ろう」と決めて開発すれば、それだけ大きな効果が得られるはず。だからこそ、分子標的薬はこれからのがん治療を大きく変えるのではないか、と期待されているのです。そんなわけで、今回は分子標的薬について勉強したいと思います。

分子標的薬とは?では、分子標的薬とはどんな薬なのでしょうか。
分子標的薬とは、「あらかじめ」がん細胞の増殖に深く関係している分子をターゲット(標的)として開発された治療薬です。いわば、悪の根源である分子を指名手配し、体中くまなくパトロールしてホンボシを挙げる、というわけです。これには「抗体製剤」や「シグナル増殖抑制剤」「血管新生阻害剤」など、いくつかのタイプがあります。

まず、抗体製剤についてご説明しましょう。
体内に異物(抗原)が入ると免疫反応が起こり、体内に抗体が作られて抗原を攻撃します。このメカニズムを利用して作られたのが抗体製剤です。その代表的な薬剤としては、ハーセプチン(一般名トラスツズマブ)やリツキサン(一般名リツキシマブ)があります。ハーセプチンは2001年6月に、転移性乳がんの治療薬として日本で発売されました。これは、がん細胞の表面にあるHER2遺伝子をターゲットとする分子標的薬です。

乳がんの中にはHER2遺伝子が陽性のものが約30パーセントあるといわれています。このHER2は、血液中にあるがんの増殖因子を取り込む“受容体”として働いています。いわばHER2が受け皿となって、せっせとがん細胞に栄養を与えているようなもの。それだけに、HER2陽性の乳がんは進行が早く、転移しやすいのが普通です。 その性質を逆手にとって開発されたのが、ハーセ
プチンです。抗体を投与してHER2の受容体にフタをしてしまえば、がん細胞は兵糧攻めにあって弱ってしまう。その特命を担う抗体製剤として、ハーセプチンが開発されたのです。

しかし、抗体であるハーセプチンが、がん細胞を直接殺すわけではありません。先発隊のハーセプチンが標的にくっつくと、「免疫反応」が発動して主力部隊が応援に駆けつけます。弱ってヘロヘロになったがん細胞に、特殊任務を帯びたナチュラルキラー細胞(NK細胞)やキラーT細胞などが束になって襲いかかる。そして、ついにはがんを殺してしまうのです。抗体と免疫反応の2段構えでがんをやっつけるなんて、頼もしいじゃありませんか。

 

 

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2012年05月16日

分子標的薬で、がんから生還 N03

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がんサポートセンター http://www.gsic.jp/for/fr_04/01/29_02.htmlより

最近、「分子標的薬」や抗がん剤治療 時間治療(クロノテラピー; http://www.gsic.jp/anticancerdrug/ac_02/01/index.html
という言葉をよく耳にします。前回勉強した血管新生阻害剤も、実は分子標的薬の一種。これって、従来の抗がん剤とはどうちがうのでしょう?「今までの抗がん剤は毒をもって毒を制するタイプだから、体へのダメージも大きい。その点、分子標的薬は、がん細胞だけをねらい撃ちするから、副作用も少ないと聞いたんだけど……」 確かに、分子標的薬のイメージってそんな感じですよね。ところが実際には、分子標的薬といえども「副作用が少ない」とはいい切れないんです。「がん細胞だけをねらい撃ちする」といっても、そうカンタンにはいかないらしいのです。「じゃあ、分子標的薬って何?」専門医の先生にお聞きすると、こんな答えが返ってきました。「すべての薬剤は基本的に分子標的薬なんです」ガーン。話がますますわからなくなってきちゃった。先生のお話をまとめると、どうもこういうことらしいのです。がん細胞が「異常な速さで増殖する」特徴を持つことは、皆さんもご存じかと思います。そして従来の抗がん剤の開発は、もっぱら「細胞の増殖を抑える作用があるもの」を選別することによって行われてきたんです。ところが、抗がん剤はやみくもに細胞増殖を抑えこもうとするばっかりに、増殖がさかんな正常細胞まで一緒くたに攻撃した。それが脱毛や嘔吐、骨髄抑制などの強い副作用となって表れていたわけです。ところが、分子生物学が発達したおかげで、最近は細胞増殖のしくみが分子レベルで解明されるようになってきた。それなら、諸悪の根源である分子を突き止めてねらい撃ちすれば、効果的にがんをやっつけることができるはず――この理論に基づいて開発されたのが「分子標的薬」なのです。じゃあ、従来の抗がん剤はどうなのか。こちらも広義の“分子標的薬”ではあったものの、そのメカニズムが今まで知られていなかったのですね。分子標的薬が“天性の運動能力を科学の粋を結集して、さらに高めたサイボーグ系スーパーアスリート”とすると、従来の抗がん剤は、“理屈はわからないけど速く走れる天才アスリート”。最近のオリンピックは、科学の力を借りないと世界の頂点に立つのは難しい時代だといいますが、その点は薬剤の開発も変わりません。あらかじめ「この標的ががんを増殖させる原因になっている。

 

 

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2012年05月15日

分子標的薬で、がんから生還 N02

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テクノロジーが進化し製薬会社は戦略を転換
この10年余りで創薬の世界は大きく変わった。それにより、新たな治療領域の薬、従来とは異なるタイプの薬が続々と生まれるようになっている。何がこの変化をもたらしたのか。 変化の最大なる要因は、テクノロジーの進化だ。栗原さんを救ったタシグナは「分子標的薬」と呼ばれる新しいタイプの薬だ。薬の多くは、薬が病気に対して効果を発揮する一方で、正常細胞も攻撃してしまう性質がある。

一方で、分子標的薬は病気に関わる特定の部分だけをピンポイントで攻撃する。がんの場合、がん細胞の増殖や転移に関わる部分だけを狙い撃ちする。もう1つは、製薬会社が取り組む重点疾患領域の変化である。巨額の開発費をかけて製薬大手が開発競争を繰り広げた生活習慣病薬はブロックバスター(年間1000億円を売り上げる大型医薬品)の座から滑り落ちている。

生活習慣病薬で、新製品の開発が難しくなった製薬会社は、いったどんな薬を開発するようになったのか――。 07年度以降に国内で製造販売が承認された新薬、主要製薬会社80社が現在国内で第2相臨床試験以降にある開発中の薬の数(承認は新有効成分のみ、開発中の新薬候補は成分単位でカウント)をみると、がんが承認29、開発中51と圧倒的に多い。

がんに次いで多いのが、認知症や精神系疾患などを含む中枢神経系疾患の承認21、開発中29である。ここ10年で画期的な薬が相次いで登場した、関節リウマチを含む自己免疫疾患は承認4、開発中22に達している。 ここ数年で、急速に患者のアンメット・メディカル・ニーズ(有効な治療方法がない医療ニーズ)を満たすような医薬品の開発が進められるようになったことは確かだ。新たな薬を望む患者にとっては良好な環境になったといえるだろう。

開発ラッシュで変わる治療あなたと家族を守る薬とは?
日々進化する医療の中で、薬は最も変化が激しい分野の1つです。とりわけ分子標的薬という新しいタイプの薬が席巻したこの10年は、薬が治療を大きく変えました。『週刊ダイヤモンド』4月28日・5月5日合併特大号の特集「クスリ激変!」では、ここ数年で登場した新薬から現在開発中の薬まで、最新情報をまとめあげました。また、図解で従来薬や新薬の効き方を比較しています。 

特集では、 「がんの個別化医療」「リウマチのバイオ医薬」「糖尿病のインクレチン薬」「納豆OKの脳卒中予防薬」「40年ぶりの新・痛風薬」「眼病の抗体医薬」など盛りだくさん。 「ワクチンで子供を守る方法」
「女性に多い骨粗しょう症」や「頻尿の最新薬」「薬で治す心の病」「ペット薬事情」なども必見。「薬局&薬店の使い倒し術」「漢方入門」もご活用ください。あなたと家族を守るための情報をこの1冊に凝縮しました。

2012年4月 週刊ダイヤモンド

 

 

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2012年05月14日

分子標的薬で、がんから生還 N01

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ガリガリガリ! 隣に駐車してある車をこする音がした。 埼玉県・川越在住の会社員、栗原新吾さん(55歳)は埼玉医科大学総合医療センターの駐車場でため息をついた。運転には自信があったのに、駐車スペースから車を出そうとしたらこのありさま。 「ああ──。やっぱり自分は動揺しているのか」  この直前、慢性骨髄性白
血病という病名を告げられていた。慢性骨髄性白血病は、遺伝子の異常が原因で発症する血液のがんだ。

骨髄には、白血球や赤血球といったさまざまな血液細胞のもとになる「造血幹細胞」がある。この造血幹細胞ががんになり、白血球をたくさん作り出してしまうのだ。年間の発症率は人口10万人に1〜2人。成人の白血病全体の約20%を占める。 中性脂肪が高かった栗原さんは、近所のクリニックで高脂血症の治療を受けていた。2011年6月の血液検査で、異常が見つかり総合医療センターの血液内科教授、木崎昌弘医師を紹介された。

木崎医師の元でもう一度検査してみると、慢性骨髄性白血病を発症していることが確認された。正直なところ、栗原さんが持っていた白血病のイメージは、「不治の病」というものだった。

白血病の生存率90% 常識を変えたグリベック(グリベック;遺伝子情報の解読から生まれた分子標的薬「グリベック」新治療薬です)
木崎医師から詳しい説明を受けると、急性は危ないが、栗原さんは初期段階の慢性だという。「昔は骨髄を移植しなければならなかったが、今はいい薬があるからそれで治療できます」。その言葉に少し安心した。 治療が始まった。抗がん剤の「タシグナ」を1日2回、1回2カプセル服用した。病気には何の症状もなく、心配していた薬の副作用もない。これまでの生活と何も変わらなかった。 

薬を飲み始めておよそ1カ月、血液検査をしてみると、白血球の数はすでに正常値に戻っていた。その後も経過は良好。発症前と違うのは、自分の体を案じる家族の勧めに従って“休肝日”が増えたことくらいだった。

「薬の進歩でここまで治療が変わった病気は他にないだろう」──。 木崎医師は多くの慢性骨髄性白血病を発症した患者を診て、つくづく実感しているという。栗原さんがイメージした通り、かつては不治の病で、有効な薬が存在しなかった。1980年代半ばに抗がん剤として、インターフェロンが登場し10〜15%の人が治るようになった。 90年代に入ると造血幹細胞の移植が行われるようになり、インターフェロンによる治療と組み合わせることで50〜60%が治るようになった。

もっとも移植手術は、高齢者など体力がない人には難しいものだった。 治療が大きく変わったのは01年、「グリベック」という薬が発売されたことだった。栗原さんが服用しているタシグナの先代品である。グリベックは登場するや、白血病の進行を劇的に抑えた。生存率はなんと9割にまで高まった。20年前には、ほとんど治らなかった病気がほぼ治せる病気へと様変わりした。

 

 

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2012年05月13日

働けど働けど No3

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現状が単なるデフレ不況ではなく、スクリューフレーションであると仮定すれば、相応の策を練ってサバイブする必要がある。 世間の声を拾ってみると、興味深いのは、「逆転の発想」によって苦境を何とかやり過ごそうと知恵を絞っている人が、少なくないことだ。特に、価格の上昇傾向が強い食料品については、代替需要への流れが見られる。 「これまでは、なけなしの小遣い
を守る意味で弁当を持参していましたが、結局、材料代よりも立ち食いそば屋や牛丼チェーンのほうが安上がりなので、ランチは外食に切り替えました」(30代・男性会社員) 「あえて格安ファストフードのテイク
アウト品を、惣菜替わりに活用しています」(30代・主婦)

「最近、地元のスーパーで日用品を買うと、以前よりも高くつくように感じます。そこで、最寄りから1つ手前の駅で降り、駅前の大型スーパーで買うようになりました。惣菜や食材などは、体力がある全国チェーン店のほうが、小規模店よりも値段を安くしているし、閉店間際の値下げ幅も大きいから。仕事で遅くなることが多いため、深夜まで営業している大型店のほうが、都合がいいですしね」(40代・女性公務員)

一時しのぎではあるかもしれないが、従来の固定観念に囚われずにコスト効率を追求することが、スクリューフレーション時代の生活術と言える。食費を節約して最新家電を買いたい!贅沢品を海外で揃えてしまう人も また、生活必需品の支出を控え、節約したお金で「他の消費」を楽しむというトレンドも。 「白米だけ会社に持参して、惣菜はスーパーで買って
います。最近では300円の弁当もあるので、そちらで済ませてしまうことも多いです。そのぶん、家電は最新式にこだわりたいですね」(20代・男性会社員)

「旅行が大好きなので、まとまった休暇がとれるとハワイやヨーロッパへ行きます。円高の追い風を利用して、服やバックなどの高価なものは、ほとんど現地で買ってしまい、次の海外旅行まで大事に使います。一方、普段日本で生活しているときは、できるだけ節約するようにしていますね。夕食も大抵は、ファミレスやスーパーのお弁当。いくら独身だからといって、いつまでもこんな生活ではいけないとも思うんですけどね(苦笑)」(40代・女性会社員)

値上がりする食料品を安価なテイクアウト品などで済ませる一方、パソコンや家電などの高級品でデフレのメリットを享受したり、「価格の地域差」を利用する。節約ばかりに囚われず、生活も楽しみたい消費者としては、賢い生き方なのかもしれない。 目減りする収入や将来的な雇用への不安に輪をかける生活価格の上昇。足もとの構造不況の影響が、これからどこまで広がっていくかは不透明だ。

しかし少なくとも、単なるデフレ以上に一般家庭に与える影響が大きいだけに、とてつもない格差を生み出す可能性もある。 今後は、消費税の引き上げが生活苦を加速させることも懸念されている。前述のようなささやかな「生活防衛術」だけで、どこまで耐えられるものなのか。もっと抜本的な家計の見直しが必要になりはしないか。慎重な状況判断を求められているのは、他でもなく、あなた自身であることを忘れてはならない。

 

 

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2012年05月12日

働けど働けど No2

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不況で収入が減り続けているのに生活必需品は値上がりする大苦境
その背景について、2011年12月5日付けの日本経済新聞は、「消費者がデフレを実感しにくい最大の理由は、原油や穀物など商品市況の高騰で、生活必需品の値上げが増えていること」と指摘している。パソコンなどの家電が、スペックの向上に相反して低価格化が進んでいるのに対し、砂糖やコーヒー、野菜など食料品の価格は上昇している。我々が感じている生活苦の原因は、この「物価の二極化現象」によるところが大きそうだ。

そのことは、ここ1年間のCPI(消費者物価指数)を費目別に見ても明らかだ。物価の押し下げ要因になっているのは、家具・家事用品、住居、被服及び履物、保健医療、教養娯楽などの贅沢品。逆に押し上げ要因となっているのは、食料、光熱・水道、交通・通信、諸雑費などの生活必需品となっている。つまり、今の経済状況下では、贅沢品を消費する頻度が高い高所得層よりも、生活必需品を消費する頻度が高い中間層や低所得層が、より生活苦を感じやすい構造になっている。

デフレで給料が上がらないのに、普段消費する商品やサービスは高くなっていく――。これでは一般庶民の生活が楽になるはずはない。 皆がこうした現状をはっきり認識しているわけではないにせよ、前述の消費動向調査を見てもわかる通り、「やはり何かがおかしい」ということを、消費者は敏感に察しているのだ。とりわけ生鮮食品については、地方と中央の価格差を比較してみると、そのいびつさが浮き彫りになるようだ。

この年末年始の里帰りを経て、世間ではこんな声も上がっている。 「東京では250円もした四国産のレタスが、地方都市では100円で買えることに驚きました。ブロッコリーもおよそ3倍もの価格差があります。日々の生活の中で、家電を購入する機会はそう何度もないので、デフレよりもインフレを実感することのほうが多いように思います」(30代・主婦)

主婦層からすれば、家計を直撃するのは耐久財の値下がりよりも、生活必需品の値上がりのほうであることは間違いない。最近では、こうした新たな構造不況を「スクリューフレーション」と表現するメディアも散見される。
スクリューフレーションとは、先に米国で発生した現象であり、中間層の貧困化とインフレの同時進行を指す言葉だ。現在の日本のように、贅沢品の価格が低下し、生活必需品の価格が上昇する状態は、まさしくこれに当たると言えまいか。

マクロベースで見て厄介なのは、この「2つの動き」がいずれも一般世帯の家計にとってマイナスに作用することだ。消費負担が増せば、それだけ経済活動も萎縮してしまう。不況からの脱出を目指す日本経済にとって、これは由々しき問題だろう。弁当よりも外食にしたほうがむしろ安い?「スクリューフレーション」に対抗する知恵 では、世間の人々はこうした生活苦にどう立ち向かっているのだろうか。

 

 

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2012年05月11日

働けど働けど No1

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なお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る

デフレで収入が減る一方、生活必需品はインフレに! 大苦境時代の人々はちっとも生活が楽にならない――。不況の出口が見えない日本では、こんな溜息がそこかしこに溢れている。それは単なる不況のせいなのだろうか。実は、一般世帯が感じる生活苦の裏側には、新たな構造不況が見え隠れする。デフレで給料が減り続けるなか、安くなるのは家電や外食などの贅沢品ばかり。食料品やエネルギーなどの生活必需品は、むしろインフレ状態にある。

これでは、いくら働いても節約しても、楽な生活を望むべくもない。この未曾有の苦境をどうやって乗り切るべきか。生活苦に喘ぐ家庭が模索する「逆転発想」の生活防衛術を探ってみよう。(取材・文/友清 哲、協力/プレスラ
ボ)

これは単なるデフレ不況ではない? いくら節約しても生活が楽にならない理由
「生活苦とまではいきませんが、いくら働いても節約しても、一向に暮らし向きがよくならない気はします。この冬のボーナスは、増えこそしないものの、前年並みの額が支給されました。でも、通年で見ると貯金の額はほとんど増えていませんね。この1年、特に贅沢をしてきたつもりはないんですが……」ある40代のビジネスマンは、こう疲労感をにじませる。彼だけではない。不況の出口が見えない日本では、こんな溜息がそこかしこに溢れているのだ。

一般庶民の生活が苦しいのは、足もとで始まったことではない。だが、「それにしても、やけに生活が苦しい」と感じている読者は少なくないだろう。 長期にわたってデフレが続く日本では、商品やサービスの価格は低下傾向にある。一度街に出れば、そこそこクオリティの高い生活用品を100円ショップでいくらでも買うことができる。

家電量販店でも、まだそれほど型落ちしていない大型の薄型テレビが10万円をゆうに切る値段で売られているし、“デフレの象徴”のようにとり上げられる牛丼チェーンをはじめ、飲食店でもワンコインで食べられる豪華なメニューが増えている。
つい先頃、松屋フーズが松屋の「牛めし」並盛りを、これまでの320円よりも40円安い280円に価格改定すると発表し、話題になったことは記憶に新しい。

もちろん、デフレは企業収益を圧迫し、勤労世帯の収入を減らすため、家計を直撃する負の経済要因であることは間違いないが、不況下ではこうした値下げ競争を喜ぶ向きも決して少なくない。いくら給料が増えないとはいえ、モノやサービスが安くなっているにもかかわらず、なぜ深刻な生活苦を感じる人が多いのだろうか。

それは、「日本全体がデフレであっても、自分ではデフレを感じられない」という人々が増えているためだ。 内閣府が発表した昨年10月の消費動向調査によると、1年後の物価見通しについて「上昇する」と回答した人が69.6%と、対前月比で2.4ポイントも増加している。多くの人は、むしろ「生活価格は上昇傾向にある」と感じているわけだ。これを見る限り、現在の日本の経済状況を単なるデフレと捉えるのは、短絡的に過ぎるかもしれない。

 

 

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2012年05月10日

下町の生き残る町工場 No7

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──会社の行事として、毎月「お誕生日会」を開いて社員にご馳走し、「親孝行手当」というのを出しているそうですね。
宮嶋 社員とコミュニケーションを図るために、毎月、その月に誕生日を迎える社員たちと一緒に食事に行って、お誕生日会を開いています。その時に、このお金は自分ではなくご両親のために使ってくださいと言って「親孝行手当」を渡します。そのお金をどう使ったかを後でレポートに書いてもらっているんですが、老眼鏡をプレゼントしたり、携帯電話をプレゼントしたり、食事をご馳走したり、みんないろいろな形で親孝行に使ってくれています。

──社員だけでなく、その家族も大事にするということですか。
宮嶋 社員はみんな背中に家族がかかっているわけです。社員の背中に家族が見えるかどうかということですよね。昔は、社員が子供の具合が悪くて帰ると言ったら、「お前、今日の仕事は?」ってほんまに思ってた。ひどい社長や。今ならすぐ帰れと言います。

なぜ改革が途切れないのか──いろいろな人の教えを受け入れて実践してきたんですね。常に学び続けているから、次々に改革できる。
宮嶋 ありがたいことに僕には師匠がいっぱいいます。若い時に、ある中小企業の社長が言ってくれました。宮嶋君な、自分が知りたいと思うていることを教えてくれる人がいたら、何百キロ、何千キロ離れていても飛んでいけ、と。

工場入口のヘルメット置き場。社員の顔写真が貼ってある
昔は、俺が一番仕事ができるなんて思ってた時もあります。今にして思えば愚の骨頂やね。僕にとっては社員も先生だし、お客様も取引先もみんな先生です。 僕は入社した時、おやじを恨んだんですよ。自分の思い描いていた会社とあまりにも違うから。でも、おやじはじいさんから「学校なんて行かんでいい」と言われて、結局、夜間の工業高校に通った。だから、まあ、いろいろと苦労しとるわけですよ。

 そのおやじが入社したばかりの僕にこう言った。「お前は、教えてくれる鍛造屋とかあったら、どんどん行って教わってこい」。そして、僕はその通りにいろいろな人に会いに行って、多くのことを教えてもらうことができました。 おやじは、僕が外に教わりに行くことを全然邪魔しなかったし、仕事のやり方も全部僕に任せてくれた。これだけは本当に感謝しているんですよ。

──お話を聞いて、ものづくりの改革はあせってはいけないということが分かりました。

宮嶋 大学を出て勤めていた豊田工機で、当時の上司から「宮嶋、お前な、自分に能力がないと思ったら、ひたすら時間をかけろ」と言われたことを覚えています。 人間の「能力」は、遺伝や育った環境とかで大きく異なります。でも「時間」だけはすべての人に平等です。だから、僕は何事も時間をかけてやり遂げるしかないと思っています。

20年かけて売上を10倍にした町工場 奇跡なき経営改革がものづくりを強くする 2012.04.02(月) JB Press 鶴岡 弘之

 

 

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2012年05月09日

下町の生き残る町工場 No6

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──どんな効果がありましたか。
宮嶋 受注から納入までの様々なデータやノウハウを全社員が共有し、活用できるようになりました。例えば、シャフトは基本的に受注生産ですが、繰り返し品も多いんです。過去の材料データや製造データを呼び出して参照することで生産性ははるかに高まります。 また、みんながシステムを触ることで、コスト意識を持つようになりました。この材料はいくらで買えばいいんだな、いくらで加工すればいいんだなと、そういう感覚を持つようになった。

システムの入れ替えが効いて、2004年には売り上げが前年比で30%増、経常利益は2倍以上に増えました。言ってみれば、それまで僕は社員の能力を殺しとったわけですね。宝の持ちぐされをしとった。みんな、やればできるのに。

社員の後ろに家族が見えるか──社員の能力を引き出して、生かすことが大切なんですね。
宮嶋 僕の師匠の1人にタニサケ(注:主に殺虫剤関連商品を製造する岐阜県の会社。高利益率と社員の活発な改善提案活動で知られる)の松岡浩会長がいます。 初めてお会いした時に名刺交換して、宮嶋と申しますって言ったら、いきなり「あんた、全然あかんな」って言われたんですよ。なにがあかんのでしょうかって聞くと、「社員の尻を数字で追うとる社長の顔しとる」って言われたの。図星でした(笑)。

でも、僕は言い返しましたよ。うちは昔、全然業績がだめで、給料も低かったし、ボーナスもあまり払えんかった。やっぱり計数管理せなあかん、これだけの売り上げを上げなあかんとみんなに言って、目標グラフも作って、なんとか黒字が出るようになってきたんですよ。そうやってやっと給料も上がって、みんなの生活を良くするようにしてこれた。それがダメなんでしょうかって。 

そしたら松岡さんはこうおっしゃった。それ自体は悪くないよ、だけどな、うちは「今年はこれぐらい売り上げを上げるぞ」とか、そんなこと普段はまったく言わんで。営業なら営業、製造なら製造の社員が、こんだけ売らなあかん、こんだけ作らなあかんと、自分らで勝手に考えて、自分らでやってる。その結果、20%、30%という利益が出てるんや。

あんたのやり方はまだまだ二流、三流の経営やで。もっと社員が自ら動くような、社員が喜々として働く会社を目指さなあかん。会社の長たるもの、部下の誰よりも損をする覚悟で、社員を喜ばす実践をするんや、と。 僕たちが行っている鍛造というのは、熱くて危険だし、汚れるし、大変な仕事なんです。そんな仕事に高いモチベーションを持って取り組んでもらうために、できる限りのことをしようと思っています。 

例えば、毎月発行している社内報では、自分たちが作っているシャフトがどんなところで使われ、いかに世の中の役に立っているのかを、社員のみんなに伝えています。

 

 

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2012年05月08日

下町の生き残る町工場 No5

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──普通は取引停止になって終わりですよね。
宮嶋 そうですよ。あとで教えてくれたんやけど、その会社の会議で、あんな会社つぶしてしまえという声もあったそうです。あんないい加減なもの作る会社に、お前はしょっちゅう出かけていって何をそんなに教えとるんや。そういう意見も出たらしい。でも、その方は会議で「そう言うな」と言ってくれたそうです。あそこは社長の息子が頑張っていて、若い社員もおる。あいつらはなんとか立ち直れると思うから、わしにしばらく教えさせてくれ、と。後になって「そう言ってやったんやぞ、わしは」と教えてくれました。

──ありがたい話ですね。
宮嶋 その事故のおかげで品質の大切さに目覚め、ISO9002の認証取得につながりました。あれで会社が大きく変わったと思います。

社会に貢献し、社員を幸せにする源は「利益」──2002年に社長に就任した頃から、利益が増え始めました。この要因は何でしょうか。
宮嶋 実は、僕が入社してから売り上げは増えていましたけど、利益はずっと水平飛行だったんです。大きな理由は、わざと利益が上がらないようにしていたから。「今期はだいぶ利益が出るな」と思ったら、いらんもん買うたりね。おやじのやり方に倣っていたんですよ。税金なんか払うのはもったいないと。

──それが、ある時から利益を増やす方向に考え方が変わった。
宮嶋 社長になった時期と前後して、盛和塾で稲盛さんにこう言われたんです。製造業なら10%、販売業なら5%利益出さなんだら経営者失格やと。 よく会社は「社会に貢献し、社員を幸福にします」とか言いますよね、でも、稲盛さんはこうおっしゃる。赤字の会社がどうやって社会に貢献するんや、どうやって社員を幸せにできるんや、と。社員を幸せにするんなら、社員の給料やボーナスも上げてやらないかんやろ。

いろんな保険にも入って、万一の時に備えてやらんといかんやろ。作業環境も衛生的にしてやらないかんやろ。それをするすべての源は利益やないか。 源がなかったら「社会に貢献、社員を幸せに」なんて言っても、絵に描いたもちや。だから利益を上げなあかん。最低でも5%は上げなあかん。税金は会社をよくする経費やと思え、とおっしゃった。ショックを受けましたね。考え方を根本的に改めました。

業務システムの刷新が生んだ大きな効果──税金対策をやめても利益は増えるものではないですよね。具体的にどのように利益を増やしていったんですか。
宮嶋 いちばん大きかったのは、会社の受発注・生産管理システムを作り替えたことです。 それまで使っていたシステムは、僕と生産管理の女性のせいぜい2人しか触らなかった。結局、毎日、夜中まで僕がシステムとにらめっこしていたんですけど、社長になったら僕だけで何から何までやることはできません。 

そこでシステムを全部入れ替えて、社員全員が操作できるようにしたんです。誰もが簡単に受注入力できて、作業伝票を発行して製作指示ができるようなシステムに作り替えました。

 

 

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2012年05月07日

下町の生き残る町工場 No4

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事故で会社が生まれ変わった
──2000年に「ISO9002」(品質マネジメントシステムの国際規格)の認証を取得しています。当時、町工場が取得するのは珍しかったそうですね。宮嶋 鍛造メーカーとしては関西で4番目でした。1番目から3番目までは100人以上の会社です。当時、うちは社員が16人しかいなかった。その人数で取ったもんだから、なんでそんなもの取ったんや、役に立たんやろと、周りからよく言われました。でも僕は、絶対に役に立つ、品質を確保するために必要だと思ったから取ったんです。

──品質の重要性に目覚めたきっかけはありますか。 整然と保管されている鍛造用の金型
宮嶋 95年にさかのぼります。ブルドーザーの駆動軸に使われているうちのシャフトが折れるという事故が起きたんです。原因は、材料を焼く時の温度管理の甘さでした。 そのメーカーから品質保証の方がいらっしゃって、工場を徹底的に調べて問題点を解明し、品質向上の指導をしてくださいました。 当時、僕は30代半ばでまだ若かった。絶対に嘘はつくまいと決めて、素直に教えに従いました。するとその方が、こいつは言うこと聞きよるな、嘘も言わんときっちりやりよるなということで、何十回も通ってきて、いろいろと教えてくださった。大恩人です。

──どういうことを教わったのですか。
宮嶋 一言で言うとトレーサビリティーと標準化です。その方はこう言われました。 お前たちの部品がどんなところで使われているのか知っとるのか。鉱山のおっかない所をがんがん走るブルドーザーの軸を作っとるんやぞ。折れたらどんなことになるのか、どんな迷惑をかけるか分かっとるのか。 いつ、誰が、どんな条件で、どんな不良品を何個作ったのか、記録されとらんかったらどうなる。記録されとらんかったら、ミヤジマで作った品物が全部アウトということになる。

そうしたら、会社がいっぺんにつぶれるだろうが。 だから、不良が出たらちゃんと追跡できるようにしておかないといかんよ。大事な部品なんだから。 それと、シャフトを作るには、どんな条件で焼いて、どんな条件で鍛造したらいいか、マニュアル化しとかんとあかん。鍛造はマニュアルだけでできるわけではないけど、最低限これはせんとあかんというのを標準化しておかないとと、安定したものづくりはできんよ、と。作業標準書の書き方から、作業記録の残し方から、ぜんぶ指導してくれた。本当にありがたい話です。

──世界的な建設機械メーカーが品質保証のノウハウを伝授してくれた。
宮嶋 現場の安全性の確保についても指導されました。工場の棚を指差して、あの棚は何キロある? あれがあの高さから落ちたらどうなる、痛いじゃすまへん、死んでまうぞ。 こんなこと言うの、うるさいと思うやろ。けど、お前のところで事故が起きて部品が入ってこなくなるとうちが困る。それを防ぐのが、俺の仕事なんや。だから、うるさいと思うだろうけど、次に来る時までにあれをなんとかしとけよ、と。

 

 

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2012年05月06日

下町の生き残る町工場 No3

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──やはり営業は大切。
宮嶋 それはそうです。最近だと2008年にリーマン・ショックが起きて不況で仕事がなくなった時も、ひたすら営業して乗り切りました。宮嶋社長。62年生まれ。神戸大学卒業。89年に入社し、2002年に社長に就任した
僕は、京セラの稲盛和夫さんが塾頭を務める「盛和塾」に入っていて、いろいろと経営の勉強をさせてもらっているんです。以前、稲盛さんが、不況の時にやらなければならないことの1つとしてトップ営業を挙げていました。

今はそれを実行する時だと思い、ネットで情報を収集して、毎月100通以上、お客さんになってくれそうな会社にダイレクトメールを送りました。うちは1本でも鍛造シャフトを作ります、削り出しより材料が節約でき、コストダウンできますと書いて。
相手はまさか1本でも鍛造してくれるとは思っていません。でも、うちはやります、御社が使っている削り出しのシャフトは1本3万3000円、でもうちは1本だけでも2万9000円でやりますと言って営業をかけた。その時の営業が、今になってすごく効いています。

社名を変更し、作業服も明るい色に──今、社員の平均年齢は30代半ばだそうですが、ずいぶん若返りましたね。

宮嶋 最初は人を募集しても、全然誰も来んかった。職場も暗いしね。困ったなあと思っていたら、ある時、新聞で「頑張ってます、若者企業」という記事を見つけたんです。東大阪の鉄工所なんですが、平均年齢が20代って書いてあった。新聞見てびっくりして、その会社に行ってみたんですよ。どうしたらこんなに若い人ばかり採れるんですかって聞いたら、そこの専務さんが、簡単やって言うんです。なにがなんでも若い人しか採らんって決めてしまうんや、そうしたら知恵が出てくるんや、と。

それを聞いて、よし、うちもそうしようと決めました。社名を「宮嶋弁棒鍛造所」から「ミヤジマ」に変えて、現場をきれいにしたり、ハローワークに行って、どういう条件なら若い人が来てくれるやろかと相談しました。 労働基準監督署では、今の若い人は会社のイメージを重視するし、休みも欲しいもんやと教えてくれた。それを聞いて、グレーの作業服を明るい色に変えたり、週休2日制を取り入れたりしました。それでちょっとずつ若い人が入ってくるようになりました。

──社名や作業服を変えることに、お父さんは反対しなかったんですか。
宮嶋 もちろん最初は反対に遭って、喧嘩もしましたが、最後は僕に任してくれましたね。

 

 

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2012年05月05日

下町の生き残る町工場 No2

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赤字続きで債務超過だった会社は次第に生まれ変わっていく。宮嶋氏が入社した時より社員は2倍以上に増え、1億数千万円だった売り上げは、2011年に約10倍の13億5000万円に達した。90年代やリーマン・ショック後の不況時も赤字に陥ることなく、2011年には9100万円の経常利益を出している。宮嶋氏は「教科書通りにやってきただけです」と言う。地方の部品メーカーの「地味」な話だと思うかもしれない。しかし、こうした腰の据わった体質改善こそが、日本の製造業が失いつつある競争力の源だったのではないか。

一体、どのような取り組みで生まれ変わってきたのか。宮嶋氏に話を聞いた。

1人でバーナーに火をつけて回った──入社した時、会社はどのような状況だったのですか。
宮嶋誠一郎氏(以下、敬称略) 当時は年寄りばかりの会社でした。社員は全部で12〜13人ぐらいで、自分にいちばん年が近いのが40過ぎの叔父。他はみんな50代とか60代です。これがまず大ショックでね。これで会社を継げと言われても、こんな状態でどうすんねんと。 祖父から会社を継いだおやじは、早くからボルボとかベンツを乗り回して、ぱりっとしたスーツ着てたんですよ。だから、家は金持ちやと思っていました。会社は儲かってるんやなと。

でも、入社してみたら、赤字続きで債務超過の会社だった。愕然としました。 なんで債務超過なんや、こんな会社どうせいちゅうんや、とおやじを責めると、わしゃこれでもやってきたっ、と言って怒る。まあ、よう喧嘩した。ひどいオヤジやと思った。
でも、僕は結婚と同時に帰ってきたものだから、もう引き返せない。これはなんとかせなあかんと。

──それまで1億数千万円だった売り上げが、入社した翌年に2億円近くに増えました。いきなり売り上げが増えたのはなぜですか。
宮嶋 自分で営業をしたんです。例えば日刊工業新聞とかに広告を出している会社に目をつけて、この歯車屋さんに行ってみようと。「滋賀県の鍛造屋ですけど1回行っていいですか」と電話して飛び込みです。そうやって自分で仕事を取ってきて、自分で鍛造して、自分で納めました。

──1人で営業するだけで売り上げが増えたわけですね。
宮嶋 それまでは、なんも営業していない会社ですからね。だって、もうびっくりしますよ。鍛造の現場のすぐそばに休憩所があって畳が敷いてあったんだけど、午前10時と午後3時に30分ぐらいみんな寝てはる(笑)。あのー、もうそろそろやりませんかーって言うと、あーん? なに言うとるんじゃこの若造が、みたいな感じ。そんなんで生産性も売り上げも上がるわけがない。 仕方ないから、工場に材料を焼くバーナーがあるんやけど、みんなが休んでいる時に僕が火をつけて回るわけですよ。材料が焼けてきたら仕事せなあかんからね。一緒にやりましょう、お願いします、取ってきた仕事をお願いしますわって。そんなんでだんだん売り上げが上がるようになりました。

 

 

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2012年05月04日

下町の生き残る町工場 No1

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日本の製造業の凋落が叫ばれる中、イノベーションの条件がよく議論される。再び世界市場で競争力を取り戻すために、イノベーションの実現は確かに大きな課題だ。 しかし同時に、今こそ足元を見つめ直すことも必要なのではないか。
品質を磨き上げ、生産性をとことん高めるという日本製造業の本来の強さが失われては元も子もない。 今回、紹介するのは、この20年で売り上げを10倍に伸ばした町工場の話である。

その町工場は、画期的な新製品やサービスを生み出したわけではない。天才的な技術者もいなければ、胸のすくような一発逆転もなかった。26歳の若さで入社した創業者の孫が様々な「師」に出会って経営を学び、じっくりと時間をかけて改革を積み重ねた成果である。

「教科書通り」の取り組みで会社が変身 会社の名をミヤジマ(滋賀県彦根市)という。 http://www.miyajima-jp.com/
機械部品のシャフトを専門に作る鍛造メーカーだ。パートや実習生を入れて社員数が約30人という典型的な町工場である。 ミヤジマの鍛造シャフト。かつては「バルブ弁棒」一筋だった
が、現在は建設機械、工作機械、鉄道車両など様々な分野で使用され、販路が大きく広がっている。社長は宮嶋誠一郎氏。大学を出てトヨタグループの豊田工機(現ジェイテクト)に入社し、産業用ロボットの設計・開発に従事した。

しかし、1989年に父親(2代目社長、現在は会長)に呼び戻され、宮嶋弁棒鍛造所(当時の社名)に入社した。

鍛造シャフトは次のように作る。まず、材料となる金属棒を高温で熱する。柔らかくなった金属棒を端から強い力でドカンと叩き、棒の中間または先端を膨らませてツバを出す。熱した金属棒を叩いて成形するボードドロップハンマー
ミヤジマはこの鍛造シャフトを「宮嶋式弁棒鍛造装置」製法という方法で作る。複数の標準金型を組み合わせて様々な形のシャフトを鍛造する方法だ。創業者が開発し、特許を持っている。

ミヤジマならではの独自の鍛造加工法であるが、製品が単純な部品であることに変わりはない。おまけに、宮嶋氏が入社してからほどなくしてバブルが弾け、日本経済は「失われた10年」に突入していったのである。 そうした状況の中で、宮嶋氏は様々な改革に着手する。それは新規顧客を開拓し、品質を向上させ、生産性を高める取り組みだった。

 

 

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2012年05月03日

手遅れです No6

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冒頭で紹介した高梨さんのご主人もそのケースだった。それでも、ご主人は最後まで生きる意志を捨てなかったという。

「家族が絶望的になっていたちょうどそのとき、3・11の大震災が起きたのです。この世の終わりかと思いました。いっそこの津波で私たちもみんな流してくれればいい、今考えれば本当に不謹慎な話ですが、あのときは本気でそう思いました。でも、主人は違った。何か気持ちが切り替わったようで、『こんな中でも生きたいと願い、頑張っている人がいるんだ。俺も頑張らなきゃだめだ』と誓い、家族との対話を大事にしたいと言っていました」

しかし、その時間は長く続かず、発見から3ヵ月、ご主人は他界した。 亡くなったあと、高梨さんがご主人の遺品を整理していると、メモのついたビデオテープが出てきた。「知らないうちに、夫は子どもたち宛のビデオレターを撮っていたのです。二人の子どもが20歳になるまでの、毎年分の誕生日のお祝いメッセージが入っていました。全部見たい欲求にかられましたが、ぐっと抑えました。これからは、子どもたちの誕生日ごとに主人と再会できるのです」

どう頑張っても残りの時間は限られているとわかったとき、患者さんにはこうであってほしいという医師の願いがある。
「がんによって失ったもののことばかりを考えるのではなく、まだ自分が持っているもの、本当に大事なものに意識を向けてほしいのです。それは家族かもしれない。仕事かもしれない。何でもいいから生き甲斐が生まれれば、がんだからといって落胆することはない。私はいつも患者さんに問いかけるんです。『末期がんであることがわかった後に、人生最良の日が来るのは不可能ですか』と」(平岩医師)

斉藤医師の次の言葉も、いかに最後の時間を過ごすかを考える上で、大きなヒントになるだろう。「医学的なデータはありませんが、自分の死を受け入れ、残された時間を楽しんでいる方のほうが生き生きとして顔色もいいし、余命より長生きしている気がします。がんで病死というよりは、終わるべくしてそこで終わっているのであって、それも自然死のひとつなのです。患者さん本人にもご家族にも、そう思ってほしいと願っています」

病気にならなくても寿命はくる。病気の治癒に関して「手遅れ」ではあっても、人生そのものは、まだまだ「手遅れ」ではないのだ。
「週刊現代」より

 

 

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2012年05月02日

手遅れです No5

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須磨医師が断言する。
「手遅れの線引きは、医師や医療機関によって明らかに違います。知識と技術に差があるからです。他の所でなら打つ手があるのに、そこの病院ではその治療法をやったことがないからできない、といったケースが実際にあります。だから患者さんは、1ヵ所で手遅れと言われたからといって諦めてはいけません」  他の病院で「手遅れ」と言われたがん患者でも受け入れて治療している友愛記念病院の平岩正樹医師も、一般的な線引きと自分の線引きは違うと言う。

平岩医師によれば、がんには(1)治癒する、(2)治癒はしないが治療法がないわけではない、(3)手の施しようがない、という3つの状態がある。「この境界をどこに置くかは、医師によって違います。一般に行われている標準治療だと、(2)で『手遅れ』にしてしまうことが多いのです。というのも、治癒しないがんを治療するのは、医師に大変な労力を強いるからです。でも私は、(2)の後ろのほうまで『手遅れ』の線引きはしない。(2)は、私にとっては『治癒はしないが、治療のしがいがある』がんだからです」

標準治療だと、抗がん剤の選択や使用量などは、ある程度決まってくる。しかし、平岩医師は、独自の判断でそれらを使う。「当然リスクはあります。だから私は、徹底して患者と話し合い、そのときどきのがんの状態を詳細にチェックする。とてもエネルギーの要る仕事です。ただ、医師が知恵と手間暇を惜しまないなら、いろいろなことが可能になる。手術も同じです。普通の外科医にはお手上げでも、腕のいい医師にかかると、不可能が可能になるのです」

実際、広範囲の心筋梗塞を起こして心臓の動きが半分以下になり、冠動脈も詰まり、弁も壊れてひどい心不全の状態になっていた70歳の患者を、須磨医師は手術で治している。普通なら「手遅れ」と判断される患者だ。
「他の医師からは、危険だから手術はしないほうがいいと言われたのですが、私はできると思ったから手術をしました。その患者さんは今は元気で、ゴルフまでしています」

人生に手遅れはない
「手遅れ」を覆そうと思うなら、患者もすべて医師に丸投げではだめだという。「患者が『治してもらうのは当然』という態度でいたのでは、冗談じゃないとなる。そんな患者は標準治療しか受けられません。医師が全精力を傾けてがんと闘うのと同じように、患者も医師と心を通わせて、共に闘ってほしいのです」 そう平岩医師は話す。だが、たとえ情熱があって腕のある名医にも治せないものはある。先のがんの場合でいえば、(3)のケースだ。

 

 

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2012年05月01日

手遅れです No4

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自らも大腸がんを患い、手術した経験を持つ前出の斉藤医師も、患者の気持ちを思うがゆえに、「事実」だけを淡々と伝えると言う。「お腹を開いてみてダメだったというときは、医師としては残念と思うしかない。せめてご飯が食べられるようにとか、切るべきところだけを切って、また閉じます。そしてできるだけ自分の感情を入れず、ご家族に事実だけを告げ、患者さん本人に話すかはご家族の判断にゆだねるのです」

手遅れの状態にあったとき、心ある医師は患者や家族の気持ちのケアも行う。前出の須磨医師は、どんな状態でも必ず希望は残した伝え方をするという。「手遅れで手術ができなくても、あなたはダメとは絶対に言いません。これから特効薬が出るかもしれないし、心臓病の場合は、究極的には心臓移植や人工心臓という手もある。そういう可能性は必ず患者さんに申し上げて、希望を失わないようにしてもらうのです。

身近な家族が亡くなった後、その心労で心筋梗塞や脳梗塞を起こすことが多いのです。だから私は、患者本人も家族も辛さや悔いをできるだけ残さないような説明をする。患者さんだけでなく、家族の心のケアも大切なのです」
とはいえ、突然、その厳しい現実を伝えられたとき、ショックを受けるのは避けられない。その際は諦めるしかないのだろうか。

名医であればあるほど、「諦めるのはまだ早い」と口をそろえる。
「新規大腸がん患者のうち、一般的な手遅れ状態の患者は約2割です。ただ、その中で本当に『残念です』と言わざるをえないのは半分の1割。この30年間で、以前なら手の施しようがなかった患者さんを救えるようになってきたのです」(前出・斉藤医師)  医療の世界は日進月歩。厳しい状態でも、生還の可能性は広がっているのだ。

「昔なら手術できない、できたとしても一か八かの大手術だったものが、今は当たり前にできるようになっている。『手遅れ』の線引きそのものが、どんどん変化しているのです」(前出・須磨医師) 諦めるのは早いというのには、もうひとつの理由がある。どこで「手遅れ」の線引きをするかは、医師や病院のレベルによって違うという現実があるからだ。

 

 

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