2014年06月11日

料理人のパフォーマンスで発達した日本の包丁 No2

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「包丁(ほうちょう)」という名が登場するのは、平安時代後期になってからだ。
包丁はもともと「庖丁」と書いていた。「庖」は、台所を意味する「厨(くりや)」と同じ意味。「丁」は、馬の世話をする「馬丁」、庭を手入れする「園丁」といった言葉があるように、使用人を指す語だった。つまり、「庖丁」とは、厨房の仕事に従事する者、つまり料理人のことを指していた。「庖丁」が使う刀を「庖丁刀」と呼んでいたのが、室町時代になり「庖丁」と略して呼ぶのが定着した。ただし、「庖丁」は魚や鶏などを切るものに使われ、野菜を切るものは区別して「菜刀(ながたな)」と呼んでいた。

一方、まな板は、メインのおかずを意味する「真菜(まな)」に由来するとされる。本来は魚や鶏などを調理する切机が「真菜板」と呼ばれ、一般名称になっていった。当時は床の上に座って作業をしていたため、脚つきのまな板が用いられていた。まな板から脚が消えるのは、流しやガス台といった近代的な台所が導入されてからだ。 こうして「切る」道具が確立されてくるにつれ、今度はパフォーマンスとしての包丁さばきが注目されるようになってくる。

その理由として、民俗学者の原田信男は著書『和食と日本文化 日本料理の社会史』(小学館、2005年)の中で、当時はまだ複雑な調理法が発達しておらず、〈切り方が料理人の腕の見せどころとなったのである〉と興味深い指摘をしている。また、新鮮な海の幸や山の幸が豊富にあり、あまり手を加えずに生のまま食べる料理が発展したことも、切り方にこだわった要因の1つだろう。 それがのちに鎌倉時代、室町時代を通じて包丁さばきの流派を生んだ。

室町時代の絵巻には、「まな箸」と呼ばれる長い箸を左手に持ち、右手で日本刀型の包丁を持って、鶏や魚をさばいている様子が描かれている。こうして客の目の前で数十種類にもおよぶ見事な切り方を披露することで、包丁の技は磨かれていったのだった。

切り方の美しさを追求した和包丁
江戸時代になり、武家社会から町人社会へと移り変わると、肉や魚を切る「庖丁師」、野菜を切る「割肴師(きざみさかなし)」といった専門の料理人が登場する。 さらに戦国時代に培われた刀鍛冶の技術が発展し、江戸時代の中期には大阪府の堺や、兵庫県の三木、福井県の武生など包丁の一大産地も生まれた。現在も使われている出刃包丁(魚や鶏をおろす)、菜切包丁(野菜用)、柳刃包丁(さしみ用)といった形が登場するのも江戸時代である。

様々な食材によって包丁を使い分けるのは、ヨーロッパも同じである。ただ、和包丁は両刃よりも片刃が多いという特徴がある。 両刃とは、刃の断面を見たときに、両側面にほぼ同じ角度の刃がついているもの。片刃とは、片方だけに刃がついているものだ。同じ角度で研いだ場合、片刃の方が鋭角にでき、食材に対する刃の角度も微妙に調整できる。それに対して両刃は、食材に対してまっすぐに刃が入り、左右同じように切れるという特長がある。

片刃の刺身包丁で生の魚を引くように切ると、薄くきれいな刺身が出来上がる。つまり、片刃の多い和包丁とは、切り口の美しさを追求して発展したものなのだ。 一方、洋包丁は両刃が基本だ。料理をテーブルの上でナイフとフォークを使って切り分けて食べるため、調理段階で使われる刃物は肉や魚を解体する意味合いが強い。そのため、押して切るのに適した両刃が用いられるようになったのである。 また、日本では包丁とセットで語られるまな板が、洋包丁を使う地域では必須ではないことも付け加えておきたい。

欧米では、空中でナイフを使いながら、食材を直接鍋のなかに切り落とすことをよくやる。煮込んだり焼いたりするのであれば、それほど切り方にはこだわらないのである。しかも先述したように、食べる段階でナイフとフォークで切るため、調理段階で細かく切り分ける必要がないことも、まな板を使わない一因だ。 ひるがえって日本を含む箸を使う東アジア圏では、食べるときにはすでに食材が細かくなっていないと都合が悪い。そのため、まな板が必要になってくるのだ。

 

 

posted by タマラオ at 06:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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