2008年08月23日

タモリ白紙の弔辞

最近のニュースの中で2つ心に残ったものがある。
その中の一つを今日は紹介したい。

「白紙を手にした勧進帳だったタモリの弔辞」

タモリによると、紙に書いていこうと思っていたが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった。「赤塚さんならギャグでいこう」と白紙の紙を読む勧進帳でやることにしたそうだ。

弔辞は約8分にも及んだ。「赤塚先生」と呼び、そのマンガ作品との出会いから上京後に始まったつきあいを振り返った。

そして「私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません」「しかしいまお礼を言わさしていただきます」「私もあなたの数多くの作品のひとつです」などと話した。とても真面目で思いのこもった
内容だった。
これをつまりもせずに話したのはすごいことだ。

しかも何も見ずに。「しゃべる」ということに関して、頭の構造が普通の人とは違うのだろう。

タモリの弔辞は以下の通り。

 「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、 回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代と いっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。 

 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して 九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、 あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。

赤塚不二夫がきた。 あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、 いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、 映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、 未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると 相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを みたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。

 そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、 後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の 弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、 大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては 『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって 物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって 人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が 異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、 そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。

 最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、 一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、 ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と 言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞が あなたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。

 それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。 あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。
 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義」

何回読んでも心に残ります、私にとっては素晴らしい名分だと私は思いました。

ところで、勧進帳のどこが「ギャグ」で「落ち」なのか。タモリは言った。「オレのマネージャーの名前がトガシ」。 「勧進帳」は、山伏姿の義経一行を関所から逃げのびさせるため、弁慶が「本物」と思わせるよう白紙の勧進帳を読み上げるなどして危機を脱する話だ。
このとき関所の通過を許す役人が富樫(トガシ)左衛門だ。

多分タモリはマネジャーの名前からこの弔辞を考えたとしたらやっぱり素晴らしい才能を持った人だと再認識した。

 

 

posted by タマラオ at 20:10 | Comment(7) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
命名頂きありがとうございます(笑)。良い話ですね?っていうか、凄い話ですね?どちらかと言うとタモリは好きではありませんが、この話は感動します。
Posted by ランサーT at 2008年08月24日 00:08
ランサーTさん おはようございます

勝手に命名してしまって済みません、どうもTさん一文字だけではイメージが合わないものですから(笑)

>どちらかと言うとタモリは好きではありませんが

私もまったく同感の人物像を持っていました。
今回この記事を見て改めて人のナリフリだけで判断してはいけないなと感じた次第です。

それで彼には無断で記事にさせて頂きました。



Posted by タマラオ at 2008年08月24日 08:25
タマラオさん、皆様こんにちは。

赤塚不二夫氏の告別式の模様です。

Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=BkE-ntUlRhk

人は亡くなって初めてその人の存在感の大きさを知る、というところでしょうか。

満州生まれなんですね、自分も少年時代の良き思い出の漫画が沢山ありました。
Posted by こんにちは。 at 2009年02月20日 12:02
Youtube
タモさん 赤塚不二夫さんへ 弔辞
http://www.youtube.com/watch?v=83dh4-Z_sCw&feature=related
Posted by タモリの弔辞 at 2009年02月20日 12:05
投稿名が「タモリの弔辞」になってしまいましたが、ギンギツネです(汗)
Posted by ギンギツネ at 2009年02月20日 12:06
ギンギツネさん 今晩は

凄いですね、これを書いたのはずいぶん前のような記憶がしますが…(笑)
こういう研究熱心なお姿がババエにもてる秘訣であろうと一人納得しております。(爆)

過去ログまで読んでいただき有難うございます。
Posted by タマラオ at 2009年02月20日 17:45
何故か判らないんですが、タマラオさんの
ブログに飛んだらこのページだけ表示されたんですよ。

よく日付を見たら8月じゃないですか(汗)
何故なんでしょうね・・・・・。
てっきり新しい記事かと思った次第で・・。
インターネット不思議物語です。
Posted by ギンギツネ at 2009年02月20日 18:56
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