2015年09月18日

南部鉄器の伝統を守りながらカラフルな急須を開発し、海外進出を加速    No1  

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17世紀の中頃、南部藩で茶の湯釜を作らせたことから始まった伝統の南部鉄器は、黒光りする渋い鉄瓶が有名だが、南部鉄器の工房の一つである岩鋳の副社長岩清水弥生は、伝統を守りながらもカラフルな急須で海外進出を加速。今では、「イワチュー」として親しまれている。

欧米で大人気の「イワチュー」とは
いま、カラフルな南部鉄器の急須が欧米で人気を呼んでいる。赤や緑、オレンジ、白色など30色もの急須をティーポットとして楽しむのが欧米人のおしゃれな趣味になっている。これらの南部鉄器は「イワチュー」と呼ばれている。
イワチューとは、盛岡市で南部鉄器の工房を営む明治35年創業の工房「岩鋳」である。伝統の手作りを守りながら、同時に合理化・自動化できる部分は機械を使って年間約100万点にのぼる鉄器を生産しており、南部鉄器では最大規模の生産量を誇る。

岩鋳の代表取締役副社長で、ゆくゆくは4代目を継ぐ予定の岩清水弥生(45歳)は、こう語る。  「当社は明治35年の創業で、112年目を迎えますが、南部鉄器の工房として
は若い方です。曾祖父が創業した当時は盛岡市内で200軒ほどの工房があったようですが、現在は当社を入れて14軒になりました」  南部鉄器は17世紀中頃、南部藩が京都から釜師を招き、茶
の湯釜を作らせたのが始まりだ。以後、南部藩は鉄器づくりを奨励、17世紀には茶釜を小型化して鉄瓶を生み出し、南部鉄器として全国に知られるようになった。

南部鉄器から溶け出す鉄分は人が吸収しやすい二価鉄が多く含まれていることから、貧血予防に効果があり、鉄瓶で沸かしたお湯はカルキを除去するので水道水でもおいしい水に変わる。このような効能も日本で長く愛用されている理由のひとつだろう。
鉄瓶を作る工程は60以上、ほとんどが手作業という手間の掛かる製品である。1人で全工程をこなせるような一人前の釜師になるには最低15年、鉄瓶などに釜師の名を付けられるようになるには30〜40年もかかる。 釜師になると、自ら
デザインし、鋳型を作り、

文様を施し、鋳込みから着色まで行う。ちなみに、もともと銀色の鉄器が味わい深い黒色を帯びるのは、漆を焼き付け、鉄さびと茶汁を混ぜ合わせた「お歯黒」を塗るからだ。 こうした工程を他の工房と協力して
分業で行っている場合もあるが、岩鋳では社内で一貫して生産しているのが強みだ。「一貫生産だからこそ、様々な工夫や新製品を開発することができるのです」と岩清水は言う。鉄瓶を作る工程は64から68で、そのほとんどが手作業だ。写真は鋳込みの終わった鉄器を再度炭火で焼く「釜焼き」。これによって酸化被膜がつき、さび止めになる。

パリの紅茶専門店から「カラフルな急須がほしい」
岩鋳は祖父の弥吉が、鉄瓶だけでは南部鉄器の将来がないと、新製品開発を進めたことで発展してきた。1960年代から機械化を進め、すき焼き鍋や企業向けなどの記念品として灰皿も開発した。そうした姿勢に南部鉄器の伝統をないがしろにするものだと批判する同業者もいたが、弥吉には「仕事がなくなったら伝統も何もないし、職人も守れない。鉄器を広く知ってもらうことが必要だ」という信念があった。

1968年には観光客が製造工程を見学できるようにし、見学者に食事を提供するレストラン施設も開業、製品を売る店舗も作った。東北新幹線が開通してからは岩鋳が観光コースに組み込まれ、南部鉄器を広めることに貢献した。現在、「岩鋳鐵器館」として、展示ギャラリーや伝統工法による製造工程を見学できるコースを設け、多くの観光客を集めている(東日本大震災以降、集団客が減少したことから、現在レストランは閉鎖されている)。

 

 

posted by タマラオ at 05:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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