2015年09月03日

銀座曙 No1

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http://www.matsuya.com/m_ginza/about/ginza/details/111005_01.html

「銀座あけぼの」といえば、おなじみの和菓子屋。各地のデパートの地下にある店舗でも知られている。お中元やお歳暮で届く、あられの詰め合わせを思い浮かべる人もいるかもしれない。築地育ちの私にとっては、三愛ビルの隣にある「気になる和菓子屋」だ。おいしそうな季節の和菓子をディスプレーしていて、通るたびに目をひかれた。 イチゴの季節にはイチゴをふんだんに使った和菓子が売られ、餡子がたっぷり入っていそうなふっくらとした大福が山と積まれている時もある。

和菓子の老舗というと、見本が宝石のように飾られていて、しんとして入りづらい店が多いのだが、あけぼのの店はいつもポップで元気な印象が強い。銀座の店頭は、いつでもお客でいっぱいだ。 今回の跡取り娘は、2004年11月に銀座あけぼのでおなじみの曙の社長に就任した、細野佳代さん。祖父が銀座で興し、料亭などに和菓子を卸していた老舗の3代目になる。「初めは、社長になるつもりは全くなかったんですよ」と柔らかな笑顔で言う細野さん。

取材当日は黒いパンツスーツで現れたが、着物でも着ていたら、おっとりした老舗のお嬢さんというイメージそのものだ。「大学卒業後、しっかり仕事をするつもりはあまりなかったのです。銀座あけぼのに入社したのも、結婚までの腰かけのつもりでした」。しかし実際は、大学を卒業してからずっと銀座あけぼので働いている、和菓子業界20年のベテランでもある。 細野さんは、銀座あけぼの2代目社長の長女として生まれ、幼稚園から私立の玉川学園に入る。

しかし、あまりにおっとりした娘の性格を心配した母親が、「このままでは先行きが心配」と、公立の小学校に転校させたそうだ。高校と大学はまた玉川学園に戻り、教育学部を専攻した。 しかし教育実習で小学校1年生を受け持った細野さんは、ある子供が問題行動を起こす様子を見て、行き詰まる。「こういった子たちに私がしてあげられることがあるのだろうか? これを仕事にするのはキツイ、と思ってしまったんです。

あとから考えたら、仕事の厳しさはどこでも一緒だったんですけれどね」。どうしても教師になりたかったというわけでもなく、厳しい就職活動をすることもなく、進路はすんなり銀座あけぼのに決まった。20人の新入社員とともに入社したが、両親は決して細野さんを甘やかさなかった。 入社した新人の配属先は本社か店舗だったが、細野さんの行き先は工場だった。16人の社員のうち、障害を持った人が半分という小さな工場だ。入社1日目から、細野さんはショックを受ける。

ほかの社員はみなベテランなのだ。卵を割る作業ひとつとっても、細野さんはみなに全くかなわない。「仕事をなめていた。これは頑張らなくては、と思いました」 早くほかの人に追いつきたいと奮起するあたり、細野さんは本当に素直だったのだと思う。可愛がられて育った「お嬢様」が会社に入ったら、1日でいやになる人もいるかもしれない。しかし細野さんにとって、工場は楽しい職場だった。 2人でペアを組み、1日に作るお菓子の量はざっと30万円分。

これらがちゃんと流通に乗って売れていくさまを見て、「私は、世の中の人においしいと思ってもらえるものを作り出しているんだ」と細野さんは初めて思った。 仕事の楽しさに目覚めると今度は、「このお菓子をもっとおいしくするには?」「もっと売るためには?」と試行錯誤するようになった。ついには、新作を持って関東圏の70店舗を訪ね歩き、営業するまでになった。これまで、こんな社員はいなかった。当然店舗の反応も様々だった。

「社長の娘だから話を聞いてやるか、という態度の人もいましたし、こんなものは売れないとつき返され、泣きながら帰ったこともありましたね」。ちなみに、この時の新作菓子は、しっとりタイプのマドレーヌ。細野さんの母親が得意だったお菓子である。今では、ハート型のマドレーヌ「銀恋」として、商品化されている。 「和菓子の新作がマドレーヌ?」と思う人もいるかもしれないが、もともと銀座あけぼのの和菓子は、斬新なものが多いというのが私の印象だ。

 

 

posted by タマラオ at 06:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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