2015年08月28日

西洋の近代工業化は佐賀山中にルーツあり No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43800

有田焼について理解を深める意味もあって、これまで本題から脱線を重ね佐賀藩の歴史について触れてきた。しかし、アームストロング砲や反射炉などについて触れてしまったせいで、思わず"虎の尾"を踏んでしまったようである。 
戦時中、日立製作所で空母用のエレベーターを設計していた老父の目にこの記事が止まり、呼びつけられて潤滑の歴史について講義を受ける羽目になってしまったのだ。

第2次世界大戦末期、大砲や機関銃の弾などに銅合金が大量に消費されてしまい、日本国内で深刻な銅不足を招いた。その結果、様々な機械部品の軸受に使われていた砲金とよばれる銅と錫の合金が手に入りにくくなってしまったという。 この場合の軸受は、自動車や自転車などによく使われている金属球を使う転がり軸受ではなく、回転軸を金属製の円筒に通しその間に注油して軸受とするすべり軸受けのこと。船にスクリューを通す部分を想像すれば分かりやすい。耐摩耗性、耐浸蝕性、潤滑性に優れた砲金はこのすべり軸受けにぴったりだった。

技術者が考えた苦肉の策
一方で、幕末に欧米でも十分に普及していない段階で佐賀藩がいち早く開発・実用化に成功たアームストロング砲には砲身にらせん状の切込みがしてあり、弾が回転して飛び出すようになっていることは前に書いた。
このらせん状の切込みがある鋼鉄製の砲身内を弾が回転しながら進んで行く際にも、砲身を傷つけず、自らも傷ついて暴発しないためには、やはり砲金の優れた特性が必要だった。この結果、大砲や機関銃の弾頭の材料として大量に使用されることになり、第2次世界大戦末期にはついにすべり軸受けとして使う分にも不足するようになってしまったわけである。

困った技術者たちは別の金属で代替する方法を早急に考え出さなければならなくなった。しかも戦時中のこと、使える材料は限られている。そこで知恵を絞った結果生まれたアイデアが、鉄の鋳物を軸受に使えないかというものだった。鋳鉄は脆く耐摩耗性にも乏しいから、普通なら軸受に使おうなどとは考えない。しかし、鋳鉄には無数の巣(す)と呼ばれる細かい空洞がある。この空洞に鉛筆の芯などに使われるカーボンの粉を詰め込んだらどうだろう・・・。

カーボンの粒子は表面が滑らかで、いわば粒子一つひとつが転がり軸受の鉄球のような存在である。軸受に使えば滑らかな回転が得られるのではないか・・・。それに、カーボンの細かい粒子は油と同じような働きも期待できるので、
軸受に油を使わなくてすむのではないか・・・。 日本で実際に油を使わない軸受が実用化されるのは戦後になってからだが、当時、貴重な砲金が使えないためにこんな開発が進められていたというのだ。まさに必要は発明の母と言われるゆえんである。

ちなみに当時、米国は日本やドイツの戦闘機から迎撃を受けないように高度1万メートル以上を飛べる爆撃機(B-29)を戦場に大量投入していた。この高高度を飛べるようにしたブレークスルーの1つが潤滑だったと言われている。

シリコーンをすでに実用化していた米国
気温が摂氏マイナス50度にもなる1万メートルの高度では、常温でさらさらの油でも固くなってしまい潤滑油の働きができなくなる。このため日本が誇ったゼロ戦もB-29をなかなか迎撃できなかった。B-29にはこの時すでに、シリコーンを使った潤滑が使われていたという。さて、寄り道もこのくらいにして創業400年を迎える有田焼の話に戻る。朝鮮半島から技術が伝わった磁器の生産が有田で始まり、一方で中国と朝鮮半島が非常に厳しい鎖国によって世界市場から閉ざされた結果、有田焼が欧州で大人気商品となったことは前回書いた。

 

 

posted by タマラオ at 06:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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