2015年09月08日

跡取り娘の経営戦略   No1

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浅野屋3代目 浅野まきさん 

2007年3月30日、三井不動産が六本木防衛庁跡地に開発した東京ミッドタウンがオープンした。開業1カ月の来場者は480万人、ゴールデンウイークは9日間で150万人、平日でも12万人が訪れるという人気スポットだ。その一角、六本木交差点から乃木坂に向かって歩き、ボッテガベネタを通り越したガレリア1階に人気のパン屋、浅野屋東京ミッドタウン店がある。オープン当日や連休中は、1日に1400人ものお客が訪れたこともあるという。

ガラスのショーケースにはこんがり焼けたデニッシュが並び、パンを求める客が常に列を作っている。奥には本格的なピザ釜のあるブラッスリーもあり、午前4時まで営業している。東京ミッドタウン店開業までの間、文字通り東奔西走していたのが、今回の跡取り娘、2006年7月に浅野屋代表取締役社長に就任した浅野まきさん(38歳)だ。 軽井沢に旧道店、白樺台店、信濃追分店、東京には自由が丘店、松屋銀座店、東京ミッドタウン店と6店舗を構える浅野屋。

夏季営業の軽井沢店では、レーズンパン「軽井沢レザン」を求めて並ぶ観光客の姿が夏の風物詩にもなっている。私が小中高と通っていた母校が四谷にあるが、この校舎の裏にかつての浅野屋本店があり、購買部にも納入されていた。浅野屋は、10代の私の旺盛な食欲を満たしてくれた、懐かしいパン屋さんでもあるのだ。生地がふんわりとして、おいしかった記憶がある。今から30年も前の話だ。 しかし、母校近くの小さなパン屋だった浅野屋が、軽井沢に大きな店舗を構え、デパ地下にもどんどん出店していくのを見て、大躍進の秘密はなんだろう、とずっと不思議に思っていた。今回の取材で、浅野屋の興味深い歴史を跡取り娘の浅野さんに初めて教えてもらった。

浅野屋の歴史は古く1933年にさかのぼる。意外にも、パン屋としては軽井沢店が事始めだった。「祖父の浅野良朗は石川県から16歳で東京に来て、食料品店に11年間勤めてから、麹町に浅野商店を開業しました。戦前から軽井沢で、在日大使館や外国人の食糧配給所を外務省から委託されていたのです」と浅野さんは言う。 現在地価が高騰している別荘地軽井沢を拓いたのは、外国人宣教師。外国人のためにパンを売ったのが、浅野屋軽井沢店の始まりなのだ。

祖父は食料品店を中心に商売をしていたが、父の浅野耕太はパン製造業に力を入れた。1976年に四谷店を開業し、2つのパン工場を作った。それが、私の学生時代の思い出の浅野屋だったのだ。1979年、浅野さんが10歳の時に、38歳の父はブランジェ浅野屋を設立し、四谷店はブランジェ浅野屋四谷店となった。 浅野さんの古いアルバムを見せてもらうと、幼少期の写真に交じって懐かしいセーラー服の制服を着た姿があった。浅野さん自身も私の母校の後輩で、幼稚園から入学したのだ。浅野屋は、彼女が在学中、学校指定のパン屋さんだったそうだ。

「父は新しいものを取り入れるのが早い人でした。スペインのサラゴサのファルファス社の石釜とか、天然酵母のパンなどをいち早く導入しました。小さなパン屋の頃から、機械も妥協せずにいいものを使い、手作りと機械のバランスのいい、おいしいパンを作れるようにしていました」 浅野屋の歴史を追っていくと、バブルの1983年から急速に拡大していく。軽井沢にレストランを作り、夏季営業から通年営業に。また四谷にビルを建て、深川工場を稼働し、ホテルやレストランにパンを納入するようになる。その頃の浅野さんは清泉女子大学の体育会テニス部の元気な女子学生で、91年に丸紅に入社し、華やかなOL生活が始まった。

 

 

posted by タマラオ at 06:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記