2015年08月30日

西洋の近代工業化は佐賀山中にルーツあり No3

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43800

お互いを刺激し合った日本と欧州
多くの日本人は、日本が西洋から近代工業を取り入れて今の発展を手にしたと思っているが、300年前にはドイツが日本の技術を必死で取り入れていた――。冒頭に触れた軸受の話も含め、私たちは日本という国のポテンシャルにもっと自信を持っていいのかもしれない。伊東先生のこの記事には、日本からヨーロッパへ、ヨーロッパから日本へ文化が交流することで科学技術が大きく発展していった歴史の中で、なぜか中国や朝鮮半島が取り残されてしまった理由にも考察が加えられている。ここでは次の2文を引用するだけにとどめたい。

「中国のお家芸は強力なイノベーションの展開よりも、商機を読んで廉価な製品を売り尽くし、あとに残るものが少ないといった形であるような気が私にはするのである」 「発想とビジネスにおいて優れる中国は、
同時に腰を落ち着けて本質的に強力な技術革新を成し遂げることに、必ずしも長けていない」 経済発展に伴って地球上で存在感を増している中国だが、本当に世界のリーダーになれるのか――に世界の注目は集まっている。
しかし、リーダーの資質として致命的な欠点が実はここにあるような気がしてならない。


さて、ドイツに伝わってマイセン陶器として発展する有田焼は、ドイツに真似された一方でありがたいお土産をもらうことになる。これについても伊東先生が書いている(「ドイツが有名にした世界の葛飾北斎」)(「現代日本の繁栄は、江戸時代の鎖国に源流あり」)。 その内容をかいつまんで説明すると、マイセンの近くにザクセン銀山という銀を大量に産出する貴重な山があった。そこでは銀を取ったあとに大量のごみの山ができていた。

ドイツの人たちは厄介なゴミだととらえていたが、東インド会社を経営し世界事情に長けていたオランダの人たちには宝の山に映った。そしてただ同然で買い取り、船に乗せて東へ東へと運んで行った。そのゴミは酸化コバルトが多く含まれていることをオランダ人は知っていたのだ。イスラムの国々ではガラスにそれを混ぜてステンドグラスとなり、日本では有田焼の藍色を出す呉須となる。まさに貴重な素材がドイツからもたらされたのだ。

それだけではない。葛飾北斎の有名な「富嶽三十六景」などは、このドイツからもたらされた酸化コバルトの顔料によって実現できたという。ヨーロッパ人を魅了した北斎の有名な絵の数々は、実はドイツの銀山のゴミが原料だったのである。佐賀県の山の中の小さな町に、世界史を変えるだけの力があったという事実は、何とも興味深い話と言えないだろうか。

 

 

posted by タマラオ at 07:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記