2015年08月29日

西洋の近代工業化は佐賀山中にルーツあり No2

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43800

そして日本の輸出入拠点である長崎を押さえていた佐賀藩は、幕府に内緒の密貿易で有田焼をヨーロッパに輸出し多大な利益を得、これが幕末の反射炉や蒸気船、アームストロング砲などの技術革新につながったことも書いた。
しかし、有田焼が欧州でい人気を得たのは、中国、朝鮮半島の鎖国のおかげだけではもちろんなかった。有田では磁器の技術革新を短期間の間に次々と重ねていく。その高い技術がヨーロッパの人たちを魅了したのだ。

特に有名なのが有田で最も古い窯元の1つ柿右衛門の初代・酒井田柿右衛門が開発した「赤絵付けの技法」と呼ばれるものである。中国から朝鮮半島を経て有田に伝わった磁器は、その白さが特徴で白磁と呼ばれる。
素焼きにされたものに呉須(ごす)と呼ばれる黒い色をした顔料を使って模様を描き、その上に釉薬(ゆうやく=うわぐすり)をかけて本焼きすると、白い素材の上に藍色の模様が現れる。

呉須の主成分は酸化コバルトであり、1300度という高い温度で焼く過程で化学反応を起こしてコバルト特有の青い色を出し、白地に藍色の模様という伝統的な白磁製品となる。 ここまでは中国、朝鮮半島から伝わった技術だが、初代柿右衛門は、藍色の模様だけに満足することなく赤い色の絵付けを加えることによって、中国発祥の白磁の価値を一気に高めた。その模様と色合いがヨーロッパの人たちの心をとらえたのである。

柿右衛門の技はノーベル賞級
赤絵付けは、本焼きが終わって青い色の模様をつけた製品の上に赤い顔料を使って絵を加え、本焼きより低い700〜800度の温度で再び焼いて絵柄を定着させる。 2014年に3人の日本人が青色ダイオードの発明でノーベル賞を受賞したが、初代柿右衛門はこの時代のノーベル賞級の開発をしたと言えるかもしれない。発光ダイオードの場合は周波数の低い赤から高い青へ、白磁の場合は焼成温度の高い青から低い赤へ領域を広げたことによって・・・。

それはともかく、白磁に新しい息吹を吹き込んだ柿右衛門は、さらに赤だけではなく黄色や緑、さらには金色の絵付けも加えた。こうして中国伝統の素朴な白磁は、一気に色彩豊かで豪華絢爛な磁器となったのである。 
そして、徳川時代に唯一貿易が許されていたオランダの東インド会社によって1650年代にヨーロッパに伝わり、貴族たちの間で引っ張りだこの人気商品となり、有田焼は世界一流のブランドとなった。

さて、これまで有田焼と日本の歴史についてまとめると、次のような流れになる。中国・朝鮮半島から技術導入→佐賀藩で有田焼が誕生→ヨーロッパで飛ぶように売れ佐賀藩の財政を潤す→幕末に佐賀藩が真っ先に反射炉を導入し蒸気船やアームストロング砲を開発し明治維新のもう1つの立役者となる→明治維新後の日本の急激な発展の礎を築いた。しかし、実はこれとは全く別の流れが存在した。それは次のようなもので、これまた極めて興味深い。

ヨーロッパに伝わった有田焼は宝石のように扱われ憧れの対象だった→有田焼のコピーを何としても作りたいとドイツのマイセンの人たちが考えた→有田焼に遅れること約100年でマイセン陶器を生み出すことに成功→マイセンで陶器産業が発展→ドイツで窯業から化学、近代工業が発展する礎となる。つまり、ドイツが工業国家として発展する基礎は有田焼が作ったとも言えなくもないのである。これについては、東京大学の伊東乾・准教授がすでに書いている(「ドイツの近代工業は日本のレプリカから始まった」)ので、まだお読みでない方はご一読をお勧めしたい。

 

 

posted by タマラオ at 07:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記