2015年08月08日

「池袋の天狗」が「定食店のおやじ」に戻った日 No2

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http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/269473/073000009/

店での接客や調理はいつしか従業員任せにして、格好を付けて当時はやっていた大皿料理の居酒屋を出したのです。うまくいくわけもなく、居酒屋は大失敗。わずか1年で閉めました。 追い打ちをかけるように、3店目の東京・吉祥寺店が従業員の不注意から、火事で全焼してしまった。直接の原因は従業員にあるかもしれないが、経営者の私が店を従業員任せにしていたから、起こるべくして起きたのです。

従来の定食店のイメージを打ち破る
この2つの出来事は浮ついていた私を戒めました。自分は定食店の店主にすぎない。社長だと偉ぶるのではなく、定食店のことだけを考えてしっかり働こう、店の全焼も前向きにとらえるんだと、自らを叱咤しました。3号店を再建するときに、従来の定食店のイメージを打ち破るような店舗をつくろうと思い立ちました。明るくきれいな店にすれば、女性客も来てくれるのではないかと考えたのです。私も再び店に入り、調理や接客をしました。店は半分以上が女性客で埋まり大成功。

私は気持ちを引き締め、それからも午前中は店で働き、午後に社長の仕事をすると決めて、その後5年間これを守りました。「自分は定食屋のおやじ」だと、今も自分に言い聞かせています。池袋の定食店の成功は、若かった三森さんを天狗にした。しかし、居酒屋の失敗と店舗の火災で反省を余儀なくされる。これが、その後の大戸屋発展の土台になるのだが、ただ、人生においてこうした大失敗に直面しても、誰もが素直に自らの非を認め、その失敗をエネルギーに転換できるわけではない。

15歳で養子に。父を心から尊敬していた
実は三森さんは養子だった。15歳のとき、子供のいなかった伯父の養子になる。店の見てくれは悪かったとはいえ、裸一貫から繁盛店をつくり上げた父のことを尊敬し、父も三森さんをとてもかわいがったという。だから三森さんは、父が残した定食店を発展させることが恩返しになると考えていた。どんなに店を繁盛させても、「汚い定食店のおやじ」としか見られることのなかった父。その父に向けられる世間の目を変えるには、老若男女が「こんな定食店に行きたかった」と思ってくれる店をつくるしかない。

父に対する尊敬の念があったから、一時、天狗になっていた若者は、「定食店のおやじ」に立ち戻ることができた。あくまでも「定食店のおやじ」として、新しい定食市場を切り開いていこうと、自らに誓ったのだ。経営者としての三森さんの信念が一切ぶれることはなかったのは、こうした理由からだ。その謙虚な姿勢で多くの人に私淑して学ぶことを怠らず、そして多くの人を引きつけた。和食が世界に広がる今、ますます三森さんの活躍が見られると思っていたのに、残念でならない。

 

 

posted by タマラオ at 06:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記