2015年08月07日

「池袋の天狗」が「定食店のおやじ」に戻った日 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/269473/073000009/

大戸屋ホールディングスの三森久實会長を偲ぶ
1957年山梨県生まれ。15歳のとき、東京・池袋で「大戸屋食堂」を経営する伯父の養子になる。79年に店を継承し、83年大戸屋設立。2001年株式上場。05年タイのバンコクに海外1号店を出店。その後、台湾やインドネシア、米国にも出店。15年7月27日逝去

定食店チェーンのパイオニア、大戸屋ホールディングスの三森久實会長が7月27日、57歳の若さで逝去した。女性が気軽に入れる新しい定食店のスタイルを確立し、国内だけでなく、タイをはじめ海外にも展開。店舗数は計400店を超えたが、持ち前のベンチャースピリットは衰えることがなく、最近は米国市場開拓の陣頭指揮を執っていた。外食業界に大きな足跡を残した起業家を、生前のインタビューと共に振り返る。初めて三森さんを訪ねた日のことは忘れられない。

1999年1月、冷たく激しい雨が打ち付ける日だった。当時の大戸屋(後の大戸屋ホールディングス)の本社は、東京郊外の私鉄駅(西武新宿線田無駅)から15分ほど歩いたアパートの一室にあった。 大げさに言っているのではなく、正真正銘のアパートだったと記憶している。しかも、お世辞にもきれいとはいえず、昭和の苦学生が住んでいそうな、老朽化したアパートだった。 既に30店ほど定食店を展開し、急成長企業として耳目を集めていたので、華やかなイメージとのギャップにかなり驚いた。

本社前で合流予定だったカメラマンを待つ場所に困り、仕方なく来た道を戻り、コンビニで雨と寒さをしのいだ。「なかなか、レトロな感じの事務所ですよね」 にこっと笑って答えてくれた 取材の冒頭で、
嫌味に聞こえるかもしれないと思いつつ、婉曲的にそう尋ねてみた。すると三森さんは、にこっと笑った。「ははは。でも、すごく居心地がいいんですよ。この部屋で一人静かに、各店から届くお客様のアンケートを読んでいると、反省をさせられるし、いろいろな考えも浮かんでくるんです」

そう言って、狭い部屋の一角にどっさりと、しかし丁寧に積み上げられたアンケートの山を指差した。30店も展開していたら、ちょっといい気になってもおかしくないのに、この三森さんという経営者のストイックさは普通ではないなと思った。その後、本社は企業規模に相応しい建物に移り、株式上場も果たした。本社こそ立派にはなったが、何度取材しても、三森さんに偉ぶるところはなかった。定食店の経営が楽しくて仕方ないという様子で、古びたアパートにいた頃と同じように、店に寄せる思いをいつも話してくれた。

なぜ、三森さんは自らを律することができたのか。なぜ、経営者として成功したのか。2007年のインタビューで、その転機を語っているので、全文を紹介する。1958年に東京・池袋で父が始めた「大戸屋食堂」は、安さだけが取りえの大衆食堂でした。お世辞にもきれいとは言えない造りで、料理や接客のレベルも、当時の池袋周辺では一番劣っていたはずです。 父の死に伴い、79年に店を継いだ私は20歳そこそこの若僧で、無我夢中で店に立ちました。

当時の定食店ではどこも使っていなかったような立派な食器に変えたり、のりの佃煮の瓶詰を“ボトルキープ”するといったアイデアをどんどん実行しました。客足は着実に伸び、気が付けば行列ができるほどの人気店に。お金も貯まり、2号店、3号店を出せました。東京・池袋の1号店。三森会長の養父が1958年に開業した「大戸屋食堂」が前身だ  その頃、私はまだ30歳前。経営な
んて簡単じゃないかと、自分の力を過信しました。

 

 

posted by タマラオ at 06:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記