2015年08月06日

マグロが回転寿司から消える日がやってくる!? Mo3

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もちろん、今、いい食材の確保が難しくなりつつある現状があり、良質な食材の価格は上がり続けている。結局のところ、我々はマグロを食べ過ぎていたのだ。高級品ではない回転寿司のマグロだって、そう遠くない未来に食べられなくなる。そうしてマグロは富裕層の口にしか入らないものになる。このままいくと食文化は一部のエリート層のものになっていくのかもしれない、とも思う。

国の動きを待っていては遅い 消費者がマグロを守るためにできること
日本の漁業については一部の養殖などをのぞき、明るいニュースがあまりない。少し前の話だが、北欧から来日したシェフの料理を賞味する機会があった。そこで食べたノルウェー産のホタテ貝に驚いた。身が緻密で、味わいが特別に深い。「ノルウェーは水温が低いので、成長がゆっくり。だからその分、身が緻密で美味しい」のだとシェフは説明した。つまり、ノルウェーでは育成期間を充分にとって、高付加価値の商品をつくっているのだ。

漠然と日本の魚介類の質は高いと思っていたが、そうとばかりも言えないようだ。例えば鯖である。スーパーではノルウェー産の鯖を買うことができるが、消費者がそれを選ぶのはもちろん「美味しいから」だ。日本の鯖の質が低いわけではない。銚子で『極上サバ』という大きく育った鯖を食べたことがあるが、脂の乗りもよく格別の美味だった。食べるためにわざわざ銚子を訪れる価値のある味である。しかし、そうした成長した鯖はそう多く獲れない。

休漁などの一応のルールはあるものの、巻網で鯖をとりつくす乱獲が続いていて、鯖が大きく育つまで待つことができないのだ。こう書くと漁業者が悪いような気がするが、そうとも言い切れない。銚子が獲らなければ、他所が獲るだけだからだ。コモンズの悲劇の典型的な例だ。以前『ニッポン 食の遺餐探訪』という連載のなかでも書いたが、それを防ぐ
には個別割り当て方式に代表される漁獲規制を導入するべきだ、という意見がある。個人的には僕も賛成だ。

しかし、濱田武士氏の『漁業と震災』という労作を読むと「なるほど」と納得させられる。濱田氏の意見は「個別割り当て方式を導入しただけで、問題が解決するわけではない」というものだ。 『漁民みながそのような行
動をとれば(中略)大型魚の乱獲が発生し、価格暴落に繋がることにならないであろうか。そもそも水産資源の減少の原因は漁獲の行き過ぎだけではない。海そのものの環境劣化の進行などにも求められる』

おそらくどちらも正しいのだろう。規制をつくらない国が駄目だ、という意見は正しいが、有効ではない。『失われた20年』が証明しているように、この国で政治が有効に機能したことなどないからだ。さらには企業の力が大きくなるうえで国家のプレゼンスは低下の一途をたどっている。こうした状況で国に期待するのは愚かだ。とりあえず今、大事なことは「我々でできること」と「国がやるべきこと」を分けて考えること。

国が動くのには時間がかかるので、我々は我々でできることを考えるべきで、それは例えば持続可能性のある食材を選択して食べるということだ。月並みな結論かもしれないが、妙な正義感で漁業者や魚の需要が伸びている諸外国を批判するよりはよっぽど有意義だ。資本主義の世界では、消費者は力を持っている。その力をどのように行使するか、ということを考える余地はまだある。

 

 

posted by タマラオ at 06:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記