2015年07月31日

孤高の食材、こんにゃくのイノベーション  No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42193

こんにゃく。弾力ある歯ざわりが好まれ、田楽白和えやおでんなどに用いられる。 「食感」がとりわけ特徴的な食材がある。口に入れたときの歯ざわりと噛みごたえ、そして舌が受ける感触。食感が独特であればあるほど、その食材はほかの食材と一線を画し、孤高さを感じさせるようになる。 「こんにゃく」は、そんな食材の代表格と言えるのではないか。例えば、おでん。がんも、きんちゃく、大根、ちくわ、はんぺん、卵と面子が揃う中で、こんにゃくは灰色の体で異彩を放っている。

食べれば、歯ざわりでぷるぷる感を覚え、舌であの独特な風味を覚える。こんにゃくを食べるときだけは、ちょっとだけ「ちょっと違う具を食べる」といった意識を持つ人もいるのではないか。 こんにゃくはいまが旬と言える。11月は、こんにゃくの原料であるこんにゃく芋の収穫時期。消費量も11月から12月にかけてが毎年ピークとなっている(総務省統計局調べ)。そこで、今回は「こんにゃく」をテーマに、日本人との関わりあいの歴史を追うとともに、こんにゃくに加えられている現代の科学技術をお伝えしよう。

全篇ではこんにゃくがどのように日本人の食材として定着していったのか、その変遷をたどってみる。後篇では、こんにゃくの成分に着目し、新たなこんにゃく加工品の開発に取り組んでいる未来食品研究所(群馬県)の滝口強氏に、今後のこんにゃく産業の活路を聞くことにする。

「おでん」の元祖はこんにゃく料理だった
こんにゃくの原料であるこんにゃく芋は、中国大陸から日本に伝わった。ただし、来歴の明確な記録はない。一説には縄文時代、里芋とともに渡ってきたという説がある。もう1つの説では、仏教伝来(538年)から遣唐使廃止(894年)までのいつの時かに、大陸から茶などとともに入ってきたのではないかとされている。 「蒟蒻(こんにゃく)」が初めて記述された国内の文献は、平安時代、承平年間(931〜938)に成立した辞書『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』である。

中国で3世紀につくられた詩を引用する形で、「蒟蒻 文選の蜀都賦の注に云う、その根は白く、灰汁(あく)をもって煮れば、すなわち凝成す、苦酒をもってひたしこれを食す、蜀人これを珍とす」とある。「蜀」はいまの四川省のことだ。灰を水で溶かした灰汁で煮て固めるというこんにゃくの作りかたは、中国ではすでに3世紀にはあったことになる。かつて日本では、「こんにゃく」に「古邇夜久(こにやく)」の和名が与えられていた。

1006(寛弘3)年成立の『拾遺和歌集』には、「野を見れば春めきにけり青葛(あおつづら)こにやくままし若菜摘むべく」と「こにやく」が載っている。 鎌倉時代以降になると、僧侶の精進料理の食材としてこんにゃくが食べられた。1330(元徳2)年には、僧の玄慧が著したのではとされる庶民教育の教科書『庭訓往来』に「糟鶏(そうけい)」という料理が記されている。こんにゃくをたれ味噌で煮た料理であり、これが「おでん」の元祖であると言われている。 

しかし、元をただせば日本ではこんにゃくは薬だった。江戸時代に至っても、1712(正徳2)年成立の百科事典『和漢三才図会』に「俗に云う蒟蒻能(よ)く腹中の土砂を下し」とあり、こんにゃくの整腸作用が述べられている。薬用の効果が言われたことが、庶民の食材として定着するきっかけの1つだったようだ。

こんにゃく芋を粉にするという技術革新
庶民の食材となった経緯のなかでもう1つ、“こんにゃくの革新”とでも言うべき重大な出来事が起きる。 江戸前期の1750年代まで、こんにゃくの製法と言えば、まずは、こんにゃく芋を摺りおろすことからだった。そこに、えぐみの除去とこんにゃくの固化の両方の目的で灰汁(あく)が加わる。しかし、この製法では、こんにゃく芋を収穫してからすぐにこんにゃくにして食べるしかなかった。こんにゃく芋は寒さに弱く、日持ちしないためだ。

 

 

posted by タマラオ at 06:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記