2015年07月16日

合成醤油からホンモノ回帰への長すぎた道のり No2

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選び抜いた柔らかなうるち米の団子に有田屋の再仕込醤油、またはそれを使ったみたらしタレが絡む。キリッと立った醤油の香りと柔らかな団子が絶品だ。みたらしもいいが、醤油焼きがとくに美味しい。「せっかく醤油蔵に寄っていただくのですから醤油の味がわかる、おいしいものをお出ししようと思って」旨い、旨い、と我々。お団子に感動してばかりでも申し訳ないので、醤油のお話に戻ろう。

醤油業界はまだ“戦後”が続く? 戦時中の代用品「アミノ酸醤油」の名残
街道筋に店を構える有田屋。風格を感じさせる建物だ 湯浅さんは98年に有田屋に入り、2003年に7代目当主に就く。「自分の代で大きく変わったのはそれまでつくっていたアミノ酸液が入った醤油をやめたことです。うちの出荷先は業務用がほとんどでしたから、学校給食にも使われていたんですね。美味しいからと言われても、将来的にどうなんだろう、と疑問に思ったので、すべて昔ながらの天然醸造一本に切り替えてしまったんです」

──経営的には大きな判断だったと思いますが?
「業務用の方は離れていったので、そうかもしれません。時間もかかりますし、経済的な観点から見ると非効率に見えると思います。2年、3年の先を見越して先行して手当てをするわけですから。でも、うちは決して大きな規模の会社ではありません。ですから社会的に意味のあるものづくりをしなければ生き残っていけないと考えました」醤油の製造法には歴史も大きく関わっている。醤油産業が最も活況を呈したのは第一次世界大戦後の好景気中である。

近代化も進んだが第二次世界大戦前後になると陰りが見えはじめる。食糧危機が深刻化するなかで、原材料の入手が困難になったのだ。そこで生まれたのが代用醤油──アミノ酸醤油である。1940年には、政府によって丸大豆の使用が禁止され、かわりに求められた活路が脱脂加工大豆だった。原材料の不足から生まれた脱脂加工大豆の利用だが、旨味が出やすいというメリットもあった。戦後、食糧事情が改善するとさすがにアミノ酸醤油は消えたが、アミノ酸液を混合した醸造醤油はしばらくのあいだつくられ続けた。丸大豆を使った本醸造が復活したのはここ数十年のことである。醤油の世界では長い
間〈戦後〉が続いていたのだ。あるいはアミノ酸液が入った醤油を好む地域は残っているので、そういう意味ではまだ続いているのかもしれない。


フコク印天然醸造醤油。材料を描いた図版が今見ると新鮮だ
有田屋の醤油は国産の丸大豆、小麦、塩でつくられている。醤油メーカーには脱脂加工大豆を使うところもあるが、有田屋が使うのは丸大豆だけだ。「脱脂加工大豆も悪いものではないのですが、結局は油をとるための大豆なのでどこでどのようにとられたか知ることができません。その点、丸大豆なら信頼できるものを入手できるのが最大の利点ですね。できれば群馬県産のものを使いたいと考えていまして、最近ようやく目処が立ってきたところです」

国産大豆を使った醤油の流通量は2%以下。国産大豆、と簡単に書いたが、大豆の自給率は4%で、そのほとんどは豆腐や納豆などにまわるため、加工食品である醤油に使われる絶対量は少ない。

──最近、革命と言われた某会社の酸化しないパックの生醤油とかの原材料は脱脂加工大豆です。非常に売れているようですが。
「あれはなかなか美味しいですね。すごい技術だと思います。容器へのこだわりとかああいうところが日本人のすごいところだと思います。醤油の敵は酸化です。ですからうちでは家庭用には小さな瓶をおすすめしています。大きい瓶の方が割安ですし、詰める方も楽なんですが、味を考えるとやはりそうですね」

 

 

posted by タマラオ at 06:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記