2015年07月14日

あの英国人一家も驚嘆!? 日本料理に欠かせない小道具「うちわ」の凄さ No1

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http://diamond.jp/articles/-/74167

数年前、『英国一家日本を食べる』(マイケル・ブース亜紀書房)という本がベストセラーになった。イギリスのフードライターが家族とともに日本に滞在し、外国人の視点で日本の食文化を語る紀行文である。序盤に新宿の思い出横丁で焼き鳥を食べた著者が感心するくだりがある。著者は自分にとってバーベキューはいつも心配の種で、焦がしてしまいがち──なのだけれども、日本人は炭火の扱いに長けている上に、すばらしい工夫をしている、という。

それはあらかじめ肉を小さくカットしていることだ、と。なるほど外国人の目から見れば焼き鳥という調理法もそうした工夫に見えるのか、と新鮮で、他にも「ふむふむ」と思うところの多い本だった。日本料理ブームもあって世界に広がる炭火焼き。残念ながら著者は気づかなかったようだが、一緒に紹介したい道具がある。それが「うちわ」だ。職人は風を操ることで、火力と煙の方向を巧みに調整しているからである。

鰻や焼き鳥を美味しくする「越生うちわ」にしかできない芸当
さりげなくおかれた石碑。うちわは野口雨情の歌にもある名物である 埼玉県越生(おごせ)。関東三大梅林の一つ、越生梅林で有名なこの地は街道の要衝、江戸時代は行楽地として知られた。越生駅から越生町の観光センター〈里の駅・おごせ〉に向かうと、(越生)「渋団扇発祥の地」の石碑が立っている。町民文化の発達とともに全国各地でうちわが生産された江戸時代、越生のうちわはその名が全国に知られていた。

うちわは夏の風物詩。現在でも花火大会など夏の風情を楽しむ光景には欠かせない道具だが、実用品としての側面もある。全国各地、それぞれの個性のあるうちわがあるが、鰻や焼き鳥を焼くのに一番、適したものを探し、辿り着いたのがこの越生うちわだ。石碑からほど近い場所にある『うちわ工房しまの』の五代目、島野博行さんからお話を伺い、うちわの製造工程を見学させていただいた。

かつてここ越生では50軒の工房があったという。明治初期には年間43万本が生産されていたというから、相当な規模だ。ところが昭和30年代には扇風機が、40年代半ばを過ぎるとクーラーが普及し、キッチンでもガスコンロの普及が進みうちわの需要は減少。また竹を使ったうちわはその生産性の低さからポリプロピレン製のポリうちわに置き換わっていった。現在、越生でうちわを製造しているのは『うちわ工房しまの』ただ1軒だけになった。

「昔は分業でつくっていたんですよ。うちわ造りが盛んなのは材料が近隣で手に入ったからでしょう。竹、越生に自生していますし、和紙は小川町から。昔は骨をイグサで編んでいたんですが、坂戸から川島辺りが畳の産地だったんで、そこから仕入れていました」島野さんは訥々と静かな口調で話をする。小上がりの作業場がある古い工房には様々な種類のうちわが並ぶ。それぞれに図案が異なり、眺めていると目移りしてしまう。プラスチック製の大量生産品を見慣れた目には竹でつくられたうちわは一際新鮮に映る。形、大きさ、紙質と1本1本に異なる個性があるのだ。

──これは一本の竹を割っていくんですか?
一文字と呼ばれる越生うちわ。各地方ごとに特色があるが、強い風を起こせる形になったのは食文化華やかな江戸にほど近いという地理的な特色もあったのだろうか? 「そうね。竹を切るのは12月、切り旬と
いいますが、一霜降りたら竹を切る。(一本の竹の先端に)切り込みをいれて、しごくと裂け目が下がっていくんですね。花割っていうんですけど、これが一番むずかしいところ。ここまでは冬場の仕事です。とった竹が湿っているうちにする作業ですね。次の工程は乾いていないと駄目です」

──形が独特ですよね。扇部の下辺が柄と一直線になっている。
「一文字うちわといって、肩入れという柄を打ち込むんです。こうすることで強い風が起こせるようになります。越生うちわの特徴ですね」

──うちわの良し悪しはどういったところで決まるのでしょうか。
これが鰻うちわ。柿渋を塗って強度を増すという知恵は日本人の暮らしの叡智だ。最近はラッカー塗料で柿渋風に色づけたものもあるが、これはもちろん本物 「良し悪しね。うちのほうではへたらない
で強い風がいくようにしていますけど。違う産地のうちわですと逆にしならせてやわらかい風をおこしたりするものもあります」

 

 

posted by タマラオ at 06:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記