2015年07月13日

初物を食べると1年長生きすると言われる理由 No2

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44227

お米が65点、豆腐も86点といった成績だった「アミノ酸スコア」で言えば<ワカメの入った味噌汁>と白いご飯の組み合わせにすれば、バランス的には100点の一食になるというわけです。 一応注意しておくと、この「アミノ酸スコア」というのは含まれる必須アミノ酸の比率、バランスを示していて、たくさん含まれているとか不足しているといった絶対量を示しているわけではありません。

でも、酢の物などでワカメを多めに取って、豆腐・油揚・味噌・醤油・豆乳鍋など大豆食品を中心におかずを揃えれば・・・とてもオーソドックスな和食が、体を健康に養う基本条件をそろえていることになる。 塩分さえ気をつければ、やはり日本食は大変に優れていると言うことができそうです。

「はつもの」と微小食材
では、そういうオーソドックスなものだけ、食べていれば十分かと言われると、私たち人間はやや贅沢にできた動物で「飽きる」という現象が起きるわけです。毎日毎日、同じ献立、カレーならカレーばっかし、ハンバーグならハンバーグだけ・・・というと、私たちは確実に飽きて食傷気味になってしまいます。 ちなみに犬や猫などはあまり文句も言わずフードを食べていますが、それでもときおり草をかじって見たり、体の調整はしている様子です。

で、逆に考えてみましょう。どうして私たちは「飽きる」とぃう感情を持つのか。人間は生存に不必要なものを持っていないはずです。神様はそのように生物を作られた、と思ってもいいし、適者生存の自然淘汰競争のなかでは、不要な能力はすぐ退化してしまいますから、「飽きる」というのも立派に人間の才能だと思うのです。「飽きる」、つまり「これ以上同じマンネリの食事は続けない方がいい」というのは、満腹感と同様、体が警戒信号を発しているのではないか・・・そんなふうに思うのです。

これ以上同じものを食べていると、食餌のバランスが崩れて体に良くないですよ・・・という体内からのシグナル・コール、それが「飽き」の一因なのではないか。 で、そんなとき日本食というのは「旬」がマンネリ状態を救ってくれるわけです。
ふきのとう、ミョウガ、木の芽、紫蘇、わさび、新生姜、柚子胡椒・・・思いつくままに食材から調味料まで挙げてみましたが、その季節、その食材にほんの少し添えられることで、味のバラエティを豊かにする<微小成分>あるいは<微小食材>とでも言うべきものがありますよね?

「初ものを食べると1年長生き」なんてことも昔は言いました。
何も、ふきのとうばかりドンブリ一杯食べていたら、気持ち悪くなってしまうでしょう。みょうがでも山椒でも柚子胡椒でも同じで、ほんの少しの「驚き」、季節のサプライズとして食卓を活気づける、そういう成分が、「マンネリ」のアンバランスから体と心を救っている・・・そんなふうに思うのです。 これ、季節ごとに心を豊かにする日本の感じ方、考え方、例えば俳句の「季語」なども同じなのではないでしょうか?

季節の中の微笑栄養素
いつのまにか鴨居の下にツバメが巣を作って、可愛い雛が生まれたのに気がついた・・・とか、寒い日が続いたのに桜の花芽がしっかり育っていて、大きくふくらみ始めたとか・・・。日々の暮らしのなかでふと目にする「季節感」の「おや?!」という驚きがありますよね。そこで、ふと零れる笑みが、心の「微小栄養素」になっているように思うのです。海外の人が「日本食がいい」と豆腐や醤油を挙げるとき、実はそこには季節がありません。また私たちが「洋食」を考えるときにも、固有の風土や季節感はない。

でも、例えばドイツであれば、初夏ならアスパラガスであるとか、秋ならまだ炭酸を吹いているようなワインの新酒であるとか、その季節でなければ食べられない「名物」があります。 ドイツ人相手に遠く離れた異郷の日本でそういう話をすると、必ずニコッと笑顔が返ってくるものです。 人間は退屈に一番弱い動物、常に外に出て行こうとする生き物だなんて言った哲学者がありました。

人間の心身の健康、幸せの総体を考えるとき、四季折々の「微小食材」がもたらす旬、そして時節時節の「微笑栄養素」が運んでくれる「おや?!」という小さな驚きが、体と心の全体を養ってくれるように思うのです。

 

 

posted by タマラオ at 05:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記