2015年07月04日

「いきな計らい」(江戸しぐさより)

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江戸時代、旅籠などでは旅人の足をすすぎながら、わらじの鼻緒が痛んでいるのに気付くと、道中で切れたら難儀をすると思いやり、新しいものを用意してあげたそうです。少し時代が下がれば、汗びっしょりでたどり着いたお客様を見たら「汗をかいてますね」等という前に、おしぼりと共にさっと冷たい水を差し出す、こんなしぐさが当たり前だったようです。相手が望むことを察し、一歩先を見越して行動することが身に付いていたのでしょう。「いきな計らい」を感じます。

イキな計らいも多かった質屋の人情あふれる商法?
目覚しい経済発展をとげた江戸の町だったが、商人たちが豊かになっていくのとは対照的に、武家の生活はしだいに困窮の一途をたどり、庶民の大多数もけっして楽な暮らしではなかった。そんな町民や武士たちが、もっぱら頼りにしたのが質屋であった。現代の金融業者とはちがい、江戸の質屋は義理人情もあれば、信用で粋なはからいもしてくれた。また、質草の取りあつかいにも面白いしきたりがあった。まず、質に入れてはならないのは物があった。

武具、鎧兜などと、徳川将軍家、尾張・紀伊・水戸の御三家、諸大名の紋所のある品の質入は厳禁とされた。刀を預かるときは、縁頭(刀と縁と柄頭につける金具)の材質と彫り、目貫(刀身が柄から外れないように、留め釘をさしこむ穴)の材質と形、刀身の長さ、鞘の色模様などをくわしく記述しなければならなかったが、銘(製造者名)は入っていても、絶対に書き記してはならなかった。

また、旗本の紋が入ったものを質草にしてはならないという決まりがあったが、現実には、質蔵には旗本の紋のついた品があったというから、旗本の困窮ぶりがわかる。旗本がお金に困ったときは、長持(衣服などを入れて保管したり運搬したりする箱)に紙くずを入れて質屋に持ちこむこともあった。質屋は、中身が紙くずとわかっていても金を貸した。紙くずの入った質草を流してしまったら、いうまでもなくその旗本の家名に傷がつく。家名にかかわることから“信用”で金を貸したのだ。

さらに、金銀や、豪奢なものも質草として禁じられていた。おかしな質草として、ふんどしがある。宿場の駕籠かきたちは、金がないと自分のふんどしを質に入れた。質屋も、このふんどしで1分の金(1両の4分の1)を貸したというから、きっぷがいい。ふんどしを質に入れた駕籠かきは、新しいふんどしを締めることは許されなかった。これは駕籠かき仲間の掟で、破れば仲間からリンチを受けることになったという。質屋も、この駕籠かきたちの仁義にたいして金を貸していたからだ。

もっとおかしな質草は、職人たちの月代で、職人たちは自分の月代を質に入れした。これも受け出すまでは、絶対に月代を剃ってはならなかった。粋を尊び、月代の剃り方にもこだわる江戸っ子にとって、これは、さぞ、つらかっただろう。

 

 

posted by タマラオ at 07:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記