2015年07月11日

実は凄かった!木の食品包装「経木」の天然パワー No2

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http://diamond.jp/articles/-/71380

「そんな時代でしたから父も『この仕事は時代遅れだから』と言っていました。それで私自身はプラスチック包装容器を製造する会社に勤めていたんです」ところが身内に不幸があったことで阿部さんは経木店に戻り、家業を継ぐことになる。今は息子さんと二人で経木店の伝統を守っている。プラスチック包装業界と経木の世界の両方を経験している人の話だけに重みがあった。

──戻ってみてどうでしたか?
「やはり、価格面など辛い部分もありますよね。一番大きなネックは大量生産ができないことです。ただ、良さはやっぱり感じますよね。ほとんど残すことなくすべて利用してます。木は本当に捨てる場所がないんです。丸い木を四角にすると外側が出ますでしょ。それは焼き物の薪になるんです。木くずは牛舎の下にまいたり、木片は果樹園。時々、木の下に撒かれているのを見たことありませんか?そんな風にまったく捨てないで最後の最後まで利用してもらえます」

灰かぶりの焼き物には松の薪が欠かせない。また牛舎や果樹に使われるのは土に還る木の性質を利用したものだ。世の中は有機的に繋がっているので、経木造りが途絶えてしまうとその影響は大きい。

──とにかく機能性が優れているので、そうした利点が知られてもいいように思うのですが。
「そうですね。うちの息子夫婦の家なども揚げ物をするときは皿に敷いて使っています。油を吸ってくれ、洗い物も楽だと言っています。焼き餃子にもいいです。例えば大手の居酒屋さんなどが使ってくれるようになると、経木がもっと身近になるとは思うんですけど」

「経木で包まれたおにぎり」には日本人が失ってはいない何か、がある
「元々、このあたりは繊維産業が盛んだったのでこうした機械の技術が発達したんですね」と阿部さん製造の現場を見せていただく。工場には古びた機械が二つ並んでいて、奥には刃を研ぐ研磨機がある。 「機械は大工さんの削
る鉋を裏返しにしたようなものです。やはり、ある程度の固い木を薄く削っていくので、節やなんかにあたると刃が欠けてしまったりします。ですから、そのたびに研ぎ直すことになるんですが、昔はグラインダーや砥石を使っていたので非常に難しい技術だったんです。今は研磨機があるので、それに任せられますが」

言ってみれば巨大な鰹節削り器のようだ。木が前後に動き、紙のように薄く削られた木が出てくる。詳しくは動画を見ればわかるがはっきり言って怖い。怖くないですか、と息子さんに尋ねたら「最初は怖かったのですが、慣れました(笑)」と軽く答えられた。 「逆目にならないように削っていきます。木の目は経木の品質に関わってきま
すし、厚さはやはり感覚なのでそこは神経を使います」四角い塊を削るのだが、そこも簡単ではない。自然の木には表と裏がある。

日光のあたっている面は成長が早く木の目が大きくなるが、影になる裏側は成長が遅いため目が細かくなる。当然、固さにも違いが出てくるので、均質に削っていくのには注意が必要だ。 「削られたものを今度、洗濯機
にかけて水分を除去します。遠心分離機にかけると水が驚くほど出てきますよ。そうして脱水したものを今度は二階で乾燥させます」建物の二階では束ねられた経木が風に揺れていた。経木の無垢な白さが光を受け、きれいな風景をつくっている。

自然乾燥なので、梅雨時の湿気は経木の敵だそう。乾燥したものを今度は挟んで平らにする。一枚の経木が出来上がるまでには手間と時間がかかっている。経木は風で乾燥させる。環境も品質の高さを守る要素の一つ 「私が子どもの
時はアルミホイルが出はじめた頃でね。遠足なんかに行く時にうちだけおにぎりが経木に包んであるのが嫌でしょうがなかった(笑)。今はまったくの逆ですよね。温かみがあっていい、という話になるし、なにより経木に包むと食べるときに海苔が手につかないんですよ」

経木はお弁当にも適している。底に敷けば汁気を吸いとり、おにぎりを包めば調湿作用があるのでご飯もおひつに入れたように美味しくなる。いつものラップやアルミホイルではなくて、経木でおにぎりを包んでみよう。包むという行為が美しいのはものだけではなく心まで込められているからだ。そこには単なるノスタルジーではなく、日本人が失ってはいけないなにかが含まれている。

 

 

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2015年07月10日

実は凄かった!木の食品包装「経木」の天然パワー No1

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http://diamond.jp/articles/-/71380

昔は良かった、と言う人があまり好きではない。とくに食べ物(と教育)に関しては、こうした意見を述べる人が多いので困ってしまう。少なくても食に関しては「昔は良かった」とばかりも言い切れない。戦後から1970年代くらいまでの日本の食は非常に低い水準にあったし、添加物や化学調味料、模造品などの問題もあった。昔は良かった、という人はそのような都合の悪いことをみんな忘れてしまっているだけである。

大人は「今のほうがいい」と言ったほうがいいし、言える社会にする責任がある。そうじゃなければ、希望なんて誰も持てないように感じる。と、言っておきながらそんな僕でも「昔のほうが良かったのではないか?」と思うことがある。それは食品の包装だ。今、スーパーに行けば肉や鮮魚はプラスチックのトレイで売られているけれど、『プラゴミ』の日になるとそのトレイが山のように出て、げんなりする。昔、食品を包むのに使われていたのは経木である。

経木とは木を紙のように薄くした和風のキッチンペーパーのようなものである。すべて燃えるゴミで捨てることができ(もちろん回収したプラスチックゴミも多くが燃料として使われはするが)、土に還る包装材だ。 「昔は外で買い
物をすれば肉や魚もこれに包んでくれたものよ」と年配の方は言うが、見る機会は減り、いつのまにか台所からも姿を消した。

殺菌成分で味と鮮度を保つ 和食に欠かせない「経木」のパワー
まったくの手作業。日本人のDNAに訴えかけてくる白木の美しさ たまの外食でカウンターの居酒屋や日本料理店に行く。冷蔵庫からラップに包まれた刺身用の柵をとりだされると「うーん」と思う。冷やしすぎている刺身が美味しくないのはもちろんだけど、ラップはいかにも味気がない。昔の仕事では魚や肉を冷蔵保存する時は経木で挟むものだった。やっている人も減ったようだが、それに習って試してみると案外と具合がいい。ちゃんとした理由もある。

鮮度の良すぎる魚や肉は味が乗ってこないので、冷蔵庫などで寝かせる必要があるけれど、鮮度が落ちてしまっては元も子もないのだ。鮮度が落ちる原因は表面の水気による細菌の繁殖である。経木は表面の水気を吸い(キッチンペーパーと違うのは吸いすぎないので刺身がパサつくことがない)、また松の木の殺菌成分により味と鮮度を保つことができる(安い切り身などは経木で挟んで数時間おけば臭みも消える)。経木を使うのはたんなる懐古ではない。

科学的な裏付けがあるのだ。日本料理ではアナゴなど身の柔らかい魚を大鍋で煮るとき、柔らかくて軽い経木は落し蓋にも使われる。他にも様々な使い方があるわけで、それを忘れてしまうのは勿体無い。群馬県桐生にほど近い、みどり市にある阿部経木店は現在では少なくなってきている経木の製造所のひとつである。訪れると工場の表には丸太が並べられ、端材が積み上げられていた。親子で技術を守る阿部経木店。木の香りが漂う気持ちのいい場所でした。木を扱う工場はきれいでいいですね

「使っている木は長野の上田近郊のものです。うちのところに持ってきてもらうのは若いのもあるんですけど、だいたい樹齢40年から50年といったところ。もっと樹齢を重ねたものもあるんですけどヤニが出てくるので、使いやすいのはそれくらいですね。経木の良し悪しは材料で決まるところが大きいです」二代目の代表の阿部ハツオさんに説明をいただく。 「なるべく節を抜いて、四角く
切っていきます。木は生の状態で持ってきてもらうんです。乾いた状態でもってくると削れないので。今の販路としてはやはり鮮魚関係。あとは揚げ物をくるんだり、豚まんじゅう。ほとんど紙になってしまいましたが、お使いいただいています。あとは納豆に使っていただいていますね」

経木が最も脚光を浴びていた時代は明治期である。経木は明治37年には農商務大臣によって重要生産品に指定されている。経木でつくったマッチ箱や経木真田(帽子の材料)や経木織物は輸出産品であり、生糸や絹などに並ぶ重要な存在だった。紙のように薄く木を削ることができるのは日本だけだったのだ。その時代、経木をつくる技術は発展し、食品を包んだり、料理に使われる薄経木(以下、経木)も全国に広まっていった。ちなみに厚経木というのは折箱(本連載第13回参照)の材料だ。

昭和30年代をピークに「時代遅れ」に忘れてはいけない有機性と機能性
かつて群馬県は経木の生産量では全国一だった。消費の多かった東京にほど近く、上州のからっ風という乾いた気候が製造に適していたこと、また残材が生糸の生産(例えば前橋は一代生産地だった)の燃料として使われていたことがその理由だそう。また、昭和33年に発売され全国に普及した製造機を発明したのは群馬県の阿部儀秋氏である。 「その人はうちの遠い親戚なんです
が、そんな関係もあって群馬の経木は有名だったようです」

昭和35年から36年のピーク時には生産量は東京の需要の7割を供給していた。しかし、その盛りにも影がさしはじめる。スーパーマーケットの登場である。経木組合も宣伝ビラなどをつくるなどして利点をアピールして対抗したようだが時代の変化には抗えなかった。ちなみにこの宣伝ビラで比較されていたのは納豆の食味だった。納豆の容器には経木を用いたほうが美味しいのは本連載でとりあげた下仁田納豆(本連載第26回参照)を食べればすぐにわかる。

 

 

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2015年07月09日

五反田に“ひとり客”のパラダイスあり! No2

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http://diamond.jp/articles/-/69541

決め手は、フィリピンの味!
主人の金子章治は明治学院大学法学部を卒業。1983年、28歳の時に、かね将を出した。「学生時代、目黒のもつ焼き屋でアルバイトしてました。卒業してからもそこで働きました。バイトの延長で店を始めたんですよ」独立した時、「出すものがもつ焼きだけじゃヤバい」と思った。――親方の方がもつ焼きの技術は上だ。目黒と五反田は目と鼻の先だ。親方の店とは何か違うことをやらなければ、客が来てくれない。食っていけなくなる。そうしたら、せっかく就職もせずに独立したのに、店がつぶれてしまう。

そこで、金子は築地市場に通って、生のまぐろやイカを仕入れて、店に出すことにした。冷凍の品物でなく、新鮮なそれを仕入れるようにした。から揚げやフライの技術も覚えた。ポップコーンも乾燥したトウモロコシの粒を仕入れて、手作りすることにした。居酒屋のメニューで「ポップコーン」は珍しいけれど、それは金子が手作りにこだわる証拠だ。ポップコーンなんて、袋入りのものを買ってきた方が安いし、手間もかからない。それでも彼は毎日、ボップコーンを作る。

「もうひとつの人気メニューはフィリピンの味ですね」かね将には3大人気メニューがある。牛すじトマト煮(420円)、豚すじ煮(330円)、豚皮串焼きアドボ風味(200円)。いずれもフィリピン料理の味付けで、作るのは妻のアリシアさん。
「フィリピンにはアドボという国民的料理があります。酢に漬けた肉を煮込む料理でトマトを使うことも多い。うちの妻は料理が得意だから、居酒屋メニューをアドボ風味にして出しているんです。豚すじ煮というのもアドボ風味。これで、ワインを飲んでいるお客さんもいます」

かね将にはガーリックトースト(2ケ150円)がある。上記のなかのたとえば牛すじトマト煮を取って、ガーリックトーストと一緒に食べたら、気分はフィリピン、あるいはスペインにいる感じがする。この店にリピーターが多いのは、ある時はもつ焼きとハイサワー、ある時はポップコーン、ポテトバター(280円)、玉ねぎフライ(320円)とウイスキー、ある時は刺身と日本酒と各国の味と酒を楽しめるからだろう。築地市場に通って仕入れた生のまぐろやイカの刺身。時には主人が釣ってきた新鮮な魚もメニューに

「うちは年中無休ですけれど、私は水曜日には休んでいます」金子は休みになると、千葉の勝浦漁港へ出かけて釣りをしてくる。鯛は釣ったことないが、ヒラマサ、イカなどは大漁だったことがある。すると、彼が釣ってきた新鮮な魚介が木曜日、金曜日のメニューに出てくる。かね将へ行くのならば、ひとりで行くのがいい。そして、フィリピン風の料理を何かひとつは頼む。できれば木曜日に行く。その時、釣った魚があったら、それを頼む。好きな酒を頼む。

そのうえで、お腹が減っていたら、ご飯(150円メニューには載っていない)を注文して、釣った魚の刺身を自分でしょうゆ漬け(少し日本酒を入れる)にして、ご飯にのせて食べる。やっぱり、かね将はみんなのパラダイスだ。

焼とん酒場「かね将」
◆住所 東京都品川区西五反田2-6-1 ※JR五反田駅から徒歩2分、18時までなら予約可
◆電話 03-3495-4677
◆営業時間 6:30〜23:30(日祝〜22:30)、無休

 

 

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2015年07月08日

五反田に“ひとり客”のパラダイスあり! No1

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http://diamond.jp/articles/-/69541

午後4時半の開店と同時に、客が…
居酒屋「かね将」は五反田界隈でもっとも流行っている店だろう。午後4時30分が開店だけれど、主人の金子章治(あだ名は「かねしょう」)が午後4時にシャッターを開けたら、客が入ってくる。いずれもひとり客だ。それぞれが離れてカウンターやテーブルに座る。そして、やってきたひとり客は金子が仕込みに忙しいことをよくわかっている。なるべく邪魔をしないように、そっと小声で飲み物を頼む。そして、つけ加える。「あと、手が空いたら、なんかちょうだい」開店よりも早めに入ってくるひとり客は常連であっても、遠慮がちなのである。

30分もしたら50人は入る店内が満員だ。相席は当たり前。午後6時までなら予約はできるけれど、団体以外はまず予約しない。そして、満席になり、わいわいがやがやの状態になると、ひとり客は肩の荷を下ろしたような、リラックスした表情になる。開店時間が過ぎたこともあるが、何よりも、席が埋まって、喧噪状態のなかで飲めるのが楽しいのだ。わたしも経験があるけれど、旅先など店に入った時、まったく客がいない状態が続くのはつらい。

店内がしーんとしていて寂しいこともあるが、それ以上にサービスの人がわたしに気をつかうのが申し訳ないのである。そこで、「早く帰らなきゃ」と焦って食べるから料理の味がわからなくなる。もっと食べたいものがあるのだけれど、「私だけのためにガスの火を使って調理してもらうのはもったいない」とこれまたいらぬ遠慮をしてしまう。食べるよりも、考えることが多くて頭が疲れてしまう。さらに、店内に客がいても、先着の客同士が全員、常連で顔見知りというのはもっとつらい。

従業員と常連客だけの世界に足を踏み入れた異邦人の気持ちになる。さて、長々といらぬ説明をしたけれど、要は、かね将は、ひとりで入っても、そんな気持ちにはならない店だ。頭は全く使わない。気軽に何でも頼める。いつでも混雑してるから、サービスの人も適当に放っておいてくれる。わたしたちは喧噪にまぎれて、好きなものを好きなだけ頼めばいい。

カシラとナンコツとレバとタン(いずれも100円)とポップコーン(280円)と、さば塩焼き(210円)とポテトサラダ(マカロニ入り300円)とハムカツ(120円)を一度に頼んでいいのである。もう一度、ポップコーンとさば焼きだけを追加しても、「えっ」と聞き返されることはない。かね将は、ひとり客にとってのパラダイスだ。

酒類で言えば、客の大半が飲んでいるのがハイサワーとホッピー。特に、ハイサワーを飲む人たちのピッチは速い。従業員を見ていると、ジョッキに焼酎をどはどばと注いで、ハイサワーの瓶を直立させて、どどどっと投入している。運んでいったとたんに、今度は客がむせ返りながら浴びるように飲んでいる。横にいた客が言った。「サワーはなんこつとかかしらのたれに合うんだな」 至言だ。脂と甘
辛いたれをサワーのタンサンと酸っぱさが洗い流す。だから、たくさん飲める。吐くまで飲めばいいのではないか。

 

 

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2015年07月07日

日本人のみそ汁離れに打ち勝った、味噌屋の復活劇 No2

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米は山形の『おきたま興農舎』、塩は伊豆大島産の海の精(現在は石垣の塩)という具合に。やがて仕込んだ味噌を売る段階に来た。 「忘れもしないんですけど、ライター仕事でホテルに缶詰
になっていたところに電話がかかってきたんです。(味噌を売るのに)商品名をつけてくれ、という話です。そのとき、なにも考えなかったんですけど『純情紀行』という名前がぽろっと出たんです。今になって考えると純情というのは純な情熱という意味。

そして、ライター仕事で様々な生産者を訪ね歩いた軌跡を紀行という言葉で表現したかったのかな」こうして必然的な出会いをいくつか経て、はるこま屋の製品「春駒純情紀行」は生まれた。ちなみに缶詰して書いていた原稿は版元の出版社が倒産してしまい、世に出ることはなかったという。運命というのは不思議なもので、こうして五月女さんの人生は味噌造りに行き着く。

3.11の震災で売上は3分の1に 真面目な生産者ほど大きなダメージ
通常の商品であれば、まず価格があり、それにみあった材料があり、製品がある。ところがはるこま屋の味噌はなによりも五月女さんの「あってほしい理想」が形になったものだ。最高の原料を使った無添加の味噌作りは先に述べた鑑評会などで高い評価を受け、自らが「ライフワークにして自信作」という『あるちざん』という味噌などを世に出し、自然食品系の小売りなどで高い人気を集めていた。ところが、である。はるこま屋は東日本大震災とその後の原発事故により大きな影響を受けることになる。

「風評被害の怖さは実態がないということです。自然食品、無添加系の消費者は非常に敏感で、原発事故後、茨城、栃木、福島一帯には強い拒否反応があるようです。小さいお子さんがいて心配するのも仕方がないと思うのですが、放射能検査でND(検出せず)と出ても、そんなこととは関係なく受け入れてもらえない。この栃木県内でも大きなダメージを受けたのはオーガニック、有機農業の生産者や無添加、自然食の『真面目に食に取り組んできた』生産者でした」

自信を持っていた製品の売上は3分の1に落ち込む。電話口などで強い反応をぶつけられることもあり、絶望的な気分にもなったという。 「消費行為として食べ物は扱われ、人と人との密度は薄
くなった。顔の見える関係、などと都合のいい言葉はありますが、生産者から見ると消費者の顔は見えてなかった」


馬頭広重美術館。設計は隈研吾。ルーバーを多用することで環境に溶け込んだ建築
2011年の11月、五月女さんは馬頭広重美術館のなかのカフェ、レストランの運営を引き受ける。はるこま屋が開いたJOZO CAFEだ。それまで飲食店の経営経験があったわけではなく、さらに
冬になると来客数が減少し、様々なテナントが入っては撤退する難しい場所だっただけに、大きなチャレンジだった。 「直売の比率を高めなければいけないというのもありました
が、味噌を売りたいというよりも食品を通して「生きている根源みたいなところを伝えたい」という想いがありました。とにかくここではおいしいものだけを出したかった」

 

 

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2015年07月06日

日本人のみそ汁離れに打ち勝った、味噌屋の復活劇 No1

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http://diamond.jp/articles/-/72571

英語にcomfort foodという言葉がある。なごみ料理というか、安らぎメニューというか、ほっとする食べ物のことを指す。日本人にとっては一汁一菜の食事だろうか。ユネスコに登録された和食の定義は一汁三菜だが、一汁一菜こそ日本料理の基本だと思う。一汁一菜は『汁飯香』と呼ばれ、味噌汁、ご飯、漬け物のこと。最低限にして十分な食事で、なかでも味噌汁は特別な存在だ。ところで日本人が味噌汁を食べなくなった、と報じられて久しい。

味噌の消費量は1970年をピークに減少に転じ、現在は半分ほど。ある記事によると消費量を味噌汁に換算すると一週間に平均3杯という計算になるらしい。にわかには信じがたいことだが、どうやら味噌汁が食卓にのぼる機会は減っているようだ。そういえば先日、管理栄養士の先生からお話を伺う機会があったのだけど、こんな話を聞いた。 「最近、また塩分の摂取量の基準がさ
らに見直されましたよね。そうなると味噌汁は献立に組み込みづらいんですね」

なるほど、減塩のムードも味噌の消費量に影響しているようだ。塩分摂取量に関しては様々な見解がありここでは意見を述べることは控えるが、味噌はどうやら肩身が狭い状況にあるようだ。

絶滅寸前だった実家の味噌を自らの手で再生させた元ライター
春駒屋の味噌。無添加なので酵母や乳酸菌が生きたままだ。なので保存は冷蔵庫で
栃木県の東部、那珂川町。里山の自然を感じられる場所にある味噌店『はるこま屋』を訪れた。店主の五月女清以智さんは味噌醸造元の4代目、手がける天然醸造味噌は全国味噌鑑評会での受賞など高い評価を受けている。紹介された雑誌記事には『日本一原価の高い味噌』という文言が並ぶ。

──味噌業界は危機にあるという認識でいいのでしょうか。
「そうですね。うちは違いますが、かつて味噌屋はお大尽がでないとできにくい業種だったんです。そもそも醸造業というのは資産を寝かせるわけで、豊かな人でないとできなかったですから。それが昭和30年代後半から高度経済成長にかけて、産業としては完全に取り残されたんですね。うちも味噌屋では経営が成り立たない、と別の商売をやりつつ、細々と味噌造りを続けていました。だから自分も全然継ぐ気はなかったんです。

もう大変だから辞めたほうがいい、と親父に話したこともあったくらい」五月女さんは味噌造りを手伝いながら、フリーランスのライターとして雑誌などに記事を書きつつ、東京で暮らしていた。「自分がライターとしてテーマにしていたものに環境とか食品安全の問題がありました。1980年代後半のことです。大量生産、大量消費の経済成長とは別の価値観を持った、有機農業、無添加食品といったものが広がっていった時代で、自分は良質な食品をつくっている生産者の方をずいぶん取材させてもらいました」

取材をしていくなか、五月女さんが出会った人に本庄にある埼玉・三之助豆腐/もぎ豆腐店店主の故茂木稔氏がいた。 「茂木さんのエピソードは一杯あるんだけど、俺も茂木さんもお
酒が好きだったから(笑)そういう話もあるけど、ある時……茂木さんから『君の実家は味噌屋なんだろう。だったら、これを読んでおけば大丈夫だから』と一冊の小冊子を渡されたんです」それは『食物と体質』(秋月辰一郎著)という本だった。五月女さんはそれを帰りの電車のなかで読んだ。人間の体質をつくるものは環境と食物であり、先人の知恵が込もった味噌汁こそ健、
不健の鍵だと書かれていた。 「そのとき、直感的に『味噌屋になろう』と思った。それでライター仕事を続けながらだったけど、ここに戻ってきたわけ」しかし、実家の味噌の売上はゼロに近い。春駒味噌は絶滅寸前の状態だった。これは継ぐのではなく、一からつくる気持ちでなければ。故郷に戻った五月女さんは91年に新しい法人をつくり、味噌造りをスタートさせる。

しばらくして、茂木さんから大量の大豆が届いた。 「この大豆で『お前が一番いいと思う味噌をつくってみろ』と言われたんですよ。その時の大豆は本当に素晴らしかった。明確に憶えているんですけど、手洗いしていてびっくりした」聞けば農家が一粒、一粒手で選別している大豆だという。大豆を洗いながら、作り手の思いは伝わるものだとわかった。この大豆でつくるなら最高の材料を選びたい。最高の材料はこれまで取材し、出会ってきた生産者から選んだ。

 

 

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2015年07月05日

なぜ流行る、電機大手の野菜づくり No2

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いまだかつてない「垂直立ち上げ」 その後は順調に進みましたか。

今井:いやいや。経営会議でゴーサインが出たのが2013年4月。政府の補助金は9月に出ることが決まりました。即座に植物工場へ衣替えするための工事が始まり、最初の種まきが年末。2月に試験出荷というスケジュールでした。半導体の世界で工場を作り、一気に生産を始めることを「垂直立ち上げ」というけれど、それと同じ。スケジュールのタイトさでいえば、今回の方が大変でした。

同時に味わった苦労は野菜を育てることの難しさです。植物工場と聞くと、野菜を工業製品のように作るというイメージがあるかと思います。最終目標はそうなのですが、プロセスは大変。温度や湿度の管理は当然で、1400平方メートルもの巨大な敷地でレタスを均質に育てるというのは極めて難しい。そもそもレタスは高原野菜で、育成するのに風の流れは結構重要です。これを人工的にどう作り出すか。工場だから土はないけれど、野菜生産の工業化は試行錯誤の連続、まさに「泥まみれ」でした。

富士通が野菜を売る。商流を築くのも大変だったのではないですか。

今井:低カリウムレタスは腎臓病の患者さんにはうってつけの野菜です。そこで病院に自分たちで売り込みをかけましたが、最初はどこでも「なぜ富士通が野菜?」という反応でした。しかし富士通が農業とITを結び付けて効率的な野菜づくりができるようにしよう、そういったノウハウやシステムを農業法人などに提供するビジネスを展開していることを説明し、本業とかかわりがあると言うと興味を持ってくれる。

 もっとも大変なことばかりでもないんですよ。うちのレタスはスーパークリーンルームで作っていますから鮮度が長持ちします。包装を解かなければ冷凍保存で1か月半ぐらいは大丈夫。だから数週間にわたって世界中を航海する大型クルーズ船とかでは重宝される。身近なことでいえばネット通販で売りやすいんです。ネットで野菜を買っても鮮度は保証されているから評判は上々です。先月は楽天市場で予想を上回る170万円の売り上げがありました。

ベンチャー精神の孵化器 事業は軌道に乗ったと。

今井:まだまだですね。初年度1億5000万円の売り上げを目指していましたが、実績は数千万円でした。ただ「富士通の野菜」という物珍しさもあって、メディアなどで取り上げられ、ブランドが浸透し始めました。勝算はあると思っています。

苦労が多いようですけれど、今までまったく手掛けたことのないビジネスを一から立ち上げていることを楽しんでいるようにもみえます。

今井:1年間に2700人ぐらいの工場見学がありました。補助金をもらっているので政府関係者もいますけれど大企業の見学者も多い。どうして見学に来たのか理由を聞くのですが、ある会社の方から聞いた話が面白かった。この商売は儲かるのかを見に来ているというより、大企業が全く未知の分野で新規事業を立ち上げると、どのようなことが起きるのかを知りたいんですね。 各社とも大きな組織ですから成熟分野というのを抱えている。

成長を遂げるには何か新しいことをやらなければならない。既存事業とのシナジーが見込める分野とかいうけれど、門外漢の分野に乗り出した場合はどうなのか。大企業にベンチャースピリットは芽生えるのか。それが会社全体にどのような影響をもたらすのか。そんなことが知りたいと言っていました。同業他社も野菜作りをやっています。それぞれ見学会を開いたりして交流もあります。それぞれ固有の事情があると思いますが、各社ともベンチャー精神の孵化器という側面もあるのかもしれません。

 

 

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2015年07月04日

「いきな計らい」(江戸しぐさより)

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江戸時代、旅籠などでは旅人の足をすすぎながら、わらじの鼻緒が痛んでいるのに気付くと、道中で切れたら難儀をすると思いやり、新しいものを用意してあげたそうです。少し時代が下がれば、汗びっしょりでたどり着いたお客様を見たら「汗をかいてますね」等という前に、おしぼりと共にさっと冷たい水を差し出す、こんなしぐさが当たり前だったようです。相手が望むことを察し、一歩先を見越して行動することが身に付いていたのでしょう。「いきな計らい」を感じます。

イキな計らいも多かった質屋の人情あふれる商法?
目覚しい経済発展をとげた江戸の町だったが、商人たちが豊かになっていくのとは対照的に、武家の生活はしだいに困窮の一途をたどり、庶民の大多数もけっして楽な暮らしではなかった。そんな町民や武士たちが、もっぱら頼りにしたのが質屋であった。現代の金融業者とはちがい、江戸の質屋は義理人情もあれば、信用で粋なはからいもしてくれた。また、質草の取りあつかいにも面白いしきたりがあった。まず、質に入れてはならないのは物があった。

武具、鎧兜などと、徳川将軍家、尾張・紀伊・水戸の御三家、諸大名の紋所のある品の質入は厳禁とされた。刀を預かるときは、縁頭(刀と縁と柄頭につける金具)の材質と彫り、目貫(刀身が柄から外れないように、留め釘をさしこむ穴)の材質と形、刀身の長さ、鞘の色模様などをくわしく記述しなければならなかったが、銘(製造者名)は入っていても、絶対に書き記してはならなかった。

また、旗本の紋が入ったものを質草にしてはならないという決まりがあったが、現実には、質蔵には旗本の紋のついた品があったというから、旗本の困窮ぶりがわかる。旗本がお金に困ったときは、長持(衣服などを入れて保管したり運搬したりする箱)に紙くずを入れて質屋に持ちこむこともあった。質屋は、中身が紙くずとわかっていても金を貸した。紙くずの入った質草を流してしまったら、いうまでもなくその旗本の家名に傷がつく。家名にかかわることから“信用”で金を貸したのだ。

さらに、金銀や、豪奢なものも質草として禁じられていた。おかしな質草として、ふんどしがある。宿場の駕籠かきたちは、金がないと自分のふんどしを質に入れた。質屋も、このふんどしで1分の金(1両の4分の1)を貸したというから、きっぷがいい。ふんどしを質に入れた駕籠かきは、新しいふんどしを締めることは許されなかった。これは駕籠かき仲間の掟で、破れば仲間からリンチを受けることになったという。質屋も、この駕籠かきたちの仁義にたいして金を貸していたからだ。

もっとおかしな質草は、職人たちの月代で、職人たちは自分の月代を質に入れした。これも受け出すまでは、絶対に月代を剃ってはならなかった。粋を尊び、月代の剃り方にもこだわる江戸っ子にとって、これは、さぞ、つらかっただろう。

 

 

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2015年07月03日

「ベルサイユの菊」 No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42172

100年前も今もフランス人を感嘆させる日本の庭師の技量

べルサイユ宮殿にいま、日本の菊が咲いている。それも、一株から数百輪の花を一斉に咲かせる「大作り(おおづくり)」という特別な仕立てで、幅3.6メートルもある菊が、グラン・トリアノンの正面で威風堂々とした姿を見せている。
そもそもこれは日本の環境省とベルサイユ宮殿の協力事業として始まったプロジェクトのひとつ。2012年(平成24年)3月、東北支援・日仏文化交流事業「フランスからの贈りもの」として新宿御苑で行われたイベントに始まり、2年半の時を経て今回のベルサイユの菊となった。

菊「大作り」。幅3.6メートル、一株から409輪の花が一斉に開花。これが2点一対になってベルサイユ宮殿、グラン・トリアノンの正面を飾っている   *写真あり

日仏の庭師の協力で華やかに開花した「プリンセス」 一般公開(11月1日?15日)に先がけて、10月31日、ベルサイユ宮殿のプレジデントらがテープカットならぬ、菊で特別につくった花づなをカット。華々しくオープニングを飾った。
秋晴れのもと、和やかな雰囲気のなかで行われたこのお披露目会。菊に次いでひときわ注目を集めていたのが、日本からやってきた庭師たち。藍染めの半纏、背中に大きく菊を染め抜いた法被がなんとも粋である。

「無事にこの日を迎えられて、ほっとしています」と語るのは、新宿御苑の菊のエキスパート、山田光一(やまだ・みつかず)さん。「万全の体制で望みましたが、日本とフランスでは気候が違うので、枯らしてはならないと心配しました。日本を出発したときには、つぼみが豆粒よりも小さいものでした」新宿御苑で丹精されたあと、9月中旬に飛行機でフランスに運ばれた「大作り」。折しもこの時期、エールフランスの2週間にも及ぶストライキが決行されたが、その2日前にフランスに到着するという綱渡りがあった。

半球形に広がる仕立てをいったん閉じてすぼめ、特別誂えの箱に収めた状態、つまり美術品と同じような梱包が施されたうえ、1日10リットルの水やりが必要という生き物なだけに、どこかで足止めをくらってしまえば、もしかしたらこの日はなかったかもしれない。 また、そもそも土がついた状態の植物を入国させるのは異例のこと。検疫などのハードルもクリアしなくてはならないなど、聞けばさまざま苦労が関係者にはあった。 

ベルサイユに到着すると、これまた特別に建てられたハウスで、日本からやってきた10人とベルサイユ宮殿の庭師たちが「大作り」を迎え、共同で作業にあたった。

 

 

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2015年07月02日

日本の宅配システムはすごい     No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150225/277970/?n_cid=nbpnbo_rank_n

どうして家にいる時間に宅配便が届くのだろう――。 筆者の生活にとって、今やインターネット通販は欠かせないものになっている。大手のアマゾンジャパンが当日配送サービスを始めてからは、特にその依存度が高まった。最近では書籍や衣料品だけなく、洗剤や食料品、電球、ドッグフードなど、日常のあらゆるものをアマゾンや楽天市場で購入するようになった。最寄り駅の改札の目の前には食品スーパーがあるし、歩いて数分の場所にはドラッグストアもある。

それにも関わらず、日常のちょっとしたものまで、最近はネット通販で買っている。クリック一つでほしい商品が、すぐに自宅に届くという利便性をどっぷりと享受しているわけだ。 こんな生活だから連日のように自宅に宅配便が届く。今日はアマゾンで買った柔軟剤、明日は楽天市場で買った犬のトイレシート、週末には実家から送られてくる野菜や果物……。住んでいる集合住宅には宅配ボックスがあるので、もし荷物を受け取れなくても問題はない。

けれども、なぜか最近、自宅にいる間に荷物が届く確率が高まっていた。まるで筆者の在宅時間を見計らったかのように、チャイムが鳴り、荷物が届く。どうしてなのかと素朴な疑問を抱えていた。 そんな時、日経ビジネス2月2日号で物流特集を掲載することが決まった。 折しもドライバー不足などが報じられていた頃のことだ。インターネット通販の拡大で宅配便の取扱数は年々増えている。だがそれを運ぶ人手が足りず、当たり前のように享受してきた「運ぶ」という社会インフラがほころびかけている。

そんな状況で、幅広い企業が物流戦略の見直しを迫られていた。 この特集を通して宅配業者の取り組みを取材した。各社の最大の焦点は、再配達を減らすこと。最大手のヤマト運輸によると、再配達の比率は現在およそ15〜20%に達しているという。最初の配送で荷物を届けられなければ、ドライバーは何度も受け取り手の元を訪ねなくてはならなくなる。人件費もトラックの走行距離もかさんで、再配達が経営を圧迫する。逆に言えば、再配達がゼロに近づけば、人手不足などの苦しい環境の中でも経営を続けられる。

ヤマト運輸は増える荷物を効率的にさばくため、数年前から配送体制を見直している。力を入れているのは「チーム集配」という新たな仕組みだ。 再配達を減らす方法は明らかだろう。受け取り手の在宅率が高い午前中や夕方以降などに配達すればいい。だが、これまでヤマト運輸ではドライバーが担当地域を1人で受け持っていた。扱う荷物が増え続ける中、1人で全ての荷物をさばくのは難しい。

そこでドライバーが担当地域を1人で受け持つという長年の体制を改め、ドライバーとスタッフが複数人で集配するチーム集配に改めた。チームが一丸となって、午前中や夕方以降、一気に配達する。 現在は、高層マンションの多い地区や住宅密集地区などにこのチーム集配の仕組みを導入している。 1月、このチーム集配の現場を取材した。

驚くほど手際の良い役割分担
訪れたのは東京・南千住にあるヤマト運輸南千住支店だ。この一体は近年になって開発が進み、真新しい高層マンションが乱立している。1棟で100戸以上の高層マンションも多く、若い世帯も多い。子供向けのおむつや玩具、食料品など、ネット通販が多く利用される半面、共働きの家庭も多く、なかなか荷物を1度で届けられないことも多かったという。ドライバー1人が集配していた頃は、高層マンション1棟の午前の集配を済ませるだけでも、荷物の状況によっては、2時間近くかかっていたという。チーム集配を導入するにはうってつけの場所とも言える。

取材に訪れた日、南千住支店に待機していたのは、ドライバー1人と、「フィールドキャスト」という配送を担う女性スタッフ4人。通常はドライバーとフィールドキャストの2〜3人でチームを組むことが多いというが、取材時は普段よりも多めの人員配置だった。 ドライバーは、トラックを運転して、この日最初の集配先となる、ある高層マンション近くにクルマを留めた。フィールドキャストは、支店から自転車でトラックの駐車スポットまで向かう。ここでまずは荷物が降ろされる。

 

 

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2015年07月01日

世界の部品供給基地としての地位は不動 No2

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2014年の3つの注目投資テーマ
2014年における電子部品業界は、健全な需給バランスを背景に堅調なファンダメンタルズが期待できる反面、受注前年比伸び率のサイクルという観点では、年後半にかけての減速が想定される。弊社集計対象企業の月次受注・売上高をベースに作成している電子部品受注インデックスは、2014年1月に前年比11.6%の増加を記録。昨年8月以降の10%前後の伸びを維持した。しかし今後4〜6月期は、(1)国内自動車市場の一時的な減速、(2)スマートフォン新製品の端境期等を理由に、受注の前年比伸び率は減速が想定される。

また7〜9月期以降についても、大幅に円安の進んだ為替を含め、前年のハードルが高くなるため、前年比受注伸び率が大きく上昇することは想定し難い。電子部品メーカー各社の株価パフォーマンスが受注前年比伸び率と高い相関を示すことに鑑みれば、電子部品セクター全体の株価上昇余地も限定的となるものと想定できよう

そうした状況下、2014年における電子部品セクターの投資テーマとして弊社が注目しているのは、(1)低価格スマートフォン・タブレット市場の拡大、(2)自動車を中心とするパワーエレクトロニクス市場向け電子部品需要増、(3)構造改革やM&A等個別利益成長要因、の3点である。

従来、電子部品需要拡大を牽引してきた高機能スマートフォン市場の成長性に減速感が生じ始めている現状では、中国市場を中心とする低価格スマートフォン市場拡大からメリットを享受できる企業を投資対象として考えたい。また今後新興国市場でもスマートフォンの機能向上の動きが本格化する可能性は高いと考えられ、日本製電子部品に対する需要拡大に結び付くものと期待される

また自動車市場向け電子部品需要は、ハイブリッド車市場拡大や安全・環境規制強化の動きを背景に大幅に増加。自動車市場は完全に電子部品主要アプリケーションの一つに育ちつつある。自動車用電子部品市場での勝ち組となるためには、高い技術力に加え、長年に渡って築いてきた顧客との信頼関係が大きく意味を持つ。自動車メーカー向けビジネスの参入障壁の高さや契約期間の長さは、電子部品メーカーの生産計画が立て易くなるメリットも含んでいる(表1)。

さらに構造改革やM&A等のアクションが、受注サイクルに左右されない独自の利益成長要因となるものとして期待されよう。 電子部品セクターにおける現在の注目企業としては日本電
産、TDK、ロームの3社の3社を挙げたい。
日本電産に対する投資論点は、(1)HDD(ハードディスクドライブ)スピンドルモータを中心とする精密小型モータセグメントの高収益性、(2)車載及び家電・商業・産業用モータ事業の中・長期成長性、(3)M&A等を通じた積極的なグループ戦略の3点。

特に車載及び家電・商業・産業用モータ事業は、車載市場における燃費効率改善や白物家電等の市場における省エネニーズの高まりを背景に、今後高い利益成長性を示す可能性が高い。HDD市場減速が従来業績面での懸念材料であったが、HDD関連事業に対する収益依存度は既に大幅な低下を示している。会社側が掲げる中期計画(16年3月期営業利益1800億円)に向け、今後もM&A実施等積極的な経営戦略の実施も期待されよう。

TDKに対する投資論点は、(1)構造改革を通じた受動部品事業の収益性改善、(2)HDD磁気ヘッド事業の高収益性維持、(3)電池事業拡大の3点。
受動部品事業は、構造改革効果に加え、車載市場向け売上構成比が上昇していることで、今後安定した利益水準の上昇が見込まれる。高周波部品等依然赤字に苦しむ事業はあるものの、更なるコストダウン実施や売上トレンド改善に向けた取り組みの成果発揮等、収益性改善に向けた動きは着実な進展を示している。HDD磁気ヘッド依存型の収益構造から、受動部品収益性改善を利益拡大ドライバーとする事業ポートフォリオへの転換が期待される。

 

 

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