2015年06月16日

シャープが考え抜いた「失敗の本質」 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141121/274147/?n_cid=nbpnbo_rank_n

液晶事業への大投資が裏目に出て危機的な状態に陥ったシャープは、銀行に支えられて経営再建の途上にある。昨年6月に社長になった高橋興三(60)は、あえて強力なリーダーシップを否定することにより、再生の基盤固めをはかっている。背景にあるのは、自社の失敗への痛切な反省である。

片山の口から出た「邪魔なら言ってね」という一言
8月末、シャープの栄光と悲劇を背負った人物が同社を去った。2007年に社長に就任し12年に社長を退かざるを得なかった片山幹雄(56)である。9月1日付で日本電産に顧問として入り、10月1日付で副会長に就いた。シャープでは10年に竣工した大阪府堺市の巨大な液晶パネルと太陽電池の工場の建設を指揮した。08年に米国で起きたリーマンショックによる世界的な金融危機や円高の影響もあって、堺工場への約4300億円の投資が結果的に、同社を倒産寸前に引きずり込んだ。

片山が専務から社長に昇格したのは、49歳の時である。当時、役員25人の中で最年少だった。自信家で行動力に富む片山は液晶事業に初期から携わり、同事業の拡大にまい進してきた。前任社長の町田勝彦は01年に液晶テレビをいち早く発売して「液晶のシャープ」確立に指導力を発揮し、後継者に気鋭の片山を引っ張り上げたのである。 歴代トップの強いリーダーシップはシャープを成長させる原動力だったが、半面マイナスも大きかった。

詳しくは後述するが、そうした事情が高橋を急きょ社長に押し上げた原因である。巨額の赤字にあえぐ中で常務執行役員から社長に起用された奥田隆司が昨年6月、在任わずか1年3カ月で取締役も外れ「会長」に退いた。 代わって前年に副社長になったばかりの高橋が社長に昇格したのである。会長だった片山は「フェロー」に、町田相談役は前任社長の辻晴雄と同じ無報酬の特別顧問にそれぞれなった。辻は13年末に特別顧問を退任した。

要は大物OBたちが経営に関与できない体制にしたわけである。片山は一応、技術顧問のような役割を与えられ、大阪市の西田辺にある本社を離れて天理工場(奈良県天理市)に移った。しかし閑職のまま、くすぶらせておいてよいのか。片山の先行を高橋は心配した。「彼は3歳下なんです。社員の気持ちもいろいろですので、シャープへの復帰は難しい。どうしたものかと悩んで、ある人を介して、(新しい仕事の口を)相談していたのです」。

日本電産に移籍する人事が明らかになる1カ月ほど前、高橋は声をかけて片山と食事をした。「邪魔なら言ってね」という微妙な言葉が片山から出た。「そんなことはないよ」と高橋は返したが、片山を“戦犯”と見る社員もいる。間もなく逆に会食の誘いを受けて、そこで日本電産の話を聞かされた。「素晴しい会社だし、本人もやる気になっているので、『いいじゃないか』と賛成しました」と高橋は振り返る。よほどほっとしたのだろう。普段は二次会に付き合わない高橋が、片山に連れられてワインバーにはしごした。

フェローの人事は取締役会の決議は不要だが、取締役会後の役員懇談会で社外取締役3人を含むメンバーに報告した。「実はフェローの片山が9月1日付で、社名は発表まで申し上げられませんが、違う会社に行きます。その会社とは事業上の競合関係はありません」。ほどなく日本電産の社長永守重信が挨拶にやってきた。その日の日本経済新聞朝刊がこの人事を特報した。「まあ、ああいう話は漏れるものですから」と、永守は上機嫌だったそうだ。

 

 

posted by タマラオ at 06:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記