2015年06月30日

世界の部品供給基地としての地位は不動 No1

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DIAMOND 注目は日本電産、TDK、ロームの3社

――メリルリンチ日本証券調査部副部長 久保田真史
1988年国際証券(現三菱UFJモルガンスタンレー証券)入社、海外投資情報室にて海外機関投資家向けの情報提供業務に従事。1990年同社企業調査部アナリストに転じ、産業用エレクトロニクス、民生用エレクトロニクスを担当。1995年5月INGベアリング証券(現マッコーリー証券)東京支店入社、民生用エレクトロニクス、電子部品セクターを担当。2000年4月より同社テクノロジーチームヘッドとして電子部品セクターを担当。2003年6月メリルリンチ日本証券入社。

日本の電子部品メーカーは依然として、世界的にも高い競争力を維持している。円安も競争力の維持に貢献している。今後は、需要先としては、AV機器に替わってスマートフォン、自動車車載市場をどう開拓するかが課題となる。個別企業では日本電産、TDK、ロームの3社に注目する。

依然高い日本の電子部品メーカーの競争力
世界のテクノロジー市場の中で、日本企業が今後も継続的に高い競争力を発揮できる分野の一つが電子部品市場であると考える。日本の電子部品メーカー各社は多くの製品・分野で圧倒的な世界トップシェアを有し、世界の部品供給基地としての立場を不動のものとしている。スマートフォンやタブレット等成長市場においても、日本の電子部品なくしては生産不可能と言われるほど日本製電子部品メーカーの存在感は大きい。

特に円高是正の動きが進展している現状では、価格面での国際競争力も増していると考えられ、日本の電子部品メーカー各社が世界市場で更にシェアを伸ばす可能性は高い。韓国・台湾メーカー等アジア勢の台頭もあり、競争力の低下が懸念されてきた日本の電子部品産業であるが、実際には多くの分野でシェアを伸ばし、高収益性の維持に成功している。さらに今後電子部品需要が大きく拡大することが期待される自動車市場では、電子部品にも高い品質や信頼性が求められ、日本の電子部品メーカー各社がその技術優位性を大いに発揮することが可能となってこよう。

日本の電子部品メーカーの競争力の源泉としては、@高い素材技術、A顧客ニーズに対する細かな技術対応力、B海外生産等を含めたコスト競争力、等が挙げられる。特に高い素材技術は、新規参入に対する参入障壁を高くしていると言える。またカスタム製品市場での顧客ニーズに対する対応力は、顧客との信頼関係を強化し、競合メーカーへのシェア流出を防ぐ防御壁となっている。

素材型電子部品メーカーの代表例としては、村田製作所(MLCC=積層セラミック・コンデンサ、セラミックフィルター等)、TDK(MLCC、インダクター等)、京セラ(セラミックパッケージ等)が挙げられよう。またカスタム性の強い部品市場で高い競争力を発揮している企業の代表としては、日本電産(HDD用スピンドルモータ)や日東電工(液晶パネル用偏光フィルム、タッチパネル用ITOフィルム)等が挙げられると考える。

韓国・台湾メーカー等アジア勢に対抗するためには、コストのみでは勝負にはならない。つまり組立加工型の電子部品市場においては、日本企業がシェア低下を余儀なくされることも念頭に置いておく必要がある。一方、コスト競争力に加え、高い素材技術やカスタム製品市場で高いシェアを有する電子部品メーカーは、今後も世界市場で勝ち残っていく可能性が高いものと考える。

 

 

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2015年06月29日

劇的進化をとげる日本のトイレ事情!  No3

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機能が向上し、居心地のよいトイレ空間を実現
トイレに入ってから出るまで便フタの開閉、脱臭、洗浄を自動で行ってくれる機能付き。便フタ開閉のためにかがむ必要もなく、流し忘れもない。ここ1〜2年に発売された最新式トイレは、とにかく多機能で、高機能な温水洗浄便座がセットされている。例えば、温水洗浄や温風乾燥、脱臭機能などは、当たり前になっている。脱臭機能については、メーカーや機種によって、標準仕様の脱臭機能に加えて、用をすませるとさらに強力に脱臭する二段階脱臭になっているものもある。

最新トイレに搭載されている機能で、目立っているのがオート機能。トイレ空間に入り便器に近づくと、便フタが開く、便器に座ると脱臭がスタートし、用を足し便器から立つと水が流れ、便フタが閉まる。この一連の流れを、すべて自動で行ってくれる。  便器後方に内蔵されたスピーカーから音楽が流れるINAXのトイレ。音楽はSDカードに収録されていて、トイレに近づくと自動でスタートする。そして、新しい機能として上位機種に見られるのが、サウンド機能。

便器にスピーカーを内蔵したり、スピーカー付きの専用リモコンを使用するなど、メーカーによる違いはあるものの、便器に近づくか座ると、自動的に音楽が流れるようになっている。音楽の種類はクラシックからオリジナル曲、川のせせらぎ音などが用意されているほか、SDカードにダウンロードした好みの曲を楽しめるトイレもある。さらに、フレグランス機能を備えたトイレも登場。これは、フレグランスキットを便器にセットし、使用時にトイレに近づくと、自動で香りが流れるというものだ。

また、深夜にトイレに行った際に、通常の明るさの照明で「目が覚めてしまった」というユーザーの声に対応して、LED照明などを内蔵したタイプも増えている。いずれも、便器の位置やリモコン、紙巻き器の位置がわかる程度のほのかなあかりで、便器に近づくと自動で点灯し離れると自動で消えるようになっている。

最近のトイレは小さくてスタイリッシュ
「TOTO史上最高傑作」としてCMされたネオレストハイブリッドシリーズ。水道から流れる水と、内蔵タンクの水の2つの水流により、水圧の低い場所にも設置可能に。節水によるコストメリットも大きく、浴槽約274杯分、水道代で年間約1万3058円に相当する節水ができる。 最新トイレに共通しているのが、背面にタンクがないこと。これらは総称して「タンクレストイレ」と呼ばれ、1993年にTOTOから初めて発売された。

その後、他社も発売。年々人気が高まっており、各メーカーの出荷量は増えている。 タンクレス以前のトイレは、いわば「タンク有り」トイレである。タンク有りのトイレは、水道の水を一旦、タンクにため、そのタンク内の水を便器に流して、排せつ物を押し流す。一方、タンクレストイレは水道から直接流れる水で洗浄できる。電気で弁を制御する仕組みにより、水流は勢いよく、便器内全体に渦を描くように流れる。

タンク有りの時代から、洗浄方式や水流の工夫で洗浄力アップや節水は進められてきたが、タンクレストイレの登場で水の流れ方もさらに進化した。勢いのある水で流すことで、洗浄力が高まり、少ない水ですむようになった。また、タンクがないので、水をためる必要がなく、連続使用ができる。一番最初に発売されたタンクレストイレは、水圧の低い高台やマンションの中高層階には設置できなかったが、その後、水道から直接流れる水と、内蔵した小さなタンクから加圧して流れる水の2つの水流を利用するなど、改良が重ねられ、現在では設置できるようになっている。

 

 

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2015年06月28日

劇的進化をとげる日本のトイレ事情!  No2

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Trendy      http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20080222/1007350/?rt=nocnt

毎日何気なく使っているトイレ。ところが、最近のトイレはかなり進歩している。使いやすさや掃除のしやすさはもちろんのこと、形状もスタイリッシュになっている。さらに、10年ほど前の製品に比べて、格段に向上したのが省エネルギー性。今回の特集は、最新の機能性にあふれたカッコいいトイレを紹介しよう。

これまでの常識をくつがえす新素材の便器が登場!
トイレの素材革命ともいえる新素材でできた一体型便器「アラウーノ」。表面が滑らかで、撥水性があるので汚れが付きにくい 「アラウーノ」では、最初に小さな泡を含んだ水が流れた後、洗剤を含んだ泡でさらに汚れを落とす仕組み。洗剤は市販の中性洗剤を付属のタンクに入れて使う 便器のフチの形状が大きく変わり、手が届きやすい形に。拭き掃除がしやすくなったのも、最新トイレの大きな特徴のひとつ

老若男女だれもが1日に数回利用するトイレ。トイレは“空間”を指すこともあるが、ここでは便器と温水洗浄便座が一体となった「便座一体型便器」をトイレと呼ぶ。従来のトイレ素材といえば陶器が一般的だった。ところが、2006年12月、これまでの常識を打ち破る新しいトイレが発売された。なんと、アクリル樹脂をベースにした有機ガラス系の新素材でできているのだ。それが「アラウーノ」(松下電工)だ。 なぜ新素材の便器が登場したのだろうか?

ポイントは清掃性。放っておくと汚れが溜まるトイレ掃除は嫌いな家事の上位に挙げられているため、掃除をラクにしたいという要望は強い。そんなユーザーの声に応えるため、各社は、便器の形状や水流の工夫によって、掃除のしやすいトイレの開発に力を注いできた。そして、汚れが付きにくく落としやすい便器の素材として、有機ガラス系の新素材にたどり着いたのだという。 この新素材は開発メーカーのオリジナルだが、ベースのアクリル樹脂は、水族館などの大型水槽や飛行機の窓などにも使われている、撥水性が高く、水アカがつきにくい素材。

便器の汚れで最も気になる水アカをはじくので、掃除がしやすい。そのうえ、このトイレは、直径約5ミリの泡と、付属の洗剤タンクから放出される洗剤の泡(60マイクロメートル*)という2種類の泡に加え、渦巻き状の水流の3点で、便器自体が洗浄してくれるトイレなのだ。また、新素材のトイレは、陶器のトイレに比べて軽いため、施工の際、搬入するのがラクだという施工サイドのメリットもある。 もちろん、従来の陶器製のトイレを製造・販売しているメーカーでも、便器や便座の表面加工などの工夫により、掃除のしやすいトイレを開発している。

しかし、新素材のトイレが投入されたことで、TOTOやINAXがほぼ独占していたトイレ業界の販売シェアは今後大きく変わるかもしれない。 最新トイレ全般に共通しているのは、メーカーによって多少の違いはあるものの、従来のトイレとは、水の流れ方が全く違うことだ。これは、1993年のタンクレストイレの登場から変わった(詳細は、後半のタンクレストイレの説明参照)。便器のフチから水を流すのをやめ、便器の中で渦を巻くような水流にすることで、少ない水でしつこい汚れを洗い流す形状になっている。水を出す必要がなくなったフチ裏は、その形状を大きく変更し、最も不満の多かったフチ裏の拭き掃除がしやすい形状になっている。

*1マイクロメートルは1000分の1ミリ

 

 

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2015年06月27日

劇的進化をとげる日本のトイレ事情!  No1

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http://menzine.jp/trivia/nihonnnotoirejijyou9521/

日本にやってきた外国人が、ものすごく驚くことのひとつに「日本のトイレがものすごくきれいでハイテクだ」というのがあります。特にものすごく受けるのが、「シャワートイレ」 たしかに海外なんかに旅行に行く
と、「わ、ありえねえ!」と思えるようなひどいトイレに出くわしたりして、逆に日本のありがたみが身に沁みたりすることがあります。「日本はトイレ最先進国」トイレが清潔で機能的である、ということに異論を唱えるヒトはいないでしょう。誰だって、トイレはきれいなほうがいいはず。

日本の優れたトイレシステム、トイレ製品を海外に売り込み普及させれば、日本経済はますます発展!未来は明るいってなもんです。

劇的に進化した日本のトイレ事情
しかし、日本は昔からトイレ先進国だった訳ではありません。今から50年前は、ほとんどの家庭のトイレは水洗式ではなく、ポットン汲み取り式。トイレの紙も新聞紙を四角く切って、それを手で揉んでやわらかくして使っていたものです。
よく、レトロ好きのヒトなんか「昭和30年代はよかった」なんて言いますけど、トイレ事情だけは別。今のギャルたちなんか、タイムスリップしてあの30年代に連れて行ったら、まずトイレとかがダメなんじゃないですかねえ。それほど日本のトイレは劇的に大進化したのです。

日本のトイレ進化の歴史は日本の発展の歴史 日本のトイレ進化の歴史を年代順にまとめてみましょう。

@ 昭和30年代
ポットン汲み取り式和式便所が普通。紙は新聞紙を切って、手で揉んで使っていた。

A 昭和40年代
トイレの水洗化が進み、徐々に汲み取り式は姿を消す。つまり、東京などを手始めに全国で上下水道の整備が劇的に進んだということ。紙も新聞紙からトイレ専用のちり紙、そしてロールペーパーへと進化していった。

B 昭和40年後半
戦後から一部採り入れられてきた洋式便器が徐々に家庭向けにも浸透し、昭和52年に洋式便器と和式便器の販売数が逆転した。

C 昭和55年
画期的なシャワートイレ「ウォシュレット」がTOTOから発売。その後、続々と各トイレメーカーが同様の「温水洗浄便座付トイレ」を開発発売するようになった。実はシャワートイレは日本発祥ではなくアメリカで開発されていたが、日本で超進化普及したのです。

温水洗浄便座は、海外からの観光客の人気お土産品に
ウォシュレットの開発裏話などを聞くと、理想的な水量、水圧、そしてシャワーの角度などを、開発者のみならず全社的に皆でモニターしてサンプリングをしていくなど、やはり日本人らしい緻密さとくそまじめさを感じさせるエピソードが山のようにあります。今でも大手のサニタリーメーカーなどでは製品の改良を重ね、ますますトイレは進化していくでしょう。海外の観光客も、まずホテルのシャワートイレとかで感激し、家電量販店でこの「温水洗浄便座」を買い求めて帰国するケースがますます増えているとか。

トイレの清潔さ、ハイテク化は、その国の民度の表れ。トイレがきれいで便利な国は、やはり、いい国、なんじゃないでしょうか?この際、国策として全世界に向けて「トイレ先進国日本」をアピールし、輸出強化産品として官民挙げてプッシュしてみたらいかがでしょう?世界の平和と日本の繁栄はトイレから。なんてね。

 

 

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2015年06月26日

日立製作所の「年功賃金廃止」 No1

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http://diamond.jp/articles/-/60219

企業人事の先頭ランナー日立製作所の「年功賃金廃止」
読者は、日立製作所という会社にどのようなイメージをお持ちだろうか。筆者は、良くも悪くも日本的で家族主義的な会社だというイメージを長らく持っていた。電機業界なので、率直に言って賃金水準はそう高くないが、年金をはじめとする福利厚生が手厚く、社員は会社の傘の下で真面目に働いてさえいれば、堅実で不安のない生活が送れるイメージの会社だった。

管理職に一定以上のTOEICの点数を求めるなど、近年、国際化を意識した動きを見せてきた同社だったが、今回の管理職の年功賃金を廃止するという発表には、正直なところ驚いた。「日本の企業もここまで来たのか」という感慨を覚える。日立は、もともと人事政策に熱心な会社であり、日本企業の人事制度の先頭ランナー的な役割をしばしば果たす会社だった。たとえば企業年金では、厚生年金基金の充実に務め、運用にも熱心だったし、運用が努力では上手く行かないことがわかると、代行返上、さらに確定拠出年金の導入などの手を打ってきた。そして、その後多くの企業が追随した。

今回の年功賃金の廃止も、同業他社ではパナソニックやソニーなどが追随する見通しを報じられているが、異業種も含めて多くの会社が追随することになるだろう。今回の日立の人事制度変更は、後から日本企業の人事制度全体にとって、エポックメイキングな出来事として振り返られることになりそうだ。付け加えると、日立製作所は前期決算で史上最高益を更新するなど、業績的には絶好調だ。日立に限らず、日本企業ではこれまでこの種の制度変更は、業績が不調の際にやむなく実施されるのが常だった点でも、今回の人事制度変更には驚きがある。

それだけ切迫した必然性があった、ということだろう。
日立製作所の管理職の年功賃金の廃止の背景を、同社の国際化と結びつけて説明する報道が多かったが、国際化ということと賃金に年功要素がなくなって個々人に対して個別化することとの間には、それほど強い必然性は感じられない。より重要なファクターは、人材の流動化だろう。いったん就職した社員が辞めにくく、中途採用で有能な人材をスカウトすることもほとんどないということであれば、年齢と共に賃金が上がる安心感と対前年比較の満足感、さらに将来の報酬を期待して当面の賃金が安いと思っても社員が働く年功賃金制は、社員の満足度のわりに人件費の総額を抑えやすい、行動経済学的にも良くできた仕組みであった。

人材流動化と賃金の個別化 年功賃金廃止の真の原因は?
しかし、特に有能な人材が企業間で移動するようになると、年齢とキャリアで賃金の大筋が決まる「給与テーブル」の存在は、人材争奪戦の制約になる。個人差が大きく、また会社を移っても同様に仕事をしやすい金融業、特に外資系の金融の世界では、個人に対する報酬は一応成果に(稼ぎへの貢献に)結びつけられてはいるものの、人材の需給に応じて個別に決定される「個別化」に向かわざるを得なかった。

日立製作所はテクノロジー企業だ。テクノロジーの世界では、本来個人の能力差が大きく、かつそれが明確に表れやすい面がある。国際化に付随して、人材の流動性が高まる面もあろうが、年功賃金廃止の真の原因は人材の流動化だろう。そして、経済的な必然性から言ってこの流れが元に戻ることはないだろう。日立製作所の管理職賃金は、これまで約7割が年功的な要素で決まってきたと報じられているが、これがなくなることで今後変化しそうなのは、「定昇」(定期昇給)が形骸化することだ。

年齢が1年進むだけで給料が上がる「定昇」は、これとセットに「ベア」(ベースアップ)の交渉をすることで、グループとしての社員の経済条件を組合などが一括で交渉することを可能にしてきたが、報酬の全てが個々の社員の仕事ぶりによって決まるようになると、こうした交渉ができなくなる。

 

 

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2015年06月25日

日立が開けたパンドラの箱 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20141001/271972/?n_cid=nbpnbo_bv_ru&rt=nocnt

「年功序列廃止は管理職だけでなく一般社員にも拡大するはず。他の産業にも同じ流れが波及し、終身雇用制度が終わる契機となる。日立の経営陣や人事部がそこまで意図しているのかは不明だが、パンドラの箱を開けてしまったのは間違いないでしょう」 人事コンサルタントの城繁幸氏は、日立製作所が9月26日に発表した、年功序列を廃止した管理職向け賃金体系の導入について、このような感想を述べた。

現在は相談役となっている川村隆氏が2009年以降に進めた経営改革の中で、日立は2011年6月に「グローバル人財マネジメント戦略」を策定。同戦略の一環で2012年度に国内外の日立グループ社員約25万人分の人事情報をデータベース化。2013年度には、国内外の管理職約5万ポジション分の役割の大きさをグローバル共通の尺度で格付けするなどの施策を着々と進めてきた。年功序列廃止の賃金体系の導入は、これまで構築してきたこれらのツールや評価制度を、いよいよ報酬に連動させるフェーズに入ったことを意味する。今回の管理職向け処遇制度の改訂は、一連の川村改革の総仕上げなのかもしれない。

優秀な海外人材などを採用しやすく
今回の新制度の対象は、日立製作所における国内管理職の約1万1000人。課長級以上のこれら管理職は、勤続年数や年齢に関わらず、ポストや成果に応じて月給や賞与が決まる仕組みになる。従来の日立の管理職の賃金は、勤続年数や過去の実績などに応じて決定する「職能給」と、部長や課長などの役職に応じて支給される「職位給」で構成されていた。

10月以降の新制度では、職能給と職位給の区分けがなくなり「役割・成果給」として一本化され、年功序列の要素が一切なくなる。ポストが上がったり成果を出した人の給与が上がる一方で、そうではない人の給与は下がるため、新制度移行後も人件費の総額は従来と変わらない見込みだという。

狙いは優秀な人材を採用しやすくすること。役割や責任の重さ、業績への貢献度合いを報酬と明確に連動させ、優秀な若手の抜擢や、国籍を問わず優れた人材の中途採用をしやすくする。日立は2012年度時点で41%だった海外売上高比率を、2015年度に50%超に引き上げる経営目標を掲げる。そのためには、海外売上高を1兆円程度増やす必要があり、優秀な人材確保へ向け、世界共通の人事体系の導入が必須と判断した。

日立は、米ゼネラル・エレクトリックや独シーメンスなど、世界の重電大手の人事制度を参考にしながら、今回の管理職向け賃金体系を作り上げたという。今後は日立本体だけでなく、国内外のグループ会社の管理職にも適用を広げる方針だ。 まずは管理職だけを対象とするが、一般社員まで広げるかどうかは、「今後議論をしながら検討していく」(中畑英信・執行役常務)。幅広い経験を積む必要がある一般社員の段階で、役割や目標に基づく賃金体系がふさわしいかどうかは議論が残るところだという。

興味深いのは、日立以外の電機大手も時を同じくして、年功序列を廃止した賃金制度へ移行する検討を始めていたことだ。パナソニックやソニーも、年功要素を廃止した賃金制度の導入を検討している。

 

 

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2015年06月24日

日立の復活が見せる日本企業再生への道 No3

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庄山時代から「売上高の20%相当の事業を入れ替える」と打ち上げてきたが、実現できなかった。日立の復活はさらにその次の川村会長兼社長時代まで待つことになるのだが、庄山時代以後、明らかに見えてきたのは、競争環境の激変である。 巨大ファウンドリーを初めとする台湾メーカーの台頭、サムスン電子を初めとする韓国メーカーの技術・資本力の向上、中国メーカーの成長。さらに、いったんは欧米メーカーがコングロマリットから専業メーカーとして競争力を増大…。
日本企業の競争力の源泉といわれた現場力だけでは、到底太刀打ちできなくなっていたのである。環境の変化に即応して事業の取捨選択、作り直しをする経営の強さがなければ、勝てない時代に入っていたのだ。

日立の安定も“束の間”
しかし、川村改革を経た日立はもう安泰と言えるのか。あるいは、経営改革を経て復活した企業は、かつての高度成長期のように20年30年といった長期の安定を手にすることが出来るのか。 川村氏は、半導体や液晶のような技術の標準化と大量生産の拡大でコモディティ化が進んだ業種から切り離している。「突然、環境が変わり、ライバルが出てくるような事業は、こつこつと積み上げることが得意な日本企業には向いていない」と川村氏は言う。

相対的に変化が緩やかで、日本企業に一日の長があるモノ作りなど現場の強さも生かせる事業に絞ったというわけだ。しかし、世界はあらゆる業種にまたがってグローバルM&A(合併・買収)の時代に突入している。アルセロール・ミタルの例にもあるように、代表的な重厚長大産業である鉄鋼でさえもM&Aで、後発企業が急激に巨大化できる。さらに、自動車や産業機械、エレベーターなど様々な機器の部品、モジュールがインターネットでつながるIOT(インターネット・オブ・シングス)の時代も遠くはないといわれる。

IOT時代には遠隔操作で故障を修理したり、その稼働状況を集めたデータから新たなソリューションサービスが生まれると見られる。電気自動車やプラグインハイブリッド車が、中心になる時代には、車載モーターの稼働状況から道路の混雑を推定できるようになるといったことだ。その時代には、機器全体からそうした部品に付加価値が移る可能性もある。やはり日立も将来は、また新たな変化にさらされることを想定しなければいけないのだろう。

もちろん、川村氏はそうした新たな変化への対応も忘れていない。2012年6月に、取締役会に外国人を増員し、14人の取締役のうち、8人を社外にしたのがその1つだ。トップが変革を恐れるようになった時に歯止めをかけ、「無能な場合は交代させる」(川村氏)ためだ。 当然、福永氏の研究所改革のような現場改革も忘れることは出来ない。トップをいくら変えても、足腰が弱すぎては戦いにならないからだ。

日立の10年改革の歴史が示すのは、年を追い、日を追って「企業の本業は改革」の時代に移ってきたという事実だ。

 

 

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2015年06月23日

日立の復活が見せる日本企業再生への道 No2

金融、原子力、鉄道、都市(エレベーターなど)、自動車、医療などの基礎技術分野と、出口である製品の側の計算機、通信、半導体、材料、計測などの分野の技術者を交流させる場を設けたのである。毎週1回、互いに今取り組んでいることを報告し合ったりして、様々な意見を交換し合うというものだ。単純なようだが、基礎技術の側からすると、自らの技術をどう生かせばいいかというヒントが得られるし、実際にその後、事業化を一緒にできる。

事業側にしても、既に動いている事業をさらに強くするため、あるいは新しい製品・サービス開発をするのに、思わぬ技術が生かせる事に気づいたりするようになったという。 実際、原子力の核分裂のシミュレーションをやっていた技術者と金融事業の技術者の交流が、シミュレーション技術を銀行システム開発に使うことにつながったり、クルマのハイブリッド技術がディーゼル列車のハイブリッド化に使えたりと、多様に広がっていったと言う。

ヒントは、米シリコンバレーにあった。IT(情報技術)、ソフト、機器など多様な分野の技術者が集まるシリコンバレーは、彼らの交流が新技術、新製品、新サービスを生み出してきた。「技術のつながりの拡大こそ、新しい付加価値を生み出す力」(福永氏)なのである。

経営改革の遅れに苦しんだ2000年代
ささやかなことのように見えるが、中央研究所の改革として、技術者の世界では当時、注目を集めた。日立の現場では2000年代後半には、こうした改革も芽吹いていたのである。だが、結局、日立の業績は2000年代末にかけて急落していった。浮かぶのは、現場の努力を業績という結果に結びつけるのはやはり経営であるという当たり前の構図である。川村改革につながる2000年代を俯瞰してみると、当時の経営陣も改革の旗印は掲げている。

1999年4月に社長に就任した庄山悦彦氏は、デジタル化時代を睨んで、情報・エレクトロニクス分野に経営資源を傾斜配分し、電力・産業システム分野も機器単独売りからソリューションへの転換を進め、日立本体の中の事業グループの実質的な独立会社化を進めた。業績悪化が目立ってきていた半導体事業も分離。DRAM事業をNECと合弁のエルピーダメモリに、システムLSI(大規模集積回路)事業を三菱電機と共にルネサステクノロジ(現在のルネサスエレクトロニクスの前身の1つ)にするなど懸命の努力はした。

だが、貫徹しきれなかった。例えば、半導体事業では、当時存在感を増し始めていた台湾のファウンドリーメーカーに対抗。ルネサステクノロジと他の電機メーカーを糾合し、各社の半導体工場を切り離し、新たにファウンドリー事業を行う会社を設立しようとしたが、そこには至らなかった。しかも、就任翌年のITバブル崩壊の後遺症で赤字の事業が拡大し、対応に追われ続けた。

続く古川一夫社長時代もハードディスク(HDD)事業を将来の柱にしようと、米IBMから4000億円もの巨費を投じて買収。一方で液晶パネル事業をパナソニック、キヤノンに売却しようとするなど、選択と集中を図ろうとした。しかし、これもまたほとんど上手くいかなかった。HDD事業はその後長く赤字が続いたし、液晶の売却はキヤノンが乗ってこず、いったん頓挫した。ここでも目論見が外れたが、それを上回るほどの改革には踏み込めなかったのである。

 

 

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2015年06月20日

日立の復活が見せる日本企業再生への道 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140929/271855/?n_cid=nbpnbo_rank_n日立製作所の復活の研究に関心が集まっている。7873億円。2009年3月期に製造業として過去最大の最終赤字を計上したどん底からのV字回復は、何が要因かを分析しようというものだ。テレビ生産をやめ、グループの上場会社を完全子会社化し、黒字のハードディスク会社も売却するなど、事業の大胆な選択と集中が効を奏したとしばしば言われる。だが、果たしてそうか。転落と復活の10年を見つめ直してみると、別の姿も浮かぶ。日本企業が再び強くなる道を、そこから考えてみた。V字回復という言葉には妙なる響きがある。前半には、組織の硬直化、悪癖、失策などが澱のように溜まり、転がるように底に落ちていくが、そこから一転。たまりに溜まった悪弊を削ぎ落とし、一気に上昇していく…。そんなイメージがあるからだ。 だが、それは本当にそうなのか。例えば、2009年3月期に7873億円と、製造業として過去最悪の最終赤字に沈んだ日立製作所。大赤字の直後、2009年4月に会長兼社長に就任した川村隆氏を中心とする大改革で反転し、2014年3月期には営業利益が5328億円と過去最高益を上げている。情報・通信、電力、鉄道など社会イノベーション事業に集中する一方で、ハードディスク、テレビなど非中核事業を切り離す大胆な選択と集中が、文字通りのV字回復を実現したと注目を集める。だが、そこに様々な前史がある事はあまり知られていない。川村改革自体は、大胆な取り組みであり、成功した改革と捉えられるが、その前史から見つめ直してみると、また別の姿も浮かぶ。企業を作り直すことの本当の難しさと、改革の芽はどこにもあるという希望である。研究者の交流が新たな価値を生む前史の一コマを現場に据えてみよう。その1つ、イノベーションの本丸である日立中央研究所では2005年春から2008年春にかけて一風変わった改革が行われていた。中心になったのは、2005年に中央研究所長となり、後に本社研究開発本部の技師長にもなった福永泰氏(現・日本電産中央モーター基礎技術研究所長)だ。その改革は、ひと言で言えば、異なる分野の技術者の融合である。基礎技術開発を行う中央研究所は大方がそうだが、研究者は自らの領域に特化して研究をしようとするあまり、最終的な事業化に辿り着かないことがしばしば起こる。もちろん、「民間企業の研究者だから事業化を忘れるということはない」(福永氏)が、研究に入ると、より深い領域へとはまり込みやすい面がある。例えば、福永氏は中央研究所の所長になってしばらくした頃、センサーチップ(半導体)の設計をしている研究者が懸命に努力する姿をみて声をかけたという。「努力は素晴らしいけど、開発したチップは1個いくらで売れる? 今、100円で売れてもすぐに10円に下がる世界だよ。売上高としては限界がある。そのチップを使った機器開発を考えてみないか」と。基礎研究を軽視するわけではないが、事業化への道筋を付けられれば、取り組んできた研究の成果がさらに大きくできるというわけだ。 福永氏が始めたのは、技術開発とその応用の技術者を上手く組み合わせる仕組みだ。

 

 

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2015年06月19日

シャープが考え抜いた「失敗の本質」 No6

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13年度の連結業績は、売上高2兆9271億円に対して営業利益1085億円、純利益115億円を上げた。中計の目標「営業利益800億円、純利益50億円」を上回る結果を出したわけだが、実力通りの数字とは言えなかった。 1000億円を超した営業利益には、給与カットや中国電子信息産業集団への技術供与に伴う技術料収入などが含まれている。「それらを全部除くと、550億―560億円です」と高橋は説明する。15年3月期は、中計の目標「営業利益1100億円、純利益400億円」を、それぞれ1000億円と300億円に引き下げた。

「すべての銀行が認めてくれましたが、本来、誓約条項に触れるとして、融資を引き揚げられても文句を言えません」。きわどく認めてもらった「営業利益1000億円」という目標は、「実質的に、前期の倍の営業利益を上げなければならないので、実は大変なんです」。高橋の話を聞けば、なるほど綱渡りである。

経営危機の主因「液晶」が今も屋台骨
中計の最終年度の16年3月期には、売上高3兆円、営業利益1500億円、純利益800億円を達成しなければならない。当面頼れるのは手持ちの事業しかない。同社の部門別の業績を14年9月中間期について見ると、液晶が売り上げ、営業利益ともに全社の中で最大である。液晶の売上高は単純合計した全体の30%を超え、営業利益では42%を占め、売上高営業利益率は4.5%である。過大投資によって経営危機の主因になった液晶が、なぜ今も屋台骨なのか。

従来、米国のアップルなどの少数の顧客に依存していた。過剰在庫を処分し、中国の新興スマートフォンメーカーなどに顧客を広げ、中小型液晶の販売を伸ばして収益性を改善した結果である。市場開拓の武器として、独自に開発した省エネタイプの高精細液晶「IGZO(イグゾー)」の売り込みを積極的はかっている。他の主要事業でも、これといって撤退したものはない。NECがスマホから撤退し、パナソニックも国内の個人向けスマホ事業をたたんだ。

「アナリストは『いつになったら、スマホを止めるのか』と言うが、うちのスマホは黒字なのに、なぜ止めなくてはならないのですか」。高橋は紋切り型の質問にうんざりしているようだ。「みんな、事業をどれ一つ切ろうとしない『頼りない社長』と言うけど、違いますって」。 実際の事業を運営しているのは、液晶などを担当するデバイスビジネスグループとテレビや家電などを担当するプロダクトビジネスグループである。前者は専務執行役員の方志教和が後者は同じく中山藤一がそれぞれ担当しており、2人とも代表取締役である。

入社年次で2人は高橋より2、3年先輩になり、執行役員になったのは同じ年である。高橋は「方志と中山に権限の多くを移しています。彼らのビジネスには、やたらに口を出しません。彼らが助けてくれと言えば、対応しますが」と語る。月々の売り上げ状況がどうなっているかなどは、各ビジネスグループに任せている。 「両専務の責任は重いんです。当月の売り上げ見込みなどは書面でもらいます。時々、これはどうするんだろう? と思うこともありますが、黙っています」。

高橋は割り切っているようだが、微妙な緊張感をはらんだ任せる経営である。 しかし中小型液晶などでの実績を見ると、自由度を増した体制は成果を上げている。ビジネスグループによる運営の妙を大西はこう解説する。「方志と中山に各グループ内の人事権を与えて、開発から営業まで一気通貫でやれるようにしています」。例えば、企業向けの営業では、顧客に提案する段階から設計、製造、納入まで各機能が一体になってセールスしなければ円滑に進まない。

以前は、販売本部は自分の判断で動くという具合にばらばらだった。「今はデバイスなら方志がトップセールスで顧客と話をつなぎ、あとは各担当が一体になって顧客のニーズに沿った営業を展開しています」。

 

 

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2015年06月18日

シャープが考え抜いた「失敗の本質」 No4

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「アホとちゃいますか。真剣に考えたら死にますよ」
高橋は言う。「仮に私がものすごいビジネスの方向を思いついたとします。『次はこれだ』と号令をかけて、それが巨大な事業になっても、10年か20年の寿命でしょう。シャープがその時代、時代に応じて新しい事業を生み出せる会社に変わらなければ、危機を脱しても、また同じことの繰り返しで行き詰ります。だから、おかしな企業文化を変えようと言っているのです」。 高橋と水嶋、大西の3人は議論を重ねるうちに、シャープの失敗の本質について認識が一致した。

それを体した高橋が、先輩たちに翻ろうされた奥田に代わって社長になり、社員がチャレンジ精神を発揮できるように企業文化刷新の先頭に立つことになったわけである。 もっとも本人は「オレがやらなければなんて思いませんでした。逃げられないなという気持ちですよ。他に道が無かった」と言う。「僕が社長になれと言われた時は、資金繰り上必要だった1500億円の銀行融資はまだ確約が得られていなかった。

5月14日に内定して記者発表した時には融資が何とか決まったけれど、もし駄目だったら私は1カ月でつぶれてます。そんな社長を誰がやりたいと思いますか」。 冗談も交えて、あけすけにものを言い、時に開き直る。運命のいたずらで社長になったが、性格は結構タフなようだ。どん底をはう会社のかじ取り役には向いているのかもしれない。「アホとちゃいますか。鈍感なんです。真剣に考えたら死にますよ。今でもね」と煙に巻きつつ、過去との決別をしたたかに進めている。

経営再建中のシャープはどこへ向かうのか。危機的な状態はいつまで続くのだろうか。社長の高橋興三(60)は「危機は永遠の問題だと考えています。メディアやアナリストは『構造改革はどこまで進んだのか』と尋ねますが、ゴールはありません。1000年たっても、やっていますよ」と語る。 2013年3月末に6%まで落ち込んだ自己資本比率は、リストラを進めて14年9月末に10.6%になった。しかし変動の激しいエレクトロニクスの世界では、とても安全圏とは言えない。

かつては40%を超えていた。「自己資本比率がたとえ40%や50%になっても、危機はずっと続くんです」と高橋の見方は厳しい。未来永劫、危ない会社のままと言っているわけではない。気を許せば「会社なんて、あっという間にひっくり返ります」との認識が背景にある。1970年に社名を早川電機工業から製品のブランドに合わせてシャープに変えて、70年代には「電卓のシャープ」としてならした。「液晶のシャープ」は、73年に電卓の表示装置に液晶をいち早く採用したことに始まる。

液晶テレビに先鞭をつけ、ソニーやパナソニックを抑えて国内トップの液晶テレビメーカーにのし上がったところまでは、称賛すべきだろう。ところが直後に業績が暗転し倒産一歩手前まで追い込まれた。その結果、1年半前に社長になった高橋は企業の危うさを身にしみて知っている。だから「企業文化の改革が重要になるんです」と言う。

「シャープの人はとにかく威張っている」
シャープは、経営トップの強いリーダーシップの下で成功体験を重ねたため、上意下達が習い性になった。上の意向を下位者が絶えず気にかけ、物事を決めるのに時間がかかり融通がきかない。トップを中心とする一種の天動説経営になり、外に対しては夜郎自大に振る舞う体質が根づいた。シャープの尊大さには定評があった。部品や材料を納めている大小のメーカーから、悪評をよく聞いた。例えば、ある上場企業の役員は「シャープの人はとにかく威張っている」と話していた。

ある部品メーカーの社長からは「シャープは製品を納めた後で契約時の価格を値切ることもある。払いの良いサムスン電子にどうしたって寄って行きますよ」と聞かされた。誇張も多少あるだろうし、今はシャープも姿勢を改めていると思う。業績が傾いたので、抑えられていた悪い話が表に出てきたのである。社長内定後まだ就任前の高橋に取材した時、それを伝えたら、わかっていた。「『ざまあみろ、いい気味だ』といった声が、昨年からぽつぽつと耳に入ります。知り合いの人が『高橋さんだから言うけど』と、悪い評判を教えてくれます」

技術担当の代表取締役副社長執行役員である水嶋繁光はこう語る。「力の弱かった頃のシャープは、外から新しい技術を持ちこまれると『ぜひ、うちも一緒にやらせて下さい』と積極的に対応したものです。大きくなると、『これには、こんな問題があるのじゃないか。それを解決してから持って来てよ』と注文を付けるようになった。相手はシャープと共同で解決したくて持ちかけているのに、そんなことを言われたら、2度と持って来ませんよ」。気づかないうちに、大事なチャンスを逃していたのかもしれない。

 

 

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2015年06月17日

シャープが考え抜いた「失敗の本質」 No2

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片山はまだ50代である。再出発は本人にとってはもちろん、パワフルな元社長が社内からいなくなってシャープにとっても好ましい。互いにいわばウィン-ウィンの決着といえる。 片山はフェローに退いてから約9カ月の間に、自らの失敗の本質を高橋に語ったのだろうか。「聞いていない」と高橋は言っている。「片山とは月に一回も顔を合わせませんでした。彼自身が本社から身を遠ざけていました。新聞や雑誌などが、事実かどうかは別にして、前の社長たちが経営にいろいろ関与したと書いていますからね。片山は私に接触するとまた同じことをしていると思われるので、避けていたのでしょう」。

出した答えが「シャープのおかしな文化を変える」
町田や片山は苦境を乗り切ろうと精力的に動いた。12年3月に発表した台湾の鴻海精密工業との資本業務提携を主導したのは当時会長だった町田である。その8月、鴻海と出資条件を巡る交渉に当たったのは、相談役に退いた町田と代表権のない会長になっていた片山である。さらに資本増強のために片山は外資からの資本導入を求めて飛び回った。社長の奥田は影が薄かった。意思決定権者は誰なのか、こうした混乱が、同社の危機的なイメージを増幅した。

結局、奥田は短命に終わる。高橋への社長交代の真相は薮の中だが、二枚看板、三枚看板の異常事態を正すことが大きな力となって働いた。企業統治が不安定では、資金繰り上、唯一の頼りとなった金融機関の信用をつなぎ止められない。昨年5月の社長交代が内定した時の記者会見で、社長の奥田は「今回、役員人事を大幅に見直して、これまでのシャープと決別する」と発言し、さばさばとした表情を見せた。

さらに「何をやるにしても、今度はすべての権限と責任が高橋に集中するわけなので、この形を私も片山も崩さないようにやって行きたい。これによって新生シャープは再生できると思う」と述べている。高橋はかつての大物たちを反面教師に、違う経営スタイルをとっている。 「テレビをすべて液晶に変える」と言った町田や、「21世紀型コンビナート」とうたって巨大な堺工場の成功を夢見た片山などとは一線を画して、大戦略を語らない。

社長内定以来、一貫して発信しているメッセージは「シャープのおかしな文化を変える」である。企業文化の改革も大事だが、事業を今後どうするのか。しかし液晶や太陽電池に代わる成長事業をこうして創出するといったビジョンを打ち出そうとはしない。 「証券アナリストからは『シャープの高橋は何も考えていないし、何も方向性を示さない』と、厳しい言葉をもらっています」。周囲から自分に批判や不満が向けられていることは重々承知のうえなのである。それになぜ応えようとしないのか。

同社は昔、関西家電3社の中で、パナソニックと同社に吸収された旧三洋電機に次ぐ三番手に留まっていた。それが液晶テレビで大躍進した。連結売上高はピークで3兆4177億円、同じく営業利益は1865億円を稼いだ。ところが一転して、13年3月期までの2期合計で9214億円の純損失を出した。どうしてここまで悲惨な状態に追い込まれたのか、それへの答が「おかしな文化を変える」なのである。

常務執行役員米州本部長で米国に駐在していた高橋に、「副社長で戻って来い」と片山から電話が入ったのは、12年の3月下旬だった。「米国に来てまだ2年なのに帰れでしょう。それもいきなり副社長と言われて驚きました」。本当にびっくりするのはまだ早かった。4月1日付で、片山から奥田への社長交代とともに、副社長執行役員営業担当兼海外事業本部長になる。6月には代表取締役副社長執行役員と異例のスピード昇進である。

それまで奥の院である取締役会で、「どのような議論によって意思決定がなされてきたのか知らなかった」と言う高橋は、大赤字の実相に初めて向き合ったという。「えらいこっちゃ、つぶれると思いましたよ」。ショックは大きかった。「米国にいた時に、創業130年あまりのイーストマン・コダックが米連邦破産法11条の適用を申請して倒産したのです。私が帰ってきた年は、シャープが創業100周年だったので、まるで同じものを見ているような既視感にとらわれました」。

 

 

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2015年06月16日

シャープが考え抜いた「失敗の本質」 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141121/274147/?n_cid=nbpnbo_rank_n

液晶事業への大投資が裏目に出て危機的な状態に陥ったシャープは、銀行に支えられて経営再建の途上にある。昨年6月に社長になった高橋興三(60)は、あえて強力なリーダーシップを否定することにより、再生の基盤固めをはかっている。背景にあるのは、自社の失敗への痛切な反省である。

片山の口から出た「邪魔なら言ってね」という一言
8月末、シャープの栄光と悲劇を背負った人物が同社を去った。2007年に社長に就任し12年に社長を退かざるを得なかった片山幹雄(56)である。9月1日付で日本電産に顧問として入り、10月1日付で副会長に就いた。シャープでは10年に竣工した大阪府堺市の巨大な液晶パネルと太陽電池の工場の建設を指揮した。08年に米国で起きたリーマンショックによる世界的な金融危機や円高の影響もあって、堺工場への約4300億円の投資が結果的に、同社を倒産寸前に引きずり込んだ。

片山が専務から社長に昇格したのは、49歳の時である。当時、役員25人の中で最年少だった。自信家で行動力に富む片山は液晶事業に初期から携わり、同事業の拡大にまい進してきた。前任社長の町田勝彦は01年に液晶テレビをいち早く発売して「液晶のシャープ」確立に指導力を発揮し、後継者に気鋭の片山を引っ張り上げたのである。 歴代トップの強いリーダーシップはシャープを成長させる原動力だったが、半面マイナスも大きかった。

詳しくは後述するが、そうした事情が高橋を急きょ社長に押し上げた原因である。巨額の赤字にあえぐ中で常務執行役員から社長に起用された奥田隆司が昨年6月、在任わずか1年3カ月で取締役も外れ「会長」に退いた。 代わって前年に副社長になったばかりの高橋が社長に昇格したのである。会長だった片山は「フェロー」に、町田相談役は前任社長の辻晴雄と同じ無報酬の特別顧問にそれぞれなった。辻は13年末に特別顧問を退任した。

要は大物OBたちが経営に関与できない体制にしたわけである。片山は一応、技術顧問のような役割を与えられ、大阪市の西田辺にある本社を離れて天理工場(奈良県天理市)に移った。しかし閑職のまま、くすぶらせておいてよいのか。片山の先行を高橋は心配した。「彼は3歳下なんです。社員の気持ちもいろいろですので、シャープへの復帰は難しい。どうしたものかと悩んで、ある人を介して、(新しい仕事の口を)相談していたのです」。

日本電産に移籍する人事が明らかになる1カ月ほど前、高橋は声をかけて片山と食事をした。「邪魔なら言ってね」という微妙な言葉が片山から出た。「そんなことはないよ」と高橋は返したが、片山を“戦犯”と見る社員もいる。間もなく逆に会食の誘いを受けて、そこで日本電産の話を聞かされた。「素晴しい会社だし、本人もやる気になっているので、『いいじゃないか』と賛成しました」と高橋は振り返る。よほどほっとしたのだろう。普段は二次会に付き合わない高橋が、片山に連れられてワインバーにはしごした。

フェローの人事は取締役会の決議は不要だが、取締役会後の役員懇談会で社外取締役3人を含むメンバーに報告した。「実はフェローの片山が9月1日付で、社名は発表まで申し上げられませんが、違う会社に行きます。その会社とは事業上の競合関係はありません」。ほどなく日本電産の社長永守重信が挨拶にやってきた。その日の日本経済新聞朝刊がこの人事を特報した。「まあ、ああいう話は漏れるものですから」と、永守は上機嫌だったそうだ。

 

 

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2015年06月15日

楽天物産展がアジアで大盛況 No2

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うまいものをシンガポールで。楽天の担当者も、客の呼び込みを行った
一方、楽天に出店している事業者の多くも、規模的にはさほど大きくない日本各地の生産者や事業者も多く、独自ではなかなか海外進出が難しい側面がある。そこで、楽天とともに海外販路を開拓し、チャンスを互いに作っていくねらいもあった。では、実際にどんな売り方がウケたのだろうか。楽天は、イベントスペースを運営する企業と連携して、期間中一度に限り、日本からの追加の空輸を可能にした。越境かつ短期間のイベントならではの急な在庫調整という難しさに、ブランドが少しでも対応するための策であった。

このほか、英語で接客するための簡単な台本も用意し、各ブースに貼り付けるなども行われた。各ブランドも、自主的に商品の売り方について改善を重ねた。北海道のグルメを扱う「島の人 礼文島の四季」は、タコは生
食ではなく現地の人が好む揚げものとして売り、「礼文だし」はスープとして飲めるだけでなく、中に麺を入れ食べられるようにした。「食材はそのまま、食べ方はローカライズしたほうがいい」(同)。

一方、期間中、途中でパッケージを変えて成功したのは、海鮮丼を振る舞った「築地料亭 竹若」と、札幌蟹販だ。
竹若は当初、かわいらしい「パフェ型」や、外国人に馴染みのある「カリフォルニアロール型」を用意したが、客の反応を踏まえ、日本式のシンプルな四角い箱に戻した。札幌蟹販も同様に、大きな具を目立たせる箱に移すと、売れ行きがとたんに大きく変わったという。大きなカニの足を目立たせるパッケージに変更したところ、4000円弱にもかかわらず、一気に売り上げが伸びた

伊藤久右衛門では、あまり甘すぎないロールケーキと大福が売れた。試食できる商品数を増やしたり、自分がブースの前に出て客足を止め、ちょっとした人だかりを作ったことなどが効果的だった。「MOCHI(もち)」という単語が、日本らしさを想起させ興味を引きやすいらしいなどの発見もあり、「(こうしたノウハウを)日本の社内でも共有したい」(同社の担当者)と話した。

ブランド同士が協力、在庫は「福袋」に詰めて「売り切り」
さらに、ブランド同士が協力する場面も見られた。各ブースで30ドル(約3000円弱)以上の買い物をすると、「とみたメロンハウス」のアイスが無料でもらえるという取り組みだ。イベント後半では、在庫の多い商品を使って、外国人にも人気が高まりつつある「福袋」を作るというアイデアも共有された。客を奪い合うのではなく、全体で盛り上げようという機運は、海外ならではかもしれない。一方で、初回ならではの課題も多く見つかったという。

例えば、札幌蟹販が輸出していたカニは、税関を通過するまでに時間がかかってしまい、イベント開始時に間に合わず、仕方なく現地で調達するハメになった。前出のとみたメロンハウスは加工品でなくメロンそのものを販売したかったが、生ものでかつ季節商品ということもあり、今回は断念した。楽天市場等で「越境EC」を展開するにしても、これは今後克服していかなければならない。実は、従来の現地記録の3倍以上を売り上げたといっても、イベント単体では赤字。

だが、開催期間中、シンガポール楽天市場のサイトへのアクセス数が伸び、またうまいもの大会に参加したブランドの中には、楽天市場への出店を決めたところもあらわれた。こうした成果から、アジア周辺国の現地法人からも、はやくも次回の自国開催を望む声が上がっているという。

 

 

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2015年06月14日

楽天物産展がアジアで大盛況 No1

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http://toyokeizai.net/articles/-/57163

シンガポールで初めて開催された楽天の物産展。イベント会場では、日本風の演出が施された 日本のおいしい食べ物をどう海外に売り込むか。和食が無形文化遺産に登録さ
れたのは2013年。海外で成功すれば、日本への観光客増加にも跳ね返るなど好循環が期待できる。各社ともいろいろな策を練っているが、ひとつのヒントとして取り上げたいのが、楽天が昨年末に開催したシンガポールでの物産展だ。

日本の人気グルメ・スイーツを集めたとはいうものの、物産展が開催された場所は、は都心部から遠い郊外のショッピングモールというかなり不利な場所。だが、フタを開ければ、そのショッピングモールとしては従来記録のなんと3倍以上もの売り上げをたたき出し、地元メディアにも多く取り上げられるなど反響は大きかった。イベントに出店した11ブランドと楽天に「日本食の売り方」を聞いた――。

「ジモティー」に大好評、週末は嬉しい「激混み状態」に
楽天がシンガポールで、日本の「楽天市場」で人気のグルメやスイーツを集めた物産展「楽天市場 うまいもの大会 in シンガポール」を開催したのは2014年末(11月25日〜12
月4日)。同物産展は、2010年以来開催されているが、海外で開かれたのは同年の台湾(10月)についで2回目。東南アジアでの事業拡大に意欲的な11の零細・中小企業のブランドが出店した。イベントは、シンガポールの中心街から車や電車で西に30分ほど行ったジュロン地区にあるショッピングモール「ジュロン ポイント」で行われた。

ジュロン地区は日本人や観光客を含む外国人が訪れることはさほど多くなく、客層の大部分を現地で暮らす人たちが占める。初めて参入する楽天にとっては、不利な立地かと思われた。そもそも、なぜ中心部ではなく、郊外に設定したのか。楽天としては、日本人を含む外国人がなかなか来訪しない、つまり現地のシンガポール人だけしか来ない中で、どれだけ「うまいもの大会」もしくは「楽天の知名度」が通用す
るのかを確かめたかったという。ただ一歩間違えば大失敗のリスクがあった。

楽天のPR推進部の担当者も「受け入れられるのか」と心配していたが、フタを開けてみれば、同じスペースで行われた過去の催しの最高売上げを3倍以上も更新する大盛況イベントとなった。初日に地元のテレビや新聞で取り上げられたことで、週末には歩いて回るのも大変なほどの混雑が起こったという。売上げの大きかったブランドは、1位が六花亭マルセイバターサンドなどを扱う「北海道お土産探検隊」、2位が北海道のカニ弁当を扱う「札幌蟹販」、3位が宇治抹茶を使ったロールケーキや生チョコレートなどを扱う「伊藤久右衛門」。これらの好調の要因を前出の担当者はこう分析する。

「札幌」「京都」、ブランド出身地の知名度が重要
「ブランドのバックグラウンドとなる地方が、進出国の人々から認知されている、もしくは実際に訪れたことのある場所だと強い。日本の中で各地域が良い評判を形成し、それをフックに海外から観光客を呼び込めそう。当社でも今後、楽天トラベルや地方自治体と連携し、インバウンドを促進する施策を検討していきたい」 また、楽天では、英語が社内公用語だ。今回の
イベントの成功は「それがなかったら今回の企画もなかったのでは。日本市場が頭打ちとなり、海外進出は『マスト』になっていくが、現実的には社員一人一人の意識を海外に向かせるのはそう簡単ではない。だが、それが公用語化によって変わりつつある。今回のイベントが、英語が実際の仕事に活かされる『原体験』となった社員も多い」(同)。

 

 

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2015年06月13日

「長屋」で攻めるパナホーム

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150226/278022/?n_cid=nbpnbo_bv_ru

「碁盤の目のように整備された道路」「等間隔で建てられた街灯」「ほぼ同じデザインの新築住宅」「子供が安心して遊ぶことができる公園」――。 マレーシアの首都クアラルンプールの中心地からクルマで約1時間。2月上旬に現地を訪れた筆者の目の前には、いわゆる日本の新興住宅地の光景が広がっていた。 意外に思われるかもしれないが、マレーシアでは現在、中間層向けの住宅開発が盛んだ。筆者が訪れた新興住宅地もその一つ。現地の総合不動産(デベロッパー)が開発したものだ。一見すると日本の新興住宅地と変わらないが、よく見るとマレーシア独自の文化が随所に取り入れられている。

マレーシアで主流の「長屋」
まず外観に違いがあることに気付く。マレーシアの中間層向け住宅は、二階建ての住宅を十戸程度つなげた「リンクハウス」と呼ばれる住宅形式が主流。日本で言うところの「長屋」だ。実際、現地で筆者が目にしたのはすべてリンクハウスだった。マレーシアでは「一軒屋は富裕層が住むもの」という認識が一般的なのだろう。

現地デベロッパーが手掛けた「リンクハウス」
家の内部も日本とやや異なる。現地のデベロッパーに売れ残っていた戸建て住宅の中を見せてもらったが、天井の高さに驚かされる。3mが一般的であり、日本に比べて60cmほど高い。 さらにマレーシアでは中間層でも住み込みのメイドを雇うことがあるため、専用部屋もあった。やや高級なリンクハウスではキッチンが2つあるという。「一つはリビングで料理を温めるだけの『見せる』キッチン、もう一つはメイドが料理するのに使う『本物』のキッチンだ」(現地デベロッパーの担当者)。

リンクハウスの中の様子。ショールームのように家具や家電が据えつけられていた
訪問したリンクハウスの価格は土地代込みで、50万リンギット(1600万円)以上。決して安くないが、販売は好調という。筆者が訪れた新興住宅地を開発した現地のデベロッパーによると、約250戸の新築住宅はほぼ完売。「隣接する土地で第2期の計画が進行中だ」(デベロッパーの担当者)。 実はこの第2期の住宅開発では、日本の住宅メーカーと合弁設立に向けた検討が進んでいる。パナソニックの住宅子会社であるパナホームだ。

4月から中間層向けに売り出す
2012年5月にマレーシアに現地子会社を設立したパナホーム。翌年3月には現地にモデルルームをオープン。以降、富裕層をターゲットに価格が300万リンギット(1億円)を超える高級住宅のみを手掛けてきた。 ところが昨夏以降、方針を大きく転換。今年4月から、中間層向けに現地メーカーと同価格の50万リンギット(1500万)で売り出す計画だ。マレーシアでのリンクハウスへの参入は、事業拡大の起爆剤として位置付けられている。

パナホームマレーシアがクアラルンプール市内に建設した富裕層向けのモデルルーム
 中間層の開拓に向けてパナホームが掲げる武器が、工業化住宅の技術。パナソニックマレーシアの馬場俊郎社長は「現地のリンクハウスは一見すると完成度は高く見えるが、気密性などは低い。日本で培った断熱性や換気性能の高さを打ち出せば勝算はある」と語る。 とはいえ、日本の技術を中間層向けにそのまま展開すれば、地場メーカーのコストに太刀打ちできない。

性能の高さとコストの両立するために「W-PC(壁式コンクリートパネル)」と呼ばれる工法を現地流に改良した。 W-PC工法はコンクリート製のパネル材を工場で生産した後、建設現場にパネル材を運び込んで組み合わせる施工技術。工場でパネル材を作るため品質のバラつきが生じにくく、品質を安定化しやすい利点がある。さらにパネル材を組み立てるだけでプレハブが完成するため工期そのものも短縮できる。

課題は、工場の設備投資が必要なこと、そして1枚7〜8トンというパネル材の運搬費用が掛かることだ。パナホームは、建設現場近くの土地にテント式の簡易工場を併設することでコスト削減を狙う。 実際の試作では、品質を確保できることを確認。「建設コストは地場メーカーとそん色ないレベルに抑えられた」とパナホームマレーシアの馬場社長は胸を張る。 2019年3月期に、住宅関連事業の売上高で2兆円を目指すパナソニック。

住宅子会社であるパナホームの目標は5000億円で、その1割に当たる500億円を海外事業で稼ぎ出す計画だ。もっとも現在のパナホームの海外売上高は17億円にとどまっており、達成までのハードルは極めて高い。中間層向けのリンクハウス参入で、実現に向けた一歩を踏み出したと言えそうだ。

 

 

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2015年06月12日

なぜタイで「セキスイハイム」が売れたのか

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150225/277976/

2月上旬、タイ・バンコク。市内は渋滞が酷く、屋台から薫るスパイシーな匂いが排気ガスに混じり鼻を突く。日本から遠く離れたこの熱帯の地で、ニッポンの家が売れていると聞き、訪れた。注文住宅「セキスイハイム」を国内で販売する積水化学工業が、タイの建材大手と合弁で展開する「SCGハイム」である。積水化学工業がタイで展開する「SCGハイム」のモデルハウス。このタイプは、居間から出入りする“タイ式”の設計を取り入れている

「セキスイハイム」と言えば、日本を代表する「プレハブ化(工業化)」住宅の1つ。かつて、積水化学工業の住宅部門が「積水ハウス」として独立した後、再度、自社事業として立ち上げたのがセキスイハイムだった。柱と梁を一体化させた鉄骨ラーメン構造のユニットを工場で作り、配線からスイッチ類まで約80%を工場で完成させる独自の「ユニット工法」が有名だ。この工法をそのままタイに持ち込んだ。 積水化学工業がタイ市場に参入したのは2009年。

当初は建物の平均価格が4500万円ほどする富裕層向け商品を中心に展開していたが、2013年からは平均床面積60坪、平均価格500万バーツ(約1900万円)と広さ・価格を抑えた新商品も投入。200万〜300万バーツを中心価格帯とする現地の業者より割高だが、中間層を取り込みながら昨年から販売数が急伸している。昨年の年間販売戸数は約160棟、今年は300棟をうかがう勢いだ。 ただし、ここに至るまでには「品質の理解」という大きな壁があった。

タイ大手、SCGの威光
現地の工務店が手がける家のほとんどが、コンクリートとレンガ、モルタルによるアジア式の家。完成まで1年〜1年半かかるのが当たり前だ。対して、気密性・断熱性に優れ、工期も数カ月で済む日本の工業化住宅が優位であることは言うまでもない。ただ、タイ人によって、鉄で家を作ること自体、あり得ないこと。まして工場で作るとなれば、想像の域を超えた話だ。 「住宅はその国の文化・歴史・風土に根付いているもの。日本のやり方をそのまま持ち込むのはかなり難しい。

品質を理解してもらう認知活動は非常に苦労した。本当に売れるのか、そもそも、そんな必要があるのか、という葛藤すらあった」 積水化学工業でタイ市場の開拓を手がけた住宅カンパニーの藤原雅也・海外事業推進部長はこう振り返る。いったい、積水化学工業は壁をどう乗り越えたのか。そこには3つのポイントがあった。 SCGハイムがタイで放映しているテレビCM
(YouTubeから)。インターネットや電話経由で、モデルハウス見学へと誘導する

見学会は週末に開催され、モデルハウスからバスで工場まで送迎する。15分のプレゼンテーションを経て、20〜30分かけて生産ラインを見学。次に敷地内のモデルハウスに移動し、工場で作られたユニットを組み立て、家にしていく作業のデモンストレーションを行う。工場見学会でのデモンストレーション。クレーンでつり上げられたユニットが別のユニットとはまり、家になっていく  クレーンでつり
上げられたユニットが「ガチャン」と音を立ててつながり、家となる。

その様子にタイ人は拍手喝采で喜び、スマートフォンで写真を撮る。2013年に406組863人だった参加者は2014年、約4000人まで激増。見学会はこれまで月3回程度の開催だったが、人気に応え、今年1月は6回開催した。 「タイ人は新しいもの好き。イベントやお祭りも好きな国民性。見学会は住宅を工場で作るということがピンとこないタイ人に非常に好評」と藤原部長は話す。その場で家が組み立てられる驚きの光景は、即座にフェイスブックなどのSNS(交流サイト)で共有され、拡散する。「評判がすぐにネットで広まる国。工場見学会も、始まって早々、すごい勢いで広まった」(同)。

この口コミの威力が、壁を乗り越えた3つ目のポイントだ。 「ジャパンブランドの復権は可能」
口コミのネタは、工場見学会だけではない。もともと地場の工務店の施工品質は悪く、住宅購入者の多くが不満を抱いている。藤原部長曰く「売ったら売りっぱなしの文化。保証や定期保守という概念はなく、消費者センターの苦情の多くが住宅絡み。建築の質の悪さを身にしみてわかっている」という。 そんなタイ人からすれば、SCGハイムのサポートは別次元。2011年に起きた深刻な大洪水災害の時は、社員総出で点検に回り、荷物を2階に上げるのを手伝ったり、日本から持ち込んだ機材で洗浄・消毒をしたりと手厚いアフターケアを行ったが、このことが「信じられない対応」「素晴らしい」と即座にネットで出回り、SCGハイムの株が上がった。

快適な住環境も、SCGハイムの購入者がタイ最大の掲示板「パンティップ」などで報告している。それを見た閲覧者からの「SCGハイムは日本の家のよう。お金が溜まったら買いたい!」「全てが夢に叶ったような家」といった羨望の声も目立つ。 タイに根付きつつあるニッポンの家。2015年度は完全黒字化させ、2021年には「年間1000棟、売上高300億円」の達成を目指す。藤原部長は言う。「住宅産業は保守的な業界。海外進出は遅れている。でも今回やってみて、やればできると分かった。間違いなく、まだ日本の品質への信奉はある。ジャパンブランドの復権は可能だと思う」。

 

 

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2015年06月11日

世界を牽引する日本の超小型衛星

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天気予報に衛星放送、スマートフォンのナビゲーション機能など、様々な“便利”を提供してくれる人工衛星は、もはや暮らしに不可欠な“インフラ”ともいうべき存在。その分野で、日本が世界を牽引している領域があるという。宇宙ライターの林公代さんに話をうかがった。「日本の人工衛星は国際的にも高い評価を得ています。そのひとつが、世界唯一の“温室効果ガス観測衛星”として二酸化炭素を観測している『いぶき」。

そして、降水量や水蒸気量、海水の温度や氷河の溶け具合などを観測する『しずく』。これらの衛星が提供するデータは、世界中で活用されています。特に『しずく』は、各国の衛星が連なって地球を観測する『A-Train(エートレイン)』というプロジェクトにも参加しており、言うなれば“世界選抜”の一員でもあるんです』これらは国家予算をもとにJAXAが開発・運用している“大型”の人工衛星だが、大学や民間企業が主導で開発している“超小型”の人工衛星も注目されている。

「大型衛星は数百人の技術者、5年以上の研究開発、そして数百億円規模の予算を要する国家レベルのプロジェクトですが、超小型衛星は、少人数(10人以内)、短期間(1?2年)、低予算(約2億円以下)を目標に作られます。明確な定義はありませんが、概ね大きさは10?50センチ四方で、重さも50kg以下。日本の技術力がこういった“小さなモノ作り”に生かされています」

でも、そんな小さな衛星で何ができるのだろうか?
「確かに多くの機能は搭載できませんが、単機能に特化した開発が行えるのが超小型衛星の強み。例えば『東京の渋滞だけを常時モニタリングしたい』というような、限定された目的に応じた衛星を作ることが可能です。実際にこの秋、北極海の海氷に焦点を当てて観測するという目的で、日本のベンチャー企業が世界初となる商用超小型衛星を打ち上げます。ただし、課題は打ち上げ手段です。通常の衛星用ロケットで打ち上げると、コストがかかりすぎてしまうんです。

機体が小さいため、ロケット内部の空きスペースに“相乗り”させてもらったり、9月にミッションが実行されるISSからの直接放出という手段もありますが、これらは商用でなく、教育・研究目的の衛星に限られているのが現状です」(林さん)
そこで現在、大学や民間企業が中心となって専用の打ち上げロケットを開発するべく検討が進められているという。今後の宇宙開発を担う存在として、大いに期待したい。
(清田隆之/BLOCKBUSTER)

林 公代さん
日本宇宙少年団の情報誌編集長を経て、宇宙ライターに。近著に『宇宙飛行士の育て方』(日本経済新聞社)、『宇宙就職案内』(ちくまプリマ―新書)など

 

 

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2015年06月10日

宇宙ゴミ  No3

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米航空宇宙局(NASA)、日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)ロシア連邦宇宙局(ROSCOSメートルOSなど12ヵ国が参加している。国連宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)の場でもデブリ問題が議論になっている。実際に、衝突を防ぐために地球周辺のデブリを観測する活動がはじまっている。

北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の宇宙監視ネットワーク(SSN)、ロシアの宇宙監視システム(SSS)、日本の美星スペースガードセンター(BSGC)などは、約10センチメートル以上のデブリを登録して常時監視している。登録されたデブリの数だけでも約9000個に及ぶ。

回収か、燃やすか、墓場軌道か
デブリを減らすためには、使用済みのロケットや人工衛星をほかの衛星と衝突しない軌道(墓場軌道)に移すか、強制的に大気圏に突入させて燃やすか、デブリを何らかの手段で回収するなどの対策が必要である。 現在取られている対策としては、欧州宇宙機関(ESA)、米国、日本、ロシアはデブリを減らすために、予備燃料を使って意図的に軌道から離脱させられるように衛星や宇宙船を設計する指針を打ち出している。

また、使用済みの衛星の高度を可能なかぎり下げて軌道上の滞在時間を減らし、ほかのデブリとの衝突リスクを下げる試みが、欧州宇宙機関の地球探査衛星ERS-2や米国の大気観測衛星UARSなどで試みられた。衛星の打ち上げに使われたロケットを、予備燃料を使って軌道を変更して再突入させる試験も日本のH-IIBロケット2号機で行われた。スイス連邦工科大学ローザンヌ校宇宙センターは最近、最近世界初の宇宙の清掃を目的とした衛星の打ち上げ構想を発表した。

「クリーンスペース」と銘打たれたお掃除衛星は、4本の指のようなものでデブリをつかむ回収装置を備えている。高度630〜750キロメートルにある10センチメートルほどのデブリの捕獲・回収を目指している。 回収したデブリを大気圏まで運んだ後、デブリだけ切り離して再突入させ、衛星は再利用するか、デブリもろとも衛星を燃え尽きさせるかは検討中だという。開発費は約1000万スイスフラン(約9億1000万円)と見込まれている。参加企業をも募って、2015〜16年には実験する予定という。

日本宇宙航空開発研究機構(JAXA)は、地球軌道上のデブリをロボット衛星で捕獲し、地球に再突入させて除去する技術を開発している。漁網メーカー「日東製網」が JAXA とともに進めている「宇宙ゴミ除去
システム」だ。 捕獲衛星で対象のデブリに接近し、ロボットアームで「導電性テザー」と呼ばれるひもを使ってデブリを捕える。そして、デブリを減速させることでその軌道を下げて大気圏突入を早めることができる。

しかし、デブリは姿勢制御されていないために回転運動をしている場合が多い。重量も形も多様で、宇宙空間で捕獲するのはかなりむずかしいと考えられている。

 

 

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2015年06月09日

宇宙ゴミ  No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120402/230503/

宇宙のやっかいなゴミの清掃作戦はじまる 2015年頃には掃除衛星も登場 

私たち世代は、とんでもないゴミを後世に残しつつある。今回の福島第一原発の事故にともなう膨大な放射放射能を帯びた瓦礫や廃棄物は、何百世代にもわたって抱え込まねばならない。 一方、空を見上げると、ここでも増えつづける「スペースデブリ」(宇宙ゴミ)が深刻な問題になっている。打ち上げた人工衛星やロケットの破片が高速で軌道を回っているのだ。宇宙機器に損傷を与え、一部は地上に落下してくる。その宇宙の清掃計画がやっとはじまった。

4500トンを越える宇宙ゴミ
スペースデブリは、米国航空宇宙局(NASA)が有人の国際宇宙ステーション計画に手をつけた1980年代半ばから、その危険性が議論されてきた。デブリの正体は、寿命尽きて機能が停止したり、事故や故障で制御不能になった人工衛星、その打ち上げに使われたロケット本体や部品、宇宙飛行士が遊泳作業中に落とした工具や手袋などだ。これらが地球の軌道を周回している。 しかも、これらの物体同士がぶつかって、さらに細かな多量のデブリが発生する。

米国、旧ソ連、中国は、冷戦時代に互いに衛星を破壊する手段を競い合った。他の衛星に自爆攻撃をかけて破壊する旧ソ連の「攻撃衛星」や、戦闘機からミサイル発射して衛星の破壊する米国の実験で膨大なデブリをばらまいた。
さらに、中国が2007年に実施した、機能停止した気象衛星「風雲1号C」を使った衛星攻撃兵器の実験も、宇宙空間のデブリを30%以上増やしたと推定されている。

2009年5月にはこの実験に由来する10センチほどの破片が、米スペースシャトル・アトランティスの3キロメートルほどの距離にまで接近した。衝突は起きなかったが国際的な批判が高まった。 旧ソ連が1957年10月4日にスプートニク1号を打ち上げて以来、世界各国で打ち上げられた人工衛星などの物体は約8000。そのうち利用されているのは約3000機といわれる。衛星の寿命は5〜20年であり、いずれはデブリとなる。

多くは大気圏へ再突入したときに燃え尽きるが、現在もなお4500トンを越えるデブリが残されている。デブリは、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の「宇宙監視ネットワーク」(SSN) が中心になり、光学望遠鏡やレーダー
を使って地球上から追跡している。高度約1000キロメートルにある10センチメートル以上の物体が観測できるほどの精度がある。このほか、ロシアの「宇宙監視システム」(SSS)、日本の「美星スペースガードセンター」(BSGC)などが、約10センチメートル以上の比較的大きなデブリを監視している。


これまでに、直径10センチメートル以上のデブリは、約1万6000個が確認されている。さらに、地上からの観測できない1センチメートル以下が数十万個、1ミリメートル程度のものまで含めると数千万個はあるとも推定される。その数は近年急増している。高度2000キロメートル以下の地球低軌道では、きわめて薄いものの大気が存在するので、衛星やデブリは大気の抵抗を受けて徐々に高度が下がっていき、いずれは地球の引力によって落下しながら燃え尽きる。

落下する時間は高度によって異なる。しかし、耐熱金属などの燃えにくい部品の一部は地上に落下する。昨年9月には米国の大気観測衛星UARSが、10月にはドイツのX線天文衛星ROSATが大気圏に再突入し、燃え残った部品が地上に落下すると発表された。結果的には被害はなかった。

 

 

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