2015年03月31日

14歳でカナダの5大学に合格 日本人天才少年の素顔とは No2

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−−飛び級に挑戦したことで、苦労もあったのでは
「いくつかあるんですけど、最初のころは本来の同学年の友達とのつきあいが段々なくなってしまいました。そのかわり3歳年上のお兄さんやお姉さんたちが温かく受け入れてくれたので、それはありがたかった」 「一番大変だなと思ったのは、僕の回りに日本人がいないこと。だからどうしても日本人代表になってしまう」

■天才少年に最大のピンチ!?
高校の卒業式後に行われるダンスパーティー「プロム」でも、飛び級ならではの苦労があったという。 「パートナーをみつけなきゃいけないんですが、周りは3歳年上ですので、少し難しいんですよね。気がついたらお姉さんたちは皆パートナーが決まってて。とうとう最後に、別の学校の同じ年齢の女性がパートナーに立候補してくれた。本当は男性から誘わなきゃいけないので、まだ僕は『へたれ』だなあと思うんですけど(笑)」

−−日本人代表として無事プロムも乗り切ったわけですね
「実はさらに一波乱ありました。スローダンスというのがあって、普通は自分のパートナーと一緒に踊るんですけど、ダンスがうまい男性がいて、パートナーを取られちゃったんです。悲しい話ですよね(笑)。そのときはクラスメートの女性がダンスしてくれて、なんとかしのぎました」

■年齢を意識しない環境
−−日本では、ややもすると異質な存在を排除しようとする傾向がありますが、カナダの高校ではそういうことはなかったですか
「そうですね。その理由のひとつとして、僕の本当の年齢を知らなかった人が結構いた。アジア人って若くみえたりするので」 あるとき、数学をよく教えていた男子生徒から年齢を聞かれ、「13歳」と答えると相手は絶句したという。 また科目別の飛び級システムがあるこの学校では、同じ授業を学年の違う生徒が受けていることは珍しくない。比較的、学年や年齢を意識しないですむ環境だったようだ。 「しかし、3歳差というのはさすがにありませんでした。思春期を挟んでいるので、僕は子供にみえますけど相手はほぼ大人で、外見は相当違いがありました。ただ疎外感や孤独感は感じませんでしたね」

■最初は英語がビリだった
−−5歳でカナダにきた当初、英語はしゃべれなかったんですか
「ESL(英語以外を母国語とする人たちのための英語)のクラスでは小1のとき、ビリのグループにいました。そこから徐々にレベルが上がっていきました」

−−英語のレベルが上がった秘訣は
「相手が子供でも、大人のように話しかけたり、本を読み聞かせたりするのはすごく大事だと思います」 当時、翔さんの母親がとった手法はユニークだ。ベビーシッターを頼んだ近所の小学生に本を音読してもらったのだ。ただ相手も子供だけに1人1時間が限界。そこで休日には6人の小学生ベビーシッターが入れ代わり立ち代わり自宅を訪れていたという。 ちなみにカナダでは、11歳は子守を「する」側。小学生向けのべビーシッター養成コースがあり、資格を取ることができるのだという。

−−小さいころから本を読むのは早かったそうですね
「小3のころには、600ページぐらいの本なら1日で読んでいましたね」 翔さんは9歳のときに、ギフテッド(天才児)として登録された。

−−ギフテッドの登録にいたった経緯は
「学校の先生が、君ギフテッドかもしれないから、と推薦してくださり、そこからテストを何回か受けました」カナダのギフテッド・プログラムは、通常の学校授業とは別に政府の公費で行われる特別教育だ。教育委員会と学校レベルの2種類あり、教育委レベルでは各学校から選ばれたギフテッドの子供たちを別の学校に集めて行われる。「カナダにはギフテッド教育のほかに、ESLのように英語が母国語ではない人向けの特別教育もあるし、LD(学習障害)の子供向けの教育もある。ある意味、特別教育が必要な人という点では同じです」

 

 

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2015年03月30日

14歳でカナダの5大学に合格 日本人天才少年の素顔とは No1

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http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/140713/wor14071310300006-n1.html

9歳のときカナダ政府にギフテッド(天才児)と認定され、14歳で同国の名門大学5校に合格した大川翔さん。希代の逸材を獲得しようと各大学が高額な奨学金を提示して繰り広げた“争奪戦”は、現地メディアでも話題となった。いったいどんな家庭や教育が彼を育んだのか。インタビューでは人一倍強い母国・日本への思いや将来の夢も聞くことができた。

■普通の公立高に通った
翔さんは5歳のときに両親の仕事の関係でカナダへ。12歳で高校に飛び級進学し、今年6月に無事卒業した。9月からブリティッシュコロンビア大サイエンス学部に進学することが決まっている。一時帰国中の7月9日、下村博文文科相を訪れ、約40分間にわたって対談した。カナダのギフテッド教育や飛び級制度などについて説明したという。

−−下村大臣からはどんな質問がありましたか
「通っていた高校が特別な学校だったのか聞かれましたが、全然特別じゃないんですよ。普通の公立高校です。特殊なプログラムがあるだけです」 翔さんが通っていたトーマス・ヘイニー高校では、得意な科目があれば、どんどん先の内容に進むことができるシステムを採用していたという。

−−科目ごとに能力や意欲に応じて先の内容に進めるやり方は、カナダでは一般的なんですか
「そうではないんですよ。僕の学校はユニークで、世界中から1年に何百人も視察にくる。現在の校長が約20年前、普通の先生だったときにそのシステムの導入を提唱して、後に校長として戻ってきた。最初、そのアイデアは『うまくいくはずがない』とばかにされていたそうなんです。今は成功して、入学希望者が殺到しウエイティングリストができているほどです」 翔さんの住むブリティッシュコロンビア州では、義務教育は小学校卒業までの計8年間と、中高一貫の5年間に分けられる。
学費は高校卒業まで無料だ。 「高校では学年のはじめに1年間の宿題をもらって、それを好きなペースでやる。授業も自分のスピードにあわせることができる。テストをパスすれば、1年間の予定が2カ月で終わってしまうこともあります。ただ学年そのものの飛び級は僕だけでした」

■「日本にもギフテッドはたくさんいる」
−−小さいころからこの高校に通うつもりだったんですか
「本当は日本に帰る予定だったんです。12歳のときに中学受験して、千葉市の渋谷教育学園幕張中学(帰国生枠)に合格しました。しかし将来についてあらゆる角度から考え、徹底的な家族会議の末に、カナダでの飛び級進学を選択しました。失敗してもいいので、早く大学に出ようと思い、チャレンジしたんです。それはカナダで習った文化が大きく影響していると思いますね」

−−日本では飛び級制度が整備されていないことも理由だったんですか
「そうですね。日本には、僕みたいな人はたくさんいると思うんです。ただギフテッド教育とか飛び級の制度がないので、表に出てこないだけで。もしそういう制度があれば、日本が元気になると思います」

■日本人代表として
−−翔さんのチャレンジ精神は、カナダの文化と関係があるんですか?
「カナダには『一歩前に出る』という感覚がすごくある。日本人はすごく謙虚で礼儀正しいけど、あまり前に打って出る文化じゃない。それはそれですごくいいんですけど、カナダでは、地域社会でボランティアなどを積極的にやるのが大事だという考え方がある。学校内だけではなく、外に出て自分で活動を始めていくことがすごく評価される。大学や企業もそこをみるわけです」 「カナダには日本に興味ある人が多い。アニメや漫画の影響だと思います。そこで昨年の夏にカナダの小学生たちに日本語を教えるサマーキャンプを企画し、30人ぐらいが参加しました」

翔さんは、高3のとき「選挙」にも打って出た。年上の生徒たちにまじって生徒会役員に立候補し、見事“当選”した。 「僕の座右の銘は(フランスの詩人)ジャン・コクトーの『青年は決して安全な株を買ってはならない』という言葉です。リスクをとって挑戦するということですね」

 

 

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2015年03月29日

シンガポール建国の父が語った「日本への警鐘」    No3

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インターネットの最大の利点は、場所を選ばないことでしょう。実は先週、私はフランスのリヨン郊外の小さな町にいました。しかし、コミュニケーションに必要なのは電話線だけでした。それでシンガポールと連絡できるのです。米国や、世界のどこにいる友人とも連絡できます。5ポンド(約2kg)のパソコンと、きちんとした電話回線。必要なのはこれだけです。

問 インターネットが普及していく中で、シンガポールは有利ですよね。中国語とともに英語も公用語で、住民の大半は英語が堪能ですから。

答 我々は運が良かった。インターネットのことを考えて中英2つの公用語にしたわけではもちろんなかったですからね。

問 日本も公用語を2つにした方が良いと思われますか。

答 そう思います。日本はキャッチアップが非常にうまい国ですが、インターネットの世界でキャッチアップするには英語が欠かせません。中学生全員が英語を上手に使えるようになることが重要だと思います。

アジアに流れる儒教の価値は大きい
問 日本を含めたアジア的価値は、こうしたグローバル化の中で崩壊せざるを得ないのでしょうか。

答 いいえ、それは別の話です。欧米人は、アジア経済とともにアジアの価値も崩壊すると見ていますが、それは間違っています。崩壊したのはアジアのお粗末なシステムです。お粗末な銀行監督体制、融資システム、企業管理システムなのです。

私は「アジア的価値」とひとくくりにした議論はしたくありません。アジアにはイスラム教の価値やヒンズー教の価値、仏教の価値などが混在し、多様だからです。ただ、中国や日本、シンガポール、韓国などが共有している儒教について言えば、その価値の重要性はいささかも衰えていません。 儒教が重視するのは人間関係です。統治者と被統治者、夫と妻、父親と息子、兄弟姉妹、そして友人同士の「5つの人間関係」です。儒教の価値では、これらの関係は欠くことのできない決定的なものです。

これは最先端の技術をもってしても代替できるものではありません。最高のコンピューターでも子供を育てることはできない。子供は父親と母親がいて初めて、何が正しく、何が間違っているかを学ぶことができるのです。 アジアは中南米より早く回復しました。何故でしょう。貯蓄率が高いからです。アジア人は浪費をしません。家にとどまり、家族を支えます。多いところでは国内総生産(gdp)の40%から50%が貯蓄に回っています。

貯蓄が多いということは、銀行に流動性があるということです。おかげで金利は低く、したがって回復も早くなるわけです。これは誇るべきアジアの価値です。ですから、私はいつでも、どこでも、アジアの価値、正確に言えば儒教の価値を擁護します。

 

 

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2015年03月28日

シンガポール建国の父が語った「日本への警鐘」    No2

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問 日本には米国株をバブルとみる向きも多いのですが。

答 もちろん利益に対する期待の方が大きいため実態以上に膨らんだ数字でしょう。しかし同時に、アメリカ人が、いかに市場や市場参加者の認識に企業の価値を決めさせてきたかの証でもあります。 重要なのは、市場からのシグナルを見逃さないことです。例えば、日本企業でもソニーのような企業は、すでにそのことをよく知っているようです。ソニーは組織のリストラを決めましたが、それはただ単に気の利いた新製品を作ることに専念するためではないでしょう。

すべての製品がデジタル化されるという流れを読み、それによって、テレビだろうが、電話だろうが、電子レンジだろうが、冷蔵庫だろうが、あらゆる製品にコンピューターを装備して、1つのセンターから集中的に管理できるようにするためなのです。
ソニーにそうした改革ができるのは、米国で業務を幅広く展開し、米国人と常に交流を行ってきたからだと思います。どこかで読んだ話ですが、1995年に米コンサルタントが、(現社長の)出井(伸之)さんや(現会長の)大賀(典雄)さんなど首脳陣に、その年のアメリカのパソコンの販売台数がテレビを抜いたと話をした時、出井さんは、「ちょっと待った。もう一度言ってくれ」と言ったそうです。

パソコンがテレビより売れているとしたら、パソコンを動かす「デジタル」の世界はテレビより重要だということになります。それで彼は4年間ソニーの置かれた位置を考えて、リストラ計画を発表したのでしょう。東芝や松下電器産業もソニーの後に続いているようですから、日本企業も教訓に学びつつあるように思えます。日本企業にとって難しいのは、ダウンサイジングの速度を速めることでしょうか。だから日本の企業は赤字続きなんだろうと思います。

しかし、これから先、技術がますます速く変化するようになると、労働力を素早く、より重要な分野に移動させなければなりません。(国全体での)労働力の流動化はグローバル化に素早く適応するためには不可欠です。

あらゆる面でトップの座にある米国
問 先ほど米国のシステムに言及されましたが、米国は会計、銀行、企業統治(コーポレート・ガバナンス)など様々な分野で世界標準(グローバルスタンダード)を作り上げています。最近では、インターネット技術と英語も加わりつつあります。こうした流れは不可避でしょうか。そして望ましいことでしょうか。

シンガポールはアジアで随一の国際競争力を獲得した (画像あり)
答 望ましいかどうかは分かりません。ただはっきりしているのは米国があらゆる面でトップの座にあるということです。彼らは自分でルールを作るだけの経済力を持っており、実際にルールを作りました。 もし米国市場に参加したければ、彼らのルールに従うしかありません。米国は世界最大の資本市場を持っているため、欧州や日本の企業がニューヨーク証券取引所に上場するには米国の会計基準や情報公開基準に従うしかなく、英語で財務諸表を作成しなければなりません。

それが現実です。 さらに米国は、ほとんど偶然にですが、インターネットという大きな武器も獲得しました。ネット上の公用語が英語のため、莫大な量の情報が母国語で入手できます。これは他の言語にはないことです。英語に堪能でない人はその分不利になってしまいます。 インテル会長のアンドリュー・グローブ氏の話はご存じですか。彼は前立腺ガンを患っています。米フォーチュン誌に彼のことが出ていましたが、彼は自分の病気の治療法を決めるのに、まずインターネットで前立腺ガンの最新研究をダウンロードし、医者と治療法について話し合ったそうです。

この医学データはすべて英語でのみ手に入るものなのです。英語ができなければ、同じ情報を手に入れるためにおそらく10倍も時間がかかるでしょう。このインターネットというまぐれ当たりのおかげで、アメリカ人は大きな優位性、競争上の優位性を獲得したのです。

どこへ行くにもパソコンを持参
問 リー上級相はインターネットやパソコンについてずいぶん詳しいですね。ご自身でも使われるのですか。

答 (かたわらのノート型パソコンを指さして)私はどこへ行くにもこのパソコンを持って行くんです。というのも、常に連絡を取っているからです。このインタビューの直前にもeメールで2つほど返事を出しました。 もっとも使い始めたのは、ほんの5年前ですがね。当時から、若い大臣たちはお互いにeメールでメッセージのやり取りをしていたんですよ。私への連絡事項はファクスから流れて来ていたのですが、それだととても遅い。返事を出すにも手書きですしね。それで遅ればせながら若い人たちの仲間に加わったわけです。

 

 

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2015年03月27日

遺言 日本の未来へ     No3

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ノウハウを海外から取り入れるだけではなくて、出したり入れたり、すべての組み合わせを強化していく必要があるでしょう。その場合、日本は他の国と比べると、一応、勤労意欲は残っていると思います。それから、比較的、質実剛健だと思うんですね。あまりお金を見せびらかさないとか、成金じゃないとかね。こうした日本の基本的な部分は、非常に強いと思います。その上に、今度はグローバルな体制でアメリカやヨーロッパ、そして中国などと付き合っていくことが大切だと思います。

(1992年に)社長になった頃には、「宇宙人」と言われたこともありました。海外経験が長かったものだから、僕の言うことがあまり理解されなかったのでしょうね。あの頃は僕も、周りの人たちは分かってないからしょうがない、と思ってました(笑)。

英語の“社内公用語化”に先鞭をつける
英語を社内の第2公用語にしようと提案した時には、社内外から相当、反発されましたね。でもそれには誤解があって、僕は「バッドイングリッシュを公用語にしよう」と言ったんです。下手でもいいから自分の考えが通じないと、話になりませんから。でも最近になって僕が言っていたことが少しずつ理解されてきたのではないかな。英語がビジネスの公用語として世界で使われているのは、単に普及しているという理由からではなく、英語そのものがビジネスに向いているからです。

英語は適度に曖昧としていて、適度に正確だから。日本語がビジネスに向いているとは、誰も思っていないですよ。もう漠然としすぎていて。でも、英語は必要条件ですが、それだけでは国際的には聞く耳を持たれません。大切なのは、自分のルーツをきちっと持っていることです。少なくともアメリカ人に「日本はどうだ?」と聞かれた時には、きちっと答えられる自分の考えを持っている必要がある。三菱商事の社内を見回しても、非常にグローバル化した人と自分の寝ぐらに入っちゃっている人とに分かれますよね。

しかも、それは若い人がグローバル化していて、昔の人がグローバル化していないというのでも、決してない。「胆力」のある先輩たちに追いつこうとした。 僕はよく例にあげるんだけど、うちの戦後3代目の藤野忠次郎(三菱商事・元社長)さんという方も、これは大変なグローバル人材だった。小柄な人でしたけど、大変なカリスマがあってね。しかも、慎重に将来のこと、日本のことを考えて動いていた。 それから、みんなの意見をよく取り入れていた。

彼の有名な話で、「社長弾劾論」というのを出したんですね。反対することがあれば、俺を弾劾しろと。それほど、自分に対する批判にも積極的に耳を貸す人でした。 石橋泰三さん(東京芝浦電気=現東芝・元社長)とかも、ああいう人にはとても追いつけないと思います。個人的には時々、お目にかかったりしたけれど、そう思いましたね。日本的な表現でいえば、本当に「胆力」のある方たちだった。

自分なりの一つの“イズム”を養う教育を
グローバル化で本当に必要なのは、結局は教育なんでしょうね。リベラルアーツ的な。世界で仕事をするには、自分でデータや知識を吸収し、自律的に判断する能力を養う必要があります。それを基に、相手の話を聞き、相手を説得し、というような海外との意思疎通をしていく。そういう姿勢は、これからの必要条件でしょう。 海外留学も、そうした姿勢を養うには効果的です。ご存知か分かりませんが、カルコン(CULCON=日米文化教育交流会議)という、日米の教育を論ずる場があり、僕はそこで過去7年、チェア(委員長)をやってきましてね。

そこでも言ってきたんですが、大学での留学は大いに推進するべきだけど、やはり高校時代に本当は1年でもいいから留学するのが、一番効き目があるんじゃないかと思うんです。頭が新鮮なうちにね。若いうちに、自分なりの一つの“イズム”を持って、言葉の違う相手と渡り合う力を身に付けてほしい。もう一度国を開くには、まずそこから始めてはどうでしょうか。私が言う「第3の開国」とは、単に移民がどうのとかそういう問題ではなくて、私たち日本人自身の問題なんです。

僕は、日本は将来を悲観することは全くないと思います。日本はそれだけの力を持っている。だからもう1回、私たち一人ひとりが、世界に門戸を開けばいいんですよ。

 

 

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2015年03月26日

遺言 日本の未来へ     No1

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三菱商事の“宇宙人”が説く本当の「開国」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20150317/278818/

三菱商事・元社長の槇原稔氏。三菱創業家である岩崎家の娘と結婚した槇原氏は、いわば「三菱のサラブレッド」。長い海外生活で身に付いた米国流の発想が社内外で注目され、かつては「宇宙人」と言われたこともありました。槇原氏は、これから日本がグローバル化を進めるには、一人ひとりが「第3の開国」をすることが欠かせないと説きます。

「宇宙人」と呼ばれた三菱のサラブレッド
槇原稔(まきはら・みのる) 英ロンドンで生まれて7歳で帰国。日米開戦の翌年、三菱商事に勤める父親が乗った「大洋丸」が、東シナ海で撃沈される。米ハーバード大学卒業後に三菱商事に入社し、三菱創業家の岩崎家の娘と結婚。1992年に社長。米国流の発想で総会屋問題などに対処。現在は特別顧問。岩崎家ゆかりの東洋文庫理事長。写真は米フォーチュン誌(44年4月号)。1930年1月生まれ。(写真:竹井俊晴、以下同)

ちょっと、遺言はまだ早すぎると思うんだけどね。僕は少なくとも、まだ5〜6年は生きるつもりでいるから。僕は、経歴的には非常に恵まれたといいますかね。最初の一番大きいショックは、父が1942年に亡くなったことです。三菱商事の社員として「大洋丸」に乗ってフィリピンに長期出張で向かう途中、東シナ海で米国の潜水艦によって沈められました。それが、私にとって1つの契機になったと思うんです。父と親交があった(三菱創業家の)岩崎家にお世話になるようになりましたから。

亡くなった諸橋(晋六=三菱商事元社長)さんにもよく言われましたが、「おまえは自然体で、あまりものに逆らわず、結果的にはいいところに行くんだ」と。戦争に負けたからグローバリズムの先駆けになったとか、そういうことではなしに、自然とこういう風になってきたと思います。 振り返れば、父の死と共に、私の人生のもう1つの契機となっているのは、非常に運が良かったことに当時通っていた成蹊学園で、素晴らしい先生に巡り会えたことです。

清水護先生という、一生懸命、英語を教えてくれる方がいた。成蹊は戦争中でも、英語教育が非常に盛んだったんです。だから、英語力は結構みんなありましたよ。父の死後、三菱創業家の岩崎家の屋敷に住んだ。終戦の詔勅は、小田急線の駅、なんて言う駅だったかは忘れてしまいましたが、そこで聴きました。正直、なんと言っているか分からなかったけど、何となく負けたのかなと、みんながそんなことを言っていたので、そうなんだろうなと思いましたね。

戦争に負けたのは、しょうがないなという感じでした。残念とか何とかというより、しょうがない。むしろ、終わってよかったと。まあ、負けるとも勝つとも、あんまり関心がなかったということじゃないですかね。それから、成蹊にも軍隊から将校が来ていましたが、それこそ、清水先生は尊敬するけど、配属将校は何となくみんなでバカにする雰囲気があったんです。 戦後直後の日本の経済というのは、本当に無茶苦茶でね。僕はたまたま、(東京の)牛込の家が焼けちゃったので、国分寺にある岩崎さんの屋敷に住まわせてもらっていたんです。屋敷の隅っこにちっちゃな家があって、そこに私と母と2人で住んでいました。

母が背中を押した米国留学
岩崎家の母屋の方には、後に米国聖公会の司教になられる方が住んでおられた。彼がハーバード大学の卒業生だったんです。日本国内がとにかく乱れていたものだから、私は成蹊を卒業したら海外に行きたいと思っていて、1949年にその司教に留学したいという希望を伝えたんです。すると、「私は神様が後ろ盾にいるけれども、いくら頑張ってもハーバードには直接入ることはできない」と言うんです。いくら英語が上手くても、ダメだと。

しかしながら、「ハーバードには推薦できないが、ニューハンプシャー州にあるセント・ポールズ・スクールなら推薦できる。まずはそこに入って、そこでいい成績を修めればハーバードに行ける」と提案してくれました。 親父が死んで僕は、母と二人きりになっていましたから、母がどう思うか心配したんです。そしたら、母は、「もう、そりゃ行きなさいよ」と言ってくれた。背中を押してくれた母には、本当に感謝しています。それで、まずはセント・ポールズ・スクールに入り、1年後にハーバードにいくことになりました。

 

 

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2015年03月25日

中国人にウケる新観光名所    No2

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「日本が好きで、片言の日本語もできる人のようなのですが、時間がかかる各駅停車の旅なんて、すごいな〜と感動しました。ときどきおいしそうな駅弁なんかも載せていましたね。北海道の片田舎でも駅弁が手に入り、しかもおいしい。これぞ日本の醍醐味、素晴らしさだと思いましたよ」と友人。こんなふうに個人旅行をする人も、すでに現れているのだ。

新しい旅先を見つけるカギは微信やブログなどにあるようだが、日本人以上に「日本の良さ」に着目し、中国人に積極的に情報発信している人もいる。微信と微博(中国版ツイッター)上で、若い女性の間でカリスマ的な人気を誇る林竹さん(=写真)だ。旅行作家であり漫画エッセイスト、デザイナー、ブロガーなど多彩な顔を持つ。

日本人よりも「日本の良さ」に注目 地方を愛するカリスマ旅行作家
林さんは子どもの頃から日本のアニメが好きだったことがきっかけで、北京の大学を卒業後、来日。日本の大学で学び、会社勤めをした経験もある。現在は上海に住んでいるが、彼女が2013年に出版した日本旅行ガイド『林竹闖関西』(「林竹が見て歩く関西」/上海人民美術出版社刊)は、それまでの一般的な旅行ガイドとは異なり、林さんが自分の足で歩き、イラストを描いたものとして、若い女性を中心にヒットした。

有名な観光スポットだけではなく、おいしかった料理や何気ない風景などを写真や文章、イラストで紹介しているのが特徴だ。関西と言っても、大阪や京都だけでなく、奈良や神戸まで紹介しているのがミソ。たとえば、あぶら取り紙で有名な「よーじや」を取り上げるときには、「よーじやカフェ」のメニューから、奈良公園で鹿に餌をやったりするシーンまで、可愛いイラストで再現している。

林竹さんが美濃で宿泊した「古民家宿&カフェ『陽(ひ)がほら』」
林さんは2014年に岐阜県を旅行し、その様子をネットなどに書き込んだところ、やはり大反響があった。飛騨高山をそぞろ歩きしたり、美濃地方では伝統の和紙づくりを見学したりした。思い出深いのは、地方の人々の温かさや素朴さだ。
「美濃のうだつなど、その地方独特の建築物や、他では食べられない郷土料理などに惹かれますね。東京に住んでいましたが、こんなに美しい日本があるとは知らなかった。東京や大阪などの大都市にはない個性と魅力があると思います。
ぜひ、もっと中国人に知らせたい」(林さん)美濃で宿泊した「古民家宿&カフェ『陽(ひ)がほら』」では、日本の伝統的な民家に興味を持ち、朝食などをイラストにした。宿のご主人・宇城智之さんはこう語る。「古民家なので、トイレや風呂が外にあったり階段が急だったりで、日本人でも戸惑う方もいらっしゃいますが、林さんはそうしたところも全て受け入れて、楽しんでくださっていましたね。おかげ様で、海外からのお問い合わせも結構あります」

岐阜県上海事務所首席代表の谷口真里子さんも、「中国の方に岐阜の良さを再発見していただいて、とてもうれしい」と話す。同上海事務所にも、日本語が全く話せない上海人から電話がかかってきて、「岐阜の旅館はどこがいいと思いますか?」「下呂や飛騨高山にはどうやっていったらいいのでしょうか?」などの問い合わせが、じわじわと増えているというから驚きだ。

世界に誇れる“本当にいいもの”を教えてくれる「日本大好き中国人」
日本人自身も気づかない日本の良さがわかる、林竹さんの絵日記 林さんは、上海の若い女性らと共に今年再び岐阜を訪れたが、その際ただ旅行をするだけでなく、スケッチブックやペンなどを持って行き、旅先のスタンプを押したり、落ち葉や電車の切符を貼ったりして、みんなで絵日記を楽しんだ。林さんは温泉の入り方なども若い女性たちに指南し、日本のマナーを教えているという。

「大多数の中国人にとって興味があるのは、やはりまだ桜、温泉、ラーメンなど定番中の定番であることは変わりないのですが、工芸品などの手づくりのものや、浴衣や花火など季節感のあるものに惹かれる人も急激に増えています。日本には世界に誇れる“本当にいいもの”がまだまだたくさんある。そういうものをもっと見つけて、中国に紹介していきたいですね。日本での中国人のイメージは(マナーが悪いなど)、マイナスからのスタートかもしれません。

でも、中国人だからとひとくくりにせず、ぜひ広い心で受け入れてほしいし、色々な中国人がいることをわかってほしい。私たちはただ観光するのではなく、もっと“日本の暮らし”や、“日本の日常”を楽しみたいと思っているのです」(林さん)
日本人にとっては当たり前過ぎて気がつかなかったり、それほど素晴らしいとは自覚していないところこそ、「日本のよさ」だと中国人たちは認めている。ただ名所旧跡を観光するだけでなく、そこから日本文化も学んで行ってくれるはずだ。

中国から日本に来る個人観光が増え、地方にもっと目を向けてくれれば、地方再生にとってもきっと役立つのではないだろうか。

 

 

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2015年03月24日

中国人にウケる新観光名所    No1

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磯丸水産に東京大神宮…          http://diamond.jp/articles/-/68650

大勢の友達や親戚がやって来る 目指すは居酒屋の「磯丸水産」?
春になると、また中国人が日本にやって来る。彼らが目指す、日本人も知らない「新観光名所」とは? 「あ〜、また春になって、忙しい臨時ガイドの季節がやってきます〜
!」都内の大学院に通う中国人留学生の女性は、行楽シーズンになるとソワソワする。「どうして?」と聞くと「だって、中国から大勢の友達や親戚、その知り合いがやってくるので、お手伝いしなくちゃいけないからです」と苦笑いする。彼女は東京に留学してもう5年。

おしゃれで旅行好き、日本語も堪能なので、彼女を当てにしてやってくる中国人旅行者がとても多いのだ。だが、「たとえば、どんなところに連れていくの?」と聞くと、少しだけ得意げな表情になって胸を張り、自分が中国の友人たちと一緒に行くスポットを教えてくれた。筆頭は居酒屋チェーン「磯丸水産」だ。中国には「居酒屋」という形態がないので、そもそも居酒屋でつまみをたくさん注文するスタイルに憧れを持つ人が多い。『磯丸水産』は東京を中心に80以上の店舗があり、24時間営業を行なうことで有名だ。

一部店舗には、英語や中国語のメニューもあるらしい。これまで筆者はその居酒屋の存在を知らなかったのだが、足を運んでみると、なるほどカラフルなメニューに活きのいい鮮魚の写真がズラリと並び、店内の雰囲気もなかなかいい。いかにも活気ある「ニッポンの居酒屋」という感じだ。中国人旅行者に大人気だという居酒屋「磯丸水産」。筆者も行ってみたが、なかなか雰囲気がいい。彼女の友人の間ではこのチェーン店が微信(中国版ライン)で取り上げられることも多く、密かなブームなのだとか。

「東京には居酒屋は数え切れないほどあるのに、なぜわざわざここに?」と尋ねると、こう語った。 「最初はたぶん、誰か有名な人の微信がきっかけだと思います。手頃な鮮
魚のメニューが充実していることと、店員のさわやかな対応がいいって。中国ではこんなに新鮮で安いネタは食べられませんから。もちろん、他にも中国人の “私だけのお気に入り”はたくさんあると思
いますので、一概にここだけが飛び抜けて有名というわけではないんですけどね」

微信を通じて「カワイイ」が拡散  東京大神宮に大挙する中国人女子
別の在日中国人が薦めるのは、東京・飯田橋にある「東京大神宮」だ。ここは縁結びの神様として知られていて、やはり微信を通じて情報が拡散した。お守りが凝っていて可愛らしく、女の子ウケするという。中国人はお守りというものを見たことがないので、もの珍しいのだそうだ。ここを紹介してくれた中国人は、東京大神宮ではないが、別の神社で巫女のアルバイトをしたことがあり、その写真を微信にアップしたところ、中国の友人たちから「私も一度でいいからこの白い装束を着てみたい!」「可愛いらしい。まるでアニメに出てくる女の子みたい」と大反響があった。

来日した友人たちも、「神社に行ってみたい」「縁結びのお守りを買いたい」という声が大きいのだという。おみやげには破魔矢(はまや=神社で授与される矢)など、中国人が見たことがないものが人気だ。昨今、日本観光に来る中国人の話題は尽きることがない。これでもか、と紹介される銀座、秋葉原での「爆買い」に(というか、爆買いの報道に)辟易としている人も多いだろう。春節期間中、銀座を歩いていた友人は、中国人観光客よりもそれを取材しようとするテレビカメラとスタッフの多さに呆れていた。

だが、中国人は高級炊飯器や温水洗浄便座など、家電製品ばかりを買い漁っているわけではない。彼らなりの情報ネットワークを駆使して、日本で画一的に報道されている「ありきたりの旅先」とは一味も二味も違う、お仕着せでない「オリジナルの旅」を、早くも楽しみ始めているのだ。たとえば、上海に住む筆者の友人がネットで偶然見たのは、北海道各駅停車の旅をしているある中国人のブログだった。札幌から各駅で電車に乗り、1駅ごとに降りて駅舎や駅前の写真を撮ってアップしているという内容で、そこで出会った日本人とのちょっとした会話なども紹介しているという。

 

 

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2015年03月23日

日本の高齢者の“七不思議” 中国人の目に映った日本の老人たちの「なぜ」 ダイアモンド     No3

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認知症の発症率は中国の方が低い?
この専門家は「発症率が少ないと思われるのは、寿命とも関連がある」と付け加えるが、他方、高齢者に対して「過保護でない社会環境」と「認知症」を関連づける人もいる。中国は施設も不十分、面倒を見てくれる人的支援もない。こうした「安心できる老後ではない」という緊張感が自立意識を高めるのだ。 ところで、日本の高齢者向けの介護施設には、「施設内の独自通貨」を流通させる施設がある。これが認知症の防止に一役買っているという。

はなぶさ苑(埼玉県熊谷市)もそのひとつで、ここにはルーレットを回してお金を増やすカジノがある。関係者は「お金を勘定し、消費したり貯めたりすることは管理能力の維持につながる」と関係者は話している。

中国で子どもの世話は高齢者の仕事「存在意義を奪わない」では一致
さて、旅行や趣味に繰り出す日本のシニア層は少なくない。そんな彼らを見るにつけ、「日本の老人は子どもの面倒を見ないのか」という思う中国人も少なくないようだ。 中国では夫婦共働きは当たり前のため、子どもの世話は高齢者がする、という暗黙の了解がある。「高齢者にとって、子どもの世話がひとつの大きな社会的な仕事」となっている。 ある上海在住の男性(会社管理職)は、「80歳の父親は、今でも家族に夕食を作ってくれる。

自分の存在感はどこにあるか、自分の役割は何か、という認識を高齢者から奪ってはいけない」と話す。

日本のバリアフリー設計の専門家も、同様の意見だ。
「地方では、祭りの準備は決まって長老が中心となって行ったものだった。漁村でも、網縄の修理は老人の仕事と決まっていた。葬式の受付係には達筆な老人が欠かせない存在だった。ひと昔前までは、老人の役割は死ぬまで何かしらあったはずだが、今はそれを社会が取り上げてしまった」と分析する。都内に拠点を持つ社団法人シニアライフ協会では、「老人を地域の経済活動に取り込むことが日本経済復興のカギを握る」との考えを、昨今、明確に打ち出している。高齢者が求めているのは「社会から必要とされている自分」だ。

高齢者の潜在するパワーを見出し、それをどう経済活力に結びつけるかは、少子高齢化が急速に進む中国でも共通のテーマになりそうだ。中国では、2050年には子どもの数の2倍にまで高齢者人口が増えると予測されているからだ。
それが中国の高齢者のすべてではないにしても、彼らの「元気な老い方」に、日本人が共有できるものはないだろうか。

制度改革も必要だが、個人や社会の意識改革も必要だ。日本と比べれば、制度が未整備である中国は介護後進国かもしれない。だがその中国人の老後からは、国家の財政に頼らない老い方や、お金を使わない老い方が見えてくる。

 

 

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2015年03月22日

日本の高齢者の“七不思議” 中国人の目に映った日本の老人たちの「なぜ」 ダイアモンド     No1

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http://diamond.jp/articles/-/17526

急速に高齢化が進む中国 “先進国”日本に注目
急速に進む高齢化社会は中国においても同じだ。中国では現在、60歳以上の高齢者(高齢者については日本は一般に65歳以上、中国では60歳以上と定義する)が1.7億人と、全人口の13%を占める。年間600万人の高齢者が増えていく高齢化のスピードは、むしろ日本よりも速い。 現代中国の高齢化社会を、俗に「421社会」という。「1人の子どもと2人の夫婦、4人の老人」というのが典型的な家庭構造だ。

夫婦は共働きで子どもは一人っ子、そんな家庭には老人の面倒をみる者がいない、ということを意味する。日本のようなサービス重視の介護施設の普及はまだまだ先のこと、ましてや介護保険の制度もない中国で、「自分が年をとったらどうなるのか」に漠とした不安を抱く中国人は少なくない。 そんな中国で、高齢化社会に向けて民間企業がサービスに乗りだそうとしている。 

昨今は投資家や経営者らが介護先進国である日本に学ぼうと、日本の介護施設に目を向けている。日本の大学で社会福祉学を専攻する中国人学生も増えている。日本の高齢者事情に関心を抱く中国人、彼らの目に日本の高齢者の有り様はどのように映っているのだろう。 高齢者事情のその違いは、中国人と日本人の性格の違いもあるし、生活文化や社会環境の違いにもよるものだが、日本の高齢者事情を視察した複数の中国人からのコメントは、非常に示唆に富むものでもある。ここ半年で出会った中国人の、専門家を含めたコメントをまとめてみた。

日本が「静」なら中国は「動」 日中高齢者事情の違い 「みんな座ったきりだね」――

日本の高齢者介護施設を訪問中の、中国人見学者A氏から、こんな感想が漏れた。「日本の高齢者は座ったきりで、あまり動き回らないようだ」という印象を強めたようだ。 介護度の差にもよるだろうが、確かに、一見元気そうな高齢者でも、テレビの前に座ったままの人が少なくない。 同時に見学者のB氏も「日本の老人はあまりしゃべらないようだ」ということに気づく。 お互いに会話を楽しむ、といった光景があまり見られないのはなぜだろう。

施設などで円座を組んで座っていても、そこからは高齢者同士の横のつながり、コミュニケーションが見えてこない。 一方、中国では、数人寄れば「おしゃべり」に花が咲く。上海では高齢者が3、4人でひなたぼっこをし、おしゃべりをする風景をよく見るが、年齢を経てもコミュニケーションを楽しむ能力は衰えていないように見受けられる。 日本の大学院で社会福祉学を専攻する中国人留学生のCさんは、その違いを次のように指摘する。

「日本の人間関係は、互いに干渉しない、というのが根底にある。そのためか、中国人に比べてコミュニケーションの密度は高くないように感じる。中国人は誰とでも気軽に会話を交わす」 また、「高齢者向けの活動プログラムに社交ダンスはないのか」という素朴な疑問も上がった。こうした質問が出るのは、中国では社交ダンスが中高年層の楽しみとして、地域の娯楽になっているという背景がある。夜ともなると、地域の広場には「踊る中高年」が、どこからともなく沸いて出てくる。

 

 

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2015年03月21日

人手不足で若者バイトからシニアバイトに移行     No1

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http://diamond.jp/articles/-/67698

外食や小売り、介護など、さまざまな職種で叫ばれている人手不足。アルバイトが集まらず、牛丼チェーンの深夜時給は1500円を超える例も出ている。若者がダメならと、シニアと主婦の採用に活路を見出す企業が増えてきた。(ダイヤモンド・オンライン津本朋子) 体力があり、長時間働ける若者に注目が集まってきたが、シニアや主婦の持つかくれた才能に気づく企業が増えてきた

ドンキの朝を支えるシニアたち 人手不足の原因は少子高齢化
「どうせ4時には目が覚めるんだから、早朝バイトは全然きつくないよ」。朝5時から商品の品出し、レジ打ちを担当するシニアが、都心部のスーパーで増えている。ドン・キホーテも、そんな企業の1社だ。昨年7月、ドンキは60歳以上のシニアを対象に約2000人のパート従業員を募集すると発表した。勤務時間は2〜3時間程度と短い。シニア層にとってはむしろ、短時間勤務の方が好まれるのだ。

それまでは早朝勤務というシフトはなく、朝出勤してきたスタッフが急いで品出しをするため、作業は昼過ぎまでかかっていたのだが、早朝の品出し業務だけというシフトを新たに作ってシニアを募集することで、開店前に品出しが終了するというメリットがある。

「長年、企業に『シニアと主婦の雇用を考えましょう』と提案し続けてきたことが、ようやく実現してきたと感じます」。リクルートジョブズの宇佐川邦子・ジョブズリサーチセンター長は、こう話す。「シニアは体力がない」「主婦は家庭があるから使いづらい」などの理由で重い腰を上げない企業が多かったが、この1年ほどで、シニアや主婦の雇用がぐっと増えてきているのだ。背景には、深刻な人手不足がある。首都圏の牛丼チェーンでは深夜の時給1500円を払っても、アルバイトが集まりづらい。

アベノミクスによる景気回復による側面もあるが、それ以上に大きな原因なのは少子高齢化だ。総務省の労働力調査によると、15歳から34歳の労働人口は、2000年約2269万人だった。これが10年には1875万人に減少した。さらに20年には1555万人に減ると見られている。こうしたマクロ指標を見る限り、人手不足は今後も続くばかりか、さらに悪化する可能性も高いように思える。

“若者神話”から目覚めた企業 シニアと主婦の隠れた能力
「体力があるし、フリーターなら週5日、1日8時間働いてもらえる」。安定した店舗運営をしたい企業側はこれまで、こう考えて若者の採用ばかりを考えてきた。しかし、宇佐川センター長は「シニアや主婦にも、実は大きな能力やメリットがあります」と断言する。たとえば教育コスト。「きちんと挨拶をする」「当日欠勤など、職場に迷惑をかけない」「身だしなみを整える」といったことは、社会人経験が1度でもあれば当たり前だと分かるが、若者の場合はイチから教えなければならないケースも少なくない。

 

 

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2015年03月20日

73歳で駒大合格の欽ちゃんと 東大合格者に共通の勉強法とは?    No2

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起床は午前七時。それから十一時半まで集中して勉強した。午後は「遊び」の参考書作り。これが楽しく、コンディションがいいとそのまま深夜二時くらいまで作業に没頭したという。十月に自前の参考書が完成するとあら不思議。いままで難しかった勉強が楽になり、内容もどんどん頭に入ってくるようになったそうだ。 「一つわかったことは、確かに年をとっていく
と忘れやすくなるけど、記憶する方法を一つ導入すれば、七〇代でもどんどん覚えられるようになるということ。

やっぱり年をとることで『工夫する』っていう財産を持ったんだね」欽ちゃん考案の「自前参考書」作戦だが、実はこの方法、東大合格者の多くが取り組んでいた必勝法でもあった。欽ちゃんは知らなかったようだが。『東大に合格する子の多くが受験会場に持参する「お守り」をご存じだろうか。彼らは試験当日、ある特別なノートを見返すのだという。高校生のスマホ所有率は八二・二%。IT化し、スマートフォンで勉強する「スマ
勉」が六割にのぼる(リクルート進学総研調べ)というデータもあるが、東大合格にはやはり、いままでの「ノート」が基本だった(後略)』(週刊文春3月5日号『東大合格者が試験直前まで見直す「勝負ノート」大公開』)

文春の取材に、〇九年文三合格の廣安ゆきみさんは、隣の席で教科書に目を通していた受験生を見て優越感を覚えたと応えている。 「わたしが広げていたのは教科書や資料集を自分なりに咀
嚼し、まとめたノート四冊。自分はこのノートをつくり、暗記するくらい読み込んできたんだと思ったら、自信が湧いてきたんです」二〇一二年理一に合格した斎藤皓太くんは、高三の六月までサッカー部に所属していた。毎年三〇人ほどの東大合格者を出す進学校にいた斎藤くんの成績は二八〇人中一二〇番台。

「勉強方法を工夫するしかないと思い、成績のいい友人を観察したりして、気づいたんです。成績のいい子は二つの型がある。ひとつは天才タイプ。勉強していないように見えるのに成績がいい。もうひとつは自分をとことん分析して客観視するタイプ。後者になれると思い、手のひらサイズのノートに勉強の日程や模擬テストの反省点を綴り、自己分析をはじめました」高三の春、斎藤くんは数学では標準レベルにも届いていなかったが、夏のあいだ徹底的に基礎をたたき込み、成績は一二〇番台から七〇番台へ。

秋以降は予備校の復習ノートを徹底し、順位を四〇番台へと上げた。受験までの残り四ヵ月は、高三になってからの模擬テストや過去問演習で間違えた問題と解き直しをまとめた復習ノートをひたすら反復したそうだ。で、東大合格。
記事中には、自作のノートを信じ、一度も塾に通わず東大理二に合格した受験生や、高二であらかたの受験勉強を終え、高三は「弱点ノート」を中心に勉強し理三に合格した受験生の体験と「自前ノート」が紹介されている。

 

 

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2015年03月19日

73歳で駒大合格の欽ちゃんと 東大合格者に共通の勉強法とは?    No1

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http://diamond.jp/articles/-/68444

ドイツ・メルケル首相の来日が七年ぶりという報道があったが、遡れば七年前の二〇〇八年、我が日本国の総理大臣は麻生太郎氏(現財務・金融担当大臣)で、国会答弁で「ミゾユー」とか「フシュウ」という言葉を連発していた。自民党が民主党に政権を譲る一年前のことでもある。そして、それからの七年で日本の総理はめまぐるしく四人も替わり、また、その間に自民党は政権を奪取もした。

アンゲラ・メルケル氏がドイツ首相に選出されたのは二〇〇五年(第一次メルケル内閣)、いまから十年前になるが、二〇〇五年当時の総理は小泉純一郎氏。同じ年に安倍晋三氏に総理の座が禅譲されると、さきの二〇〇八年、麻生総理(当時)に至るまで、日本では一年ごとに総理が交代していた。この十年間で総理の椅子に座ったのは実に八人である。これじゃダメだ。安倍ちゃん……、もとい、安倍総理は長期政権を担いそうだが、政治というのはそれが本来の姿だろうと思う。

アベノミクスの可能性には内心で首を傾げているが、ひとつの政策をひとつの政党が腰を据えて取り組むことが肝要だ。政策を投げ出すかのように総理がころころと変わっているようでは、日本はナンパ……、もとい、難破してしまう。という話はさておき、ひとつ所に目標を置いてこつこつと事を進めるという意味においては、政治にも受験勉強にも同じことが言える――、という話を。日本を代表するコメディアン萩本欽一さんが駒澤大学仏教学部を受験し、見事に合格
した。驚くべきは、七三歳という年齢だ。 一月一一日朝、欽ちゃんは目の下まで隠れる大きなマスクと、帽子にメガネというスタイルで受験に臨んだとのことだ。かなり周囲を気にしていたらしい。 「自分としてはそんな
に大げさにすることでもないので、なるべくソーッと、ドサクサに紛れて大学に行こうと思ってた。それでほかの受験生とも目をあわせないよう、なるべく下を向いて歩いてたんですよ。

バレてなかった気がするから“内緒”にしてたんだけど――」欽ちゃんの受験は知られていた。合格発表は一月二二日だ。欽ちゃんは「社会人特別入試枠」で受験していた。 『勉学意欲旺盛な社会人を対象
に、生涯学習を資することを目的に実施』駒澤大学のHPにはこうある。募集人員は「若干人」だ。欽ちゃんは、二年かけて合格できればと思っていたらしい。今回の受験は「テストのテスト」のつもりだったそうだ。それが一発で合格してしまうのだけど。

「(前略)昨年三月の明治座公演を最後に舞台に立つのをやめて、『ぽっかり抜けちゃった仕事を一個、足さなきゃならないな』って思ったんだ。『どうせやるなら、一番大変なのは何だろう』って考えたとき、今、自分が一番戦わなければならないのは『ボケ』、つまり認知症だなと。で、『夢はデカければデカイほど実現する』って昔から僕は信じてるから、大学受験することにしたんです(後略)」近年、物忘れがひどくなったことも受験理由のひとつになっているようだ。

他のタレントと話しているとき、相手の名前を思い出せないようなこともあったそうだ。
「『脳が忘れていく』ということは、言ってみれば『引き算』。だったら『足していけばいいんじゃん』と思ったの。脳にどんどん覚えさせることで『まだ覚えるの!?』なんて甦ってくかもしれないでしょ」受験は英語と小論文と面接だが、英語試験には高校の『英語I』と『英語II』レベルの知識が必要になる。覚えるべき英単語は三〇〇〇語前後になるらしい。思わず自分は三〇〇〇語も英単語を言えるだろうかと考えたが、すぐに言えることに思い当たった。私は一から三〇〇〇まで英語で数えられる。これで三〇〇〇語だ。という冗談は措いといて、欽ちゃんは知人の塾の講師に『ちゃんとした先生』と『おバカ用の先生』を紹介してもらった。この二人が、欽ちゃんの家庭教師だ。 「(前略)七三歳ですから、初日に一ページ目を勉強して、翌日に次の二ページ目をやり、その次の日にまた、最初のページ戻ってみると九割は覚えてなかったね。だって参考書ってアレ、参考にならないんだもん。あれは『説明書』。それに『ちゃんとした』先生は全部教えようとするから覚えられない。『なんでそんな難しいことを教えようとするんだよ』ってツッコミを入れながら勉強していました。おバカな子に三つも四つも教えようとしても、どれを覚えていいかわかんないよ。でも、同時に、『これは何か工夫しなければならない』とも思ったんです」その工夫のひとつが、参考書の「自作」だった。 「参考書と問題集を買って、それを全部コピーして一ページ一ページ、ノートに貼って(中略)、これは参考書に書き込むと頭に入りません。この作業が飽きなかったので、『ああ、大丈夫だな』って思いました。だって、僕にとって受験勉強は遊びですもん(後略)」

 

 

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2015年03月18日

ドンキホーテはなぜここまで強くなったのか No2

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■ 卓越した陳列
しかしそれにしても、こうした廃盤品のほか、季節外れになってしまった処分品などを仕入れて高値で売るモデルは、その後にはじめるドンキホーテの方程式として定着していく。社内的な用語ではこれを「スポット仕入れ」と呼ぶ。いわば、非定期的な仕入れ品のことだ。ドンキホーテはこれが実に売上高の3〜4割を占める。これは、説明したとおり仕入れ価格が安いために、定期仕入品よりも粗利益が多くとれる。

むしろ、ドンキホーテのビジネスモデルは、定番品とともに、スポット商品を買ってもらうことで、トータルとして粗利益を確保する戦略である。圧縮陳列なども、「いつの間にか高粗利益商品を買わせる」しかけとして現在は作動している。圧縮陳列だけが有名になっているドンキホーテだが、他にも工夫が散りばめられている。たとえば入り口から店内を眺めてみよう。すると、手前の棚は低く奥まで見渡せ、視線の先には目玉商品が置かれている。

お客は奥に進み滞在時間が増えるほど商品を購入する。また、店内の通路が曲線になっているところが多いのも同じ理由だ。 購買年齢層にあわせて棚の高さを調整するのはもちろんとして、親子連れがやってくるキャラクター商品は、何段かに分けて陳列している。抱っこされた子どもがキャラクター商品を見つけたとき、抱っこから下ろされた子どもがその商品をつかめるためだ。もちろん有名商品の隣には、比較対象として粗利益の大きいプライベートブランド商品(「情熱価格」)が陳列されている。

ドンキホーテはラックジョバーも活用している。ラックジョバーとは、店舗の棚にかかわる管理をまかされた問屋だ。問屋が商品供給を担うのにたいし、ラックジョバーは陳列や売り方そのものに踏み込む。ドンキホーテは、これらサプライヤーとの密接な関係をつくることでオリジナリティを発揮してきた。日本型小売業ではラックジョバーをほとんど活用していないが、圧縮陳列などの施策は、このラックジョバーとともに拡充してきた。

ドンキホーテはどこまでも「お客を第一」とする。イメージとは異なり、いわゆる奇をてらった商法を志向したことがない。お客にあわせて自社を柔軟に変えようとしてきた。安田氏はいくつものインタビューで、「当社はあえて言えば勝負をしない会社」と断言しているほどだ。ただし、社員に“任せる”点では、あまりに勝負している。 1店舗あたりのアイテム数は4万〜6万点。大型店MEGAドンキホーテなら4万〜10万点となる。それはコンビニエンスストアの3000アイテムと比べると13倍以上にもなる。

これは大型スーパーとも負けない品ぞろえだ。スーパーは苦戦を強いられているのに、ドンキホーテは増収増益を続ける。 その秘訣を安田会長は「微調整」なる言葉で表現している。右肩上がりの経済下では、本社が一手に商品や価格決定を担い、棚をデザインすることもできる。しかし、現代においては、むしろ現場に大幅な権限を委譲する必要があるのだ、と。

 

 

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2015年03月17日

ドンキホーテはなぜここまで強くなったのか No1

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http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20150219-00061060-toyo-column

「ドン、ドン、ドン、ドンキ〜、ドンキホーテ〜♪」
店内に流れる印象的なテーマ曲や雑多に積まれたユニークな商品の数々――。独特な店舗形態で深夜まで営業する「ドンキホーテ」。首都圏を中心にグループで全国約280店、売上高6000億円超を誇るディスカウントストア1位の企業だ。 そのドンキホーテをつくりあげたカリスマ経営者が、突然の退任を表明した。安田隆夫氏(65)。ドンキホーテホールディングスの会長で、創業者。1989年の創業以来、2014年6月期までに25期連続で増収増益という偉業を達成してきた人物が、6月30日付で創業会長兼最高顧問に就く。代表権のない新設の役職で後任の会長は置かない。国内グループ企業のすべての取締役も退任し、CEO職は大原孝治社長に譲る。

確かに安田氏自身から、これまで何度も引退の予言は繰り返されていたものの、65歳は経営者としてはまだまだ活躍できるともいえる年齢。一線を退く決意を聞かされると、残念な思いがする。「ロレックスからトイレットペーパーまで」販売する特異な小売店として異彩を放つ。カリスマなき後も競争力を保っていられるかという課題はあるが、ここに至るまでにドンキホーテがどのように強さを身に付けてきたのかの秘密を探ってみよう。

■ 誕生とマーケティング手法の偶然
岐阜県大垣市生まれの安田氏は、「NHK以外のテレビは見るな」としつける厳格な父親のもとで育ち、慶応義塾大学に進学した。麻雀にはまり、ドヤ街で働いて学費を払った。全共闘世代なのに、学生運動には参加せず。理由は、すでに労働者として汗を流していた立場からすると、働きもせぬ学生が戯言を垂れ流しているとしか思えなかったからだ、著書などで伝えられている。筆者はここに、リアルに徹する商売人魂の萌芽を見る。

1978年、29歳のときに小売店「泥棒市場」を開店。設立当初、売り上げが芳しくなく七転八倒した安田青年が目をつけたのは、廃盤品。メーカーや問屋の倉庫に眠っている、いわば不良債権。会計上、これなら簿価上はゴミ同然に減損している。だから、メーカーや問屋も二束三文で叩き売りしてくれるはず。 彼らのもとを何度も通った安田青年は、メーカーや問屋からついにその仕入れを可能とした。そしてすぐさま入荷した無数の商品を陳列しはじめた。

そして手書きの店内広告を書きまくった。これが後にいう「圧縮陳列」であり、「手書きPOP洪水」だった。ドンキホーテを語るとき欠かせない2つの手法は、もとは偶然の産物にすぎなかった。 この泥棒市場は大ヒットし、お客から「盗んできた商品を売っているから泥棒市場なんですか」と聞かれるほどだった。この大ヒットがさらに副産物を生んだ。安田氏はまた、深夜営業について小売業のなかで最も早く目をつけた一人だった。

人手不足のため深夜に荷解きをしなければならず、そのあいだ開店し続けていた。そのときに意外なほど多くのお客がやってきた。「夜は儲かる」――。これまた偶然の発見だった。 安田会長は、こののちに「リー
ダー」なる卸売の会社をはじめる。そして当時としては斬新だった電話営業とFAXによるマーケティングで大成功をおさめる。が、その手法についても、社員が全員パンチパーマをかけていたため、とても客先に営業に出向かせることができなかったから、と述べている。

つねに安田会長は、小売テーゼの逆を行く“業”が自然と備わっていたようだ。 その後、小売業に戻る決意をした安田会長は、ドンキホーテ第一号店を東京都府中市にオープンする。1989年のことだった。

 

 

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2015年03月16日

コールセンターは長崎を目指す

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20150216/277594/?n_cid=nbpnbo_bv_ru&rt=nocnt

企業の間で、コールセンターなど顧客対応業務の拠点を長崎県内に置く動きが広がっている。外資系保険会社や情報処理サービス会社などが相次ぎ進出。2011年度からの誘致企業数は20社を超え、地元での採用者数も予定を含め2100人超となった。長崎県など地元自治体が誘致した企業に手厚い支援を打ち出しているほか、地元での就職を希望する優秀な学生が多く、災害リスクも低いと見なされていることが背景にある。

「長崎オフィスは私どもの成長と飛躍をけん引し、戦略的に大変重要な役割を担う。当社が長崎を代表する立派な企業になることを目指して力を尽くす」。1月末、長崎市。チューリッヒ保険の北澤章CEO(最高経営責任者)は、オフィスの開所式でこう挨拶した。 チューリッヒ保険にとって、長崎オフィスは東京都調布市、大阪府豊中市、札幌市に続く全国4番目のコンタクトセンター。保険契約の手続きなど顧客からの問い合わせに対応するカスタマーケアセンターと、事故に遭った顧客に対応する損害サービスセンターという2つの機能を持つ。

まず2月1日にカスタマーケアセンターの業務を始めた。4月初めには損害サービスセンターも業務を開始。今年夏には、自動車保険以外の保険の新規契約や変更手続きの問い合わせへの対応も始める。当初の体制は正社員22人だが、地元での採用を積極化し、3〜5年後には正社員を200〜300人に増やす予定だ。

長崎を選ぶ3つの理由
チューリッヒ保険は、長崎に拠点を開いた主な理由を3つ挙げた。まずは「教育機関の充実」。企業誘致を担当する長崎県産業振興財団によると、人口に対する大学数の多さで、長崎県は全都道府県の中でも上位10位以内に入るという。地元志向が強い学生も多いといい、長期間の安定した人材確保が期待できる。

次に「自治体のサポート体制の充実」だ。長崎県では情報処理・集約業務を担う企業について、新規採用者数や設備投資額など一定の条件を満たせば、事業所の賃借料や人件費、通信費など幅広い支出項目で手厚い支援が受けられる。県内で正社員として新規採用した人材が東京などほかの都道府県の本社で研修を受ける際に補助金を出すなど、同県独自の補助制度を設けている。

そして3つ目が「BCP(事業継続計画)対応での拠点の優位性」だ。内閣府が発表した南海トラフ地震の被害想定で、長崎は被害が比較的小さい地域の1つと見られている。震災で首都圏での事業継続が難しくなっても、業務を代替できる場所として長崎が選ばれやすくなっている。

AIGグループ、トランスコスモスも開設
長崎にはチューリッヒ保険のほか、AIU損害保険、富士火災海上保険などAIGグループの4社が昨年、相次いで長崎市内にコールセンターやビジネスセンターを開いた。地元での新規採用を進め、今年夏には4社合計で500人程度に増やすことを目指す。 トランスコスモスも、経理・総務などの運用業務を顧客企業から請け負うバックオフィスサービスの新たな拠点である「BPOセンター長崎」を今年5月に開く予定。正社員や契約社員の地元採用を順次進め、3年後には400人体制に拡大する方針だ。「既に業務を展開する熊本市の拠点と地理的に近く、連携効果も見込める」(同社)という。

長崎という土地の歴史的な背景も、企業誘致に一役買ったようだ。ある外資系企業は岩手県や宮城県も新たな拠点開設の候補地に考えていたが、最終的に長崎に決めた。江戸時代の鎖国体制下でも、長崎には出島が設けられて海外諸国との交流の窓口になった。そうした経緯から「長崎では外資進出への抵抗感が、東北に比べて少ないという印象を受けた」(担当者)という。

政府は地方創生の一環で、東京から本社機能を地方に移した企業には、税を優遇する制度を導入する。長崎県産業振興財団とともに企業誘致を担当する長崎県企業立地課は「自動車関連など様々な業種の企業から問い合わせが多く寄せられている

 

 

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2015年03月15日

香港の子育て環境 No3

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また、最低賃金や労働時間もほかの労働者とは大きく異なる。前述のように、香港では月額約4000香港ドル(6万円)が基本。週休1日で住み込みともなれば、日本の労働法が定める週に40時間を超えてしまう可能性がある。
農業や医療、介護などの分野で「実習生」という位置づけで来日する外国人の多くが、帰国を余儀なくされている。法整備面で、どれだけ明確に彼女らの労働と対価を位置づけるかが課題になる。

2つ目のインフラ面では、冒頭の光景も含めた、外国人家事労働者を受け入れる環境の問題だ。まずは家の問題。日本の都市型建築の多くは、家事労働者が住み込むスペースが考慮されていないのが現状だ。香港の比較的高価格なマンションでは、狭い納戸のようなスペースではあるものの、彼女らを迎えるための設計がなされている。もちろん、家事労働者との生活を好まない人もおり、その場合は用意された家事労働者向けの専用のアパートメントから通うのだ。

なお、住み込みでない場合は、家事労働者の住居費用や交通費など、1500〜2000香港ドルを追加で雇い主が支払う必要がある。 日本で導入する場合、多くが通いとなるだろう。その場合、どこに宿舎を用意するのか。また宿舎の費用をどの程度に抑えるのかが課題だ。高額な家賃が加算された場合、一般家庭が雇うのは難しくなってしまう。宿舎が置かれる地域では、生活習慣の違いから地域住民との間に問題が発生する可能性も否定できない。

語学力の問題もある。香港のように英国統治下にあった地域では、同じく英語圏だったフィリピンの家事労働者とのコミュニケーションは取りやすい。それでも、雇い主と家事労働者の間でしばしばコミュニケーション上のミスや相性による問題が生じている。日本では英語でのコミュニケーションが一般的ではないため、家事労働者とのコミュニケーション上のミスも多く発生すると考えられる。

最大の壁は「周囲の目」
ただ、やはり一番の課題は一般に根付くかどうかという点ではないだろうか。外国人家事労働者を雇うことに対する「周囲の目」。この壁を乗り越えるのが難しい。前述のように、日本には、「子育て=親(特に母親)がすべき」という固定観念がまだ強く残っている。家事や育児を他人に任せると「責任放棄」という目で見られかねない。子育ての成功と失敗について、何を基準にするかは人それぞれで一様ではない。

だが、今回話を聞いたいくつかの家庭では、子供が非行に走ったり、内にこもってしまったりするケースは聞かなかった。もちろん、外国人家事労働者を雇うことでマイナスの影響もあるだろう。ただ、家事をしないと子育てに悪影響を及ぼしかねないという認識は正しくない。前出のAさんのように、家事を任せられるからこそ、空いた時間を子供とゆっくり過ごせるという副産物もある。 在香港の日本人の多くが外国人家事労働者を活用している点を見れば、日本人には不向きと考えるべきではない。

問題は、きちんと受け入れられるよう、制度や法律などの仕組みを用意することにある。このままでは人口減少で日本の労働力が減るのは確実だ。外国人家事労働者の必要性や移民の受け入れなど、今後議論が重ねられるだろう。大事なのは、「足りなくなったから海外から呼ぶ」という安易な考えを捨てること。海外でも移民を受け入れたことによる反動が多々噴出しており、宗教問題やテロに結びつくなど不安要素もある。そういったことを踏まえつつ、議論を進める必要があるだろう。

何を求めて、そのためにはどのような仕組みを用意すべきか。日本が抱える課題を解決するには、相応の覚悟と変革が求められる。

 

 

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2015年03月14日

香港の子育て環境 No2

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今も社長として組織を引っ張る立場だ。 「昨年、娘が子供を産んで仕事を辞めようと考えていた。すると職場の同僚から『あなたの能力を活かさないのはもったいない』と言われ、復帰を決意した。替え難い能力があるのならそれを発揮すべし。家事や育児には代行できる人がいるというのがこちらの考え」と語る。香港では、外国人家事労働者に任せるという習慣が根づいており、香港に住む日本人もその環境を積極的に活用している。

香港に長く住まないと受け入れられないかというと、そんなことはない。Cさんは3年前、夫の転勤を機に2歳の子供とともに日本から香港へやってきた。日本では都市部に住み、職場復帰を試みるも認可保育園の抽選に外れて認可外の保育所に預けることになった。だが、費用がかさむため、職場復帰を断念して子育てに専念していた。香港に来てからは、外国人家事労働者の存在を知り、エージェントを介してフィリピンから来た家事労働者と契約。2年前から日系企業の事務職として仕事を再開できた。

「子供を預けることに不安はあった。同じ空間に外国の家事労働者がいるという点で違和感を覚えたが、時間が経つに連れて気にならなくなった。適度な距離感を覚えるのがコツ。今は彼女に家事のすべてを任せている」 香港在住の日本人にも受け入れられている外国人家事労働者。この制度を日本にも持ち込もうという動きがある。

安倍内閣「外国人家事労働者受け入れ」を検討
安倍晋三内閣は女性の就労支援を表明し、対策の1つとして外国人家事労働者の受け入れを検討し、注目が集まっている。昨年4月、安倍首相は自らが手掛けた経済財政諮問会議と産業競争力会議の合同会議において、女性の就労機会の増加のために家事などの分野で外国人労働者の受け入れを検討するよう指示を出した。10月には外国人家事支援人材の受け入れも含めた国家戦略特区の改正法案を閣議決定した。

昨秋の臨時国会では、解散によって法改正は実現できなかったが、今国会で成立する可能性がある。従来、家事労働者として就労ビザが認められるのは在日本の大使館向けなど、一部に限られていた。その規制を緩和して海外から家事労働者を招き入れるというものだ。家事支援会社に就職し、業務を特定して来日する外国人に入国や在留の資格を与える。 

人口減少で労働力が減る分を補うには、女性の社会進出は必須だ。だが、現状は育児や家事により、女性の社会進出が妨げられている。それを打破すべく、外国人家事労働者を受け入れられる特区を創設するというものだ。 しかし、香港やシンガポールといった外国人家事労働者受け入れの先進国では一般化したものでも、日本で定着させるにはいくつかの障壁があると感じる。大きく言えば法律とインフラ、そして受け入れる国民の意識という3つの壁がある。

就労ビザと永住権問題
香港では外国人家事労働者に対して、特別な就労ビザが認められている。家事労働者として入国を許されるのであって、転職の自由はない。家族の帯同も禁止だ。2年後に契約が更新されればビザの延長が認められるが、更新されなければ2週間以内に新たな雇い主を見つける必要がある。見つからなければ、本国へ帰らなければならない厳しいルールがある。さらに、彼女たちに認められていないのが、永住権だ。香港では7年間暮らしていれば永住権が認められる。だが、それが彼女らには認められていない(※1987年以降)。

過去にも、20年以上家事労働者として従事したフィリピン人女性2人が、永住権を求めて政府に訴えたことがある。一審では認められたものの、2013年に香港の最高裁判所に当たる終審法院が訴えを退け、外国人家事労働者たちには永住権を認めないことが明確になった。永住権を付与すると、家事労働者が本国から親戚などを呼び集めかねない。そうなると狭い香港は一気にパンクしてしまう。日本が外国から家事労働者を招き入れるのであれば、ビザや永住権などをどれだけ明確に定められるかが課題になってくる。

 

 

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2015年03月13日

香港の子育て環境 No1

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150217/277608/

国境を越えて見る光景は、その地で暮らす人々にとっては当たり前のものであっても、不慣れな来訪者には驚きをもって迎え入れられる。今年1月から香港に赴任し、まさにその光景に出くわした。 場所は香港島の経済の中心地である中環(セントラル)。金融機関の多くが拠点を構え、高級なブティックが立ち並ぶこの地は、東京でいう丸の内エリアのようなものだ。昨秋に香港の大学生が行政長官の選挙制度改革を訴えて道路を占拠した場所としても記憶に新しい。

階段は人が歩くのが困難に……
その中心街が、日曜ともなると異国の女性たちに「占拠」される。占拠というと大げさだが、一見すると誤解してしまうほどの混雑ぶりだ。高層ビル群をつなぐ回廊に段ボールを敷き、座り込んで食事をしたり、談笑したりする光景が広がる。
彼女たちはホームレスではない。その多くがフィリピン人で、家事労働者としてのビザを得て、香港にやってきている。香港では家事労働者を阿媽(アマ)と呼び、住み込みで働く人も多い。

彼女たちにとって、日曜日と祝日は唯一の休日となる。とはいえ、日曜日は雇い主にとっても休日である場合が多い。家族とゆったり家で過ごす際には、彼女たちは家から出されてしまうケースもある。あるいは、同郷の仲間と共に休日を過ごすために町で集まるのだ。 中環の銀行は自国に送金する人や両替を希望する彼女たちであふれかえる。そして、お金をかけずに時間を過ごすために集まって談笑したりトランプゲームをしたりする。

3駅離れた銅鑼湾(コーズウェイベイ)では、また違った光景が広がる。駅から歩いてすぐにあるビクトリア公園はイスラム教徒の特徴であるブルカをかぶった女性で埋め尽くされる。かつてはフィリピンからの家事労働者が中心だったが、近年はインドネシア出身者が急増。統計数値によると、2011年にはインドネシア人女性が14万8013人で、フィリピン人女性の14万766人を上回っている。インドネシアから来た家事労働者の憩いの場が、ビクトリア公園だ。

ビクトリア公園にはインドネシアからの家事労働者が集結する
銅鑼湾は若者が集まる繁華街で、東京でいえば渋谷や原宿のような場所。隣接する公園という意味では、代々木公園が埋め尽くされているようなものかもしれない。ブルカをかぶるムスリム(イスラム教徒)の女性が目立つ

人口700万人で30万人の外国人家事労働者
香港には30万人近い外国人家事労働者がおり、ほとんどをインドネシア人とフィリピン人が占める。その歴史は英国統治時代の1973年から今に続いている(※1973年以前は中国の広東地域出身の女性が中心)。日本で家事労働者を雇うのは「一部のお金持ち」という印象だが、香港では中流家庭以上であれば珍しくない。広く一般的に受け入れられている。 気軽に家事労働者を雇うことができる理由、それは料金の安さだ。

月額にして約4000香港ドルで、円安になったとはいえ日本円にすれば6万円程度。夫婦が共働きすれば不可能な額ではない。 外国人家事労働者の受け入れが一般化することで享受できる最大のメリットは、女性の社会進出だろう。1990年代には40%台だった女性の労働参加率は年々上昇し、2001年には50%を超えた。2013年には54.5%と、生産年齢人口の半数以上の女性が働いている。住み込みで食事や洗濯などの家事はもちろん、子供の面倒も見てくれる家事労働者の存在は大きい。

日本ではいまだに、「子育て=親(特に母親)がすべき」という固定観念が強く残っている。食事を母親が作らない、あるいは夕食まで親がいないと、「子どもがかわいそう」「悪い影響を与える」「親が自分勝手」という厳しい視線が周囲から注がれがちだ。だが、香港では家事労働者を雇って任せることに、うしろめたさなどない。それは香港に昔から住む住民だけでなく、海外から移住してきた人はもちろん、日本から来た人にも当てはまる。

「家事労働者なしの生活は考えられない」
実際、香港で生活する日本人に話を聞いてみると、「家事労働者なしの生活は考えられない」と皆が口をそろえる。1980年代に香港に移り住んだAさん(50代)は語る。「朝起きたら朝食ができていて、出社して帰宅したら夕食が用意され、子供は宿題を終えている。夕食の片づけを任せられるので、その間を子供と遊んだり話したりする時間に充てられる」 Bさんも80年代に香港へ移り住んで働くママ。3人の子供を持つが、家事労働者を雇いながら仕事を続けてきた。

 

 

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2015年03月12日

日本を見る眼が変わり始めた中国の人々 No3

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日本文化や商品の熱烈な支持者である。いわく「中国のほうが成長性は高いし、市場の規模も大きい。仕事の基盤は中国に置かざるを得ないが、この社会の競争の激しさ、安心感のなさ、生活の質の低さには本当に疲れる。日本は静かで、清潔、便利で本当に心が休まる」と話す。  円安と中国の物価高騰で日本の生活コストはいまや中国の大都市と
大差ない。衣料品や耐久消費財なら日本のほうが安いものも少なくない。街は安全で、子供連れでも問題ない。

当局によるインターネットの規制もない。月に1〜2度といったペースで別荘感覚で使うなら日本は確かに居心地がよいだろう。  また別の工場経営者の友人はランニングが趣味。毎朝、上
海の自宅周辺を10qほど走っているほか、年に数回、国内外のマラソン大会に参加している。その彼の大きな悩みは大気汚染と交通マナーの悪さだ。「日本は空気がきれいだし、公園や河川敷など走りやすいところがたくさんある。日本のどこかに家を買って、年に何回か滞在してゆっくり走る時間をつくりたい。

日本のマラソン大会にも出たい」と意欲的だ。彼の場合も商売の都合で日本に移住してしまうわけにはいかないが、商売にはシーズン性があって閑散期もあるうえ、経営者なので仕事の段取りはある程度都合が付けられる。別荘感覚で日本に不動産を買って、余裕のある時にゆっくり過ごそうという算段だ。  もちろんその背後には、中国経済がピークを越え、将
来的には人民元安も囁かれ始めた昨今、資産を各国に分散することでリスクヘッジを図ろうという算段もある。また中期的には、自分のリタイア後の生活拠点としての場所を確保しておこうという思惑もあるだろう。

上海から福岡は北京、香港より近い
こうした「週末移住」「半定住」とった発想が出てくる背景には、
(1)一定以上の所得がある中国人を対象に日本のマルチビザ(一定期間内なら何度でも入国可能なビザ)の取得条件が緩和されたこと、

(2)日本と中国の距離的な近さ、

(3)日本の不動産の圧倒的な安さ――という3つの背景がある。

日本政府の外国人観光客増加策の一環として2011年にスタートした中国人対象のマルチビザは、従来3年間有効で1回の滞在が90日間だったが、今年1月、5年間に何度でも渡航が可能で1回30日間の滞在が認められる「5年マルチ」の発給が新たに開始された。同時に発給要件も緩和され、今後はマルチビザで繰り返し来日する観光客が中心になるものと旅行関係者は見ている。マルチビザがあれば、航空券さえ買えば好きな時に来日が可能で、欧米に比べて距離的に近い日本はその影響が段違いに大きい。

 

 

posted by タマラオ at 05:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記