2015年02月28日

コンビニの超進化      No1

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DIAMOND      http://diamond.jp/articles/-/58376

弁当、麺類をもっとうまく! 過熱する中食てこ入れ競争
コンビニの“顔”といえば、何といっても弁当やおにぎりに代表される中食だ。少しでもおいしくするため、大手コンビニは日々改良を重ね、商品を進化させている。昨年、ファミリーマートの中山勇社長は、店舗で展開している焼きそばを口にして驚いた。 「てこ入れが必要だ」そう感じた中山社長がベンダー(製造業者)を尋ねる
と、ファミリーマートが39%出資していたジョイアス・フーズ(旧朝日食品工業)との答え。

このままではまずいと考えた中山社長は、製麺に集中させるため、ジョイアスに漬物や大豆などの製造部門を売却させ、その上で同社を100%子会社にした。小売業界では「持たざる経営」が基本。だが、目の前の出費より、一刻も早く製麺のクオリティを上げることを優先させたのだ。中山社長の危機感は、それぐらい強かった。 「セブン−イレブンは腕立て伏せを100回でき
るけど、うちは10回しかできない」日販でセブン−イレブンに10万円以上差をつけられているファミリーマート。

その背景には“基礎力”の違いがあり、弁当や麺類といった「中食」にこそ原因があるとみたのだ。そこでファミリーマートは中山社長の肝いりで、中食を進化させようと抜本的な見直しに着手。今年3月には社長直轄の組織として「中食構造改革委員会」を新設した。これは、商品部を中心にシステムや営業の担当者など約20人を部門横断的に集結させ、商品の開発力の強化や製造・物流拠点の再整備を図る組織だ。ファミリーマートの青木実商品本部長補佐は、「ベンダーのてこ入れをすべき商品カテゴリーが分かってきた」と自信を見せる。

ファミリーマートがここまで中食改革に必死になるのには大きな理由がある。売り上げにおいて最も大きな構成比を占めるのが中食(日配食品、ファストフード)だからだ。しかも中食は、「他の商品との併売率が高い」(青木本部長補佐)。
実はファミリーマートは、2013年度から本格的に「機能数マネジメント」たる独自の手法で品ぞろえの見直しを始めている。 「砂糖が欲しくて店に来た人が、砂糖がなかったからといって
代わりにしょうゆを買って帰らない」(青木本部長補佐)ように、代替の利かない商品を1機能とカウントして品ぞろえを考える手法だ。

確かに、調味料など、それ自体ではそう多く売れないものもある。それでも品ぞろえに気を使うのは、他の商品の併売(ついで買い)が増え、売り上げ増につながるという結果が12年度の実験段階で出ているから。そしてついで買いの筆頭格が中食だというのである。

王者セブンですら中食600品目の見直しに着手   「中食はコンビニの顔」中山社長のこの一言に象徴されるように、ファミリーマートに限らずとも、中食はコンビニにとって特別な商品群だ。コンビニ業界では、常に新しい潮流が注目されがちだ。「金の食パン」が人気を博すセブン−イレブンの「セブンゴールド」や、パッケージにナチュラルローソンのロゴが入ったローソンの健康菓子といったいわゆる高付加価値プライベートブランド(PB)、はたまた薬の取り扱いなどがまさにそれである。

しかし、コンビニを縁の下の力持ちよろしく支えているのは、中食だ。消費者の近くに数多く店を構え、何日分も買い置きできない中食を24時間・365日提供する──。こんなことができているのは小売業の中でもコンビニだけ。しかも、各社オリジナルの味を追求しているだけに、コンビニの差別化を打ち出す、まさに“顔”なのである。

 

 

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2015年02月27日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No13

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クリエイティブになりたいなら旅に出よ

柳川「クリエイティブな発想は、どう生み出せばいいですか?」

松嶋「フランス人にクリエイティビティがあるのはなぜだかわかりますか?それは年間5週間も休むからです」

柳川いま日本企業の多くが、クリエイティビティがある新しい製品、良い製品を生み出さないと生き残れないと考えています。でも、クリエイティビティはどうすれば生まれるか、どう社員にクリエイティブな仕事をさせるか、どの会社も悩んでいると思うんですね。分野は違いますが、クリエイティブな発想は、どう生み出せばいいでしょうか?

松嶋僕自身は、すごくクリエイティブに生きていると自負できます。フランスに飛び出したこともクリエイティブですし、フランスに住んでなぜフランス人にクリエイティビティがあるのか、どこから生まれるかを自分自身で整理してきましたから。
フランス人がクリエイティブなのは、年間5週間も休むからです。また、インスピレーションの受け方にも秘密があります。なぜみんなバカンスで南仏に行くと思いますか。それは、あれらの場所が“国際的なハブ”だからです。

多くの人が休みに来ていて、いろんな出会いや体験でいろんな情報が得られるからこそ、クリエイティブになれるのです。僕のお店は、LVMHグループのリブランディングをしている方がアートディレクターなのですが、彼とクリエイティブとは何か談義したんです。すると彼は「クリエイティブとはエゴイストだ」と言うんです。「エゴイストはみんなわがままで、性格が悪くてきつい人だ。それは、自分の意見を通したいから、自分を守りたいからだ。では、最高のエゴイストは誰か。

それは出産前の女性だ」と彼は教えてくれました。母親は、生まれてくる子どもを守らなければなりませんから。世界最高のクリエイティブとは、子どもが生まれること。女性は子どもを産むことに対していろいろと知識と情報を得なければならない。子どもを大きくするために大切なのは、栄養ですよね。いろんな栄養を摂って子どもを大きくして膨れて爆発したエネルギーが出産です。クリエイターも、そうでなければならないというのが彼の持論でした。つまり、情報、知識をいろんなところから集めて、溜めたものを爆発させるから新たなものが生まれるのです。

柳川つまり、料理をつくる理由や食材の歴史などを情報として溜め込むってことですね。

松嶋あと僕が必要としている経験は、旅です。クリエイティビティ=移動距離だと思っているので。とにかく移動しないと、クリエイティビティは生まれてこないですよ。どれだけ移動して、どれだけ視点を変えて、いろんな景色を見るかが大切です。僕は若い頃からいつも相手の立場から自分がどう思われるか、10通りの見方をしようと思っていました。それはクリエイティブのなかでもすごく大事なことだと思います。原宿のことを福岡から見るのと、ニースから見るのと、パリから見るのと、ニューヨークから見るのとでは、景色が全然違います。

そうして客観的になれることもクリエイティブになるための1つでしょう。同じ場所にいてはクリエイティブになれません。日本人なら東京だけにいてもクリエイティブにはなれませんよ。旅は、新しいものを取り入れる手段でもあるし、旅をすることによって距離をおいて違う見方をすることもできます。僕はその両方を上手にバランスとりながら、いつもメニューを考えています。

柳川新しいアイデアを生み出そうとすると、生み出すことばかり考えてしまって、それだけを見つめてしまったり、情報を取り入れることを疎かにしがちです。いろんな知識を持っていないと、アイデアは生まれないという良い例ですね。
失礼な言い方かもしれませんが、シェフの方がこうして街の歴史や食材の流れついた経緯をご存じなのは、とても新鮮な驚きがありました。それが新しいものを生み出す原動力というのは、すごくおもしろいと思います。

 

 

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2015年02月26日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No12

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フランスで学んだのは料理というより、シェフの考え方
柳川「元々歴史が好きだったんですか?」

松嶋「そうでもないんですが、地方ごとに視点をずらして歴史を掘り下げると、見える景色が全く違うと知りました」

柳川先ほど、タラが地中海で取れないのに、なぜ地中海料理に使われるようになったかお話しくださいましたけど、そういうことに詳しいのは、それが料理に大切だからですか?

松嶋そうですね。僕が幸いこうした考え方になれたのは、渋谷「ヴァンセーヌ」というお店で酒井一之シェフに学んだからだと思います。僕がこの店に修業に入ったのは、彼がフランス在籍期間の最も長いシェフであり、すごく地方料理に対する知識が深かったから。だから、酒井シェフの元で修業するのがフランスへの近道だと思って就職したんです。酒井シェフが翻訳された『フランス料理の源流を尋ねて』という本では、フランスの気候・風土、歴史・文化を地域ごと写真と言葉で紹介していました。それを読んで、「現地に行って本当かどうか確かめなきゃ」と思って、本を持ってフランスへ修業に行きました。

柳川元々歴史が好きだったんですか?

松嶋そうでもないんですが、その本を読み進めると、歴史も知る必要があるなと思って、いろんな地方で修業しました。修業もある程度終わると、ニースでお店を出して、歴史を掘り下げました。ニースという街はギリシャ人に建設され、ローマの時代やスペインに占領される時代を経て、サヴォイア公国、サルディーニャ王国になり、フランスに統括されていて…。その歴史のおかげでいろんなものが交差して、ニース料理ができたとわかったとき、地方ごとに視点をずらして歴史を掘り下げると、見える景色が全く違うと知りました。

そんなとき、僕の出身地・福岡の大先輩でもあるサグラダ・ファミリアの主任彫刻家の外尾悦郎さんから「オリジナルなものをつくりたいときは、そのオリジンを知ることが大切だ」と言われたんです。子どもが生まれるのも、まさしくオリジナルですよね。お父さんのオリジンとお母さんのオリジンをミックスされるわけですから。料理もそういうものだと思うし、ビジネスでもそれがすごく大事だと思います。発想の源を知ることが、次の発想につながるのではないでしょうか。

柳川食材の歴史に詳しくなることで、思い浮んだ新しい料理はありますか?

松嶋ありますね。実のところ僕は、料理の技術やレシピを覚えたくてフランスに行ったわけじゃないんです。なぜこのシェフがこの料理をひらめいたか、アイデアを生む発想を学べるような会話ができるフランス語を身に付けなければ、フランスで修業する意味はないと思っていました。だから、まずきちんと言葉を覚えようとしましたね。

柳川そこからして、ちょっと普通じゃないですね(笑)。

松嶋正直言うと僕は修業時代、すごく手が早いわけでもなく、料理をするのもあまり好きじゃなかったんです(笑)。でも、料理を考えるのは大好きでした。作業するのも汚いから、「お前みたいに仕事が雑な日本人は見たことない」とフランス人に言われるくらいでしたし。ただ、とにかく会話はみんなとしていたし、シェフにも「今回この料理をなぜ考えたんだ」とよく聞いて、教えてもらいました。そうしてコミュニケーションを重ねることで、クリエイティビティとは何かがわかってくると、「自分でできる!あとはいい料理人をマネージメントすれば料理はできる」と思いましたね。

フランスの三ツ星、二ツ星シェフって、元羊飼い、数学の教授を目指していた人など、料理出身じゃないこともあるんです。そんな彼らのすごいところこそ、クリエイティビティです。ある土地の食材を使って、これまで食べてきた・見てきた経験から、自分のお店の料理人に指示しながら、作品を作っていく感じですね。

 

 

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2015年02月25日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No11

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松嶋柳川先生と初めてお会いした博多は、もともと商人の街で、商船が出て中国、韓国など外にどんどん出て行って、日本海を利用しながら港に立ち寄ったことで栄えました。そのおかげで、いろんなものが外から入ってきて色鮮やかな文化ができました。経済を動かすとは、商売があって、商人が船に乗って出かけて、売って何かを持って帰ってくることであり、それによって文化が生まれるんですよね。実は地中海もそうなんです。

僕の本『10皿でわかるフランス料理』でも書きましたが、昔のヘブライ人(ユダヤ人)は地中海を「海」ではなく、大陸の真ん中として見ていて、海の上を船で簡単に行き来して商業活動することで経済を生んでいました。そうした活動によっていろいろなものが交差しながら料理も生まれています。それともう1つ。地中海でおもしろいのは、タラです。実は地中海でタラは釣れないんですよ。けれど、地中海のフランス料理やイタリア料理ブックを調べると、地中海料理を代表する食材としてタラが出てきます。実はその背景にいたのがノルウェー人、バイキングで、彼らの航海技術レベルがとて
も高かったので、地中海の方に降りてきて商業をやっていたらしいんです。北の海から持ってくるので、塩漬けか干してありますが、その名残が地中海のベースにあるのに、地中海の人たちはタラを食べることに全く疑問を持たないんですよ。それは、経済を生むための商業のおかげで文化が根付いたからでしょう

柳川ちゃんとお話ししていなかったかもしれませんが、じつは僕、高校に行っていないんです。中学を出て、ブラジルに4、5年行って、大検取って、シンガポールに行って大学の通信教育課程を受けました。シンガポールには、子どもの頃と大学に行く時期に通算10年ほど住んでいました。それで今のお話を聞いて思い出したんですけど、今でこそシンガポールは洗練された街になりましたが、昔は華僑の集う港町で、いろんな民族が行き交って生まれた文化やもたらされる空気がありました。それが今のシンガポールのメリットを生み出していますよね。多民族をいかにマネー
ジしていくか、どうやってみんなが暮らしていくかを模索してきた結果、グローバル化した社会にうまく溶け込んでいるのではないでしょうか。その意味で、シンガポールと博多には、共通点があると思いますね。

松嶋共通していると思いますね。僕もシンガポールには仕事で行ったことがありますが、いろんなものを上手に取り込みながら、カスタマイズして「シンガポール発のオリジナル」「僕たちのもの」だと上手に言おうとしていると思いました。例えば、チキンライスにレモングラスを入れるのは、中国や日本ではないですよね。あれは、ああいうジメジメした気候なかで、お米と鶏の食べ方を工夫しているからで、あの国でなければ生まれないものだと思います。

 

 

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2015年02月24日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No9

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「フランスは週5日労働が原則。しかも、休憩時間にはみんな一度帰って、短い時間で集中して働くというのが基本です。あと、やっぱり仕事は仕事、プライベートはプライベートで分けますよね。でも日本人には、仕事もプライベートもすべて仕事に費やすような人たちが多い。週に1日多く働いてるっていうことは、年間で何十日、それを10年やれば、1年分ぐらい違います。正直、全然負ける気がしませんでしたし、もし負けたら、今までやってきたことがすべて否定されてしまうというか」

フランスでの修業時代もまた、アストランスという、高いレベルの中で揉まれたことがよかったのでしょう。ここまで自信にあふれた吉武シェフをして「あそこのフランス人はちょっとおかしい」と言わしめるくらいモチベーションの高い人材が集まっていたのです。 「ちゃんと休んではいますけど、仕事のときの集中力は圧倒されるぐらいす
ごいんです。しかも、休憩中もランニングに行ったりしていましたから、ありえないですよ(笑)」

同じ土俵で戦わず、自分の強みで勝負する
フランス人には負ける気がしないとはいえ、彼らにとってフランス料理は自国の料理で、日本人はよそ者。普通なら、対等に勝負していくうえで、かなり不利なのではないかと考えてしまいます。 「今は、世界中でつくられ
ている料理に枠がありませんよね。どこでどんなことを学んだかによっても変わってくるし、どこの国の料理というより、その人自身の料理というか。たとえば僕は、和の食材はもちろん、アジアも回っていたのでそこの食材も使います。

もちろんカテゴリー的にはフランス料理に入りますが、自分で言っているわけでもないし。だから、フランス人だから有利とか、日本人だから不利ということは、まったく感じたことがありませんね」これはフランス料理に限らず、ビジネスでも同じです。現在は、日本だから日本のビジネスのやり方でなくちゃいけない、フランスだからフランスのやり方でなくちゃいけない、という枠はありません。たとえば現にアマゾンは、世界中で同じビジネスをしています。

もちろん、少しそれぞれの国向けにカスタマイズはしますが、国籍は関係ない時代になっているということでしょう。 「伝統的なフランス料理の牛頬の煮込みをつくるとか、もしそう
いう大会があれば、フランス人に比べて不利になるとは思います。でも、いい食材を使って、クラシックな技法で……という、いわゆるフランスの三つ星の料理と、僕のやっている料理では、もうまったくカテゴリーが違う。そもそも同じ土俵に立って戦おうとも思わないし、僕は僕で評価をしてもらえて、それで毎日お客さんが入ればいいと考えています」

自分の強みで勝負する。逆にいえば、欧米人のマネをしたり、フランス人とまったく同じ料理をつくっても仕方がないということ。そしてその強みのひとつが、日本人であることでした。 「たとえばフォアグラのテリー
ヌをつくるのに味噌でマリネをしたり、佐賀県出身なので、唐津焼や有田焼の皿に料理を盛ったり。自分の特徴は何か、っていうことを強く考えるようになったのは、やっぱりバックパッカーをしたときからですね。

いざバッグを背負って出かけてみれば行けないところはないし、飛行機に乗ってしまえば、簡単に世界一周だってできる。せっかく料理の道を目指したんだから、できれば世界で活躍できるぐらいになりたいって」世界を見て自分の強みを知り、さらに高い目標に気づいてアクションを起こす。やはり、あの1年間はたんなる放浪ではなかったのです。

 

 

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2015年02月23日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No7

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DIAMOND 2014年3月31日 http://diamond.jp/articles/-/50897

同じ土俵で戦わず、自分の強みで勝負する 【フランス「レストラン ソラ」吉武広樹シェフ】
2012年に開店からわずか1年強で、『ミシュランガイド フランス』で一つ星を獲得した「フランスレストラン ソラ」。吉武広樹シェフに「どうやって海外に出ていき、どうやって成
果を上げたのか」『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』著者の本田直之氏が、インタビューします。

世界を放浪して見つけた「やりたいこと」
吉武広樹 シェフ Hiroki Yoshitake / Restaurant Sola 1980年、佐賀県生まれ。専門学校卒業後、「ラ・ロシェル」「ル・ピラート」で6年間の修業後、世界を放浪。2008年にパリで修業を始め、2009年シンガポールに「Hiroki 88@Infusion」を
オープン。パリへと戻り、2010年「レストラン ソラ」をオープン、2012年には開店からわずか1年強で、ミシュランで一つ星を獲得した。
レストラン ソラ / Restaurant Sola 12 Rue de l'Hotel Colbert, 75005 Paris,
France Tel +33 01 43 29 59 04 http://www.restaurant-sola.com/

海外でミシュランの星を取っている日本人シェフを、3人も輩出しているレストランがあります。それが「料理の鉄人」でもおなじみ、坂井宏行シェフの「ラ・ロシェル」。そのうちのひとりが、パリのフレンチ「レストラン ソラ」の吉
武広樹シェフです。彼は、福岡の調理師学校を出たあとラ・ロシェルに入ります。3年働いたあと、ラ・ロシェルから独立したシェフがつくった「ル・ピラート」でまた3年、合計6年の修業ののち、1年間バックパッカーで世界を放浪しました。

「アジアからインド、ネパール、エジプトと中東をへて、そこからヨーロッパを回ったあと、アメリカに渡り、そこで1年ぐらい経ってしまったので日本に戻りました。いろんな国を回って思ったのは、フランス料理の偉大さ。やっぱり細かいし、深いし、自分のやりたいのはフランス料理だというのを再確認して、学生ビザを取ってパリに行ったんです」海外に出てみて、本当にやりたいことが何なのか気づくことができた。しかし、料理人として海外に修業に出る人が多いなか、放浪することに焦りはなかったのでしょうか。

「そのときは、すごくいい毎日を送ってたので(笑)。包丁とか、調理道具一式を全部持って歩いていて、泊めてもらう代わりにゲストハウスのキッチンを手伝ったり、日本料理を教えたり。旅の途中で出会った人の結婚式の料理を任されたりもしました。バックパッカー仲間にも、『料理人はいいな、どこに行っても食いっぱぐれないし』って言われていたくらい。1年間海外で働いても、そんなに毎日、新しいものを得られるわけじゃありませんよね。でも、そうやって旅をしてると、もうまったく違う毎日なので」

とくにフランス語の勉強はしていないです。 世界一周をしていたときは英語でしたけど、それもノリで(笑)
大学時代などにバックパッカーとして海外を放浪する人たちはたくさんいますが、何のために放浪するのかという目的がなければ意味はありません。目的がなければ、たんなる旅行で終わってしまいます。彼の場合、はたから見ればキャリアを途中でやめて遊びに行ったように見えるかもしれませんが、1年という時間の投資が、その後の方向性を決めるベースになっていたのです。世界を放浪するくらいだから、語学は堪能かと思いきや、そうではなかったというのも面白いところ。

 

 

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2015年02月22日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No6

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日本にいるより、海外に出たほうがチャンスは大きい
グローバルスタンダードが叫ばれ、インターネットが登場して、世界はつながったかのようにも思えます。世界のルールはひとつだという価値観も広がっていますが、実はそうではありません。むしろ海外との違いが評価されるポイントであり、そうした違いが認められる世の中になってきているのです。今回の本で登場する多くのシェフやソムリエが言っていたのは、海外に行ったほうが勝負がしやすいということ。日本はレストランの数も多いし競争も激しい、それに比べればよっぽど、活躍できる可能性は高いというのです。

そして、日本の文化ややり方が評価されればされるほど、さらにチャンスは大きくなるし、活躍の場もどんどん広がっていくでしょう。料理人をはじめとする、いわゆるクリエイターと呼ばれる人だけではありません。たとえば、営業だったりマーケティングだったり、サービス業だったり、何かを考えて物事を進めていく仕事をしているビジネスパーソンすべてに当てはまります。日本のネットビジネス界にはまだ、海外で通用する企業やサービスは現れていませんが、おそらく私は、ブレイクも近いのではないかと思っています。

それには、まずは誰かひとり、ドーンと大活躍する人が出てくることが必要です。そうすると必ず、「あれ、自分にもできるんじゃないか」と思うフォロワーが現れる。野球の世界だって、野茂選手が出てくるまで、ものすごく長い時間がかかりました。それまで、メジャーで活躍した人はほとんどいないに等しかったのに、多くの選手があとを追って海外に渡りました。野茂選手が努力したおかげで、メジャーリーグの中で日本人に対するリスペクトが広がっていったからでしょう。

野茂選手が出たことでイチロー選手、ダルビッシュ選手が、中田英寿選手が出たことで長友選手、香川選手、本田選手が続くといった流れを、いろいろな業界でつくらなければなりません。そして、活躍した人を表に出して知らせていくことが、これから海外へ行く人たちの参考になると思うのです。2010年代を迎えて、私はやっと日本人が本格的に海外に出ていく時代がやってきたと感じています。料理の世界では、日本にいる私たちがまったく気づかないうちに、ものすごいことが起きているのですから。スポーツ選手から始まり、料理人、そしてビジネスパーソンへ。この流れは加速して
いくだろうし、海外で活躍することは、どんどん当たり前になっていくでしょう。せっかくチャンスがあるのだから、それを生かしたほうがいい。これまで道を切り拓いてきた人たちがやってきたことやノウハウ、考え方をつかみとって、あとに続く人たちの希望になってもらえればうれしく思います。

 

 

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2015年02月21日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No5

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では、なぜそれほどまでに評価されるのか、それは日本人にオリジナリティがあるからです。電車は時間どおりに来るし、街のいたるところには24時間営業のコンビニがあって、治安もいい。仕事への情熱もあるし、何事にも真面目に取り組むロイヤリティの高さもある。これらは誰もが当たり前だと思っているかもしれませんが、海外から見ればかなり特異なことなのです。日本人にとってはある意味で、海外に出れば、努力をしなくてもオリジナリティを発揮できる環境が整ってきたともいえるでしょう。

技術や情報はシェアする時代
料理の世界では、かつて「技術は盗む」ものでした。たとえば「秘伝の◯◯」といったように、とっておきの技術やレシピは、隠して表に出さないのが当たり前。しかし、そうした悪しき伝統は今、だいぶ変わりつつあるようです。今回取材した、ミシュランで3年連続三つ星を獲得している日本料理店、龍吟の山本征治シェフは「盗んで覚えろとか、教えないのは怠慢だ」とまで言っているほど。自分の技術はどんどん伝えるべきだというシェフも増えています。

教える側の考え方も変わってきたし、ネットをはじめ多くの情報に触れられるので、働く側が自分で学ぶことだってできる。たくさんのことを効率よく学べるため、修業の期間も短くなってきた。そうした、料理人が力をつけるための方法や土壌も整ってきていると感じます。中でも、とくに海外に出ていくハードルは、昔に比べて何段階も下がっています。たとえば、私が留学した時代にはインターネットがありませんでした。現在のように、検索をすれば、こういう書類が必要だとか、これを準備したらいいという情報がバーッと出てくることはなかったのです。

当時、留学したいと思ったときにどうするかといえば、行ったことのある人に話を聞いてみたり、わざわざ一度現地まで出かけてみたり。最終的には、何があるのかよくわからないというような状態で海外に行かなければなりませんでした。
料理人だって、修業をしようと思ったら、現地に行って片っぱしからレストランに電話をかけたり、知り合いのつてをたどってシェフを紹介してもらったり。それが今では、インターネットで簡単に働き口を探すこともできます。

今回話を聞いたシェフの中にも、知り合いを通じてフェイスブックでつながったことから関係が始まり、取材をさせてもらったという人もいるほど。情報・通信環境は、ここ数年でより進化してきたと感じます。もうひとつ昔と違うのは、他の人の成功を応援するムードが高まっていること。シェフたちの話を聞いてみても、とにかく日本人みんなが海外で活躍できるように、ノウハウを教え合ったり、たんなる競争相手とは違う関係になっています。

かつては、自分のまわりだけで情報を囲い込もうというマインドだったのが、助け合うという方向に変わってきた。中国人が世界中でうまくいっているのは、華僑のコミュニティをつくって情報や仕事、ノウハウを共有できる仕組みがあるから。私は、年間の半分をハワイで過ごしているので、それがよくわかります。現地では、まわりの日本人からいろいろなことを教えてもらったり、助けてもらったりしていますから。日本人の評価が上がれば、それにしたがってチャンスも広がる。だから情報でもなん
でもシェアして、みんなで成長していこうと考える。そうした、いい雰囲気が醸成されていることも見逃せません。

 

 

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2015年02月20日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No3

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それでも、一生懸命に働き、かつスキルも高い日本人を求めるオーナーも多いのです。たとえば、パリのビストロ「シェ・ミッシェル」のオーナーは、雑誌『クーリエ・ジャポン』の取材にこう答えています。「日本人は、フランス人に比べて、労働意欲が高く、仕事も早くて丁寧。この国から日本人の料理人を閉め出すような法律ができたら、パリにあるレストランの、半分以上はつぶれてしまうだろう」
(『クーリエ・ジャポン』2013年March「もはや日本人料理人なしにフランス料理は語れない」より)

ちなみに、ここまでに名前が出た日本人シェフは、みな自分で店を持つオーナーシェフ。しかし、私がもっと驚いたのは、二つ星・三つ星など有名レストランのスーシェフを務める日本人が多くいるという事実です。スーシェフは、シェフに次ぐナンバー2のポジション、実際の料理の実務をすべて手がける、企業でいえばCOOにあたる重要な存在。たんに使われるだけとか、ちょっと働いて終わりというのではなく、メインストリームで活躍できる人たちがとうとう現れたというわけです。

「日本人がスーシェフをつとめるレストランが急増している今、私たちが食べるフランス料理は本当に“フレンチ”なのか?」(前出『クーリエ・ジャポン』より)
人気料理ブロガーが、こんな問いかけをし、議論が巻き起こったこともあったそうです。しかし今では、批評家は「日本人の貢献がフランス料理を進化させている」と言い、お客さんに至っては「日本人がいると安心する」というくらい評価は定着しました。お客さんから見えないように隠すという時代からすれば、考えられない状況です。今回の書籍に登場いただいたのは、フランス、イタリア、スペイン、そして日本にいながら海外でのプレゼンスもある、15人の日本人シェフとソムリエ。

シェフはほとんどがオーナーシェフとして、ミシュランで星を獲得した人たちを取材しました。今まさに世界を切り拓いている彼らが、どうやって海外に出ていき、どうやって成果を上げたのか。これから海外に行きたいと思っている人はもちろん、今までそんなことを考えてもみなかった人たちにも、その秘訣やノウハウを知ってほしいという思いから今回の本は生まれました。

日本流の「おもてなし」こそ評価される
2013年9月、ブエノスアイレスで開かれたIOCの総会で、2020年の東京オリンピック開催が決定しました。なぜ日本がオリンピック開催を勝ち取れたのか。その背景にあるものと、今回伝えたいこと、この2つはすごく近いのではないかと思っています。IOC総会でのプレゼンで日本が何をアピールしたのかといえば、電車が時間どおりに来るとか、街が安全だとか、サービスが丁寧だとか、人々がマジメだとか……。私たちが日頃、当たり前だと思っていることばかり。

しかし、考えてみれば、時間どおりに電車が来るなんて、オリンピックを争ったスペインをはじめ海外ではありえないこと。海外と同じ土俵で戦うのではなく、日本的なところで勝負する。流行語大賞にも選ばれた、滝川クリステルさんの「おもてなし」の言葉が象徴するように、世界に誇れるなんて思ってもみなかったことが評価されたわけです。言い換えれば、私たちがもともと持っているスキルを出していけば、世界で当たり前に活躍できる。そういうチャンスが訪れているととらえることもできるでしょう。

 

 

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2015年02月19日

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』 No1

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DIAMOND 2014年3月26日

Michelin France 2014年で、日本人シェフの星付きレストランは合計20軒に!
日本人は欧米にあわせるのではなく、元来もっている日本人のよさ、強みをいかして海外に羽ばたく時代がきた!世界で活躍するシェフ、ソムリエ15人にインタビューをして本田直之氏が得た確信とは。

海外では今、日本人の評価が高まっている
もし、日本人シェフが全員いなくなったら、ヨーロッパのレストラン業界は成り立たない。これは嘘でも冗談でもなんでもなく、本当の話。料理の世界で今、日本人がとんでもない活躍をしているということに私が気づき始めたのは、もう3年ほど前になるでしょうか。ここ数年、私はヨーロッパを旅する中で、ミシュラン三つ星から地元の人に人気のビストロや屋台まで、数多くのレストランを訪れました。多くの方は、ヨーロッパでフレンチやイタリアンを食べに行けば、当然シェフはフランス人やイタリア人だと思うでしょう。もちろん私も、最初はそう思っていたのですが、あるとき訪れたイタリアのレストランのシェフから、ひとりの若者を紹介されたのです。

「うちの店に日本人がいるんです。今けっこう、こっちで働いている人、多いんですよ」

その後、今回出版した『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』にも登場してもらった松嶋啓介シェフに出会って話を聞くと、彼もまた「そんな人、いっぱいいますよ」と言います。しかも、かなり多くの日本人シェフが現地で活躍している、と。そうなんだと思って調べてみると、当時ですら、フランスでミシュランの星を獲得しているシェフが7〜8人、そしてその数は年々増えている。これはものすごいことになっていると驚きました。

もちろん、日本のレストランにも、ヨーロッパで働いた経験を持つシェフがたくさんいることは知っていましたが、私の中ではあくまで修業とか研修といったイメージ。まさか現地の有名店でシェフになったり、二番手のスーシェフになったり、メインストリームで活躍しているとは思ってもみなかったのです。野球にしてもサッカーにしても、日本人選手が海外のリーグで活躍することは、ここ10年ほどで当たり前のことになりました。ただ、飲食はスポーツと比べても、より生活に密着したもの。

現地には現地の味覚がありますから、スポーツよりもハードルは高いはずです。そこで、これだけ活躍している日本人が出てきているというのは、何かが変わってきたのではないかと感じました。もしかすると、海外から見た日本人への評価は、私たち日本人自身が感じているよりもかなり高まっているし、日本への興味も増しているのではないか。そんな仮説を持って、ヨーロッパで活躍するシェフたちへの取材を始めたのです。

取材をして得た確信は、日本人に対する評価の高まりが、スポーツ選手やシェフだけでなく一般のビジネスパーソンにまで広がってきているということ。そして活躍するためには、日本人がもともと持っているオリジナリティに、海外で戦うためのノウハウを加えればいい。それを知っているかどうかが重要だということでした。海外でバリバリ活躍するなんて、まだまだ難しいと思っている人も多いかもしれません。でも、気づいていないのは私たち日本人だけ、むしろチャンスに満ちあふれている時代なのです。

 

 

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2015年02月18日

今回のシュリンク業界――ベンチャー系の広告代理店   No5

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「シュリンク脱出」をアナライズする
瀬尾さんをはじめ、この会社で働く社員の収入・待遇面でのシュリンクは、今後どうなるかわからない。経営者が極端とも言えるワンマンであり、率直なところ、策が見つからない。自称「シュリンク・アナリスト」の筆者が、リベンジ策を何とか考えてみた。

1.リストラ後の人事に気をつけよ
会社は大規模なリストラを行なった。このような場合、そこで働く社員は特に3〜4年間は警戒が必要である。大胆な組織変更や、それに伴う人事異動がある可能性が高い。ましてや、経営者のワンマン体制になっているならば、一段と注意すべきだ。降格も退職勧告も大いにあり得る。瀬尾さんにそのあたりを聞くと、すでに心得ていた。リストラに関わった部下(マネジャー)には、「会社から『辞めろ』と言われても自分たちは仕方がない。覚悟しておくように」と話しているという。

だが、今の時期は転職が難しい。せめてここ数年間は、現在の職場で次への準備を模索したい。理不尽な人事を受けないためには、仕事のミスを防ぐことと、トップの気分を害するような言動を慎むことだ。この社長は、あらゆることを掌握していないと気が済まないタイプのようだから、部下からの報告はくどいくらいにするべきだろう。要は、潰されて収入面・待遇面でのシュリンクが起きないよう、防ぐことが大切である。

2.ワンマン社長がいなくなるまで待て!
社長は創業経営者であり、大株主である。社内に労組はなく、刃向う役員も社員もいない。ベンチャー出身の企業によくあるパターンだが、幸いなことに彼は60代半ば。あと、5年以内で退く可能性が高い。後継者を育ててはいないようだが、少なくとも近いうちに本人はいなくなる。

その後で、会社全体のシュリンクについて対策を考えるべきである。独裁的なトップが血気盛んな時期に、妙な行動を取るべきではない。社長は、30代のシーラカンス社員(マネジャー)を関連会社に出向させ、そこで新規事業を立ち上げさせることを好むという。営業出身の経営者の甘い判断にしか筆者には見えない。瀬尾さんによると、やはりこうして立ち上げられた新規事業は、大半が失敗に終わるという。本来、シーラカンス社員ではなく、優秀な社員を抜擢するべきなのだが、それができない。

ドライなようでいて、どこかで浪花節的な考えが残っているのが、このタイプの経営者。それが実は経営者としての魅力でもあるのだが、部下たちはいかなるときも社長の実像を冷静に見つめるべきだ。じっといなくなる日を待つことに尽きる。それもまた、シュリンク防止策になる。

3.会社の体制より自分の立場を考えよ
瀬尾さんはこう語っていた。「もっと市場を見て、価格などを含め広い視野で考え、事業を見つめ直す必要がある」ベンチャー企業は何かを創り、それが大ヒットした場合、その成功体験にしがみつく傾向がある。ところが実際は、それに代わる商品を創ることはなかなかできない。そこまでの体制にもなっていない。資金も人もそろっていない。それでずるずると、かつてヒットした商品にこだわり続ければ、いつしかシェアを奪われ、勢いを失い、消えていく。

瀬尾さんは、それを警戒しているのかもしれない。商品を創るプロセスなどに目を向けて調査し直すことは、企業人として必要である。

だが、商品の改良をするならば、経営者を納得させないといけない。それは、相当に難しい判断を迫られる。社員個人のシュリンク防止を優先するならば、あえて言いたい。人の話を聞かない経営者には、アドバイスは不要。会社の体制については、あくまで個人として研究するレベルに留めるべき。

 

 

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2015年02月17日

今回のシュリンク業界――ベンチャー系の広告代理店   No3

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IT化を進めても営業方式は従来型変化に対応できないビジネスモデル
IT化の体制を整えるものの、それが利益を生み出す事業構造に結び付かない。結局、従来までの「プッシュ型の営業」で乗り越えようとする。こうしたケースは特に資金が不足しがちなベンチャー企業に多く、広告業界でも例外ではない。
こんな問いを投げかけると、瀬尾さんは思うことがあるのか、「うーん……」と少し考え込む。 「ビジネスを変えることができないにしても、収益構造はあの時点で変える
べきだったのかな。

たとえば、契約が成立した時点で、ある程度のお金を頭金としてクライアントから受け取るとか。少なくともサービスインのタイミングは変えないといけない」

会社はその後、上場した。当時、特に営業部はハイテンションだったという。通常、上場の半年ほど前は業績が一段と大切になる。証券会社などの金融機関、証券取引所などによって、注意深くチェックされるからだ。社長はそれを踏まえ、営業部に盛んに発破をかけた。夜の11時に営業マンが客先に向かうこともあったという。 「当時はうちもブラック企業だったけど、彼
らは同じような会社に交渉で行っていたんだろうな……」

若くして活躍してもその後伸び悩む 20代からバカにされる「シーラカンス社員」
私は、営業マンたちのその後を知りたかった。ベンチャー企業で活躍する20代を観察していると、30代になって伸び悩む傾向がある。瀬尾さんはこう答える。 「20代でマネジャーになり、多くの部下を持っ
た人は、その後能力が止まり、30代で辞めていった。彼らのうち残っているのは今、30代半ば〜40代前半くらいの十数人。部下の20代からバカにされて、目も当てられない。まるでシーラカンスみたい。うちでは20代で活躍すると、30代は絶対にダメになる」

シーラカンス社員のどこに問題を感じるかと聞くと、こう捉える。 「会社や職場が成長すると、本来、そのスピードに合わせて自分も進歩しないといけない。彼らには、成長しようとする意欲がない。うちのようなイベントなどをして利益を得る会社は、変化に強そうに見えて、弱い。特に彼らは変化についていけない」 その理由を尋ねると、瀬尾さんはやや大きな声で語る。 「シーラカンスた
ちも上場の際、ストックオプションなどで結構なお金が入った。

20代で家や高級外車を買って……。それで上がり!と思い込み、後は成長意欲を失くしていった。当然ですよね。物質的には満たされているわけですから」

「10年近く経った今、彼らの仕事には深みがない。しかも、20代の頃に滅茶苦茶な仕事のやり方を教えられている。今の年齢とキャリアでは、転職も難しい。社長や役員たちも、配転をしたりして辞めさせようという点では、コンセンサスができている。だけど、なかなか辞めない。理想を言えば、彼らを支援する教育体制が社内にあればいいのだけど、そんなシステムはない」 私には、イメージが湧いてくるようだった。

 

 

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2015年02月16日

今回のシュリンク業界――ベンチャー系の広告代理店   No2

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動物的な嗅覚でチャンスをゲット創業経営者に見る「負のエネルギー」
私は、この20年間ほどで創業経営者を百数十人は取材してきた。創業数年間で会社を数百人規模に拡大していく社長の過去を調べると、「傷」を持った人が目立った。たとえば、子どもの頃に親が離婚、父親に家庭内暴力をふるわれた、中学から高校にかけていじめを受けた、非行に走った、社会人になった後離婚や家族の自殺などに遭遇した――そんな経歴を持つ人が多いのである。そこで、「こういう“負のエネルギー”は創業期には必要なのではないか」と聞いてみた。

瀬尾さんは「一時期までは大切なのかもしれない。実際、うちの社長もガッーと行きましたから……。辞めていった社員など、恨んでいる人も多いとは思いますけどね」と言い、少し黙る。どこまで話すべきかを迷っているように見えた。

借金の督促や警察のマークをかわす創業期を乗り切ったパワフルな営業 その後、こう続けた。
「だけど、その路線はどこかで行き詰まる……。他の役員や管理職は、社長が何を言っても聞かないから、自然と避けるようになる。すると、社長は『俺を裏切った』と怒る。その人を重要なポストから外したり、配転でやる気をなくさせ、辞めるように仕向ける」 これは業界を問わず、業績が頭打ちになり、伸び悩むベンチャー企業によく見られる光景である。「ベンチャー企業=実力主義」と称えるメディアや識者は、このあたりは不問にしている。

少なくとも、業績が伸び悩むベンチャー企業は辞めていく人が多く、社員間でノウハウなどが共有されない。組織として安定的に稼ぐシステムがつくれない。創業期に多い、個人事業主の集まりのような状態のままであり、組織の力を生かした戦い方ができない。瀬尾さんは、創業から5年ほどは採用で優秀な人材を選ぶことができなかったと漏らす。 「入っては辞める、の繰り返
し……。クリエイティブ部門は人気があるから、それなりの人を獲得できた。

でも、営業がね……。人気がないから……。広告は華やかに見えても労働集約型産業。うちみたいに営業力を売りとしているなら、なおさら兵隊(営業)の数を維持することは必要」 「創業期で採用力が高くはない
のに、なぜ次々と人を雇うことができたのか」と聞いてみた。私が取材をしてきたベンチャー企業は、中途はともかく新卒の採用については、特に創業期は難しい。そこを乗り越え、新卒採用に早く踏み込んだ企業は、比較的安定しながら業績が上がっていく。

「新卒のほうが定着率は高く、中途半端な力しか持たない中途の社員よりは組織に素直に馴染み、その会社流の仕事の仕方を早く覚える」と、経営者たちは口をそろえていた。瀬尾さんは、なつかしそうな口調で振り返る。 「そうなんで
すよね。新卒採用は大事。うちは社長が、『ハコが大切』と言っていた。オフィスですよ……。それで借金して、立派すぎるビルに入った。その後は新卒も含め、ポテンシャルの高い人が来るようになった」 創業時の借金のことを尋ねると、返すことがなかなかできなかったという。

金融機関から督促もあった。警察から電話が入ったこともある。瀬尾さんいわく「警察は営業マンたちの“つつもたせ”について調べていたのかもしれない」と話す。今は各社のホームページを見ると、様々な案件についてきちんと価格表が載っているから、広告代理店の間で価格競争が起き易い。だが、この会社の創業期には、価格競争は浸透していなかった。そこで、いかがわしい営業も水面下では行なわれていたという。さらに瀬尾さんは言う。

「社長が見栄を張り、借金を繰り返した。社員から金を借りて、返せないこともあった。もう、有象無象ですよ。あの頃、変だなと思ったのは、売上と人の数が正比例すること。営業部員の数がそろわないと、売上が増えない。ITを売りにしていながら……。この収益構造がその後、リーマン(2008年)で破綻しかけるんですよ」

 

 

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2015年02月15日

今回のシュリンク業界――ベンチャー系の広告代理店   No1

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大リストラ後に残ったのは「シーラカンス社員」ばかり!敏腕広告マンが危ぶむ不況に勝てぬベンチャーの本質 ――ベンチャー系の広告代理店社員・瀬尾雄太さん(仮名)のケース

業績悪化でリストラを推し進める広告業界のベンチャー企業に長年勤める男性を取材。彼は、十数年前の創業当初から現在に至るまでの「生き証人」である。この業界でベンチャー企業がシュリンクしつつある現状とその理由を聞き、そこで働く社員が自らのキャリアや生活をシュリンクさせないための心得を提言したい。

あなたは、このような職場で働くことができるか?
電通が発表する「日本の広告費」によると、マスコミ4媒体(新聞、雑誌、テレビ、ラジオ)の市場規模は、2005年に3兆7408億円となって以降、6年連続で減少。2008年のリーマンショックを経て、2011年には2兆701億円となった。一方で2005年に3777 億円だった
インターネット広告費は、2011年には2倍以上の8062億円に伸びている。 このように、広告業界における経営環境は、SNSやスマートフォン、電子書籍などの登場により、大きく変化している。

新たな有望市場を掴もうと新規参入するベンチャー企業は多い。時流に乗った業者が順調に業績を伸ばしている一方、変化の速さについていけない業者は淘汰されやすい。それは、起業時に世間の注目を浴び、現在は一定規模に成長しているベンチャーについても同様である。

ネットブームにいち早く乗って1人勝ち名物ベンチャーが足もとで抱える不安
取材中の瀬尾雄太さん(仮名)。ここ1年は、リストラで社員が減り、仕事が増えたという。「40歳をこえて、深夜まで仕事をするとは思わなかった」と漏らす。 「売上は、700億円前後から半分以下にシュリ
ンク。社員は800人ほどから400人くらいに減った。どうなるんだろうね……。今後は……」 イベント関連の案件を主力とする広告代理店のクリエイティブ部門で部長代理を務める瀬尾雄太さん(仮名・41歳)は、社内の状況をこう語る。

2008年秋のリーマンショック以降、多くの企業がテレビCMやイベントなどを次々と打ち切り、広告業界は苦境に陥った。広告関連業者の倒産件数は、中小を中心に増え続けている。この会社は30年ほど前に、現在の社長(66歳)が大手広告代理店の営業を担う代理店として始めたベンチャー企業だった。当時から社長は、下請け的な扱いに不満を持っていた。大手業者と中小業者の二極化があり、いったん「下請け」になると、なかなか抜け出せない構造があった。

1990年代後半にインターネットが浸透すると、大手広告代理店と袂を分かち、独立。社長は、いち早く現在の会社を興し、ウェブサイトを前面に押し出した企業プロモーション・サービスに乗り出した。当時は金融不況直後ではあったが、企業の広告への意欲は変わらず、社長はそれがITにシフトすると睨んだ。この分野でのサービス開始は業界では相当に早く、1人勝ちに近い状態だった。このIT路線は、今も同社の“財産”となっている。

創業当初は社員が十数人で、その中に瀬尾さんがいた。29歳のとき、中途採用で入社した。ウェブサイトのプロモーションは大ヒットし、売上は数億円から90億円ほどになった。1998年から2003年頃までに、社員数も300人ほどになった。
私が社長の商機を逃がさないセンスを称えると、瀬尾さんは「ビジネスチャンスを見極める嗅覚は動物的で、まさに天才的」と答える。

「ただし、現場にいる自分たちからすると、理解できないものを持っている。人の言うことはまず聞かない。幼少の頃からの生い立ちも……ご苦労されたみたい。だからなのか、人を信じない。信頼できる人をつくれない……可愛そうなくらいに孤独な人」

 

 

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2015年02月14日

転落した元エリート官僚からの進言

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141001/271982/?n_cid=nbpnbo_rank_n

毎度のことだが、今年も企業絡みスキャンダルで失脚する経営者が絶えない。反社会的勢力への融資を放置していたとして、みずほフィナンシャルグループの塚本隆史会長が辞任し、トラブルが相次ぐJR北海道の野島誠社長は安倍政権によって更迭させられ、ゲーム・コンテンツ制作会社インデックスの落合正美会長と、妻の落合善美社長は粉飾決算の疑いで逮捕された。 スキャンダルの渦中にいる人には、余人には想像できないほどの重圧がかかっているに違いない。
STAP細胞を巡る疑惑を追及されていた理化学研究所の笹井芳樹氏のように、最悪の場合、自殺に至る時もある。

「当時の心境を教えてほしい」
セーラー万年筆の中島義雄社長。大蔵官僚時代にスキャンダルで失脚したが、経済界に居場所を見つけた  今年8月、セーラー万年筆の中島義雄社長をインタビューしていた時、
そう尋ねた。中島氏は大蔵省(現財務省)の元キャリア官僚である。同期の出世レースで先頭集団を引っ張り、事務次官候補の一人と目されていた。しかし、順風満帆に思えたキャリアに突然、終止符が打たれる。民間から過剰な接待を受けていたなどとして、マスコミの集中砲火を浴び、1995年に“失脚”した。

「何を信用していいか分からず、茫然自失に陥った。報道は、身に覚えのない下半身にまつわる話など、でっち上げが少なくなかった。人格的にも随分と傷付けられ、心はボロボロになった。親しい弁護士に依頼してマスコミ各社に抗議文を送り付けたが、全く効果はなかった。一度、世論が形成されると、もはや抵抗はできない」 マスコミや世間の餌食となった中島氏は、一方で本当の友人が誰であるかを知った。「つらい思いで大蔵省を辞めた時、私から去っていった人がいた。

大蔵官僚の権力を目当てに、打算的な意図をもって近寄ってきた人たちがいかに多かったかを、思い知った。今思えば、上辺だけの人付き合いだった。ただ、信用してくれる先輩や、古くからの友達は、随分と激励してくれた」

京セラ稲盛氏に与えられたチャンス
エリート官僚という衣を脱いだ時、虚飾の人間関係が削ぎ落とされ、中島氏は「素の自分」として新たな人間関係を育んでいく。 「大蔵省を辞めて留学していた米国から帰国すると、京セラの稲盛和夫・名誉会長が声を掛けてきてくれた。自分が若い頃、次世代の経済界リーダーと嘱望されていた稲盛さんを、大蔵省や通産省(現経済産業省)の官僚が囲む勉強会があった。私は大蔵省の幹事として出席し、随分と生意気なことを言っては叱られたりしていた。

その頃のことを稲盛さんは覚えていてくれて、『出直す気があるならウチにこないか』と言ってくれた」収入もなく、藁にもすがる思いだった中島氏は京セラに入社し、当時、経営を支援していた三田工業(現京セラドキュメントソリューションズ)の立て直しを任された。その後、船井電機に移り、2009年にセーラー万年筆の社長に就く。スキャンダルにまみれて失脚した元官僚は、経済界で第二の人生を歩んでいる。

再起に必要なのは志と努力と笑顔
「残念ながらこれからも企業のスキャンダルは絶えないだろう。突然人生が暗転する経営者がいたら、どんなアドバイスができるだろうか」。取材の最後にそう聞いてみた。「明るい顔をしていれば、道は開ける」と言うセーラー万年筆の中島義雄社長
 「偉そうなことは言えないが、人生は七転び八起きだ。志を捨てずに、負けてたまるかという気持ちで、前向きに努力し続けてほしい。そうすれば、おのずと周囲が手を差し伸べてくれる。最初から他力に頼って、努力もせずに助けてもらおうとしてもうまくいかない。

またつらそうな顔をしていても、いい知恵は出てこないし、周囲もさほど同情してくれない。あまりくよくよせずに、明るい顔つきをするよう努めれば、道は開けてくる」 どこかで聞いたことのあるような平凡な助言だが、中島氏は志と努力と明るい顔で、確かにどん底から這い上がった。復活への近道はないということだ。 絶望的状況にあって、希望を捨てずにいられるかが試される。陳腐な結論かもしれないが、実際に中島氏のように復活できる人が少ないという事実は、それがいかに難しいことなのかを物語る。

 

 

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2015年02月13日

医療観光  No3

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医療観光 タイ活況 3つの魅力、欧米・中東から次々 ホテル並み病院・高水準・低負担 
日本でも外国人患者を誘致する医療観光(メディカルツーリズム)に関心が高まっているが、この分野で実績を重ねているのはタイ。高い技術、充実したサービス、低価格の3点セットをセールスポイントに欧米や中東の患者数が伸びている。豪華ホテル並みと評判の先進病院を訪ねた。カンボジアで活動する非政府組織(NGO)の明(あけ)博志さん(39)がバンコクのバムルンラード国際病院に緊急搬送されたのは2月8日だった。 

明さんは前夜、カンボジアの首都プノンペンで転倒、あごを複雑骨折した。地元病院では十分な治療ができないと判断され、空路運ばれて13日間入院した。 シャワー、トイレ付きの個室。薄型の大画面テレビでNHKの海外向け放送が見られ、インターネットも使えた。加入していた保険の手続きは日本人スタッフがやってくれ、病院への支払いは不要だった。「安心して過ごせた。流動食だったので、おいしいと評判の病院食を体験できなかったのが残念」。明さんは退院後、大阪の実家に戻り順調に回復、3月末にはカンボジアに戻った。

13言語の通訳。バムルンラード国際病院の昨年の患者数は約110万人。うち4割近くを外国人が占める。13言語に対応できる100人超の通訳。各国料理をそろえたレストランにスターバックス。イスラム教の礼拝室もある。ビザ延長や観光案内も院内で請け負う。民族衣装の患者が行き交う光景はリゾートホテルと見まがうばかりだ。同病院の患者は以前はタイの富裕層が中心だったが、1997年のアジア通貨危機で減ったことなどから欧米人をターゲットにした。

2001年の米中枢同時テロ以降は中東からの患者が急増した。入国や滞在に厳しくなった欧米を敬遠してタイやシンガポールに流れたためだ。 医療費の自己負担が重い欧米に比べ、アジアは割安。高度な治療の場合、「旅費、滞在費を含めても安い」(同病院)。同病院には大学病院や別の医療機関の高名な医師も診察に来ており、指名できるのも魅力だ。タイのほかシンガポールやインドなどが患者獲得にしのぎを削っている。

日本から視察
医療観光市場が活況を帯びる中、日本からの患者は低迷している。同病院の昨年の日本人患者数は約3万8千人。国別では、アラブ首長国連邦、米国に続いて3位。ただ大半はタイ在住者。明さんのように周辺国からも来るが、日本から直接、訪れる人は少ない。 一定水準の医療サービスを国民皆保険で受診できるため、通常の治療にわざわざタイに来るメリットは低いのが現実だ。一方で、バンコクの病院には日本からの視察が相次いでいる。

医療法人や行政の担当者が、中国などの富裕層を視野に医療観光のノウハウを学びに来ているのだ。バムルンラード国際病院の田村優子・日系市場セグメントマネジャーは「日本の医療水準は問題ないが、患者を誘致するには、医療知識と語学力を備えたコーディネーターが重要。そこが充実してこそ、安心して外国で治療を受けてもらえる」とアドバイスしている。

ワードBOX=医療観光(メディカルツーリズム)
医療費の高い欧米の人が、割安なアジアに出掛ける傾向は10年ほど前からあった。シンガポールを先駆けにタイ、マレーシア、インド、台湾などが力を入れている。これらの国は観光資源も豊富で、治療と一緒に観光を楽しむ人もいる。
欧米や日本で学んだ医師も多い。日本からの患者は美容整形や性転換など保険が適用できない分野が多い。日本でも成長市場として注目され、経済産業省や観光庁が調査を始めた。外国人患者の誘致に積極的な病院もある。

 

 

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2015年02月12日

医療観光  No2

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今後、成果を生かし、改善に役立てる方針だ。観光庁は6月、上海で開かれる旅行博覧会(ALTM)で、医療観光のブースを設ける予定だ。関係者たちは10年を「医療観光元年」と位置付ける。ただ、地方を中心に医師不足による「医療崩壊」が指摘されている中、海外の富裕層患者を優先することで、国内医療にしわ寄せが行くことを心配する声もある。  「医療観光」に関する著書
がある医師の真野俊樹・多摩大学教授は「現状では外国人患者が治療を求めて大挙押しかけるとは考えにくい」としながらも、「民間病院を中心にどこが担っていくかの選別と整理はきちんとすべきだ」と指摘する。(高野真吾)
   
〈医療観光(メディカルツーリズム)〉 治療目的で外国に行き、滞在先で観光もする。医療といっても、がんや心臓手術などの高度医療から美容整形、健康診断まで幅広い。外国人患者の受け入れ数が世界で最も多いのはタイで、年間約140万人(2008年)。医療観光による年間収入は約1920億円に上る。政府の後押しと治療費の安さが理由だ。米民間会社の推計では、10年の医療観光の世界市場は1千億ドル(約9兆3千億円)規模とされる。

日本の「医療観光」推進 まずは中国で「院内病院」開設
福岡県北九州市の病院と中国の病院はこのほど、日本の医療機関で治療を受ける外国人患者を増やす目的で、中国の病院内で日本人医師が中心となって治療にあたる「院内病院」を共同で開設することとなった。より多くの中国人患者に日本の医療レベルの高さを知ってもらうことが狙いという。日本新華僑報網が伝えた。今回の「院内病院」開設協力プロジェクトは、狭心症治療のための心臓カテーテル手術で名高い北九州市小倉記念病院と中国遼寧省の鞍山市中心医院によって進められる。

双方の協力協議合意によると、小倉記念病院は2012年から、高度な医療技術を持つ医師を交代で鞍山市中心医院内の「院内病院」に派遣、中国で中国人患者の治療にあたらせる。また、この「院内病院」の存在を通じ、中国人患者に日本の医療水準の高さを理解してもらい、日本を訪れ治療を受ける中国人患者を増やすことを意図している。小倉記念病院は、日本のその他の病院にも同プロジェクトへの参加を呼びかける方針という。小倉記念病院は「日本の医療水準の高さは、世界の人々にあまり知られていない。

中国の病院との提携を通じて、外国の患者さんに日本の医療技術のことをもっと良く知ってもらい、日本で高水準の治療を受けるという選択肢を持ってほしい」と話している。小倉記念病院が中国の病院と提携し、日本を訪れて治療を受ける中国人患者を誘致することを手始めに、日本で治療を受ける外国人患者を徐々に増やし、「医療観光」事業を発展させる方針について、日本観光庁医療観光推進室は「医療観光の分野では、日本はタイやシンガポールに遅れをとっている。今回の取り組みが成功すれば、日本にとって新しい可能性が開けるのではないか」と期待を寄せている。(編集KM)

 

 

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2015年02月11日

医療観光  No1

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受け入れ着々 外国人患者に高水準アピール
このところ「医療観光」という言葉をよく耳にします。治療や健康診断のため、外国に出かけることです。海外では、医療費の安さや満足できる技術を求め、患者が抵抗感なく国境を越えるようになっています。日本でも、高水準の医療を売り物に外国人を誘致する取り組みが始まっています。

■がん手術、依頼はメール
「具合は良さそうですね」。今月中旬、東京都江東区の癌(がん)研有明病院の診察室で、比企直樹医師が米ロサンゼルスから来た女性患者(59)に英語で語りかけた。女性は2年前、同病院でおなかを大きく切らずに済む早期胃がんの腹腔(ふくくう)鏡下手術を受けた。この日は半年に1度の検診の日だった。  がんと分かった後、女性は体への負担が少ない手
術方法を探した。インターネットで見つけた論文で比企医師を知り、メールで手術を依頼した。

これまでの数度の来日で新宿、原宿を見て回り、伊勢丹で買い物をした。鎌倉も訪れたという。今回は同行した息子(36)も胃がんの検診を受けた。 150万円程度とみられる手術代は全額自費。
毎回の検診時の渡航費用もかかる。
だが、女性は「比企医師や看護師たちの対応もすごくいい。術後の経過も順調で、非常に満足だ」と話す。 有明病院では同じような患者が増えている。「医療観光」の患者は2
008年度が9人だったのが、09年度には22人に。

患者の国際化に対応するため、昨年11月に院内に「国際医療チーム」を立ち上げ、月1回の会合を開いている。外国人患者の受け入れや治療費支払いに関する基準作りなどにあたっている。 千葉県鴨川市の「亀田メディ
カルセンター」でも、海外からの患者が増加し、昨年は約50人にのぼった。海外からの問い合わせのメールは、ほぼ毎日5、6通届く。 同センターは昨年8月に日本で初めて、国際病院評価
機構(JCI)の認証を取得した。

JCI認証は医療機関の国際的な信頼度を担保する指標の一つで、外国人の患者や国外の保険会社が病院を選ぶ際の目安になる。現在、日本の看護師資格の取得を目指す4人のフィリピン人が働いている。今夏までには、中国人で既に資格取得済みの看護師を複数雇う予定だ。将来は13階建ての入院病棟のワンフロアを「外国人専用」とする構想もある。亀田隆明理事長は「他病院のJCI取得にも協力していきたい。医療の国際化は、結果として医療レベルの引き上げになり、日本の国民にも喜ばれるはずだ」と語る。

■通訳・ツアー業界動く
「医療観光」の関連ビジネスも盛り上がりつつある。
大阪市北区にある通訳者・翻訳者養成学校「インタースクール」大阪校では21日、「医療通訳コース」の年間講座が始まった。生徒たちは「触診」「視診」などの医学用語の英訳を学ぶ。生徒の大曽根知美さん(37)は「きちんと医学的知識を持った通訳ができるようになりたい」と話す。 昨年から、大阪や東京など全国5校で本格的な医療通訳の講座
を始め、約80人が受講した。今春からは中国語コースも設けた。

旅行業界も動く。日本旅行は昨年4月、中国の富裕層向けに、全身を一度で診る陽電子放射断層撮影(PET)検診ツアーの販売を始めた。観光とセットで費用は100万円を超すが、今年2月末までに43人が参加した。藤田観光も今春からPET検診ツアーの募集を始めた。最大手のJTBも「医療観光」を専門に手がける部署を設立した。 政府も後押しする。経済産業省は
09年度まで、医療通訳や入国制度で問題がないか探る実証試験として、中国などから24人を招き、健康診断を受けてもらった。

 

 

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2015年02月10日

海外向け医療ビジネスの皮算用 No2

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徳州会のような日本的な「ミドルコスト・ミドルサービス」は、著名な個人医にかかるほどの余裕はないが、公的医療に満足していない欧州の中流層に受ける可能性がある。「アジア内需」として日本の医療機関に新たなチャンスとなりそうなのが、中国やインドなど大人口国での中流層の急膨張だ。中国は13億人の人口のうち、1億5000万人程度が世帯年収250万円以上の中流層とされる。中流層はマイカーやマイホームを手に入れた今、「食の安全」や「医療」「老後」に関心を移しつつある。無農薬有機野菜を買うように安全で高度な医療を求め始めているのだ。

中国では医療も「日本」がブランド
そうした中流層の特徴は「メード・イン・チャイナ」への不信感だ。資生堂の化粧品でも中国生産品は買わず、わざわざ日本に旅行に来て買ったものを使用するように、医療についても日本の病院や医師に対する信頼や評価が高い。
すでに北京には日中友好病院の国際医療部のような日本人医師の駐在する病院もあるが、日本レベルの医療はまだ提供できていない。中国の中流層向けの医療サービスの潜在ニーズは極めて高いといってよい。

中国の病院は「中医(中国医療=漢方)」と「西医(西洋医療)」の折衷的な医療が多いが、中流層には中医不信が強い。さらに、「西医」であっても使う薬品が中国製の場合、まがいものが含まれるケースがあるため、なかなか信用しないのが普通だ。「日本の病院が西医中心で、日本から調達した薬品を処方することができればかなりの高額でも患者はいとわないだろう」と中国の医療関係者はみる。中国においては「日本」ブランドが今後の病院展開などで有効なのだ。

インドも中流層向けでは中国に近い市場性を持っているが、中流層の厚みや医療サービスへの支出は中国に比べ、まだ5〜10年は後れているとみていい。インドをはじめアジアの途上国向けには、より上流層の患者にターゲットを絞っていくのが経営的には適切だ。日本の病院設計や建設、運営のノウハウを生かし、現地にない近代的な病院を展開すれば、現地の公的医療保険の適用外でも患者を集めることができる。課題は日本からの医師などスタッフの派遣をどれだけ限定し、人件費などのコストを抑制できるかだ。

レントゲン写真やMRI、CTスキャンなどの解析が現地では難しいものは、インターネットを活用し、日本の病院で専門家に診てもらうなどITの活用が実は経営上、重要なカギを握ってくる可能性がある。日本の医療機関の海外進出は、ようやくスタート台についたばかりだが、グローバル市場で高レベルの医療サービスのニーズが拡大しているのを見れば、大きなチャンスがある。問題は海外で外国語を使って診療活動をしたり、スタッフのマネジメントができたりする人材の育成だ。商社や製薬会社の協力、大学との連携も欠かせない。

 

 

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2015年02月09日

海外向け医療ビジネスの皮算用 No1

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「アジア内需を取り込め」。日本の産業界の合言葉になっているフレーズだが、典型的な内需型ビジネスだった医療界にもアジアなど海外での事業拡大を目指す動きが少しずつ広がり始めている。今、世界的にまず目立っているのが自国外で検診や治療を受けようというメディカル・ツーリズムの動きだ。先進国からアジア、東欧などの低コスト国に旅行し、現地で2週間から数カ月といった時間をかけ、病院にかかるケースだ。

途上国の医療水準が特定の病院に関しては急激に向上していることに加え、新しい病院であればあるほど最新鋭の設備を備えている点に優位性がある。米国では心筋梗塞の治療となる心臓バイパス手術は6万〜8万ドル掛かるといわれるが、タイの外国人向け病院では2万ドル程度ですべて賄え、患者にはコスト的な魅力がある。一方、日本では「MRIで診断を受けたいものの、閉所恐怖症で無理」という患者が、韓国やタイなどで最新鋭のオープンMRIを備えた病院を訪問するケースが出てきているという。

サウジアラビアやカタールなど中東産油国の富裕層は従来から介護などのサービスレベルに注目し、タイやマレーシアの病院に入院するケースもある。ただ、そうしたメディカル・ツーリズムは日本の医療界にとって顧客の海外流出になっており、決して歓迎すべき動きではない。そこで、逆に日本の医療機関、医師、看護師などが海外に進出し、現地需要を獲得しようという動きが出ている。医療の日本国内の需要は伸び続けており、内需が飽和化したわけではないが、診療報酬の頭打ち、薬価の引き下げなど経営的には厳しさを増しており、海外で高付加価値の医療需要を取り込もうとするのは、当然の動きといえる。

欧州の中流層にも浸透する可能性が
日本において海外での病院経営の嚆矢となったのは、医療法人徳州会のブルガリア進出だろう。ブルガリアは高度な総合的医療を行える大病院が少ない一方、外資規制が緩かったことが決め手となり、2006年12月に1016床のベッド数を誇る大病院を首都ソフィアにオープンさせた。外来、入院の両方を完全に分化させて展開しており、周辺の東欧諸国からの訪問患者もいるという。徳州会は病院の合理的な運営・管理に独自のノウハウを持っており、それを強みに国内で病院チェーンを展開してきたが、それをグローバルに広げる狙いといえる。

ブルガリアは欧州連合(EU)加盟国であり、EU域内での医療活動に国境はない。医師や看護師などの移動も自由なことから、ブルガリアで育成した医療スタッフを活用してEU域内に病院チェーンを展開することも可能だ。欧州の医療サービスの水準は国によってまちまちだが、イギリス・ロンドンの著名個人医のような「ハイコスト・ハイサービス」か、完全な公的医療で入院が数カ月待ち、初診に1日がかりといった「ローコスト・ローサービス」に二極分化しているケースが多い。

 

 

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