2015年01月23日

「失われた20年」は、実は「成長痛の20年」でした      No4

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下のグラフは、東京証券取引所における、1998年から2012年の間の株主の内訳です。このグラフから分かるように、現在海外投資家は全投資家の3分の1を占めています。これは日本の企業の経営者の多くにとって、懸念材料です。以前は、国内の銀行や企業などが安定株主となり、株式持ち合いをしていました。そして安定株主が求めていたのは、最善の経営や利益ではなく、長生きできる企業だったため、当時の企業は収益さえ安定していれば十分だったのです。

これは、企業を長い目で経営できるという点では良かったのですが、経営者にあまり責任はなく、業績が悪くても生き残れたため、“甘え”が生まれるという悪い点もありました。それに対して、新しい投資家たちは投資の見返り、すなわち株式資本利益率、総資産利益率、営業利益率などの利益率を重要視しました。そのため、常に最善の経営を求めました。もし企業の経営が良くないと判断したら、その株を売ったり、敵対的買収を行ったり、経営者を変えたりして、経営を改善しようとします。このため突然、日本企業は企業規模ではなく、業績を気にしなければいけなくなったのです。

これは経営陣にとって、今までとは全く違う、意識の方向転換が必要になった、ということです。利益を上げられない子会社を維持することができなくなりました。「これで十分」という妥協点がなくなりました。最善を尽くした経営をしなければ買収されるかもしれないという恐怖が芽生え、利益率を上げようと意識するようになりました。これらの結果、海外との消費者向け商品の競争が始まっただけでなく、国内においても目覚ましい変化が起きていたのです。

小泉改革と企業再生
2000年代初期になると、小泉純一郎元首相が、“民間ができることを民間に委ねる”をキャッチフレーズにさらなる改革をしました。この改革により数え切れない数の法律改正があったのですが、ここでは、3つの重要な変化についてお話します。

第1に、企業再建に関する法律が改正されました。それまでは、ビジネスからの撤退、子会社の独立、子会社と他社との合併などは、ほとんど不可能でした。しかし90年代初期から規制が緩和され、今では大企業による、利益が見込めないビジネスからの撤退や、重要ではない子会社の売却が可能になりました。つまり、事業ポートフォリオの再建が可能になったのです。それから毎年のように新たな規制緩和が進められ、2006年には会社法が施行されました。

これにより、大企業の経営者の、経営戦略の選択肢が著しく広がりました。 この変化は企業形態にも影響しました。旧山之内製薬と旧藤沢薬品工業が合併し、アステラス製薬が生まれ、製薬業界の合併の波が始まったのが良い例ですが、大きな合併が増えました。それから、新日本製鉄が半導体ビジネスから撤退し、そのビジネスを担当していた社員が、アクセルというパチンコ台に使われる半導体をデザインする企業を起業した、といったような、大手企業から分離独立する形の新しい企業も増えました。

また、いくつかの親会社が、あるビジネスから同時に撤退し、そこで切り離された部署が合併して、1つの大きな企業になるという“子会社の結婚”も増えました。例えばエルピーダメモリは、1999年に、日立とNECがDRAMビジネスから撤退した時に生まれました。各産業における昔ながらの階級制度が解体されたため、新しい企業が市場に参入し、競争しやすくなりました。

このようにして、会社法の改正は、企業のリポジショニングや変革を可能にし、新しい企業を繁栄させたのです。そして、この改革や新しい競争を通じて、楽天、ソフトバンク、DeNa、テンプスタッフなど、数々の新しい企業が、力をつけました。

 

 

posted by タマラオ at 05:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記