2015年01月22日

「失われた20年」は、実は「成長痛の20年」でした      No2

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1つ目は、国内市場が変わったことです。以前は、輸入制限や、小売業に関する厳しいルールなどにより、価格競争が制限されていました。しかし、流通革命や電子商取引が始まったことにより、保護を受けながら輸出に専念していた市場から、激しい競争をしながら、消費者に幅広い種類の商品と価格を提供する市場に変わったのです。

2つ目に、国際競争が変わりました。例えば、電子機器には国際市場に消費者向け商品を大量生産し、輸出する役割は、日本企業から韓国、台湾、中国の企業に移りました。そして、今度はグローバル市場で競争するために、日本企業の変革が必要でした。

この変革は痛みを伴う厳しいものでしたが、未来の成功のためには必要なものでした。しかし、すべての企業がこの変革を乗り越えられたわけではなく、昔と同じ方法で経営している企業もあります。私はこれらの企業を、“オールドジャパン”企業と呼んでいます。それに対し、この新しい競争市場で積極性を発揮し、成功している企業を、“ニュージャパン”企業と呼んでいます。 この変革は、90年代の深刻な危機から始まりました。

たくさんの銀行や中小企業が倒産し、新規雇用が減り、リストラが増え、ホームレスや自殺などの社会問題が多発しました。そして、日本の転換期である1998年に、新しいグローバル社会に適用できなかった日本の高度成長は終わりを迎えました。しかし、これは必要な変革でした。古いしきたりばかりでお堅かった戦後の日本から、優れたテクノロジーを活用し、グローバル社会で競争できる日本に成長しなければいけませんでした。

そして20年間に及ぶ変革期で、古い保護型のシステムを捨て、新しい競争型のシステムを取り入れるために、“成長痛”に耐えなくてはいけなかったのです。

「産業政策」は日本の発明したコンセプト
第二次世界大戦後、日本は欧米に追いつくために、素晴らしいシステムを作りました。それは経済用語で、輸出主導型成長、そして「幼稚産業保護型システム」と呼ばれます。旧通商産業省を中心に機能したこのシステムは、「産業政策」と呼ばれます。日本ではすっかりおなじみであるこの産業政策という考え方は実は、後に”industrial policy”と英訳され輸出された、日本の発
明品です。 

このシステムでは、市場競争よりも政府が成長見込みのある重要な産業を特定し、その中でも特に成長見込みの高い“勝ち組”企業を支援します。この産業政策によって、日本は古い産業(50年代で言えば玩具や繊維工業など)から撤退し、新しい産業(機械工業、鉄鋼業、造船業、73年の石油危機以降は電子産業など)を育てることができました。  この頃の目標は、とにかく最大限
輸出し、外貨準備を確保し、日本を立て直すことでした。

政府は、研究費や生産を効率化するために競争を制限し、“勝ち組”企業が多様化しながら企業規模を大きくするように誘導しました。その間に、企業の良し悪しは利益率ではなく、売り上げや市場占有率など、企業規模によって測られる、という考え方が生まれました。 大企業のリーダーは財界のリーダーでもあり、小さな企業は“負け組”でした。大企業に就職できれば、家族も喜ぶし、女の子にもモテるため、若い男性はみな大企業で働こうとしました。

そのため、大企業は優秀な大学生を真っ先に採用することができました。 しかし、まるで“宗教観”のようなこの考え方は、実は世界共通ではなく、日本独特のものです。大企業に人気が集中するのは実はとても非合理的なことなのですが、日本の就職ランキングを見れば、現在もこの考え方が根強いのが分かります。 このような状態でも、80年代後半まではうまく機能していました。外国で発明されたテクノロジーを日本が導入し、カメラ、ウォークマン、ビデオレコーダー、ファクス、そして自動車など、とてもかっこいい商品を作っていたからです。

日本の企業は、優れた品質で、かつ安い商品を大量生産することが得意ですし、アメリカ人もヨーロッパ人も、日本の商品が大好きです。

 

 

posted by タマラオ at 05:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記