2014年12月31日

「日本人見習い大歓迎!」の老舗ドイツパン工房    No1

105.JPG
奥深いパンの世界を若い職人に伝えるミュンヘンの超人気店「ホフマン」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42469

ヨーロッパの人々の生活に欠かせないパン。日本の白いパンの世界とは違い、茶色いパンが多いここヨーロッパで、パン作りを学んでいる日本人はいないだろうかとずっと探してきた。とりわけドイツは、パンがおいしい。オクトーバーフェストで有名な人気観光都市ミュンヘンで、そんな人たちを見つけた。110年以上続く老舗「ホフマン」では、日本人見習いを継続的に受け入れている。 取材を申し込むと、4代目のハインツ・ホフマン氏は「もちろん、どうぞ!」と快く迎えてくれた。

ホフマンの店頭で、お客さんの行列に対応する店員たち。ミュンヘン中央駅からトラムで20分。品質を保つため、支店を開くことはないとハインツ・ホフマン氏は断言する ”パン屋のオスカー”受賞店、ホフマンを目指す日本の若者
土曜朝8時頃、ホフマンのカフェエリアでコーヒーを飲んでいた筆者は、驚くような光景を目にした。少しお客さんが入ってきたと思ったら、あっという間に長い列ができ、20人くらいがパンを買おうと待ち始めたからだ。

お年を召した人、若い女性、子連れのお父さん、メモを持って1人でやってきた子供。何人もの店員が、焼き上がったたくさんのパンの中から客の注文に応じてパンを取り、袋に詰める。陽気な店員たちの様子が、気持ちいい。ここがミュンヘンで有名なパン屋だということは聞いていた。しかし、実はこれほどまでとは思わなかった。「ミュンヘンだけでなく、ドイツ中に知られていますよ」 同店の人気について尋ねると、ホフマン氏はそう言った。

それもそのはず、このパン屋はパン業界のオスカーといわれるマルクトキーカー賞(Marktkieker
Preis)を受賞しているのだ。 この賞はドイツ語圏3国(ドイツ、オーストリア、スイス)のパン屋が対象で、受賞は非常に名誉なこと。同店は「古き良き時代を残したまま、モダンなマーケティングと経営を行っている」と評価された。ここに並ぶ、文字通りの山のようなパンは、売り場を抜けた奥の工房で作っている。今回、朝6時半に筆者がお邪魔したころには、パン作りは、すでに佳境を過ぎていた。オーブンの係はすでに24時から働き始め、ほかのスタッフたちも、その2、3時間後には仕事に取り掛かるのだ。ここで、日本人の見習い2人に会うことができた。鳥山千里さんと大澤千尋さん。2人とも日本から、ホフマン氏の下でパン作りを学ぶためにやってきた。 ホフマン氏は、この2人を含め、これまでに6人の日本人を受け入れている。「日本の見習いたちは非常に勤勉です」との言葉に、誇らしくなった。地域の人たちに愛されるパンを作ることに、こうして日本人が携わっていることは地元のメディアも取り上げている。日本人にとっての難問はドイツ語だけ見習い2年目を迎えた鳥山千里さん  鳥山さんと大澤さんは、日本でパン作りの経験をもつ。鳥山さんはフルタイムで4年間、そして大澤さんはパートで6年間働いた。2人ともパンが大好き。「ドイツ風のパンは、日本でも少しずつ売るようになってきました。でも、まだそれほど多くないですね。私はドイツのパンを作りたい、プレッツェルの作り方も学びたいと思って来ました」とは、鳥山さん。 鳥山さんは見習い2年目を迎えている。こねたパン生地を目分量で小さく切り分けて、計りに乗せて重さをチェックする様子などから、すでに経験をかなり積んでいることが分かる。大澤千尋さんは今年の秋から見習いを始めた 大澤さんも、やはり本場のドイツでという気持ちでここに来た。「本当にパンが好きで、私もプレッツェルの作り方は絶対にドイツで覚えたいと思っていました」と話す。2人は週4日、ここで働いている。給与は、ほかの見習いと同じように支給されている。そして週1日は職業学校に通う。「学校ではパンに関する理論を学びます。材料のことや会社では使わないパン生地の編み方などです」と鳥山さん。

 

 

posted by タマラオ at 06:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月30日

「日本のパン食」 No4

104.JPG
「大事なのはその景観をつくっているのは農業だというところです。美瑛町の景観の魅力を発見し、世間に知らせた前田真三の『麦秋鮮烈』という写真は広く知られていますが、あれは「タクネコムギ」という品種の赤麦がつくった風景。農家の人たちは彼が切り取るまで自分たちがつくった景色が美しいと気が付かなかったわけだし、そういう意味で前田真三の存在は大きかったと思う。「パッチワークの丘」と呼ばれる美瑛の景観はこちらの農地には小麦が植わり、あっちの収穫した後の農地では植えられた緑肥の色があり……という営みが景観をつくっているということをわかってほしい」

斜面の土地で農業を営むことは大変なこと。雨が降れば土壌が流れ、また土をいれなければならない。大型の機械だって入らない。そうした人々の艱難辛苦がつくり出した美しさなのだ。1枚の写真が土地の美しさを世界に広げたように、1軒のレストランが存在することで見えてくるものがある。土地の小麦を使い、近隣でとれた薪で焼かれたパン、もちろんレストランでは農産物を味わえる。土地の魅力をどれだけ引き出せるか、というのが、レストランに要求されることだと気づかされる。

パン・ド・美瑛。クープ(バケットの表面の切り込み)の開き具合が見事。クープは生地の扱いがうまくいっている証拠 焼きあがったパンを試食させてもらった。パン・ド・美瑛は美瑛
町で穫れた小麦だけを使った象徴的なパンだ。
「国産小麦を使ったパンはもっちりとしているから、僕からすると最高のフランスパンなのかというとちょっと疑問ではある。でも、そうした食感は日本人が好むところだから」齋藤さんはやや複雑な表情で言う。

パンにはたしかにしっかりとした食感があり、国産小麦の特徴である長い甘みの余韻がある。 〈どっかで食べたことのある風味なんだけどな……〉と僕は思い、やがてひと
つの答えに行き着く。〈焼けた餅だ!〉モチモチとした部分と石窯により香ばしく焼きあがられた皮が連想させるのは日本的な味だ。レストランでは熱くした小豆の入った麻の袋に入れた温かいパンを提供している。パンは焼きたてではなく、粗熱がとれた2〜3時間後がおいしいとされ、フランスのレストランでは温かいパンが提供されることはない。だから、温かいパンは日本の味だ。そして、僕はそれをおいしいと思う。

戦後からはじまったパンの歴史。日本人は長い年月をかけて、本場の味に近づく努力を重ねてきた。そして、今、自分たちのパンをつくっているとも言える。国産小麦を使ったパンは日本の食文化なのだ。一昔前だったらこういった地産地消を売りにしたローカルなレストランなど成立させようと思う人はいなかったかもしれない。時代は確実に変わっているのだ。ビブレに泊まると朝、焼きたてのクロワッサンを食べることができる。焼きたて、熱々のクロワッサンはここでしか食べることのできない味

「冬はやはり集客が落ちるはず。我々の今後の課題は冬の魅力を発信すること。そして、そのポテンシャルは充分にあると思います」齋藤さんは今後の課題を語った。美瑛で時間を過ごしていくなかで、夕日の美しさがひときわ印象的だった。暮れゆく淡いオレンジ色の光の深い静けさに包まれると身体のスイッチが切れてしまったみたな気がする。丘が白の世界に染まっていく冬の美しさも眺めてみたい景色だ。でも今は夏の終わり、僕らは季節が移り変わる途中にいる。

 

 

posted by タマラオ at 07:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月29日

「日本のパン食」 No3

102.JPG
──近隣で生産された農作物が地元で消費される形は理想的ですね。
「僕はたまたま地産地消の仕事人という6次産業の推進役を頼まれているわけだけど、そういう方向にうまく進んだということは言えると思う。ここに来て驚いたことでもあるのだけれど、日本の農業は技術的にもすごく進化している。例えば機械ひとつとってみても、GPS制御で動き、カメラで作物に含まれる葉緑素を計測して、足りないところだけに肥料をまく、というようなやり方が生まれている。

北海道に可能性があるのは土地が広いという前提として、温暖化が進んできていて、農作物の適地が徐々に北に動いているということにもある」写真に写っているのは北海道産のライ麦粉。美瑛産の粉をはじめ北海道産小麦を普及させてきたのはこれらの粉を製粉している江別製品だ。こうした志の高い企業の存在が北海道の味を支えている

──国産小麦の問題点は?
「問題点……補助金の問題はハードルにはなるけれど、僕自身は多様性がもっとほしいと思っている。『はるよこい』『きたほなみ』……だけではなくいろんなものがあって、そのなかから選べる形にしていかないと、輸入小麦に対抗できないと思う。北海道は輸入小麦に対抗できるような土地だから大規模化して……というような方向性に行きがちだけど、価格競争に巻き込まれるのではなくて、いろんなものの可能性を引き出していくこと。僕らはそれをしていかなければいけないのかな、と思う」

フランス製の石窯。下の部分で薪を燃やし、上でパンを焼く。食事中に提供された石窯で焼いたライ麦パンは記憶に残る味でした見学させていただいたパン工房ではパン職人がパンの生地を成形していた。働いているのは神戸のホテルなどで働いていた小川さん。「ここに来る前も国産小麦は使っていた」という職人が一番、難しいと語るのは工房に入ってすぐ左手にある石窯を使ってパンを焼くことだ。

人が十人並んで入れるくらいの大きさの石窯は、ビブレのパンを特徴づけている。燃やした薪の熱で焼き上げる石窯は火力が安定せず、焼きムラが出やすい。それでも石窯で焼いたパンには皮の香ばしさに独特の魅力がある。「薪を使って石窯で焼くということは街では不可能。僕らは幸いにも美瑛の森林組合の方が協力してくれたからできた。今、木を切る作業単価はものすごい安い価格だから大変だとは思うけど、そういう意味ではいろんな条件が整ってきたということ。

「ゆめちから」のような新しい品種と北海道、美瑛町という土地がなければこのプロジェクトは成功していないと思います」

モチモチで香ばしくて温かい国産小麦で作ったパンは“日本の味”だった
美瑛はどこを切りとってもきれいな景色の写真がとれる土地です。北海道は自然がきれい、と言いますが、ほとんど人間がつくったきた景色です。先人の営みに感謝 美瑛は人口1万人足らずの小さな町だが、
年間150万人以上の観光客が訪れる場所でもある。日本で最も美しい村連合の一つである「丘のまち」の美しい景観が魅力だ。今後、観光立国を目指している日本のモデルケースとなりうる場所だ。美瑛の美しい景観、それを農業がつくりだしているとはなかなか気がつかない。

 

 

posted by タマラオ at 05:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月28日

「日本のパン食」 No2

101.JPG
戦後、まもなく余剰作物を押し付けられ、アメリカにとって都合のいい市場にされた心の傷がこうした反応を生んでいるのかもしれない。たしかにパンに使う小麦は長らく輸入に依存してきた。現在でも農林水産省の統計によると小麦の消費割合は輸入85.43%、国産14.57%。しかし、このところその状況に変化起きている。今、多くのパン屋さんから国産小麦が注目を集めているのだ。

「地産地消の仕事人」が手掛ける国産小麦を使った北海道美瑛のパン工房
様々な種類のパンが並ぶ店内は木目を基調とした明るい内装 北海道美瑛町。美瑛は旭川と富良野の中間に位置する丘陵地帯だ。あたりはがらんとしていて、空はどこまでも高い。丘の斜面にそって麦畑が広がり、吹いてくる風はひんやりとしている。台湾からのインバウンドをはじめ、観光地としての人気も高い。旭川空港から車でまっすぐに行けば20分ほど、美瑛町の中心部からやや離れた北にある『北瑛小麦の丘』を訪れた。

現在廃校となっている旧・美瑛町立北瑛小学校の敷地を転用した複合施設で、新たに建てられたホテル棟とレストラン棟、パン工房に、プロの料理人を育てる『美瑛料理塾』からなる美瑛の食を発信する拠点である。パンも購入することができるレストランの名前は『ビブレ(bi.ble)』。ビは美瑛町から、ブレはフランス語で小麦という意味。運営を委託されているのは札幌の三ツ星レストラン「モリエール」シェフの中道博さん率いるラパンフーズ。

真狩村「マッカリーナ」や美瑛選果「アスペルジュ」などに携わり、北海道の食の魅力を支えている会社だ。料理の世界では知らない人がいない齋藤壽さん。フランス料理の歴史から料理に大切なことまで教わった僕の先生でもあるので、さすがに一対一でお話を伺うのは緊張しました。世間的には偉い人なのですが、そういう構えが一切ないエネルギッシュな人です今回はこの『北瑛小麦の丘』のプロデューサーでもあり、美瑛料理塾の塾頭でもある齋藤壽さんにお話を伺った。齋藤さんは料理の専門誌の編集に長く携わった後、ウインザーホテル洞爺などのプロ
デュースも手がけた食の専門家であり、2011年には農林水産省から『地産地消の仕事人』にも選ばれている。数十年に渡り、日本の食の変化を見つめてきたジャーナリストだ。「パンが美味しくなり、職人のレベルが高くなったのは、せいぜいここ十数年のことではないか」齋藤さんはそう説明する。「それまではパンといえば菓子パンの世界で、日本人はせいぜいトーストしか食べてなかった。

国産小麦に注目が集まったのは北海道でタンパク質含有量の多い小麦が開発されたことがきっかけ。この『ビブレ』のプロジェクトがはじまったのは美瑛町の町長や農協幹部と我々のあいだで十勝の研究機関で開発された小麦「ゆめちから」がパン用としての可能性があるという話になり、小麦をテーマにした場所をつくろうという話になりました」これまでも美瑛町の主要産品のなかに小麦はあった。しかし、それはうどん用などに使わるもので、パンという発想はなかった。

美瑛町としてもパン用小麦粉に注力していきたいという意向ともあり、この施設が生まれたわけだ。我々が取材に入っているあいだも、街から遠い場所にひっきりなしにパンを求める客が訪れていた。

 

 

posted by タマラオ at 07:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月27日

「日本のパン食」 No1

100.JPG
http://diamond.jp/articles/-/59878

パンは西洋社会の象徴的な食べ物。はるか数千年も昔、メソポタミアの頃から存在し、古代ローマ、ポンペイの遺跡から発掘されたパンの化石は製法的にも現在のものとほとんど変わりがないという。キリスト教にとってイエス・キリストの肉とされるパンが重要であることはいうまでもない。パスツールが発酵のメカニズムを発見するまで、パンは神秘的な存在だった。生地がどうして膨らむのか、わからなかったからだ。

理由がわからなくても人々はパンを焼き続け、今では世界中で食べられているパン。
『パンの歴史』を著したスティーブン・L・カブランは同書のなかでこう語っている。「パンは物質と象徴、経済と文化の交わるところに位置している」

アメリカからの小麦大量供給で戦後、急激に日本へ浸透したパン食
日本人にとってパンは複雑な食べものだ。江戸時代にはポルトガルの宣教師から製造方法は伝わっているが、日本人には受け入れられなかった。そもそも日本で生産されていた小麦はタンパク質含有量が少なく、うどんなどの麺にはなってもパンには向かなかったのだ。情勢が大きく変わったのは戦後、アメリカが食糧難の日本に小麦粉を大量供給したことだった。当時、アメリカで小麦は余剰作物になっていて、新たな輸出戦略が必要だったのだ。

アメリカから輸入された小麦を使ったパン食は給食にとりいれられる。「米を食うと頭が悪くなる」という意見がまじめに新聞に出たのもこの頃である。輸入小麦に牽引されたパンの消費は増え続け、2012年の家計調査ではついに米の消費額を上回る。実際はパンの消費額が伸びたわけではなく米の消費量が下がっただけなのだが(おかずが増えたことなどによる)、大きな話題になった。

先日、ネットの記事を読んでいて驚いた(『朝食はパンか、ご飯か?』日経ビジネスオンライン)。和食界の重鎮が、 『パン食は急激に血糖値を上げるが下がるのも早い。この急激な
変動が身体のあらゆる部分に負荷をかけることは、医学、アンチエイジング学の常識になっている』 『血糖値の急上昇、急低下は、集中力に欠けた、キレやすい子供を作る』
と発言していたからだ。要するに『パンを食べるのは身体に悪い』というわけだ。

改めて説明する必要もないかもしれないが、パンが心と身体に悪いということはもちろんない。血糖値の上昇の早さの比較には通常、GI値という数値が用いられる事が多いが、パンの数値が特別高いわけではないし、また「キレる」こととはもちろん無関係だ(そもそもキレるという行動の定義が不明である)。実際には炭水化物を食べると、暴力的になるのとは逆のことが起きる。米やパンの主成分である炭水化物は血中のアミノ酸トリプトファン値を上昇させ、脳はこれを利用してセロトニンを合成するからだ。

セロトニンは眠り、痛覚の消失、平静さなどに関係する神経伝達物質であり、米やパンを食べることは心に落ち着きを与える。焼きたてのパンと炊きたての米が幸せの象徴なのは、どちらも正しいのだ。そもそも仮にこの主張が正しいのなら、毎日パンを食べている欧米人の子どもはみな集中力に欠き、キレやすいことになるが、もちろんそんなことはない。こうした発言はどこか、戦後まもなくの「米を食べると頭が悪くなる」という論調と似ている。

 

 

posted by タマラオ at 06:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月17日

メザシノの土光さん    No3

099.JPG
インスタントラーメン、お茶漬けが定番 ランチは武士のように質素だった
シンガポールを拠点に活動する朝倉さんは現在、東南アジアで事業を展開しようとする日本人を相手にコンサルティングをしている。売却した会社は今も日本で営業を続けているが、朝倉さんが新しく立ち上げたという会社のホームページは、どこにも見当たらない。「で、クライアントはどうやって朝倉さんを探すんですか?」質問すると、あっさりとこう返されてしまった。

「探されたことは、一度もないです。パーティーなどで名刺交換して『ITや不動産売買を扱っています』と言うと、すぐに『じゃあ、あそこの物件買えるかな?』という話になるので」 「営業は?」 「一切しません。シンガポールにいる日本人って社長ばかりだし、資金も人脈も豊富にある人が多い。基本的にそういう人たちが集まる場所にしか行きませんし、そういう人たちに会うと、自然とお金儲けの話になるんです」

話を聞きながら、「山口百恵に憧れる人は多いのに、実際には、あれほどまでに潔く引退できる人が少ないのはどうしてか?」と考えていた。というのも、日本で好まれ、尊敬されるのはなぜかもっぱら、道を極めて成功した「生涯現役」のパターンばかりだからだ。朝倉さんのランチ。せっかくなので、送っていただいたすべてのパターンを紹介する。まずは外出先で。写真はシンガポールのオフィス街にある日本でおなじみのラーメン店で撮影したランチ

オーナー企業でもない限り、日本の経営者はたいていサラリーマンのトップ。江戸時代で言えば、武士である。したがって、経営者の言葉はいつしか武士道に近くなり、質素倹約や品格を重んじるようになるのかも知れない。そんなサムライ精神が今も息づく日本を離れ、シンガポールへと向かった朝倉さんだが、ランチはやはり武士のように質素であった。「いつもだいたい、インスタントラーメンかお茶漬けなんですよ」と、朝倉さんが申し訳なさそうに説明する。

ミリオネアにしては、夢がない。
「もともとそんなに量、食べられないんです。それに、ランチは自宅でとることが多いので……」改めて朝倉さんの姿を観察すると、見た目もあまりミリオネアらしくはない。ギラギラしたところはみじんも感じられず、服装もどちらかと言えば地味である。自宅でもやはり、日本でおなじみ日清食品のカップヌードルを 「じつは、日本にいた時はもっと太っていたんです。血液ドロドロで、医者にもメタボ気味だねって言われていました」「ということは、シンガポールで痩せたんですか?」

「そうなんですよ。シンガポールって、仕事の関係者と飲みに行く習慣がないんですね。だから、お酒もあまり飲まなくなりましたし、血液もサラサラに。ウエストなんて、8センチも細くなりました シンガポールで期せずしてダイエットに成功した朝倉さんの話を聞きながら、筆者はこんなことも思った。 (戦なき平和な時代に育ったサムライが野武士のごとき
キレのある肉体を取り戻すには、海外へと向かうしかないのだろうか……)

ところで、メザシの土光さんの話には有名な後日談がある。ご本人が後に雑誌の取材で語ったところによると、NHKの取材班を自宅に入れるのは嫌だったらしく、「プライバシーを侵害しないでくれ」と最後まで抵抗したらしいのだが、「経団連の命令だそうですから……」と言われた奥さんが断りきれずにカメラマンを家の中に入れてしまった。さらには、土光さんが食べていたというメザシ、じつは故郷・岡山県から取り寄せた高級品だったという説もあり、「あれはヤラセだったに違いない」という新聞記者の指摘もある。

どこまでが無意識でどこからが演出だったのか、今となってはご本人に確かめようがないのだが、いずれにせよ、筆者はこんな風に考えている。「リーダーは貴族のようであってはならず庶民の代表でなければならぬ」という無言のプレッシャーが土光さんにメザシを食べさせたのだろう、と。

 

 

posted by タマラオ at 05:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月16日

メザシノの土光さん    No2

098.JPG

億の資産があってもマンションが買えない!? シンガポール移住を決めた理由
仕事で来日した朝倉さんとは、成田空港近くのホテルで待ち合わせた。見晴らしの良いラウンジには、何やら商談をしているらしき外国人がいた。「日本にいた時はよく待ち伏せもされたんですよ」と、ただでさえ声の小さな朝倉さんが、ひそひそ声で言う。「ま、ま、ま、待ち伏せですか!?」「暗闇からいきなり人相の悪い人が出て来て『社長ですか?』と声をかけられたこともあります」話しぶりから察するに、夜討ち朝駆けの記者たちとは違うようである。

「そういうのもあって、日本にいた時は毎日、わざと時間をずらして会社に出勤したりもしていました」「ひょっとして、同じ道も通らないようにしていたとか?」「ええ、もちろん。できるだけ明るい道を通るように心がけていました」資本金わずか12万円、たった1人で始めた会社は6年後には社員約50人、7億円の売上をあげるまでに成長していた。さらなるビジネスチャンスを手にしようと、その会社を売り払ってシンガポールへ行こうと考えたが、奥さんには当初、にべもなく反対されたそうである。

「日本が好きだし、ママ友もいるから嫌」
そう言って断られ、一度は諦めたものの、ある出来事を境に奥さんの気持ちも変わっていったらしい。「シンガポールに行かないなら、そのお金でもうちょっと広いところに引っ越そうかと思い、マンションを見に行ったんです。ちょうど気に入った物件が見つかったので、ローンを申し込んだんですが、審査に落ちちゃいまして」「億の資産を持っていても、ですか?」「きっと、収入が不安定だと思われたんでしょうね。これには、妻も相当なショックを受けまして。

そうこうしているうちに東日本大震災が起きて、小さい子どももいるし、好きなマンションも買えないんだったらシンガポールに行くのも悪くないか、と彼女も思うようになったみたい。だから、あの件がなければ私たち、今も日本で暮らしていたかも知れません」

一番よい瞬間に引退する「山口百恵方式」で会社を売却
会社を売却する時、周囲には猛反対されたそうである。しかし、朝倉さんには「今が売り時」という確信があったという。「どう考えても、長く儲かるビジネスモデルじゃない。株と同じで、上がった瞬間に売り抜けないといけないだろう、とは最初から思っていました。だけど、多くの人はそこがなかなか割り切れないんです。どうしても前のモデルに固執してしまう。僕には幸い、そういう執着心がなかった。まあ、俗に言う……」 (俗に言う?)「山口百恵方式ですよ」

ピンと来なければ、ビル・ゲイツ方式と言い換えてもよろしいかも知れない。言われてみればなるほど、欧米の成功者には「早期創業」「早期引退」のパターンが多いことにも気づく。ビジネスで一定の成功を収めた後はたいてい、投資家へと転身するのである。投資家とはつまりスポンサー、中世で言えば貴族のようなものだ。貴族の仕事をごくごく単純に説明すると、「贅沢をすること」となる。

社会学者のヴェルナー・ゾンバルトはその著書『恋愛と贅沢と資本主義』(講談社学術文庫)で、プロテスタントの禁欲主義こそが資本主義を発展させたというマックス・ウェーバーの説に対抗し、貴族の間で流行した贅沢と非合法的な恋愛が大衆に開かれた結果、様々な産業が各地で花開き、資本主義を大きく発展させていったのだと指摘した。これを、訳者まえがきにしたがって日本人にもわかりやすいように説明すると、1986年、まさにバブル経済が花開かんとする年のベストセラー、渡辺淳一氏の小説『化身』がそれを象徴的に物語っている、ということにもなるらしい(わからない方は是非、『化身』を読んでください)。

フランスの思想家、モンテスキューは次のように語ったとか。「王国では奢侈はなくてはならぬ。もし富者が贅沢のための消費をあまりしなくなると、貧乏人は飢えてしまうだろう」一理ある。格差が大きな社会問題となるのは、富める者が贅沢をするときではなく、彼らがお金を貯め込もうとするために必要なところへお金が回らず、格差が一層固定されてしまうときだ。道徳的に批判される贅沢も、誰もしなくなってしまっては、経済全体が回らない。湯水のごとくお金を使う貴族も、時には必要なのである。

 

 

posted by タマラオ at 05:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月15日

メザシノの土光さん    No1   

097.JPG
http://diamond.jp/articles/-/30962

食通で知られる文筆家は多いが、食の贅沢をして成功した経済人というのはとんと聞かない。日本ではむしろ、経済的に成功した人ほど「質素倹約」を強調したがる。その象徴が「メザシの土光さん」こと、土光敏夫氏だろう。ミスター合理化と謳われる経営手腕で赤字企業を立て直し、経済団体連合会会長などの要職も歴任、行革の推進にも力を注いだとして今なお多くの尊敬を集めている。

そんな土光さんを経営者の鑑とあおぐ日本社会で、“成り上がり”のIT長者たちは受けが悪かった。「だから、日本にいた時はできるだけ目立たないよう、顔写真付きのメディア取材などもできるだけ断っていました」と語るのは、朝倉亮さん(仮名、40歳)だ。日本でITベンチャーを成功させた後、その売却資金を持ってシンガポールに移住したミリオネアである。

一晩で100万円使うこともザラ!?ITバブルで月給11万円から300万円に
聞けば、朝倉さんもかつてはかなり金遣いの荒い時期があったらしい。「27歳から29歳までフリーランスのエンジニアをしていた頃は、食えない仲間たちを連れてよく飲みに行っていました」高級なシャンパンやワインを次々と開け、気がつくと、一晩で100万円使うこともザラにあったという。「今にして思えば、感覚がちょっとおかしくなっていたんでしょうね。だって、その前は手取り5万円でカツカツの生活をしていたんですから」生まれ育った北海道から上京してしばらくは、ホテルの管理システムを作る会社などで働いた。

月給は、およそ11万円か12万円だったという。寮の家賃を引かれると自由に使えるお金はほとんど残らず、食事もままならない日々が続いた。そんなどん底を経験した後のITバブル。食うや食わずの生活から一気に月300万円を稼ぎだすフリーランスになったのだから、金銭感覚がおかしくなるのも当然だ。当時、お金はあればあるだけ使ってしまっていたため、月300万円稼いでも「最後の10日間はいつもスッカラカンでした」と言う。狂乱の日々を送るうちに漠然と、「こんな生活はこれから先、そう長くは続かないだろう」と感じるようにもなっていた。

案の定、2001年にITバブルは崩壊。嗅覚の鋭い朝倉さんはその直前に思い切ってフリーランスをやめ、イギリスとアイルランドに語学留学していた。「試しにTOEICを受けてみたら、300点行かなかったんですよ。友達に、『お前、それ普通はとれないくらいひどい点数だぞ』と言われて『そんなにヤバいのか』と思って。これは本気で勉強しなくちゃ、と思ったんです」TOEICの点数は半年間で700点を超え、自信をつけて日本に帰って来た彼を採用したのは、外資系の生命保険会社だった。

「外資系ってちょっとかっこいいイメージがあるじゃないですか。日本企業だったらたぶん無理だけど、外資なら、自分たちのメリットになる人間だと思えば経歴関係なく採用してくれる。だから、応募してみようかと思ったんです」朝倉さんの最終学歴は北海道にあるITの専門学校卒だ。「あの頃は、できないこともハッタリで『できます』と言ってから勉強してキャッチアップしていました。そうすると、最初のうちはメチャクチャ怒られたりもするんですが、そのうちにできるようになる。

大企業のクライアント相手にデータマイニングの先駆けのような仕事を3年間やって、33歳になろうかという時に自分の会社を立ち上げました」

 

 

posted by タマラオ at 05:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月14日

コンビニの殴りこみ      

094.JPG
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20141202/274590/?n_cid=nbpnbo_rank_n

コンビニエンスストア大手が、外食市場への侵攻を加速している。新商品の投入で、「ミスタードーナツ」が覇権を握るドーナツ、牛丼を狙い撃ち。客がスーパーへ流れる動きが指摘される中、外食市場の取り込みに注力する。
コンビニエンスストア最大手のセブン-イレブン・ジャパンは11月27日、2015年8月までに全国のほぼすべての店舗でドーナツを販売することを発表した。レジカウンターに専用の機材を設置し、おでんなどと同様に店員がその場で購入客に手渡す。公表された6品の価格は、税込み100〜130円。

「形が似ているとか様々な評価はあると思うが、基本的には独自に開発している」。セブンの鎌田靖・常務執行役員は会見の席でそう話し、ダスキンが展開するドーナツ専門店「ミスタードーナツ」の商品をことさらに意識したものではないと主張した。
 だが、「1300億円ほどとされる国内のドーナツ市場で、1030億円ほどは大手のチェーンが独占している。我々がやれることはまだまだある」とも語り、ミスタードーナツの牙城攻略に向けた意欲は隠さなかった。販売目標は2016年度に600億円としている。

ドーナツはローソンも試験販売している。近年、利用者が大幅に増えているコンビニの「入れたてコーヒー」と併せて購入する客を取り込む算段で、市場の掘り起こしを目指す。 コンビニの参入で、専門店の売り上
げが直ちに根こそぎ奪われることはない。だが店舗数はミスタードーナツの約1300店に対し、セブンは約1万7000店、ローソンは約1万2000店。顧客との接点はコンビニが圧倒的で、専門店は品質などの面で明確な差を認識してもらえなければ、客足に影響が出るのは避けられない。
   
ケンタッキーとは既に激突
日本KFCホールディングスでは、主力のケンタッキーフライドチキン事業の直営店とフランチャイズ店を合わせた売上高が、2014年3月期に1076億円と4期連続で落ち込んだ。足元の既存店売上高には持ち直しの兆しも見られるが、「フライドチキン」分野でのコンビニとの競合が業績に影響を与えていることは明白だ。 ファミリーマートがリニューアルして12月2日に発売する
「こだわり牛めし」(税込み298円)

既存の様々な外食市場を狙って、今後もコンビニ各社が商品開発を進めていくことは間違いない。  「約3500億円の牛丼市場を狙っていく」。ファミリーマートが11月25日に
開いた、「こだわり牛めし」などの新商品発表会では、開発担当者がそう意気込みを語った。 持ち帰り需要が強かったり、大衆的な人気があったりする外食分野をコンビニ
が標的に据えるのは、今に始まったことではない。

だが、ミスタードーナツのような大手外食チェーンの総店舗数と同等以上の新規出店を毎年続ける大手コンビニは、特定商品の食材調達などの面でも、専門店に負けない競争力を持ち始めている。食品加工などのノウハウを持つ大手メーカーの協力も得やすくなっており、外食チェーンにとって脅威が増している。 コンビニ各社にも課題はある。景気失速に伴い、一
部のスーパーなどからは「節約志向が強まり、コンビニに流れていた客が戻ってきた」との声が聞かれるようになった。内需の縮むパイを奪い合う異業種間の競争は、さらに激化していきそうだ。

 

 

posted by タマラオ at 05:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月13日

世界が絶賛する日本のコメ No4

093.JPG
──お餅の製造、販売はどのような経緯ではじめられたのですか?
「減反、転作の奨励の影響です。このあたりだと多いのは大豆なのですが、もち米は転作扱いなんです。その流れからはじまって、うちはこのあたりでしか育てていない『でわのもち』という品種を栽培して、ただつくるだけでもしかたがないので、数社で出資した会社で工場を建てて、加工したものをうちが販売するという方法をとっています」

──いわゆる六次化の流れですね。時代は変化しているということでしょうか。
「農協に卸している段階ではなかったかもしれないですね。現実的な実情の話をすると3分の1減反しなさいというのは、3年間に一回米をつくるのを止めなさいと言っているのと同じことなわけですよ。米だけをつくっていたとしたら、収入の3分の1がなくなってしまうわけですよね。別のものといっても機械であったりといった投資が必要ですし、販売先であったりというものを見つけていくのは厳しい。もち米だったら、同じ設備でつくれる、というメリットがあります」

──海外にも販売されているということですが。
「それも減反、転作の影響で、海外に販売する分は転作対象ということになるということで。商社を通してロンドンで売りはじめましたが、評判も上々で、とてもいい感触を得ています」米俵から日本の農業を考えると、様々な感想が浮かぶ。海外での反応が表すように、日本の米はおいしい。誤解を招く表現かもしれないが、これからもこうした優れた生産者は生き残っていくだろうと個人的には思う。我々は困難な撤退戦をしているという認識がまず必要だ。敗北を認めた上で被害を最小限に抑えつつ、新しいカタチへと転換を図っていく必要がある。

生産の現場を廻っていると日本の農業は今、過渡期なのだということがよくわかる。考えてみれば現在のように米を食べられるようになったのはほんのつい最近、戦後になってからだ。担い手が変わっていくのは当然のことで、農業はちょうど緩やかな世代交代をしている状況(できていないところももちろん多いが)なのだ。このところのバター不足も同じかもしれないが、国が食糧の生産を管理すると、ろくなことがない。農業や酪農の問題は中長期的な視野に立って、状況に応じた細かい対応が必要なので、国のような大きな組織はそもそも向いていないのかもしれない。

象徴的なのは食糧管理法(食管法)だ。1942年に東條内閣によって制定されたこの法律は食糧(主に米)の需給と価格の安定を目的として、米を政府が管理するというものだった。この制度は国民が飢えている時代には有効だったかもしれないが、それが解消するとただの足かせになった。食管法は1994年まで続き、奈良時代から1300年あまり続いた国による稲作の生産管理は(形だけは)終わりを告げた。2018年には長らく続いた減反政策も(名ばかりという批判もあり、その通りだと思うが)見直される見通しである。

改めて考えてみると奈良時代の荘園制度を起源とすると、国による生産管理が1300年あまりも続いていたのだからすごい話だ。時代は動いているのに、制度は変わらなかった。とにかく僕らは新しい時代にふさわしい、生産と消費のあり方を模索していく、必要があることは間違いない。「うちでは田和楽通信という近況報告を商品に同封させてもらっています。今、生産の現場と消費者が離れている感じはありますよね」

作り手の顔が見えるとはよく言うが、本当にそう言い切れる農産物はまだ少ない。僕ら消費者が努力すべきことは農業への関心、米への興味、生産者へのリスペクトを持つことだ。そうして生産者と問題を共有することで問題解決の糸口が見えてくるはずだし、そうすることではじめて新しい時代にふさわしい、お米との新しい関係性を作っていけるのだと思う。

 

 

posted by タマラオ at 05:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月12日

世界が絶賛する日本のコメ No3

092.JPG

詳しい工程は動画に譲るが、驚くのは編まれている藁は筒状のものと一本の藁縄で編まれているということだ。ディスプレイで米俵を見かけることはあるが、こんな構造になっているとは知らなかった。「こぼれないように編むという昔の人の技術は凄いものだな、と思います。昔話とか時代劇とかそういうところで見ているものですよね。その技術がなくなってしまって、写真や映像でしか見ることができなくなってしまうというのは……こういったものを材料からつくって残す、というのは歴史とか社会的にも意義のあることだと思っています」

──米は売っているけど米俵がないってなんか寂しいですものね。 庄内の米の品質の良さの秘密は出羽三山は良質な水。水を治めることは日本の稲作の大きな特徴だ

「寂しいですね」
僕が個人的に思うのは日本の農業=米は昭和の時代のままだ、ということである。コシヒカリはその一つの象徴だと思う。1979年から作付面積1位を記録しているこの素晴らしい品種が福井県で生まれたのは1956年のことだ。もっともコシヒカリがおいしいことに変わりないわけだが、日進月歩を続ける農業技術のなかで、米だけは50年以上も同じ銘柄が作付されているわけだ。そんな米の世界が変化しはじめたのは、1993年の冷害がきっかけだ。コシヒカリが作付面積1位を記録し続けるなかで、平成5年まで2位につけていたササニシキは寒さに弱いため生産量が減少。収入を求めた農家も単価の高いコシヒカリ系の品種をつくるようになり、今や全体の5%しかつくられなくなってしまった。

「山形は『はえぬき』と『どまんなか』、宮城は『ひとめぼれ』、秋田は『秋田小町』ということで、そのタイミングでガラッと変わったんですね。『ひとめぼれ』と『秋田小町』は上手に売っていたんですが、山形は出遅れていて。はえぬきは新潟のコシヒカリよりもいい品種で、特Aというランクをずっととっていたんですけど、知名度が全然なくて。山形から新潟に行って東京にいくところでコシヒカリとして名前が変わっていた、ということもあったくらい」

──最近、山形県のブランドとして打ち出した「つや姫」という品種は人気ですよね。甘さが特に強く、粘りも強いということで。
「そうですね。ここ数年のタイミングで山形のお米が見直されてきたんじゃないでしょうか。最近、注文が増えているのはササニシキです。お客様の方からササニシキはないの?という声も多くて、やっぱりおいしいねと言っていただいています」

ササニシキはもはや幻のコメとなってしまった。日本の農業=米は長い間、多様性を失っていたのだ、と思う。今はコシヒカリタイプばかりだが、もっと様々な種類の選択があったほうがいい。料理によって相性のいい米の品種を選びたいからだ。個人的には米の消費の拡大に必要なのは多様性ではないか、と思う。

──ちなみに多くの選択肢があるなかで佐藤社長が一番好きな品種ってなんですか?
「好きな品種……個人的に食べておいしいと思うのはササニシキですかね。あっさりしていて食べ飽きないというか」

減反・転作の影響で六次化、海外販売へ過渡期真っ只中にある日本の農業

田和楽が販売しているお餅は『服部幸應のお取り寄せ』というサイトで購入することができる 田和楽ではお餅も販売している。僕らも食べてみたのだが、スーパーなどで
売っている市販の切り餅がいまいち……と思っている人には試していただきたい逸品だ。

 

 

posted by タマラオ at 05:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月11日

世界が絶賛する日本のコメ No2

091.JPG
『田和楽』代表取締役の佐藤智信さん。江戸時代から続く農家の生まれ。「田んぼの土を感じ、和やかに食卓をかこみ、楽しい生活を皆さまとともに」が社名の由来とのこと「元々は農家をやっていた父親が米俵をはじめとした地元の民芸品などを首都圏に販売するという仕事をしていたんですね。当時は冬場に出稼ぎに行っている人も多くて、そういうのは面白くない、自分でなんとか商売をしようということでやっていたんです。

そのうち自分が生まれて。私は神奈川で別の仕事をしていたんですけど、地元に帰ってきて農業をやるということになったときに、このままやっていてもしかたがないので、ちゃんとした会社組織にしようと提案して平成8年に起業しました」
米俵をずっと売っていた田和楽に転機が訪れたのは、米の販売自由化の波だ。米俵の材料となる藁を入手するために昔ながらの米をつくってきたことが逆に強みになった。

「その頃、つくっていた米自体もコシヒカリでしたけど、米俵をつくるための天日干しにしていたんです。それが珍しいと言っていただいて、米俵を売っていたときのネットワークもあり、お米のお客さんも増えていったという感じです」米俵を生産する最初の難しさは藁の入手だ。昔のような藁を入手するためには稲わらごと収穫し、天日干しにかけなくてはいけない。天日干しには手間も時間もかかるので、生産者の高齢化が進む現在ではなかなか難しく、その代わりに増えたのがコンバインをつかった収穫と機械乾燥である。

コンバインというのは優れた機械で、籾の収穫と藁部分を田んぼに撒く作業(藁は肥料になる)を同時に行うことができる。そうして得られた籾を機械乾燥にかけるのが効率的というわけだが、味は天日乾燥(基本的にはそのまま出荷できるが、水分が高めであれば乾燥機で水分量を調整する)の方がいい。

──米俵をつくるために昔ながらの方法をとっていたことが良かったというわけですね。そもそも、どうして米俵を売るようになったんですか?俵にするためにすだれをつくるときのように藁を編みこんでいく
「民芸品店などに人形を売っていたら逆に先方から『あなた農家なんでしょ。と。米俵っていうのはつくれないの』と話があって。まだつくれますよ、と。お米を販売する先でディスプレイとして使いたいという引き合いがあって」

その頃、米俵はすでに実用品としては使われておらず、むしろ消えつつあるものだった。「そうですね、量販店などのディスプレイ用がほとんどで、あとは宗教関係、映画、テレビ、ドラマ関係からも注文があります。他につくっているところが少ないみたいで、量的にも質的にもうちのがいいかな、とちょっと思っています」

1993年の冷害をきっかけに多様性を失ってしまった「米の世界」
「米俵をつくる職人さんが少なくなっていて。ちょっと笑い話みたいなんですけど、自分の父親は農業高校にかよっていたんですが、その頃は俵編みの授業とかあったらしいんですよ。で、『よし俵が編めるようになったぞ』と思って学校を卒業したら、もう米俵自体が無くなっていたという。うちの父親が昭和21年生まれなんですけど、この世代がつくれる最後ですね」米俵をつくる工程を見学させていただく。米俵をつくりはじめて3ヵ月という方から長年つくっているという方まで、数人の方が作業をされていた。職人の技術の伝承も田和楽の課題のひとつだ。

 

 

posted by タマラオ at 05:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月10日

世界が絶賛する日本のコメ No1

090.JPG
http://diamond.jp/articles/-/63086

稲作は日本文化を代表するもののひとつ。稲から得られる米は日本人の原点、かつては単なる食べ物以上の存在だった。縄文時代の終わりに大陸から伝わった稲作は、近畿から関東、東北へと広まり、田は日本の里山の風景をつくった。稲作に由来にした行事も数多い。秋には祭りし、正月などの祝い事には米でつくった餅が欠かせなかった。さらに米は経済までつくる。明治時代の地租改正により、収める税が米から金に変わるまで、米は純粋な食べものではなく貨幣でもあった。

大きな変化は明治36年、国立の農事試験場で品種改良に力を入れる方針が定められたことだ。その頃の日本人にとって「お腹一杯白いごはんを食べること」は夢の様な話だった。農学者の渡部忠世は日本人を「米飯悲願民族」と表現したが、日本人の努力の積み重ねにより、戦後には現在のようにお米を気軽に食べられるようになった。農地改革を経て、米の生産は増えはじめる。1950年代に入ると食料不足は解消し、日本人は日常的に米を食べられるようになった。

ところが1963年に米の消費量はピークを迎える。その後、消費は減少しはじめるが、生産技術の向上による収穫量の増大は止まらなかったため、米余りという状況が起きた。1970年代から国は減反政策を推し進める。補助金を撒くことで、米の作付を制限する──対症療法的な策だった。あくまで結果論でしかないがこの時、消費拡大や新しい市場の開拓などの前向きな手を打っておけば今のような状況にはなっていなかったかもしれない。

稲作文化が危機にある今、 絶滅寸前だった山形の「米俵」に注文続々

今年、米の価格が大きなニュースとなった。農協(JA全農)からの農家に対する支払い価格が過去最大級の下げ幅を記録したのだ。家庭での米の消費は下がり、1970年代からずっと(一部の不作の年をのぞけば)米が余っている状況なのだから、こうした事態は容易に想像できたはずだった。ある記事によると『米農家は廃業の危機』だと言う。煽りを受けるのは農協に米を卸している農家だけではない。

力を弱めているとはいえ農協は今も米の流通の4割を担い、支払価格の低下は相場全体に影響を及ぼす。農協を通さず直接卸しと取引している農家も値下げを余儀なくされるからだ。米について書くのは難しい。巷にあふれている様々な論説でも「政府が悪い」「兼業農家が悪い」「農協が悪い」という「ここが悪い」というポイントは割合、明確だが「では、どのようにすれば問題は解決するのか」となると歯切れが悪くなる。

長い間の保護政策によってできあがった、いびつな現状に対する特効薬などないからだ。米の消費を増やすといっても少子高齢化の問題もあるし、昔のように米しかないというならいざしらず、多様な選択肢のある現在では限界がある。

このまま稲作は衰退していくのだろうか?
日本人は稲作から多くの文化を生み出してきた。最初に述べたように稲は日本の文化そのもの。収穫後の稲からは米だけではなく、米糠、籾殻、藁がとれる。米ぬかで漬物をつくり、籾殻は肥料になった。藁は肥料や飼料としてだけではなく生活のすべてに利用された。藁は縄の材料となり、衣服になり、日本家屋の壁になり、敷物にもなり、布団にもなった。そして今回、紹介する「米俵」の材料でもある。

稲作文化の危機について長々と書いてきたが、実は米俵をつくっているところはすでに数少ない。訪れたのは山形県、庄内。山に囲まれ田んぼが広がるこの地方は、最近『食の都庄内』として多くの人が訪れる場所になった。有限会社『田和楽』は庄内空港からほど近い、田んぼのなかにある。 『田和楽』は3人の兄弟が協力して営んでいる会社だ。代表取締
役の佐藤智信さんからお話を伺った。

 

 

posted by タマラオ at 05:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月09日

ササニシキはなぜ消えたのか? No1

089.JPG
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41919

炊きたての白く輝くごはんを口にするときこそ、日本人が幸せを感じる瞬間だ。店頭には多種類の米が並ぶが、「コシヒカリ」や「ひとめぼれ」などのブランドにこだわる人も多い。どのような違いがあるのだろうか。

今年の新米は価格安  新米の季節がやってきた。米穀店やスーパーの店頭に掲げられた「新米入荷」の張り紙に心躍らす人もいることだろう。今年は、西日本の天候不順にもかかわらず、出来高は上々。価格は近年にない低水準で、どの銘柄も安くなると予想されている。 だが、価格安の理由は、単なる今年の出来高の良さからくるのではない。日本人の米の消費が年々減り続けているのだ。2011年の震災後の米価高騰が消費の低迷にさらに追い打ちをかけた。

一方、2013年は豊作だったおかげで2014年は米の供給が過剰気味だとJAなどは分析している。白米を主食に味噌汁や漬物を組み合わせた日本人の食生活は、古くから続いていると思っている人が多いかもしれない。しかし、国民全体が主食として白米を食べるようになったのは、戦後のことだ。稲作自体は日本では3000年ほど前に始まった。江戸時代に都市が発達すると、産地から都市に米が送られるようになり、米は商品化した。もともと米を玄米で食べていたが、江戸時代中期には白米を食べるようになった。

とはいえ、白米は殿様など上流階級が食べるもので、庶民は、玄米に麦やヒエ、アワなどを混ぜた雑穀飯や大根やカブなどの野菜を混ぜた糧飯を食べるのが当たり前だった。明治以降の経済発展とともに米の消費が増えると雑穀食は減り、1942(昭和17)年に始まった食糧配給制度により、ほぼ米を食べることのなかった山間部や離島の人にも米食が普及した。 戦時中の食糧不足で米の消費は減ったが、戦後の復興とともに再び米の消費が増えた。

戦後の米の消費のピークは1962(昭和37)年で、年間消費量は1人あたり118.3キログラムだった。その後、高度経済成長が進み、肉や乳製品などの消費が増えると、米の消費量は減り、2013(平成25)年の年間消費量は1人あたり56.3キログラムと半分未満になってしまった。

米のブランド競争激化、西日本から「特A」も
消費量が減る反面、近年の米の銘柄の多さには目を見張るばかりだ。良食味品種や病害虫に強い品種、多収穫米品種などが農業試験場や民間企業で研究され、新品種が次々に誕生している。日本で品種登録されている米は594品種(2014年3月31日現在)で、そのうち主食用に作付けされているのは260品種ほどだ。店頭で販売されている米には、いくつかの品種の米を混ぜたブレンド米と、1つの品種のみの銘柄米がある。

銘柄米には「コシヒカリ」「あきたこまち」「ひとめぼれ」などの品種によるブランドがあり、さらに「魚沼産コシヒカリ」のように産地もブランド化している。近年では、消費者においしさをアピールしようと、産地間で新品種や栽培技術の開発競争が激しくなる一方だ。山形の「はえぬき」、北海道の「ゆめぴりか」など、品種や産地で商品化したブランドが600以上ある。日本穀物検定協会は、毎年、主な産地品種銘柄(ブランド)について食味試験を行い、その結果を「米の食味ランキング」として発表している。

 

 

posted by タマラオ at 06:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月08日

ガンジーの菜食主義に見る必要最低限の食生活

060.JPG
http://diamond.jp/articles/-/58967

菜食主義者には健康なイメージがある。ホントのところ、そうした主義の人のほうが長生きできるのだろうか。この疑問に答えるのはなかなかに難しい。一般的に先進国の菜食主義者は体形もすっきりして、心臓発作に見舞われる率も少ない、とされている。ところがそうした人たちは総じて健康的な生活を送る傾向にあり、普通以上に運動もするので、一概に食事による影響と言い切ることができないのである。菜食主義者として有名な人物に、マハトマ・ガンジーがいる。

本名はモーハンダース・カラムチャンド・ガンジー。マハートマーとは「偉大なる魂」という意味で、ノーベル文学賞も受賞したインドの詩人タゴールから贈られた尊称である。非暴力を掲げインド独立の精神的な指導者となった彼は1948年、宗教的対立を収めようと断食により訴えっていたところを、ヒンズー教の原理主義者によって暗殺される。没年は78歳。天寿を全うしたとはいえないかもしれないが、濃密な人生を過ごした思想家としては長命といっていい。

ガンジーは「食事は必要最低限であるべき」と考え、簡素な生活を求めた。彼自身の筆による『ガンジー自伝』の前半は肉食をめぐる葛藤に多くのページが割かれている。若い頃、実験と称して肉を食べたが(その夜はお腹のなかで山羊がメェ〜メェ〜と鳴いたらしい)、結局母親に隠し事をしている罪悪感に耐え切れず、以後肉食をすることはなかったこと。また、英国に渡った彼の心配事が食事であり、また、かの地での料理が口に合わなかったことなどが綴られている。食は彼にとって人生の大問題だったのだ。

菜食主義には動物性食品を完全に断つものから卵ならOKといったものまで、さまざまな定義があるが、牛乳は大丈夫という考えだったようである。もし、あなたが厳しい菜食主義生活を送りたいのなら栄養学的な帳尻を合わせる必要がある。菜食生活で一般的に不足しがちな栄養価として挙げられるのは必須アミノ酸、ビタミンB12、ビタミンD、鉄分などだ。これらの栄養素は鉄分を除けばすべて牛乳に含まれているので、ガンジーはそれで栄養を補っていたと考えられる。

また、栄養バランスを整える最も簡単な解決策は豆類と米というような第三世界的な組み合わせの料理を選択することだ。豆は必須アミノ酸が含まれ、鉄分、カリウム、カルシウム、食物繊維なども効率的に取れる食品で、インド料理では広く使われている。現代の日本人の食生活において、豆は摂取をもっと増やしたい食品だ。厚生労働省は1日100g以上の豆の摂取を勧めているが、平均摂取量にすると半分ほどしか達成できていない。主義にかかわらず我々は日常の食事のなかにもっと豆を取り入れるべきなのだ。

ガンジーはイギリスで学んだが、西洋文明には否定的な見解を持っていた。広く知られている写真に彼が手巻きの機械で糸を紡ぐ姿を写したものがあるが、これは工業機械の導入によって雇用が奪われることに反対するためのポーズだったという説もある。これまでの日本は食生活をはじめ様々なところで欧米化を推し進めてきたわけだが、今の状況を顧みるにガンジーの思想から学べることは多いのかもしれない。

 

 

posted by タマラオ at 06:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月07日

北海道・美瑛町が農産物の海外輸出に成功した理由      No3

059.JPG
──僕が感じていることですが、世間一般で農協はよく思われていません。そうしたなかで農協がこのようなビジネスを展開していることについて、個人的にどのようにお考えですか?
「農産物をインターネットで売り、レストラン……特にフレンチレストランをやっているので変わっていると思われますが、私たちは特殊なことをしているとは思っていません。

株式会社の方がやっているサービスとそう大きく変わらないはずです。もちろん株式会社と農協では、成り立ちや社会的なミッションは異なります。しかし、基本的には経済にあわせたものをやっていれば組織として必要とされるはずです。
気をつけなくてはいけないのはバランス。農家の方々だけに寄り添いすぎてもいけないですし、農産物を買ってくれる消費者だけを向くわけにもいかない。アンテナを張り、どんどんチャレンジして、守りに入らなければ見えてくるものがあるはず」

──ブランディングに成功した要因は?
共同選果の野菜でも特に高品質のものが美瑛選果には並べられる。3つある棚のうちひとつはキッチンになっていて、農産物が試食できる。「試食は重要なもの」と考えており「(利益ではなく)農産物をPRするという決意の現れ」だという
「やはりちゃんとしたものを生産者の方がつくってくださっているということ。『いいものなのに売れない』というのは悪いものを良くしたいというより、ずっといい悩みじゃないですか。

生産者の方がちゃんとつくっているものを、きちんと伝えて評価してもらう仕組みをつくるのが我々の使命。パン工房をつくったのも小麦をPRするためです。美瑛の畑は全体で1万2000ヘクタールあるのですが、そのうち3000ヘクタールが小麦畑なんですが、これまでは原料として製粉会社に買って頂いていて、性能や特色のプレゼンはできていなかった」 小麦のPRのためにつくったパン工房では食パンとラスクしか販売していない。「パン屋ではない」からだ。

「ラスクは添加物なども入れていないため、1ヵ月しか賞味期限がありません。1ヵ月の賞味期限では例えば空港などのおみやげとしては広く売れないですよね?世の中の製品開発と我々がつくりたいものは違います。それは売ることが目的ではないからです。広く安いものを多くの方へというのは大手やメーカーさんの使命であって、我々の目的はあくまでも素材の良さを伝えること。そういう意味では商売は下手といわれるかもしれませんが」

消費者だけに目を向ければ賞味期限の長い製品を製造したほうがいい。しかし、それでは生産者のためにはならない、というわけだ。持続的な仕組みを構築するためには両方に目を向ける必要がある。美瑛の小麦粉を輸出して欲しいと様々なところから声がかかっているそうだが、ビジネスとしてうまく成立させるには『ちゃんとつくられている』というのは大前提だ。あとはそれを活かすにはどうすればいいのか、ということになる。

『美瑛選果』の成功は農産物をはじめ、地域がもともと持っていたものを最大限に活かしたところに価値がある。地方の食は日本が持っている資産だ。個人的にはその資産を有効に使えていないように思う。

──日本の農産物は優れていると言われていますが、そのポテンシャルを活かしているかというと疑問に思います。どうすればもっと活かせるのでしょうか?
「難しい質問ですが、私の体験から言えることは『既成概念にとらわれないこと』だと思います。『美瑛選果』をつくったことでプロの料理人の方とお話する機会が増えました。我々が加工用と呼んでいるジャガイモがあるのですが、シェフから『これを料理したい』と要望がありました。『これは加工用ですよ』という感じで提供したのですが、シェフが料理をしたら実においしい。その時シェフから『加工用、生食用というのは君たちの既成概念なんだよ』と言われて、はっとしました。

業界のなかだけで考えれば『加工用』でも『スープに向いているジャガイモ』という伝え方をしてもいいわけです。そのほうがつくられたジャガイモもうれしいんじゃないですか(笑)」

 

 

posted by タマラオ at 05:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月06日

北海道・美瑛町が農産物の海外輸出に成功した理由      No2

058.JPG
──日本と嗜好性という点で違いはありますか?
「好みは違いますね。例えばゆり根だったら彼らは3L以上の大きなものを好みます。やってはいけないのは日本の市場であまったものなどを海外に売るということです。誤解しないでいただきたいのは、我々は日本の市場で出回らない大きなものを輸出しているわけではありません。台湾のバイヤーが求める品質のものを、農家の方にお願いして生産していただいているんです」例えば農作物の輸出を個人の農家が手がけるのは難しい。

そうした意味でも農協が存在することで農家がつくることに専念できる、というのはメリットだ。「特別なことをしているわけではありません。例えば根や土がついていると輸出の際にトラブルになることがありますが、美瑛のゆり根でそうした問題は一度も起きていません。でもそれは輸出用だからきれいにしているわけではなく、これまでも生産者の方々が当たり前にやっていたことなんです」

──利益率や単価などに違いはあるのでしょうか。
「基本的には港渡しなので、利益は国内と変わりません。ただ国内と同じでいろんなケースがあるので、一概には言えませんけど」

──現地のパートナー会社との付き合っての印象は?
「私たちが組んでいるのは台湾では最大手のスーパーですが『ものを買ってあげる』という感じではないですね。バイヤーをはじめ社長も何度も美瑛まで足を運んでくださり、知ろうという努力をしてくれています。私たちも何度も現地に視察に行っています。お互いにはじめての試みなので、まずは人としての関係性を、という感じでしょうか」

──密な関係がやはりビジネスを成立させるポイントでしょうか。
「そうですね。いい関係性が構築できないとビジネスとして成立させるのは難しいと思います。人として付き合っていないと『一箱傷んでいたのでその分マイナスします』というようなドライな関係になってしまいます。『海外だから高く売れる』という幻想を持つのではなく、安定的に継続的に買っていただき、評価していただく。そういう点では国内も海外も同じです」

ネット販売、レストラン、フリーズドライ商品も JAびえいが成功できた理由
「海外だから特別なことをやっているわけではない」と井上さんは強調する。「我々は飲食店さん向けにも一箱から販売しています。そういうところはきめ細かくやっていきたい。インターネット販売にも力を入れています」 新鮮なうちにフリーズドライされたトウモコロシなどは添加物など一切使用していない。今後はトウモコロシをつかったスープなども商品展開していきたい、という話だ 美瑛選果にはフリーズドライ商品がある。

生鮮食品をフリーズドライするための特殊な機械を持っている農協は少ないので、独自の商品展開と言える。『コーン』をはじめ『枝豆』や『小豆』といったフリーズドライされた野菜はスナックとしてそのまま食べてもおいしいが、料理にも使える。
「フリーズドライの商品自体は以前からありました。それは主に業務用として出荷されていて、小口はわずかだったと聞いております。ところが年間100日間を直接販売に費やしていた頃、お客様の反応がとても良かったので今回、美瑛選果をオープンするにあたりパッケージを新しくして販売したところ評判良く売れてくれました」

──現在では『美瑛選果』を中心にブランド構築に成功されたといわれていますが、振り返って困難だった部分は?
「言葉では、新しいことにチャレンジはするんだ、と言っても、当時の物流の流れはコンテナ単位だったので『じゃがいも一個』売るというのは仕組み的に難しかったですね。あとは会社、特にオーナー企業などは決断のスピードが早い。ところが我々のような農協が大きなことを決めようと思うと『年に一回の総代会で』ということになります。そのスピードの違いというか、決済の違いは大きかったです」

 

 

posted by タマラオ at 06:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月05日

北海道・美瑛町が農産物の海外輸出に成功した理由      No1

057.JPG
http://diamond.jp/articles/-/60606

政府は「農林水産物=食品」の輸出額を2020年までに1兆円水準にするという目標を定めている。世界の”食”市場は拡大を続けていて、その年には680兆円に達すると言われており、そこになんとか食い込みたいという狙いがあるようだ。
日本の農産物をこれまで以上に輸出するためにはなにが必要なのか?そのヒントを求めて、北海道美瑛(びえい)町を訪れた。この町でつくられているゆり根が台湾で人気だと聞いたからだ。

独自のブランド化に成功した北海道美瑛町の農産物
北海道の農産物はすでに国際的なブランド力を持っている。例えば日本にも進出している台湾の人気パイナップルケーキ店、SunnyHillsの売りは『北海道産の小麦粉』を使用していることで、わざわざパンフレットにも印刷されているほどだ。
なかでも美瑛は独自のブランド化に成功した地方である。国内でも美瑛の農産物は『北海道産』ではなく『美瑛産』として売られていることが多いが、海外でもそれは同じだという。美瑛町を訪れた人のほとんどが立ち寄る場所がある。

駅からほど近い場所に建てられた『美瑛選果』という農産物の発信拠点だ。ガラス張りの建物で、試食ができる直売所とフレンチレストラン、パン工房を併設している。JAがレストランまで持っている例は全国的にも非常に珍しい。JAびえい、販売企画課の井上匡史さんにご対応いただいた。『美瑛選果』の立ち上げから関わってこられた井上さんが強調されたのは「我々は特別なことをしているわけではない」ということだった。販売企画課の井上さんをはじめスタッフの多くは若い。

取材をしているといつも改革に必要なのは理解のある上司と若い現場力だと痛感する。パッケージのデザインなども内部でおこなっているそう 「美瑛は観光地として有名な富良野と、北海道で2番目に大きな都市である旭川に挟まれたいわゆる『通過型』の町で、名前もそれほど知られているわけではありませんでした。私が農協で勤めはじめた頃──ちょうと10年ほど前ですが、様々な場所で地域ブランディングが課題として持ち上がっていました。

ここJAびえいでも、私のような2年目、3年目の若手を中心にマーケティングプロジェクトチームがつくられました」井上さんたちのような若手を中心としたチームは年間100日ほどは様々な場所に農産物を持ち込んで消費者に直接販売したり、新しくカタログをつくってみたり、と様々なことを試みたそうだ。そのなかで「大きかった」と井上さんが語るのは大手広告代理店が作成した地域ブランディング・プログラムを勉強できたことだという。

「役場と農協からそれぞれの人が東京の大手広告代理店に派遣され、みっちり研修を受けました。東京の大手の広告代理店がどんな風に考えているのか生で知ることができたのは大きなプラスでした」2004年、井上さんの上司である北野和男常務(当時、参事)を中心に美瑛の農産物を購入でき、食べることができる情報発信拠点をつくる構想が持ち上がる。それまでも直売所はあったが、あくまでそれは売り場。ブランディングのためのスペースではなかった。

「ファーマーズマーケットにしては、という議論もありました。決してファーマーズマーケットを否定するわけではないのですが、大規模な農業をする北海道の生産者に対して、包装して、販売して、ましてや売れ残りを引き取ってもらうことは我々には選択できませんした。生産者の方には『いい農作物をつくるのに専念』していただきたかったからです」

年間150万人の観光客が訪れる美瑛  輸出品は“日本でのあまり”ではない
国道沿いに建てられた近代的な建物。「ジャージに長靴で入れない」という反対意見もあったそうだが、観光名所のひとつになっている。名産の小豆を添えたソフトクリームなども人気 人口1万人足らずの美瑛町には年間150万人の観光客が訪れる。『美瑛選果』を訪れる香港や台湾からの旅行者も多い。なるほど、ここを訪れて農産物の味に感動すれば、国に帰って『びえい』の文字を見かけたら思わず購入してしまうだろう。

「縁があってはじまった台湾の輸出ですが、現地は台風が多く、また気温も非常に高いため、特に野菜の栽培が難しいと聞いておりまして、かなりの部分を輸入に頼っているというので、そういう意味で助けあうことはできると思います」

 

 

posted by タマラオ at 05:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月04日

全飲食店、「タッチパネル注文」        No2

054.JPG
大手居酒屋チェーンや回転寿司の大型店などでは、随分前からタッチパネル式を導入する動きがありました。
田村:はい。ただ、私が調査し始めた頃は、専用端末を活用したシステムが主流で、導入費がとても高かった。各テーブルと厨房側に専用端末を置き、POSレジとつなげると、店の規模にもよりますが、数百万円の費用が必要でした。これではチェーンならまだしも、個人店の多くはまず手が届きません。そんな状況を一変させたのがタブレットの登場でした。汎用型のタブレットを端末代わりに使えば、システム全体を当時の水準より格安で提供できる、と考えました。

そこで3年前に開発を開始した、と。
田村:インドのIT企業と“レベニューシェア”の契約を結びました。設計は当社が担当し、開発はインド側に任せます。費用はそれぞれが負担し、利益が上がれば配分するという方法です。こうして完成したのが当社の電子メニューシステム「orderSmart」です。簡単に言えば、テーブル端末、キッチン端末、POSをクラウドサーバーで接続したシステムで、来店客はテーブルから気軽に、ストレスなく料理をオーダーできます。

お店にしてみれば注文取り業務が無くなり、人件費を大幅に削減することが可能です。端末から注文することで会計業務も簡略化されますから、“レジ渋滞”なども起きません。

導入費はどのくらいなのでしょう。
田村:汎用端末を活用することで導入費も格安で、初期費用10万円、月額使用料1万4500円から。例えば、端末を20台導入するなら月6万〜7万円といった水準です。

それって、注文取りのアルバイトを1人雇うより安くないですか。場所にもよるとは思いますが。
田村:場合によっては、そうなります。実際、焼き鳥屋さんを経営しているあるお客様は、「orderSmart」を導入した結果、現在、注文取りから調理、会計まで平日はほぼお一人での店舗運営が可能になりました。

飲食業界でも経営者の高齢化は進んでいると思われますが、「orderSmart」の操作は難しくありませんか。
田村:至って簡単です。導入時のカスタマイズも、料理の撮影まで当社が支援しますのでITが苦手な方でも問題はないと考えています。

「Face to face」がなくても顧客満足度は上がる 古くから飲食店を経営している職人肌の経営者の中には、注文業務をIT化し「Face to face」での接客がなくなると、顧客満足度が落ちるのでは
ないかと心配される方もいると思われますが。
田村:そこは考え方次第です。飲食業におけるお店と顧客の接触場面は必ずしも、注文業務だけではありません。「orderSmart」を導入し注文業務を簡略化すれば、片付けやお客様とのコミュニケーションなど他の業務にこれまで以上に力を入れることが可能です。一般的な飲食業では、ホールスタッフの作業の6割は「オーダーテイク」が占めていると言われています。

 

 

posted by タマラオ at 05:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月03日

全飲食店、「タッチパネル注文」        No1

056.JPG
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20141015/272572/?n_cid=nbpnbo_rank_n&rt=nocnt

人口減少や少子高齢化が進む中、企業現場での人手不足が深刻化している。中でも顕著なのが飲食業で、アルバイト店員が集まらず、営業時間の短縮や一部店舗の閉鎖に追い込まれる業者も続出。かろうじて営業を続行している店舗でも、スタッフ不足から注文業務に支障が出るなど顧客満足度の低下につながりかねない状況となってきた。そんな中、改めて注目を浴びてきているのが、人手を介さないタッチパネル式の注文システムだ。

従来は、専用端末が必要で導入費が高く、中小零細店には手の届かない仕組みだったが、最近は、タブレットを活用し格安でシステムを提供するサービスも増えてきた。その中の1つ、HT‐Solutionsの田村久則社長に、飲食業界の人手不足の現状と、格安タッチパネル注文システムのメリットを聞いた。

田村 久則(たむら・ひさのり)株式会社HT‐Solutions代表取締役。1960年山口県生まれ。54才。1984年に法政大学工学部卒業、IT会社に入社しシステムエンジニア、業務コンサルとして活躍。2006年に株式会社HT‐Solutionsを設立、「個人店の味方!飲食店向けセルフオーダーシステム(orderSmart)」の普及に尽力。

まずは会社概要を教えてください。
田村:HT‐Solutionsは2006年11月設立の企業で、技術者の派遣を主力に事業を展開してきました。派遣業は現在も収益の柱ではあるのですが、会社の規模が大きくなる中で、フロー型ではない、より安定性の高いストック型ビジネスにも着手して会社の基盤を固めたい、という思いもずっと持っていたんです。そんな流れから、3年ほど前に、タッチパネル式メニューシステムへの進出を決断し、今年春から販売を本格化しました。

なぜタッチパネル式メニューに鉱脈ありと判断されたのですか。もともと飲食業のご出身とか? “個室化”が加速させた飲食店でのイライラ
田村:いえ。実は私自身、お酒が好きでよく飲みに行くのですが、数年前から様々なお店で、注文したくても店員がなかなか来てくれない事態に出くわすようになったんです。最初は、飲み放題の店などは故意に顧客を無視して利益を確保しようとしているのではなどとも考えたのですが、普通のお店でも同じ現象が見受けられる。これは、業界全体で今後、人手不足が一気に進行する予兆と考え、「注文業務のIT化」に大きなビジネスチャンスがあるのではないかと思うようになりました。

確かに、最近は、飲食業界の人手不足を痛感させられる局面が増えました。注文の際に顧客を待たせないよう「呼び鈴システム」を導入するお店も増えていますが、呼び鈴を押しても店員が来ないケースもあります。呼び鈴がない店より、余計イライラしてしまいます。

田村:背景には、人手不足だけでなく、居酒屋などを中心に個室化が進んだこともあると思います。店舗の構造が複雑化したことで、1人の店員が店全体に気を配ることが難しくなっているんです。

全国的に急増する恐怖の“店員隠れ居酒屋”
分かります。私自身、先日、上野の“隠れ家風個室居酒屋”に行ったんですが、それはもう完全な人手不足で、「隠れ家風居酒屋はいいけれど、店員まで隠れてどうする!」と思わず指摘したくなるような有様でした。呼び鈴を多少鳴らしたところで素早く注文を取りに来る気配は全くなく、閉口したのを覚えています。

田村:そうした人手不足の店は都心部だけでなく、地方でも増えています。先日、佐賀県の方から引き合いがあり現地を視察したのですが、佐賀は、都心部でブームになる前から個室の居酒屋が多いそうです。都心に違わず飲食業における人手不足は深刻化していて、そのお客様は新たにお店を始めるに当たり、最初からお客様のためタッチパネル式メニューを導入したい、ということで私どもに連絡を下さったんです。

 

 

posted by タマラオ at 06:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記