2014年11月29日

日本料理の幅を大きく広げたすり鉢のぎざぎざ「櫛目」 No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42080

蕎麦屋や和食店で、小さな「すり鉢」と「すりこ木」が出てくることがある。すり鉢のなかにはゴマやクルミなどの薬味が入っている。自分でお好みにすってくださいというわけだ。料理を待つ間、ゴリゴリとやる。最初は押しつぶすようにして砕き、ほどよく細かくなったら、ぐりぐりとすりこ木を回す。だんだんと油がにじんできて、ほのかな香りが漂う。すりこ木が快調に回り出したら、ずいぶん細かくなった証拠。そうこうしているうちに料理が運ばれてくる。料理が来るまでのちょっとしたアトラクションだ。 すり鉢と、山椒の木でできたすり
こ木。すりこ木の材は、櫛目を傷つけない適度な硬さのものが適しているとされ、山椒を第一に、柳や桑なども使われてきた

「する」道具といえば、ふだんから家で使っているかどうかはさておき、多くの人はすり鉢とすりこ木を思い浮かべるのではないだろうか。「する」道具を調べていて、ことのほかすり鉢礼賛の記述が多いのに驚いた。 たいていは「あまり使われなくなったけれど」といったような前置きがある。それから「でも」と逆説がきて、そのあとに「いろんな料理に使える」「すり鉢ですると風味がいい」とすり鉢のよさが強調され、「ひとつあると便利」と締め括られる。

私が見たなかで、もっとも古いのは1975(昭和50)年4月号の『暮しの手帖』で見つけた<すり鉢を見直す>という記事。となるとすり鉢は、いまから40年ほど前からずっと見直され続けていることになる。 便利な電動のミルやミキサーがたくさんあるにもかかわらず、なぜこれほどまですり鉢は消えそうでいてしっかり残っているのだろうか。そこには、なにかしら理由がありそうだ。

昔のすり鉢には櫛目がなかった
すり鉢の歴史はかなり古い。大阪府の陶邑(すえむら)や愛知県の猿投(さなげ)など6世紀の遺跡から、すり鉢の原型とされる形状の須恵器(すえき)が出土している。この頃のすり鉢は、現在のものよりも口が狭く、高さがあり、底の高台にあたる部分が広がっている。 それ以前はどうやって木の実などをすり潰していたかというと、窪みのある石皿と磨石(すりいし)がセットで使われていた。石などの硬い材質を使った「する」道具というと、メノウのほかに磁器やガラスなどが使われる乳鉢と乳棒の組み合わせを思い出す。

だが、日本では乳鉢と乳棒はもっぱら薬などを調合するのに用いられ、食材をすり潰すための陶器のすり鉢やすりこ木と、明確に使い分けられてきた。 話をすり鉢に戻すと、その出土例が増えるのは平安時代の半ばからだ。平安時代末期から鎌倉時代にかけて書かれた中山忠親(なかやまただちか)の日記『山塊記(さんかいき)』では、1179(治承3)年の記述に「摩粉木(まこぎ)」という、すりこ木を示す言葉が登場している。

このようにすり鉢は鎌倉時代から徐々に広まっていき、南北朝時代から室町時代にかけて広く浸透した。1351(観応2)年制作の『慕帰絵詞(ぼきえことば)』という、親鸞のあとを継いだ本願寺三世覚如を描いた絵巻物では、囲炉裏のそばにすり鉢とすりこ木が置かれているのが見てとれる。寺の厨房が描かれた『慕帰絵詞』の一場面。ざるや水桶と並んですり鉢とすりこ木が置かれている(国会図書館蔵) 普及に伴い、すり鉢に1つの大きな変化が生まれた。それは、内側に櫛目が刻まれるようになったことだ。

現在使われているすり鉢には、内側に放射状に隙間なく櫛目がつけられている。だが、古いものには、実は櫛目はない。それが鎌倉時代の備前焼のものに、数本の櫛目が現れる。それからだんだんと櫛目が増えていき、室町時代後期ともなると、だいぶ細かい櫛目が施されるようになる。現在のようにびっしり筋目がついたものは、江戸時代になってから登場したものだ。 となると、この櫛目の変化はいったい何を意味しているのだろうか。

 

 

posted by タマラオ at 05:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記