2014年11月10日

「メキシコは安全性(日本)より価格(中国)を取ったのか」     No1

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http://diamond.jp/articles/-/61736

メキシコ高速鉄道プロジェクトに三菱重工が応札を「断念」?
話しは少し前の10月19日にさかのぼる。この日、10月19日、レコードチャイナは「メキシコの高速鉄道プロジェクト、中国企業が唯一の応札者に=日本企業は断念」を見出しに、中国語記事の日本語訳を掲載した。これをヤフーニュースやエキサイトニュースが取り上げ、記事は瞬時に伝播。すると、日本全国の鉄道ファンから失望の声が上がった。 「メキシコは安全性より価格を
取ったのか」――。

記事はメキシコシティ〜ケレタロ間高速鉄道国際競争入札の結果を伝えるもので、「日本の三菱重工、フランスのアルストン、カナダのボンバルディア、ドイツのシーメンスも入札を検討していたが、最終的には断念した」と報じられた。自称“乗り鉄”の友人にこの話題を向けると、電話の向こうから「ああ、それねえ……」と苦しそうな声が返ってきた。ニュースは彼の聞き及ぶところでもあり、「中国が唯一の応札者になったということは、安さ以外に理由はない。日本が入札断念したのは、メキシコ側がすべて価格で決めるとわかっていたからだろう」と解説を加えてくれた。

一方、時期をほぼ同じくして、日本では10月20日、「海外交通・都市開発事業支援機構」が発足した。鉄道や高速道路などのインフラ輸出に官民連携で取り組もうと、いよいよ本腰が入ったのだ。だがそんな中で流れた「断念」というニュースは、決して幸先のいいものではない。世界の市場が最後には安全性ではなく価格を取るとしたら、高コストと言われる日本勢にとって勝負は見えているからだ。本当に三菱重工は「安い中国」に負けてしまったのだろうか。

ことの次第を三菱重工の広報に問い合わせると、意外な答えが返ってきた。 「メキシコで高速鉄道の計画があるということは知ってはいるが、当社としてフォローはしていません」 「断念」もへちまもない。記事は
事実に反していたのだ。
あたかも「先進国が一斉に手を引いてしまった」かのように伝えるこの“ゆゆしきニュース”は、一体どこから流れて来たのだろうか。 「中国が率いるコンソーシアムがメキシコ高速鉄道プロ
ジェクトの唯一の応札者に」という見出しを掲げていち早く報道したのがロイター(米国サイト)だった。

だが、10月15日付のロイターの記事には「Japan」の「J」の字も見られない。 「先進国が断念した」というくだりもない。あるのは「カナダのボンバルディアとドイツのシーメンスがこのプロジェクトに以前から興味を示していた」というセンテンスだけだ。また、英字メディア「モニターグローバルアウトルック」によれば、メキシコ議会がこの入札を発表したのが今年2月のことであり、日本、韓国、ドイツ、カナダは興味を示すも入札までの準備期間が短すぎたため入札を断念した、という説明がある。

「断念」とはあるが、三菱重工の社名は出てこない。中国メディアがさらに独自に取材をすれば、具体的な社名が出てくる余地もあるが、それにしても三菱重工側のコメントとは合致しない。記者がでっち上げたのだろうか。

なぜ中国が唯一の応札者となれたのか?
一方、中国側の記事は、「唯一の応札者となった中国企業」はあたかも競争力でコンペティターを振り切ったかのような印象を与えるものだ。ところが英字メディアを読むと、なんのことはない、今回は「時間に間に合わなかった」だけだったことがわかる。また、英字紙のチャイナデイリーには「16の国際企業が時間の制限を理由に入札手続きを行わなかった」という、さらに詳細を物語る一文があるのだが、これが与えるのはむしろ、「なぜ中国だけにそれができたのだろうか」という疑問でしかない。

昨年、習近平国家主席はメキシコを訪れ、ペニャニエト大統領との緊密ぶりを披露したが、この外交が奏功したのだろうか。あるいはルールを無視したのかもしれない、ひょっとしたら贈賄など不正を働いた可能性もある。逆に疑惑の臭いすら立ち込めてくるのだ。他方、米メディアのモニターグローバルアウトルックの“落ち”だが、記事は次のように締めくくっている。 「メキシコ政府によ
れば、中国の入札は審査の過程にあり、条件に合わなければ、再び入札が行われるだろう」

記事は、中国が唯一の入札者だったとしても、それが契約を勝ち取ったことを意味するものではないということを伝えていた。

 

 

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2014年11月09日

中国はなぜ日本を超える経済大国になったのか? No5

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実際、中国は北京オリンピック後、不況になった。しかもタイミングの悪いことに、アメリカのバブル崩壊、いわゆる「リーマン・ショック」まで重なった。そのせいで2008年の中国は、経済成長率が6%まで落ち込み、失業率も4%を超えてしまった。経済成長率は、21世紀に入ってからはずっと10%を超える高度成長中だっただけに、この落ち込みはデカい。しかも失業率4%って日本並みだ。そこで中国政府は、2008年から「4兆元投資」という不況対策を始めた。

これは日本円にすると約64兆円規模という、信じられないスケールの大規模公共事業計画だ。加えて中国人民銀行(中国の中央銀行)が、中国にしてはかなり大胆な金融緩和(貸出金利を「7%→5%ちょい」ぐらいに下げた)を数年続けたせいで、中国の銀行は人民銀行から数年間「毎年8兆元前後」の金を借りまくった。この流れ、日本人なら胸騒ぎがするね。そう、バブルの予感だ。実際中国では、この後一気に不動産バブルが起こった。

マンションや別荘が売れまくり、豪華なテーマパークやショッピングモールが急増した。この流れは経済発展の遅れていた内陸部にも波及し、産業も何もないショボショボな町にいきなり場違いな豪華マンションやモールが出現し、あっという間に廃墟(=鬼城)と化したりもした。この辺は日本のバブルと似ているが、スケールが違う。さすが中国だ。他にもこの時期は、ちょうど中国でもIT化・モバイル化の波が押し寄せていた頃だったから、それらを使って一気に株式ブームにも火がついた。

確かにスマートフォンやネットは、株式投資とメチャ相性がいいもんね。あとよく耳にしたのが「理財商品」。これは銀行や中国版ノンバンク(地方融資平台。銀行規制をかいくぐる組織だから「シャドーバンキング」という)が扱う“短期・小口・高利回りの金融商品” だ。その中身は後述するけどサブプライム・ローンと同じ、あのアメリカ
バブルを弾けさせた元凶である、貸出債権を小口に証券化したようなものが多い。

“アメリカバブル崩壊の元凶” なんて聞くと、ああやっぱりバブルの国は危なっかしい投機に浮かれているなと思うかもしれないが、よくよく考えたら「短期で小口な商品」は、リスクヘッジ(回避)した結果生まれてきた、安全な商品のはずだ(「長期で大口」の方がどう考えても傷が深そうでしょ)。そう考えると、サブプライム・ローンがアメリカ経済をおかしくしたのは、単に低所得者向けのローンというものがヘッジしきれないほどリスキーだっただけであって、理財商品のすべてがヤバいということではない。

しかし、中国のマズいところは、銀行員がこの理財商品を「100%安全です。儲かります」と言っちゃうところだ。これはダメ。国民性なのかモラルの欠如なのかはわからないが、100%儲かる高利回りの金融商品なんてない。“低利・堅実”の金融商品・国債ですら、その国がデフォルト(債務不履行宣言)すればアウトだ。100%儲かるなんて、そんな魔法みたいなものがあるなら、今頃、隣国は13億人の富裕層であふれ返り、歯医者の待合室で金歯の順番待ちしながら「今度は本州でも買いに行きますか」とかウシャウシャ相談しているはずだ。

そんなわけだから、たまに理財商品の失敗があると、中国では大騒ぎになる。でも中国人は、こんなことではへこたれない。まだ世の中からは、バブルの臭いがプンプンしてくるからだ。そもそも中国にノンバンクができているあたり、まだまだ中国全体から金への執着心を感じる。バブルは気持ちいいくらい人間を欲望に忠実にする。今の中国は、すがすがしいほど醜い。それは間違いなく、かつての日本と同じ姿、つまり世界一の“拝金国家”の姿だ。

 

 

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2014年11月08日

中国はなぜ日本を超える経済大国になったのか? No3

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もともと革命の思想は暴力革命を肯定するから、まったく歯止めが利かなくなった。最終的には紅衛兵同士の派閥争いまで激しくなり、中国は内戦に近い状態にまでなった。その他、政治の舞台でも「四人組」(毛の妻・江青ら四人の腹心)を中心とするどす黒い権力闘争があった。この頃はもう毛沢東自身が年齢的に相当衰えてきており、四人組の暴走を止めるどころか気づかないことも多かったという。でも、この文革もようやく1976年、毛沢東の死をもって終わりを迎えた。

この後「四人組」を始めとする文革派が失脚し、数年前に復権していた」小平が権力を掌握する。」小平が市場原理を導入した「改革・開放」政策。毛の死後、四人組との権力闘争に勝利した」小平は、国家主席にこそならなったが、事実上中国の最高指導者となった。そんな彼が1978年から始めたのが「改革・開放」政策だ。これは市場原理や外資導入をめざしていくもので、従来の毛沢東が築いてきた社会主義路線とは明らかに一線を画するものだ。

この大胆な路線変更の背景には、」小平に、毛時代の停滞への焦りがあったのと、国連に中国代表団長としてニューヨークを訪れたときの驚き、さらには、日中平和友好条約で来日した際の日本の発展ぶりへの驚きなどがあったらしい。
そりゃ驚くだろうね。だって自分が国内で3回も「失脚→復権」のドタバタ劇を繰り返している間に、かつての敵・日本は、いつの間にか戦後復興・高度成長を経て世界第2位の経済大国なんかに納まっているわけだから。

この驚きと焦り、期待と不安は、まさに鎖国明けの日本と同じだ。」小平にも同じ思いが見て取れる。だから彼は、「改革・開放」政策で自由主義的要素を導入しつつ、天安門事件(1989年)では自由を求める民主化運動を弾圧した。これらは一見矛盾した動きに見えるけど、こう考えたらどうだろう。 「政府主導で、発展している自由経済を導入してやる。それ
が定着するまでは政府に従え。その間お前らの自由はナシだ」

これは、フィリピンやインドネシアや韓国で見られた「開発独裁」と同じ思考だ。これならうまくつながるでしょ。というわけで始まった「改革・開放」政策。では、これからその中身を見てみよう。 「改革・開放」政策で
は、まず沿岸部の5地域を「経済特区」に指定して、そこを外国資本導入のモデル地区とした。場所は香港・マカオ・台湾などの近くで、資本主義経済圏との接点を持ちやすい地点。そこに外国企業を受け入れて、関税・法人税・所得税などでの優遇措置や企業としての経営自主権などを保障した。

このやり方は、「資本主義的経営を学ぶ」という意味で、中国側にメリットがあると同時に、「10億人以上の市場・安価な労働力の確保」という意味で、資本主義国の企業側にもメリットがある。その他「改革・開放」政策では、企業自主権の拡大や、金融・財政・流通分野の市場化なども行われた。それから「改革・開放」政策では、「生産請負責任制」という新たな農業政策も始まった。

これは共産党が設定したノルマ以上の生産物を自由処分できるという“農業への市場原理の導入”で、この頃から「万元戸」(大金持ち)なんて言葉も生まれ始めた。そして当然、毛沢東が奨励した人民公社は解体された。
こういうやり方で「2000年までにGDPを1980年の4倍に」まで引き上げていくことを目標として掲げ、その後中国はGDPの平均成長率を9%という高い水準で保ち、ついにこの目標を達成した。

 

 

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2014年11月07日

中国はなぜ日本を超える経済大国になったのか? No1

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http://diamond.jp/articles/-/60479

今や“世界第2位の経済大国”となった中国。バブル景気に浮かれる様子を斜めに見るしかない日本にとって、この国はいつの時代も近くて遠い国だ。日米欧三役そろい踏みで負傷中のなか、「眠れる獅子」はなぜ目覚めたのか?戦後の国づくりから今日のバブル、今後のチャイナ・リスクまで、教養として最低限知っておきたい中国の現代経済史を、代ゼミの人気No.1講師が面白くわかりやすく教える。

毛沢東は革命の天才だが、国づくりは下手くそ
日米欧に代わる新興国の台頭、新しい世界の組長になる可能性を秘めた、躍進中の中国の経済について取り上げてみよう。 「中国が伸びてきたね〜」なんて言い方をしていたのは、今や
昔の話。もともと基礎体力のある国(人口が多い・国土が広い・資源が多い)だけに、伸び始めると速い。今の中国は分野にもよるが、トータルで日本より前を走っている。“世界第2位の経済大国”という日本人お気に入りの称号も、2010年にGDPを抜かれて以降、今や彼らのものだ。

でも、アヘン戦争の頃から“眠れる獅子”が得意技で、ずーっとそのデカい図体を持て余していたはずの中国が、一体何がきっかけでここまで“目覚めた”のか!?それをこれから考えてみよう。戦後中国は、毛沢東によってつくられた。毛沢東は、革命の天才であり、中国建国の父だ。彼は戦時中、植民地化が進む中国内で宿敵・蒋介石の国民党と手を組み(=国共合作)、日本軍に抵抗した。そして、第二次世界大戦が終わるやいなや、今度はその国民党と戦い(=国共内戦)、勝利した。

そして蒋介石ら資本主義の国民党一派が台湾へ亡命した後、ついに1949年、中華人民共和国の建国を宣言した。社会主義の中国の誕生だ。ここまではよかった。だが、ここからがいけなかった。実はこの毛沢東、革命の天才ではあったが、国づくりはものすごく下手くそだったのだ。毛は1956年、「百花斉放百家争鳴」を提唱した。これは“共産党への批判を歓迎する”という運動で、ソ連でフルシチョフが、死んだスターリンを批判し始めたのとほぼ同時期に始まった。

ということは、毛沢東はそこから“ソ連型の抑圧政治は反動がキツい”と感じ取り、それを反面教師にして、中国を国民誰もが思ったことを口にできる「開かれた社会主義」にしようと思ったわけだ。なるほど、さすが毛沢東。しかし、いざフタを開けてみると、まあ出るわ出るわ、毛の予想をはるかに上回る“共産党批判”が噴出した。毛沢東はそれにカッとなり、「反右派闘争」と称して悪口言っていたやつらを片っぱしから探し出し、粛清した。ヒデぇ、ムチャクチャだよこの人。「絶対怒んないから本音を聞かせろ」と言っていたくせに、聞きたくない本音が出てきた途端、お前らクビだと騒ぎ出すバカ社長みたいだ。ケツの穴ちっちゃいなら、でかいフリなんかしちゃダメだ。一回こんなことをやると、もう誰も本音なんかしゃべらなくなるぞ。

迷走し始めた「大躍進政策」
さらに、毛は1958年、「大躍進政策」を提唱した。これは当時、ソ連がちょうど「アメリカの工業生産に15年で追いつき追い越す」と宣言したのに刺激され、中国も「イギリスの工業生産に3年で追いつき追い越す」と言い出した計画だ。
これはフルシチョフ嫌いの毛沢東が、ソ連と“張り合うフリをしてパクった”感のある計画だけど、何にせよ具体的な目標に向けて走るというのは、いいことだ。しかし、このときに行われたのは、工業化とはほど遠いことだった。

 

 

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2014年11月06日

空気よりも汚れている中国の土と水 No3

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鈴木さんは次のように話す。
「中国では、すでに全国規模で農地が重金属類と農薬で汚染されています。その1つの要因は“河川”にあります。日本の河川は山地から流れ出し、海へと到達する距離が短く高低差があるため、汚染物質をあまり残しません。一方、中国の川は距離が長く勾配がありません。そのため、重金属類などの汚れがどんどん河床に溜まっていきます。そうやって汚染された川の水が農業用水、生活用水として使われているのです」

「また中国の農薬は半減期(土壌中の濃度が半減する期間)が問題です。日本では半減期を最大で半年と設定していますが、中国の場合は基準が曖昧なのです」 こうした汚染は、日本で生活する日本人にとっても無縁ではない。鈴木さんは続ける。 「中国の農産物を輸入する際、残留農薬をチェックすることはできても、植物体に取り込まれた重金属類までは検査していません」

やっぱり必要な日本からのサポート
中国では大気汚染の解決がようやく国家的課題となったようだが、土壌汚染との闘いはこれからだ。そこに必要とされるのが日本のサポートである。 前述のように、日本でもかつては企業が工業排水を海や川に垂れ流し、また土中に穴を掘って埋めていた。だが、公害反対運動を経て1967年に公害対策基本法が制定され、それに続き大気汚染防止法(68年)、水質汚濁防止法(70年)、悪臭防止法(71年)などが立法化された。

1975年には民間の公害防止関連投資額は約9650億円に達した。GNPの2%に相当する世界でも例を見ない莫大な投資であった。 こうした過程で蓄積した技術と経験によって、現在の世界一の環境保全技術が出来上がったのである。その後、経済協力開発機構(OECD)や国連が各国に対しGNPの2%を公害対策費用に充てることを提唱しているが、これは日本にならったものである。

調査研究や技術開発で中国でも名を知られる鈴木さんのもとには、中国地方政府からの訪問や技術サポートの要請もある。それに応じて鈴木さんは何度も中国を訪れた。 筆者は、中国の土壌汚染を解決するために、今後どんな取り組みを行っていくのかを鈴木さんに尋ねてみた。だが、返ってきたのは意外な返事だった。 「中国でやるつもりはありません」 その理由を鈴木さんは次のように打ち明けた。

「正確に言えば、数年前までは中国に対して自分の経験やノウハウを教えたいと思っていました。日本が犯した間違いはやるなよ、と啓発したかった。けれども、その考えは変わってしまいました」 鈴木氏の考えを変えてしまったのは、鈴木さんを訪ねて来日したある地方政府の役人の一言だったという。 「私たちはしょせん3年しか任期がありません。その間に注目を浴び拍手喝采される事例を1つでも作れればいいんです」

この役人、うっかり本音を漏らしてしまったようである。だが、鈴木さんはその程度の考えでしかないことを知り、愕然とした。 中国の役人にとって土壌汚染は他人事でしかない。汚染されているのは祖国の国土なのに、“国土防衛”をなぜ日本人がやらなければならないのか。役人たちは表向きは確かに一生懸命だ。だが、それは在任期間だけで、自分が離れてしまえばあとはあずかり知らぬこと、というわけだ。

 

 

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2014年11月05日

空気よりも汚れている中国の土と水 No1

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JB Press 2013.12.03 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39328

姫田 小夏 ; 中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務等を経て97年から上海へ。翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、東京で「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「アジアビズフォーラム」を主宰。現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ひと、こころ」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動を行う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。目下、30年前に奈良毅東京外国語大学名誉教授に師事したベンガル語(バングラデシュの公用語)を鋭意復習中。

懸念される公害病、頼みの綱は日本の技術だが
2013年8月、中国メディアの「消費者報道」が、ある日本人を取り上げた。記事のタイトルは「鈴木喜計;中国急需为土壤污染立法(鈴木喜計さん;中国は土地汚染の立法化を急げ)」。日本人専門家が中国の土壌汚染に警鐘を鳴らすという内容であった。 2012年の反日デモ以来、中国メディアが日本人を取り上げるケースは少なくなった。ましてや大国意識を強める中国が、日本の経験に学ぶという姿勢はなおさら希薄だ。

そんななかで、このインタビューは、中国の土壌汚染を克服するために日本の技術や経験に学ぼうという意図を含む、昨今珍しい記事でもあった。

千葉県木更津市で「君津システム」という会社を経営する鈴木喜計(すずき・よしかず)さんは、公害問題の専門家でもある。特に土壌・地下水汚染の分野では、独自の調査・浄化手法を自ら開発、体系化し、学会や行政プログラムを通じて3000人を超える国内外の研究者・技術者を輩出している。 また、環境地質学を創造した研究者であり、国内外で150を超える汚染現場の完全浄化を果たした「土壌・地下水汚染の調査と浄化の第一人者」である。日本では2003年から「土壌汚染対策法」が施行されたが、この立法化にも尽力した。

「こりゃダメだ」と思った肥料工場跡地
鈴木さんの調査研究や技術開発は、今や中国も注目するところとなっている。 「消費者報道」の記事は、鈴木さんが2008年に広東省の肥料工場の跡地を訪れたときの様子を取り上げている。この土地は、中国最大手のデベロッパー、万科企業がマンション開発をした敷地で、汚染された土地の上で進行する建設をめぐり住民との対立が続いていた。記事は、汚染状況を測定した鈴木さんを次のように描写した。

「土壌の表層から深さ9メートルに達したとき、鈴木氏に驚きの表情が表れた」
その土地の汚染はどれほどのものだったのか。筆者は木更津市の鈴木さんを訪ねた。鈴木さんは具体的な数値こそ明かさなかったが、そのときの様子を次のように語った。 「こりゃダメだ、と思いましたね。その土中からはベンゼンなどの化合物が検出されましたが、これは白血病の原因ともなります。それ以外にPCB(ポリ塩化ビフェニル)や農薬も検出されました。 土壌汚染には、下から上がってくる揮発性の有機化合物もあれば、水中に溶け出す重金属類もあります。けれども、中国政府が問題視しているのは重金属類だけ。土壌汚染を規制する法律もなければ、基準値もないに等しい状況なのです」

中国の国土は10%が汚染されている
中国では、ブルドーザーが土地を整地してどんどんマンションを建てているが、都市部のマンション用の土地は、大半がもともとは工場用地だと言っていい。近年は工業用地の多くがマンション用地に転用され、多くの住民は汚染の上での生活を余儀なくされている。そのため「中国のマンションの多くは土台そのものが汚染されています」(鈴木さん)という。 この問題は広東省だけに限った話ではない。上海もまた同じである。

 

 

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2014年11月04日

中国・巨大市場にまだまだ未練あり?  No1

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世界の流れに逆行する日本企業の対中投資 2013.07.16 JB Press
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38220?page=4

姫田 小夏 ;中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務等を経て97年から上海へ。翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、東京で「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「アジアビズフォーラム」を主宰。現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ひと、こころ」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動を行う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。目下、30年前に奈良毅東京外国語大学名誉教授に師事したベンガル語(バングラデシュの公用語)を鋭意復習中。

ある日本人ビジネスマンからこんな話を聞いた。「中国は景気が悪いというが、メディアが騒ぐほどウチの企業は悪くない。むしろ、底打ち感を感じている。下期以降は持ち直してくるだろう」  あまり明るい話を聞かない日本企業の中国ビジネスだが、一部の工作機械メーカーなどはそれなりの手応えを感じている。労働力不足の中国では工場の自動化が急ピッチで進められており、彼らにとっては「これからが稼ぎ時」のようである。 また、こんな声もある。

「(2012年9月の)反日デモ以降、弊社の現地法人のある市政府は、まめにケアしてくれるようになった」(江蘇省丹陽市の自動車部品メーカー) 「瀋陽市では反日デモ直後、副市長が日本の現地法人を訪問し、『何かあれば守りますから』とメッセージを残した」(瀋陽市の日系コンサルティング企業) フットワークの鈍い中国の地方政府が、反日デモ以来、一転して面倒見が良くなったというわけである。心証悪化を必死で挽回しようとする地方政府のあわてぶりが見て取れる。

昨今は高齢者介護という新しいビジネスも動き出している。ハード、ソフトともに日本企業への期待は高い。 だがその一方で、ヤマダ電機が2013年5月末に南京市の店舗を閉鎖し、伊勢丹は6月に瀋陽市の店舗撤退を発表した。故・田中角栄氏の「手ぬぐい8億本」(日中国交正常化の際に発言した「中国国民全員が手ぬぐいを買えば8億本売れる」)ではないが、単に人口だけを見れば、中国は確かに巨大市場である。だが、中国国民の財布のヒモは想像以上に固い。

手元の資金は貯蓄に回し、なかなか購買に結びつけることはない。13億人の巨大市場が幻想であることは、進出して初めて分かるのだ。 このように日本企業の中国ビジネス環境はまだら模様だ。「反日」や「景気減速」などの言葉で一括りにすることはできない。業種やターゲット、あるいは、進出する地域によって事情は様々だ。それでも増える日本の対中投資  他方、世界が中国投資を減速させる中で、日本の投資額がなぜか増加するという不思議な現象が起きている。

「日本企業は中国に対してのみ投資を増やしたわけではない」(日本貿易振興機構)という指摘もあるが、中国商務部によれば、2013年1〜5月の日本企業が行った対中直接投資は34億500万ドルで、前年比5.4%増となった。伸び率こそ減速したが、4年前の2009年と比較すると倍増である。 つまり、現時点では日本企業の中国への関心は薄れてはいないと言ってよい。筆者はこの6月、いまとなっては珍しい対中投資誘致セミナーに出席したのだが、会場はガラガラなのではないかという予想に反し、100を超す席の8割以上が埋められていた。

 

 

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2014年11月03日

なぜ中国では町工場が育たないのか No3

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日本のものづくりを支えてきたのは、「1階が工場、2階が住宅」というような、超職住接近型モデルである。“大田区ものづくり”の心臓部には“縄のれん”もあればクリニックもある。マンションもあれば、公園もある。近年は工場跡地にマンションなど住宅が建設される事例もあり、新しく転入してきた住民と従来から工場を操業する経営者のとの間で摩擦もある。とりわけ90年代以降は環境意識の高まりとともに、工業への圧力は高まるばかりだが、それでも互いに歩み寄りを示し、この住工混在を維持しようとしていることは興味深い。

時代は明治にさかのぼるが、「日本資本主義の父」とも称される渋沢栄一が当時、ドイツの工業都市・エッセン市に赴いた際、製鉄工場の職工の寄宿所を訪れている。そのときの感想を著書『青淵回顧録』でのように綴っている。
「エッセンの工場に属する職工の寄宿所が、エッセンの近傍に市街の如くに作られてあつて、万事非常に行き届いたもので、(中略)殆ど高尚なる小別荘のやうにしてあつた。(中略)其の市街の中には寺もあれば学校もあり、倶楽部もあれば又病院もあった」

こうした労働者の住環境を評価しその理由について「職工を安楽に住はせなければ、例のストライキのやうなものが起こる恐れがあった」と記している。渋沢自身は、江戸時代から続く日本の職住混在型を否定し、職住分離の推奨者としても知られ、田園都市の建設に傾斜していくが、彼がドイツで刺激されたのはむしろ「職という環境の中に確立された文化的生活」だったようだ。

工場地帯の中に都市空間が広がる金橋加工区話を中国に戻そう。中国の学者らの間にも、あまりに明確に区分された工業開発区と一般街区の隔たりを指摘する声が存在する。今後中国においては、工業、商業に労働者の住宅と生活が有機的に結び付いた工業都市の発
展がひとつの課題となるだろう。中国製造業が成長する上で「産業と生活の融合」は欠かせないプラットフォームであり、現に嘉定区の安亭汽車城や金橋輸出加工区では住工混在型の発展モデルがようやく模索され始めた

質の低い公務員が管理する開発区では企業の前途が見極められない
それでも中国人工場経営者らの悲観論は続く。LED照明の研究開発、生産、販売を手掛ける中国人経営者B氏は、開発区を管理する公務員らの質の低さを指摘する。 「開発区を管理するのは地元政府の役人
であり、特に科学技術面に長けた者がトップの座に就くが、彼らはマネジメント力に欠ける上、企業に対する客観的分析能力も持たず、潜在的優良企業を見抜く力がない」外資系企業が入居する国際的に開かれた開発区は別格だろうが、地元企業相手の開発区では問題山積だ。

中国の名門大学である復旦大学を卒業したB氏が手がける製品は、独自に築いた最新モデルによる市場優位性を持っている。にもかかわらず、補助金など中小企業の支援策を受けることができない。B氏の会社は現在の売上規模が小さいため、開発区や地元政府の支持を得にくいようだ。 「開発区や地元政府の支持を得られるのは、結局、贈賄に成功し
た企業だ」とB氏は明かす。ちなみに、B氏には贈賄経験が一度もない。技術開発に自信のある証拠なのだろうが、それだけではやっていけないのが現実だ。

 

 

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2014年11月02日

なぜ中国では町工場が育たないのか No1

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DIAMOND 2013年11月22日 http://diamond.jp/articles/-/44875

姫田小夏 ; 中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。97年から上海へ。翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「アジアビズフォーラム」主宰に。現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ビジネス、ひと」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動を行う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。

中国製造業が自信を失っている。「世界の工場」と騒がれ、世界を席巻する「メード・イン・チャイナ」と一世を風靡したのも束の間、過去10年の栄光は衰退に転じようとしている。先ごろ、米誌フォーブスは、「世界の工場としての地位を失いつつある中国製造業界の反応は、80年代の米国と酷似する」とした記事を掲載した。同誌は中国製造業界の問題点を次のように指摘している。『現在の苦境の原因を外部圧力のせいにし、自らの経営モデルを見直さない。

従業員が低賃金と長時間労働を受け入れなくなった。中国の銀行は企業に対して低利の融資をしない。沿海都市の工場を、内陸部やアジアの他の国やアフリカ諸国へ移転させている。中国政府が政治的圧力を駆使して、企業を外国企業から保護するとの思い込みがある。数百万の企業経営者が、財産権を強化した法律を持つ国へ資金・資産を移転させようとしている』

昨年、世界4大会計事務所の一つであるデロイト・トウシュ・トーマツと米国競争力評議会(U.S. Council on Competitiveness)が「2013年世界製造業競争力指数」を発表し
た。それによると、「2013年の製造業競争力の首位は中国であり、しかも今後5年間は中国が首位を保つ」と予測したが、その後の展開は決して楽観できないだろう。昨今、中国国内でも「中国如何与“世界工廠”説再見」(中国はどのようにして世界の工場にサヨナラを言うか)などの議論が持ち上がっている。

世界の工場を「廉価な工業品を大規模に世界市場に供給する生産拠点」と定義するならば、労働コストが上昇に転じた中国では、“世界の工場”からの脱却を余儀なくされている。中国独り勝ちの時代は終わり、“世界の工場”の座を別の国に譲らなければならない。だが、中国はハイエンドな技術で勝負する世界の工場になれるかどうか。今夏、人気経済紙の中国経営報は、そんな危惧感を伝えていた。

中国製造業の危機と、構造転換が進まないその理由は、上述した米フォーブス誌の記事に凝縮されている。さらにそれを煎じ詰めれば、「経営環境が悪化すれば、中央政府の政策が発動されるのを待ち、自らの経営モデルを見直さない経営者」と「工場で働きたがらない労働者にある」というわけである。中国では産業の構造転換の必要性が叫ばれて久しいが、ハイエンドな技術立国への脱皮がなかなか進まないのが実態だ。

その焦りは、政府も民間も、そして学界にも共通し、年々それが色濃くなってきている。なぜ工業の高度化が進まないのか。中国にも華為や聯想などの大企業はあるが、そうした一部の例外はさておき、製造業のすそ野を支える中小企業にフォーカスしてみたい。

 

 

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2014年11月01日

深層中国 ?巨大市場の底流を読む No5

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こうした社会の変化の中で、顧客の要求水準を実現できる「技」を持った人材の価値が高くなっていくのは自然なことだろう。そこには単に労働力の供給が減り、需要と供給のバランスが崩れて賃金相場が上がるというだけではなく、「仕事の価値」に対する社会の評価が反映されている。この変化を見落とすべきではない。

収入格差は縮小の方向に
1978年に「改革・開放」が始まる前の中国社会は、大卒以上の「幹部」とそれ以外の労働者、農民という明らかな階級が存在していて、「幹部」にならない限りなかなか陽が当たらない格差社会だった。いまはこの区別はなくなったけれども、前述した伝統的な「文」=「官」重視の気風とあいまって、「ホワイトカラー至上」の考え方はまだまだ根強い。その典型的な現れが社会問題化している大学入試の過熱現象である。

しかし、市場経済化が進展し、中国社会が市場原理、競争原理を基本に動く、あえて俗な言い方をすれば「お金という尺度でものごとが測れる社会」になるにしたがって、自分の力で高度な「技」を身につけた人が高い報酬と社会的な認知を得ることができるようになってきた。これが「新ブルーカラー」層にほかならない。  「家柄」「学歴」「権力」といった「市場原
理的でない」世界の人々が易々とお金を儲けていく現象が中国社会には蔓延している。


それはまことに困ったことである。しかしその一方で、市場から評価される「技」を持つ人が認められ、高い報酬を得る。そういう流れもこの社会には起き始めている。まだまだブルーカラー全体が高い報酬を得ているわけではないけれども、そういう動きが中国社会に出てきたことは、とてもよいことだと思う。 中国で貧富の格差が拡大しているのは、総論ではそ
の通りだが、その点ばかりに目を奪われるべきではない。日々の収入という面でみれば、近年のブルーカラー層の収入の伸び率はホワイトカラーを上回っており、収入格差は縮小の方向に向かっている。

中国社会がさまざまな問題を抱えながらもそれなりの安定を保っている大きな背景のひとつがここにある。また、学歴にかかわらず、ブルーカラー層が努力次第でホワイトカラー層を上回る収入を得る道が広がることで可処分所得が増え、購買力を持つ消費マーケットとしての存在感も大きくなっていくだろう。 先日、中国の新聞を読んでいたら、ある建設現場の30
代後半のコンクリート職人がインタビューに応えていた。「故郷の街で30万元(480万円)のマンションを買って、小さいけれど8万元の車も買った。

去年は家族でタイに海外旅行にも行った。生活には満足しているよ」。建設労働者が車を買って家族で海外旅行に行く。一昔前には考えられない話だが、確かにそういうことが可能な時代になっている。中国社会が本当に変わったのは、実はこういうところではないかと思うのである。

 

 

posted by タマラオ at 06:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記