2014年08月10日

海を渡るおじいさんのトラクター No2

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中古農機具を売買する市場はなかった
──実家は鳥取の兼業農家だそうですね。やはり将来は農業関係の仕事をしようと思っていたんですか。
幸田伸一社長(以下、敬称略) いいえ、全然思っていませんでした。

──それがどうして農機具でビジネスをするようになったのですか。
幸田 高校を出てサラリーマンをしていました。最初がふとんの販売会社、次が産業廃棄物処理の会社です。産業廃棄物の収集や処理の仕事をする中で、農機具店に出入りするようになったんです。引き取った農機具が商社に売られ、海外に渡っていくのを見て、海外で日本の農機具のニーズがあることを知りました。 当時、中古の農機具を売買する市場が日本にはまだありませんでした。中古農機具の流通を扱う専門の会社もなかった。

でも、やがてそういう会社が現れるんだろうなという予感はありました。それなら自分でやってみようと思い、独立して中古農機具の売買を始めたんです。21歳のときでした。 資金は、手元にあった20万円です。そのお金で農機具店から農機具を買い取って、国内の商社に販売しました。それをどんどん繰り返して、販売台数を増やしていきました。

エジプト人留学生との出会い
──中古農機具を商社を通さずに直接海外に売るのは、幸田社長が初めてだったそうですね。きっかけを教えてください。
21歳で独立し中古農機具の輸出ビジネスを始めた幸田伸一社長。生まれ育った鳥取への愛着は大きい。「鳥取にいることのデメリットはまったく感じません」という。

幸田 独立して1年目の頃に、鳥取大に留学に来ていたエジプト人と出会ったのがきっかけです。その人は博士号を取ってエジプトに帰るところでした。帰国する前に私のところにやって来て、日本の農機具をエジプトに売って商売したいと言うんです。うちが店の前にトラクターをいっぱい並べて置いていたから、それを見てやって来たというわけです。 ただ、その人は、お金はエジプトで売れてから振り込むって言うんですよ。騙されるんじゃないかという心配はありました。

──それは不安になりますね。
幸田 でも、たとえお金が返ってこなくても、やってみる価値はあるなと思ったんです。輸出の手順の踏み方や通関の仕方とかが分かるじゃないですか。それまで、商社がどうやって輸出しているのかという知識はありましたけど、自分で実際にやってみないと身につきませんよね。だから、やってみようと。国内の商社に売れば500万円分ぐらいになる量でしたが、思い切って彼に売ってもらうことにしました。

 

 

posted by タマラオ at 05:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記