2014年08月01日

富士重、大躍進の秘密は発想法にあった  No2

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歴史に根ざした強みで勝負する
経営危機に瀕し現在のビジネスモデルを模索していたとき、どのような葛藤があったのか。吉永社長はこう語っている。 「世界の自動車会社の中でも規模が小さく、国内では販売台数が最も少ない。それでも潰れないで生き残ってきた理由は何か。そこには、お客様が認めているスバルの価値があるはず。経営資源が劣後しているなかで競争優位を築くためには、自社の歴史に根差した強みで勝負をかけないといけない」

富士重工業の吉永泰之社長。明るく朗らかな人柄で、歯に衣着せず語る姿勢が印象に残る。決めるときは決める、決断する経営者だと評する声も多い。 他社と何が違うのか。何が顧客に受け入れられてきたのか。これを知るためには先人に学ぶしかないと、吉永社長は社史などの資料を読みあさったという。 吉永社長は大赤字を出した1990年ごろ、経営企画室にいた。当時も生き残る道を探すために必死で社史を読み、ヒントを探していた。

まだ課長クラスで経営に口出しする立場にはなかったというが、歴史の持つ意味を強く意識していた。社長就任が決まると、再び歴史に向き合い、自らの采配の方向性を導こうと試みたのだ。

「全部省いて、行き着いたのが、飛行機会社だった」
会社の歴史を理解し、考え抜いて至った結論は、「飛行機会社こそがルーツである」という事実だ。富士重の前身は中島飛行機だ。第二次世界大戦の敗戦後、GHQにより解体、分割され、富士重は誕生した。 富士重の原点は、同社が初めて販売した軽自動車「スバル360」と語られることが多い。だが、そうではない。富士重が誕生し、最初に開発した「P-1」というクルマは、小型車だったのだ。

欠点の議論はだんだん辛くなる
当時、金融機関に「いまの富士重に小型車を作る体力はないでしょう」と言われたことで発売を断念した同社は、その後、国民車構想に乗って軽自動車の発売にこぎつけた。 発売をあきらめた最初のクルマ「P-1」は、ボデーもエンジンも中島飛行機のエンジニアたちが開発した小型車だった。 「最初に造ったP-1を起点にすれば、全部つながって一発で理解できる。でも、軽自動車がスタートだと考えると、どうしてもギクシャクしちゃうんです」

吉永社長が飛行機会社こそがルーツだという背景には、こうした事実があったのだ。歴史を紐解き、ルーツをたどれば、欠点は強みに変わる。この発想の転換こそが、吉永社長の持ち味だろう。 飛行機でありP-1がルーツだと考えるからこそ、軽自動車の生産からの撤退も決断できた。風力発電や厨芥車などの事業も売却した。水平対向エンジンと四輪駆動にこだわるからこそ、コンパクトカーは手出ししないという、一連の選択と集中に迷いがない。

 

 

posted by タマラオ at 05:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記