2014年08月31日

シュリンク業界の実態 No6

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1.「効率的かつ野心的な営業」で営業部長としての足場を固めよ。 杉浦さんは現在、部下が1人の営業部長であるが、2人で稼いで売上をできるだけ増やしていきたい。杉浦さんは、その策との1つとして「効率的で野心的な営業」を挙げる。営業で店を回るとき、リスクを厭わない店主やオーナーに狙いを定めるという。現状維持の考え方の店主では、杉浦さんが扱う商品を置いてくれない傾向があるからだ。

今夏、オリンピックが放送されるのを見越し、昨年から選手が身に付けるであろうサングラスと度付メガネレンズを店主に売り込んできた。オリンピックが始まる前から、リスクを厭わない経営者は契約をしてくれる意思を示した。それで売上は大きく伸びたという。この「効率的で野心的な営業」を進めれば、2人でも売上は順調に増えるだろう。

2.社長の「懐刀」になってまずは年収600万円を目指せ。 杉浦さんは、現在の社長に恩義を感じている。社長が求めていると思われるのは、売上を増やすことと若い社員の育成に違いない。

杉浦さんはそれを心得て実行しているが、マメに報告、連絡、相談をして実績や成果、働き、さらに部下の成長などを社長に知ってもらえるようにしたい。そして1〜2年以内に、月収30万円台から50万円へ、年収では600万円にしてもらえるように交渉しよう。実はこの規模の会社は、経営者との「1対1」の個別交渉でどうにでもなる。 「2度のリストラ」を受けて、50代後半で年収
600万円ならば、悪い話ではない。

個別交渉の進め方次第で、いずれは年収700万円もあり得る。交渉する前に、まずは社長との間とに信頼関係を築くことが先決である。この手順を間違うと、小さな会社では浮きまくりの存在になりかねない。さらに60歳以降は、「定年延長」で月に20万ほどはもらえるように、今のうちから実績を残し、社長の懐刀になっておきたい。

3.シュリンクする国内ではなく海外市場で売上アップを狙え!
杉浦さんは、「フレームにしろレンズにしろ、日本製のものは依然としてその技術レベルが高く、国際市場で通用する」と考えている。この業界は、大手はもちろん小さな会社も、他の業界に比べると比較的早くから海外生産を始めたり、現地法人と提携などを進めてきた。売るためのシステムは、それなりに整っている。足りないのは、海外で通用し得る売り手、つまり営業力だ。そのためにも語学力を磨きたい。杉浦さんやその部下、他の社員らも語学の学習をしている。社内では、社長が外国人であることもあり、英語でやりとりをすることもある。メールなどは、英文で書くことが多いという。

ただし、海外進出で注意すべきこともある。この業界では、国内の生産拠点の多くを海外にシフトしたため、そこでトラブルに巻き込まれ、業績が悪化した企業もある。リスク分散を念頭に置きつつ、海外での売上を増やしていくべきだろう。
最後に述べたい。杉浦さんの雑草のような、精神面でのタフネスさこそが、シュリンク業界を生き抜く最強の武器なのだと実感する。

 

 

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2014年08月30日

シュリンク業界の実態 No5

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自信を失わせてから退職勧告を切り出す 社員の整理が進むシュリンク業界の内情
私が事業部制になっている大企業を取材した経験から言うと、これはリストラの常套手段と言える。まず、現在の部署で“戦力外”になった社員が、自分を受け入れてくれる他の事業部を探す。その際、人事部は支援しない。本人が事業部の責任者と交渉をする。私が知る限り、ほとんどの事業部ではこうした社員を受け入れない。 杉浦さんは、こう振り返る。 「あの時点で、自分を辞
めさせるという結論は出ていたのだろう。リストラ・ルームには9人ほどがいたが、1人を除き、全てが受け入れてもらえなかった」

このように行き場を失うと、今度は社外の会社を見つける、つまり、「転職活動」をしなければならない。この際、人事部から委託を受けた会社の支援を受けることがある。俗に言う「転職支援会社」だ。だが、30代後半以上にとって「転職」は壁が高い。「もう、ダメだ」と絶望感に浸るタイミングを狙い、人事部が退職についての話し合いの場を短い期間に何度か設ける。短くするのは、外部の労働組合ユニオンなどの第三者機関に逃げ込まれないようにするためである。

杉浦さんは気が強い。ここで退職を断った。人事部は、地方工場への転勤を打診してきた。これも、リストラの常套手段である。そして、面談の場をまた設け、「辞める」という言葉を言うように誘う。通常、このあたりで一定の退職条件が提示される。杉浦さんに聞くと、「年収1年分(860万円)とわずかの功労金だった」という。会社が解雇通知を出さないのは、裁判などで争うと不利だからだ。そこで自主退職という形式にこだわる。つまり、社員自らに辞表を書かせようとする。

小さな会社で見つけた「真のやり甲斐」 雑草のようなタフさで危機を乗り切れ!
取材を終えて、新宿の雑踏へ。これから英会話学校へ行く。杉浦さんは、10代の頃から英語が好きだったという。 会社は、「あいつを辞めさせる」という目標をいったん掲げた場合、それを降ろすことはまずしない。杉浦さんは、地方工場への異動を拒否すると、解雇になるかもしれないと感じた。労働組合のユニオンに入り、人事部と交渉した。その場では身に覚えのないことを次々と言われた。

「始めに自分を辞めさせるという結論があり、それを裏付けるために材料をかき集めたように見えた。交渉の末、人事部はそれらに誤りがあることを認めた。数百万円が上乗せされ、一応の和解となった。それで辞めた」

杉浦さんは昨年から、新宿の英会話学校に通う。その理由を聞くと、「金髪で目の青い若い女性講師は、お人形さんみたいにカワイイ。学習意欲が湧くよね!まぁ、半分冗談だけど」と笑う。 「シュリンク業界では、国内
を攻めていても大きくは伸びない。海外へ攻勢をかけないとね。今の20〜40代には、英語などの語学をうんと勉強してほしい。俺もまだまだ沈めないよ……」

「シュリンク脱出」をアナライズする 杉浦さんの収入面でのシュリンクは、当分は止まったのではないかと思う。今後は、反転攻勢をかけるべきである。自称「シュリンク・アナリスト」の筆者が、リベンジ策を考えてみた。

 

 

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2014年08月29日

シュリンク業界の実態 No4

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自分の仕事が職場や会社を変えていくことを、体で感じ取っているように見える。これは大手では味わえないこと」 社長からは、若手に営業の仕事を教えることを頼まれたという。杉浦さんは「今度の部下は、意識が高い。教え甲斐があるよ」と話す。
「コンビを組む営業マン(20代男性)には、海外市場に目を向けることを意識して話している。この業界は、確実にシュリンクしているから……。日本しか見ていないようでは、ダメよ」7月末の時点で、契約高は対前年比(契約社員として勤務時)で135%伸びているという。

それでも、杉浦さんは納得しない。 「社長の恩義には応えたい。少なくとも200%は狙いたいね。大手では1%伸ばすことも苦労したけど、ここは十分に伸びる。レンズ部門のメンバー全員の力でどんどんと稼ぎたい」全国の店に自社レンズを販売してもらうことを勧めるのが仕事の1つだが、大手の頃とはアプローチを変えたという。大手のときはノルマが厳しく、店主には少々無理を言って販売してもらっていた。

「今は、公平な姿勢で接するようにしている。ウチで扱う商品を販売することに迷いがあるならば、そこでしつこくお願いをしない。むしろ、引くようにしている。お客さんの側に立って考えるようになった。大手では、なかったね……」

なぜ人事部に狙われてしまったのか?「リストラ・ルーム」行きの伏線とは
最後に、大手在籍時のリストラについて詳細を聞いてみた。シュリンクする業界で働くビジネスマンは、リストラの憂き目に遭う確率が高くなる。私は「なぜ、狙われたと思うか」と再度、尋ねた。私の持論であるが、日本企業がリストラを行なう際、成績(人事考課)だけでターゲットを決めることは不可能に近く、そこには“何か”別の意思が働くことが多い。杉浦さんは、「まぁ、伏線をたどると色々なものはあるね」と答える。

「入社後、20〜30代前半の8年間はフレームの販売を、その後レンズを扱う部署に移動し、そこで4年間ほど在籍。この12年間で営業成績はいい時期もあれば、悪いときもあった。同世代の中では、早いうちに管理職にはなった」私が「上司との関係は良好だったのか」と聞くと、「微妙なものがあった時期はある」と答えた。 「30代半ば頃に、会社で組織の若返りが図られ
た。それで40代の頃に、年下の上司に付くことがあった。

そのときに感情的なしこりがあったりして“使いにくい部下”という印象を与えたのかもしれない」 杉浦さんは、大手の頃の営業部の組織図をノートに書き出した。それを見ると、会社は事業部制を敷いていて、部長の下に数人の課長がいた。杉浦さんも課長級だったが、部長の直系のラインにはいなかった。また、直接の部下もいない。2010年夏、「リストラ・ルーム」に配属された後、人事部から指示を受けた。

「社内で受け入れてくれる事業部を探すか、社外で雇ってくれる会社を新たに見つけるように……」

 

 

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2014年08月28日

シュリンク業界の実態 No3

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営業の自己採点は「120点」だが――。個人で働くことの厳しさ、虚しさを痛感
小さな会社で働くときの空しさが、ここにある。通常、よい仕事をするためのリソースやそれに伴う実績は、所属する組織の体制に大きく左右される。体制が不備ならば、仕事をする上でおのずと限界がある。ところが、大企業から中小企業に移ると、「大手から来たのだから……」と言われ、高い実績を挙げることが到底不可能と思えるような環境で、仕事をさせられることもある。そしてそれができないと、退職を迫られる。そうしたとき、周囲の、特に生え抜きの社員は見て見ぬふりを貫く。

このような話をすると、杉浦さんは「そうだよな……。だけど、自分は運がよかった」と言い、続けた。 「有名ミュージシャンが、自動車会社のテレビCMに、おしゃれな眼鏡
をつけて出演した。あれを観た人が店へ行き、“彼と一緒のものが欲しい”と言い始めた……。全国の店から私のところへ電話がじゃんじゃんかかって来て、『あの眼鏡を店頭に並べたい』と注文してくれたため、成績がぐーんと上がった」これで前半の遅れを取り戻したと思い、4月の契約更新に臨んだ。

だが、社長からの回答は、「今期限りにしたい」。杉浦さんは、「週ごとに営業の報告はしてきた。1年間の私の成績を把握されていたのですか」と迫った。社長は「見ていない」と答えたという。杉浦さんは、社長から「若い社員に仕事を教えてほしい」と言われていた。それを受けて、男性社員に何度か教えたが、不熱心に見えたという。次第に教える意欲を失くしていった。 「社長は、そんなこ
とも他の社員から聞かされていたのかもしれない。きっと、あの男性を俺の後釜として使おうと考えたのだろうね。

男性は30代の正社員、こちらは契約社員で50代半ば。はるかに向こうのほうが扱いやすいから……」ここにも、小さな会社で働くことの空しさがある。それぞれの社員の役割、権限、責任が実にあいまいなのだ。経営者が自分中心の体制を守るために、意図的に曖昧にしておくこともあるのかもしれない。この体制の中では、仕事ができる人はいいように使われる。そして経営者の意にそぐわないと、排除されることもある。

正社員として拾ってくれた取引先で再起 「日本しか見ていないようでは、ダメよ」
杉浦さんが、契約しているもう1社(B社)の社長に相談をすると、「うちの会社で正社員として働いてほしい」と言われた。しかも、給与は月30万円から多少アップした。さらには、営業部長としてレンズ部門の営業マネジメントの役職も与えてもらった。私は言った。「1年間の働きを高く評価してくれたのだと思う」。杉浦さんは「ありがたいこと」と繰り返す。普段は強い口調で話す人が、しんみりと小さな声でつぶやくように話した。

「本当に恩義に感じている……。社長はアメリカ人で、仕事熱心。自分は大手では日本人の上司からリストラされ、A社では日本人の社長に切られた。それで、アメリカ人の経営者に助けられた。この社長の期待には、どうしても応えたい」
7月から、正社員としてB社に勤務している。社員は10人ほど。職場の雰囲気を聞くと、杉浦さんはこう語る。 「30年以上勤務したあの大手の社員よりも、皆の仕事への姿勢はい
い。海外との取引が多いから、英語を懸命に習う人もいる。

 

 

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2014年08月27日

シュリンク業界の実態 No2

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しかし、冒頭でも触れた通り、ここに来て新しいビジネスモデルについていけない大手眼鏡メーカーの一部は、シェアを奪われ、苦戦を強いられている。経費を削減しようと、アジアの国々へ進出し、現地で生産を始めた。だが “焼け石に
水”に近い状態だったケースもある。杉浦さんが勤務していた会社も、その1つだったという。2010年の夏に、直属の上司(営業部長)から「あなたは、今後の人事構想には入っていない」と告げられた。

そして、人事部からリストラの指名を受ける。数年前から、40〜50代を中心にリストラは行なわれていた。営業部の部長は最近10年間で、8人変わっていた。指名を受けた後は、「リストラ・ルーム」と呼ばれる部屋に隔離された。労働組合・東京管理職ユニオンに入り、抵抗を試みたが、2011年の春に退職を余儀なくされた。その時点での年収は、約860万円だった。私が「なぜ、人事部から狙われたのか」と聞くと、「理由の1つはこの額だと思う。年収が多い40代後半以上は、ターゲットになりやすかった」と振り返った。

リストラ後は中小と業務委託契約 この春、1社とは契約更新ならず
リストラ指名される数年前には、年収は900万円を超えていたが、人件費削減のもと100万円ほど減らされ、860万円になっていた。大手眼鏡メーカーを辞めた後、この1年間は中小の眼鏡メーカー2社と個人事業主として業務委託契約をし、営業マンとして働いた。契約期間は1年。1年終了時に契約更新をするか否かを話し合うことになっていた。2社とも、知人からの紹介だった。ためらいがあったが、それぞれの契約額を聞いてみた。

杉浦さんは「うーん」と少し黙った後、答えた。1社(A社)は月額で20万円、もう1社(B社)は月に30万円だという。月に合わせて50万円で、年収は600万円。世の中には、リストラを受けて戦意を喪失し、働くことができない人もいる。私が「個人事業主として早々に契約先の会社を見つけ、安定した収入を得ることができるのは少数ではないか」と言うと、淡々とした表情で答える。 「いや、借金がある
から……。働かなくて生きていけるならば、あえて働かないよ。

老後のこともあるからね……」しかし、杉浦さんは今年4月末、従業員数6人ほどのA社と契約更新をしなかった。海外に住む社長が、契約終了直前に「契約内容を大幅に変更する」と言ってきたからだ。「これは、事実上2度目のリストラ。月に20万円の収入を失うことは大きな損失ではないか」と私が問うと、少し興奮して答えた。「そりゃあ、そうだよ……! だから、話し合いをしたけれど……。A社との契約が切れると、月収は50万円からB社の30万円のみになる。

年収では、360万円。厳しいよね……」この1年間におけるA社での働きについて自己採点を尋ねると、「120点」と強い口調で言った。「A社はフレームを輸入し、販売する会社。フレームを売ることは、今の時代は難しい……。レンズよりも厳しいよ。1年のうち前半は、50点だった。前任者がはるか前に辞めていて、それ以前の状況がわからなかったから。引き継ぎ書もない。試行錯誤だった……」

 

 

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2014年08月26日

シュリンク業界の実態 No1

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シュリンク業界で生き残れるか。

IT用語で加工技術を微細化して、チップのサイズを縮小すること。「shrink」とは「小さくなる」の意。シュリンクが進み、同等の機能のチップがより小さい領域に形成できれば、同じ面積のウエハからたくさんのチップを生産することができる。
また、チップが小さくなれば回路内で電子が移動する距離も小さくなり、高速化・省電力化につながる。この効用は、チップの消費電力や設置面積が常に大きな設計上の問題となるモバイル機器では特に重要である。

「働いても働いても、生活が楽にならない」。それは気のせいではない。日本の多くの業界は今、先が見えない「構造不況」の暗闇の中にいる。シュリンクする業界で働く人々にとって、業績アップ、収入増、労働環境の改善などを目指すことは難しい。しかし、そんななかでも、他人と違うアイディアを考案したり、誰も気づいていないビジネスを見出すことで、必死に生き延びようとする人はいる。この連載では、シュリンク業界で絶望し、起死回生を図るビジネスマンや個人事業主の生の姿を描くことを通じて、私たちがビジネスで心得るべきヒントや教訓を考えていく。

彼は「二度のリストラ」を受け、ときには労働組合の力を借りて、ときにはかつての知人を頼り、収入の道を模索し続ける。収入減やリストラ、失業が多発する今、まるで雑草のように、柔軟でしぶといエネルギーを持つこの男性からは、私たちが見習うべきものがあるのでないだろうか。

あなたは、生き残ることができるか。今回のシュリンク業界――眼鏡
眼鏡の価格は、1990年代頃まで2〜4万円はした。視力などを丁寧に測り、レンズやフレームも調整し、本人の意向も取り入れる、言わばオーダーメイドの商品だった。しかし、バブル経済崩壊後の不況や少子化、コンタクトレンズや視力回復手術の普及などにより、国内の眼鏡需要は落ち込み、メーカーの業績が伸び悩んでいる。加えて2000年以降、低価格を標榜する新規の眼鏡チェーンが続々と市場に参入し、価格破壊が進んだ。

レンズとフレームを合わせて1万円以下の固定価格で販売する手法は、大手のビジネスモデルを脅かし、さらに競争を熾烈化させている。こうした状況が続いた結果、2004年に6000億円以上あった眼鏡小売市場は、ここ2〜3年の間に4000億円近くまで落ち込んでいる。大手を中心に海外展開を図るものの、経営難に陥り、リストラに取り組む企業も出ている。

大手在籍時の年収900万円が半減!眼鏡の営業マンが振り返る怒涛の人生
杉浦さんのアタッシュケースには、レンズやサングラスのサンプルなどがある。サングラスのサンプルは20本程度。レンズカラーサンプル一式と資料が多数。これを持ち歩き、営業先を回る。 「1年数ヵ月前まで、年収が額
面で860万円ほど。リストラで会社を辞めた後、この1年間は個人事業主として年収は約600万円。そして、これからは400万円代に……。そりぁ、思うことはあるよ。だけど暗い気分でいると、滅入っちゃうから」

杉浦夏雄さん(仮名・55歳)が苦笑いをしながら答えた。この数年間で、年収が右肩下がりになっていることについて、私が聞いたときだった。家族は妻と2人で、横浜市に住む。奥さんは何と言っているのかと尋ねると、「まぁ、怒ることはないね。喜びもしないけど……」と、はにかんだ表情を見せる。杉浦さんは、1970年代後半に起きたオイルショック(石油危機)の直後に大学を卒業し、大手眼鏡メーカーに就職した。上場企業の多くが採用数を減らしていたため、就職活動は苦戦したという。入社後は、営業一筋で30年以上働き続けた。

 

 

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2014年08月25日

エボラ出血熱の治療薬が簡単にできない理由 No2

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40年近くたってもエボラの治療薬が開発されていない理由の1つがそこにある。患者数が世界中に百万という単位でいたら、すでに治療可能な感染症になっていたかもしれない。 今年になって感染者数は増えているが、1976年の発生から昨年末までの総患者数は2000人に至っていない。端的に言えば、製薬会社が数百億円をつぎ込むことが「できない」感染症という位置づけなのだ。

さらに、前述したように新薬の認可には臨床治験が必要で、そのためには数多くの患者さんと服用期間が必要になる。エボラは残念ながらその両方で治験向きではない。 ただ今年の蔓延は、これまでの流れを変える勢いがある。カナダの製薬会社テクミラ社の実験薬「TKM-Ebola」は動物実験でこれまで文句のないデータを出している。 今後感染者に投与される可能性があるTKM-Ebolaは、米国防総省との契約で1億4000万ドル(約143億円)もの投資を受けて開発されている。

新薬開発の大半は先進国向けという"事情"
ギニア、エボラ熱拡大で非常事態宣言 エボラ出血熱の蔓延で非常事態宣言を出したギニアのアルファ・コンデ大統領  こうした政府からの支援なしでエボラの治療薬の開発は難しい。同社株は8月初旬、ニューヨーク株式市場で10%以上も高騰しており、新薬開発とマネーは切っても切れないことがここでも露呈した。 また、マップ・バイオファーマスーティカルという製薬会社は「ZMapp」という薬剤を開発している。

ZMappは米ジョージア州アトランタで隔離治療を受けているエボラ感染者2人に投与された。スペイン人神父にも投与されたが、神父は他界。数人のデータだけではZMappの本当の効果は不確かなままで、ここにエボラ治療薬の開発の難しさがある。 ワクチンについては、英大手グラスコ・スミスクライン社が開発しているものが来月、いよいよ臨床治験に入る予定だ。さらに米プロフェクタス・バイオサイエンスのワクチンも治験前段階まで来ている。

世界中に難病と言われる病は少なくない。治療法が確立されていない場合も多い。「現代の医学では、、、」という言い方がされるが、世界中に患者数が100人しかいないと、製薬会社は動かない。いや動けない。新薬は世に出ないのだ。
世界中で使われる医療関連の研究開発費は2013年、約23兆円にのぼった。そのうち21兆円が先進諸国向けだ。エボラや風土病と言われる感染症などには多額の予算がつかないのが現実だ。

コストと患者数の相関関係によって新薬の研究開発が進むか足踏みするかが決まるが、倫理的な観点からはどの病であっても治療法が求められるべきではある。 私見では、エボラの患者数が多ければ、抗ウイルス剤の研究開発はエイズよりも迅速に進んでいたかもしれない。単に患者数が少なく、しかも発症する地域がアフリカということで研究が進捗してこなかった可能性が高い。 ペイしないことは分かっているが、世界に拡がりつつある感染を止めるためにも、官民一体で薬剤開発に取りかかるべきである。

 

 

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2014年08月24日

エボラ出血熱の治療薬が簡単にできない理由 No1

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少ない患者数、しかもアフリカ中心で製薬会社が開発に二の足

感染者が1848人、死者1013人 コートジボワール、エボラ感染国からの航空便の運航停止  「ストップ・エボラ」のプラカードを掲げるコートジボワールのサッカー選手

西アフリカを中心に、エボラの拡大は依然としてとどまらない。世界保健機構(WHO)が発表した最新の数字では、感染者数が1848人、死者は1013人に達している。 前回の記事の後半で、ナイジェリアで亡くなったパトリック・ソイヤーさん(40)が首都ラゴスの空港で倒れ、その前後で接触のあった方が憂慮されると記した。 悪いことに、ソイヤーさんを含めて4人が亡くなり、その他11人がエボラに感染している。その他に約200人が政府の監視下に置かれているという。

今回のコラムで述べたいのは、エボラの治療薬やワクチンの研究開発の難しさである。当たり前と思われるだろうが、それは医学的なアプローチの多難さというより経済的な理由が大きい。 否定的な見解で申し訳ないが、正規ルートを経てエボラの治療薬が世に出ることは簡単ではないと、まず記しておく。 エボラの症例が最初に確認された1976年からすでに38年がたっている。ウイルスが特定され、実験室内での抗ウイルス薬やワクチンの研究開発が世界中の研究者によって進められてきたが、いまだに動物実験の段階までしか至っていない。なぜか。

理由を端的に述べるならば、エボラは「ペイしない」感染症だからだ。
新薬の開発には通常、数百億円という巨額の資金が必要になる。ウイルスの基礎研究に始まり、実験室で抗ウイルス効果のある薬剤が発見され、良好なデータがでれば動物実験へと移行する。 そのプロセスの後、ようやく人間に投与される。臨床治験だ。通常は第1段階から第3段階までで(場合によっては第4段階)、段階ごとに投与される人数が増えていく。

第3段階になったところで薬剤の副作用が強く、中止ということもある。多くの場合、数百人単位の患者を集めて長期間にわたって継続されるが、製薬会社がほとんどのコストを負担する。 途中で中止になると、製薬会社は数百億円をドブに捨てることになる。企業はそのコストをほかの薬剤で穴埋めすることになる。一般的に「薬は高い」と感じるのはそうした背景がある。

エイズ用の薬と何が違うのか
エボラ出血熱の死者、1000人超える 世界保健機関  英ロンドンの病院に作られたエボラ出血熱患者用の隔離施設  ただ同じウイルス感染症であるエイズ(後天性免疫不全症候群)は、すでに抗ウイルス効果のある薬が20剤以上も世にでている。いったい何が違ったのか。 エイズは1980年代半ばから薬剤の研究開発が大変活発化した。それは研究者たちの競争という側面もあったが、エイズの感染者・患者が増え続けていたとい点がエボラと大きく違う。

1981年に世界で最初のエイズの症例が報告されてから、10年ほどの間に感染者・患者は万単位で増えた。現在でもアフリカ諸国を中心に世界中で約3500万人もの感染者・患者がいる。 薬剤を服用する人が多ければ多いだけ研究開発は前へ進みやすい。製薬メーカーの経済的な観点から述べると、エイズは「十分にペイする」病だったのだ。 現実的に、新薬の開発というのはペイしないと、ほとんど前へ進まない。

 

 

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2014年08月23日

エイズよりはるかに怖いエボラ出血熱、蔓延の兆し No3

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エボラウイルスから身を守る方法
【8月1日 AFP】西アフリカではエボラウイルスの感染が過去最悪規模に拡大しており、エボラ出血熱が世界的に広がるのではとの懸念が高まっている。国連(UN)の世界保健機関(World Health Organization、WHO)と米
疾病対策センター(Centers for Disease Control and Prevention、CDC)が出した予防方法は以下のとおり。

■症状に注意を
エボラ出血熱の症状には、発熱、頭痛、関節痛、筋肉痛、衰弱、下痢、おう吐、胃痛、食欲低下、そして出血がある。CDCのスティーブン・モンロー(Stephan Monroe)氏は「感染は感染者の体液との直接的な接
触または、感染者の分泌物で汚染された針などの物への接触を通じて起きる」と述べた上で、「エボラは症状が現れるまでは伝染性はない」と語った。

■体液
エボラウイルスは、粘液、精液、唾液、汗、おう吐物、排せつ物、血液を通じて感染する。エボラウイルスの感染には体液との直接的な接触が必要なため、航空機や列車のような混雑した場所で乗客の間で広まることは「非常に可能性が低い」とモンロー氏は述べる。「エボラウイルスに感染する人の大半は、すでにエボラウイルスに感染して症状が出ている人と一緒に生活している人や、看護している人たちだ」とモンロー氏は語った。

エボラ出血熱の致死率は90%に上ることもあるが、生き延びた人も2か月近くは他人に感染させる可能性があるので注意する必要がある。「エボラから回復した男性は、回復後最大7週間は精液を通じてウイルスを感染させる」とWHOは述べた。またエボラウイルスは、葬儀の準備や埋葬などの際にエボラウイルスで死去した人の遺体に触れた人々にも感染している。

■医療関係者への注意
CDCは、発熱のある患者と接触する前後には定期的に手洗いをし、注射器と注射針を安全に廃棄することを推奨している。感染から症状が出るまでのエボラの潜伏期間は21日間だ。

■生肉を避ける
エボラウイルスは、人々がエボラウイルスに感染した動物の血液や臓器、体液に密接な接触を持った後に、人々の間に広まる。エボラウイルスの自然界の宿主はオオコウモリだ。「アフリカでは人の感染は、熱帯雨林でエボラ熱を発症したかエボラ熱で死んだチンパンジーやゴリラ、オオコウモリ、サル、レイヨウ、ヤマアラシとの接触を通じて記録されている」とWHOは述べている。また、養豚場やサルの飼育場で流行の疑いがある場合、WHOは施設の即時隔離と感染した動物の殺処分を推奨している。

エボラに対するワクチンは人用も動物用も存在していない。(c)AFP

 

 

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2014年08月22日

エイズよりはるかに怖いエボラ出血熱、蔓延の兆し No2

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死体に触っただけで感染する強いウイルス
しかしエボラは患者の血液や唾液、排泄物、分泌液などから飛沫感染する。なかには患者の葬儀に参列した全員が感染したという報告もある。 これは遺体に触れて弔う習慣がある地域があるためで、この例からも分かるように、皮膚に触れただけで感染する感染症である。 さらに7月、米国人2人がリベリアで感染している。キリスト教の慈善団体である「サマリタンズ・パース」に所属するケント・ブラントリー医師と宣教師ナンシー・ライトボルさんは、防護服はもちろん、手袋、マスク、ゴーグルを着用していたにもかかわらず感染している。事態はかなり深刻なのだ。

ここでエボラについての基本事項を記したい。
病名の由来は、最初の男性患者の出身地がザイール(現コンゴ)のエボラ川付近であったことからエボラ出血熱と呼ばれるようになった。これまでは主にコンゴやスーダン、ガボンなどで発生している。 ガボン北部に生息するニシローランド・ゴリラの死体からエボラウイルスが検出されたことがあり、ゴリラや猿を食べた人たちがウイルスに感染したとの説がある一方で、コウモリによる感染も有力視されている。

エボラウイルスに感染すると、3週間以内の潜伏期間を経て発熱、頭痛、悪寒、筋肉痛、下痢、嘔吐などの症状が出る。病状が進行すると、鼻や歯肉、皮膚、消化管などからも出血し、吐血、下血へ移行して半数以上の患者が死に至る。回復した場合でも後遺症が残ることが多い。 いまだに効果的な治療薬もワクチンも開発されていない。医学誌には動物実験でのワクチンと薬剤の効果が発表されているが、人間への臨床でしっかりしたデータが示された治療法はまだ確立されていない。

これまで、エボラのような絶大な感染力を持つウイルスの出現は散発的に終わることがほとんどだった。 と言うのも、人間を抹殺した後、ウイルスも死滅する運命を辿るからだ。エボラは死亡した遺体であっても他者に感染する力を持つが、アフリカの小村で発症した場合、村人全員の命を奪った後はウイルス自体も行き場を失ってしまう。種の保存という能力が低いだけに厄介なウイルス

ギニアのエボラ出血熱、伝統の葬儀で感染拡大か NPO  感染は拡大の一途〔AFPBB
News〕
ウイルスは動物のような脳を持たないが、一般的に生命体として生存し続けようとする本能がどこかに備わっていると思われる。 しかしエボラウイルスはその性状を欠落させているかに見える。種の保存という能力が著しく弱い。過去の流行が散発的だったのはそうした理由からだろう。 細菌との大きな違いは、ウイルスは必ず宿主に取りつくということだ。細菌のように2倍、4倍、8倍と自ら増殖する能力はない。 動物や植物の体内に入り、そこで爆発的に増え続ける。

宿主と共存するウイルスもあるが、エボラなどは宿主である人間の命を奪ってしまう。 筆者は日本人のエイズウイルス研究者を10年以上も追って拙著をしたためたことがある。エイズはウイルスが発見された1980年代、患者によって潜伏期間に差はあっても全員が死亡する感染症と位置づけられていた。 だが治療薬がいくつも登場して多剤併用療法が一般化し、ウイルスに感染してから30年経っても日常生活を送れるようになった。

薬剤は飲み続けなくてはいけないが、ウイルスを抑え込むことが可能になったのだ。何十年も発症させないでおくことを「治療」と呼ぶのであれば、エイズは恐れるに足りない感染症になった。 これまでエボラが散発的にしか発生してこなかったのは人類にしてみると幸いだった。その致死性の高さゆえ、エボラウイルスが長期的に蔓延することはないと思われていたからだ。

だが今回の流行は2月からすでに半年が経とうとしている。ナイジェリアで亡くなったソイヤーさんが乗った飛行機の乗客が、他国に移動し、そこで発症しないことを祈るだけである。

 

 

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2014年08月21日

エイズよりはるかに怖いエボラ出血熱、蔓延の兆し No1

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41367

西アフリカで深刻な事態に、日本も他人事でなくなってきた

2014.07.31(木) 堀田 佳男 1957年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、ワシントンDCにあるアメリカン大学大学院国際関係課程修了。米情報調査会社などを経て1990年に独立。以来、ワシントンDCを拠点に政治、経済、社会問題など幅広い分野で取材・執筆。25年間の滞米生活後、2007年に帰国。現在は国内外で精力的にジャーナリスト活動を続けている。著書に『なぜアメリカ金融エリートの報酬は下がらないのか』、『大統領はカネで買えるか』、『大統領のつくりかた』、『日本人医師―満屋裕明』ほかがある。

西アフリカで大変な事態が起きつつある。今年2月から西アフリカの3カ国(ギニア、シエラレオネ、リベリア)でエボラ出血熱(以下エボラ)が発生していることをご存じだろう。致死率が50〜90%に達する世界で最も怖い伝染病

エボラ治療施設を率いた医師、自らも感染して死亡 シエラレオネ
西アフリカ・リベリアの首都モンロビアにある病院で、防護服を着用するキリスト教慈善団体、サマリタンズ・パースの職員(2014年7月)  先週、ある事件が起きたことで、エボラがさらなる拡大を見せつつあるのだ。ウイルスに感染すると致死率が50〜90%という高さであり、もはや日本から遠く離れたアフリカの風土病と位置づけている時代は終わりを告げるかもしれない。 実はナイジェリアの首都ラゴスで7月25日、エボラによる死亡者が出た。

この事例は単に感染が4カ国に広がったということではない。深刻な事態に発展する可能性があるのだ。 と言うのも、ラゴスの病院で亡くなったパトリック・ソイヤーさんという40代のリベリア人男性は、リベリア財務省のコンサルタントで、飛行機でリベリアからナイジェリアの空港に着いた直後に倒れて病院に搬送されている。 ラゴスの保健省によると、ソイヤーさんがナイジェリアに着いてから59人との接触があった。周囲の人たちはソイヤーさんがエボラの患者だったことを知らない。

すでに59人は特定されて、感染の注意が喚起されているというが、経過が注目されている。 それ以上に深刻なのは、リベリアから同じ飛行機に乗ってナイジェリアに入国した同乗者のその後が把握できていないことだ。現在ナイジェリア当局が追っているが、29日現在、公表がない。 機内で周囲に座った人が感染していなければ幸いだが、エボラの感染力の強さを考えると今後、他国へも飛び火する可能性がないことはない。

ラゴス経由で他国へ向かった乗客がいたかもしれない。感染症専門家によると、ソイヤーさんの周囲に座っていた人は「かなり高い感染リスクがある」と述べている。 今年のエボラの発生と流行は、前述した事例のほかに、これまでとは違う点がある。死亡者数が桁違いに多いのだ。エボラウイルスが発見された1976年以来、発生はすべてアフリカで、2012年末までの死亡者総数は1290人。

ところが、今年2月から7月28日までの患者数は1201人で、死亡者は672人に達している。エイズの死亡者数と比較すると圧倒的に少ないが、エボラの恐ろしい点は、感染後2日から3週間ほどで発症し、短期間で半数以上の患者が亡くなることだ。 もちろん感染力も強い。小説や映画などでも取り上げられている通り、エイズの感染力よりもはるかに強勢である。エイズは1980年代こそ、患者と握手をしたり同じグラスから水を飲むなどで感染すると噂されたが、日常生活の中で感染することはない。

 

 

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2014年08月20日

オムツの話題 No4

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日本メーカーはアジアへ
中国をはじめ東南アジア諸国では、経済成長に伴う所得向上の影響で、子供用紙おむつの需要が拡大している。「メリーズ」の花王によると、今後は、中産階級や内陸部にさらに需要が広がることもに見込まれ、アジアの紙おむつ市場は2020年ごろには3倍近く膨らむと予測している。 こういった動きをうけ、メーカー各社もアジアでの展開を加速する。 トイレタリー国内最大手の花王は、「中国を最重点市場」と位置づける。

安心・安全が重視されるトイレタリー製品は“反日”に強く、12年秋の反日デモの際も日系企業のベビー用品はほとんど影響を受けなかったともされ、「反日に強い」のが強みだ。 花王は09年以降、子供用おむつを日本から輸出していたが、中国での同社製品の人気沸騰を受け、昨年中国安徽省に工場を竣工(しゅんこう)。今年1月から、中間所得者向けの新製品「メリーズ瞬爽透気」を販売している。価格も、従来の輸出品の6割程度に抑えた。

ユニ・チャームも中国を「最重要市場」と位置付けており、昨年3月期の売上高は前期比25.9%と大幅に成長。圧倒的シェアを誇るインドネシアでの売上高成長率は40%を超え、売上高に占める海外比率は今年3月期、52.6%と初めて50%を超えた。アジアへの投資強化により、2020年には売上高を現在の約3倍の1兆6000億円に伸ばす目標を掲げる。

「グーン」の大王製紙も11月から中国での現地生産を開始。育児教室なども開き、中国市場への製品アピールに余念がない。 海外だけではなく、日本国内にも好調の要因があった。「特大サイズ」の需要拡大だ。

花王はメリーズのパンツタイプで、これまでの「M」「L」「ビッグ」に加え、今年10月から「ビッグより大きい」サイズ(15〜28キロ)の全国販売を開始。王子ネピアも「ゲンキ!」で「ビッグより大きいサイズ」(13〜25キロ)を同じく10月に発売した。大手育児用品店によると、各メーカーの子供用特大サイズ紙おむつの売り上げは今年、前年比3割も増加したという。

背景にあるのは、子供のおむつ使用期間が延びていることだ。かつて「早め」が良いとされてきた「おむつ外し」は、幼児の成長に関する研究などから「急がなくても良い」とする指摘や、ワーキングマザーの増加、おむつの機能向上などもあって、急がない親が増えてきた。 子供の夜間の「おねしょ」は4〜5歳まで続くこともあり、「夜の漏れが心配」と大きめサイズを求める親も多いという。保育関係者は、「昔は2歳のうちにはおむつを取るのが一般的だったが、最近は3歳以降になってもおむつをしている子が増えている」と話す。

おむつは、機能性の高さから日本メーカーが世界でも優位に立ち、日本の素材メーカーの技術力が生きる分野だ。少子高齢化が進む国内では大人用紙おむつの売り上げも子供用以上に拡大を続けている。今後も日本・世界市場ともに、さらにビジネスチャンスが広がりそうだ。

 

 

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2014年08月19日

オムツの話題 No3

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買い占められ「中国」に輸出される日本製「高機能紙おむつ」…少子化でも増産、快調な“技術の高士”  2013.12.22    

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/131222/wec13122218000002-n1.htm

大王製紙が上海で開いた「ママ教室」。おむつ交換などを教える教室開催を通じ、製品の品質などをアピールしている(大王製紙提供)
少子化の中、子供用紙おむつの生産が拡大している。高機能な日本製が中国をはじめとするアジアで人気を博し、アジア需要が拡大しているのも一因だが、国内でも「おむつを外すのを急がない」などと育児感が変化した影響で、従来の「ビッグ」より大きいサイズも登場。子供のおむつ使用期間が延びているのだ。高齢化で大人用おむつの需要拡大も続いており、おむつ業界には順風が吹いている。

中国人「運び屋」が…
日本衛生材料工業連合会(日衛連)によると、今年7〜9月の幼児用紙おむつの生産量は27億6561万枚で、前年同期比19%と大幅に増えた。平成24年の年間生産量も前年比10%増の95億9067万枚で、日衛連の担当者は「幼児用おむつの増加はここ2〜3年の傾向だが、今年は特に顕著だ」という。 国内最大手のおむつメーカーで「ムーニー」などのブランドを持つユニ・チャームの平成25年9月中間決算は、売上高が2886億円、営業利益も320億円で過去最高を記録。おむつの堅調な売り上げが牽引(けんいん)している。

日衛連は23年に発行した「日衛連NEWS」で、乳幼児用紙おむつ対象人口(0〜41カ月)は、22年の368万6千人が5年後の27年には339万9千人に減少、これにより需要は約4%減の82億9700万枚に落ち込むと予測。だが、24年の生産実績は予測値を大幅に上回った。 現実に少子高齢化が進む中、なぜおむつの生産が伸びているのか−。日衛連の担当者は「正確には特定できないが、海外、特に中国向けに『買い占め』て輸出する動きがあるようだ」と話す。

日衛連の調査は、国内向けのおむつの生産数量だ。メーカーが正規ルートで輸出している分は含まれないが、国内向けに生産・販売しているものでも、海外の業者が独自に買い付けて、通販サイトなどで販売しているケースが相次いでいるという。 実際、香港マスコミは今年4月、「中国の『運び屋』は、日本製粉ミルクの次のターゲットを、赤ちゃん用紙おむつに定めた」と報道。

今月8日、インターネット通販サイト「楽天市場」に不正アクセスしてポイントを電子マネーに換金したとして岐阜、兵庫両県警に不正アクセス禁止法違反容疑などで逮捕された中国人の男も、「電子マネーで紙おむつを購入し、中国に輸出していた」と供述していた。

 

 

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2014年08月18日

オムツの話題 No2

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三井化学  2011.8.26 14:20

三井化学は26日、アジアで需要が伸びている紙おむつの材料「スパンボンド不織布」を生産・販売する新会社を12月に中国・天津に設立、約50億円を投じて新工場を建設すると発表した。三重県四日市市の工場でも設備増強を進めており、天津の新工場が稼働すれば、スパンボンド不織布の年間生産能力は現状の約1.5倍に拡大する。三井化学は紙おむつなど衛生材料用不織布でアジア首位だが、日本とタイ、中国の3極体制で首位固めにつなげる。

新会社は「天津三井化学不織布有限公司(仮称)」で、同社が全額出資して設立する。新工場は年産能力1万5000トンで、2013年9月に操業を開始する。 同社は現状、四日市市とタイにある全額出資子会社の工場で衛生材料用のスパンボンド不織布を生産しており、中国に工場を設けるのは初めて。従来は日本とタイの工場から中国市場に不織布を供給してきた。

だが、旺盛な需要を受け、四日市市とタイの工場はフル稼働の状況。中国の衛生材料用不織布は東南アジアを上回る年率成長が続き、所得水準の上昇に伴い紙おむつの高品質化も進むと見込まれ、現地生産に踏み切る。
同社は四日市市の工場でも約50億円かけて年産能力を現状の約4割増とする工事を進めており、来年4月に完成予定。

グループ全体のスパンボンド不織布の年産能力は現状計6万4000トンだが、天津の新工場が稼働する13年9月には約1.5倍の9万4000トンとなる見通しだ。タイでも設備増強を検討している。

ユニ・チャーム、ベトナム紙おむつ大手買収 円高生かしM&A  2011.8.25
18:03
ユニ・チャームは25日、ベトナム衛生用品大手のダイアナを買収すると発表した。11月末までに、ダイアナの創業者一族や投資ファンドから発行済み株式の95%を取得する。買収額は明らかにしていない。 ダイアナはベトナム国内で、首都ハノイやホーチミンに計3カ所の製造拠点を持つ。ダイアナのベトナムにおける市場シェアは生理用品が37・6%、乳幼児用紙おむつが27・7%で、米キンバリー・クラークに次いで第2位。

ユニ・チャームは新興国市場で、消費地の近くに自前の工場をつくり、独自の販売網を構築してきた。今回はこうした市場開拓の手法を改め、ダイアナが持つマーケティングのノウハウや販売力と、ユニ・チャームの商品開発力や技術力を融合し、収益力を高める。 ユニ・チャームはタイやインドネシアではトップシェアを持っているが、ベトナム市場の開拓は出遅れていた。円高メリットを生かし、いち早く成長を取り込む構えだ。

 

 

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2014年08月17日

オムツの話題 No1

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おむつは大人のものに?数年後には乳幼児用を抜き去る 産経新聞    2012年3月11日(日)   

大人用おむつが数年後に乳幼児用を上回る−。おむつなど衛生用品を扱うメーカーでつくる日本衛生材料工業連合会がこんなショッキングな予測を明らかにした。少子高齢化が最大の要因で、平成23年の生産数量は大人用が28万7688万トンとなり、29万6203万トンの乳幼児用に肉薄。大人用おむつは年率5%増で伸びており、日衛連では「数年後には同枚数になり、その後、乳幼児用を超えるだろう」と話している。

日衛連によると、ここ数年のおむつの生産量は、乳幼児用が微減しているのに対し、大人用は安定的に伸長。今後も高齢化が進むことから、日衛連では平成27年までに大人用は生産数量で現在比15%増となるとみられる。
「高齢者が増えれば市場のパイは確実に増える。近いうちに大人用おむつの逆転が起こるだろう」。衛生用品大手ユニ・チャームの担当者はこう話す。

高齢者人口の増加にともない、パンツ型おむつとともに、ここ数年、約15%の伸びをみせ、大人用おむつ全体の生産量を押し上げているのが軽度失禁用品だ。 軽失禁の症状は、ぼうこうが圧迫される妊娠後期の女性や40代以上の女性に多い。これまでも軽度失禁用品は売られていたが、実際に使うとなると、ためらう女性が少なくなかった。しかし、最近では軽度失禁用品が広く流通され、消費者も抵抗なく購入できるようになったという。

一方、子供の数が減っているのにもかかわらず、乳幼児用おむつが微減にとどまっているのには理由がある。かつては2歳になって初めて迎える夏でおむつを取るというのが一般的だったが、現在では「急がず成長に合わせて」と使用期間が平均36カ月以上、3歳以上まで延びているためだ。 とはいうものの、少子化で乳幼児用おむつの需要が今後、減少するのは間違いない。

このため、メーカー側は高機能な新製品を商品化したり、成長に合わせサイズを豊富にそろえるなど現状維持に必死だ。 ただ、大人用おむつが乳幼児用を上回るのは「数年後」といわれ、まさに時間の問題。市場全体が大きくなれば、メーカーには明るいが、世間的には「高齢化の波がおむつまで…」とショッキングな話題になりそうだ。(中山玲子)

今はまだオムツが必要だとは思わないが、近い将来老人性認知症などを発症して、オムツが必要になるときは来るのであろうか?

 

 

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2014年08月16日

限界都市東京からの移住    No4

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舞に見る海士町の魅力
キーワードの最後は、海士町に移住することで初めて分かる「価値観」だ。「ないものはない」というキャッチコピーに表れているように、海士町には際立った産業や文化はない。だからこそ移住者は真っ白いキャンバスに自由に絵を描くことができる。「何でもある」という東京圏では見いだすことができない状況が、独自の価値を作り出しているといえる。 先に挙げた岩本さんは現在、地元の伝統芸能である「島前神楽」を学んでいる。

大学時代に出版した本の印税でアフガニスタンに学校を建設した経験から、いずれ海外で教育貢献をしようと考えていた岩本さんを海士町に留まらせている理由も、その舞に隠されている。 「島前神楽は2畳のスペースしか使わず、舞の型が決まっている。限られた狭い世界に見えるが、実際に舞うと、ものすごく深く自由な世界が広がっていることに驚かされ、どんどんのめり込んでいく。この島での活動も同じ。小さい場所に世界の問題が凝縮されており、この場所から世界を変えていける実感がある」

伝統芸能から海士町の魅力を知るだけではない。舞の団体という地域コミュニティーに入ることで、学生の情報も入り、学校への協力者も増える。 仕事とプライベートが不可分に入り混じった状態――。東京圏に身を置いていると、「公私混同」と聞くと窮屈に感じるが、海士町ではそうではない。仕事やプライベートという概念が従来とはまったく違うものとして浮かび上がってくる。これもまさに新しい価値観との出会いといえるだろう。

安定した職を得られるだけでなく、やる気をバックアップしてくれる自治体の姿勢。子育てや教育など家庭生活に関わる部分で独自のサービスを受けられ、これまで気づかなかった価値観にも出会える。金銭面でも東京圏での生活と遜色ないレベルを維持できる。海士町のような試みが地方の自治体で広がっていることを考えれば、東京にしがみつく意義、必要性は徐々に薄れていくのではないだろうか。 東京から移住した20代の男性はこう話す。

「東京時代は通勤に往復で1時間半。営業職だったので外回りの移動だけで1日2時間ぐらい電車に乗っており、その間はひたすら携帯ゲームをしていた。ここで3時間半あれば何でも好きなことができるのに…」。海士町で話を聞いた十数人の移住者のうち、東京圏に戻りたいと考えている若者は1人もいなかった。

 

 

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2014年08月15日

限界都市東京からの移住    No3

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家庭面でも最良の環境
2つ目は、あらゆる「家庭」問題への対応だ。「収入が減り、生活していけないのではないか」「見知らぬ土地での子育てが不安」「田舎では良い教育を受けられない」――。既婚者の場合、配偶者の理解を得るのが移住の最も難しい点になる。 確かに、海士町での収入は東京圏で働いていた時と比べ、ある程度下がってしまう。だが支出で一番大きな項目である住居費は半分以下に抑えられる。近所からおすそ分けをもらえるため、食費もほとんどかからない。

自由に使えるお金だけを考えれば、実は東京と海士町ではそれほど変わらない。「ガソリンスタンドぐらいでしか現金を使わない」(30代男性)環境からか、1年間に100万円以上を貯金する移住者も少なくないという。 子育ての環境も整っている。浜中ひろよさんは大阪府羽曳野市出身。京都造形大学で環境デザインを学んだ後、そのまま京都でアルバイト生活を送っていた。体調を崩したのをきっかけに、「人生をリセットしたい」と考え、2009年に海士町の商品開発研究生として移住した。

そこでCASシステムで働く男性と出会い入籍。2年後には男児に恵まれた。夫の両親だけでなく、近所の住民も総出で子育てを助けてくれるといい、「町中に親戚のおばちゃんがいる感じ」(浜中さん)。今は仕事を辞めているが、いずれ島の名産を使った商品開発の仕事に就くことを考えている。「保育園など育児支援制度が充実しており、子育てしやすい環境。待機児童が当たり前の都市部に戻ることは考えられない」と話す。

高校の魅力化に成功
高等教育の面ではどうだろうか。2008年、近隣地区で唯一の高校である島前高校は存亡の危機に直面していた。 少子化で子供の絶対数が減少しただけでなく、近隣地区の中学生の約半数が島外の高校に進学。その結果、各学年の学級数が2クラスから1クラスになり、教職員数は最盛期と比べ4割減少した。教職員が減れば、授業や部活の種類が少なくなり、地元の高校に進学させようという動機づけはますます薄れる。こんな悪循環に陥っていた。

そこで海士町を中心とした地元自治体が立ち上げたのが、「高校魅力化プロジェクト」。ソニー人事部で働いていた岩本悠さんをプロデューサーとして招聘した。 岩本さんがまず取り組んだのが、危機感醸成と高校再興の共通ビジョンづくりだった。子供がいる世帯には「高校がなくなることによるコストは高い。自分の子供たちを通わせたい学校に変えていきましょう」と説明。一方で、それ以外の世帯には「高校がなくなれば若者の人口流出が止まらなくなり、島の産業も文化も廃れる。地域の未来を変える学校をつくりましょう」と訴え、当事者意識を浸透させた。

高校生がまちづくりを実際に行う教育を始め、島の新たな観光プランを実現化させた活動では、第1回観光甲子園でグランプリを受賞した。さらに勉強だけでなく、起業家精神を養う公営塾「隠岐國学習センター」を設立。いずれも地元住民の協力なしには実現できない企画だった。公営塾である「隠岐國学習センター」ではスタッフが学生目線で問題を投げかける

島前高校の評判は全国に広がり、今では全校生徒の半分近くを島外からの学生が占めるようになった。高校には寮が完備されており、1人暮らしも可能だが、子供の入学に合わせて海士町に移住する家庭も出てきているという。

 

 

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2014年08月14日

限界都市東京からの移住    No2

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海士町に見る「3つのK」
行動派の若者が進んで東京圏を離れる、そんな新しい移住は全国の地方の至る所で起き始めているが、その象徴的な存在になっているのが海士町だろう。海士町では5人に1人が島外からの移住者。彼らが熱源となり、地元住民が触発され、新しい産業や文化が芽生えるという好循環が生まれている。その理由を探っていくと、「3つのK」というキーワードが浮かび上がってきた。1つ目は「稼業」の育成だ。職がなければ移住者を受け入れることができない。

海士町では、自足できる安定的な職の創出だけでなく、起業を支援する体制までも整える。それを可能にしたのは、2002年に就任した山内道雄町長が打ち出した「民から官へ」というメッセージだった。 岩牡ガキの養殖業を営む大脇安則さんは海士町にある島根県立島前高校を卒業後、大阪の専門学校に入学。しばらく働いた後、海士町に戻ってきたUターン組だ。2000年ごろから岩ガキの養殖を始めた大脇さん。国や町の資金援助を受け、出荷棟などを建設。

その後、魚介類の細胞を壊さずに冷凍できる「CASシステム」の導入を山内町長に掛け合った。建設費は約5億円に上ったが、同システムのおかげで鮮度を落とさずに本土に出荷できるようになった。年間を通じて一定の売り上げが見込め、「岩ガキの養殖を産業に高められた」(大脇さん)。 大脇さんの会社には現在、Iターンの若者6人が働く。「他人の人生を請け負うのは重いが、若者を育てるのも務めだと思い、必死に向き合っている」と話す。

リスクを取るのは官
町が財政支援を決めたのは、大脇さんのケースだけではない。日経ビジネスの特集で紹介した宮崎雅也さんが運営する干しナマコの加工会社も同様だ。いずれの場合も、町議会から「個人のために公金を支出するのはいかがなものか」という批判が出たが、山内町長はこう反論した。 「支援した事業が大きくなれば、それに関わる人だけでなく、取引先にも効果が波及し、島内の産業全体が盛り上がる。新しい雇用も生まれ、新たな若い移住者が来てくれる。官が起業のリスクを引き受けないと、誰も挑戦しなくなってしまう」

「民から官へ」とは、決して行政の肥大化を意味するのではない。産業育成の取っ掛かりを担うことで、民の力を最大限に引き出せるようにする。移住者が遺憾なく能力を発揮できる環境を作り出すことこそが、官の使命だという信念に基づいている。 山内町長の携帯電話には、地元住民からひっきりなしに連絡が入る。面倒見が良く、かつ開かれた行政――。単に職を用意するだけにとどまらない、このユニークな姿勢こそが移住者を惹きつける要因になっている。

 

 

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2014年08月13日

限界都市東京からの移住    No1

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島根県海士町に見る新しい生き方   2014年8月5日(火)   http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140804/269604/?P=1

林 英樹  日経ビジネス記者 大阪生まれ。神戸大学法学部卒業後、全国紙の社会部記者として京都・大阪で事件を取材。2009年末に日本経済新聞社に入り、経済部で中央省庁担当、企業報道部でメディア・ネット、素材・化学業界などを担当。14年3月から日経BP社(日経ビジネス編集部)に出向し、製造業全般を取材している。

「奇跡の島」と呼ばれる島根県海士町の玄関口。境港(鳥取県境港市)からフェリーで3時間半かけ、多くの若者が来島する

 我こそは新島守よ
 隠岐の海の荒き波風
心して吹け

承久の乱に敗れ、流刑となった後鳥羽上皇。死ぬまでの19年間を過ごしたのが隠岐の島だった。それから800年近く経った現在。隠岐の島の1つ、島根県海士(あま)町には全国から優秀な若者が続々と集まってくる。後鳥羽上皇が詠んだような、波風が吹きすさぶ人気のない「遠流の島」のイメージは、もうここにはない。 地方から都市部への移住者が再び地元に戻るUターン。都市部から出身地と異なる田舎に移り住むIターン。

U・Iターンにはこれまで、少なからずネガティブな意味合いが込められていた。東京でのサラリーマン生活に挫折し、やむなく故郷に戻る者、定年を機にのんびりと余生を過ごそうと田舎に移住する者。移住者の年齢層が高かったことも、U・Iターンに「守り」のイメージを与える要因の1つになった。 だが今は違う。東京圏の一流企業の第一線でばりばり働いていた20〜40代のサラリーマンが辞職し、進んで地方に移住する。彼らはまだ若く、ゆったりと過ごすことだけを志向しない。

積極的に情報発信し、仲間を集って地域コミュニティーの再興に力を注ぐ。または地方発の新しいビジネスを興さんと奮闘する。ライフタイルの充実という大きな目標を実現するための「攻め」の移住といえる。

終身雇用崩壊で東京離れ
なぜこのような現象が起きているのか。理由の1つとして、相対的に東京圏の魅力が低下していることが挙げられる。バブル崩壊で終身雇用制度が崩壊し、会社の中で年齢を積み重ねれば右肩上がりに給料が増えていく賃金体系は“夢物語”になった。その結果、若いころに会社を辞めるデメリットが薄れ、地方移住が現実的な選択肢として浮上した。 もう1つはインターネットサービスの普及だ。フェイスブックやツイッターのようなSNSが一般化し、場所を問わず自由に友人や仕事の関係者と連絡を取ることができる環境が整った。

地方に移住しても常時つながっていられる、情報インフラとしての機能だけではない。新しい移住の動きが加速度的に広がったのも、SNSに依るところが大きい。これまでは移住に関する情報を得る手段は限られていたが、SNSを通じて多彩な先駆者の生活実態が手に取るように分かるようになり、望めば連絡を取り、直接話を聞くこともできる。上辺だけのきれい事でなく、苦労話までも知れば、決断前に理想と現実のギャップを埋められる。実際、取材で知り合った移住者の大半が、こうした形で先駆者の話を聞いた上で、移住を決断していた。

地方移住をサポートする雑誌「TURNS」プロデューサーの堀口正裕さんは、若者のU・Iターンについて「2000年代から徐々に増え、東日本大震災を機に飛躍的に拡大した。既存の価値観が瓦解し、今の生活を維持するためだけに働くことに、疑問を感じるようになったからだろう」と分析する。同誌では地方自治体と移住希望者とのマッチングイベント「TURNSカフェ」を随時開催しており、年々参加希望者は増えているという。

 

 

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2014年08月12日

海を渡るおじいさんのトラクター No4

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リーマン・ショックで会社が大ピンチに
──2008年に全国の農家から直接農機具を買い取るサイト「農機具買取ドットコム」をオープンしました。個人の農家から直接買い取るというのも、画期的なことだったそうですね。
幸田 前から、そういうことはいつか誰かがするだろうなと思っていました。自動車やバイクの中古市場と同様に、個人から直接買い取る会社が必ず出てくるだろうと。自分たちがやってみたいという気持ちはあったんですが、農機具店を飛び越えて農家さんから直接買い取ってはいけないなと思って控えていたんです。そうしたらリーマン・ショックが起きてしまった。リーマン・ショックの影響で超円高になり、会社は赤字になりました。

1ドル120円ぐらいだった頃は、国内で高く仕入れても外国に高く売ることができましたから、どんな値段でもかまわずに買いまくっていたんです。だけどリーマン・ショック後は1ドル70円前半にまで落ちて、窮地に陥りました。 仕入れを見直さなければもうやっていけない、というところまで追い詰められて、国内に目を向けざるを得なくなった。そこで、一般の農家さんからの直接買い取りと国内向けの販売を始めたんです。

──まさにピンチをチャンスに変えたということですね。
農家から寄せられる「ありがとう」の声

──会社の敷地に大量の農機具が並んでいるのを拝見しましたが、どれも相当古いですね。
幸田 あれらはすべて海外に輸出する農機具です。海外に出しているのは、基本的に日本の流通には乗せられない機械なんです。作られてから20年、30年経っていて、もう部品も手も入らない。今までは捨てられていたようなものばかりです。 確かに見た目は古いですよ。こんなの売れるんだろうかって思いますよね。けれども農機具って実は年に1〜2回しか使わないものが多いんです。だから見た目は古くてもコンディションはいい。そういうのを海外のお客さんは修理して、新品のようにきれいにして販売しているんですよ。

──日本の農機具は喜ばれるんですか。
幸田 非常に喜ばれます。日本製は性能が高くて故障が少ないですからね。あと、日本製というのは、やはり今もブランドなんです。特に東南アジアでは憬れの目で見られていますよね。

──お客さんに喜んでもらうことは商売の基本ですね。
幸田 農機具を買い取らせていただく国内の農家さんも、すごく喜んでくださいます。毎日のように「ありがとう」というお礼のハガキが届きます。 そのお気持ちはすごくよく分かるんです。お金じゃないんですよ。農機具は農家のおじいさんやお父さんが何十年も連れ添って使ってきたんです。それを処分してしまうのではなく、第二の国でまた次の人に使ってもらえるというのは、やはりすごく嬉しいことなんだと思います。そういう声を聞くと、やっぱりこの商売をやっていてよかったなと感じますよね。

 

 

posted by タマラオ at 05:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記