2014年07月07日

じつは世界の寿司ブームを支えていた!?      No3

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第二次世界大戦後、酢は不遇の時代へ それでも地方には良いお酢が残っている
「南九州は温暖ですから、今のように空調とかない時代は魚の保存をはじめ酢で保存性を高めるということで酢はよく使われていたと思います」大山食品ではタンクで米酢もつくっているが、それも非常にバランスがよく美味しいものだ。大手メーカーなどが採用している方式を否定するつもりはないが、水と米、それに昔ながらの時間をかけた発酵方法(静置式醸造法)でつくっているおかげだろう。酢は時代に翻弄された調味料のひとつでもある。例えば戦後の食糧難の時代に多く供給された『合成酢』問題がそうだ。

酢にはふたつの作り方がある。酒からつくる『醸造酢』と、酢酸を希釈した中に甘味料や塩、グルタミン酸などを加えてつくる『合成酢』である。戦時中、酒作りに米を使うのを禁じられていたため、やむなく生まれた『合成酢』は、戦後かなりのあいだまで流通していた。1960年代の終わりに社会問題化し、1970年に公正取引委員会によって「食酢の表示に関する公正規約」が定められる。その後、JAS規格の制定により「醸造酢」「合成酢」の表示が義務づけられるのは、1979年になってからだ。それまでの日本の消費者は酢に対してこだわりなどたいして持ってなかったのかもしれない。

『合成酢』に関わる騒動は日本酒の三倍増醸清酒と時期が重なる。いわゆる三増酒は第二次世界大戦後、米が不足したことから、清酒に水やアルコール、酸味料などを添加して味を調えたものだ。これも1970年代までは主流で、後になって日本酒のイメージを大きく傷つけることになる。「この頃の日本酒はまずかった」というのは今ではよく聞く話だが、食をテーマにしているとすぐに『昔は良かった』という話を聞かされる。いつも「本当かなぁ」と半信半疑なのだが、少なくても酢や酒に関しては一昔前は不遇だったといい。

大手メーカーが出している酢にもおいしいものはあるが、そうでないものもある。米酢と穀物酢の使い分けも消費者としてはなかなか難しい。酢は実際に料理に使わないと、その良し悪しがわかりづらい食べものだからだ。かつて、いいものをつくることを志しても、つくれない事情があった。大量生産、大量消費の時代のなかでいいものも埋もれていった。しかし、日本にはまだ良心的な食べ物をつくる人々がいるということを、地方を訪れると実感できる。

「最近はドレッシングとか、加工酢とかが増えてきました。お酢屋さんはご存じの通り、大手のシェアが強くて、他県のお酢屋さんはどんどん減ってきていて。九州にもその流れがあったんですが、地元で固まってそれで残っているという部分もありますね。米酢とかは家でもっと使ってほしいんですけどね」二杯酢や三杯酢の違いなど、改めて聞かれると答えに窮してしまう人は意外に多いのではないだろうか。

ポン酢などの便利な混合調味料の普及によって、家庭で酢を料理に使う機会は減っている。ちなみに二杯酢は醤油と酢をあわせたもの、三杯酢はそれにみりんか砂糖を加えたものだ。旨い酢をつくる重要な要素のひとつである水を生む照葉樹林帯は、林業なくしては存在しえない。自然の恵みを享受しつつ、自然に積極的に介入し、自らその一部になることで、日本人の暮らしは成り立ってきたのだろう。それぞれの土地の自然がもたらす味、日本の味とはその集合体なのだ。

石塚左弦が残した『春は苦み、夏は酢の物、秋は辛み、冬は油』という言葉があるが、時間をかけてつくられた酢は日本人の暮らしを下支えしてきた。梅雨が明ければ、これから暑い夏がやってくる。今年の夏は酢で乗り切るとしよう。

 

 

posted by タマラオ at 04:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記