2014年04月30日

超人気の純米大吟醸酒「獺祭」 No1

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日経ビジネス   2014年4月18日     http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140417/263049/?n_cid=nbpnbo_bv_ru
宗像 誠之 日経ビジネス記者 日経コミュニケーション、日本経済新聞社産業部、日経コンピュータを経て、2013年1月から日経ビジネス記者。

獺祭(だっさい) 旭酒造 オバマ大統領訪日の手土産として贈られた日本酒は「獺祭(だっさい) 磨き その先へ 二割三分セット」です。獺(かわうそ)に祭と書き「獺祭(だっさい)」と読むお酒があります。一風変わった名前を持この日本酒は、山口県の岩国市周東町という小さな町から日本全国に発送されている、日本酒ファンの間でかなり話題になっている地酒なのです。カワウソは捕らえた魚を岸に並べる習性があり、その姿はお祭りをしているように見えるとか・・。

詩や文をつくる際、多くの参考資料等を広げちらす様子と共通することから、「獺祭」とは書物や資料などを散らかしている様子を意味します。 学者、正岡子規は自らを獺祭書屋主人と号してお
り、日本文学に革命をもたらした正岡子規のように、変革と革新の中からより優れた酒を創り出そうという志。そして地元の地名「獺越」にも「獺(カワウソ)」の文字があることから「獺祭」という酒名が付けられました。 蔵元のすぐ隣に
は川が流れていますがその川に「かわうそ」が棲んでいたかもしれませんね。・・・

入荷日に店頭から消える、超人気の純米大吟醸酒「獺祭」。欧米など約20カ国に輸出され海外でも大好評だ。品薄解消へ、獺祭を醸造する旭酒造は増産を計画するが、致命的な課題がある。獺祭を好きなだけ飲めるようにする方法とは?「この前も、ドイツから取材に来た外国人記者を乗せたよ」。道すがら、タクシーの運転手は地元自慢をするように饒舌に語った。 目的地である山口県岩国市の獺越(おそごえ)は、山陽新幹線の新岩国駅からクルマで約30分程度。

途中からはひたすら山道を走る。周辺は森林ばかりで、たまに農家らしき家がちらほら見えるくらい。本当にこんなところに会社はあるのか。そう思い始めたころ、登りだった坂道が下りになり、山間の集落が現れた。真っ先に目に飛び込んでくるのが、山奥に似つかわしくない、地上4階建ての酒蔵だ。ふと自分の私用スマートフォンを見ると、驚くべきことに電波が入っていない。別の携帯会社の業務用スマホは、かろうじてアンテナが1本立っている状態。

そんな場所にあるのが、日本酒の分類で最高ランクの純米大吟醸酒「獺祭」を醸造する旭酒造の本社と生産拠点である。 獺祭は、コメを最大77%も磨いた芯の部分だけを使用する。原料のコメは、酒造米の最高峰「山田錦」のみ。これを極限まで磨き、できるだけ雑味を取り除く。フルーティーな香りとすっきりした飲み口が受け、日本酒好きだけでなくワイン通や女性にもファンを増やしてきた。

最高級品は1本3万円、でも国内外で売れる
あまりの人気に東京の一部の店舗では、入荷日にすべて売れてしまう状態が続く。獺祭の最高級品「磨きその先へ」は1本3万円もする。が、獺祭は入荷するたびに、次々と売れていく。獺祭の販売が好調なのは日本だけではない。その味は海外のワイン通もうならせ、富裕層を中心に人気が高まっている。獺祭は2000年代初頭から海外で販売された。欧米や中東、アジア地域に販路を拡大し、2011年には、ユダヤ教徒が口にできる清浄食品基準「コーシャー・ライセンス」も取得。2013年からはタイ、インドネシア、エジプトの3カ国で新たに販売を開始している。

 

 

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2014年04月29日

結婚でオンナの決断、農の新しいカタチ  No2

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夫婦で別々の経営の栗本氏と渡辺氏
つぎに紹介する夫婦は、8月に結婚した栗本めぐみと渡辺裕介。栗本は高校のころから友人に「将来は農家になる」と話していた。東京農大で学んだあと、「ほかの農家にないもの」を身につけるため、青果物卸に就職。食品の貿易会社でも働いたが、農業への思いは変わらず、2009年に静岡県御前崎市で就農した。  経営を分けた栗本氏と渡辺氏の選択  と書くと、
「西口敏男とそっくり同じ経歴ではないか」と思われそうだが、ここから先がまったく違う。

じつは栗本と渡辺の夫婦は同じイチゴをつくっているにもかかわらず、経営は夫婦で別なのだ。2人の栽培ハウスは車で1、2分しか離れておらず、見上げると同じ風力発電の巨大な風車が見える。だが栽培も売り先も会計も独立だ。
「はじめは、いけすかないやつと思いました」。渡辺は栗本と知り合ったころの印象をこう語る。2人は同じ静岡県の研修制度を使って就農しており、栗本のほうが3年先輩。

渡辺が研修しているとき、先に独立した栗本の言葉が人づてに聞こえてきた。「最近の研修生は考えが甘い。あんなんじゃできない」  栗本は辛口の言葉の真意を、のちに渡辺に話す。「私は
研修中から死に物狂いでやってきた」。だから「この作業を、パートを使ってやったら、どれくらいの時間がかかるだろう」「どうすれば利益が出るだろう」など、実戦≠想定しながら研修を受けてきた。

そんな栗本にとって、ほかの研修生たちは歯がゆく見えた。「たんに赤いイチゴを実らすだけなら、素人でもできる」。肝心なのはイチゴのリズムに振り回されず、自分のペースで栽培し経営することだ。それができないから、多くの研修生は「改善方法がわからず、就農したあと暗くなって文句ばかり言う」。  もともと青果物卸や食品商社で働いたのも、自分で
農業をやるための準備の一環だ。独立したあとは農協だけに頼らず、つちかった人脈を生かしてスーパーにも直接販売した。

いまや地元で有力な和洋菓子の製造・販売チェーンが、彼女のために商品開発する。そのときも彼女は「自分のイチゴを使ったお菓子をつくってくれないなら、出荷しない」という意気込みで社長に直談判した。 こうした努力を重
ね、ブランドを高めてきた彼女にとって、結婚したから経営を1つにする選択肢はありえなかった。だから経営上はいまも「栗本」の姓のままで通す。「ラーメン屋を別々に営む2人が結婚したら、簡単に経営を1つにしますか」。なのになぜ農業はそうみてもらえないのか、と彼女は考える。

女性の農業参入を阻む“見えない壁”に挑む
一方、夫の渡辺も、独立を目指して研修した点では同じ。ファミレスの店長を長年務めながら、「いつか自分で事業を興したい」という思いをあたためていた。そんな渡辺の目にとまったのが、就農支援制度だった。つまり渡辺にとって農業は、起業という夢を実現するために選んだ仕事だ。こんな2人にとって、経営を分けるのはごく自然な選択だった。  では子どもが産まれたらどう
するのだろう。そう尋ねると、「もうさんざん聞かれた」という表情で答えた。

「病気と比べると、出産は計画的にできる」。そのために人の手当も含め、準備しておくのが経営だろう、と彼女は考える。「なぜすぐ夫に栽培を手伝ってもらうという話になるんだろう。家事などの生活面をフォローしてくれればいい」  結
婚を機に独りぼっちの農作業から家族経営へと歩を進めた西口生子と、夫とは独立して経営することに挑む栗本めぐみ。2人の選んだ農業の形は、見た目は違う。

だが、農業という極めて保守的な性格の色濃い産業が女性の参入を阻んできた“見えない壁”に向き合っているという面では共通だ。  農業を再生させるためには、農業に夢を抱き、そのとび
らをたたく若者を増やすしかない。その人が男か女かに関係なく、どうすればほかの産業のように活躍できるチャンスを増やせるか。2組のカップルの挑戦は、もっと多くの若者を農業に導いてくれるかもしれない。

 

 

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2014年04月28日

結婚でオンナの決断、農の新しいカタチ  No1

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「農家の嫁」の先の先から見えるもの  2013年10月18日   http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20131016/254655/

農業の先行きに漂う閉塞感を打ち破るには、新しい何かが必要だ。女性の力はその1つ。1人で農業の世界に入った30代の2人の女性が結婚に際し、何を決断したのかを取材した。彼女たちの未来に、農業の新しい形がみえる。
これまで農業と女性のかかわりは、「農家の嫁」というイメージでみられがちだった。2人は違う。彼女たちが先に就農し、栽培や経営で夫にアドバイスしていることもある。だが、2人が示す農業の可能性はそれだけではない。

最初に紹介するカップルは、西口生子と西口敏男。昨年12月に結婚した。来月には第1子が生まれる。生子は「いまは農業をがっつりできない。それがフラストレーションになります」と話す。この言葉は、2人が築こうとしている経営の姿を端的に示す。
 栽培と営業で助け合う西口夫妻   生子はネイルサロンや老人ホームでの仕事を経て、5年前に茨城県土浦市で就農した。農薬も化学肥料も使わず、50品目におよぶ野菜をつくる。

若い女性が1人で就農し、しかも有機栽培というハードルの高い農法に挑戦したことで注目を浴び、メディアにも度々とりあげられた。だが収入が伴わず、いつまで続けることができるのか悩んでいた。敏男と知り合ったのはそんなときだ。夫の敏男は生子の畑を昨年訪ねたとき、「やり方を工夫すればもっとうまくいくのに」と思ったという。高校のころから農業を志し、東京農大へ。だが「作物を売るにはどうしたらいいか」を学ぶため、すぐには就農せず、青果物卸に就職した。「そろそろ農業を始めよう」と思ったとき、生子と出会った。

妻は栽培、夫は販売
「明日の作業はこれ」「あと10センチ、畑の隅まで機械を入れて」「言ったことはちゃんと覚えて」。農作業の先生となった生子の指導はけして甘くはない。だが生子もまた、敏男と接することで農業のべつの側面を知ることになる。 「直売
所の売上明細を、うれしそうにずっと見ているんです。あたしは、そんなことしなかった」。これは売り上げが増えてほくそ笑んでいるという話ではない。敏男は言う。「明細を見れば、いつどんな野菜が売れたかがわかる」

2人の話を聞いていて、農業への向き合い方の違いがみえてきた。「あたしは雑草が生えていたら我慢できない。まず畑をきれいにする」「僕は出す物を先に出して、お金に換えたい」「あたしなら出荷を止めてでも、畑に出る」「売ってなんぼだろ」。そこで2人はこう総括した。「生子は栽培が中心」「敏男は売り上げを増やすために動き回る」  こんなこともあった。夏野菜
のズッキーニは成長が速く、あっという間に50〜60センチもの長さになる。こうなると、タネが大きすぎてもう食べられない。生子が片付けようとすると、敏男が「それ捨てないで」と制止した。

「もう売り物にならないのに」といぶかしむ生子に対し、敏男は「マルシェに飾りとして置けば、おもしろいじゃないか。それをレストランに提案する手もある」。カービングにしたらいいとも考えた。いかに売るかに知恵をしぼる敏男の努力で売り上げも増え始めた。 結論を言おう。農家の女性は「夫を手伝う嫁」というイメージの先の先。
力仕事は夫の役割で、妻は女性ならではの感性でマーケティングを担うという、これまたステレオタイプの発想ともまた違う。生子と敏男の関係はその逆だ。

農家の平均年齢が66歳という現実をみれば答えが出る。ふつうは日本の農業の衰退を映す象徴的なデータとされるが、見方を変えれば、ほかの仕事なら退職すべき高齢になっても農作業は可能だということを示す。投資コストが採算に合うかどうかを度外視すれば、機械化を通した省力化のおかげで、農作業はかつてよりずっと楽になった。  小さい兼業農家を可能にした技術
の進化が、女性が農業の世界に入るとびらを開いたとみることもできる。農業の道を歩み始めた2人が、栽培と販売をどう役割分担するかを、以前のように固定的に考える必要はなくなったのだ。

 

 

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2014年04月27日

変わる農協、躍進法人と「和解の日」  No2

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農協との共存を目指すグリーンの平石博社長
発端は2003年の凶作による米価の高騰。平石は自分でコメをつくるだけでなく、卸からもコメも買い、地元の通販会社を通して個人顧客にコメを売っていた。米価高騰で卸から買い付ける値段は上がった。だが通販価格を簡単に変えることができず、「地獄を見た」。  このときの教訓で、通販会社から1つの提案が来た。「仕入れ価格を安定さ
せるためには、いちいち卸から買うのではなく、生産者のグループをつくったほうがいい。そのほうが、ブランドの価値も上がる」。

つくり手の顔の見えるコメにすることで、付加価値を高めるべきだ。もっともなアドバイスだった。  ここで面白いのは、独自ルートを築いた平石が改めて農協に相談に行っ
たことだ。「農協が集めたコメをこっちに回してくれないか」。越後さんとうの対応は一見、冷たかった。「いいコメは売り先が決まっている。回せるコメはない」。だがほどなくして、農協側は驚くべき提案をする。「貯蔵庫を1本貸すから、グループで使ったらいい」

越後さんとうは、けして農家の離反に悩んでいたわけではない。施設の利用率は8割と全国的にも高い。農協とは別の販路開拓を目指す平石に、すり寄る必要はまったくなかったと言っていい。他の組合員から文句が出てもおかしくない措置だ。だがここで、当時の組合長の関誉隆が英断を下す。「責任はおれが全部とるから、やってみろ」  このとき越後さんとうの内部で、ど
れほど激しい議論があったのかは明らかではない。いずれにせよ、2つの結論が出た。


まず「これから農地の集約が進む。それを担うのは法人による大規模経営のはずだ」。もう1つは「農機具など機械が壊れるのをきっかけに、高齢農家の離農が増える」。現実を直視した、画期的な判断と言えるだろう。  この2つの結
論を総合すると、「農協に頼らない経営との接点を探るべきだ」となる。コメの貯蔵庫の貸し出しは、これ以上ない合理的な判断だった。 もちろん、独り立ちを目指す平石の動きを、農協が手放
しで歓迎していたわけではない。

平石いわく「はじめの10年は日干しにされた」。例えば、補助金の申請に関する説明会に呼ばれなくなった。だがこの「日干し」発言は、農協の幹部も同席する取材の場で出たものだ。逆にいま両者の関係がいかに円滑かを示す思い出話と言ってもいい。

必要なのは農協に依存しないライバルの存在
農業改革が話題になるとき、必ずと言っていいほどやり玉にあがるのが農協だ。「農家ではなく組織の利益を優先している」「政治力にものを言わせ、非効率な農業を延命させている」「独り立ちしようとする農家の足を引く」「農産物の販売ではなく、金融収益に頼っている」「農業をしていない准組合員が多い」。批判を挙げればきりがない。  越後さんとうのような、先駆的な
取り組みは例外として、こうした批判が当てはまる農協も少なくない。だがここで考えるべきなのは、ではどうすれば農業を立て直せるかだ。

協同組合組織である農協は、参加も脱退も自由。日本の農家の大半が兼業になれば、農協の行動はどうしても兼業の利害に左右されるようになる。地域で農家の数が減れば、その活動も変質する。農協の非道をなじる声を度々聞くが、それは農協という組織のメカニズムが問題なのか、変われない村の論理が問題なのか判然としないことも多い。  だから、それでいいというわけで
は当然ない。農業の衰退を防ぐには、いまのままの農協では心もとないのは否定できない。

だから、必要なのは現に存在する農協を壊すことではなく、農協に依存せず、栽培技術も販路も革新できるライバルの育成だ。それがうまくいけば、農協のあり方も必然的に変わる。  成長する法人経営に農協が歩み
寄ることは、農協の敗北を意味するわけではない。躍進する法人との共存の道をさぐることは、農協が本来の役割を取り戻すきっかけになる。

 

 

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2014年04月26日

変わる農協、躍進法人と「和解の日」  No1

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共存で本来の役割を取り戻せるか  2013年9月27日   http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130925/253844/

「大罪」となじられたり、「戦争」と敵視されたり――。農協と言うと、まるで日本の農業をダメにした張本人かのように批判されることが少なくない。だが高齢化による離農と耕作放棄の増大という危機を前に、変革をさぐる動きもある。躍進する農業法人と手を組むという新しい試みも出始めたのだ。  「本当のことを言うと、農協から早く話が来ないかと
期待していた」。中部地方でコメをつくるある農業法人のトップはこう語る。「販売は自由にしていいから、貯蔵施設を使ってほしい」。これが今春、農協から来た提案だった。

仮にこの法人の社長の名前を「稲田」としよう。稲田はいまから約10年前、わずか1ヘクタールの田んぼで稲作を始めた。はじめは農協に頼んでコメを売ってみた。だが値段も売り先も農協にまかせ、あとは放っておくだけの手法では「なんの面白みも感じなかった」。  「自分で売ってみよう」。そう決めた稲田は農協とたもとを分かち、
米袋を担いで飲食店を回る日々が始まった。そのころはまったく無名で、親戚や知人に買ってもらうのが精いっぱいだった。

いまは都心の高級百貨店にコメが並ぶ稲田だが、「作るより、売るほうがずっと大変だった」と当時をふり返る。  飛躍のきっかけはコシヒカリと違う品種を植えてみたことだっ
た。当時もいまも日本のコメはコシヒカリかその関係種ばかりだが、稲田は味も香りも大きさも違うべつの品種をつくってみた。これが稲田のいる地域の気候に見事に当たった。コメの食味コンテストに挑戦すると、幾度もトップに輝いた。

農協が施設利用のみを認める異例の措置
これで流れは一気に稲田に傾いた。近くの農家が「田んぼを借りてくれ」と言ってくるようになったのだ。ご多分に漏れず、稲田の周囲の農家も年をとり、農作業を続けるのが難しくなっていた。稲田はまだ50代前半。農家としては「将来のある担い手」の部類に入る。稲田のほうも注文に応えるには、狭い面積では足りなくなってきていた。  こうして耕作面積は40ヘクタールに
迫るほどになった。しかも、それでも足りず、数十人の農家が稲田のグループに入った。もちろん稲田との契約でつくるコメの販売は農協を通さない。

稲田が農家から集荷し、独自ルートで売る。「施設の利用率が落ちて困っている。販売はべつでいいから、施設を使って欲しい」。農協が稲田にこう話を持ちかけた背景には、地元の農家が次々に距離をおき始めたという事情がある。コメ農家の悩みはどこも収益の低迷。高値で売れるブランド化に成功し、伸び盛りの稲田のもとに集まるのは当然だろう。 一方の稲田にも、農協の提案
に飛びつきたい理由があった。

コメを売る際に欠かせないのが、モミを外して玄米にし、精米し、袋詰めにするまでの一連の作業。その過程で、年1作のコメには貯蔵のための施設が必要になる。農協から独立した稲田はそのための設備投資を重荷に感じ始めていた。農協からの誘いはまさに渡りに船だったわけだ。 農協がその生命線であるコメの流通をあきらめ、施設利用だけに限
定する部分的な取引を認めるのは、日本各地を見回しても珍しい。農協の全国組織である全国農業協同組合連合会(全農)の集荷率が4割を切っているにもかかわらず、いまも「全量集荷」という実現不可能な目標を掲げる農協も少なくない。

合理的な判断を下した越後さんとう農業協同組合
そうしたなか、関係者から「驚くべき先行例」として注目を集めている地域がある。新潟県長岡市の越後さんとう農業協同組合である。10年近く前から独立系の法人に設備を開放してきた。ちょうど稲田が農協を離れ、独自販売を始めたころだ。  8
月下旬、農業法人のグリーン(長岡市)を中心とする生産者グループと、越後さんとうとの会合が開かれた。場所は越後さんとうの会議室だ。「250トンの貯蔵庫を3日でいっぱいにして欲しい」。こう切り出したのはJAの担当者だ。グリーン社長の平石博が「みんな頼むぞ」と呼びかけると、仲間の農家たちが「分かった」と応じた。

 

 

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2014年04月25日

サラリーマンに農業は無理なのか  No2

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「いいものをつくって、自分の収入を増やしたい」という農家の“本能”が発揮されれば、つらい作業にも向き合える。今年4月からは新たに就農希望者を受け入れ、5年後に独立させる仕組みもつくった。いま7人が独立を夢見て研修中だ。

サラリーマンに農業は可能か――。山田のように脱サラし、会社員の時に培ったノウハウで成功する道は、かつてなく開けている。山田が加工から販売まで手がけ、九条ネギというブランドをフルに生かして成長した発想の根っこにはアパレル時代の経験がある。だがその下で働く社員がやる気を持てるかどうかはべつの話だ。

大手電機メーカーのサラリーマンから農業の世界に入ったソイルパッションの深川知久氏
こうした例はほかにもたくさんある。2009年に静岡県で就農した深川知久は、もとは大手電機メーカーに勤めるサラリーマン。有力生産者グループの野菜くらぶ(群馬県昭和村)を知り、その仲間に入る形で農業の世界に入った。「仕事は休日返上で、不安もある。でもリターンはすべて自分に返ってくる」。  規模拡大も順調だ。面積は20ヘクタール。すでに1人
でこなせる広さではなく、農業法人のソイルパッション(菊川市)を立ち上げ、社員を4人雇っている。

そこで抱えた悩みが、2〜3年で作業をおぼえると、社員が独立してやめてしまうことだ。これが農業者の“本能”だろう。自分でつくってもうける醍醐味は人の下ではなかなか味わえないのだ。  深川はそれでも、これか
らもずっと一緒に働いてくれる社員がほしいと思う。そこで考えているのが、分社化のような形にして成果を給与に反映させる仕組みづくりだ。「農業だから安月給でもいいという時代ではない。やったことに待遇が連動し、社員が5年先、10年先まで見通せるようにしたい」と話す。

法人の農業進出が増えても成功例が乏しい理由
2009年の農地法改正で、農地を借りる形でなら参入が自由になってから、1000を超す法人が農業に進出した。それでも目立つ成功例がないのは、株式会社による農地の購入がまだ認められていないからでは断じてない。初期投資がかさみ、しかも天候に左右されやすい農業で、短期的に利益をあげるのが難しいことが第一。それと関係するが、働き方も会社員と同じではうまくいかない。  高齢化と放
棄地と担い手不足の三重苦に悩む農業にとって、外からの参入が増えることは再生のきっかけになるだろう。

いまの農業に欠けるのは効率的な経営管理。経費と利益すら把握できないようでは「もうかる農業」などおぼつかない。だから企業参入は再生の大きな柱になる。だが「自然」という農業特有の課題は企業にも立ちはだかる。  カイワレ
やトマトやパプリカのように、工場のような施設でつくれるなら、規則正しい働き方も可能だろう。だが多くの作物はいまも「お日さま」という無償のエネルギーに依存する。人の思い通りにならない自然といかにうまくつき合うかが、今後も農業で成功するためのカギをにぎる。

資本力のある企業の参入は、これからの農業には間違いなく必要だ。では企業の持つ様々な経営資源をどう農業にアレンジするか。山田が目指す生産者のグループ化を、もっと大規模に進めるのも1つの手だろう。いまのところ成果に乏しいが、IT技術を本格的に農業に活用することも可能になるかもしれない。いずれにせよ、「農業は遅れている」という先入観だけ抱いて参入すれば、多くの企業はやけどを負う。

 

 

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2014年04月24日

サラリーマンに農業は無理なのか  No1

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「自然を相手にする仕事」という大きな壁  2013年9月13日   http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130911/253288/

農業再生の切り札として、企業参入が必要だという声がたくさんある。先進的な経営手法を持ち込めば、前近代的で非効率な農業を立て直せるはず、という発想だ。たしかに、日本の農業にとって企業的な経営センスはいまより必要だろう。だがここで立ち止まって考えたほうがいいことがある。そもそもサラリーマンに農業は可能なのだろうか――。

ネギのグループを目指す、こと京都の山田敏之社長
「あいつに会うと、嫌みばかり言ってる」。農業生産法人、こと京都(京都市)の社長、山田敏之はこう話す。「あいつ」とは、今年独立した元従業員の田中武史を指す。12年間、山田の右腕として働いた生産部門の責任者だ。「嫌み」はもちろん冗談。「あいつ、やめてから断然いいネギつくるようになった。腹立つなあ」とうれしそうに笑う。  こと京都は、アパレルメーカーを
やめて実家を継いだ山田が2002年に立ち上げた。

九条ネギを中心に生産から販売、加工まで手がける有力農業法人で、従業員は30人弱いる。九条ネギではライバルがほとんどない規模に成長したが、会社が大きくなるほど、気になってきたことがある。「社員は一生懸命働いてる。それなのに楽しそうじゃない」。

サラリーマンには難しい「農家の働き方」
理由を考えているうち、気づいた点がある。「農家の働き方は本来、ネギにも人にもいいはずだ。だがそれがサラリーマンには難しい」。例えば夏。朝は4時ごろ起きて仕事を始め、昼前に長めの休憩に入る。再開は午後3時ごろで、終わるのは夜8時。「暑い真昼に作業するのは、ネギにも人にもよくない」。だがこういう働き方を社員に求めるのは難しい。一方で、ふつうの会社員と同じ時間帯で仕事をすると「暑くてつらい」。

問題は社員のモチベーションにとどまらない。「農家の働き方」ができないから、どうしてもまわりのプロの農家に質で負けることがある。「早くうまくなれよ」と言ってはきたが、技術でカバーできる問題とも思えない。そこで山田が出した結論は「もう、おまえら独立させることにした」。独り立ちしたら、農家と同じように働くという読みだ。  実際、独立1号の田中は山田の期
待通りに成長した。もともと自分で農業をやりたいと思っていたが、こと京都で働くうち、「いろいろ見えてきて、無理だと思うようになっていた」。

農業で利益を出す難しさを知ったのだ。いつの間にか年も40代半ばになっていた。だが1年ほど前から「やっぱり挑戦してみたい」という気持ちがわいてきた。  以前はどちらかと言うと、線の細い印象
だった。いまは黒々と日焼けし、髪も長く伸びた。深夜2時過ぎに起きて準備を始め、4時から畑に出ることも珍しくない。「もうだれも助けてくれない。必死度は、こと京都に勤めていたときと比べ、正直言って違います」。見違えるほど精悍(せいかん)になった田中について、社長の山田は「ものをつくるのが好きだったんだ」と目を細める。

こと京都は日本のネギの最大勢力になることを目指し、経営規模を拡大してきた。九条ネギに代表される青ネギでみれば、いまは日本の消費量の100分の1で、年1000トン弱。山田はこれを関東が主産地の白ネギも含め、4万トンに増やすという目標を掲げている。
 だがこの目標を、1社で実現するのは非現実的。そこで山田が取り組んでいるのが農家のグループ化だ。社員の独立を後押しするのも、その一環。

 

 

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2014年04月23日

日本農業生き残りのヒント  No2

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広大な放棄地を再生させた柏染谷農場の染谷茂代表 「これからの稲作はどのくらいの規模が必要ですか」。そう尋ねる染谷に酒谷は「7〜8ヘクタールぐらい」と答えた。染谷が小さな機械しか持っていないことを知り、それに見合う面積を答えたのだった。「そういうつもりで聞いたわけではない」。染谷は内心そう思った。自分も大規模経営を目指していたからだ。

9年かかってようやく全面的な作付が可能に
飛躍のきっかけは10年前に訪れた。柏市内に30年以上放置された100ヘクタール強の農地があった。ゴルフ場の運営会社がコースの造成を計画したが、自治体の許可が下りず、荒れ放題になっていた。ゴルフ場の運営会社がついに建設をあきらめ、農地にもどすことになった。そのとき白羽の矢が立ったのが染谷だった。 作業を始めたのが2003年。訪ねると、そこには4メートルほどもあるヨシが生えていた。トラクターで刈ると、「タイヤや金属片などあらゆるゴミが出てきた」。

土地を平らにし、用水路を引き、昨年ようやく全面的に作付できるようになった。 染谷は「もし挫折していたらもの笑いのタネになっただろう」と振り返る。土地はあまりにも広大。工程表も設計図も自分たちでつくり、資金もほとんどみずから負担した。途中でトラクターを2台盗まれるという事件も起きた。 それでも染谷には自信があった。就農時の農地は1.5ヘクタールしかなく、新たな土地を求め、河川敷の荒れ地を開墾した。

親戚から「気が変になったと思われるからやめろ」と言われたこの挑戦がうまくいったことが、規模拡大の出発点になった。「あれと比べれば今回はもともと農地だから何とかなると思った」。サカタニ農産と柏染谷農場の歩みはいくつかのことを示唆している。まず経営者の努力と情熱次第で、日本でも数100ヘクタールの巨大経営が実現し、放棄地を再生させることもできるということだ。中規模な専業農家も含め、加速度的に引退していくことを考えれば、時代の風は彼らに有利に吹いていると言える。

政権交代でも変わらないバラマキ政策
一方で、作り手がいなくなり、放出される農地が彼らの手からこぼれ落ちる恐れも否定できない。1社で引き受けることのできる面積には限りがあるからだ。染谷は「農業者の数が絶対に足りなくなる」と話す。もしそうなれば、日本の農地は放棄地だらけになる。それを食い止めることができるかどうかは、大規模経営を可能にする先進的な農業者をどれだけ増やせるかにかかってくる。これからの農政の役割は、そうした経営者の後押しにまず重点をおくべきなのは言うまでもない。

兼業が悪だというつもりはない。細々とでも農業を続けながら、勤めに出ることも可能になったことは、都市と地方の格差を縮め、地域社会の崩壊を防ぐうえで意義はあった。だが世代交代が進まず、平均年齢が70歳に迫ろうとする農業の実態は、もはや兼業に未来を託すことができないことを示している。その意味で「兼業が日本のコメを支えている」と強弁し、すべてのコメ農家に補助金をばらまいた民主党の罪は重い。奥村は「票をカネで買った」と批判する。

だが政権を奪還した自民党も、戸別所得補償から経営所得安定対策に名前を変え、同じ政策を続けている。自民党は農業の競争力強化もうたってはいる。だが二兎を追う政策のままで、迫り来るピンチをチャンスに変えることはできるだろうか。今後の農政の成否はこの一点にかかっている。

 

 

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2014年04月22日

日本農業生き残りのヒント  No1

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吉田 忠則  日本経済新聞社編集委員 1989年京大卒、同年日本経済新聞社入社。流通、農政、行政改革、保険会社、中国経済などの取材を経て2007年より現職。2003年に「生保予定利率下げ問題」の一連の報道で新聞協会賞受賞。

「兼業が日本を支えている」と強弁する罪 農業崩壊に正面から立ち向かうガリバー経営  2013年8月23日   http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130819/252388/

このままでは日本の農業が壊滅する――。ずっと恐れられてきたことが、ついに目の前に迫ってきた。世代交代に失敗し続けたツケで、バケツの底が抜けるような耕作放棄が起きようとしているのだ。崩壊を防ぐことはできるのか。危機に立ち向かう2つの巨大経営を通して、農業の未来を探ってみよう。 1つ目は富山県南砺市で、コメを中心に果樹や野菜を栽培するサカタニ農産だ。耕作面積は340ヘクタールと、東京ドーム70個分を超す。

日本の農地の平均が2ヘクタールしかないことを考えると、サカタニ農産の途方もないスケールがわかる。

日本有数の巨大農場を経営するサカタニ農産の奥村一則代表
日本を代表するこのガリバー農場でも、手を焼く相談がこの春にあった。「うちの田んぼを引き受けてくれないか」。持ち込まれた面積は15ヘクタールもあった。 専業の家族経営で、経営者は80歳近い高齢だった。今年も田んぼに出るつもりだったが、体力に自信がなくなり、田植えを目前にして廃業を決めた。そこで残された耕地の引受先として期待したのがサカタニ農産だった。 サカタニ農産は創業が1967年。5年後には農地を借りる形で大規模化に乗り出した。

代表の奥村一則によると「はじめのころは軽飛行機を飛ばして拡声器で呼びかけ、テレビでコマーシャルを流すなど攻撃的に農地を集めた」。 80年代後半に流れが変わった。バブルによる地価高騰で農家がどんどん土地を売っていった。大半は兼業で、もはや農業を続ける意思はない。売れ残った農地がサカタニ農産に流れてきた。90年代になると高齢で引退する農家が増え、自動的に農地が増えるようになった。

持ち込まれた48ヘクタールもの農地
今回、相談のあった15ヘクタールはこうした流れとはべつのものだ。ここ10数年は年に5〜10ヘクタールのペースで増え続けてきたとはいえ、土地を貸してくれるのは規模の小さい兼業農家がほとんど。田んぼ1枚の面積は平均で0.2ヘクタール強しかなく、地主の数も膨大になった。 これに対し、まとめて15ヘクタールが手に入れば効率はずっといい。だが今年はすでに10数人から新たに6ヘクタールを借りており、いきなり15ヘクタールを上積みするのは難しい。そのため、2つの農業法人に頼み、ひとまず3社で農地を借りることにした。

同じことは一昨年にも起きた。そのとき持ち込まれた面積はなんと48ヘクタール。ここは親子3人の家族経営だったが、父親が亡くなり、母と息子で話し合って廃業を決めた。このときは同じグループの法人と手分けして引き受けた。 「計画的に農地が出てくるのならいいが、突発的だと受けきれない」。代表の奥村はこう話す。しかも奥村はそうした事態が杞憂(きゆう)では終わらないと予想する。「これから5〜10年でこういうことが本格的に起きる」。

次に紹介するのは、広大な放棄地を再生させた千葉県柏市の柏染谷農場だ。ここもコメを中心に、耕作面積は200ヘクタール弱に達している。 代表の染谷茂は勤めていた会社を74年に辞め、実家で農業に就いた。実はまだ今ほど大規模でなかったころ、農業関係のある研修会でサカタニ農産の前代表の酒谷実の話を聴いたことがある。酒谷はすでに革新経営で全国にその名がとどろいていた。

 

 

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2014年04月21日

「ブラック企業。でも、辞められない!」   No5

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「だって、相対的貧困率でしょ?」 「そうそう。それって食べられないってほど、貧困じゃないし」 「それなりに生活はできているんでしょ?」そんな風に、切り捨てる人た
ちも少なくない。 その理由として、女性の貧困問題の専門家の方たちの意見は一致している。「男は外で働く、女は家で家事をする」という、かつての普通の「家族モデル」が生き延びているからなのだと。  

シングルマザーたちの所得が低いのも、かつての普通の「母親モデル」ではない生き方を、普通じゃないと社会が認めてないから。

これだけ働く女性が増え、事実婚の形態をとるカップルが増え、核家族化が進んでいるにも関わらず、「昔の家族のカタチ」が生き残っているのだ。 だいたい、なんで女性活用だの何だのいいなが
ら、女性の政治家がこんなにも少ないのか。おかしな話だ。

世界最低レベルの女性議員の少なさ
日本の女性議員の少なさは、世界でも最低レベル――。世界経済フォーラム(WEF)が、世界136カ国を対象に、男女平等の達成レベルを評価した結果、日本は政治分野で118位。教育レベルは高いのに、女性が十分活躍できていないと、指摘された。 女性
の政治家が増えることの最大の利点は、等身大の、市民の肌感覚に合った政治になることだ。クオータ制や同数制などで、女性議員を増やした欧州や、アメリカの州などで、その効果が検証され、特に女性、子供、家族関連法案が成立しやすくなったと報告されている。

もともと政治参加の低かった女性たちを、強制的にでも候補者として擁立すると、医師、教師、ボランティア、銀行員、主婦などが政治家となる。2世議員などの政治家一族や、経営者などエリート層とは全く異なる視点が、政策に生かされるようになる。
すると、もともと政治的関心の低い女性有権者たちの関心も高まり、「古い政治(old
politics)」に風穴が開けられるのだ。  これは企業などでも同じだ。

「数を増やす」ことの目標は、多数派が作り上げた見えない壁をなくし、誰もが能力を発揮できる組織、誰もが成長できる組織を作っていくためのもの。多様な価値観の共有を促し、組織の活性化につながっていくために「数」を増やす。
中途半場に女性議員を入れると、全く女性がいなかった時以上に、多数派の規範や意見が過剰なまでに強められ、せっかく登用した女性までもが、その“色”に染まっていく。  プアではなく、貧困。その言葉の
重さは、見えない壁を無くすことでしか伝わらない。

女性の“オッ様”はいらない。今、目の前で強行採決を行っている向こうに、オッ様がいる。  伝えることくらいしか私にはできないけれど、私はオッ様にはならない。

 

 

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2014年04月20日

「ブラック企業。でも、辞められない!」   No4

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企業は働き手を3年ごとに代えれば、すべての職種で長く派遣を使える。つまり、労働者は3年たったらその会社を辞めさせられ、他の会社の派遣という不安定な立場で、再び雇用されることになる可能性が高いということである。 さらに、
昨年、ワーキングプアを産む一因として批判された「日雇い派遣」が原則禁止になったことで、「日々紹介」という制度ができた。派遣業者が仲介して、企業に労働者を紹介し、企業が直接、労働者と業務委託という形で雇うようになったのだ。

「派遣会社にピンハネされなくなる分、いいじゃないか」 そう思う方もいるかもしれないけれど、現実は全く逆。 突然、「明日は仕事がないので、こなくていい」とキャンセルされ
たり、どうしたって時間内に終わりそうもない仕事を強要されたりと、新たな問題が発生しているのだ。  そもそも「非正規社員」を単なる調整弁として雇用していた会社で
は、雇用主としての自覚に乏しい。  

「仕事があるとき、やってもらえる人。人手が足りないときには、それを賄ってくれる人。何? それが嫌だ? だったら、キミじゃなくてもいいんだよ。他の人を雇うから」 それが企業のホンネなのだ。

「頑張りが足りない」と切り捨てるエリートたちの罠
国税庁の「民間給与実態統計調査」によれば、ワーキングプア(年収200万円以下の労働者)の人数は、2001年の861万人から増え続け、2011年には、1000万人超。 一方、富裕層(投資可能なお金を8千万円以上持って
いる人)は、2001年から1.5倍も増え、182万人。しかも、「対総人口比」にすると、日本はアメリカの1.4倍も富裕層が多く、なんと世界一の富裕層大国だ。 この10年で、サラリーマンの平均賃金が下がり
続けていることを考えると、いかに一部の“エリート”たちだけが、潤っているのかが想像できる。

所得格差が拡大すると、エリートたちに政治的権力が集中し、その地位を安定させるようなイデオロギーを受け入れさせ、その優位を保つようになるとされているが、その罠に今の日本はハマってはいないだろうか。 おまけに法を規
制されればされるほど、苦しさは増すばかり。見直せば見直すほど、悲鳴をあげられない人たちが切り捨てられ、挙句の果てに、  「ワーキングプアなんていったって、頑張りが足りないだ
けでしょ?」 「そうそう。資格取得したり、スキル身に付けたり。怠けているからダメなんだよ」

などと、ワーキングプアは、自己責任にされる。稼いでいる人たちは、「もっとくれよ! もっと稼げるような制度にしてくれよ!」と、大きな声を張り上げているにもかかわらず、だ。 特に女性たちの“貧困”は厳
しい。非正規雇用の平均年収は、168万円とされているが、性別でカウントすると、男性225万円に対し、女性143万円となっているのだ(国税庁「平成24年度分民間給与実態統計」)。母子家庭では半数以上が、貧困とされている。

なのに、どういうわけか女性の貧困が、大きく取り沙汰されることが少ない。 2年前に、「単身女性、3人に1人が貧困 母子世帯は57%」といったショッキングな結果が出たにも関わらず、大きく報じたのは朝日新聞だけだったし(私が調べた限りではあるが…)、その後は少しずつ取り上げられるようにもなったが、それでもまだまだ少ない。

 

 

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2014年04月19日

「ブラック企業。でも、辞められない!」   No3

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やりたいと思って、やりたいことができる人は恵まれている人」  そう書かれたレポートを提出した学生が、2年前にいたのである(参考コラム:「えっ、3人に1人!」 無視され続けた女性の貧困問題の窮
状)。 今回の大学とは別の大学の異なるテーマの講義だったのだが、その講義で私は、「『やりたい』という気持ちを大切にしてほしい」と、学生たちに話していた。やりたいことの機会すら得られない人たちにとって、それがいかに冷酷な言葉であるかを、全く考えることもないままに、だ。

どちらの大学も、壇上に立って学生を見渡す限り、どの学生もおしゃれで、『貧困』という言葉とつながるイメージはない。しかしながら、そんな外見からはうかがい知ることのできない、“社会との隔たり”を、彼らは感じていた。それは、“私”との隔たりでもある。 私は、「貧困」と訴える彼のレポートを読んで、なんだかとても申し訳なく思った。彼らが感じる隔たりを私は感じたことがあったのだろうか、と。2年前の学生とは違い、「私の発言」に対してのものではなかったけれども、それでもやはりドンと胸を突かれた気分になった。

で、自戒の念も込めて誤解を恐れずに言わせてもらうと、プア充なんて生き方が流行るのも、ホントに“プア”をわかっていないからなんじゃないかと。いや、その壁の存在にすら、気付いていないのかもしれない。  おそらく 本
当に「プア=貧困」な人たちは、誰一人として声をあげていない。だって、生きることに精一杯で、働いて食べていくことに必死なわけで。自分たちの状況を伝える手段もわからないし、それをしたところで、何の足しになるかもわからない。

悲鳴を上げた途端、自分が壊れてしまうような恐怖もあるのかもしれない。 いずれにしても、声にならない悲鳴が存在し、悲鳴を上げたい人たちが、ますます取り残され、排除される。そんな悪循環が存在しているように思えてならないのだ。

非正規雇用者の労働環境はむしろ悪くなっている
「僕の母は、ブラック企業で働いています。でも、辞めません。なぜなら、貧困だからです」――。ブラック企業という言葉だけがやたらと一人歩きしているので、彼のいう『ブラック企業』が一体何をさしているのかを断定するのは難しい。ただ、長時間労働で酷使されているにもかかわらず、「その仕事を辞められない」状況にあるということは想像できる。 学生たちに「ブラック企
業って、どんな会社?」という質問をすると、必ず出てくるのが「長時間労働」だからだ。

長時間であれ、ちゃんと残業手当が払われていれば法的には問題ないのだが、非正規の場合、それすら払われていない可能性もある。 最近は、正社員の賃金アップばかりが、報道では取り沙汰
されているが、非正規雇用者の労働環境は、ちっとも改善していない。いや、むしろ悪くなっているといっても過言ではない。  つい先日も、どんな仕事でも派遣労働者にずっと任せら
れるように、厚生労働省は、労働者派遣法を改正する方針を固めた。

 

 

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2014年04月18日

「ブラック企業。でも、辞められない!」   No2

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こんな社会は異常だ。普通に働けば、普通に生活できる社会の構築を目指すのは、ごくごく当たり前のこと。ところが、その異常事態は今もなお、続いている。あれからもう何年も経っているのに、その状況は改善されるどころか、むしろ何ごともなかったかのように切り捨てられているようにさえ思える。  そこで今回は、「働く貧困層」について考えてみよ
うと思う。

母はブラック企業で働いています。けど辞めません
まずはこの学生が、なぜ貧困について書いたのかを説明しておこう。 その講義では毎回、一人の人物を取り上げ健康社会学的視点から紐解いていくのだが、冒頭のレポートは本田宗一郎さんの回のものである。本田宗一郎が貧乏な家庭で育ったことについて、彼なりの意見が書かれていたのだ。 「本田宗一郎が貧乏だったというのには、とても親近感を持
ちました。僕は、汚い着物だからって、友だちの家から追い返されたことはなかったけど、それに近いことはありました」

「本田宗一郎には技術があった。でも、僕には何があるんだろう? そう考えると不安になります」 「本田宗一郎の、『貧困な人は、早く自分の得意なものを発見して、大切
に育てよう。それが心の支えになり、栄光への力強いバックボーンともなる』という言葉は、とても心に残りました。母は、『一生懸命勉強して、とにかく大企業に入りなさい』って言います。大企業に入れば、本田宗一郎のバックボーンとなった技術のようなモノが、僕にも見つかるのか? よくわかりません。

ただ、ひとつだけわかっているのは、僕の家庭は貧困だということです」  「母は、ずっと働いています。正社員ではありません。なのに、いつも働いています。ブラック企業で働いています。でも、辞めません。なぜなら、貧困だからです。ワーキングプアとか、プア充とか。“プア”なんて、軽い言葉で言ってほしくない。貧困は……、そんな生易しいものじゃない」  以上が、レポー
トの内容である。

講義では「本田宗一郎の貧困」にスポットを当てたわけでも、ワーキングプアとか、プア充などという話をしたわけではない。でも彼は、私も含む社会に、訴えたかったんだと思う。 「先生、僕みたいな学生がいるこ
と、わかっている?」 「本田宗一郎の生き方には、勇気をもらえたけど、僕にそんなことができるのかな? どうしたら本田宗一郎みたいになれるのかな? 先生教えてよ」と。  学生たちのレポートには、必ず
といっていいほど、「自分の不安や葛藤」が書かれているのだが(私が「書いて!」と言ったわけではない)、彼も不安を伝えたかったのだろう。

怒りと不安。感情のゆれが、痛いほど伝わってきた。その揺らぎが、「“プア”なんて、軽い言葉で言ってほしくない」という、文章になった。うん、多分、きっと。少なくとも私にはそう思えた。 実は、今からちょうど2年
前にも似たようなことがあった。
「僕の母は、僕を育てるために、ずっと安い時給のレジ打ちをやっています。好きなことなんか何もできていないし、やりたいことなんかやっていないと思う。でも、ずっとずっとレジ打ちをやっています。

 

 

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2014年04月17日

「ブラック企業。でも、辞められない!」   No1

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女性ワーキングプアの蟻地獄 2年前とあまりに変わらない窮状に唖然  2013年12月10日   http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20130415/246705/

「ワーキングプアとか、プア充とか。“プア”なんて、軽い言葉で言ってほしくないです。僕の母は、ブラック企業で働いています。でも、辞めません。なぜなら、貧困だからです」 これは、先日、ある大学で講義後
のレポートに、ひとりの学生が書いていたものである。 プア――。 確かに、貧困と表現するより“軽い”。特に最近は、「プア充」なんて言葉も流行っているので、余計に軽いイメージがある。念のため補足しておく。プア充とは宗教学者の島田裕巳氏が勧めている生き方のことだ。

「年収300万円というと、『それってワーキングプアじゃない?』『貯金できないし、結婚もできない』と思うかもしれないが、今の日本では100円ショップや格安ネット通販がそろっていて、むしろ楽しく幸せに暮らしていくことができる」と、島田さんは説く。 昇給・出世するにはプライベートの時間を削り、身を粉にして働くことが求められる。出世したとしても仕事量が増えるばかりで、仕事がラクになるわけではない。だったら仕事に縛られずにそこそこ働き、年収300万円ぐらいで自分の生活を充実させていこう。

収入が低いからこそ豊かで安定した生活ができて、楽しく幸せに生きられる。そんな生き方=“プア充”を勧めているのだ。

 「貧乏だからこそ、ちょっとした幸せを見つけられる」
「貧乏のほうが、本当の豊かさがわかる」
「貧乏って、確かに苦しいけど、それはそれで楽しかったりする」
「だから、貧乏って悪くない」

そういう考え方は大切だし、「経済成長命!」「カネカネカネ!」とばかりに、フツーの人たちまでもが株価に一喜一憂している世の中よりも、精神的な豊かさを追求したほうが、よほど健康的だとは思う。 「本当の貧乏」って
ホントにわかってますか? でも、これは、「稼ごうと思えば、稼げるチャンスがある人」だからこそ勧められるし、受け入れられる考え方なのかもしれないと思ったりもする。  「プア充なんて、本当の貧乏がわ
かってないから、そんなこと言えるんだ!」

「貧困層だ」と称したこの学生は、そう思った。ワーキングプアだって、「働いても働いても、生活できない貧困な人々」って言えばいい。そんな世間への怒りをレポートに書いてきたのである。 思い起こせば、大学院のと
きに、ホームレス研究をしている知人のお手伝いをしていたのだが、「これが“ワーキングプア”の実態なのか」と考えさせられたことがあった。  「30過ぎると、仕事がない。やっと見つけて働い
ても、生活が成り立たない。家賃が払えなくなってホームレスになった。

ホームレスっていうと、みんな働いてないと思ってるかもしれないけど、仕事をしている人が多いですよ」。元フリーターのホームレスの方が、こう教えてくれたのだ。  当時は、マスコミなどで、ワーキン
グプア=「働く貧困層」という、アメリカで広がっている事態を説明する概念が使われるようになった時期。勝ち組だの負け組だのと、格差が問題になり始めたときでもある。 一生懸命まじめに働いても、生活が
成り立たない。働いているのにまともに生活できないから、ホームレスになるしかない――。

 

 

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2014年04月16日

ハウジングプアが深刻化、 No4

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99年にNPO法が成立すると、NPOによる宿泊所が一気に広まった。都の施設数は97年ごろまでは20カ所程度だったが、08年には160カ所を超えている。措置費で運営される保護施設と異なり、第2種宿泊所は利用料を財源としている。「利用料」の出元は生活保護費の住宅扶助だ。福祉事務所長から宿泊所に直接支払われることも認められ取りはぐれもないため、事業参入は後を絶たない。宿泊所の実情に詳しい、東洋英和女学院大学の北川由紀彦講師は、「宿泊所の職員が他地域の炊き出しに出かけて勧誘している。結果的に生活保護が取れなかったら入所させないNPOもある」と語る。

あるNPOによる宿泊所は住居費の月額3・9万円のほか、食費は日額1650円、水道光熱費も日額400円を徴収している。これでは生活保護費は手元にはほとんど残らなず、就職活動等にも支障が生じる。この施設も含めNPO運営の場合、ほとんどが相部屋で、狭い居室に4人も押し込まれる例もある。1人当たりの生活保護費の支給額は変わらないため高採算だ。こうした実態に、第2種宿泊所は自立支援や生活サポート機能が十分備わっていないとの認識を東京都は示している。

シングルマザーや障害者も安定した住まいの確保に苦労している。
「『子連れだと2LDK以上を借りてもらわないと』『保証人は40歳過ぎの男性で』などと言われ、アパートを見つけるのには本当に苦労した」。シングルマザーで小4と小2の娘を育てる二宮聡子さん(仮名、35)は振り返る。二宮さんは夫の暴力が理由で離婚。上京して何とかアパートを見つけたものの、慣れない仕事で心を病み生活保護を申請した。申請こそ通ったが、ケースワーカーに母子生活支援施設への転居を要請された。部屋は8畳間にトイレが付くが風呂はない。

親子3人で銭湯に通うが、「施設の門限に間に合わず締め出され『決まりは守ってもらわないと』と職員から叱責されてから、ようやく入れてもらうこともたびたびだった」。今は体調も戻り再度アパートに移り住むことができたが、「牢屋みたいな鉄格子の門を思い出すと、やはり施設は住まいではなかった。戻りたくない」と語る。脳性マヒによる両上肢機能障害で車椅子生活の寺岡俊二さん(仮名、36)が9年前、一人暮らしのアパートを借りるには難儀を極めた。

「本人名義でないと補助金が出ないといくら説明しても、親名義でないと貸さないといわれたりした」。ようやく見つけたものの、重量の問題で愛用してきた電動車いすが室内で使えなくなった。それまでは一人で自炊もこなしていたが、これが使えなくなったことで、生活の多くをホームヘルパーに委ねざるをえなくなった。目下、大家からは風呂釜を新しくすることで家賃を上げたいと打診されている。「生活保護の住宅扶助ではこれ以上は無理」と表情を曇らせる。

さらに難しいのが精神障害者の住まいの確保だ。
「精神病院が収容主義だったため、地域の受け皿づくりが進まないままで来てしまった」。ソーシャルワーカーとして40年近く精神科医療の現場に携わってきた、精神障害者生活訓練施設「ハートパル花畑」の小見山政男施設長は語る。「長期入院で疎遠となった家族の協力は望めないことが多く、居住サポートなど公的施策も実施する自治体は少数だ。施設側がトラブルに24時間体制で対応するぐらいの覚悟がないと地域の納得は得られない」。

ハウジングプアに関する多くの訴訟にかかわる戸舘圭之弁護士は、「雇用の保障も重要な課題だが、まず安心して住める住居があってこそ、就労して自立することが可能」と語る。この数年間で住宅政策からの公の撤退が著しく進んだが、現状は明らかに「市場の失敗」が進んでいる。住宅に関しても、より厚めにセーフティネットを敷くことを議論する時期にある。

(週刊東洋経済)

 

 

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2014年04月15日

ハウジングプアが深刻化、 No3

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無規制状態で急拡大 家賃保証会社の無法横行
「あのとき以来、自分の外出中、家族の身の安全がつねに心配となり、階段を上がってくる足音が聞こえただけで、警戒心を抱くようになった」。原告の一人の川崎肇さん(仮名、22)は憤る。派遣社員の川崎さんは18歳の内縁の妻と生後8カ月の長男の3人で暮らしていたが、不安定な仕事で収入が途絶え、家賃の支払いが滞ってしまった。訴状によると11月上旬、川崎さんの外出中に突然、家賃保証会社の日本賃貸保証の社員がやってきて、「今すぐ出て行ってください。今すぐ荷物をまとめてください」と妻に告げた。

強くせかされたため、妻が持ち出せたのは粉ミルクの缶と哺乳瓶、乳児の着替えだけ。妻と乳児を締め出すと、同社社員は別の鍵を付け、立ち去ったという。同社のような賃貸住宅入居時に借主の連帯保証を請け負う家賃保証会社で、現在トラブルが多発している。同業界には監督官庁がなく、宅地建物取引業法など業法も及ばず、業者数すら明らかではない。彼らは入居者が家賃を滞納すると、家主に立て替え払いをする仕組みなので、入居者からの家賃回収が損益に直結する。つまりは行き過ぎた実力行使に至りやすい構図となる。

実際原告の中には、賃料の未払いなどなかったにもかかわらず、家屋に立ち入るなどされ、即刻退去することを強要されたケースすらある(裁判で保証会社は「勘違いだった」と認めている)。同様に東京では、家賃支払いが一日でも遅れると無断で鍵を交換して居住者を締め出していた不動産会社スマイルサービスに対する集団提訴も行われている(週刊東洋経済08年10月25日号に詳述)。事態を重く見た国交省は2月にもガイドラインをまとめて業界に示す方針だ。

また類似のケースとして、保証人紹介業がある。「国内保証援助会」を利用した埼玉県の男性(35)は「保証人を一人紹介するにつき5万円を要求されたが、実際は紹介されず、この件を受けるにはさらに30万円必要だと言われた」と語る。同社に関しては消費生活センターに600件の苦情が寄せられている。非正社員がひとたび仕事を失い、寮を追い出されたら、安定した住居を獲得することすら困難な状況だ。実際、年越し派遣村の実行委員会が厚労省に対してまずもって要求しているのが、総合相談窓口を有するシェルターの確保だ。

公的施設も玉石混淆 住宅政策の再構築が急務
最後のセーフティネットである救護施設、更生施設など生活保護法を根拠とする保護施設はそれぞれ都内で10施設と少数で空きもない。他都市も同様で、名古屋市の更生施設笹島寮の自立支援部門には「派遣切りで住まいを失った人が3割を占める」(佐原正人寮長)に至り、満員だ。他方で目下急拡大してきたのが、無料低額宿泊所とも呼ばれる「第2種宿泊所」だ。保護施設と比較して法的規制が少なく、設置運営基準も緩い。

 

 

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2014年04月14日

ハウジングプアが深刻化、 No2

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さらに雇用促進住宅は2007年の規制改革会議の答申を受け、11年度までに全国で約半数の廃止が閣議決定されている。そのため今回の施策でも、自動更新のない6カ月間の定期借家契約にとどまっている。

厚労省の矢継ぎ早の施策に背中を押される格好で、国土交通省も12月末、解雇等による住居喪失者向けに、同省が管轄する都市再生機構(UR)賃貸住宅の空き家2・3万戸を活用する方針を打ち出した。ただ厚労省の就職安定資金貸付事業で賄えるような低廉な家賃で入居可能な住宅となると、当面は500戸程度。東京では東久留米市の9戸だけだ。

だが実はURは、23区内に1000戸以上の空家を抱える大型団地を有している。足立区の花畑団地は、東京メトロ日比谷線も直通する東武伊勢崎線・竹ノ塚駅からバスで15分。総棟数80棟、住居総戸数2725戸と有数の大規模団地だ。1DK、2DKといった小世帯住宅が半分を占め、約4割が家賃5万円未満と手頃感もある。ただ、実際団地を歩くと、日が落ちても室内灯がともらない居宅が多い。1998年の建て替え計画で入居募集が停止されたまま、今に至るためだ。

今回の施策の対象はあくまで入居募集中の団地に限ったため、比較的交通の便がよく、大量の空き家を有する花畑団地は対象外とされた。URの事情に詳しい、国民の住まいを守る全国連絡会の坂庭国晴代表幹事は、「花畑団地の空家は清掃すれば即入居可能。解体予定なので極めて低廉な家賃設定が可能となるはず」と、その開放を提言する。各自治体は公営住宅の活用も発表しているが、1月上旬の段階で東京都の実績はゼロ。

というのも、都営住宅の新規建設ゼロが10年近く継続していることもあり、空室が乏しく、今回も供給決定戸数が市営の6戸にとどまるためだ。実際、昨年5月の都営住宅の入居応募は、公募956戸に対して、申込者数は約5・5万人。住まいのセーフティネットのはずが、高嶺の花になってしまっている。特別区の議長会からも都知事宛に都営住宅の建設促進要望書が出されたが、財政難を理由に腰は重い。

これら公営住宅に熱い視線が向けられるのは、賃貸住宅業界が問題山積であることの裏返しでもある。12月5日、賃貸住宅から違法な手段で退去を迫られたとして、大阪府と兵庫県の入居者4人が家賃保証会社などを相手取り、慰謝料の支払いを求めて大阪簡裁に提訴した。

 

 

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2014年04月13日

ハウジングプアが深刻化、 No1

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家がなければ職探しも困難 《特集・雇用壊滅》  2009年02月19日    http://toyokeizai.net/articles/-/2876/

昨年末来、「非正規切り」の嵐が吹き荒れる中、ある問題が顕在化した。実は日本には、安心して生活できる住居を保障する社会的システムがほとんど存在しないという「ハウジングプア」(住まいの貧困)問題である。

「もう派遣では働きたくない。何とか正社員の仕事を見つけたい」。埼玉県北部のハローワークで、田村政弘さん(28、仮名)はうつむき加減にそう呟いた。田村さんは昨年4月より、製造派遣大手のアイラインから曙ブレーキ工業に派遣され、加工、検査業務に従事してきた。「1年以上勤務していただける方が望ましい」との勤務説明書を提示されたが、契約更新時の昨年11月、唐突に「契約の延長はなし」と通告された。

田村さんがこの日、ハローワークを訪れたのは、職探しと同時に、厚生労働省が職と住居を失った非正社員への支援として打ち出した、雇用促進住宅への入居に関心を抱いたためだ。雇用促進住宅とは厚労省が所管する独立行政法人、雇用・能力開発機構が設置している賃貸住宅。現在、約14万戸あり、入居者は約35万人。その空き部屋をこれまでは必要だった連帯保証人、敷金ともに不要として貸し出すことになった。

田村さんが住む埼玉のアイラインの寮は、ワンルームで寮費は月5・4万円弱。時給制のため、お盆で工場が止まり総支給額が15万円程度にとどまる8月などは、寮費負担が重く手取りは7万円台まで落ち込んでいた。これでは貯蓄などは到底望めない。職探しの前提として、低家賃で住める住居の確保は喫緊の課題だった。

ところが制度開始直後の混乱状態だったためか、ハローワークの窓口担当者は、「(雇用促進住宅への入居は)ハードルが高いよ」「(同時に開始された)就職安定資金融資との併用は無理だよ」(正しくは併用可能)と否定的な見解に終始した。田村さんはいったん引き揚げたが、そうこうするうちに、交通の便のよいところから埋まってしまった。開始から1カ月で約2400件の入居が決定。開始半月の12月末の段階で、早くも首都圏には都心から電車で1時間半、さらにバスで数十分かかるような物件しか残っていなかった。

また開始当初はすでに廃止が決定され、入居を停止していた住宅は施策の対象外とされていた。愛知県の雇用促進住宅を視察した、社民党の福島みずほ党首は、「むしろ廃止決定された住宅のほうが低家賃で、職を失った非正社員にとっては役に立つはず」と批判する。結局、12月末に従来の1・3万戸に加え、廃止決定された3万戸の活用が決められたが、やはり交通の便のよい住宅はすでにまったく残されていない。

 

 

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2014年04月12日

サイレントプアー(声無き女性の声)   No4

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以前、母親たちのストレス調査を行った時にシングルマザーの方がいて、「世間の偏見は、これだけ離婚する女性が増えても変わらない」とこぼしていることがあった。 低所得に苦しむシングルマザーの方たち
の多くは、格差問題、貧困問題を見て見ぬふりをされているだけでなく、世間の「シングルマザー」に対する“まなざし”とも戦っているのである。  多くの大企業では、数年前から積極的に女性の
登用を進めている。女性管理職を増やし、結婚して子供が生まれても、働き続けられるようにと、さまざまな取り組みを行っている。

それはそれで大切なことだし、どんどん進めてほしいと願っている。だが、時給900円で働く女性たちのための施策は、何か取り組んでいるのだろうか?  「いやいや、うちにはパートさんはいませ
んから」  こう答えるのだろうか? では、その下請け、孫請けの中小企業にはどうだろうか?  それでもやはり、「いない」と答えるのだろうか。

いま私たちが直面している格差問題の本質
いや、分かっている。何も大企業の取り組みだけを責めているわけじゃない。だが、大企業の下請けの中小企業や零細企業で働く人たちのことまで、思いを巡らせたことがあるかどうか。それが問題なのだ。 消費税すら滞納せざ
るを得ない体力のない零細企業で、「厚生年金を負担するとなると雇えないよ」と悲鳴を上げる中小企業で、低賃金であえいでいる方たちのことを、ほんの一瞬でも思いやる。もちろんそれは、シングルマザーだけじゃない。

働けど働けど、ラクにならない人たち。賃金格差だけでなく、機会格差にも苦しむ人たちに、だ。  「公務員のボーナスが増えた」という事実は、大々的に報道され、それ
を聞いた誰もが、「消費税だ、増税だと言っている時におかしいじゃないか!」と拳を振り上げ、怒りをあらわにする。  憎むべき相手がいる時には、議論はエスカレートし、メディア
も動く。すべての新聞、すべてのテレビ、すべての週刊誌が、「公務員“だけ”優遇するな!」と叫びまくる。

だがなぜか、「働く女性の3人に1人が貧困」というニュースはひっそり伝えられるだけ。そこに「憎むべき対象」が存在しない時には、世間もちっとも盛り上がらない。 それこそが、いま私たちが直面している
格差問題の本質なのかもしれない、と思ったりもする。  東日本大震災で、少ない救援物資を分け合っていた人々。どうにか寄り添いたいと、ボランティアに汗を流す人々。日本人には、そういう「分かち合う」優しいマインドがあるはず。

なのに、なぜか気持ちを「分かち合う」ことよりも、憎悪ばかりが猛威を振るうのだ。
寄付大国ともいわれる米国では、低所得の人たちでさえ、年収の4%の寄付をしているそうだ。米シアトル・タイムズ紙に掲載されたシングルマザーの言葉が話題になったこともあった。  「カネのない人間の方が、困っている人の気持ちがよく分かるのよ」(シアトル・タイムズ紙電子版2009年5月23日付けより)ひょっとすると日本の貧困層が世界的に見ると、比較的豊かであることが格差問題をなおざりにさせているのかもしれないけれど……。憎悪よりも、分かち合おうという志。その“志”を、政治家、官僚、経営者、働く人々、すべての日本人が持たない限り、格差問題、貧困問題は泥沼にはまっていきそうな気がしてしまうのであった。

 

 

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2014年04月11日

サイレントプアー(声無き女性の声)   No3

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25〜34歳では、男性16%に対して女性39.7%。35〜44歳では、男性8.5%、女性54.9%と、この年代で働く女性の2人に1人が非正規雇用ということになる。  「あしなが育英会」の報告では、遺児家庭の
63%が非正規雇用で、母子家庭の手取り収入は月平均約12万5000円。6割以上の家庭が教育費の不足を訴え、高校生がいる世帯のうち、39.7%が経済的理由から進学をあきらめていたことも、同時に報告されている。

母親たちは安い収入で、少ない教育費で、必死に子供たちを育てている。中には、2つ、3つと仕事を掛け持ちし、1日の労働時間が16時間以上の人もいる。また、生活保護を受けられる基準にありながらも、「子供がいじめを受けるから」と申請を我慢する母親たちも少なくない。  子供には苦労させたくない。そんな思いで、母親たちは安い賃金で働
いているのだ。だが、一向に所得は増えず、賃金格差だけでなく、機会格差にも苦しんでいるのである。

彼女たちにとって携帯や車はぜいたく品ではない
前出の学生には、母の苦労が痛いほど分かっていた。そして、私は、そういう女性たちがいるということを、頭では理解しながらも、本当には分かっていなかった。全くもって恥ずかしい話だ。 「やりたいことをやるため
に、目の前のことを必死にやる」ということが、やりたいことの機会すら得られない人たちにとって、いかに冷酷な言葉であるかということを、全く考えていなかったのだ。 2回目の授業の時に、働くことの意味に
ついて話し、そのリポートに、「先生の話を聞いていたら、働くことが楽しみになりました。

一生懸命働いて、母がやりたいことができるように、僕は頑張ります。先生の授業を受けて良かったです」と、彼が書いてくれたのが、せめてもの救いとなった。 だからといって、彼を傷つけてしまったこ
とが帳消しになるわけじゃない。私は、格差があるという事実に、これっぽっちも寄り添っていなかったのだ。 相対的貧困層が16%前後で、働く女性の3人に1人が貧困層──。この
数字が持つ意味は、「何気なく接している人の中にも、苦しい思いをしている人がいる」「何気ない一言で、傷つく人がいる」という事実にほかならない。格差が広がるとは、こういうことなんじゃないだろうか。

「ほら、また女性問題となると感情的になるんだから。収入が低いことは認めるけど、携帯を持って車も持ってる人も多いじゃん。本当に貧しければそんなもの買えないでしょ?」 そう苦言を呈する人もいるかもし
れない。でも、子育てをする女性にとって、携帯はぜいたく品ではなく必需品だ。学校やPTAの連絡のほとんどは、携帯メールが利用されている。携帯がなくては、大切な子供に関する情報も得られない。

車だって同じだ。首都圏にいると車は必要ないかもしれないけれど、地方では車がなくては生活ができない。ましてや、子供が寝静まってから仕事に出かけるには車が必要だし、子供たちの送迎にだって必要となる。 車がないことで
子供たちに悲しい思いをさせるような状況にあれば、自分の食費を削ってでも車を買う。子供のためであれば、身を削ることなど母親にとっては、何でもない。その“事実”に、私たちは正面から向き合ってきたのだろうか? 申し訳ないことに、私は向き合っている“つもり”になっていただけだった。

学生のリポートがなければ、そのことにさえ気がつかなかった。情けない。全くもって、ひどい話だ。  ワーキングプアとか、生活保護受給者というと、報道される対象も男性
が多いこともあってか、「男性の問題」というイメージが強く、「女性の問題」というと、管理職が少ないとか、役員が少ないという問題ばかりが取り上げられがちだ。  その陰で、シングルマザーたちの問題
は見過ごされてきた。いや、見過ごしたのではなく、通り過ごし、見て見ぬふりをされたのだ。

 

 

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