2014年03月13日

頸椎の難手術に立ち向かうスーパードクター・木原俊壱医師 No2

106.JPG
頸椎に重篤な疾患を持つ患者さんにとって、木原さんは希望の光です。医師になる前に挫折したある職業とは?
現在、スーパードクターとして称賛を集める木原さん。しかし、医者は最初から志した道ではありませんでした。 「エリートやサラブレットではなかったので、失うものは何もな
い。どうせ失敗してきた人生なのだから、それを恐れるより自分でやりたいことや、目指すものにチャレンジしようと思っていました」 木原さんが若かりし頃に目指していたもの、それは、映
画監督です。 1960年、福岡県で医者とは無縁の家庭に生まれた木原さん。幼い頃から手先が器用で工作が得意な子供でした。

高校時代はビニールで作った気球を飛ばし、地元の新聞にも取材をされるほどのアイデア少年。ものを作り、表現することが好きだった木原さんはいつしか映画監督を志すようになったと言います。 しかし、夢への道は平坦
ではありませんでした。芸術学部の受験に三度も失敗し、父親から「夢を追うなら自分で稼げ」と宣告されてしまったのです。 「3浪して、何も資格がないとなると、アルバイトしながら
監督を目指すといっても生活するだけで大変ですよね。

そう考えたときに予備校の同級生に相談したら、非常に短絡的なんですけど医学部に入学して、医師免許を取ったら生活しながら映画監督を目指せるんじゃないかと」そんな、いささか不純な動機で1980年に佐賀大学医学部に入学し、映画制作を続けていました。しかし、救命救急の実習で出会った外科医の姿が木原さんの人生を大きく変えることになります。 「救急の現場には、状況が悪い
人が運ばれてきますよね。そこに颯爽と登場して、救急蘇生や挿管の処置をする。

それを見て、また非常に単純な動機なんですけど、やっぱり男はこれじゃないと!と思ったんですね」そして、脳神経外科医師となることを選択した木原さん。医療系の名門、アメリカのロマリンダ大学にも留学し、持ち前の器用さとクリエイティブなセンスで徐々に優秀な外科医として頭角をあらわしていきます。さらに、35歳の時には、これまでにない頸椎の手術法「K-method」を開発。

やがてその論文は権威ある米国医学誌「NEUROSURGERY」に紹介され、木原俊壱の名と「K-method」は一躍世界が注目するところとなったのです。

『K-method』を終わらせない夢の道程
そんな木原さんは2013年4月、長年の夢を実現しました。 世界遺産・京都東寺。その境内と道を挟んでお隣という場所に自らの病院「京都脊椎脊髄外科・眼科病院」を開設したのです。 毎朝の日課は病院周りの掃
除。院長自らがホウキを持ち、スタッフ総出で掃き清めます。 木原さんがこの病院で目指すのは、患者さんにじっくり向き合う医療。診察は1人につき15分以上かけて丁寧に行います。

また、院内の随所に木原さんの思いが込められ、気持ちが沈みがちな患者さんにホテルにいるかのような感覚で過ごしてもらおうと、内装にもアイデアを凝らしました。

 

 

posted by タマラオ at 04:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記