2014年03月11日

こんな人生の歩き方  No32

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この10年を振り返って「生かされているのです」
「最初経営のけの字も知らなかった私が、何とか社長としてやっていけるかもしれないと思った第一歩は、社員とのコミュニケーションのため始めた個人面接が1年間かけて終わった頃だった思います」麻美氏はこの1年間、面接を通して社員とのコミュニケーションをよくしようと、社員ひとり一人と30分、彼らの話にじっくり耳を傾けることから始めていった。社員といっても、親子ほども差がある年配の技術職から若い18歳まで、年齢には大きなバラツキがある。

そこで、まず社員ひとり一人の不満やわだかまりをすべて率直に話してもらうことに時間をかけようと考えた。この麻美氏の狙いは少しずつ効果を現していった。中には30分の予定が2時間ちかくになる人もいて、中には個人の家庭の悩みが混じることあった。麻美氏のこうした取り組みをみていた社員は、どうなるのかという感じであった。そのうち、古い社員は創業者の跡取り娘の真剣な姿に信頼を寄せようになり、麻美氏と共に汗を流していこうと前向きな気持ちを持つようになっていたと思われる。

麻美氏と社員との面談は、この時以来ずっと毎年行われている。同社でのこの積み重ねは、麻美氏と全社員との信頼を築くことに大きな効果をあげ、風とおしのよい組織風土を形成していった。そして「決めごとはボトムアップ型」は同社も大きな強みになっている。「社長とは偉い人ではなく、責任が重たい人。決断をしつづける人だと思います。私は社員をはじめ多く人から助けられた初心を忘れないで、やっていきます。

分からないことは、どんなささいなことも、遠慮せず教えてもらう。加工現場のことは社員たちに、資金や税などは税理士に、財務では外の金融マンの人からの助言をいただく。また同世代の経営者仲間との交流でも、いろいろ学ぶことができます。今までいろいろな方々から助けられてきたし、生かされてきました。今後もそうでしょう。そのことを深く感謝してやっていきます」

「高橋のひと言コメント」
ご存じの方もいるが、私は、いまは亡き父が大田区で戦前創業した町工場の出身である。麻美氏とは時代が異なり、父の工場は上の弟が継ぐみちすじがあった。また父は生涯現役として、大胆な最新設備で事業の拡大を続け、私が父の工場経営にかかわるように期待もされなかったし、自分からかかわろうと思うこともなかった。父の晩年、その経営が悪化した頃、父から私に相談があった。しかし、残念ながら非力な私は渦中の栗を拾うことはできなかった。

他にもいろいろ事情が重なって、60年近く続いた父の工場は倒産した。父は弟共々銀行に個人保証をしていたため、長年暮らした家を手放す境遇となった。若い麻美氏の話をうかがっていると、大きな負債を抱え、ダメ後継者と闘いながら、的確な決断し、ひたむきさと粘り強さで次々手をうち、クリアしていったパワフルな姿に圧倒される。私は麻美氏のインタビューの間、自分の生家のことや自分の選択を重ねていた。

厳しい会社の再建で10年間を過ごし、ようやく基盤を安定させた麻美氏の手腕はほんとうに頼もしい。まず、父上が志半ばで倒れた会社再生をした経営者であるお父様への、麻美氏の篤い敬愛の気持ちがバックボーンとなっている。
「麻美ならできるかも知れない。けれど3年間は地獄をみるだろう」という、暖かく、でも真摯なアドバイスをくれたひと。経理の公開やハードな金融機関、社会保険事務所との交渉などで支援をしてくれた税理士がいらっしゃった。

彼女に接した人たちは、彼女の父の遺志を継ぎ、何としても会社を再生したいという強い思いと覚悟。知らないことをどん欲に修得する意志と着実な行動力に接し、心を動かされ支援を惜しまなかったのであろう。その上、結婚しお子さんに恵まれて視野が広がり、会社では社員たちとよいコミュニケーションを築き、人間としての豊かさ、柔らかさを身につけた。

今後もものづくりの将来を見据えて、技術の伝承に情熱を燃やし、いきいきした麻美さんにはずっとものづくりの世界で活躍して欲しい。

 

 

posted by タマラオ at 06:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記