2014年03月08日

こんな人生の歩き方  No29

095.JPG
金融機関や税務署、社会保険事務所など、資金繰りで厳しい日々が続く
しかし、複数の金融機関への返済は依然として続いていた。その上、A社長の会社に対する裁判もあり、麻美氏の闘いの日々はまだ続いていた。光雄氏時代のメイン銀行は、当時合併でなくなっていた。金融機関も大きな再編の波をかぶっていたのである。金融機関は同社の受取手形の割引に応じてくれず、麻美氏から逃げ回る状態であった。「父が亡くなった時、メイン銀行のある支店長が、今後必ず伊藤家を守ると言っていました。しかし、彼らは今大雨が降っているのに、傘を貸してくれないのです」

2003年黒字にはなったものの、資金ショートはまだ続いていた。税金や社会保険も滞納が続いていた。税理士と相談して、麻美氏は現状の業績を書類にして、税務署や社会保険事務所(当時)に説明に出向いて、もうしばらくの間納入の猶予を求めた。しかし、数ヶ月後社会保険事務所は銀行口座の差し押さえを通告してきた。麻美氏は滞納額の一部を先付け小切手で納付し、何とかクリアするという綱渡りを何度か体験した。

黒字から3年後ようやく財務の正常化を実現
「金融機関との関係では、政府系金融機関とは前からお取引はありました。黒字になったことから更に支援をして下さるようになりました。しかし、複数の民間金融機関の中では、わが社のランク付け評価が定まらず、なかなかメインバンクが決まらなかったのです」 ある異業種交流会に参加していた麻美氏は、そこである銀行のトップの方
と出会った。「それがご縁で、その後支店の方がわが社におみえになり、何度かの打合せを経て、ようやくその銀行への借り替えが実現し、メインバンクとなっていただくことになりました」

3年後2006年会社はようやく財務の正常化の段階を迎えることができた。麻美氏はこの時やっと「社員がすばらしく、ようやくここまで来ることができた」と喜びを噛みしめた。しかし、そのすばらしい社員に対して、まだボーナスを出せず、残業代も払える状態ではなかった。就任して1〜2年後の年末、麻美氏はせめて社員ひとり1万円のお年玉を払おうと、50万円の現金を用意した。けれども、社員はみな受け取れないという。「けれども、私の気持ちなので是非受け取って欲しい」と懸命に訴えた結果、ようやく社員が受け取るというシーンがあった。

「1つの資金繰りをクリアしても、また次の資金繰りがすぐやって来ることは分かっていました。そうすると、社員の前では笑顔で接しているつもりでも、内心では逃げ出したくなることがあったのです」社長就任の3年後の頃、いつものように次の資金繰りに直面していた。すると、ある年配の女性社員が傍に来て、小声で「そういう顔をしていてはダメよ」と。自分では気づかなかったが、資金繰りの重さに、さすがの麻美氏も暗い表情になることがあった。

この女性社員の言葉は、社長である自分への励ましなのだ。そう受けとめた麻美氏は、また気持ちを新たにして進もうと思った。

 

 

posted by タマラオ at 05:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記