2014年03月07日

こんな人生の歩き方  No28

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未経験の引き合いも、蓄積された技術とノウハウをベースにクリア
その結果、他社では数年かかってもクリアできなかったこのメッキ加工を、同社は数ヶ月で実現した。麻美氏は、この会社にはいまは亡き父の技術への篤い情熱が引き継がれていることを確信した瞬間であった。「この技術をさらに磨き、努力を重ね続けていけば、必ずわが社の道は拓ける」と。同社にはプラズマ溶射という技術を使った大型産業機械の部品であるタービンを表面処理する利益率の高い部門があった。

ところが、この部門の責任者は麻美氏が社長就任直前に、会社の将来に見切りをつけて、数名の技術者を引き連れて独立してしまっていた。しかし、引き続きお得意先から注文が入って来る。麻美氏は困ったことになったと思っていると、さいわい当時社内の60代の技術者が、この技術に詳しい知人の技術者を社内に招いて、溶射について色々と教えてもらうことができました。

(5)3年で黒字を達成。その3年後財務改善が進み、金融機関を変えて安定化へ
経理公開、不採算部門の縮小で、債権整理回収機構とも縁が切れる 勉強をしていくうちに、タービンは装置産業の部品であるため、受注に波がある。この状態のまま引き続き受注を続けるのは無理、ということも分かった。また、従来得意と思っていた時計側メッキは、以前から時計は材料費が高く、利益率が低いことはわかっていたが、量産のため利益率が低さは目立たなかったのである。

しかし、麻美氏が経営に携わる頃は、受注量が減り、また国内では手間のかかる受注が多く、他の加工と比較して利益率の低さが目立っていた。

そこで、麻美氏は自社のキャパに見合った選択と集中をしようと考える。同社はもともと8割〜9割が時計関係で、プラズマ溶射部門だけが、時計以外の表面処理を扱っていた。当時は、電気めっき、イオンプレーティング、プラズマ溶射の3部門であったが、麻美氏が就任して1年〜2年で電気めっき、イオンプレーティングの2部門に絞ろうと思った。しかし、社長就任時人のリストラはしないと約束していた。そこで、麻美氏は溶射部門の人を電気メッキに配属させたいと伝えると、自ら退社していった。「溶射にいた人たちは、職人系の人たちでしたので、そういうプライドもあったのかと思います」

リストラをせず、配転で乗り切ろうとした麻美氏の方針だったが、結果は不採算部門の縮小となった。
実は、これらの出来事の前になるが、麻美氏は、就任して数ヶ月で、経理の公開に踏み切った。社員に対して、会社は大きな借金を抱えて苦しいという事実を客観的に数字で示すことにした。「社員はいっしょに厳しい局面を乗り越えるteam mateなの
で、隠しごとなどがないよい関係が信頼へとつながると思ったので、経理をオープンにしました」 その結果、社員たちは進んでコスト削減に目を向けるようになっていった。

溶射部門がなくなった結果、人件費比率も下がっていき、ようやく黒字化の灯りが見えてきた。「就任当初三年で黒字にならなければ辞める」と心中深く期していた麻美氏は、こうして念願の最初の目標をクリアした。

 

 

posted by タマラオ at 05:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記