2014年03月04日

こんな人生の歩き方  No25

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父の亡き後の10年間で会社は赤字に転落
「父が生前時計業界への依存から抜け出して、新しい事業に活路を見出そうとしていた戦略は反故にされ、ダラダラと時計業界からの受注で、10年も赤字を続けていたのです。何十億円も資産があった会社は、10億円以上の借金を背負ってその返済に困り、この状態が続けば誰の目にも今月か来月には倒産するという厳然たる事実に、私は向き合うことになりました」父を慕っていた社員の何人かは、すでにリストラで辞めさせられていた。

当然社内は暗い雰囲気で、麻美氏自身もどうしていいのか、思い悩む日が始まった。やがて、麻美氏は会社の中に入ってより深い実情をつかみ、役員会の決定に参加し、発言するためには肩書きが必要であると考えた。最初は監査役に、さら役員にも就任した。しかし、この段階でもまだ麻美氏自身は、社長就任という渦中の栗を拾う覚悟には至っていなかった。A社長との対話はうまくいかず、このままでは会社の閉鎖か倒産だという段階になった。

社員から受けた恩を返し、何としても父の生きた証を守りたい
「最初はよそから優秀な経営者に来ていただき、何とか建て直しをしてもらおうと漠然と考えていました。しかし、こんなに悪化した内容の会社経営を引き受けてくれる人なんて、そうかんたんに見つけられるはずがないのです」「会議で会社に行くと、約50名の社員が仕事をしていました。やがて、次第に彼らの顔がみえるようになってきました。彼らにはひとり一人の人生がある。家族もいるし子どもがいる。会社を何とかしなければ、彼らは間違いなく路頭に迷うことになる」という暗澹たる情景が目に浮かんできた。

麻美氏は、改めていままでの31年間の自分の人生を振り返った。「両親が揃っていて、父の会社があって、社員が父のもとで懸命に働いてくれたお陰で、私は何不自由なく大学にまで行かせてもらえた。彼らに恩返しをするのは自分の使命だ」と強く実感する。そうはいっても、この時会社は多額の借り入れ金を抱え、銀行からは明日にも返済を迫られている状態であった。その資金の調達のため、麻美氏は周囲の知り合いの経営者に支援を得ようと、あちこち走り回ったが、手をさしのべる奇特な人は現れなかった。

「なぜ会社を経営する人が現れないのか理解できない中、日本の中小企業には個人保証制度があることを知りました。でも、資産の無い私が経営を引き継いだ結果、もしも会社が最悪の事態になったらどうすれば良いのか、という質問に対して、弁護士の先生は、自己破産という道があります、と。自己破産のことすら知らなかった私に具体的に説明して下さいました。その時、全てを失っても命は残るのだと思い、だったら、チャレンジしてみようと思い行動しました」

麻美氏は決算書の読み方さえよく分からなかったのだが、「何としても会社を潰したくない。父の生きた証を守りたい」と強い思いをいだくようになっていく。

 

 

posted by タマラオ at 05:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記