2014年03月03日

こんな人生の歩き方  No24

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ディスクジョキーをやめ、宝石鑑定士を目ざしアメリカ留学
やがて、麻美氏は好きで入った放送業界のディスジョッキーの世界であったが、以前ほど魅力を感じなくなっていった。アメリカのディスジョッキー界では、若さより経験やスキルを高く評価するスペシャリストとしてその地位が確立されている。一方、日本では若さが求められ、特に女性に対してはその傾向が強かった。例えば、仕事になれた麻美氏は企画を提案すると、いったんは上司の賛成を得られた。しかし、最終段階でスポンサーの意向により、企画が却下されるということがあった。若く仕事への意欲の高かった麻美氏は、何か割り切れない思いをした。

「好きで入った放送業界でしたが、今後もがむしゃらにやっていこうという熱意を持てなくなっていました。さいわい住む家もあって、経済的に恵まれた環境が残されていました。そこで、かつて興味のあった宝飾の世界で一からやってみたい」と決断し、アメリカ・カリフォルニア州のGIA(Gemological Institute of America)に留学した。幼稚園からインタナショナ
ルスクールにいたため、英語はお手のもの。留学先のクラスメートにアメリカ人と思われるほど、のびのびと勉強した。

1年間で宝石鑑定士と鑑別士の資格を取得し、アメリカで就職しようと考えていた。「両親が亡くなっていたこともあって、私を日本に引き留めるものはなく、とても自由だったのです」宝飾の世界ブランド・カルティエの社長から入社を誘われる
ある時、麻美氏は留学していた学校の主催したパーティがあり、クラスメート200人のうち参加できるのは推薦を受けた数人で、麻美氏はその一人に選ばれた。このパーティでカルティエの社長と出会う。

そして「名刺をいただき、当社で働くことに興味があったら、連絡をください」と声をかけられる。クラスメートはこの話を聞いて、みな「すごい」と興奮し、とても喜んでくれた。麻美氏自身も、アメリカでこんなに早く、思いもかけぬ運命の扉が開くかもしれないと心が躍った。しかし、この喜びは日本からの1本の電話で状況が一変する事態となった。

(3)「何としても会社を潰したくない。父の生きた証(あかし)を守りたい」という強い思い 父が遺した優良企業が、いまや倒産寸前に
電話は継母からであった。「会社が倒産しそうだ」と。99年7月急遽帰国してみると「父の死後翌年から、業績が下がっていたとは聞いていましたが、いま継母が住む家を売らなくてはならいかも知れないほど、事態は急を要する状況だったとは、まったく思いもよりませんでした」麻美氏は、成田空港から乗った車の中で、継母から「担保が...」「決算書が...」と聞かされる話の内容を「ほとんど理解できなかった」

「時差のせいもあったのですが、何より経営に関するこれらの言葉を耳にしたのははじめてでした。けれども、継母の緊張した話しぶりから、たいへんな状態であることを直感しました。そして税理士や弁護士にあって説明を受けると、それは想像を超える悪化した会社の実情でした」次第に分かってきたことは、父が元気で経営していた頃は無借金の優良企業であった会社は、父の死後A社長等の守りの経営で、じょじょに赤字に傾いていったこと。

A社長は蓄えられた会社の資産を食いつぶし、10年間赤字を垂れ流していたこと。継母にはそうした会社の経営実態をほとんど知らされず、継母は事実上無視されていたのであった。

 

 

posted by タマラオ at 05:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記