2014年03月31日

追記 No3

152.JPG
新卒でアメリカの大企業に就職するたった一つの方法

まあ、問題はというと、日本では工学系の大学院で優秀な人は
1.一流企業(研究所)に就職
2.大学に残る(博士に進学/ポスドク)
3.企業に就職

という順番が一般的であるのに対し、アメリカで PhD コースに行った人は優秀な順に

1.ベンチャーを起業
2.ベンチャーに就職
3.一流企業(研究所)に就職
4.大学に残る(ポスドク)

という順番なので、そもそも大企業に新卒で就職するという段階で「優秀じゃない人」扱いされる可能性がある、というところだろうか? (そうは言っても終身雇用でもない会社に、しかも新人
教育をしてくれるわけでもないのに行きたくはない、というのが日本人の学生の典型的な思考パターンであろう) やっぱり日本はそういう社会だし、いくらベンチャーをあおろうが親を悲しませてまで突き進む人はあまりいないだろうし(こういうところがアジア的?)、そういう特性を考えて政策立案しないといけないんじゃなかろうか。自分も妻を悲しませてまでベンチャーに行きたいとは思わないし……(仕事がそれなりに楽しくて家族円満に暮らせるならそれでいい)

(2010-09-09 追記) 自分は誰でも彼でも大企業に行くべきだ、という意見ではないし、むしろ中小企業で楽しく暮らしている人を割と知っているのでそちらの方にシンパシーを感じるのだが、家族で相談した結果、不安定な職場は止めてほしい、という結論になった、ということ。残念ながら日本はまだまだ大企業・公的な組織(公務員とか大学教員とか)志向が強いし、(中小企業でも楽しいし別にいいんじゃないかという)自分の意見を強引に押し通したいわけではない。

学生の方々はよくよく今後自分が5年先、10年先どうしていたいか考えて現在行動したほうがいいと思うのであった。奈良先端大の自分の研究室も、けっこう海外でインターンする機会はあり、毎年3人ぶんくらいは「誰か来てくれそうな人いますか」と募集があるのだが、応募にまでこぎ着ける人が年2人くらい、実際行く人は1人くらいで、もっと行けばいいのに、と思うばかりである。(実際自分も上記のような「アメリカの就職活動の実態」は Microsoft Research と Apple それぞれ3ヶ月ずつ行っていろいろ聞いた
のでようやく分かったわけで、行くまで正直全然分かっていなかった)

ちなみに冒頭のリンク先の写真は恐らく Apple とは全然関係ないところの写真だと思われる (笑) 建物の中の撮影も禁止(セキュリティの人がずっと見張っている)なので当
然ではあるが……

アメリカの「一流」企業を狙うのであれば、「アメリカに渡って就職活動をする」というのは全く間違った行動であり、「本気で狙う」どころかそれは正気の沙汰ではない。インターンシップをしなければほとんど書類選考にも通らないくらいなのに、日本での就職を捨ててアメリカに単身渡ってそういう企業にアプライするのは全くもって見当違いである。本気で狙いたいのであれば、進学先は日本でもアメリカでもどちらでもいいので、博士後期課程に進学し、インターンシップで行きたい企業に潜り込むことである。 潜り込むためには論文をたく
さん書いたりとか、もしくはオープンソース開発活動で名を馳せたりとか、あるいは学会・勉強会や開発者の集まりなどで社員の人と仲良くなるとか、そういう努力が必要である。

以上の通り、新卒でアップルに入社するためにはエンジニアとして十分な経験とコネでインターンに潜り込むことが必須とのことです。日本人にとっては英語力・高度なプログラミングスキル・現地でのコネを作るといった、とてもハードルの高いお話かもしれません。しかし、最先端テクノロジーの現場経験はとてもエキサイティングかと思いますし、これから海外インターンを経験して日本に還元するような方々が、どんどん増えてもいいのにと個人的には思っております。

この記事読者の中からインターンに参加する猛者があらわれることを期待して、筆を置きたいと思います。

 

 

posted by タマラオ at 06:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月30日

追記 No2

151.JPG
新卒でアメリカの大企業に就職するたった一つの方法

◆何よりも大事なのは、入りたい会社の役員もしくは人事権を握っている人に「ぜひ来てほしい」と思われるような経験を積むことじゃないかと僕は思ってるよ。[...]「アップルに入りたい!」と本気で思うのならば、「アップルはどのような経験を持った人を求めていて、どういうプロセスを踏めば入れるのか」ということを徹底的に調べ、考え、行動してみる。そうすればアップルだろうがグーグルだろうが、入るのは難しくないと思うよ。

アメリカの会社は上にも書いたように新卒はインターンシップをやらないと8割以上入れないので、入りたいならとにかくその企業のインターンシップに応募することであり、インターンシップの採用で目に留まることをやる、というのが正しい(?)行動である。そうすると、次の「感想」は誤解を産みかねない。

アップルの方々はとてもはつらつとしていて、心から楽しそうに仕事をしていました。アメリカにわたり、そちらで就活をするというのも選択肢のひとつとして入れてみてもいいのではないかと私は考えています。「外資系」という括りは完全に日本視点ですから、真にグローバルな人材を目指すのであれば、アメリカの一流企業を本気で狙ってみるのも一つの手ではないでしょうか。外資系はこれから選考も本格化しますが、真に満足いく就職活動を行うためにも、広い視野で考えてみることが大事です。

アメリカの「一流」企業を狙うのであれば、「アメリカに渡って就職活動をする」というのは全く間違った行動であり、「本気で狙う」どころかそれは正気の沙汰ではない。インターンシップをしなければほとんど書類選考にも通らないくらいなのに、日本での就職を捨ててアメリカに単身渡ってそういう企業にアプライするのは全くもって見当違いである。本気で狙いたいのであれば、進学先は日本でもアメリカでもどちらでもいいので、博士後期課程に進学し、インターンシップで行きたい企業に潜り込むことである。

潜り込むためには論文をたくさん書いたりとか、もしくはオープンソース開発活動で名を馳せたりとか、あるいは学会・勉強会や開発者の集まりなどで社員の人と仲良くなるとか、そういう努力が必要である。突然試験を受けてどうにかなるのは中途採用の話であり、アメリカは基本的に学歴社会・コネ社会なので、コネがなければ大変就職活動は厳しいし、学歴(PhDとか)なければそれもマイナスだし、そういう採用方法の違いを理解しないで渡米するのは自殺行為である。(まあ、今後のアカデミアの状況をよく考えずに博士後期課程に進学するのもある意味自殺行為かもしれないが……)

中途採用であれば必ずしもインターンの経験は必要なく、たとえばData Mining
Software Engineerの募集(PhD があるとよいと書かれている)もあるし、ちゃんと仕事ができるかどうか学歴が大事なのである。(日本では博士号はあまり価値が評価されないが、アメリカの情報系では割と評価してくれる)

 

 

posted by タマラオ at 05:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月29日

追記 No1

150.JPG
新卒でアメリカの大企業に就職するたった一つの方法CommentsAdd
Staretopirika5mogwaing

これは去年 Apple Inc. で日本語入力周りの開発のインターンシップをしていた立場上、一言言っておかなければならないのではないかと思ったので一言。就活で成功するために必要なたった一つのこと −アップル本社社員にインタビューだそうだが、ちょっと誤解を与えそうな記事なので、補足したい。記事自体は Apple Inc. に務める日本人エンジニアの人たち4
人にインタビューした内容のようで、Apple のことを誉めている内容ではあるのだが、気になるのは以下の部分。

―技術力や思考力はもちろん、そういう人と関わる力も非常に重視されるんですね。そのような人材を選ぶのは並大抵のことではないと思うのですが、アップルの採用プロセスはどうなっているのでしょうか?

◆新卒はあんまり取らないね。僕も中途だし。新卒を取るのは、ほぼインターンを通してかな。工学系の優秀な学生が3カ月〜一年ぐらいのスパンでインターンをして、その中で使えそうな学生をほんのちょっと取るって感じ。残念ながら日本の学生でアップル本社でインターンをしている人は見たことがない。中途の場合は、履歴書を提出して、15〜6人ぐらいにインタビューをされて、それでオファーレターを貰ったよ。英語が苦手だったからきつかった。今アップル本社にいる日本人は60人ぐらいじゃないかな。

新卒を取るのはほぼインターンというのは正しい。これはアメリカの学生であるか日本の学生であるかは全然関係なく、とにかく新卒で入りたいならインターンをするのが一番の近道である(アメリカの大学に行かないと新卒でアメリカの企業に入れない、と思うのは間違い。アメリカの大学の学生でも、そこでインターンしないとダメ)。ただ、それは Apple に限ったことではなく、
Microsoft Research でも「インターンをしないとまず入れない」と聞いたし、アメリカの大企業であればどこも同じだろう。

一言言いたいのは「日本の学生でアップル本社でインターンをしている人は見たことがない」という部分。自分は去年の6月から9月までインターンシップしていたし、今年は @murawakiさんが5月から8月までイン
ターンシップしていたので、日本人の学生でも Apple 本社でインターンシップしている人はいるのである。

ただ、数百人いるインターンの中で、日本人はたぶん(直接日本から来た人だけではなく、日本からアメリカに留学している人を含めても)1人だったように思うので、見かけることは確かに少ないとは思う……。日系の学生は何人か会ったのだが、中学や高校くらいから親の都合でずっとアメリカ、みたいな人だったので、「日本の学生」というのはちょっと違いそう。

あともう一言言いたいのは(とても強調しておきたいのは)、この記事どうも学生に
Apple に入りたいならこうしたほうがいいという記事のようなのだが、もしそれが目的なら、以下の話はリスリーディングである。

―アップルもそうですが、「この企業に行きたい!」と強く思っても就職できずに挫折してしまう大学生が日本では最近非常に多いです。就職活動を考えるときに、私たち学生は何を考えていくべきでしょうか。

 

 

posted by タマラオ at 06:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月28日

アップル本社社員にインタビュー    No3

148.JPG
そこをどれだけ妥協せずにできるかがキモだね。「アップルに入りたい!」と本気で思うのならば、「アップルはどのような経験を持った人を求めていて、どういうプロセスを踏めば入れるのか」ということを徹底的に調べ、考え、行動してみる。そうすればアップルだろうがグーグルだろうが、入るのは難しくないと思うよ。「やりたい!」と思ったのならば、まず行動してみて欲しいね。そうすることで興味も広がって、それに付随して魅力的な人材になっていくんではないかと思うよ。

―勉強になります。「こういうことがしたくて、こういう会社に入りたい!」と明確化している学生に対しては上記のアドバイスが非常に参考になると思うのですが、「やりたいことが特になくて、モチベーションも上がらない」という学生も中にはいるはずです。そういう学生はどうすればいいでしょうか。

◆「やりたいことがない」ってことは本質的にはありえないと僕は思ってる。「やりたいことなんてない・・・」と思っていたって、好きなことは絶対にあるはず。テレビゲームをやるでもおいしいごはん食べるでも漫画を読むでも、好きだからこそやっているわけだよね。だったら、「テレビゲームをやることでお金を生み出せないか」「おいしいごはんを食べることをビジネスにできないか」ということを考えてみるのも一つじゃないかな。そういう仕事、実はあるしね。

「やりたいことがない」→「だから動かない」だといつまでたっても何も変わらない。とにかくいろんなことに手を出して、いろんな経験をどんどん積んでみる。そうすることで、見えてくるものは必ずあるよ。

―ありがとうございました。

いかがだったでしょうか。
アップルの方々はとてもはつらつとしていて、心から楽しそうに仕事をしていました。アメリカにわたり、そちらで就活をするというのも選択肢のひとつとして入れてみてもいいのではないかと私は考えています。(下記追記も参照のこと)「外資系」という括りは完全に日本視点ですから、真にグローバルな人材を目指すのであれば、アメリカの一流企業を本気で狙ってみるのも一つの手ではないでしょうか。外資系はこれから選考も本格化しますが、真に満足いく就職活動を行うためにも、広い視野で考えてみることが大事です。

 

 

posted by タマラオ at 06:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月27日

アップル本社社員にインタビュー    No2

147.JPG
―日本の職業事情を就活時に聞いた身からすると、アップルの待遇は素晴らしいですね。逆に、こうすればもっといいのになと思う点はありませんか?
◆まだまだ英語が不得意なので、マネージャーとの意思疎通にいまでも困る事があるけど、これは自分の問題だね(笑) 会社自体に不満は本当にないんだよね。たぶんほとんどの社員がそうだと思う。エンジニア、クリエイターとして最高の環境を用意してもらってその中で存分に仕事ができているから、不満はないかな。アップルは規則がほとんどなく、アウトプットを出していれば何をやっていても自由なんだ。大きなベンチャーって感じ。しかも全くギスギスしてなくて、フリーにいろんな人と話したり仕事をしたり出来るからねー。

―会社に不満が見つからない、というのは凄いですね。アップルが凄い会社だとは思っていましたが、その秘密は社員が心から楽しんで働ける環境があるからなのかもなと思いました。そういう環境は、マネージメント層が作り出しているものなのでしょうか?
◆いや、そうじゃないんだ。本当にひとりひとりが本気で仕事に取り組み、楽しんでいるからこそ出せる空気だと思う。そこに役職の差などは介入していないと僕は思うな。入社一年目の社員も、20年目の社員も、同等に良い環境を作り出していると思うよ。

―技術力や思考力はもちろん、そういう人と関わる力も非常に重視されるんですね。そのような人材を選ぶのは並大抵のことではないと思うのですが、アップルの採用プロセスはどうなっているのでしょうか?
◆新卒はあんまり取らないね。僕も中途だし。新卒を取るのは、ほぼインターンを通してかな。工学系の優秀な学生が3カ月〜一年ぐらいのスパンでインターンをして、その中で使えそうな学生をほんのちょっと取るって感じ。残念ながら日本の学生でアップル本社でインターンをしている人は見たことがない。中途の場合は、履歴書を提出して、15〜6人ぐらいにインタビューをされて、それでオファーレターを貰ったよ。英語が苦手だったからきつかった。今アップル本社にいる日本人は60人ぐらいじゃないかな。

―狭き門であることは間違いないですね。ちょっと話が変わるんですが、ジョブズと会ったりしますか?
◆うん、よくそこらへんを歩いてるよ。今日もこのカフェで何か食べてたし。

―ジョブズが普通に歩いてるんですね(笑) 日本のジョブズファンにはたまらない環境でしょうね。アップルもそうですが、「この企業に行きたい!」と強く思っても就職できずに挫折してしまう大学生が日本では最近非常に多いです。就職活動を考えるときに、私たち学生は何を考えていくべきでしょうか。

◆何よりも大事なのは、入りたい会社の役員もしくは人事権を握っている人に「ぜひ来てほしい」と思われるような経験を積むことじゃないかと僕は思ってるよ。ただ普通に日々を過ごしているだけじゃ決まらないのはある意味当たり前だよね。ただ勉強して、ただサークル活動をして、飲んで、・・・というだけの学生は、まぁいらない。現時点で能力は求められてはいないけれど、どのぐらい働くことについて考えて行動しているかはどの会社も絶対に見るはず。

 

 

posted by タマラオ at 06:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月26日

アップル本社社員にインタビュー    No1

146.JPG
http://gaishishukatsu.com/archives/3393

私は今アメリカをふらふらしているのですが、アップル本社内で四名のアップル本社社員の方々とお話するという貴重な経験を得ました。デザイン等のことについては機密なので口外できませんが、それ以外についてはブログに掲載してもよいとの許可を頂いたので、書いていきます。アップル本社はまるで大学のキャンパスのように広く、非常に美しい場所でした。社員の方もシャツにジーンズであったり、キックボードやスケボーで移動していたりとかなりフリーダムです。そういう場所であるからこそ、クリエイティブな製品が次々に生まれていくのかもしれません。

お話は非常に刺激的でした。以下、インタビューです。
―iPhone4やiPad等の製品がここで開発されているんですね・・・。まず、アップルという環境について、どう思われているかお聞かせください。

◆アップルは私たちエンジニアにとって最高といっても過言ではない環境だと思っているよ。内容によっては、時間やコストを日本では考えられないほど自分のプロジェクトにかけることができる。これは非常に大きな幸せだね。また、他の社員が強いこだわりと誇りを持って仕事をしている。そういう人たちと一緒に仕事ができ、その結果作った製品が世界中で使われているのを見ると、本当に幸せだね。雰囲気も非常にいい。社員全員がひとつのファミリーのように思えるね。

また、仕事の裁量が非常に広い。「ここからここまでがあなたの仕事ですよ」ということは全く決まっていないから、とことんまでできる。「このパーツにはこの材質を使いたいな」と思ったとする。そのコストが高かった場合、予算オーバーなので使えないという場合が往々にしてある。しかしアップルだったら必要とあらば自分で関連部署に交渉に行き、取引先を巻き込んで製造プロセス等まで踏み込んでそのパーツのコストを下げ、その材質の採用を実現することができる。

とことん自分のこだわりを追求できて本当に楽しいね。これは一例だけれども、自分の守備範囲外を一歩越えて仕事ができる人が求められているかな。

―素晴らしい会社ですね。
◆そうだね。職場環境がここまで良い会社はなかなかないと思うよ。日本の会社で働いていた時は鳥籠の中にいる様に感じたんだよね。「こういうことがしたい!」と思っても外に行きにくい。食べ物は与えられるので不安感はないけど、自由は少ない。そういう環境にずっといることは僕にはできなかったんだ。今アップルで仕事ができて非常に満足しているよ。

―アップルの待遇は具体的にはどのようなものですか?
◆まず労働時間からいおうか。労働時間は一般的なアメリカ企業よりは長いかな。自分の場合は大体9時〜21時ぐらいだし、たまに土曜日も出勤する。もちろん嫌々やっているわけではなくて、本当に楽しいから問題はないかな。給料も非常に良く、シリコンバレーだけに日本と比べればやはりエンジニアの待遇は段違いにいい。休暇もかなり自由に取れる。日本は「休暇を取る=迷惑」という考えがあるけど、アメリカでは「休暇を取るのはお互いさまで、その間の仕事は助け合ってやっていこう」という考え方。

だから上司も数週間の休暇を取るときは取るし、誰もそれを批判したりしない。それが本来あるべき姿だと思うんだけど、日本のサラリーマンが有給を全く消化できないっていう話を聞くと、どうかなーと思ってしまうね。

 

 

posted by タマラオ at 06:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月25日

快進撃・アップル社支える「日の丸工場」の底力   No3

145.JPG
高シェアを誇る“縁の下の力持ち”
「リスト発表直後に某米社購買部長さんと面談したとき、最初にこのニュースが話題になった」と勝山社長。戦前の長野県は、輸出産業の花形だった生糸の一大産地だったが、戦時中に都市部から移転してきた工場がベースとなって、戦後は電子部品・精密機器と、これまた日本のお家芸の拠点となっている。同県南部の伊那市も養蚕地帯から様変わりし、現在は就労人口の約7割が製造業の従事者とされる。先のアップル社のリストに載った一社、ルビコンは、52年にその伊那市で操業を開始。

現在、従業員数約630人、年商は704億円(10年9月期)。アルミ電解コンデンサーを年に約80億個生産し、世界シェア約7割を誇る。その自信もあってか、「コンデンサーを使わない電気製品はないし、(秘密にしても)使い道はだいたいわかるから」と、取材に応じてくれた。「日本の電機メーカーさんの主な製品にはほとんどうちのが入っています。アップルさんとは、01年から十数年のお付き合いですね」と、勝山修一社長は笑顔を見せた。

「当時、ESR(電気抵抗)を従来の約3分の1に減らした画期的なコンデンサーを開発したことが取引の契機です。ほとんどのメーカーさんに紹介しましたが、アップルさんにも非常に興味を持っていただきました」(宮原拓也・技術企画部長)

98年のiMac発表で奇跡の復活を遂げたアップル社と、既存品を“全とっかえ”しかねない勢いだったルビコンとの取引はごく自然の成り行きだろう。「今、iPhoneの充電器一個につき、うちのコンデンサーが3本使われています。iPhoneは従来のケータイより使用電力が多く、家庭、職場、携帯用と従来の3倍の売り上げが期待できる」(勝山社長) パソコンを皮切りにデジタル機器の薄型・小型化・高性能化が進むとともに、コンデンサーも急速に小型化している。

ルビコン製コンデンサーの一例
「アップルさんとの交渉は、だいたい我々が米カリフォルニア州クパティーノの本社に出向いて、主に技術的な打ち合わせや価格、新商品のプレゼンテーションなどを行います。コンピュータのマザーボード周辺について、CPUを起動する電源関係のデザインをしている方とお話しする機会が多い」(宮原氏)今は設計も製造も台湾などの企業に投げてしまうメーカーが多い中、「今も少し毛色が違うというか、新しいアイデアを盛り込みながら独自の考え方で設計を進めている印象です。

細かいところまでは教えていただけませんが、他社が使わないような低ESRの部品を採用して回路の効率を高めたりしている。エンジニアどうしですから、極端に無理な要求がくることはありませんよ」(同) 半導体のように注目される“花形”部品と違い、コンデンサーや抵抗器は自らは動かぬ受動部品と呼ばれる。地味な存在だが、これなしでは能動部品も動かない。同社は高シェアを誇る“縁の下の力持ち”という手堅いポジションを維持する。

「電子部品はまだまだ日本が強い分野。輸出産業の中で国内生産の比率が一番高いのでは。今は為替レートが海外生産の比重を上げるよう迫っている」(勝山氏) 為替が80円台を維持すれば後は何とかやっていける、と勝山社長は言う。「我々は72年に海外生産を始めている。開発は日本、生産は海外というのも一つのやり方です。しかし、それは日本経済にいい結果をもたらさない。やはり開発部門と生産部門は、同じ場所で一緒にやっていないと、本当の意味で製造業の水準は維持できません」(同)

逆風に柔軟に対応しつつ、独自の哲学を持ち、技術を磨き続ける。しぶとく生きる彼らに学ぶところは多いようだ。

 

 

posted by タマラオ at 04:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月24日

快進撃・アップル社支える「日の丸工場」の底力   No2

144.JPG
「この仕事を受けた理由は、いずれIT関係の時代がくるんじゃないかという考えもありました。ただ、当時はパソコンといえばウィンドウズ。アップル社の名はあまり知られてなかったと思う」 01年11月、日米欧で同時発売されたiPodは、いうまでもなく大ヒットし、「目に見えて量産体制に入った」。参入する磨き職人も急増した。

「磨き屋さんは『自分の技術が一番』という我の強い人が多く、また人数が増えた分、ばらつきが出て不良品が増えた。これではダメだから、最低限のレベルを保つためにマニュアルをきちっとつくって教えた。これで歩留まりが非常によくなって、新たに参加しやすくなった」 3年経つと、いよいよ人手が足りなくなって、素人の派遣社員に一工程ずつ指導、投入することも検討したという。

「東陽さんは中国の工場で研磨を始めた。我々も30人ほど、市の助成金を頂いて現地を視察しましたが、大勢の人が1〜2工程ずつ流れ作業でやっていた。職人ではなく工員という発想。そうやって、鍋でも何でも燕の製品のほとんどは中国でもつくられるようになってきたんだね」 約2年をかけて、iPodの研磨はすべて中国へ移管された。「その間、5年半で計6000万個を磨いたときいています」。

現在、シンジケートでは富士重工業のジェット機の翼の研磨も手掛ける。国内大手の薄型携帯電話の仕事も入っていたが、一人一工程の量産品は、若い職人の技術向上が望めないとの理由から、受注をやめる決断を下したという。
磨き職人は高齢化に加え、きつい仕事だとして、若年層からは敬遠されているという。しかし、コピーしかできない工員ではなく、よりいいものを追求する職人であり続けることが、しぶとく生き残る道だと彼らは確信しているようだ。

売上高の約7割がアップル社向け
大阪・池田市に本社を構える銭屋アルミニウム製作所は、その名の通り自動車やIT関連のアルミ製品が主力。リストに掲載された企業の中でも売上高に占めるアップル社の比率が約7割(民間調査会社調べ)と格段に高い。アップル社の快進撃に牽引され、11年9月期の売上高は162億円と、2期前に比べ7割増で過去最高となった。取材については「すべてお断りしています」と慎重だ。金属加工業界に詳しい人によれば、銭屋アルミニウム製作所。

社名の由来は、江戸末期の鎖国体制下で米露や香港とひそかに交易したという豪商、銭屋五兵衛。グループ会社のつくる浮標・標識灯は独壇場だ。鍋づくりの特殊な技術を生かし、自動車や電車の部品を手がける。「戦前、創業者が堺市で個人商店を立ち上げたのが始まり。アルミ製の鍋ややかんなどの大手だったが、IT関連製品などのビジネスに移行。パソコンやデジタルカメラの金属ケースなどを手掛けるようになった。プレスの優れた技術を持っていて、基本的に軽圧業者から板を買ってプレスをかけ、製品化している」

グループ会社の一つ、ゼニライトブイは、現在の浮標(ブイ)の原点とされる標識灯を開発。「国土交通省や海上保安庁、大手ゼネコンにも納めている」(民間調査会社調査マン)という。日本アルミニウム協会(本部・東京都)の大阪支部によれば、「大阪・関西地域のアルミ関連企業は中堅企業が多いのが特徴」という。アルミ加工には、板をつくる圧延工程と、アルミサッシに代表される押出工程(プレス加工)の2種類があるが、関西のメーカーでは、板製品・押出製品ともに独自の技術を売り物とする企業が目立つ。押出の場合は、金型の技術と強く結びついているのが特色だ。

「日本の金型技術、特に精密加工の分野は非常に高水準で、中国・韓国・台湾の先を行く。大阪・関西地域の多くの企業は、そういうレベルの高い精密加工を行っている」(同)  銭屋アルミもその一つというわけだ。

 

 

posted by タマラオ at 04:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月23日

快進撃・アップル社支える「日の丸工場」の底力   No1

143.JPG
PRESIDENT 2012年3月5日号     http://president.jp/articles/-/5580

アップル社が“秘中の秘”取引先156社リストを突如、公開――。プレジデントはリストに並ぶ聞きなれぬ社名に注目。今をときめくスーパーカンパニーを支える職人たちを追った。公開された取引先は全体の97%

「正直、面食らっているんです」
米アップル社が1月13日、これまで秘中の秘としてきた世界中の部品調達・生産委託先156社の名を公開した。この英字リストには、米系、台湾系などとともに日本企業も。ソニー、シャープ、NECなど大手から地方の非上場企業まで、32社の名がある(表参照、“国籍不明”の数社を除く)。冒頭の一言は、その中の一社に取材を申し込んだ際の反応だ。無理もない。アップル社は取引先との間で、取引じたいを公開しない秘密保持契約を結んでいるからだ。なぜ今、社名を公開したのか。

「取引先工場の劣悪な労働環境の改善のために、過去6年にさかのぼったレポートを作成しました。しかし、取引先の企業名を公開しなければ、(改善の努力や効果の有無を)秘匿していると思われてしまう。リストに掲載した会社には、これまで監視の目を緩めずにやってきたということです」(アップルジャパン)一昨年、中国で工場従業員の自殺が相次いだことが批判されたのを受けたようだ。が、「リストにあるのは取引先の97%。

残り3%はこちらでもわかりません」(同)。間接的に納品している企業は入っておらず、また、あるべき企業の名が見当たらず、「何らかの基準があったのでは」(別の一社)との声も。すべてをオープンにしたわけではなさそうだ。
このリストに掲載された東陽理化学研究所(以下、東陽社)は、現在年商約56億円、従業員340人(2010年12月期)。1950年に国内初のステンレス電解研磨専門会社として発足、非鉄金属の加工では国内有数の技術を誇る。

同社が本社を置くのが、ステンレス、チタンなどの金属製品製造で知られる新潟県燕市。江戸初期、困窮した農村の副業として始めた和釘の製造を端緒に、今は金属洋食器、金属ハウスウエアをはじめ、あらゆる金属製品を手掛けている。

プレジデントの取材依頼に、「取材には一切応じていません。アップル社の許可がないと……」。ある民間調査機関の調査マンは、同社について「研磨工程の特許技術を開放し、地元の発展に貢献した。アップル社とは“いい関係”を築いており、ノートパソコン『PowerBook G4』のチタニウムの筐体は同社製」と解説した。

「コピー工員」ではなく「職人」であり続ける
燕市には、研磨・表面処理・プレスといった技術を持つ“磨き職人”たちのシンジケートがある。結成は03年。市内の14〜15社で構成され、市内外から舞い込む仕事を共同受注する。「地元の工業会がつくった共同受注グループを“磨き屋シンジケート”と名付けた」と田中氏。ステンレス製マグカップが好評で知名度アップ。

「昔は、一匹狼ばかりでしたが……」
現在、市内施設「磨き屋一番館」で磨き職人の後継者育成に携わる田中三男・燕研磨振興協同組合理事長はそう語る。田中氏が、従業員3人と研磨業を営んでいた01年、東陽社からIT機器研磨の仕事が回ってきた。初代iPodのステンレス製ボディの研磨だった。鏡と見紛う水準の、ピカピカの裏面である。当時はまだシンジケートがなく、田中氏は職人たちの集まりである研磨工業会を通じた取りまとめ役となった。

「一個磨いて100円。自分でやってみたら、一日100個で1万円が精一杯。当時は一日3万円、4万円稼ぐ人もいたからやる人がいない。最初は私も断ったけど、受けた責任もあるから、仕方なく私だけで始めた(苦笑)」(田中氏、以下同)
東陽社は、プレス加工と付属品のスポット溶接でiPodの筐体を形づくる。磨き職人は、バフと呼ばれる円盤型の研磨道具をモーターで回転させ、そこに筐体を手であてて一つ一つ磨き上げる。

 

 

posted by タマラオ at 05:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月22日

日本にアップル製品のパーツ工場が150ヵ所もあるって知ってました?  

142.JPG
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/136/136734/

Apple製品といえば、米国や韓国、台湾などで部品を調達し、中国で組み立てられている、というイメージを持っている人も多いだろう。特に中国の組み立て工場については、作業員の労働環境に関するニュースなどで耳にした人も多いはずだ。ところで、実は日本も、部品の調達先として相当なシェアを持っていることをご存じだろうか?

■国内だけで約40社150拠点
Appleは自社製品に使用している部品・部材の調達先を、「サプライヤーリスト」として公開している。このリストには、世界の200社、約800カ所の拠点が記載されている。このうち、日本国内に本社や生産拠点を持つ企業(=サプライヤー)は約40社にのぼる。つまり、アップルサプライヤーの実に20%近くが日本企業ということだ。

■なぜ日本企業が利用されるのか
このリストの中には、シャープやパナソニック、ソニー、東芝といった日本を代表する大手から、一般ユーザーにはなじみの薄い企業までさまざま。どのサプライヤーがどんな部品を、どれだけ供給しているのかといった情報までは明らかにされていないが、重要なパーツの生産を任されている企業も少なくない。  内蔵ストレージなどの半製品をはじめ、半導体製
品、ケーブル、コネクター類といった細かなパーツ、製品の外装に用いられる部材まで、実にさまざまな国産製品がMacやiOSデバイス、周辺機器などに使用されているのだ。

外装材の例としては、iPodシリーズの鏡面仕上げのステンレスケースが以前話題となった。このステンレスを研磨していたのが新潟県燕市にある工場で、金属の表面を歪みなくピカピカに磨き上げる職人の技術が生かされている。

■サプライヤーを知るメリット
一般ユーザーが、こうしたパーツ類の出どころを意識することはあまりないだろう。しかし実は、これらは意外と侮れない情報なのだ。アップルは基本的に、同じパーツでも複数のサプライヤーから調達している。例えば内蔵ハードディスクでも、同一スペックの製品を複数の企業から購入して、同じ型番のモデルに搭載している。ところが、カタログスペックは同じでも、実際の性能では製造元によって差が出ることがあるのだ。 機種によっては、こうしたサプライヤーの違いによる「当たり外れ」が話題に
なることもある。

もちろん実際には、パーツの製造元まで指定してマシンを購入することはできない。しかし、特定サプライヤーの部品を搭載したモデルのみに不具合が見つかり、修理対象となるケースもある。マシントラブルの原因を特定する手段のひとつとして有効な情報なのだ。  国内のサプライヤーについての詳細は、MacPeople5月号(3月29日発売)の
第2特集「アップルを支える日本のサプライヤー企業」で確認してほしい。過去の実績や実機を分解した結果から、各サプライヤーがどんなパーツをアップルに供給しているかがつかめるはずだ。

 

 

posted by タマラオ at 06:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月21日

アップルの宇宙船型新本社が天文学的に予算オーバー。972億円削ることに  

141.JPG
2013.04.07     http://www.gizmodo.jp/2013/04/972.html

2011年にスティーブ・ジョブズが発表した宇宙船型のアップル本社新社屋が6月の着工開始を前に若干ダウングレードするようです。Bloomberg Businessweekが複数の情報筋に聞いた話によると、2011年
当初は30億ドル(2915億円)で建造を予定してたんですが、アレヨアレヨという間に費用が嵩み気づけばなんと50億ドル(4858億円)に膨らんでたんだそうな。

50億ドルっていうと、あのアメリカが国家の威信をかけて建造中の新ワールドトレードセンターより余裕で10億ドル(972億円)高い額に相当します。何を建てればそんなにお金がかかるんねん!ティム・クックCEOもさすがにこれはおかしいなと思ったのか、2月の全員参加の総会で引越し予定を2015年から2016年に遅らせることに決めたんですが、竣工を先延ばしにしたのはたぶん、建築事務所フォスター+パートナーズ(Foster +
Partners)に施工費を10億ドル(972億円)カットするよう命じた影響ではないかと言われてるんでございますよ。

豪華新社屋は敷地面積15エーカー(ペンタゴンより若干小ぶり)で、UFO型ビルの中と周辺には樹木6000本を植え、屋上には70万平方フィートのソーラーパネルを設置、暑くなると自動的に窓が開く室温制御システム、ビル全体に自然光が行き渡るSolartubesを採用します。窓には6平方kmの曲面ガラスを特注で嵌める...とまあ、どれも削ると完成度にキズがついてしまいそうなものばかり。

でも幸いジョブズのこだわりには、削っても無問題っぽい部分も沢山あるみたい...。BusinessWeekはこう書いてます。ジョブズはセメントの床より石を混ぜたテラゾのようなものがいいと言っていた。が、磨いて光沢を出すあの手の床は通常、美術館や豪邸が採用するものだ。 ジョブズはまた、アメリカの大体の工事は壁と面の隙間が8分の1インチもあ
る、あれは32分の1インチ未満に抑えなきゃダメだと言って譲らなかった。

ジョブズはさらに、天井も軽量な吸音タイルなんかじゃなく磨いたコンクリートにするよう求めていた。こういう無理難題はバッサリきそうですね、金に糸目はつけないと言ってくれるジョブズももういないし...。そんなわけでダウングレードと言っても、コンクリートの天井が普通の天井になる的な話であって、大枠では当初の路線維持ですね。100%ジョブズの希望は叶わなくても、どんな夢の社屋より素晴らしい社屋になります。なんとも羨ましい限り。

 

 

posted by タマラオ at 06:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月20日

アップル新本社ビル 息づくシリコンバレーの反骨     

140.JPG
日経新聞  2011/6/11   http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM09045_Q1A610C1000000/

アップルのスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)が明らかにした新本社の建設計画がシリコンバレーで大きな話題になっている。着陸した宇宙船にも、SFアニメに登場する宇宙ステーションにもみえるドーナツ型のオフィス棟は、4階建て。日本の読者の多くは、その外観もさることながら、アップルほどの大企業の本社が4階建てという点に驚くかもしれない。 シリコンバレー企業の本社は軒並み3〜4階建てだ。アップルだけではない。

グーグルも、フェイスブックも、インテルも同様だ。10階建てを超えるような高層ビルに本社を置く企業は、サンフランシスコやサンノゼといった都市部を除けば、まずない。 あるベンチャー投資会社の幹部が面白いことを言っていた。「高層ビルでネクタイ締めて働きたいヤツは東海岸に行く。シリコンバレーに残るのは、そういう見てくれに興味がないギーク(オタク)な連中だ」。そういう彼のオフィスも、スタンフォード大学を望む高台の2階建て。もちろんエレベーターなどない。

シリコンバレーも実は土地が余っているわけではない。パロアルトなど中心部のオフィス賃料は高く、大都会の市街地にも匹敵する水準だ。高層ビルの林立する大都会との違いは、土地の広さにあるのではなく、根底にある文化や価値観の違いに起因しているように思える。 シリコンバレーの中心地、パロアルト市。スティーブ・ジョブズ氏の自宅にもほど近い住宅地に「シリコンバレー誕生の地」という表示板がひっそりと掲げられた民家がある。

その裏にある小さなガレージこそ、アップルの新本社予定地の持ち主だったヒューレット・パッカード(HP)が72年前に産声を上げた創業の地だ。 表示板には、スタンフォード大の同級生だったHPの創業者ウィリアム・ヒューレットとデービッド・パッカードに、大学の恩師フレデリック・ターマン教授が「東海岸の出来上がった企業に就職するより、ここで起業しないか」と助言。2人が助言に従って起業したことが記されている。

シリコンバレーは原点から反骨精神と挑戦者精神にあふれていた。彼らにとって、高層ビルはエスタブリッシュメント(確立された社会階層・勢力)の象徴だったに違いない。 ガレージからアイデア1つで起業し、人種や年齢、性別、宗教や性的指向、服装などにこだわらず、単純な実力主義、実用主義を是とする“シリコンバレー的な価値観”。それを体現するには、階段で自力で上り下りできる4階建て程度のビルがふさわしいのだろう。

ゴールドラッシュの昔から、21世紀の今に至るまで「辺境(フロンティア)」であり続けたシリコンバレー。1年中、過ごしやすい気候が続き、心を癒やす広い青空と満天の星空を見上げると、多少の失敗は忘れて再挑戦しようという気になってくる。多くの起業家がシリコンバレーの良さは何かと訊かれて「気候と広い空」と答えるのは偶然ではあるまい。 空の狭い都会のコンクリートジャングルの中で空を見ることなく、星を見上げることなく、毎日を送ってしまうと、夢を抱いて「上を向いて歩く」ことを忘れてしまうのかもしれない。

iPhoneやiPadの成功で、今や向かうところ敵無しともみえるアップルが、成功の証しとして「バベルの塔」のような高層ビルを建てるのではなく、超低層の“宇宙船”のような新本社を建てるのも、シリコンバレー精神を引き続き守る決意かもしれない。大企業になっても、下界を見下ろすのではなく、地に足を付けて、空を見上げて夢に挑戦する――。世界を変えてきたのは、そうした辺境の異端児だ。エスタブリッシュメントではない。

 

 

posted by タマラオ at 05:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月19日

夢は火星移住

139.JPG
http://news.mynavi.jp/news/2013/11/10/032/

ジョブズ超えると評判の起業家 資産8000億円で夢は火星移住

米アップル創業者の一代記を描いた映画『スティーブ・ジョブズ』が話題を呼んでいるが、いまアメリカでは「ポスト・ジョブズ」の呼び声高き天才起業家がいることをご存じだろうか。 イーロン・マスク氏がそうだ。42歳にして3つの会社を所有し、個人資産はなんと8000億円。映画繋がりでいえば、大金持ちの発明家が獅子奮迅の活躍を見せる『アイアンマン』(2008年)で主人公のモデルとされ、2作目ではマスク氏本人もチョイ役で出演を果たした。

マスク氏の経歴を紹介しよう。1971年に南アフリカ共和国・プレトリアで生まれた彼は、母方の血筋であるカナダに移り住みクイーンズ大学やペンシルベニア大学で勉学に励む。その後、1995年スタンフォード大学大学院に進学するもわずか2日で辞めてしまう。ちょうど世はインターネットバブルが花開き、アメリカンドリームを求める若者が台頭していた時代。マスク氏もその波に乗り遅れまいと起業を志した。 最初に設立したのは、ネットコンテンツをニューヨークタイムズ誌などに配信する会社。

だが、せっかく築いた会社もあっさりコンパックに売り払ってしまう。その後起業したネット決済会社もeBayに売却。要するに次々と会社売却で得た巨額資金を“夢の開発”につぎ込む目的だったのだ。それが宇宙ロケット事業である。2002年に創業した「スペースX社」は、マスク氏が独自でロケットを開発し、昨年、国際宇宙ステーションとのドッキングに民間企業として初めて成功した。ゆくゆくは宇宙旅行を手掛ける計画だというが、マスク氏の野望はさらに果てしない。

「マスクの常人には真似できない発想力や開発者魂はジョブズを凌駕している」と話すのは、ビジネスコンサルタントの竹内一正氏(オフィス・ケイ代表)。これまでジョブズ氏の経営手法を数々の著書で紹介してきた竹内氏ですら、マスク氏の底知れぬ天才ぶりに舌を巻く。「彼は大学時代に早くもインターネット、持続可能エネルギー、そして宇宙開発の3つが人類にとって大事な問題になると予見していました。地球はこのままいけば温暖化が進んで100億人なんて住めなくなる。
ならば人類はいずれ火星に移住すべきだとの信念でロケット事業に参入したのです。 温暖化の問題は二酸化炭素の排出量を少しでも減らさなければとの信念から、電気自動車(EV)メーカー『テスラ・モーターズ』のCEOに就任しました。ノートPCのバッテリーを約7000個搭載し、ポルシェより速く走る高級スポーツカー『テスラ・ロードスター(価格は約1000万円)』を開発。ジョニー・デップやレオナルド・ディカプリオなどハリウッドスターが飛びついたこともあり、全米の話題となりました」(竹内氏)

テスラ社はその後、新型セダンの『モデルS』も発売し、11月5日に発表された7―9月期決算では前同期比9倍となる400億円超の売り上げを叩き出した。パナソニック製のリチウムイオン蓄電池を使っていることもあり、少なからず日本企業も恩恵を受けている。 さらに、EVの弱点だった充電ステーションを独自に全米に整備し、個々のステーションが有しているセルフ発電のための太陽光パネルも、マスク氏が会長を務める「ソーラーシティ社」が供給している。

「火星ロケットを作るまでには時間がかかる。そこでEVと太陽光発電で地球環境の悪化を食い止めておくというのが彼の途方もない考え。どれも国家レベルですら手を焼く難事業なのに、それをマスクはひとりでやろうとしているのです。
ジョブズはパソコンで人々の生活を便利に変えましたが、マスクの挑戦は人類と地球の歴史を変える壮大なものになる可能性を秘めています」(前出・竹内氏)

だが、難事業で巨額投資が必要な事業ゆえに、常に潤沢な資金が回っていたわけではない。2008年には前述のEVロードスターの出荷遅れやロケットの売り上げ失敗、さらにリーマン・ショックが追い打ちをかけて大打撃を被ったという。そのため、私財を投じて社員の給与を払ったという逸話も残っている。 また、超多忙な日々を送るマスク氏にとって、どうしても犠牲になりがちなのが私生活である。「学生時代に付き合っていた女性と結婚し、双子、三つ子と5人の子供を授かったのですが、2008年の経営危機で奥さんが愛想を尽かして離婚。

その後、再婚したイギリス人の女優とも年の差が離れすぎていたこともあり、すぐに離婚してしまいました。 ただ、長身でイケメンの風貌、著名人との交友関係も広いために女性からはモテる。最近ではキャメロン・ディアスとの浮き名がゴシップ誌で報じられました。今後、とてつもない大きな目標に向かいながら、いかに私生活も充実させていくか。彼の一挙手一投足から目が離せません」(竹内氏)

公私ともに溢れ出る情熱を単なる夢物語で終わらせず、次代に名を刻み続けることができるか。

 

 

posted by タマラオ at 05:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月18日

Stay hungry,Stay foolish No4

111.jpg
その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。 人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。

このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。 誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。

今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。 あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。

あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。 私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡
り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。

言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。 スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。

筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。


ハングリーであれ。愚か者であれ。
「あなたたちは今は hungry で foolish だ。しかしやがては大人になり、満ち足りて、賢明になるだろう。そのことを自分の成長の証だと思うだろう。しかし、そう思ったとき、あなたたちは成長を止める。成長を止めないためには、いつまでも若さを失ってはならない。いつまでも活力の源を失ってはならない。そのためには、若いときの hungry で foolish な気持ちを忘れ
てはならない。あなたたちは今は hungry で foolish だ。それを残念に思うこともあるだろう。

もっと成長したいと思うこともあるだろう。しかし、hungry で foolish だということ自体が、成長への意欲をもたらす。その気持ちを、いったん成長したら、見失いがちだ。しかし成長してからも、若いときの意欲を忘れてはならない。そうすれば、人はいつまでも成長できる」これがジョブズの真意だ。そして、それが胸に響くのは、彼がそれをまさしく自分で実行してきたとわかるからだ。彼は、人がいつまでも成長するための方法を教え、そして、それがまさしく可能だということを、身をもって示してくれているのである。

ありがとうございました。

※スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ原稿の翻訳。

 

 

posted by タマラオ at 05:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月17日

Stay hungry,Stay foolish No3

800px-Steve_Jobs_and_Bill_Gates_(522695099).jpg
会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。 そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。

そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。

そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。

3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。

なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。 1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。

医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。 一日中診断結果のことを考えました。

 

 

posted by タマラオ at 04:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月16日

Stay hungry,Stay foolish No2

609px-Steve_Jobs_WWDC07.jpg
ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。 もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。

美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。

しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。 繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

2つ目の話は愛と敗北です。
私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。

1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。

 

 

posted by タマラオ at 06:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月15日

Stay hungry,Stay foolish No1

96958A88889DE1E7E6E7E7E4E4E2E2EAE3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2-DSXBZO3545581008102011000001-PB1-19.jpg
米スタンフォード大卒業式(2005年6月)にて
http://www.youtube.com/watch?v=VyzqHFdzBKg

亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は多くの印象的な言葉を残した。中でも2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、広く感動を集めた。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」。今も語り継がれるスピーチの全文を、改めて紹介する。

世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

まずは、点と点をつなげる、ということです。
私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。 私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。

こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。

何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。
とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。

 

 

posted by タマラオ at 06:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月14日

頸椎の難手術に立ち向かうスーパードクター・木原俊壱医師 No3

107.JPG
「首の痛みやコリ、詰まり感、あるいは手のしびれ。そういうものって本人しか苦しさや痛みが分からないんですね。この病院に来たらなんとなく患者さんの気分が明るくなり、帰るときもこの病院に入院して正解だったと思われる。そんな病院を目指していきたい」 手術に使う器具類もすべて木原さんが独自に開発しました。特に
「K-method」で使う人工骨は3年の試行錯誤の末に完成させたもの。従来のものにはなかったカーブをつけることで、強度が30%アップしました。

実はこの人工骨は、意外なものからヒントを得て実現したそうです。それはお城の石垣で見られる武者返しと呼ばれる構造。石垣のカーブは敵の侵入を防ぐと同時に荷重を分散させる役割を果たしています。 「武者返しだと垂直
の荷重が水平に逃げるため強固に支えられると同時に、下の土台も崩落しにくいという良さがあるんです」この武者返しの構造を採用し、丈夫な人工骨が誕生したのです。 ある日、木原さんにとっても極めて難
しい手術が始まろうとしていました。

患者は竹中武彦さん(65歳)。10年前から手に違和感を覚えていましたが、最近になり指の感覚が失われてきたと訴えます。 30年以上、指先を使う仕事を続けてきた竹中さんですが、その
命とも言える手に障害が出だし、仕事を辞めようか悩んでいました。 「仕事をするのが嫌になっていました。しんどくて気力が沸かないというか。辛抱するしかないなと思ってやっていました」(竹中さん) 病名は国の難病に
指定されている後縦靱帯骨化症。

靱帯が厚くなり、骨のように硬くなって神経を圧迫しています。本来は太さが小指ほどある神経が、竹中さんの場合は圧迫されて1oにまでなっていました。 「これだけ重症だとあらゆるシーンで一つの
ミスも許されない」木原さんでも経験したことがない難手術。神経が限界まで圧迫されているため、骨を削るわずかな熱や振動でさえ脊髄損傷を引き起こす可能性があります。 手術が開始してから想定よりも長い
時間が経過したところで、ようやく骨のカットが終了。

神経が圧迫されないよう人工骨でスペースをつくる作業に入りました。カットに時間が掛かったぶん、素早く移植する必要があります。 5時間後に手術が終わり、木原さんは竹中さんの病室に
向かいます。 「竹中さんいかがですか?」(木原さん) 「術前と術後の感覚が根本的に違う。布団のざらつきが指で分かるようになりました」(竹中さん) 竹中さんはベッドの横にあったティッシュで
涙を拭います。 「本当に辛かったです。今日まで……」(竹中さん)

手術から1か月、竹中さんは病いが発症する以前と同じように細かい作業ができるまで回復しました。手術が無事成功したのです。 最後に木原さんはこう語ってくれました。 「一人の外科医
の腕自慢だけで『K-method』を終わらせたくないということが、今の心からの願いなんですね。これから後継者を育てたり、あるいは機械などのさまざまな環境を整えたり。そういうことに情熱や夢を持っていきたい」

今日もまた、患者さんの人生を取り戻す手術に立ち向かっている木原さん。患者さんを救う夢の道程は、これからも長く続いていくことでしょう。

 

 

posted by タマラオ at 05:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月13日

頸椎の難手術に立ち向かうスーパードクター・木原俊壱医師 No2

106.JPG
頸椎に重篤な疾患を持つ患者さんにとって、木原さんは希望の光です。医師になる前に挫折したある職業とは?
現在、スーパードクターとして称賛を集める木原さん。しかし、医者は最初から志した道ではありませんでした。 「エリートやサラブレットではなかったので、失うものは何もな
い。どうせ失敗してきた人生なのだから、それを恐れるより自分でやりたいことや、目指すものにチャレンジしようと思っていました」 木原さんが若かりし頃に目指していたもの、それは、映
画監督です。 1960年、福岡県で医者とは無縁の家庭に生まれた木原さん。幼い頃から手先が器用で工作が得意な子供でした。

高校時代はビニールで作った気球を飛ばし、地元の新聞にも取材をされるほどのアイデア少年。ものを作り、表現することが好きだった木原さんはいつしか映画監督を志すようになったと言います。 しかし、夢への道は平坦
ではありませんでした。芸術学部の受験に三度も失敗し、父親から「夢を追うなら自分で稼げ」と宣告されてしまったのです。 「3浪して、何も資格がないとなると、アルバイトしながら
監督を目指すといっても生活するだけで大変ですよね。

そう考えたときに予備校の同級生に相談したら、非常に短絡的なんですけど医学部に入学して、医師免許を取ったら生活しながら映画監督を目指せるんじゃないかと」そんな、いささか不純な動機で1980年に佐賀大学医学部に入学し、映画制作を続けていました。しかし、救命救急の実習で出会った外科医の姿が木原さんの人生を大きく変えることになります。 「救急の現場には、状況が悪い
人が運ばれてきますよね。そこに颯爽と登場して、救急蘇生や挿管の処置をする。

それを見て、また非常に単純な動機なんですけど、やっぱり男はこれじゃないと!と思ったんですね」そして、脳神経外科医師となることを選択した木原さん。医療系の名門、アメリカのロマリンダ大学にも留学し、持ち前の器用さとクリエイティブなセンスで徐々に優秀な外科医として頭角をあらわしていきます。さらに、35歳の時には、これまでにない頸椎の手術法「K-method」を開発。

やがてその論文は権威ある米国医学誌「NEUROSURGERY」に紹介され、木原俊壱の名と「K-method」は一躍世界が注目するところとなったのです。

『K-method』を終わらせない夢の道程
そんな木原さんは2013年4月、長年の夢を実現しました。 世界遺産・京都東寺。その境内と道を挟んでお隣という場所に自らの病院「京都脊椎脊髄外科・眼科病院」を開設したのです。 毎朝の日課は病院周りの掃
除。院長自らがホウキを持ち、スタッフ総出で掃き清めます。 木原さんがこの病院で目指すのは、患者さんにじっくり向き合う医療。診察は1人につき15分以上かけて丁寧に行います。

また、院内の随所に木原さんの思いが込められ、気持ちが沈みがちな患者さんにホテルにいるかのような感覚で過ごしてもらおうと、内装にもアイデアを凝らしました。

 

 

posted by タマラオ at 04:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年03月12日

頸椎の難手術に立ち向かうスーパードクター・木原俊壱医師 No1

105.JPG
WISDOM 2014年01月24日
https://www.blwisdom.com/linkbusiness/linktime/crossroad/item/9399-05.html?mid=w445h90500000995646

数々の難手術を成功させる脳神経外科医の木原俊壱さん(53歳)にテレビ番組として初密着しました。首の骨、すなわち頸椎を専門とし、独自の手術法「K-method」を開発した木原さんのもとには、他の病院では治療が難しいとされた患者さんが集まり、年間350件以上の手術を行っています。そんな木原さんですが、実はもともと医者とは程遠いある職業を目指していたのだとか。スーパードクター木原さんを生んだ「Crossroad」(人生の重大な岐路)とは?

奇跡の手術で5,000人の患者を救う脳神経外科医
日本人は高齢者のおよそ7割が頸椎に疾患を抱えていると言われています。頸椎の異常は日常の動作に大きな障害をもたらし、生きる気力まで奪うこともあるそうです。 そんな病いに画期的な手術法で立ち向か
う木原さんのもとには、他の病院では治療が難しいとされた患者さんが全国から集まってきています。手術の予約だけでも1,000件以上。3年先までいっぱいという状況です。 静岡からやってきた患者の山下征夫さん
(69歳)は、右手に激しい痛みがあり、指を自由に曲げることができません。

加齢によって変形を起こした頸椎が神経を圧迫し、山下さんの右手に障害を起こしていたのです。中高年以降、これと同じような症状に苦しむ人の数は少なくないと言います。 頸椎のスペシャリストとして、木原
さんはこれまで約5,000人もの患者を救ってきました。その手術法は自らの頭文字を冠にした「K-method」と呼ばれています。 頸椎の手術は従来、20センチもメスを入れるという、患者に負担
が大きいものでしたが、「K-method」ならわずか3センチという小さな切り口から器具を差し入れて、神経を圧迫している骨の一部を削り、そこに人工骨を移植することが可能。傷口が小さく出血が抑えられるため、患者さんの回復が早いのも特徴の一つです。

バーと呼ばれるドリルで骨を削る作業は、1ミリでも操作を誤れば神経を傷つけ、患者さんの人生を台無しにしてしまいます。 この極限の作業で鍵を握るのが小指。絶対に力を入れすぎる
ことがないよう、小指を支えに微細な調整を行っているのです。 「バーで削るときは、ハケで掃くような感じで絶対押し付けちゃいけない。『手術に二度なし』ですね。最初で最後だと思って、毎回臨んでいます」

骨のカットが無事終了すると、続いては「K-method」独自の人工骨が登場。山下さんの手術ではこの人工骨が4つ移植され、手術時間は従来の方法より短くおよそ2時間で終了しました。 木原医師が山下さんに指を動か
すように指示してみると、手術直後にもかかわらず、山下さんの右手はだいぶ動くようになっていました。 「無事終わりました。この瞬間が来るまで緊張しますね。手足の動き
や、本人の意識の状態が良いのを確認して、やっとホッとする感じです」

 

 

posted by タマラオ at 05:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記