2014年02月27日

こんな人生の歩き方  No20

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大学院卒ロスジェネ世代の絶望 DIAMOND 2014年1月23日
http://diamond.jp/articles/-/47541

池上正樹 [ジャーナリスト]
1962年生まれ。大学卒業後、通信社の勤務を経て、フリーに。雑誌やネットメディアなどで、主に「心」や「街」をテーマに執筆。1997年から日本の「ひきこもり」現象を追いかけ始める。東日本大震災後は、被災地に入り、震災と「ひきこもり」の関係を調査。最新刊は『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)。他に『ドキュメントひきこもり〜「長期化」と「高年齢化」の実態〜』(宝島社新書)、『ふたたび、ここから〜東日本大震災、石巻の人たちの50日間〜』(ポプラ社)など。

かつてベッドタウンとして名を馳せた住宅地で孤立し、ロスジェネ世代を象徴するような思いを抱えたある男性の現状を、今回は紹介したい。高度経済成長期の頃、あこがれの住宅地とされていたある郊外の私鉄沿線駅のアパートに住む30歳代の男性Aさんは、半年ほど前まで派遣社員の職を転々としていた。しかし、いまは身体を壊し、失業保険でアパートの家賃を払いながら、求人に応募し続けている。

「正直、自分以外の人間との接触を避けるようにしています」郊外の住宅地でも、こうして仕事に就くことができないまま、やがて外に出る理由がなくなり、地域に埋もれて引きこもっていく人たちは少なくない。

「死に場所は決めてあります」ブラック企業に虐げられ続ける身体
「大阪で31歳の女性が餓死したニュースを見たとき、自分ごとのようにつらかったです。同時に、これからさらに増えるだろうなとも思いました。私も、死に場所は決めてあります」そう明かすAさんは、大学院を卒業後、一部上場企業に就職した。しかし、仕事の内容は新人のときからトラック運転手。しかも、1人で1日15時間近くもハンドルを持たされる状態が続き、数ヵ月で過労退職に追い込まれた。しばらく何もできない状態が続いた。復帰したのは、それからちょうど1年後のことだ。

この4年余りの間は、アルバイトと正規雇用を行ったり来たり、転々とした。 「とにかく、ハローワークの求人のいい加減さに頭にきています。2回にわたって採用されたのですが、手取りが15万円台だったり、正社員のはずが、実際には日雇いの土方だったり…。散々でした」身体を壊しては会社を辞め、また働きはじめても身体を壊して辞める…という繰り返しだった。 「呆れたのは、ハロー
ワークを通じて就職した会社が、退職後にいい加減な雇用保険の処理を行い、本来は1人に1つしかない保険番号が2つも存在していたことです。

ハローワークに紹介されて、やっと面接までたどり着けても、ブラック企業ばかり。安心して働けるような職場はありませんでした」 何もしないわけにはいかないので、求人先に応募を続け
た。しかし、農業の職を含めて何度も書類落ちと面接落ちを経験すると、自分ができること、やりたいこと、その何もかもがわからなくなる。地方の農家に行くのも、何往復もすると生活費を大きく圧迫する。何度も落ち続けて、農業に就くこともあきらめた。公共交通費の高さは、それぞれの地域で引きこもる人たちが行動を起こそうと思う際の大きな障壁となり、外出先の選択肢を狭める要因にもなっている。

働きたいのに地元に仕事はない引っ越したいのに収入がなくて叶わない
Aさんの住む街も、他のベッドタウン同様、高齢化が進んだ。主力企業の工場が相次いで撤退。雇用の場は、次々に消えていった。アパートの周囲を見渡してみても、放置された空き家や空き地があちこちに点在。駅前の商店街も、すっかりシャッター通りになっている。 「いちばん情けないのは、自治体の公用車が『土地を売っています』とい
う広告を堂々と貼り付けて走っていることです。こうなると、もうその自治体はダメです。見込みはありません」

Aさんは、自分の生まれ育った街が、こうして荒廃していくさまを10年以上にわたって見続けてきた。 「街を出て行きたいのですが、定期収入が無いとアパートを紹介してもら
えません。滞納者が多く、家主が神経を尖らせているそうです。いまのアパートの家賃より、安い場所に引っ越したくてもできません。生き地獄状態です」そして、いまは再び、自宅で療養中の身だ。仕事に就くのをあきらめて、職業訓練所に入所し、手に職をつけることを目指している。 「求人云々ではなく、仕事に就いて働く事がバカらしくなりまし
た。形だけでも何かをする。ただそれだけです」

 

 

posted by タマラオ at 05:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記