2014年02月08日

こんな人生の歩き方  No3

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イスラエル人のハングリーさ、率直さ(時に失礼なほど)、失敗を恐れずに新しい事に挑戦する若手を支援する教育方針、常に世界レベルでビジネスを考える姿勢や、互いを支援し合うユダヤ系ネットワークの強さ、に圧倒されました。
エルサレム訪問中に滞在していたエリアが厳重警戒地区となり、若い兵隊達と話す機会がありました。敵国に囲まれる中、自国を守るためのサバイバル力を身につけていく彼らを見て鳥肌が絶ちました。

在学中にベンチャー企業を立ち上げるも内部分裂
ボストンに戻った直後、起業経験のあるイスラエル人同級生2人と早速組んで、企画に取りかかりました。まず、クラウドソーシングサイトのアイデアを練りました。日本のデザイナーやアーティストの才能を海外向けに売り込むため、Tシャツのデザインを請け負うものです。そして、ハーバード大学が春に開催する、ビジネスプラン・コンテストに応募しました。準決勝まで進んだので、アイデアを実行するための資本金を学校が提供してくれました。米系ブランドでマーケティングのインターンをするはずが、これまた人生計画が狂ってしまいました。3カ月の夏休み期間を使って一時帰国し、いきなりビジネスを創業する事になったのです。

ただし、このベンチャー企業は、卒業するときに廃業することになりました。「日本の魅力を世界に発信するビジネスを作りたい」という私の考えをベースに立ち上げたので、他の創業仲間との間で、目標やインセンティブが合わなくなり、別れる事になってしまったのです。悔しさと涙に堪えなければならない経験となりました。それでも、それまでで最も充実した数ヶ月でした。MBAコースの授業で学んだ事をそのまま実践して試すことができました。

自分の強みと弱みを発見することもできましたから。学生と二足のわらじで、フルにコミットできなかった悔しさもあり、もう一度ゼロから、最高のチームと組んで起業したいと強く思うきっかけになりました。

コーチで、右脳で判断するクリエイターと仕事
田村:その矢野さんがMBA取得後に選んだ就職先がコーチでした。ハーバード・ビジネススクールの方々が「これは意外だ」とおっしゃってました。待遇としても、業界としても。なぜコーチだったのでしょうか?

矢野:針路に就いて、卒業間際になっても、毎日悩んでいました。在学中に日本で立ち上げたベンチャー企業を続けるために日本へ戻るべきか?そもそも、当初の目的であった、米企業本社での勤務経験を優先するか?悩んだ末、ベンチャー企業はいったん閉じて、自分が今後立ち上げたいビジネスの役に立つ産業経験を米国で得ようと思いました。 そして、米国トップブランドであるコーチ本社のデジタルメディアマーケティング部で、経験を積むことになりました。

もともと、ファッション、アート、メディアなどのクリエイティブ産業に興味がありました。次に立ち上げるであろうベンチャー企業も絶対にデジタル系だと思っていましたから。これは、最高に貴重な体験でした。 MBA取得者がコーチに勤める事は特に珍しいことではありません。社内の戦略チームのメンバーは全員MBAホルダーか戦略コンサル出身者でした。ただ、私がいた部署はMBAホルダーが一人もいないクリエイティブ集団でした。

上司は、右脳で物事を判断するクリエイティブディレクター。間違いなく、今までとは全く異なる環境でした。自分と全く異なる人たちと一緒に働くと、こちらの常識が通用しません。はっとさせられる事が多く、その分学ぶ事が多かったです。
待遇では、金融業界に適いません。でも、待遇で仕事を選んだ事は一度もありません。自分が興味を持っている分野で、強みを活かしながらパワーアップしていける仕事を常に探しています。そんな仕事を創っていきたいです。

田村 耕太郎(たむら・こうたろう)
前参議院議員、元内閣府大臣政務官(経済財政政策担当、金融担当)、元参議院国土交通委員長。早稲田大学卒業、慶応大学大学院修了(MBA取得)、米デューク大学ロースクール修了(証券規制・会社法専攻)(法学修士号取得)、エール大学大学院修了(国際経済学科及び開発経済学科)経済学修士号、米オックスフォード大学上級管理者養成プログラム修了

 

 

posted by タマラオ at 05:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記